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2019年1月22日火曜日

老兵は死なず:シリアにおけるBRDM-2

ワグネルが運用している改修型BRDM-2

著:スタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 「Boyevaya Razvedyvatelnaya Dozornaya Mashina」:直訳すると「戦闘偵察警戒車」と呼ばれるこの車両はBRDMとしてよく知られており、7年近くにわたるシリア内戦の殆どに姿を見せなかった象徴的な車両です。

 この内戦を追い続けているいくつかのアナリストはBRDMが将来のある時点で大量に出現することを予期し続けていますが、シリア革命が勃発する直前にシリア・アラブ陸軍(SyAA)BRDM-2の殆どを退役させた後、この車両の運命は事実上そこから逃れられぬものとなりました(注:退役からは変化が無いということ)。

 シリアでは続く内戦での使用により適した莫大な装甲戦闘車両(AFV)が運用されていますが、近年でもごく僅かな量のBRDM-2が運用され続けています。最も注目するべきはそれらがシリア各地で活動しているロシアの民間軍事会社「ワグネル」で運用されていることにあります。

 シリア内戦の大部分ではこの車両がキャッチされにくかったにも関わらず、BRDM-2は革命の初期段階で抗議者達が最初に遭遇したAFVの一つでした。

 シリア警察は以前にシリア・アラブ陸軍(SyAA)から少数のBRDM-2とBTR-152を受け取っており、そのいくつかは KPV 14.5mm重機関銃とPKT 7.62mm軽機関銃を維持したままで追加装甲と鮮明な青い迷彩塗装が施されていました。これらのBRDM-2は革命の初期段階の間にホムスとイドリブの都市部に配備され、結果として数台が破壊されたり捕獲されたようです。

 その後でもSyAAで使用されているBRDM-2の目撃は続き、結局のところシリアの戦場においてその数は減少し、遂には消滅に至りました。

 いくつかのBRDM-2を鹵獲されたSyAA基地の映像で見ることができたものの、そこでは防御側によって固定陣地として使用されていたか、基地の一角で単に放棄されたに過ぎませんでした。

 殆ど全てがタイヤがパンクしている鹵獲車両を修理することについては、鹵獲側の視点からすると明らかに努力するに値しないものであり、大半はその場で朽ち果てることになったったわけです。

 BRDM-2の派生型はそれらのベースとなったオリジナルよりも僅かに能力が向上しました。BRDM-2RKh 対放射線・化学兵器偵察車、9P122及び9P148対戦車ミサイル搭載車と9K31ストレラ-1移動式地対空ミサイルシステム車を含めた派生型の大多数は内戦の勃発した際でも依然として運用が続けられていました。

 それにもかかわらず、シリア内戦でこれらの派生型が使用されている姿を見つけることが困難であることが証明されており、政権軍だけが2014年に敵の強化陣地に対していくつかのBRDM-2 9P148対戦車ミサイル車を投入し始めたことが確認されただけです。

 この用法に投入されたのは僅かな数の車両に限られていたようで、殆どのBRDM-2の派生型は今日まで保管され続けているようです。
















 シリアに引き渡されたBRDMの数は若干不明なままですが、この国に引き渡された全てのAFVが高インフレの影響下にあったように、その量は長年にかけて引き渡された様々な派生型を含めて数百両に限定されると思われます(注:比較的少数が供与されたということ)。
 そして、「損耗」の魔の手はBRDM-2をSyAAで運用された他の車両と同程度に見逃さなかったことでしょう(注:原因は酷使のみならず部品の欠如も意味しました)。

 結局、2000年代後半でも僅かに限られた数の車両が現役にありました。

 いくつかの近隣諸国と共に運用を始めたにもかかわらず、シリアによる初期のBRDM-1派生型の使用に関する報告は誤りだと考えられています(注:シリアへはBRDM-1が引き渡されていないのです)。

 シリアはBRDM-2と9P122対戦車ミサイル車を1973年の10月戦争(イスラエルではヨム・キプール戦争として知られる)で初めて使用し、占領されたゴラン高原で防備されたイスラエル軍と戦いました。これで一部がイスラエル軍によって破壊または鹵獲され、最終的には(イスラエル自身が使用するために)再運用と改修するのに十分な数のBRDM-2と9P122を手にしたようです。

 皮肉にも、鹵獲されたBRDM-2の一部が1982年のレバノン戦争で以前の持ち主に対して投入されてしまいました。この戦争ではSyAAと同盟軍によるBRDM-2の広範囲にわたる使用が見られました。

 すでにレバノンの大部分が占領された1976年、最終的に、BRDM-2は1973年の10月戦争の間よりもレバノンを占領していた間のSyAAによる使用(治安維持任務)が適していたことが判明しました。

 大・小口径の機関銃で武装し小火器や岩石から防護する能力を持つ、装輪式のBRDM-2はより重い(装軌式)車両の使用が嫌悪される他の作戦と武装パトロールにふさわしく、役に立ったようです。

 BRDM-2の見た目は比較的威圧的でもありませんでした(多くの国は紛争地帯に戦車を配備することを避けたいと考えています。なぜならば、地元住民には戦車が攻撃的に見えて軍隊が大規模な戦闘をするためにそこへ来たという考えを与えるからです。つまり、戦車の配備はそこが戦場になるという意味を与えることになります)。

 BRDM-2は装輪式で無限軌道を採用していないため、シリアがレバノンを占領している間の使用に最適でした。

 当然のことながら、2005年に(自由選挙の開催とレバノン国内に存在している、残存する外国軍隊の撤退を求めた)国連安保理決議1559が可決された後、最終的にシリアはレバノンからの撤退を強いられました。

   
 世紀の変わり目には、大半のBRDM-2は有益なキャリアを終えました。BRDM-2はより新しい偵察車両が装備している現代的な照準システムと重武装が欠けていたので、同車は設計された本来の用途のため、絶望的に時代遅れとなったのです(注:時代の流れと共に戦術や要求される性能が変化し、それに対応できなくなったということ)。

 多くのアフリカ諸国はBRDM-2を軽装甲戦闘車として運用し続けていますが、内戦が始まるまでシリアにとって明らかに唯一の可能な敵だったイスラエルに対するそのような車両の有用性は極めて低いと思われていました。当然ながら、就役していた殆どのBRDM-2は同車を運用し続けていたSyAAの機械化部隊から退役しました。

 しかし、退役した一定数のBRDM-2の運命は、結局のところ、より旧式のBTR-152兵員輸送車(APC)と共に警察への移管後に復活することになったことが判明しました。

 BRDM-2(の警察での使用)はこの役割にかなり大きな可能性を秘めており、成功した暴徒鎮圧車両として世界中の機動隊も改修をしたものの、シリアでは平和的な抗議活動が早い段階で今日まで至る内戦に移行したため、同国における(暴徒鎮圧用)改修はすぐに完全に不十分なものになってしまいました。

 装備された重火器では平和的な暴徒鎮圧には完全に不適当でしたが、(警察部隊は)しばしばその機関銃の使用に出たことが報じられています。ちなみに、生き残った車両は軍が警察部隊の作戦を引き継いだ後に撤収しました。

BRDM-2の横に書かれている文字: قوات حفظ الأمن والنظام - 治安秩序維持軍


 前述のとおり、SyAAは警察からの革命を鎮圧する役割を引き継ぎました。この時までには革命に伴う騒乱は、まだホムスのような大都市だけで発生していました(当時は革命がホムスのような大都市を越えて拡がってはいなかったものの、結果としてSyAAはその鎮圧に明らかに失敗してしまいました)。そのために(反乱軍との)最前線における重AFVの存在数は増加し、いくつかのBRDM-2を含むそれらは主に反乱軍との紛争地域周辺の検問所に配置されました。

 しかし、イスラエルとの従来型の戦争での戦闘を準備してきたうえに、シリアでの急激な戦場の変化への適応が完全に未熟だったことも判明していたこともあり、SyAAの戦車は政権が統制する市街地中心部を強化するには殆ど役には立たなかったようです。

 戦闘がシリアの大部分に拡大するにつれて、紛争の激しさも増しました。反乱勢力は今や対戦車ミサイルや携帯式対戦車擲弾発射器(RPG)をSyAAの武器庫から捕獲したり海外から入手したりしてシリアの機甲戦力に打撃を与えているのです。

 SyAAの機甲戦力の損失は、世界中のほとんどの国で運用されている戦車数をはるかに上回る数にまで増加しましたが、(SyAA)はイスラエルとの従来型戦闘における地上戦の準備をしていたので、依然として(戦争の大半で発生するだろう莫大な損失を補うための)大量のAFVに依存することができました(注:損失自体は想定済みということ)。

 SyAAの喪失した兵器ストックを補充するために、大量のT-62Mや他のAFVが2017年初頭までに(シリアへ)到着し始めたばかりだったという事実は、シリアの造兵廠が豊富なストックを抱えていたことも証明しました(注:内戦開始から6年後に供与が開始されるまでSyAAの予備兵器に余裕があったということ)。

 しかしこれはまた、何年も前からSyAAの基地で朽ち果ていたBTR-60やBRDM-2のような軽武装・軽装甲のAFVの存在に反応してそれらを就役させる理由が特にないことも意味したのです(注:最就役させる価値が無いということ)。

 14.5mm重機関銃で武装して、最低でも小火器に対する防護力があったことから、いくつかのBRDM-2は制圧に直面している包囲された基地で固定陣地として使用されました。
 
 これらの基地が陥落した後に陣地に転用された個体が数台鹵獲されました。最も注目すべきは2014年にイスラミック・ステート(IS)がSyAAの駐屯地を制圧した際、ラッカの第17師団で遺棄されたBRDM-2RKhが、デリゾール近郊では別の通常型のBRDM-2が鹵獲されたことでしょう。



 通常のBRDM-2よりもいくらかは恐れられていたのは、ありふれたBRDM-2の車体を用いた対戦車ミサイル(ATGM)車でした。シリア内戦におけるATGMの重度の拡散と使用のおかげでシリア各地における多くの政権側による攻勢の際には(同車が)戦力倍増の効果を与える装備(という立場)として最終的に落ち着いたほどだったのです。      

 ATGMは本来AFVに対して使用されるように設計されていましたが、この内戦では建物の中の防御陣地のような強固な構造物に対する精密兵器として広く使用されているのです。

 (大きい車両のため)通常のATGM発射機が可能なように人目の無い隠れた場所に位置することはできませんが、BRDM-2ベースのATGM車の利点は(車両の種類にもよるが)5発か6発のATGMを(全弾を装填する必要がある前に)乗員が車内に残り続けて発車する能力です(注:車載型は車内から安全に5,6発を連続して発射できるということ。地上に備え付けの発射機では操作員はむき出しであり、一度に単発しかできないので、続けて発射するにはいちいち装填しなければなりませんでした)。

 この能力はシリアの砂漠地帯にあるISの領域に対する政権側の攻勢で大いに役立った可能性があります。そこではISが装甲・非装甲の車両運搬式即席爆発装置(自動車爆弾:VBIED)を乱用していたからです。それらの一部はなんとかしてSyAAの陣地と兵舎や集積地に忍び寄ることができたでしょうが、おそらくは監視地点にいるBRDM-2ベースのATGM車によって(自爆攻撃を)妨害されたかもしれません。


 シリアは9P122と9P148 ATGM車の双方を入手しましたが、現代の紛争では9P148だけが使用に耐えうると主張することができます。

 9P148は一世代遅れのマリュートカATGMを発射する旧式の9P122を大幅に改善したもので、9M113「コンクールス」とより古い9M111「ファゴット」のどちらも発射することが可能です。少数の9P148が内戦に投入されて少数が現役にあると考えられていますが、全てのP9122は長期保管されたままです。

 ゴラン高原でイスラエルのメルカバ戦車を攻撃するというSyAAが意図した役割では9P122とマリュートカATGMはいずれにせよ彼らを十分に怖がらせることはできなかったでしょう(注:マリュートカATGMではメルカバ戦車に歯が立たないので、結局は役立たなかっただろうということ)。

 大半の9P122はSyAAの基地に置かれているために私たちの視界から隠れたままとなっていますが、いくらかはシリア内戦の間に鹵獲されました。最も特筆すべき事例は反乱軍がアレッポの包囲を解こうと試みた際に、合計で7台の9P122が砲兵学校で鹵獲されたことです(包囲の突破は8月初頭に成功しました)。

 反乱軍はアレッポを維持することに不可欠なライフラインの維持を繰り返し試みたにもかかわらず、2016年9月初頭には新たな政権側の攻勢で包囲が復活し、その数ヶ月後の同年12月後半には政権側が都市全体を掌握してしまいました。


 興味深いことに、ISだけが捕獲した9P122の使用を試みたことがあります。

 しかし、想定されていた用途(注:対戦車攻撃)で9P122を使う代わりに、ISがこれらを(車両分類番号[100]と[106]がデリゾールのアイヤッシュ近郊で政権軍によって鹵獲された以前に)装甲兵員輸送車(APC)やVBIEDに転換した可能性があります。

 鹵獲された9P122の双方がISの装甲車両修理施設:「工廠」かその傘下にある工廠でオーバーホールされた車両であることを示す、الدولةالإسلامية - 'イスラミック・ステート'、جيشالخلافة - 'カリフ制軍'(ジャイシュ・アル・ファリーファ)と記載された黒い四角形のマーキングが施されました。

 どちらの車両分類番号も特有の第1桁を付与されており、9P122[106]の存在は少なくとも6台のBRDM-2やその派生型、または他の装輪式AFVが「工廠」によってオーバーホールされたことを示唆しています(注:「工廠」ではBRDMが100番台、戦車が300番台といったように、AFVのカテゴリー別に番号の第1桁が分かれている。この分類からすると。捕獲されたBRDMに[106]とあったことから、少なくとも6,7台の同種車両が存在するということを意味しているのです)。


 他の9P122の大半と似たような運命が、BRDM-2の車体をベースとした短距離地対空ミサイル(SAM)システム9K31ストレラ-1にも与えられました。

 本質的には、これらは(4発のミサイルを搭載した)機動プラットフォーム上に装備された旧世代の携帯式防空ミサイルシステム(MANPADS)の性能と変わりません。したがって、9K31ストレラ-1は今日の紛争における赤外線誘導式(IR)ミサイルに対する現在の妨害策には完全に手も足も出なかったと思われます。

 シリア軍はより現代的なパーンツィリ-S1ブクM2、アップグレードされたS-125(ペチョラ-2M)を入手していたものの、それら自身が既にイスラエル空軍によって敗北を喫したので、シリアは2000年代後半か2010年代の初頭にはより旧式である9K31ストレラ-1の大半を退役させてしまいました。


 BRDM-2の大半の派生型が倉庫で保管され続けているものの、BRDM-2の偶発的な出現は今日まで続いています。それでも、たいていは1台がシリア政府と連携した部隊かそれと戦っている勢力のいずれかによって使用されている程度です(注:複数での目撃例が少なく、目撃される場合は1台のみ場合が多いということ)。

 さらに事実を明かすと、目撃されたBRDM-2の殆どは政権とその同盟者と戦う勢力によって運用されており、中でも注目すべきはISによるもので、彼らは数台のBRDM-2をシリア北部における孤立したSyAA基地に対する攻撃で使用しました。

 政権側で運用中の稼働状態にある殆どのBRDM-2はそれらを運用する部隊の主導で復活させられてはいますが、それは政権側のAFV修理工場でBRDM-2群の大部分を復活させるという、より広範囲に及ぶ計画の一部ではありません(注:大規模な再生計画ではないということ)。

 その一方で、YPG(クルド人民防衛隊)のような勢力は少なくとも何らかの形の装甲(戦力による)支援を部隊に与えるためにBRDM-2のような再生車両に依存しています。
 歴史的にシリアを支配するべく戦闘を繰り広げている全ての主要な勢力で最も裕福ではないYPGはDIY装甲のトラクターと他の奇怪な車両を補完するために、入手することができたあらゆる車両を利用し続けています。この状況は、YPGが(以前に政権側の部隊か他の勢力によって)シリア北部の各地で放棄されていた、いくつかのBRDM-2をBTR-60と共に復活させるに至ったのです。



 最も最近の目撃例には、2018年4月に無傷の約40台の戦車とAFVが(イスラーム軍から)政権側の部隊へ引き渡される前の東カラマウンで、かつて同軍が運用していた1台のBRDM-2が含まれています。       

 興味深いことに、彼らは内戦の初期段階の際に独自の空軍を創設、東グータではいくつかの9K33オーサSAMシステムを運用し、シリアで最大の機甲戦力を集中させた部隊を集めた実績があります。そして、射程が200km以上あるイラン製ゼルザル-2「マイサラム」地対地ロケット弾を20発以上を所有していたが、彼らはそれらのアセットを最大限に活用することを決してしませんでした。

 その代わりに、彼らは鹵獲した装備を主に内戦で最大限活用するのではなく、主に抑止力として使用しているように思われましたが、最終的には双方の成果を得ることに失敗に終わりました(注:結局はそれらの装備を鹵獲・破壊されたり、拠点からの撤退を強いられるなどして目的を達成することができなかったのです)。

 イスラーム軍によって政権側に引き渡された戦車のうち数台がその数ヶ月後にダルアーへの攻勢に参加している姿が見られましたが、このBRDM-2が同様に再使用されるかは不明のままとなっています。


 BRDM-2を戦場に展開させることを実際に意図していた他の運用者も改修する力を持っていました。主な改修は、シリア警察のBRDM-2に施されたものに似た、小火器による攻撃に弱いホイールの防御力を向上させようとしたものです。

 これらの大抵は比較的単純な改修は銃弾以外のもの(注:砲弾など)に対して車両を防御することには殆ど役に立ちませんが、(改修は)BRDM-2が任務を負った限定的な役割からすれば十分であると考えられたようです。

 典型的な改修を施されたBRDM-2を下の画像で見ることができます:これは自爆攻撃に向かっている車両です。スラット・アーマー対戦車擲弾(RPG)に対して車両を生存させる可能性を大幅に向上させたはずですが、おそらく運用者がその改修のために努力する価値が無いと見なしたのでしょう。

 確かに、シリア内戦では比較的少量のAFVしかこの形態の(増加)装甲を付与されていません。その中で最も注目するべきなのは第4機甲師団によって運用されているAFVです。

 
 そのような事例を下の画像で見ることができます:このダルアーで撮影されたBRDM-2は政権側の部隊によって鹵獲されました。この車両は既存の砲塔の上に新しいシールドと(防御力を向上させるために)、おそらく中を岩や砂袋で満たした装甲板を車体側面に追加の改修を受けています。


 ISによって運用された別の車両は、砲塔を含むBRDM-2の車体の外周に装甲板が追加さています。おそらくは装甲の製作とBRDM-2への装着に多くの時間を必要としたはずが、この車両は最終的にシリア中央にあるホムス県でVBIEDとして投入されました。

عربة الأخ أبو مصعب (تقبله الله) المفخخة - ''兄弟アブ・ムスラブの爆弾車両, アッラーは彼を受け入れるだろう"

 戦場で捕獲されたAFVが全て「救出」可能とは限りません。砲塔に損傷を受けたり、機能不全の部品を交換する昔ながらの(整備・修理)方法を欠いたままの運用は戦車にまだ射撃や運転可能な状態をもたらしますが、機能不全の武装やエンジンのせいでそれぞれが本来意図された用途では全く役に立たなくなるからです。

 シリアでは、大抵の場合はそれがAFVに全損という結果をもたらすことを意味しますが、YPGは一般的に保有している乏しい装甲プラットホームを無駄にすることを許していないので、他のAFVをベースにしたDIY-AFVをよく見かけます(注:YPGは装甲兵力が少ないのでAFVが損傷しても無駄にせずニコイチなどして残存を図っているのです)。

 YPGのやり方で、少なくとも1台のBRDM-2が新しいAFVのベースとして使用され、広範囲にわたって改装されました。下の車両は明らかにBRDM-2をベースにしていますが、この再生車両は全ての面で元の車両とは異なっています。


 ただし、大半のYPGの改修は前述の車両よりは平凡なものです。通常の改修はホイールの周囲を覆う装甲板の追加ですが、各改修車両の間で変化が見られます。これは、各車両が異なる兵器修理工場によって改修されたことを示している可能性があります。

  
 





 
    


 シリアにおけるBRDM-2に施された最も徹底的な改修は、いかなる現地の勢力によってなされませんでした。しかし、その代わりにロシアの民間軍事会社ワグネルによって実現されました。

 一応は民間軍事会社でしょうが、ワグネルはロシア国防省の非公式な通常戦力として地上で活動しており、シリアで(身分を隠していない、正式な)ロシア軍から大規模な支援を受けてきました。

 さらに、彼らはいくつかの政権側の攻勢で決定的な役割を果たしており、突撃部隊として活動して多くの戦闘をしたものの、撮影クルーが新しく征服した地域で撮影をし始めると再び姿を消しています(注:ワグネルは隠密に活動しているので、テレビ・クルーが新しく占領された土地を訪れると時点ではロシアの傭兵がいることを悟られないために姿を消してしまっています。そのため、彼らからするとSyAAが実際にそこを占領したように見えるわけです)。

 ワグネルが保有するBRDM-2の出所は不明ですが、おそらくSyAAのストック品でシリアにおける彼らの新しい運用者によって改修されたか、単にロシア軍のストック品を入手してロシアで改修されたものと思われます。

 ワグネルが使用しているBRDMについては今までに3種類の派生型が知られていますが、それぞれにいくつかの亜種が存在します。これらはアレッポ、タドムル、デリゾールを含むシリアの殆どの地方に姿を見せており、デリゾールでは少なくとも1台がISによって撃破されました

 最初の改修例はBRDM-2の砲塔を撤去されており、その代わりとして遠隔操作式のZU-23 23mm機関砲が搭載されています。機関砲の上部には(照準用の)カメラが装備されている
弾薬を再装填する以前の段階でBRDM-2により長期間の射撃を可能にさせるために通常よりも大きい弾倉が装着され、おそらくは1門あたり約100発の弾薬のために合計でその2倍(注:ZU-23が連装のため)の量の射撃を可能にしています(ただし、ZU-23を搭載したすべてのBRDM-2がそのような弾倉を使用しているとは限らないように見えます)。

 この車両は砲塔と車体の周囲に新しく装備されたスラット・アーマーによって防護されています。スラット・アーマーと車体の間の広い空間は無数の土嚢を入れることを可能にし、命中した弾頭を変形させる(注:無力化させる)機会をさらに増大させると見受けられます。





 別の改修例では、KPVを装備した砲塔がNSV 12.7mm重機関銃AGS-17 30mm自動擲弾銃を含む自家製の砲塔に置き換えられています。

 この車両もスラット・アーマーを装備していますが、上の画像の車両とは少し違った装着がなされています。

 
 どこかに展開した下の改修車両の外見は他の個体とよく似ていますが、いくつかの小さな違いが特徴になっています。
 最も注目するべき点として、同車には密閉式の砲塔が装備されておらず、その代わりに主武装を格納している開放式のキューポラが設けられていることです。

 この車両もワグネルが他に運用している殆どのBRDM-2と同じように車体前部にカメラを搭載している。このカメラはBRDM-2の操縦手に新しく装備されたスラット・アーマーで大きく妨げられた視界の向上をもたらすでしょう。


 これらのBRDM-2のオーバーホールは、他の点では二流のAFVをシリアの砂漠地方におけるパトロールと移動に適合した強力なAFVに変化させるでしょう。

 このような改修をSyAAとその同盟者にさせるかは彼ら自身の意志に左右され、その(方針の)決定はシリアにおけるBRDM-2の将来に大きな影響を与えるはずです。


 BRDM-2は多くの弱点があるにもかかわらず、依然としてシリア内戦で貴重な戦力になるということが判明しています:ワグネルの例に沿った改修はBRDM-2を効果的な警戒車両と火力支援車に変えるでしょう

 シリア政府は国内にある反政府軍の領域にいる残存勢力を徐々に抹殺しています。彼らはまだ自身の支配下にない領域でも同様のことをしたいと望むだろうことは間違いありません。   

 将来に実施される作戦は、一度は永眠の地を見つけたと見なされ、今やもう一度戦うためにリファビッシュされた車両の関与を見続けさせてくれることでしょう。

 ※ この記事は、2018年9月22日に「Oryx」本国版に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
    

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2018年6月4日月曜日

イスラーム軍の9K33「オーサ」地対空ミサイルシステム



著  スタイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 イスラーム軍はダマスカスの東グータ上空を飛行するシリア空軍のヘリコプターを撃墜するため、2016年6月26日に9K33オーサ(SA-8)移動式地対空ミサイル(SAM)システムを再展開しました。イスラーム軍は1発のミサイル:9M33でヘリコプターを撃墜したとすぐにアナウンスしましたが、損傷したMi-25はなんとかダマスカス国際空港に無事に帰還することができました。その翌日、シリア空軍はイスラーム軍の領域付近上空を飛行していた数機の航空機を喪失したため、イスラーム軍の9K33に再び注目が集められました。

 このシステムの最新の展開には多くの人が驚かされました。ロシア国防省が2015年10月15日と2015年12月30日の二度にわたって「東部ドゥーマイスラミック・ステート テロリスト集団」によって運用されていた9K33システムの破壊に成功したと主張したために、既にイスラーム軍は9K33用ミサイルを使い果たしたと思われていたからです。
 これらの攻撃の結果(9K33が本当に破壊されたのか)がどうであるのかは不明のままですが、この報告は東グータを飛行するシリア空軍への脅威が効果的に無力化されたという誤った印象を与えました。

 はっきり言うと、イスラーム軍は2012年10月6日に東グータで1基の9K33を捕獲したとよく信じられてきましたが、実際には2ヶ月足らずで少なくとも5基以上の9K33を捕獲しています。これらの5基のシステムのうち3基は運用状態で捕獲され、非運用状態の2基はシリア防空軍(SyAADF)の整備・保管施設で出くわしたものとなります。
 イスラーム軍によって捕獲・運用されている9K33の実際の数に関する情報が不足していることは、世界中の紛争地域における正確な情報収集の重要性を再び示しています。







 2012年10月に反政府勢力が東グータにていくつかの地対空ミサイル拠点やレーダーシステム及びその関連機器を捕獲しましたが、この機器の大部分は老朽化した旧ソ連時代のシステムで構成されており、数カ月にわたって放棄されていました。限られた数のZSU-23-4やトラック・指揮車両を除いて、この装備は反乱軍にとっては殆ど役に立たないことが判明したためです。
 (3基の)運用可能な9K33の捕獲は後にシリア空軍にとてつもなくやっかいな問題を引き起こしたので、彼らが捕獲された後の直後にこれらを攻撃しないと決定したのは大失敗以外の何物でもありませんでした。

 バッシャール・アル=アサド大統領の体制に反対する武装勢力はこれまでにも地対空ミサイルを捕獲していましたが、その遺棄された装備の殆どは使用方法が複雑すぎることが判明しました。しかし、機動性の高い9K33は操作をマスターするのがより簡単なシステムで、インターネットでダウンロード可能なデジタルシミュレータが使用できるようになったことで更に容易になりました。
 おそらくより重要なことは、このシステムはレーダーが発射車両に直接組み込まれているために反乱軍にとっては(他のSAMより)ずっと使いやすく、空爆の目標になるのを避けるために素早く移動して隠れる能力があることでしょう。
 今までのところ、9K33はイスラーム軍(かつてのイスラーム旅団)によって捕獲されたという事実(注:他の組織では捕獲例が報告されていない)があり、シリアにおいて反乱軍が遂に得た初の運用可能なSAMシステムとなったことは注目に値します。

 最近ではイスラミック・ステートの存在で完全に影が薄くなりましたが、内戦下におけるイスラーム軍の偉業はまさに劇的に他なりません。他の反政府勢力に見られる機甲戦力と歩兵との間の貧弱な連携とは対称的に、彼らは機械化部隊で両者を運用する最初の勢力であした(注:組織的に連携できたということ)。
 2013年後半にはイスラーム軍はKshesh空軍基地(注:ジラー空軍基地)を拠点とする独自の空軍を創設しました。そのL-39のどれもが今までに作戦飛行に投入されたことはありませんでしたが、空軍の創設はイスラーム軍がそれをできる能力があったことを証明しました。
 そのほぼ2年後、イスラーム軍は2015年9月にイラン製のゼルザル-2無誘導ロケットを東カラマウンから発射するという、他の反乱軍によって行われていなかったことも初めてやってのけました。このロケットはシリアでは「マイサラム」と呼ばれ、攻撃ではシリアの沿岸地域にある市街地の中心部を標的にしていたと思われます。この全く報告されていない攻撃はシリア空軍によって行われた東グータへの空爆に対する報復として意図されていた可能性が高いですが、その戦果は不明です。しかし、イスラーム軍はそのような兵器で攻撃を行った唯一の反政府勢力のままです。

 それらの功績と海外からの資金提供、そして故ザーラン・アルーシュ(注:ハローキティのノートで知られている人物といえば分かるだろうか)による強力なリーダーシップを考えると、イスラーム軍は捕獲された9K33を運用するテロ指定組織でした。実際、捕獲後の数カ月間に彼らは既に東グータ上空を飛行するシリア空軍機に対してシステムを活用する準備をしていたのです。









 9K33オーサは、元々はヨーロッパの平野で作戦中の前進する機甲部隊への上空援護を供するシステムの構築を目的として1960年代に開発されたものです。しかし、従来の設計とは対照的に9K33は発射システムとレーダーの両方を1台の車両に統合させており、輸送起立発射機及びレーダー搭載車両(TELAR)は、他のレーダー・システムに依存することなく独立して運用可能なことを意味しています。こうした独立性の高いシステムにもかかわらず、長距離レーダーシステムへのリンク機能はシステムの状況認識と戦闘能力を大幅に向上させます。
 TELARはBAZ-5937上の9A33B発射プラットフォームと6発の9M33ミサイルで構成されており、それら2つの要素が9K33オーサ(ワスプ)と呼ばれる1つの完全なシステムを形成します。これらはさらに9T217BM装填車によって支援されており、2台が各中隊に配備されています(注:通常、1個中隊にはTELAR4台と9T217BM2台が配備)。9T217BMはTELARに9M33ミサイルを再装填する役目を負っており、12発のミサイルを搭載しています。

 9K33はソ連から友好国へ大量に輸出されており、1971年の登場以来いくつかの紛争で行動を見せました。
 かつての南アフリカ防衛軍(SADF)は戦場で最初に9K33に遭遇し、1987年の「モジュラー作戦」中に無傷で捕獲しますた。その後、情報機関がこのシステムを調査するために列を作りました。
 米国も1991年に「砂漠の嵐作戦」中でいくつかの9K33を捕獲し、自国のためのサンプルを手に入れることとなりました。この攻勢は、システムが戦争中に見られた重度のECM環境で高速飛行するジェット機に対して本気で挑む能力が無いことを驚くほど明らかにしました。この悲惨な事実は、ベンガジ周辺に展開した全ての作戦状態下にあるリビア軍の9K33が、1発の命中弾を与えること無く破壊されたリビア内戦中にもう一度明らかになりました。






 9K33はシリアでの運用ではるかに成功した実績を見せましたが、それほど厳しくない環境で使用された場合、オーサは確かに非常に有能なシステムだったということを証明しています。
 シリアは1982年初めに最初の9K33を受け取りました。そのすべてが発展型の9K33M2 「オーサAK」であり、更に改良された9K33M3「オーサAKM」に見られる特徴的なIFF(敵味方識別)アンテナが欠けていました。これらのシステムは、レバノン内戦中に同国のベッカー高原への配備に総動員され、そこでイスラエル空軍のF-4EファントムIIと米海軍のLTV A-7EコルセアII攻撃機の撃墜に貢献しました。

 9K33M2「オーサAK」の9M33M2ミサイルは最大10kmの射程距離を有しており、19kgの弾頭が近接信管かTELARのオペレーターの指令で爆発します。9K33のレーダーに対するジャミングがあった場合に備えて、電子光学追跡システムも車両上に装備されています。
 シリアの運用では、この追跡システムは2000年代初頭から半ばにかけて出所不明の赤外線(IR)追跡システムに置き換えられました。この改修には9A33B発射機内に新しい電子機器を搭載することも含まれていました。新しいIR追跡装置は下の画像に映っているTELARに搭載されています(注:Encyclopedia of Syrian military によればこの装置は北朝鮮製とのこと。このツイートでやりとりを確認することができます。)
 また、標的に向かうミサイルの軌道をオペレーターが画面を通して把握するための新しいディスプレイも見ることができます。このディスプレイはこれまでイスラーム軍によって公表されたあらゆる映像で目立つように特集されており、標的に命中したかどうかを確認できる唯一の証拠となることが頻繁にありました。











 しかし、シリアの9K33はシリアに対するイスラエル空軍の襲撃に全く対抗できなかったことを証明し、その回数は過去数年間に急増しました。主にダマスカス周辺の武器貯蔵庫を標的にしたこれらの空爆はイスラエルによってジャミングが多様されたため、今までのところはシリアからの抵抗に殆ど遭わなかったようです。
 実際、シリアが導入したばかりのブーク-M2パーンツィリ-S1ペチョーラ-2Mでさえ、これまでにイスラエルの航空機を追尾して撃墜することができなかったことが判明しています。

 シリア内戦の途中でSyAADFの作戦能力は急速に低下し、最終的にはかつて立派だった同軍の事実上の解体に至りました。ブーク-M2、パーンツィリ-S1、ペチョーラ-2Mのような新たに導入されたシステムは依然として運用状態にありますが、他の地対空ミサイル陣地の大半は装備が保管状態か単に朽ち果てた状態で放棄されました。9K33もそれらの状態と同然であり、ほとんどの部隊は運用が停止されてシステムは保管庫に入れられました。その結果として、以前に運用状態にあった7カ所ある9K33の陣地(ダマスカス周辺に6カ所、バージ・イスラームに1カ所)の多くが空になりました。

 2013年2月2日に行われたイスラエルの空爆は、おそらくはレバノンとの国境を越えてヒズボラに引き渡されようとしていたブーク-M2が狙われていたようですが、実際はその代わりに3台の9K33オーサ-AKが破壊されたことがわかりました。レバノン国境にとても近い場所への9K33の展開は、同システムがレバノン国内のヒズボラへの移送があり得ることを示唆しているかもしれない点についてイスラエルが懸念していたことを容易に想像することができます。
 それは確かに妥当なシナリオのように思えましたが、目標とされた9K33は実際のところ、元の陣地から撤退した後にこの場所に到着しました。ヒズボラへの移転はこのように起こり得ませんが、空爆の目標設定はイスラエル側の諜報能力とそれに続く迅速な対応を示しています。









 イスラーム軍の戦闘員がアサド政権の支配下にある2つの主要な防空拠点を制圧することを目指して、東グータの田舎で作戦を開始した2012年10月5日に話題を戻します。
これらの拠点はS-125地対空ミサイル陣地とそのミサイルの保管庫から構成されていました。貧弱な防御しかなかったので、両拠点はすぐにイスラーム軍の手に落ちました。
 数ヶ月前には、ここに位置する孤立したSyAADFの9K33中隊が3km足らずの位置にある、より広大で安全なS-125陣地に移動するように命令されました。この中隊は9K33オーサ[275195]、[275196]、[275197]の3台、9T217BM'[275189]と番号不明の計2台、BTR-60PU-12指揮車両1台、関連装備と人員を輸送するいくつかのトラックから成っており、2012年8月1日に目的地に到着しました。4台目の9K33発射車両[275198]は以前は砲撃によって損傷を受けており、S-125陣地には移動されませんでした。残された[275198]はその代わりにマルジ・アル・スルタンデイル・サルマンの間に位置するSyAADFの整備・保管施設へと追いやられました。

 新しい拠点に到着した後、[275195]、[275196]、[275197]は陣地内の打ち捨てられた多くのバンカーに駐留しました。この3台は無傷のままでしたが、この動き(注:駐留)は中隊の作戦状態の終結を意味し、これらのTELARは10月6日にイスラ-ム軍に捕獲されるまでバンカーに留まっていました。9K33をより安全な場所に移す動きは、このようにして全く役に立たないことが判明しました。後から考えてみると、東グータから全てのSyAADF戦力を退避させることだけが、大量の防空装備をイスラーム軍に捕獲させることを妨げたのではないでしょうか。










 敵対勢力の戦闘員が(9K33中隊も含めた)S-125陣地を捕獲する前に陣地全体が小火器の弾幕に晒され、結果としていくつかの車両が炎上し、そして防空装備の一部に損傷を受けました。しかし、9K33は陣地の保管庫に残っていたために無傷で難を逃れました。シェルターから追い出された9K33[275196]の映像は、敵対勢力が捕獲したものをあらゆる点で最初に垣間見せたものとなっています。









 9K33[275196]の上に乗った反政府勢力戦闘員の映像は、既に(彼らが得た)2台目の9K33[275197 ](2枚目の画像での奥にある車両)も存在することを明らかにしました。3台目の9K33[275195 ]の画像はソーシャルメディア上にのみ掲載されたため、結果として一般の大衆から目撃されることを免れました。
 シリア空軍による空爆や砲撃等による破壊を避けるため、後にS-125や関連装備を含めた陣地全体が捕獲された場所から離れました。その後、この陣地は農業用地に転換されました









 また、この陣地では2台の9T217BMのうち1台の焼けた残骸も発見されました。おそらく、この車両は陣地を攻撃中のイスラーム軍に襲われ、結果として破壊に至ったのでしょう。また、その陣地からさらに離れた位置に9K33中隊の2台目の9T217BMがありました。これは無傷で捕獲されて移動させられましたが、後に火を放たれて破壊されました。



 2012年11月25日、反政府勢力はマルジ・アル・スルタンのヘリポートに隣接するSyAADFの整備・保管施設を捕獲しました。ここで発見された装備の中には十数台のトラックやAFV、工作機械、訓練用資機材だけでなく、「275198」ともう1台(シリアル不明)を含む2台のTERARもありました。どちらも以前に反政府勢力による攻撃で一方の車両には標的追尾・交戦用レーダー・アンテナにいくつかの弾痕が生じ、もう1台は火災で同アンテナが損傷を被っていました。その損傷はどちらの車両も将来にわたって使い物にならない状態にしました。そのうちの1台は以前にイスラーム軍が3台のTERARを取り上げた陣地に駐留していたと考えられ、結局は2ヶ月以内に別の場所で捕獲されたに過ぎなかったのです。






 同じ月に反政府勢力の戦闘員がハラスタ-・アル・カンタラ近郊にある整備・保管施設制圧した際に、何十台ものトラックや指揮車両だけでなく別の9T217BM[270405]も捕獲しました。軽微な損傷を除いては比較的無傷のままでしたが、9T217BMには搭載されたミサイルが無かったので事実上役に立ちませんでした。
 唯一の無傷である9T217BMの最終的な運命は不明のままですが、イスラーム軍で使用された可能性は低いでしょう。








 総計で、東グータの反政府勢力は少なくとも5台の9K33と2台の9T217BMを捕獲していいました。これらの車両の中で3台の9K33だけがイスラーム軍で使用されていたことが判明しました。9K33中隊の(イスラーム軍の)新しい拠点への移転に装填車両も含まれていたのか、そして[275198]に搭載されていた6発のミサイルにも出くわしたのかどうかは不明のままです。そのため、反政府勢力によって捕獲された9M33ミサイルの数は議論のテーマのままであり、推定される幅は18~48発までとなります。

 これらのミサイルのうち、少なくとも6発が東グータ上空を飛行するシリア空軍のヘリコプターに発射され、1機のMi-17と1機のMi-8/17の撃墜、もう1機のMi-8/17と1機のMi-25の損傷をもたらしたことが確認されました。ときには追加の発射や(実際にこのシステムに関係する可能性がある)撃墜が報告されることがありますが、これらの出来事を独自に確認することはできません(注:それを立証する術が無い)。

 反政府勢力にこのような高機能の兵器の奪取を許したことは危機的な失態であり、捕獲された直後にこれらのシステムを追跡して破壊する試みが完全に欠如していたことは、アサド政権の軍事組織の無能さを痛々しく思い出させるものとなるでしょう。それ以来、何十もの兵器庫が捕獲されていった状況を見ると、彼らはこのような度重なる失敗からほとんど学習していないという結論に達せざるを得ません。










 2012年10月5日の捕獲後にイスラーム軍が初めてこのシステムを用いたのは、それから実に1年弱が経過した2013年7月29日でした。この時にはシリア空軍のMi-8/17が撃墜される状況がはっきりと見られ、東グータ及びその付近を飛行する同軍のヘリコプターに対する深刻な脅威の幕開けとなりました(注:この撃墜を撮影した動画が存在しましたが、現在はアカウントが停止されたため視聴が不可能になっています。)
 イスラーム軍のメディア部門はヘリコプターを撃墜した直後に次の声明を発表しました。「今日、ソーシャルメディア上で1年前の襲撃で得た防空ミサイルシステムを用いたイスラーム旅団の英雄に関する朗報が拡散されている。この1年間、彼らはシステムのコードを解読して作動させるために不断の努力を費やした。多くの技術者がコードの解析に失敗した後、彼らが欲する成功に達するまで、アッラーが彼らに報いた昨日の製粉所での戦闘まで、この計画担当者は多くの試行錯誤を続けた。政府軍はムジャヒディーンによって征服された同所の奪回を必死に試みたが、イスラーム旅団のムジャヒディーンがロシア製の『オーサ』システムでヘリコプターを撃墜し、ヘリコプターに搭乗していた2名の大佐と1名の将校に死をもたらした。」 

 この報道発表では、9K33システムを高度な地対空ミサイルシステムからイスラーム軍が実際に使用できる運用システムへと転換する際に深刻な問題に遭遇したことが確認され、操作要員の中で以前にこのシステムを使用した経験がある者が全くいなかったことを示唆されました。操作要員が試行錯誤によってシステムをマスターすることは確かに可能ですが、イスラーム軍内の旧9K33操作要員が存在する可能性を除外すべきではありません。








 実際の日付は不明のままですが、続く数週間か数ヶ月の後に別の発射が記録されました。ミサイルが直近で爆発したり、おそらく標的に命中した可能性が高いという事実にもかかわらず、損傷の程度や墜落したかどうかは報告されませんでした。
 最初の発射以後、新たな発射が公式に明らかにされる前には6ヶ月ありましたが、(上記の発射に加えて)その間に別の発射があった可能性を排除できません。
 この発射は標的のMi-17の破壊をもたらした(映像はここで見ることができます。)それは2014年1月16日の真昼間に発生し、1発の9M33ミサイルがヘリコプターのすぐ上にたどり着いて爆発し、ローターとテールブームの両方の喪失をもたらしました。ダラヤにて宙返りで落下するMi-17の劇的な映像(注:アカウント停止で視聴不可)がテープに記録され、イスラーム軍の9K33の脅威がまだ大いに健在していることがもう一度確認されました。

 前回の発射からちょうど1日後の2014年1月18日に、別の9K33の発射映像がアップロードされました。この発射の成果はいくつかの家屋や木が障害となったためにはっきりしないが(注:後述のまとめ映像の2:50前後に注目)、9M33ミサイルは標的を逃して発射の25〜28秒後に自爆したと思われます。



 2014年1月18日の最後の発射以降は、発射回数とその日にちを追跡することが非常に困難になりました。追加の発射を見せるビデオがアップロードされていないと考えられた直後の3月に、イスラーム軍はこれまでに知られていなかった2つ(これは前述の発射を含む)を含む、すべての過去の発射を映したビデオを公開しました(注:便宜上、これを「まとめ映像」と記述します)。
 別の攻撃ではMi-8/17に対する1発のミサイルの発射が見られました。ミサイルはヘリコプターの直近で爆発しましたが、その直後に映像が停止したので、おそらくは9M33ミサイルがヘリコプターに損傷を与えただけの可能性が高いと思われます(注:まとめ映像で2:10以降のシーン)。

 イスラーム軍によって公表されたビデオは(システムの探知能力をさらに助ける)9K33に装備されたレーダーを使用したことも明らかにしました(注:まとめ映像の0:20前後に注目。ターレット上の捜索レーダーが回転しています)。そのような装備の使用は論理的に見えますが、シリア空軍による探知と破壊されるリスクが増大します。この発射機には1本の空のキャニスターを含む6つのミサイルが満載されている様子が映し出されています(注:これもまとめ映像の0:20前後のTELARのことを示す)。







 同じビデオでは東グータを白昼に走り抜ける、新しいヘッドライトを装着した1台のTERARが映されており、この国の同地域上空における空中監視能力が欠けていることを証明しています(注:本来はライトを点灯することで敵に発見される可能性があるため)。

 東グータには大いに恐れられている空軍情報部のメンバーが存在する可能性が非常に高く、おそらく彼らがイスラーム軍の前の指導者ザーラン・アルーシュを殺害した空爆に貢献したと思われます(注:国営シリア・アラブ通信では正確な監視に基づいて作戦が実行された旨を報じていますが、親アサド系のアル・マスダール通信はイスラーム軍内のネットワークに侵入したシリア空軍情報部の情報将校が東グータで開催される最高レベルの会議の場所を空軍情報部に通報し、殺害に至ったと詳細に報じています。また、シリア人権監視団のラミ・アブドル・ラーマン代表も同様の発言をしています)。

 しかし、9K33の運用を担当するグループの規模は小さいと考えられており、新しいメンバーの受け入れを中断することによって(スパイの)侵入は事実上不可能となりました。






 2014年1月18日の発射は2年以上にわたる9K33の運用の最後に記録されたものになりました(注:2014年時点での話)。その間に実際に追加の発射がされた可能性はありますが、この期間に彼らによって公表された(発射に関する)声明やビデオはなかったことから、9K33が2年以上も運用を休止した可能性を示唆しています。
 9K33の不在はシステムが最終的に破壊されたか、またはイスラーム軍がミサイルを使い果たしたという根拠の無い噂につながりました。

 ほかでは「外国が東グータに追加の9M33ミサイルを引き渡した」や「(今のところシリア空軍のMiG-29SMと数機のSu-24MK2が拠点を置く)サイカル空軍基地の周辺を飛行する航空機を標的にするために、少なくとも1つの9k33システムがグータから東カラマウンに移動させられた」といった奇妙な主張がなされました。この地域における墜落の多くがここで運用されていると思われた9K33に起因するものとされましたが、そのほとんどは後で技術的な欠陥としてその主張が誤りであることを証明しました。これらの噂を裏付けるものは確認できませんし、真実とも思えません。

 2年以上にわたってミサイルの発射が確認されていないことは、イスラーム軍が東グータ上空を飛行するシリア軍のヘリコプターを絶えず苦しめる意思があるのかどうかという疑問を投げかけます。確かに、イスラーム軍は捕獲した装備の使用に関して、この時期から内戦でその全ての潜在能力を活用するのではなく主に抑止力として使用しているようにますます見え始めています。































 彼らが支配する領域は過去数年間にかけてかなり縮小していますが、これはまだ9K33の運用に支障を来してはいません。TELARの位置はしっかりと守られた秘密となっており、それらは東グータ各地の別々の場所で(分散して)保管されていたと考えられていましたが、その一方でその1台のおおよその位置が見つけられました。発射機はたった1組の乗員達によって運用されており、それは未だに捕獲された直後に運用されていた際の同じメンバーで構成されているようです。





 2016年6月26日にこの乗員達が再び作戦に戻ったことが確認されたとき、彼らは多くの人を驚かせました。標的とされたMi-25は胴体のテールブームに大きな被害を被りましたが、なんとかしてダマスカス国際空港への緊急着陸に成功しました。ここで修理を待っている間、予備のMi-25用のテールブームを輸送していたMi-8/17がダマスカスIAPから遠く離れていない場所に墜落しました。この件はそのテールブームが損傷を受けたMi-25のために準備されていた可能性を高めています(注:それを断定できないため)。






 この発射が単発の出来事であったか、すぐに次の発射に続くかどうかは不明ですが、9K33の過去の展開を考慮すると後者の方がより可能性が高いと思われます。いずれにせよ、現実がこれらのシステムの脅威が抑えられている状況とは程遠いことが明らかです。
 かくしてイスラーム軍は東グータ上空を脅かし続け、彼らがそこから追い出されるまでは同地域でのアサド政権の航空作戦を妨害するでしょう。

特別協力: Morant Mathieu from Military in the Middle East.

 ※ この翻訳元の記事は、2016年10月31日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。