ラベル 73式軽機関銃 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 73式軽機関銃 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年11月10日木曜日

シリアで目撃された北朝鮮の73式軽機関銃


著:スタイン・ミッツァー、ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao goo

北朝鮮の73式軽機関銃がイラクで目撃された後、現在(注:2016年3月)ではイラクのシーア派民兵組織であるカタイブ・アル・イマム・アリのシリアへの展開と共に、この貴重な火器の新たな実戦例が見られている。
カタイブ・アル・イマム・アリのシリアにおける関与としては、2016年2月の北アレッポにおける同北部と北東部に展開する反政府軍の遮断を目的とした、政府軍の攻勢の中心とされたことがある。

既に知られているように、大勢のイラクのシーア派民兵がイラクから自己の装備(アメリカ製のM-1114を含む)を持ってシリアへ展開したが、特にイラクが73式の運用者ではないと考えられていた時点までには73式が活躍する機会が彼らが持ち込んだ武器の中では完全に低いものと思われていた。

確かに、イランは人民動員隊がその傘下で運用するいろいろなシーア派民兵に対して限られた数の同機関銃を供給した。
元々、イランは80年代前半のイラン・イラク戦争中に73式を受領した。
その戦争はイランに様々な種類の武器を迅速に届けることができる供給者(北朝鮮)を探させた。
73式はより古い兄弟であるPK(M)と共によく使用されたが、イラン製PKMが十分に生産された後に廃棄されたと思われていた。
PK(M) の隣にある弾倉を挿入した73式をイラン・イラク戦争中に撮影された下の画像で見ることができる。


73式は主にソ連製PK軽機関銃を基本としているが、シリアやイラクといった紛争地域で常に確保できるPKで使用される7.62x54R弾薬を装填するために弾倉と箱(ベルトリンク式)の両方を使用できるという特異な給弾機構を備えていた。
この73式は朝鮮人民軍に大量に配備されて今日でも使用されているが、記録された輸出はイランに向けたものだけである。
他での例はジンバブエとより最近のイラクで見つけられた(注:イエメンでも目撃された)。
解体されたIEDの隣でポーズをとる(イランが背後で支配する前述のカタイブ・アル・イマム・アリを含めた)民兵が手にしている73式を下の画像で見ることができる。

中東における北朝鮮製武器の複数の目撃はこれらの画像として公開され、国際武器密売市場での北の影響力の大きさが、制裁でよりその力を制限されたとしても続いていることを示している。
次に北朝鮮の兵器の新しい証拠が現れる時や場所をただ推測できることだけが、否定できない事実である。

追記:北朝鮮の73式軽機関銃は、アレッポでJabhat Al Shamiyaの戦闘員が使用している姿が目撃された(リンク先に動画あり)。 
また、2016年6月にはアレッポ付近でアルヌスラ戦線の戦闘員に3挺の73式が鹵獲された(下の画像)。
これらはいずれもイランから供給されたものである。

追記2:2017年にデリゾールの包囲が解除された後、シリア軍がISから捕獲した兵器を公開した中に73式軽機関銃があることが確認された。

※この記事は、2016年3月に投稿されたものです。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが大きく異なる箇所があります。
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。 

おすすめの記事

イランが供与した北朝鮮製73式軽機関銃がイラクでのIS(イスラミック・ステート)との戦いに加わる
中東における北朝鮮の対戦車ミサイル

2016年10月30日日曜日

イランが供与した北朝鮮製73式軽機関銃がイラクでISILとの戦いに加わる



著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

イラクのイスラミック・ステート(IS)との戦いでは、イラクを支配するためにISと戦う多数の勢力が使用する、世界中のあらゆる供給元から得た多くの重・小火器が見られた。
イラクでの戦いでは、これまでにイラン製の多連装ロケット発射機から第二次大戦当時の大砲まで、それらの全てが投入された。

戦いが2年目に突入する現在(注:元記事の執筆当時)ではより多くの武器を必要とするもののその数が減少しつつあり、各勢力は地域的・国際的な支援者から戦いが今後数年間続くことに繋がるだろう武器の受領を試み続けている。
そして、しばらくの間に忘れ去られた武器が再発見されて使用されている。

その武器の一つである73式軽機関銃は、輸出するために生産されたとは考えられていなかった極めて稀な装備である。
北朝鮮が設計・製造した兵器は過去と現在におけるイランの戦争影響を与えたが、それらの機関銃は激動の80年代を生き延びたとは考えられていなかった。
ただし、それらが生き残った多くの例として、今日では人民動員隊(PMU)という統括組織の下でシーア派民兵がそれらを運用してる姿が散見された。
これは非常に驚くべきことである

実際、イラン軍の装備への北朝鮮の影響は過去にかなりあったものの、 とりわけイラクの戦場に出回る他の多量の他国製装備と共に見るとイラクという劇場ではまだ重要な役割を果たしていなかった。

80年代初頭、平壌とテヘランとの間で軍事協力の高さが見られた。
この間、北朝鮮は隣国イラクへ対抗するイランを援助するために幾らかの弾道ミサイルと大砲から小火器まで、それに飛行機さえも供給した。
後年の協力では主に北朝鮮が設計した多種類の弾道ミサイル、ミサイル艇、潜水艦をイランが生産できるように、北朝鮮からイランへの技術移転に焦点が当てられた。

しかしながら、多数の北朝鮮製Bulsae-2(注:北朝鮮側の呼称「火の鳥2」)対戦車ミサイルが、最近になってハマスの軍事部門であるエゼディン・アル・カッサム旅団とハマスを離脱したアル・ナセルサラディーン旅団の手によって突然姿を現した。
Bulsae-2は9K111ファゴット(西側呼称:AT-4)の派生型であり、スーダンからガザ地区にわたる密輸業者の精巧なネットワークと秘密のチャンネルを通じてイランによってガザ地区へ供給されたと信じられている。
ハマスと北朝鮮のBulsae-2対戦車ミサイルの詳細については、ここで読むことができる。


イラン・イラク戦争の写真では、73式軽機関銃がイラン兵と共に写っているものが見られる。
73式は、大部分はソ連製PK機関銃をベースにしているが、7.62x54R弾を装てんするための箱(注:ベルトリンク)と弾倉の双方を使用できる非常に特異な給弾機構を備えている。

朝鮮人民軍のために大量生産され、今日でも使用されているこの軽機関銃の唯一記録された輸出例はイランだけである(注:イエメンでも目撃されている)。


73式軽機関銃を持つ民兵。
北朝鮮が設計した兵器が世界中の様々な紛争に姿を見せ続けるということは、今日でも極めて孤立した国家である北朝鮮の能力が、海外の紛争にかなりの影響を及ぼしていることが明白である。

 ※ この記事は、2015年5月に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが大きく異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。