2017年7月7日金曜日

退役からの復活:スーダンのMiG-23が再び空を飛ぶ






著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

スーダン空軍(SuAF)は1956年に創設されて以来、複数の供給国から入手したいくつかの種類の軍用機を運用してきた。
MiG-29SEhSu-25Su-24といった現代的な機種は、スーダン内戦ディサイシブ・ストーム作戦に参加したことでよく知られているが、F-5EMiG-23MSといったより旧式のものは1980年代の導入以来、SuAFの間では十分に記録化されていない。

SuAFにとってソ連製の戦闘機は見知らぬ存在ではないものの、実際にはスーダンがMiG-23をソ連から発注したことはない。
その代わりに、SuAFは80年代後半にリビア空軍(LAAF)がスーダンに配備した最大12機のMiG-23をリビアから貰い受けた。
この配備には、多数のリビアのパイロットとスーダンでの機体の運用を担当する技術者を伴った。

リビアの分遣隊が約2年後にスーダンから撤収したとき、SuAFには本当に飛行も維持もできない航空機が残されていた。
結果として残存機は数年の運用の後、スーダン最大の航空基地であるワディ・セイドナの保管庫に収容された。
ここでMiG-23はスペアパーツの不足のために保管庫に入れられた大量のMiG-21M、J-6とF-5Eの列に加わった。
ところが、それから20年後になってはじめて、MiG-23が再び姿を現した。

2010年の末からは、サファット・メンテナンスセンターの格納庫の前にあるエプロンの一角に最大で4機のMiG-23が駐機している姿を衛星写真で見ることができる。
この4機はスーダン空軍が使用していた格納庫のスペースを確保するために、以前にここへ移動されたものだ(注:2017年現在ではどこかに移動されている)。
着手するプロジェクトの数が増加しているためにサファットはまもなくスペースが不足する事態に直面し、 MiG-23を収容するハンガーで他の航空機を点検や修理をしなければならないときに、技術者は同機を外に移動させることを強いられた。

この状況が、ワディ・セイドナにおいてSuAFで運用しているMiG-29、Su-25、Su-24の飛行隊を支援する多くのベラルーシ人やロシア人パイロットや技術者のうちの1人に残存している3機のMiG-23MSのうちの1機の前でポーズを取ることを許した(注:下の画像)。
この機は長期間にわたって保管された鮮明な痕跡を残しており、同機にマーキングされたラウンデル(国章)と国旗がゆっくりと薄まったために元のリビアのマークをはっきりと見せている。
シリアルナンバー 「09055」はもともとリビア空軍によってこの機に割り当てられたものであり、単にスーダンでもそのままに残されたものだ。

主にチャドの北部でリビア軍と戦っているチャドの反政府勢力へのスーダンの支援があったためにリビアは80年代初めにスーダンと戦争状態にあったが、1985年にヌメイリ大統領を追放した後、速やかにかつての仇敵と緊密な関係を確立した。
スーダン最大の都市であるオムドゥルマンTu-22で爆撃し、スーダン北部とスーダン南部でスーダン軍と戦っている反乱軍に財政的・物的支援を行い、「両国」間の併合の可能性について話し合った(注:これはチャド・リビア紛争での話)。
この併合は決して生じることはなかったが、スーダンとリビアの新たな築いた関係はスーダン、とりわけSuAFにとって非常に有益ということが判明した。

1987年から、リビアはスーダンに大量の軍用装備の供与を開始した。
これには主に、その時点までに作戦能力の激減の結果として最期を迎えつつあったSuAFに是が非でも必要とされた増援が含まれていた。
SuAFは1年以内に、、最大12機のMiG-23MSと少なくとも1機のMiG-23UB、数機のMi-25および2機のMiG-25R(B)の追加によって増強された。
これらの機はリビア人のパイロットによって飛ばされ、同様にリビア人技術者から整備を受けた。
この分遣隊はSuAFの中核を組織し、1987年と1988年にスーダン人民解放軍(SPLA)が一連の攻勢を開始した際に早急にその真価が問われた。

この攻勢に対応して、SuAFはスーダン南部への偵察任務に投入したMiG-25R(B)によって集められた情報に基づいて空爆で報復した。
これらのソーティに続き、MiG-23MSとMi-25によるSPLAが支配する村やキャンプへの空爆が続いた。
スーダン南部の上空はMiG-23MSにとって特に危険ということが判明し、運用から1年後にはたった6機だけが稼働状態にあったと今もなお考えられている。
1989年か1990年にリビアの分遣隊が引き揚げた後、残存する4機のMiG-23MSはまもなく保管されて決して再び飛行することはなかった。
2機のMiG-25R(B)はスーダンに駐留中はずっとリビアの所有権を保持し続け、どちらもリビアに戻った(注:所属がリビア軍機のままで、結局スーダンに供与されることが無かったということ)。
残存したMi-25は、1990年代後半と2000年代初めに東ヨーロッパから供給されたより新しいMi-24とMi-35に置き換えられるまで運用が続けられ、ハルツーム国際空港(IAP)の軍用スペース(注:軍民共用空港)でそのキャリアを終えた。
リビアによるスーダン内戦への関与の詳細については、この本で読むことができる。

リビアの分遣隊は、長期的にはSuAFの作戦能力を向上させるのに特に成功したとは証明しなかったものの、それはリビアがアフリカ各地のいくつかの空軍に行ったさらなる支援の前例を示した。
それについては今後の記事で取り上げる予定だ。
現在は南スーダンとして知られているジョングレイ州に墜落した元リビアのMiG-23MS 「06918」番機の残骸は以下の画像で見ることができる。
みすぼらしいスーダンの国章はスーダンの太陽の下ですぐに色褪せ、その結果として本来のリビアの国章を浮かび上がらせている。






MiG-23MSは、ソ連が中東およびアフリカの友好国にダウングレードした兵器を売却した、いわゆる「モンキーモデル」の典型的な例だ。
これらの「モンキーモデル」には戦車から海軍艦艇や航空機に至るまでの何もかもが含まれており、ソ連の同等品と比較すると、機密となっている装備が取り除かれていたり、近代的な装備を欠いていたり、装甲が劣っていた。

ソ連は性能をダウングレードした輸出型を多く開発したが、MiG-23Mの輸出型を開発する目的のため、同様の方法によって今までに作られたなかでも最悪と思われる戦闘機(MiG-23MS)を多く作り出した。
基本的には強力なエンジンを備えているものの(注:それでも最新型ではない)を、レーダーなどの電子装備をダウングレードしたもの(旧式)を搭載した。

何年にもわたる中東における紛争の後に既に役に立たないと考えられていた電子装備を搭載し、無能で悪名高いR-3S空対空ミサイルで武装したこの飛行機は、飛行と維持の両面で悪夢のような能力を証明した。

エジプト、イラク、シリアの空軍はイスラエルのF-4EファントムIIへの対応ができない状態であり、F-4Eの性能に対抗できる新しい戦闘機を入手しようと熱望していたが、彼らはその新しい機体(MiG-23MS)に決して感銘を受けることは無かった。
1970年代にリビアが大量の兵器を探し求めたとき、ソ連はすぐにリビアへMiG-23MSを提供した。
しかし、MiG-23MSの引渡しとイラクのパイロットへ訓練したときとは逆に、リビアでは極度に飛行させる代わりに大部分の時間を地上で過ごすことになり、結果的にソ連はF-4ファントムの敵というだけではなくF-14トムキャットの敵として同機を販売したことになった(注:MiG-23MSが単なる良い的となったということ)。
LAAF(リビア空軍)は約束された能力と現実との間のギャップに怒り、MiG-23MSを運用している飛行隊の戦闘能力を向上させるためにかなりの時間と資源を投入した。
MiG-23MSの供与は、リビアがソ連との関係を断った理由の1つだった。

そのひどい記録にもかかわらず、MiG-23MSをスーダン空軍に再導入するための論争が依然として続いている。
スーダンは南部に存在する大規模な石油備蓄の産物を享受していたために、2011年に南スーダンの分離独立後に主要な収入手段を失った。
これは、スーダンが軍隊に資金を費やすことがより少なくなったことを意味するだけではなく、スーダンが現時点で石油と引き換えに武器を購入することができないことも意味した。
目に見える財政面での大幅な増加はないが、SuAFは近い将来に、より現代的な戦闘機を入手するための十分な資金を蓄えることはできないだろうことから、既に入手したもので頑張り続けなければならない。

その上で、スーダンは(より一般的にはサファット・アヴィエーション グループの一部であるサファット・アヴィエーション・コンプレックスと呼ばれる)サファット・メンテナンスセンターの設立によって、航空機やヘリコプターの整備を現地で行うことができるようになった。
これらのプロジェクトのほとんどが外国人技術者と支援を受けて行われており、オーバーホールのためにこれらの航空機をウクライナやベラルーシまたはロシアに移送するよりもかなり安価に済む。
これは、スーダンが国外のメンテナンスセンターと往復させるための輸送にかかる費用のために努力する価値が無いと思われる航空機を自身でオーバーホールすることができることを意味した。

この点を考慮に入れ、SuAFは以前に保管状態にあった数種類の航空機のオーバーホールを検討し始めた。
かつて残りの生涯を地上で過ごすものと思われていたMiG-23は、何十年もの保管状態にあった後に広範囲に及ぶ大規模整備を受けた。
スーダンが本当にMiG-23MSを運用して維持することが決してなかったことから(注:前記のとおりリビアが担当していたため)、サファットはMiG-23を自身でオーバーホールする技術的専門知識が不足していたために海外からの支援を探すことを余儀なくされた。
幸いなことに、そのパートナーは隣接するエチオピアで見つかった。
同国のデジェン航空産業は必要なメンテナンスを実行できることが証明されていたからだ。

(以前はDAVEC、デジェン・アヴィエーション・エンジニアリング・コンプレックスとして知られていた)デジェンは、エチオピア空軍で運用されている幅広い種類の航空機のオーバーホールを担当しており、Su-27をオーバーホールする十分な能力がある数少ないメンテナンスセンターの1つだ。
いまだにDAVECとも呼ばれるデジェンは、もともとエチオピアがソ連製航空機(主にMiG-23BN、ML、UB)を現地で維持できることを目的に設立されたことから、この種の航空機のオーバーホールに関して豊富な経験を持っている。
4機のMiG-23のうちの1機のツマンスキー R-29エンジンがサファットで整備されており、これは以下の画像で見ることができる。

航空機のオーバーホールを目的としてデジェンから少なくとも10人のエチオピア人がサファットに派遣され、エチオピアは新しく再生された機体の飛行試験のためにパイロットも提供した。
エチオピアの存在は、MiG-23MSを稼動状態に戻す際に大きな役割を果たしたことを強調した。
さらに、現時点においてスーダンはMiG-23の飛行訓練をしていないと考えられていることから、エチオピアは予備部品(既に搭載されている新しい操縦席のキャノピーなど)の提供のみならず訓練も支援する可能性が高い。

スーダンのMiG-23MSの兵装の選択は、数種類の無誘導爆弾と57mmロケット弾用のUB-16およびUB-32ロケット弾ポッドに限られている。
SuAFはかつてMiG-21M用のR-3S空対空ミサイルを保有していたが、これらのミサイルがまだ残存している可能性は少ない。
理論的に考えると、リビアがスーダンへ航空機を供与した際にリビアのストックからR-3S空対空ミサイルが付随した可能性があったが、このミサイルの保存期限は既に数十年前に切れている。
したがって、スーダンのMiG-23MSの役割は戦闘爆撃機(注:事実上の攻撃機)に限られている。
MiG-23MSによる兵装の投射は遠くから離れると正確さが全く無いものの(注:無誘導のため)、数十年にわたる紛争の間に、精度の欠如がSuAFに問題を問題を引き起こしたことはなかった。

不幸なことに、SuAFのためにオーバーホールされたMiG-23の4機のうちの1機が試験飛行の直後、ワディ・セイドナに不時着した。
この機体は炎上し、後に基地の隅に放棄された。
つまり、再就役に入る以前にSuAFは既にMiG-23を1機失っていた。
その機体がUBかMSかどうかは不明のままだが、唯一のMiG-23UBを失ったとなるとSuAFは海外から別の機体を購入することを余儀なくされ、このプロジェクトは大幅に高額なものになってしまう。














オーバーホールのおかげでSuAFにわずかな費用で4機のMiG-23が提供されたが、MiG-23MSの面倒な性質は本当にそれだけ努力する価値があるのかという疑問を提起する。
既に事故のために1機が失われており、この非常に面倒な航空機を飛行する際により多くの機体が失われる可能性が高いため、MiG-23MSのスーダンにおける2回目のキャリアは短期間になるかもしれない。

 ※ この翻訳元の記事は、2016年9月26日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。   
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。  

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