2026年4月4日土曜日

永遠に残り続けるために:BEAの「A300」

Image 1 by Matteo Lamberts

著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月12日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 飛行機でイスタンブールのアタテュルク国際空港に着く際、右側の座席に座ったことのある人なら、ヘッダー画像に写っているこの航空機を見たことがあるはずです。イェシルキョイ近くの空港の片隅には、3機の青と白のエアバス「A300」が、まるで近い将来に必ず訪れるであろう解体処分を待っているかのように佇んでいます。初めてアタテュルク空港に着陸して以降、私はこの3機に関心を抱き続けてきました。なぜあそこに駐機されているのでしょうか?この塗装でどれくらいの期間運航され、どうして退役することになったのでしょうか?

 こうした疑問がずっと私を悩ませていましたが、ついに先日、いつの日かこれらの「A300」が解体されて人々の記憶から消え去ってしまう前に記事として残すべく、できる限りの情報を集めることに決めました。

 日頃の軍事分析を求めている一般の読者にとっては、この記事は必ずしも期待通りの内容ではないかもしれません。しかしながら、民間航空や激しい競争で知られる業界で事業を営む航空会社や旅客機が直面する過酷な運命に深い関心を抱いている方々にとって、この記事はまさにうってつけの内容となるでしょう。今回は、ボスポラス・ヨーロピアン・エアウェイズ(BEA)が保有する3機の「A300」にまつわるものです。


 BEAは2001年にチャーター航空会社として設立され、2002年3月に、座席数298席、貨物積載量約10トンのエアバス「A300B4」旅客機3機の運航を開始しました。[1] 

 「TC-COA」、「TC-OIM "カーン"」、「TC-OYC"ハーカン"」の3機は、2001年12月にBEAが入手した時点で、すでに製造から約20年が経過していました。これら3機全てが1980年代初頭にスカンジナビア航空(SAS)に納入された後、デンマークのチャーター航空会社であるスカンエア、コンエアー、プレミエアへと引き継がれるという過去を持っています(その間に、別の複数の航空会社にもリースされていました)。[2]


 「A300」がBEAに引き渡されてからの数か月間は、2002年の行楽シーズン開始を見据え、乗務員が同機への習熟を図るための訓練に費やされたと推測されます。チャーター航空会社であるBEAにとって最も重要な顧客層は、トルコ沿岸の行楽地を訪れる観光客やヨーロッパ各地でのサッカーの試合を観戦するファン、そしてヨーロッパで働くトルコ人でした。BEAは、その短い歴史の中で、ドイツ、オランダ、スイス、フランス、イギリス、キプロス、イラン、イラクを含むヨーロッパや中東の都市へのフライトを運航していたことが確認されています。[1] [3]

 BEAにとって残念だったのは、1990年代から2000年代初頭におけるトルコのチャーター航空会社の平均寿命は極めて短いものだったことでしょう。例えば、その僅か7年前(1995年)には、アクデニズ・エアラインズも「A300」を3機導入してチャーター航空事業への参入を試みています。1995年6月に大きな期待を胸に運航を開始したものの、たった6か月つまり1995年12月には運航停止となってしまったのです。[4] 

 BEAの運命も例外ではなく、その活動も資金が底を突くまでの僅か6か月(2002年3月から8月まで)で終わってしまいました。結果的に、BEAの功績と呼べるものは、「A300」が空を飛んでいた時よりも地上で放置されていた時に撮影された写真の方が多いという、奇妙な記録を残したことぐらいに過ぎません。

 フランクフルト空港における「TC-COA」。背景には巨大な「C-5  "ギャラクシー"」輸送機が駐機している。そこにまだラインマイン米空軍基地が存在していた時代のことだ。

マンチェスター国際空港に着陸寸前のTC-OIM "Kaan"」

 2002年の夏休みシーズンが終わりに近づくのと時を同じ頃、BEAの運航業務も終わりを迎えました。同社の保有機はアタテュルク国際空港で長期保管に入りましたが、結局BEAは2004年に正式に事業終了に追い込まれてしまいました。業務停止から事業終了まで2年もかかりましたが、この期間は新たな投資家による事業の再始動という、ごく僅かな可能性に賭けるために設けられていたものと思われます。

 しかしながら、年月を重ねるにつれて、その見通しはますます不透明なものとなっていきました。当初、「A300」はアタテュルク空港の整備棟の前に数機の放置された航空機と共に保管されていたものの、時が経過するにつれて、機体の状態と運命は次第に絶望的なものと化していったのです。



 3機の「A300」については、BEAの事業再開や他社による買収に備えて直ちに再稼働できるよう保管されていたものの、最終的にエンジンを覆っていたカバーまでもが取り外され、機体はトルコの気候に完全に晒された状態となってしまいました。
 なお、この時期でもエンジンカバーには依然として「SAS」の文字が記されていました。同機が元オーナのスカンジナビア航空で使用されたのは1981年から1983/1984年までです。[2]


 興味深いことに、「TC-OYC "ハーカン"」は保管されるという事実上の放棄を逃れ、2003年8月にトルコのチャーター航空会社であるフライ・エアに2か月間リースされ、その後2003年10月にはスーダン航空に数週間(!)リースされたとのことです。[2]

 後者の運用において、この機体はスーダン航空のマーキングを施されたものの、尾翼のBEAの塗装と文字はそのまま残されました。これは、BEAの機体がたどる「忘却の彼方までの長い道のり」で唯一の救いとでも言うべきものでしたが、最終的にアタテュルク空港の格納庫で保管されていた他の2機のもとへ戻ることになったのはまさに悲劇と言えるでしょう。

 2015年には、整備棟前のスペースを空けるために3機全てが現在の場所へ移動されました。


 2017年には「TC-OYC "ハーカン"」のノーズコーンが撤去された:左手前はCATカーゴで運用されていた「An-12 (TC-KET)」だ。

 ここ数年のうちに、2機の「A300」の尾翼にあった馴染み深い青色の塗装とBEAの文字が消去されました。この措置の正確な理由はいまだに不明ですが、2021年1月に3機全てが1機あたり73,954ドル(当時のレートで約770万円)で競売に出されたことが判明しています。[5]


 現在のアタテュルク空港は民間旅客便の運航を停止しており、貨物便、ビジネス便、VIP機のみが運航されています。それでも、空港の前を車で通りかかると、長年の放置にもかかわらずその威容を損なうことなく高くそびえ立つ尾翼が必ず目に入ってくるはずです。

 見捨てられ、忘れ去られた彼らが二度と空を飛ぶことはないでしょう。風変わりなキョフテ料理店として第二の人生を送ることも望み薄そうです。それでも、こうしてこの記事で永遠に記録された以上、スクラップヤードの掘削機の爪がどんな最悪な最期を与えたとしても、BEAの「A300」が忘れ去られることはないでしょう。

image by Ivica Ramljak

[1] https://web.archive.org/web/20020719232036/http://www.bea-air.com/
[2] https://www.planespotters.net/airline/Bosphorus-European-Airways
[3] https://www.airliners.net/search?airline=13001&display=detail
[4] Akdeniz Airlines https://en.wikipedia.org/wiki/Akdeniz_Airlines
[5] Istanbul-Atatürk versteigert herrenlose Flugzeuge https://aviation.direct/istanbul-atatuerk-versteigert-herrenlose-flugzeuge?print-posts=pdf


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました

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