ラベル MiG-23 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル MiG-23 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年8月13日日曜日

空飛ぶ歴史:ジンバブエ空軍の誇り高き伝統


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 ジンバブエ空軍(AFZ)については、それぞれ1980年代と2000年代半ばに中国から調達した約9機の成都「F-7NII」及び「FT-7N」戦闘機と10機の洪州「K-8E」ジェット練習機から構成される質素な高速ジェット機部隊を運用していることが知られています。

 しかし、現役から退いたと長く思われていた旧式のジェット機も多くの人に知られることなく限定的に使用され続けています。こうした機体は稼働状態を維持しているだけにとどまらず、まさかの時のために備えて、耐空性を保障するために時折飛行すらしているのです。

 これらの旧式機群は「MiG-23UB」、BAe「ホーク  T.Mk 60」、そして生産から約60年経過した後でも運用され続けているホーカー「ハンター(FGA.Mk 9及びT.Mk 81)」で構成されています。

 これによって、AFZは「ハンター」を実戦配備している世界で最後の空軍という絶対的な名誉を得ることになったのです!(編訳者注:民間の「ATAC」社も運用していますが空軍組織ではないので除外されます)

 製造メーカーのサポートが終了した後もこれらの機体を長く維持できるのは、プロフェッショナリズムと困難な状況への適応力と打開力の面でサハラ以南のアフリカにおいて間違いなく最上位に入る運用体制のおかげと断言して差し支えないでしょう。

 2002年から始まった西側諸国による武器禁輸と永遠に続くと思われる経済的苦境に直面したAFZは、確かな守りを維持するため、既成概念にとらわれずに頭を使う以外のことを選択する余地がなかったのです。

 ジンバブエは、これまでに「SA316 "アルエットIII"」をロケット弾やガンポッドを搭載した攻撃型ヘリコプターに改造したり、 イランとの協力による6機の「AB.412」のオーバーホール、新たな種類の兵装の搭載を可能にした「F-7」の近代化改修をしたことがあります。

 2000年、ジンバブエが第二次コンゴ戦争へ参戦したことを理由にイギリスが武器禁輸措置を発動した後、AFZはBAe「ホーク T.Mk 60」高等ジェット練習機・軽戦闘爆撃機の飛行隊を維持するためのさらなる創意工夫が求められました。

 ここで最も興味深いのは、彼らが必要なスペアパーツをメーカーから直接調達するのではなく、同じように「ホーク」飛行隊を運用していたケニア空軍を通じてそれらを発注したことでしょう。[3] 

 この策略は長い年月にわたって実行することに成功し、驚いたことにケニアが「ホーク」を退役させた後も続けられたのです。しかしながら、この方法で入手可能なスペアパーツの量は結果的に同機の運用を継続するにはあまりにも少ないことが明らかとなったことから、残った7機の「ホーク」は正式に保管状態に移行し、新型の「K-8」に更新されることになりました。

重武装を搭載した「SF.260」とホーカー「ハンターT.Mk 60」の前に立つAZF第2飛行隊 "コブラ" と第6飛行隊 "タイガー"のパイロットたち

(上の画像の注釈:先頭のマイケル・エンスリン空軍大尉はAZFで「F-7」を操縦し、オーストラリア空軍とサウジアラビア空軍で「ホーク」、そしてバーレーン空軍でも「F-5」で任務に就いた経験を持っています。2014年には、第2次コンゴ戦争における功績で故ロバート・ムガベ大統領から勲章を授与されました。)

 とはいうものの、実際のところ、AFZは必要になった場合に備えて「ホーク」飛行隊の一部を稼働状態で維持する構想を持っています。なぜならば、残った7機のBAe「ホーク(601、604、605、606、610、611、612番機)」のうち(少なくとも)2機は引き続き運用されることになっており、耐空性を維持するために時折飛行させるだけのスペアパーツがまだ十分に存在していたからです。

 2021年9月に(AFZのジェット機の拠点である)グゥエル・ソーンヒル空軍基地といった場所における記念行事で、「ホーク」がフライパスに登場したことは特筆に値する出来事でした。[4]

 ジンバブエがこの機種にこだわる理由については、使い勝手の良さものみならず、4つのハードポイントに無誘導爆弾やロケット弾を大量に搭載可能であり、そのおかげで第二次コンゴ戦争で重要な役割を発揮できたからでしょう(注:「K-8E」のハードポイントは2つ)。

ホーカー「ハンターT.Mk.81」復座練習機(左) と「ホーク T.Mk.60」(右上)、「ハンターFGA.Mk. 9」単座攻撃機(右下):(2010年9月)



Mkhululi・デュベ飛行隊長 とAFZの「ハンターT.Mk.81」復座型練習機

(上の画像の注釈:ドゥベは2020年11月、「SF.260」で定期的な訓練飛行中に墜落して悲劇的な死を遂げました。)

 それに対して、2022年になってもAFZが1950年代のホーカー「ハンター("FGA.Mk9 "と "T.Mk81 "」にこだわる理由は、単に懐古趣味的なものなのかもしれません。

 1960年代初頭にローデシア空軍が12機を一括で調達し(さらに14機を1980年代にケニアとイギリスから追加導入)、1979年にローデシアが消滅した後も第1飛行隊 "パンツァー" だけは残って「ハンター」も任務を続けましたが、同隊は2002年1月に活動を停止しています。 [5]

 その頃までには、すでに「ハンター」は(「PL-5/PL-7」と「R-60」から構成される)空対空ミサイルを最大6発まで搭載可能な「F-7NII」に更新され、同機種が前線での任務に就いていました。

  ジンバブエの「ハンターFGA.Mk 9」は、アデン30mm機関砲4門に加えて、(国内で設計・製造された「アルファ」や「ゴルフ」を含む)さまざまな種類の無誘導爆弾やロケット弾ポッドを搭載可能な主力地上攻撃機ですが、1970年代に南アフリカで「AIM-9 "サイドワインダー"」AAMを搭載するために改修されたこともあります。

 ただし、AFZのストックに(ほとんど「ホーク」飛行隊だけに搭載されていた)使用可能な「AIM-9」が依然として残存しているかどうかは不明であり、近年に少なくとも2機の「ハンター」がオーバーホールされた目的がジンバブエ空軍機の空対空能力を強化することにあったとは思えません。

ジンバブエ空軍のホーカー「ハンターFGA.Mk 9」(1990年代後半)

グゥエル・ソーンヒル基地で駐機しているAFZ第1飛行隊 "パンツァー" のホーカー「ハンターT.Mk 81」復座練習機(1990年代後半)

 ジンバブエが「ホーク」や「ハンター」、そして「MiG-23UB」の投入を必要とする近隣諸国との紛争に関わるとは考えられませんが、こ上で紹介した作戦機の運用については、現存するAFZの豊かな歴史を語り継ぐためのメモリアルフライトを行うという副次的な(あるいは主な)役割を持っています。

 実際、1980年代前半に退役したデ・ハビランド「ヴァンパイア」戦闘爆撃機やEEC「キャンベラ」爆撃機といった機体でさえも、AFZ基地のゲートガードとして活躍し続けているのです。

 「ヴァンパイア」3機と「キャンベラ」1機がグゥエル航空博物館でホーカー「ハンター」やスーパーマリン「スピットファイアMk.22」と一緒に展示されているだけでなく、別の「キャンベラ」と「ハンター」がパーシヴァル「プロボスト」と共に各1機ずつが中国へ寄贈されて北京の中国航空博物館で余生を過ごしています。面白いことに、中国の「ハンター」にはジンバブエではなくイギリスのラウンデルが施されています
 
 1982年7月に南アフリカがグゥエル・ソーンヒル空軍基地を襲撃した際にちょうどそれらの無力化を試みていたことを考えると、今でもこれだけ多くの機体が無傷で生き残ったことは特筆すべき偉業と言えるでしょう。この襲撃作戦は「ハンターFGA.Mk.9」と12日前にイギリスから納入されたばかりのBAe「ホーク」の各4機に多人数の侵入者が爆弾を仕掛けたものであり、今でも謎に包まれたままとなっています。

 この事件では「ホーク」1機の全損と2機の大破(いずれも修理のためイギリスへ移送)、「ハンター」3機が完全に破壊され、発足してから日の浅いAFZに大きな打撃をもたらしました。

 悲惨な運命を迎えた「ホーク」の1機を襲った爆発はマーチンベーカー「Mk.10B」射出座席を作動させるのに十分な威力であり、結果的に同座席は格納庫の天井を突き破って少し離れた場所で発見されたのでした。

南アフリカの破壊工作によって破壊された新品のBAe「ホーク」の悲しき残骸(1982年):同機の搭載されている射出座席の1つが作動したことで格納庫の天井に生じた穴が見える

 AFZはこの出来事を辛抱強く乗り越え、その豊かな歴史の作り手を西側諸国製の機体だけで終わらせようとはしませんでした。

 ジンバブエが「MiG-23UB」を入手した方法については、2022年現在でも使用し続けていることと同様に関心を集めるものであることは間違いありません。

 このソ連製練習機を入手するに至った真相については、2つの説が存在しています。 一つ目は、これが1998年後半にムアンマル・カダフィ(リビア)からコンゴ民主共和国(DRコンゴ))に贈呈された最大で5機のうちの1機であり、ジンバブエ人がコンゴ人パイロットに作戦を指導しようという野心的ながらも無益な試みがなされた後にAFZへ引き取られたという説で、もう一つは、リビアから直に2機の「MiG-23」を得たという説です(このうち1機は引き渡し直後に着陸に失敗して事実上の全損となりました)。
 
 アフリカ連合(AU)の設立という自身の野望を実現させるべく、カダフィは多額の融資や防衛装備(つまり賄賂)を提供することで各国へAUへ加入を促そうと企てました。

 カダフィは対象とするアフリカ諸国に対し、彼らが実際に運用可能な装備を提供するどころか逆に戦闘機やヘリコプターなどのプレゼント攻撃を浴びせ、スーダン、ウガンダ、(厳密にはジンバブエを含む)DRコンゴの全てが「MiG-23MS」戦闘機を贈られたのです。

 皮肉なことに、機体と共に教官や訓練どころかスペアパーツすら提供されなかったため、ウガンダとDRコンゴは受け取った「MiG-23」を運用する姿を一度も見せずに保管状態に追いやってしまいました。

 これまでAFZのパイロットたちは「MiG-23」を操縦したことはなかったものの、彼らの秀でだ創意工夫はその複雑な特性をマスターするのに十分だったようです(注:「MiG-23MS」及び「MiG-23UB」は既存のAFZ機にはないデリケートな可変翼を備えていたため、彼らが事故を起こすリスクがありました)。

 驚くべきことに、AZFにある1機の「MiG-23UB」は1990年代後半から稼働状態にあることが知られています...つまり、ジンバブエでは約25年間も使用されているのです!

 スペアパーツ不足で近頃は滅多に飛ばなくなりましたが、この機体は今でも時折アフターバーナー全開で離陸滑走することがあり、その光景はまさに目を見張るものがあります。

 ちなみに、AFZの 「MiG-23UB」は「(O)FAB」無誘導爆弾や「UB-16/32」57mmロケット弾ポッドで武装されていました。

 同様に、2010年代中盤のスーダンも(エチオピアの「デジェン航空産業(DAVI/DAVEC)」の支援を得て)リビアから寄贈された「MiG-23MS」3機と「MiG-23UB」の1機のオーバーホールを試みました。

 スーダン空軍(SuAF)にとって不運だったのは、この4機中の1機が試験飛行直後にワディ・セイドナ基地の敷地に不時着してしまったことでしょう。この機体は炎上して後に基地の片隅に捨てられたことなどを踏まえると、どうやらこのプロジェクトは終焉を迎えたようです(編訳者注:残りの機体がSuAFで使用されている様子や衛星画像は確認されていません)。

 エチオピアとリビアだけが今でも多数の「MiG-23」を運用しているため、結果的にジンバブエはサハラ以南のアフリカで2番目、アフリカ大陸全体では3番目の「MiG-23」運用国となりました(注:アンゴラ空軍での運用も著名でしたが、近年に退役させてしまいました)。

(後にジョサイア・トゥンガミライに改名された)グゥエル・ソーンヒル空軍基地におけるジンバブエ唯一の「MiG-23UB」

 ジンバブエがホーカー「ハンター」とBAe「ホーク」、そして「MiG-23UB」を使用し続けていることは、軍事航空史の中で魅力的な出来事と言えましょう。

 彼らの全盛期はとっくに過ぎ去りましたが、ジンバブエの熟練した航空エンジニアたちのおかげで、AFZの輝かしい過去を物語る誇り高き存在として、この先の何年飛び続けることができるかは何とも言えません。

 ジンバブエは少なくともここ10年は「JF-17」の導入を視野に入れているほか、パキスタンや中国から無人戦闘航空機(UCAV)の調達も検討していると考えられています。これが順調に進んだ場合、 今回紹介した懐かしさに溢れる作戦機たちは、やがて一刻の猶予も与えられずにニューカマーに圧倒されて(この国で)時代遅れの存在となる可能性が考えられます。

 とはいえ、時代の試練に耐えてきた今を生きる伝統を存続させるべくAFZがメモリアルフライトに向けた旧式機の稼働状況を維持することに専念しているようなので、昨今の動向自体が彼らの終焉を左右するわけではないのかもしれません。 

AFZのホーカー「ハンター」、「ホーク」、「MiG-23UB」の姿については、グゥエル・ソーンヒル空軍基地を捉えた衛星画像で定期的に確認できる

[1] EU arms embargo on Zimbabwe https://www.sipri.org/databases/embargoes/eu_arms_embargoes/zimbabwe
[2] Zimbabwe: Kenya Helps Zimbabwe Bust UK Arms Embargo https://allafrica.com/stories/200003170213.html
[3] UK inquiry into jet parts for Mugabe https://www.theguardian.com/world/2002/nov/08/zimbabwe.armstrade
[4] Air Force of Zimbabwe. 2 Hunters & 1 Hawk. September 2021 https://youtu.be/epDM9tGO__Y
[5] Mig-23 Zimbabwe https://vimeo.com/352656725

[6] Mig-23 https://youtu.be/-byhxTNwrTA
[7] Back From The Dead: Sudan Overhauls MiG-23s https://www.oryxspioenkop.com/2016/09/back-from-retirement-sudans-mig-23s.html

※  当記事は、2022年12月2日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります



おすすめの記事

2022年12月29日木曜日

忘れられた戦争:ティグレ戦争で失われた航空機一覧 (2020-2021)


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 エチオピア政府と北部のティグレ州との間で勃発した戦争は、エチオピアを混乱に陥れています。この武力紛争は2020年11月から熾烈を極めており、数千人が死亡、数百万人が避難を強いられいる状況にあります。

 エチオピア政府とティグレ人民解放戦線(TPLF)との間で何ヶ月にわたる緊張関係が続いていた後に、情勢が激化して戦争となったのです。

 1974年から1991年までエチオピアに存在していた共産主義・社会主義政権を打倒した後、TPLFは30年近くにわたってエチオピアの権力の中心にいました。エチオピアの人口の約5%しか占めていないにもかかわらず、ティグレ人の役人は政府を支配することができました。

 2014年から2016年にかけて反政府デモが相次いだ後、2018年にアビー・アハメド首相率いる新政権が発足しましたが、アビー首相はTPLFの権力を抑制しようと改革を強行し、ティグレ人を大いに動揺させました。

 それに応えて、ティグレ州は独自の地方選挙を実施して緊張が高まり、緊張は敵意をむき出しにする段階まで高まりました。

 この政治危機は2020年11月にTPLFの部隊(TDF:ティグレ防衛軍)がティグレ州のエチオピア軍基地を攻撃したことで戦争に発展し、エチオピア陸軍はティグレ州への侵攻を開始しました。

 この地域の支配権を奪回した後、TDFはエチオピア軍をティグレ州の外へ追いやり、エチオピアへの攻勢を継続しています。

 エチオピア空軍(ETAF)は、MiG-23BN戦闘爆撃機やMi-35攻撃ヘリコプターによる近接航空支援任務と、輸送機やヘリコプターを用いた敵に包囲された地域への人員や装備の運搬など、紛争のあらゆる段階で活発的に行動する姿が見られています。

 また、隣国のエリトリア空軍もMiG-29戦闘機をこの紛争に投入したと頻繁に報じられていますが、これらの主張を裏付ける証拠は示されていません。

 その一方で、ティグレ軍は少なくとも3基のS-125/SA-3地対空ミサイル(SAM)陣地と一基のS-75/SA-2陣地、多数の9K310/SA-16「イグラ-1」MANPADS(携帯式地対空ミサイル)、12門を超えるZU-23 23mm対空機関砲を含む、航空機に対抗できるいくつかの対空兵器を保有しています。[1]

9K310「イグラ-1」MANPADSを構えているティグレの兵士。このMANPADSは最低でも2機のエチオピア軍機の撃墜に関わったものと考えられている。

ティグレ軍の手に落ちたS-125陣地

 ティグレ戦争は他の紛争と同様にプロパガンダが横行しており、ティグレ側から定期的に撃墜したという虚偽の戦果がリリースされています。

このような根拠のない主張が頻繁に投稿されています

 この一覧はティグレ戦争におけるエチオピア機の損失を視覚的に確認することを目的としており、新たな損失が発生し、確認された場合に更新されます。
 リストの最終更新日:2021年11月12日(Oryx英語版の元記事の最終更新日は2021年11月12日)


固定翼機(3)

ヘリコプター(2)


1x MiG-23BN(2020年11月29日, パイロットは脱出後に拘束)





1x MiG-23BN(2020年12月6日,ティグレ州のシレ《インダセラシエ》空港への緊急着陸を試みようとした際に滑走路の手前で墜落)





1x L-100-30(2921年6月23日,ティグレ州のギジェット近郊でMANPADSによって撃墜されたものと推測。この機はかつてエチオピア航空で使用されていたもの。 墜落時の映像はここで視聴可能





1x Mi-35(2021年4月20日, ティグレ州のアビー・アディ近郊でMANPADSによって撃墜されたものと推測)




1x Mi-35(2021年11月12日, アファール州近郊でMANPADSによって撃墜されたものと推測)
 




[1] The Tigray Defence Forces - Documenting Its Heavy Weaponry https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/the-tigray-defence-forces-documenting.html



おすすめの記事 

2021年11月25日木曜日

牙を抜かれたサメたち:コートジボワールの「Su-25」攻撃機


著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳Tarao Goo

 それは2004年11月6日、土曜日の出来事でした。その日、コートジボワール空軍(FACI)の「Su-25UB」2機が、ブアケのフランス・平和維持軍の拠点に猛爆撃したのです。突然の一方的な攻撃が開始された結果、フランス兵9人が死亡しただけではなく31人の負傷に至らせました。

 この深刻な挑発行為は最終的にFACIの壊滅につながり、この先何年にもわたってコートジボワールに非常に大きな影響を与えることになったことをFACI自身が想定していたのかは定かではありません。間違いないのは、攻撃から僅か数時間後、設立されたばかりの航空兵力に残されていたものは煙を上げているガラクタの山だけだったということです。

 この悲劇につながる出来事は、反政府勢力の下部組織であるコートジボワール愛国運動(MPCI)が同国北部の大部分を支配し、コートジボワールが事実上2つに分断されたことで、ローラン・バグボ政権が不安定な状況に陥った2002年9月19日(第一次コートジボワール内戦)に始まりました。

 MPCIによって非稼働状態にある6機の「アルファジェット」軽攻撃機が拠点としていたブアケ空軍基地が占領された...つまりジェット機の鹵獲によって自軍が著しく増強されたことで、彼らは「アルファジェット」を復活させて前の所有者に対して使用すると大胆に脅迫しました。政府側は自らが保有する軍用機が存在しないため、この脅威に対抗するためにほとんど何もできなかったようです 。[1]

 蜂起が国中に拡大したスピードは、現地の治安部隊を完全に驚かせました。政府側は今や南下して首都ヤムスクロや最大都市アビジャンにまで広がる反乱に直面してたことから、フランスは「リコルヌ作戦」の一環として介入し、依然として国内に残っていた外国人全員を避難させました。

 パリが仲介した停戦を巧みに利用して、バグボ政権はこの休戦状態の間にFACIを地域最強の空軍に変えることを目指した野心的な再装備計画を立ちあげました。

 ベラルーシとブルガリアはすぐにバグボの援助に乗り出し、その結果として、前者からは4機の「Su-25」と1機の「Mi-8」、そして少なくとも2機の「Mi-24」が、後者からは2機の「MiG-23MLD」、2機の「Mi-8」、そして2機の「Mi-24」が引き渡されました。[1]

 不思議なことに、2機の「MiG-23」は彼らを運んできた「An-124」に積み戻されてトーゴのロメに移送されたものの、地元の当局に押収されて屋外に保管されてしまいました。また、コートジボワールはBAC「ストライクマスター」も2機入手しましたが、これらはフランスの民間軍事会社がボツワナから(マルタ経由で)入手して飛ばして来たものです。

 さらに、ルーマニアは「IAR-330」ヘリコプターを4機、イスラエルは偵察用の「エアロスター」UAV(下の画像)を2機納入しました。

 こうした新たな装備と人員の輸送については、FACIはウクライナ人パイロットが操縦する「An-12」に依存していた可能性があります。[1]


 それぞれ2機ずつの単座型と複座型(Su-25UB)から構成された4機の「Su-25」は2002年に引き渡され、ベラルーシ空軍のストックから直接届けられました。[1]

 単座型には「02」と「03」のシリアルナンバーが、複座型には「20」と「21」のシリアルナンバーが付与されました。興味深いことに、「21」の後部座席の外側には、「MiG-23BN」や「MiG-27」を彷彿とさせる装甲板と思しきものが装備されていました。著者の知る限りでは、装甲板の追加はこのSu-25特有の特徴であり、世界中に存在する他の「Su-25」でも見られなかったものです。

 また、「20」以外の3機だけはチャフ・フレア用のディスペンサーが装備されていました。


飛行隊発足時の苦労

 2機の複座型は2003年初頭に就役しましたが、2機の単座型を組み立てる過程では多数の歯が生える時の苦しみ(初期トラブル)に遭遇したようで、その作業はゆっくりと進められました。

 両機はコートジボワールに引き渡される以前の段階ですでに運用する必要性が大きく超過していると判断された可能性があり、この事実は、「MiG-23MLD」が納入されてすぐに返却された理由にもなっているかもしれません。

 いずれにせよ、2004年後半にフランスが介入した時点でどちらの単座型も稼働状態にはありませんでした。


 全4機の「Su-25」は、2000年代初頭からFACIのほぼ全ての作戦機やヘリコプター(そして一部のジープにさえも)に施されていた、鋭い歯をしたシャークマウスのペイントで飾り付けされました。その結果、これらの機体はこれまで空を飛び回ってきた中で最も威嚇的なカラーリングの1つと言い表すことができるものになったことは確実でしょう。

 これらの際立ったシャークマウスについては一般的にコートジボワールの航空機やヘリコプターで見られる独自の特徴だと思われていますが、実際には1990年代に一部の「Mi-24」に初めて施し始めたベラルーシが起源です。2000年代初頭にコートジボワールがベラルーシから「Mi-24」の引き渡しを受け始めた時点で、この「シャークマウス・スタイル」は好評を博し、結果的に継続されました。


 ほぼ2年間にわたる運用期間中の「Su-25」は主にヤムスクロで運用され、ベラルーシ人とコートジボアール人で構成されたパイロットと技術者の集団によって共同で飛行と整備が行われました。コートジボワールのパイロットにはかなりの年配者も含まれていたため、彼らがかつて「アルファジェット」のパイロットだったと推測することができます。

 ちなみに、ヤムスクロにおけるベラルーシ人と「Su-25」の活動については、それらと飛行場を共有していたフランス軍によって注意深く監視されていました



終わりの始まり

 作戦機という新兵器で政権の戦力が増強された後の2004年11月4日に、バグボは反政府勢力に対して最初の行動を起こしました。停戦状態にあるにもかかわらず、「Su-25UB」が北部の反政府勢力の拠点を爆撃し始めたのです。弾薬庫や反政府勢力の主要なリーダーの隠れ家を標的にしたことは別として、空爆によって多くの民間人が犠牲になったと伝えられています。[2]

 これらの出撃は、2機の「Su-25UB」がブアケにある(識別できるようにはっきりと表示された)フランスの平和維持部隊のキャンプを空爆・ロケット弾攻撃をした2日後の11月6日まで続きました。この結果として生じた悲劇については、9人のフランス人兵士と1人のアメリカ人宣教師の命が奪われ、さらに数十人の兵士が負傷したと伝えられています。

 完全に狂気の沙汰としか言いようのないことですが、その後、ベラルーシ人とコートジボワール人の乗員が混成して乗っていたスホーイは当たり前のようにヤムスクロ空港に戻ってきました。そこで彼らは期せずして今や怒りに満ちた大勢のフランス空挺部隊と隣り合わせになってしまったことは言うまでもありません。

 どうやら何事もなかったかのように行動するのが最善だと判断したためか、2機の「Su-25」は燃料と兵装の補給を受けるためにタキシングして駐機場に向かいました。しかし、ほぼ同じ頃のパリではフランス軍の最高司令部がちょうどこの攻撃の知らせを受け、報復としてヤムスクロにある2機の「Su-25」をはじめとしたFACI全体の無力化を命じていたたのです。[1]


 ヤムスクロの空挺部隊は直ちに素早く行動を起こし、まだ給油と兵装の搭載作業中であった2機の「Su-25」に対して2発の「ミラン」対戦車ミサイル(ATGM)を発射しました。結果として生じた被害は甚大なものとなりました:「Su-25UB[20]」はキャノピーが吹き飛ばされ、[21]に命中したミサイルは機首の一部を引き裂くという大きな損傷をもたらしたのです。

 アビジャンでは2機の非稼働状態にあった単座機がフランス軍に鹵獲され、翼を折られた2機のエアロスター」UAVと共に今後の使用を防ぐために無力化されました。

 これらの出来事は最終的にコートジボワールとフランスを戦時体制に突入させたことであり、約20人から60人の死者を伴う数多くの武力衝突をもたらしました。[3]

 ちなみに、パイロットの地図にフランス軍基地の位置が記されていたことが後で判明したため、フランスはFACIとお粗末な標的の選択をしたその傭兵にこの攻撃の責任を負わせました。[1]



フランスの官僚制度

 すでに平和維持軍キャンプへの攻撃と同じ日に、フランス軍兵士はアビジャンでFACIのために働いていた15人のベラルーシ人、ロシア人、ウクライナ人傭兵を逮捕しましたが、奇妙なことに彼らは詳細不明な理由によってその4日後には釈放されてしまいました。[4] [5]

 その10日後の11月16日には、コートジボワールから入国した8人の自称「農業技術者」のベラルーシ人がトーゴ当局に逮捕されました。地元当局はこの男たちと平和維持軍キャンプへの攻撃との関連性を即座に理解し、フランスに攻撃の実行犯と思われる人物の身柄を拘留している旨を通知したのです。

 今でも理由は不明のままですが、結果としてフランスは彼らを裁判にかける機会を逃がし、トーゴは「農業技術者」一行がベラルーシに戻ることを許可する以外に何もできませんでした。

 しかし、フランスの官僚主義の典型的な例としか言い表すことができませんが、驚くべきことに、フランスは攻撃の発生から17年(!)後の2021年3月になって「Su-25」のパイロットを起訴することに決めたのです。実行犯を正当に責める機会は過ぎ去ってしまったようですが、存命している3人のパイロット(コートジボワール人2名、ベラルーシ人1名)は、今やフランスで欠席裁判を受けることになるでしょう(注:攻撃に関与したほかの2人のパイロットはすでに死去していました)。

 ただし、攻撃の際に最大で4人しか「Su-25UB」に搭乗できなかったという事実は、フランスで実行犯と考えられている5人のパイロットのうちの1人が実際には完全に無実ということを意味します(注:2機の復座機に5人搭乗するのは物理的に不可能なため)。それにもかかわらず、殺人罪で裁かれた場合、生き残った3人は欠席裁判で終身刑を宣告されるかもしれません。[4] [5]


 2004年後半、損傷を受けた2機の「Su-25UB」はアビジャンのフェリックス・ウフェ=ボワニIAPに運ばれ、同所でフランスの報復により軽微な損傷を受けた2機の「Su-25(単座型)」と合流しました。

 コートジボワールはこれらの機体を運用に復帰させることに関心を持っていたようですが、そのためのどんな試みでも部品やコンポーネントごと海外から持ち込む必要がありました。結論は言うまでもなく、コートジボワールに課せられた武器禁輸措置がこの企てを頓挫させたようです。結果として、これらの「Su-25」は空軍の格納庫内で放置され続けることになってしまいました。[1]



 ヤムスクロ空軍基地に残された「Su-25」用の搭載兵装や弾薬は、その後にヤムスクロにある故フェリックス・ウフェ=ボワニ初代大統領の旧宮殿に運ばれました。ここでの彼らの存在については、第二次コートジボワール内戦中の2011年4月に(現大統領である)アラサン・ワタラの忠実な部隊に発見されるまで、完全に忘れ去られていたようです。



絶滅した種

 おそらく格納庫内のスペースを空けるためか、2015年には4機の「Su-25」が、2機のBAC「ストライクマスター」と3機の「Mi-24 "ハインド"」、そして「Su-25」用の支援資機材と一緒に屋外に移されました。

 露天に放置されたおかげで著しく損傷した機体は今や完全に風雨にさらされて、雨が自由に「Su-25」の開いたコックピットや損傷した胴体に入り込んでしまう状態となったため、この移動は彼らの最終的な運命(廃棄)を示していたのかもしれません。

 その後の彼らの行方は不明のままですが、全機が地元のスクラップヤードに移されて解体されたと思われます。




 FACIは最近になって特徴的なシャークマウスが施された数機の「Mi-24」を現役に復帰させましたが、4機の「Su-25」はスクラップとして解体されるショベルカーの爪の中でその地味なキャリアを終えたようです。

 コートジボワールが小規模なジェット機の飛行隊を再び保有することを試みるかどうかについては、同国の運用上の必要性と財政事情に直結していることは間違いないでしょう。

 もしこの国が再び「Su-25」を導入することがあれば、1つだけ確実なことがあります:彼らはシャークマウスを施されるに違いありません。

[1] African MiGs Volume 1: Angola to Ivory Coast https://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM1/index.html
[2] Air strikes 'kill 85 civilians' in Ivory Coast https://www.abc.net.au/news/2004-11-10/air-strikes-kill-85-civilians-in-ivory-coast/582556
[3] French foreign minister's visit is first since 2003 https://web.archive.org/web/20110520122915/http://www.france24.com/en/20080614-ivory-coast-bernard-kouchner-gbabgo-france%26navi%3DAFRIQUE
[4] Bombardement de Bouaké: trois pilotes jugés par défaut et une énigme intacte https://www.africaradio.com/news/bombardement-de-bouake-trois-pilotes-juges-par-defaut-et-une-enigme-intacte-183787
[5] Côte d’Ivoire : le bombardement des soldats français à Bouaké devant les assises de Paris https://www.lemonde.fr/afrique/article/2021/03/28/cote-d-ivoire-le-bombardement-des-soldats-francais-a-bouake-devant-les-assises_6074733_3212.html

※  当記事は、2021年3月31日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所がありま
    す。

2021年11月22日月曜日

致命的に効果なし:エチオピアの「翼竜Ⅰ」 UCAV がSu-27「爆撃機」のために標的を指示した

この「翼竜Ⅰ」はイメージ画像でエチオピアとは無関係です

著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 エチオピアがSu-27戦闘機を爆撃機としてティグレ州の標的に使用したことは、不正確な攻撃によって多数の民間人の犠牲を引き起こしたとして、国際的な非難を受けることが予想されます。

 ある例では、Su-27が投下した無誘導爆弾が狙った標的を外して1キロメートルも離れた場所に着弾させたことがありました。[1]

 もともと迎撃機として設計されたSu-27はエチオピアで誘導兵器を搭載するようにアップグレードされていなかったため、北部司令部と同じくらいの大型目標を攻撃することにさえ(爆弾の投下訓練を受けていないパイロットが操縦する)Su-27を使用すること自体にそもそも爆撃が成功する見込みが少しもなかったのです。

 Su-27の攻撃目標を見つけるため、エチオピア空軍(ETAF)は中国製の「翼竜Ⅰ」無人戦闘航空機(UCAV)をティグレの州都であるメケレ市上空に展開させました。同機は西側諸国のUAVよりもはるかに低い高度を飛行するため、それが10月下旬にメケレ市民に飛行している1機の撮影を可能にさせたようです。[2]

 「翼竜Ⅰ」は、ティグレ軍の手に落ちて今やSu-27による空爆の対象となった旧ENDF(エチオピア国防軍)の軍事施設や工場の活動を監視していた可能性があります。[3] [4] [5]

 11月初旬まで「翼竜Ⅰ」はエチオピア空軍では非武装で運用されていたため、このUCAVは地上の標的の確認はできても、実際にそれらと交戦することはできませんでした。実際の攻撃はUCAVの標的確認からしばらく後にSu-27によって行われましたが、たいていは酷い命中精度だったようです。

 エチオピアが9月に「翼竜Ⅰ」を導入した際に専用の兵装も入手しなかった理由は不明のままであり、 UCAV を導入することによってエチオピア空軍がこの先の10年間を見据えて計算された導入戦略を実行しているという主張は、ほとんど現実に基づいていないように見えます。[6]



 2021年6月には、「OFAB-250」無誘導爆弾を4発搭載したエチオピア空軍のSu-27UBの姿が見られました。ETAFのSu-27は、内戦の間に本来は公式に継続して運用されている十数機程度のMiG-23BNによって実施されてきた対地攻撃任務の一部を引き継いでいるようです。

 MiG-23BNはETAF専用の戦闘爆撃機であり、Su-27は迎撃機としてのみ使用されることを目的としていました。機体の老朽化とティグレ戦争の初期段階における酷使は、MiG-23BN飛行隊の一部を恒久的な駐機状態(飛行不能状態)にさせていることを意味しているのかもしれません。

 ティグレ戦争における墜落でさらに2機のMiG-23BNが失われました。1機は2020年11月29日、もう1機は2020年12月6日に墜落(または撃墜)が確認されています。[7]

 Su-27と同様にMiG-23BNもいかなる現代的なPGM(精密誘導爆弾)を搭載することができず、運用され続けている機体は基本的にさまざまな種類のロケット弾や(クラスター爆弾を含む)無誘導爆弾の使用に限られています。それにもかかわらず、彼らのパイロットは実際に空対地兵装を使用するための訓練を受けているので、Su-27を操縦する同僚よりもはるかに正確に爆弾などを命中させることができるのは確実と思われます。

 したがって、Su-27の使用はMiG-23BNと一緒に空爆に投入するという慎重な選択によるものではなく、MiG-23BNの稼働数自体が減少しているために必要が生じたのかもしれません。

メケレ市上空を飛行する「翼竜Ⅰ」(2021年10月下旬)

 エチオピアは最近に「翼竜Ⅰ」UCAV専用の兵装を調達したことで、Su-27による爆撃ミッションが減少する可能性があります。ただし、エチオピアが中国から購入したTL-2空対地ミサイル(AGM)の軽い弾頭を考慮すると(硬目標へ命中しても破壊効果が期待できないため)、当分の間はSu-27の空爆任務が継続されることも考えられないことはないでしょう。[8]

 しかし、ティグレ軍がエチオピアの首都アディスアベバへの進撃を続けているため、より差し迫った目標が目の前にあることは間違いありません。

 ひとつだけ確かなことは、この戦争が終わりからかけ離れているように見えるということです。

[1] Russian Su-27 Fighters Deployed As Bombers In Tigray War https://www.oryxspioenkop.com/2021/11/su-27-fighters-deployed-as-bombers-in.html
[2] Tigray War: Chinese-Made Armed Drones Spotted Over Mekelle https://www.oryxspioenkop.com/2021/10/tigray-war-chinese-made-armed-drones.html
[3] https://twitter.com/FdreService/status/1452947692234158087
[4] https://twitter.com/FdreService/status/1453642480298049536
[5] https://twitter.com/FdreService/status/1454772663252099072
[6] Wing Loong Is Over Ethiopia: Chinese UCAVs Join The Battle For Tigray https://www.oryxspioenkop.com/2021/10/wing-loong-is-over-ethiopia-chinese.html
[7] List Of Aircraft Losses Of The Tigray War (2020-2021) https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/list-of-aircraft-losses-of-tigray-war.html
[8] Ethiopia Acquires Chinese TL-2 Missiles For Its Wing Loong I UCAVs https://www.oryxspioenkop.com/2021/11/ethiopia-acquires-chinese-tl-2-missiles.html

※  当記事は、2021年11月13日に本家Oryxブログ(英語版)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。



おすすめの記事

ティグレ戦争:エチオピアが「翼竜Ⅰ」UCAV用に中国の「TL-2」ミサイルを入手した
ティグレ戦争:中国製UCAVがメケレ市上空で目撃された
エチオピア上空の「翼竜Ⅰ」:中国製UCAVがティグレとの戦いに加わる
メイド・イン・チャイナ:エチオピアにおける中国製UAV飛行隊(英語:邦訳版は後日公開)