2026年3月8日日曜日

世界最初の(金で輝く)VIP用ジェット機:サウジ王室のデ・ハビランド DH.106 コメット4C


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2022年12月25日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 当ブログで "世界一醜いエアフォースワン":ガンビアのジャメ大統領のひどく装飾された「Il-62」を紹介したので、今度はその正反対にするする存在を紹介する時が来ました。[1]

 鋭い目を光らせる航空愛好家ならすでに気づいているかもしれませんが、ヘッダー画像の立派なデ・ハビランド 「コメット4C」は、サウード・ビン・アブドゥルアズィーズ・アル・サウード国王用のサウジ・ロイヤル・フライト(王室専用機)として飛んだものです。

 金で埋め尽くされたVIP用の客室と際立つ金・緑・白の配色で装飾が豪華に施されたこの機体は、世界初のエグゼクティブジェットでした。残念ながら、この機体の美しさは長くは続くことはありませんでした。なぜならば、1963年にアルプスで発生した墜落事故で短い生涯を終えたからです。

 プロペラ機が依然として空を支配していた時代、しかもそれが国家元首の主要な移動手段であった時代に、金ピカのデ・ハビランド・「コメット4C(SA-R-7)」は、どこに降り立ってもまさに目を奪われる存在でした。しかし、サウジ・ロイヤル・フライトがこの機体を導入したことは、それまでこの王国で同型機が使用されたことがなかっただけに、奇妙な決断だったと言えます。実際、当時の国営航空会社(注:現サウディア)は新型の「ボーイング720B(汎用機である「ボーイング707」の小型派生型)」を2機導入したばかりで、中東で旅客ジェット機を運航する4番目の航空会社となったばかりだったのです。ちなみに、「コメット4C」と「ボーイング720」の航続距離は約5,500kmでほぼ同等でした。

 サウード国王の「コメット4C」の機内についてはほとんど知られておらず、残念なことに機内を撮影した写真は一切残されていません。知られているのは、機体前部に国王専用として華やかに装飾されたVIP用のキャビンが設置されていたことです。これは機内で最も静かなエリアで、主翼基部に収められた4基のロールス・ロイス「エイヴォン」ジェットエンジンのかなり前方に位置していました。加圧キャビンの中部と後部は側近用でした、おそらく黄金のトイレも備わっていたかもしれません。

サウジアラビアの「コメット4C」の塗装図。右側に初期バージョンのサウジアラビア国旗が確認できるが、珍しいことに剣が1本ではなく2本描かれている(注:国旗ではなく国章やサウード家の紋章という可能性もあるが、リサーチ不足のため不明)。

 イギリスのデ・ハビランド「コメット」は、1952年にデビューした当時は世界初の民間ジェット旅客機でした。しかし、就航から1年以内に大きな悲劇に見舞われました。3機のコメットが、金属疲労と機体への過負荷による構造破壊を原因とする空中分解事故で墜落したのです。[2]

 言うまでもなく、解決策が見つかるまで同機種は運航停止となりました。その結果、「コメット」は大幅な設計変更がなされてジェット旅客機製造における貴重な教訓をもたらしたものの、その代償として、他社メーカーに対する優位性が失われてしまいました。と言うのも、競合他社が「コメット」から得た教訓を迅速に自社ジェット旅客機(「ボーイング707」と「DC-8」)の設計に反映させたからです。

 再設計は最終的に大幅な改良を施した「コメット4」へと発展し、1958年のデビューから旅客機としての運用は1981年まで続き、研究プラットフォームとしての使用は1997年まで続けられました。「コメット4」はホーカー・シドレーの「ニムロッド」対潜哨戒機(MPA)のベース機ともなり、「コメット」初飛行から60年以上経った2011年までイギリス空軍で運用されたのです!「コメット」の機首部とコックピットの設計は、フランスのシュド・アビアシオン製ジェット旅客機「カラベル」に採用されています。

 商業的な成功を収めることはなかったにせよ、「コメット」がジェット旅客機の発展に多大な影響を与えたことについては疑いの余地がありません。

「コメット」のスマートなラインについては、このフランスUAT航空の「コメット1A」で十分に実感できる。注目すべきは側面の四角い窓で、窓周辺の構造が機体に深刻な負荷を与える原因と判明したため、後に楕円形の窓に交換された。

 サウジ・ロイヤル・フライトは、VIP用「コメット(4C)」唯一の運用者と終わる運命にありました。悲しいことに、この機体は初期のコメットと同様の不運に見舞われ、初飛行から僅か1年後に墜落したのです。ジュネーブ(スイス)発ニース(フランス)行きのコメットは、標高2,700mでイタリアアルプスのモンテ・マットに激突、機体は完全にバラバラとなり、サウード家の関係者10名を含む乗員乗客18名全員が死亡しました(国王は搭乗しておらず無事)。[4]

 この機体の残骸は今日まで山頂に残されており、60年前にこの地で起きた悲劇を恒久的に伝える遺構となっています。[3]

イタリア アルプスには「コメット4C (SA-R-7)」の残骸が今なお残っている

 アル・サウード国王の「コメット4C」の残骸だけが同機のレガシーではありません。現代のサウジアラビア政府専用機には、1960年代初頭の「コメット4C」にルーツを持つ塗装が施された機体が数多く存在しています。

 サウジアラビアは軍民問わず飛行機に人目を引く塗装を施す国としても有名です。おそらく最も美しい(少なくとも筆者の意見では)ものは、1980年代から1990年代にかけてサウディア(旧サウジアラビア航空)が使用した塗装でしょう。現在は機体表面の半分以上がサンドカラーに置き換えられてしまいましたが、旧塗装の意匠は特別に装飾された「ボーイング777-300ER」に受け継がれています


サウジアラビア政府のVIP専用機「ボーイング BBJ 787-8 "ドリームライナー"」

 現在では主にボーイングとエアバス機で構成される大規模なVIP専用飛行隊を運用するサウジアラビアですが、王室のために使用された同国初のエグゼクティブVIP機の物語は、すっかり忘却の彼方へと消え去りつつあります。デ・ハビランド「コメット4C」が初飛行から僅か1年で墜落したにもかかわらず、その象徴的な塗装(そして間違いなく金メッキの内装)は、最後の飛行から60年を経た今も、後継機の中に生き続けているのです。


[1] Behold The World’s Ugliest Presidential Jet: The Gambia Air Force One https://www.oryxspioenkop.com/2022/12/behold-worlds-ugliest-presidential-jet.html
[2] Why You Wouldn't Want to Fly The First Jet Airliner: De Havilland Comet Story https://youtu.be/v0Cg2ZeYa5E
[3] de Havilland DH-106 Comet 4C - SA-R-7 https://aviation-safety.net/database/record.php?id=19630320-0
[4] Crash of a De Havilland DH.106 Comet 4C on Mt Matto: 18 killed https://www.baaa-acro.com/crash/crash-de-havilland-dh106-comet-4c-mt-matto-18-killed


 

2026年1月16日金曜日

つつましやかな始まり:トルコ航空の「Ju 52」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2021年4月5日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 トルコ航空(ターキッシュ・エアラインズ)は世界最大級の航空会社の一つであり、世界で最も多くの便を運航しています。今では350機以上のエアバスとボーイングの旅客機を運用し、国内・国際線合わせて約300の航路で運航させているのです。1933年に国内の4路線で始まった会社が2003年には103路線まで持つまでに拡大したことから考えると、飛躍的な成長を遂げたと言えます。過去1世紀にわたってトルコ航空は数多くの航空機を運航してきましたが、その全部が今の機体ほど注目を浴びてきたわけではありません。その目立たなかった機種の一つがドイツの「Ju 52」です。この機体は、トルコでの運用中に画像や映像で記録された事例が極めて稀でした。

 ユンカース「Ju52」は史上最も有名な航空機の一つです。1930年代初頭のドイツで(当初は)民間市場向けの単発旅客機として設計されたこの飛行機は、すぐに3発機として再設計され、現代の私たちが知る「Ju52」となりました。このエンジンの配置のおかげで、「Ju52」はすぐに世界中の航空会社で評判を得て南米やアジアまで旅客便を運航することになったわけです。第二次世界大戦が差し迫る中、多くの「Ju52」がドイツ空軍に爆撃機や輸送機として導入されたことは誰もが知るところでしょう。

 「Ju52」が最初に投入された主要な作戦は、1940年4月のデンマーク侵攻における空挺部隊の輸送任務です。デンマークはドイツの侵攻が迫っているという情報をキャッチしていたものの、完全に油断していたため、武力での抵抗を開始してから僅か2時間で降伏してしまいました。この驚異的な戦果に勇気づけられたドイツ空軍は、それから1か月後のオランダ侵攻においてこの成功の再現を試みようとしました。ところが、歴史の必然として、オランダの空は彼らにとって特に過酷なものとなったようです。結局、数日間の間に約250機の「Ju52」が失われました。[1] [2]

 1940年までに既に著しい旧式化が進んでいたにもかかわらず、「Ju52」は第二次世界大戦終結までドイツ空軍の主力輸送機として活躍し続け、ドイツ軍が戦っていたほぼ全ての戦場に兵士と物資を輸送しました。「Ju52」の後継機としてより現代的な機体(「Ju252」と「Ju352」)の開発が試みられましたが、「Ju52」の生産は1944年まで続けられたのです。戦後の生産については、フランスでアミオ「AAC.1 トゥーカン(1945-1947)」として、スペインでは「CASA 352(1945-1952)」として続けられ、旅客機や軍用輸送機として1970年代初頭まで使用されたことが知られています。

 しかし、今回のテーマを始めるには、そこから数年 – つまり、5機の「Ju52」がイスタンブールのイェシルキョイ空港に着陸した 1944年4月2日– に遡らなければなりません。ドイツのハーケンクロイツを施されたまま到着したおかげで、この機体の売り手について疑問の余地を残さなかったようです。その後、これらの「Ju52」はトルコ航空(Türk Hava Yolları)の前身である国営航空(Devlet Hava Yolları:DHY)で就航を開始しました。[3]

 トルコにおける「Ju52」の運用に関する情報は極めて少なく、機体の写真もほとんど残っていません。


 国営航空は、1933年5月20日にトルコの主要な人口密集地を結ぶ国内線の航空会社として設立されました。当初はドイツのユンカース「F13」2機や同数のアメリカ製カーチス「モデル55 "キングバード"」、そして1機のソ連製ツポレフ「ANT-9」といった多種多様な航空機を導入したものの、国内航空の需要増加に伴ってDHYの保有機リストが拡大し、1930年代後半から1940年代初頭にかけて、イギリスから4発エンジンのデ・ハビランド「D.H.86 "エクスプレス"」を含むデ・ハビランド機を調達しました。[4] [5]

 ところが、第二次世界大戦中に連合国が航空機の供給を拒否したことにより、トルコは自身に航空機を調達する意欲のある供給源:つまりドイツに頼らざるを得なくなったわけです。

この美しいイラストは1946年4月の航空便の時刻表の表紙に描かれたものだ:トルコの農村上空を飛ぶDHYの 「Ju52」が描かれている。




 第二次世界大戦の大部分で、トルコは隣国のギリシャやブルガリア、カフカス地方のみならず中東が瞬く暇もなく戦争に引きずり込まれていく中で、中立をどうにか維持し続けました。結局、この国の中立は1945年2月まで続き、トルコはついにドイツと日本に対して宣戦布告して連合国に加わることで中立に終止符を打ちました。ちなみに、その約1年前の1944年4月の時点でトルコはドイツへのクロム鉱石の輸出を停止し、続く同年8月には国交と貿易を完全に断絶しています。

 鋼の生産に用いられるクロム鉱石は、ドイツの軍事産業を維持するために極めて重要な役割を果たしていました。この貴重な資源の供給を保証する見返りとして、ドイツはトルコに対して連合国から入手する見込みがほぼ完全にない物資や軍備を提供していました。したがって、「Ju52」がこうした条件での取引を通じて入手された可能性は高く、土独関係が完全に断絶する直前に受け取った最後の兵器だったことも想定されます。

 1944年4月にトルコに到着した「Ju52」については、尾翼の大きなハーケンクロイツやその他のマーキングは急いで塗りつぶされ、必要最小限の塗装に塗り直されました。これらの機体の旧塗装を見ると、少なくとも一部の機体がナチス・ドイツの国営航空会社であるドイツ・ルフト・ハンザによって運用されていたことを示しています。一方、新たに導入した「Ju52」は乗客を約17名しか乗せることができなかったものの、それでもDHYの主力機となっていた大多数のデ・ハビランド機よりも2倍のペイロードを有していました。

 下の画像は、トルコ軍で運用された「Ju52」の現存する数少ない写真です。この機体には、機体番号「TC-RUH」と尾部に「18」のシリアル番号、そして(トルコ国旗の一部と推定される)三日月のマークが確認できます。また、別の写真(ヘッダー画像)の機体には、機首側面の窓の下に「Devlet Hava Yolları」のステッカーが貼られている姿が一目瞭然となっています。

 第二次世界大戦中におけるDHYの「Ju52」はトルコ国内の路線だけで運航されていたため、トルコの所属を示す大きな旗や目立つ識別マークは不要だったようです。1940年代後半にアメリカから供与されたダグラス「DC-3」に置き換えられるまで、引き続きこのシンプルなカラーリングのまま運用されていた可能性はおおいに有り得るでしょう。


 「Ju52」には別の塗装が施された可能性も否めません。ただし、こちらの根拠はより信憑性の低い情報が由来です:下にある、1946年にトルコ赤新月社が発行した記念切手を見てください。この切手には、翼と機体に大きな赤い新月マークを付けた「Ju52」が医療搬送機として描かれています。[6]

 トルコの「Ju52」が実際にこのような塗装で運用されたのか、あるいは切手用に特別にデザインされた架空の塗装であるかは不明ですが、後者の方が可能性が高いと考えられます。


 ユンカース「Ju52」は別として、2種類のユンカース機:「G24」とより小型の「F13」が戦間期のトルコで運用されていました。「G24」は「Ju-52」の精神的な先駆者と言える存在で、似たような3発エンジンの配置と波型外板を特徴とした機体です。興味深いことに、トルコで運用された唯一の機体は実はトルコが所有していませんでした。というのも、1920年代半ばから後半にかけてユンカースが実施した(最終的に失敗した)マーケティングキャンペーンの一環として運用されていたからです。[7]

 その一方で、3機の「F13は」1930年代後半に退役するまで、旅客機や連絡機、空中探査機、郵便機として運用されたことが記録されています。[9]

 一時期、トルコ初の航空機製造工場であるトムタシュ(Tayyare ve Motor Türk Anonim Şirketi)で約20機の「F13」の生産が計画されましたが、財政難によりこのプロジェクトは中止に追いやられ、最終的にTOMTAŞが倒産するという形で国内航空産業の有望なスタートは残念な終わりを迎えました。[8]


トルコの国籍マークが施されたユンカース「G24」:実際にはトルコがこの機体を所有したことはなかったが、同国で1925年から1927年までの約2年間運航された。

 トルコにおける「Ju52」の運用期間は僅か数年と短かったかもしれません。しかし、この機体はトルコの航空産業の humble beginnings( つつましやかな始まり)の物語において際立つ章を刻んだ機体であり、後世に語り継ぐ価値のある物語の断片です。そのつつましさは長く続きましたが、約30年後、トルコ航空は3発エンジン搭載の旅客機:「DC-10」を運航する最初の航空会社の一つとなりました。

 現在、この国は航空宇宙分野のパイオニアとして、多種多様な先進的な航空機やその試作機を生産しています。ただし、「TRジェット」計画を通じて国産旅客機の生産を目指す取り組みは2017年に中止されました。しかし、忘れ去られた過去にたった数機の「Ju52」を運用していた時代から(イスタンブールの交通渋滞を実際に体験した人なら、その価値を高く評価するであろう)バイカルの「ジェゼリ」のような開発に至るまでの驚くべき進化は、つつましやかな始まりは偉大さの誕生を予感させるということを私たちに教えてくれます。

ジェゼリ・フライングカー

[1] Mei 1940 - de verdediging van het Nederlandse luchtruim http://www.bataafscheleeuw.nl/db/main/assortiment/index.php?book_id=514
[2] De gebroken vleugel van de Duitse adelaar https://uitgeverijaspekt.nl/boek/de-gebroken-vleugel-van-de-duitse-adelaar/
[3] 1/48 Revell Ju-52 3/m TC-RUH Turkish Airliner https://www.aircraftresourcecenter.com/Gal3/2701-2800/Gal2785-Ju-52-Gerdan/00.shtm
[4] Turkish Airlines History http://www.thy-heritage.com/history/
[5] Turkish Airlines Fleet http://www.thy-heritage.com/flit/
[6] Kızılay uçak resimli pullar, Sanayi Kongresi ve ilk uçuş zarfları https://pulveposta.com/2018/02/11/kizilay-ucak-resimli-pullar-sanayi-kongresi-ve-ilk-ucus-zarflari/
[7] 1/72 Plastikart Junkers G 24 https://www.aircraftresourcecenter.com/Gal3/2901-3000/Gal2904-Ju-G24-Gerdan/00.shtm
[8] JUNKERS F13 Limuzin http://www.tayyareci.com/digerucaklar/turkiye/1923ve50/junkers-f13.asp
3枚目の画像: Gökhan Sarigöl via Stuart Kline.

2025年に改訂・分冊版が発売予定です(英語版のみ)

 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。
 お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました

おすすめの記事