2017年6月16日金曜日

プローブアンドドローグ:リビアの不運な空中給油機導入計画の話




著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

リビアの空中給油機導入計画は開始された80年代後半からほとんど伝えられておらず、最終的に計画の放棄につながった一連の妨げに苦しめられた。
それにもかかわらず、この野心的な計画は確実にその痕跡をリビア空軍に残しており、かつてこの計画で重要な役割を果たしていた機体は、現在の国内における治安情勢がますます悪化している状況の中で、いまだに飛行している。

以前のLAAF(リビア・アラブ空軍)はここ数年で2つに分離しており、それぞれがさまざな種類の戦闘機やヘリコプターを運用している(注:リビア空軍とリビア・ドーン空軍)。
統一政府はリビアの新政権としての役目を務めることになっているが、国内の分裂はいくつかの敵対勢力の間で、事実上継続している。
かつてはリビアの正当に承認されていない議会に忠実だった「リビアの夜明け運動(注:リビア・ドーン)」と国際的に承認されたリビアの政府のために戦っているリビア軍(LNA)は、共に最強の勢力だ。

両者は主にイスラミック・ステートのようなイスラーム過激主義との戦いに集中しているが、双方の間での散発的な衝突や爆撃はますます増加し続けている。
これはムアンマル・アル=カッザーフィー体制の崩壊後に続いた混乱の不幸な結果であり、主にリビア側の権力欲とNATO側の支援不足が原因だ。
後者はカッザーフィーの失脚に重要な役割を果たしたが、リビアが自身で機能する民主主義に発展させるための手助けとして不十分な支援しか与えなかった。

限られた数の運用可能な機体が2つの空軍に分けられたために、リビアの夜明け運動とLNAの両方は、比較的少数の努力か他の機体からの共食い整備によって運用できる航空機を獲得するために分裂した国内を探し回った。
以前に放棄されたと考えられていた航空機は、現在では運用可能な状態に修復され再利用されている。
ほとんどのリビアの航空基地で機密の装備を撮影した場合、リビアの緩い規則のためにこれらの画像が定期的にリークされている。
この独特の状況は、今日まで多くの人々に知られていないままであった、リビアの不運な空中給油機導入計画をレビューするための理想的な映像をもたらした。




リビアの広い面積が、頻繁な途中降機や飛行場を目標に近い前方へ展開させることなく、航空機が長距離を飛行して目標に到達することを可能にする空中給油機を望まれる貴重な装備にした。  
これについては、チャドとウガンダに展開されたリビア軍を支援するため、もしくは単に報復行動としてリビア軍機が頻繁にチャドやスーダン、さらにタンザニアの目標を攻撃していたカッザーフィー時代が特にそのようにいえた。
チャドにおけるリビアの暗闘の期間は、チャド軍だけでなく国内の代理勢力やリビアと敵対するイッセン・ハブレを支援するために、同国に展開したフランス軍とも対峙したリビア空軍(LAAF)にとって決定的な時期とみることができる。   
ほとんどのリビアの飛行場は北部に位置していたため、LAAFは空軍機をリビア南部またはチャド北部に前進配置させた。
しかし、この両方の場所は、フランス空軍とチャド軍の襲撃によって攻撃に対して極端に脆弱だということが判明した。
フランス軍機はリビア南部のメーテン・アル・スッラ基地を奇襲した上、チャド内に建設したワディ・ドゥーン基地を襲撃し、リビア側に深刻な損失をもたらしたのだ。

リビアの空中給油機を入手するという決定において、チャドで得た経験と世界的な潮流への関心が決定的な要因となった可能性がある(注:他国が空中給油機を使用し始めたことを見て、リビアも導入するという着想を得た可能性があるということ)。

1980年代半ばの時点では、既にソ連のIL-78が生産されていたが、リビアはその代わりに自国の空中給油機導入計画を始動するための援助を受けるべく、イラクと同様に西側へ目を向けた。
この決定の理由は不明のままだが、この当時、リビアがIL-78の導入を(ソ連から)認められていなかった可能性がある。




1987年、リビアは自身で空中給油機導入計画を開始するために、西ドイツの企業である「インテック・テクニカル・トレード・ウント・ロジスティック(ITTL)」と契約した。
リビアは西側諸国の前に立ちはだかる宿敵であるにもかかわらず、軍事関連のものを含めたあらゆる種類の取引で西側の企業と契約することを問題としなかった。
契約を結んでいた機器を提供する西側の企業もリビアの石油資源から利益を得ることに意欲的であり、リビアのために仕事をすること関して全く問題なかった。
興味深いことに、ITTLは手始めに独自の空中給油(IFR)用プローブの設計に加え、フランスからプローブの入手を開始し、後にそのプローブは少なくとも3機のMiG-23BNと1機のMiG-23UBに搭載された。

MiG-23MSでの過酷な経験があった上にMiG-23BNでまた同じような問題に遭遇するにもかかわらず、MiG-23BNはリビアの運用で頑丈さと兵装のペイロードのおかげで貴重な戦力となった(注:MiG-23MSは質や能力が低くい上に飛行が難しかったため、結果として多くの機体やパイロットが失われた。LAAFにとってはまさに悪夢そのものであった)。
その結果として、戦闘行動半径を拡大するために、IFR用のプローブを特別にMiG-23BNへ搭載するという決定は当然といえた。
MiG-23BNにIFR用プローブを追加することに加えて、本計画においてLAAFは、これまでににフランスから導入した16機のミラージュF.1ADの残存機にも期待することができた。
ミラージュF.1ADは間違いなくリビアが保有する戦闘機のなかで最も有能なものであり、既に空中給油能力が付与されていた。

ITTLは同時に2機の航空機へ給油することを可能にするために、LAAFのC-130の1機の両翼の下に空中給油ポッドを搭載することによって、同機を空中給油機に改修作業を進めた。
不運なことに、C-130は、MiG-23に給油しようとするとする場合においてこの任務に適していないということが判明した。
何故ならば、MiG-23はその比較的遅い巡航速度に適応することができなかったからだ。
ミラージュF.1ADはC-130からの空中給油が可能だったが、この時点でリビアは、既にはるかに適切なプラットフォームを運用していた――IL-76である。

したがって、(事実上LAAFの一部である)リビアンエアカーゴのIl-76TD「5A-DNP」は、空中給油機の役割を付与するためにITTLの技術者によって改造された。
彼らの尽力にもかかわらず、ITTLはリビアの空中給油機導入計画への関与が公になった際に、リビアでの作業の打ち切りを余儀なくされた。
彼らの撤退がこの野心的な計画の終わりを最終的に告げた一方で、リビアは自身でこの計画を数年間は継続し、結局は90年代半ばに終了したと考えられている。
興味深いことに、この計画の映像は記録されており、オンラインで観ることができる


ITTLが空中給油機化計画の作業を開始したのとほぼ同時期に、リビアはTu-22爆撃機を6機のIL-78空中給油機とそれによって支援される最大で36機のSu-24MKへと置き換えるためにソ連と交渉に入った。
このSu-24とIL-78の組み合わせはLAAFの遠くまで及ぶ戦力としての機能を果たし、この役割においてTu-22と置き換わった。
Tu-22はアル・ジュフラにある基地から長距離を飛行することができたが、80年代後半には運用が終わりに近づいたために、これらを置き換えなければならなかった。

Su-24MKは、Tu-22に欠けていた能力であった精密な打撃を可能にする多様な空対地ミサイルと誘導爆弾を装備することができた。
実際、タンザニアの目標に対する爆撃ソーティを実施した際、リビアのTu-22の乗組員は目標を外しただけでなく国自体も外れ、それどころか爆弾がブルンジの国境を越えて着弾したということがあった!
リビアにとって残念なことに、支払いに関する意見の不一致と1992年から発動された国連の武器禁輸措置がLAAFに対し必要な量の航空機を受け取ることを妨げ、結局は6機のSu-24MKと1機のIL-78だけがリビアにたどり着いた(注:リビアがどのようにSu-24MKの代金を支払わなければならないかという点について、ソ連はリビアに事前に50%の支払いを求めていたが、リビアはそれを拒否したため満足な取引に達しなかった

しかしながら、1989年か1990年の運用開始以来、この唯一のIL-78が空中給油の用途で使用されたのかは不明のままであり、生涯のほとんどを貨物機として過ごしてきたことが確かであるにもかかわらず、同機には依然として3基のUPAZ空中給油ポッドが装備されている。
IL-78は2004年と2005年の間にロシアのスタラヤ・ルーサの123ARZ修理工場で修理された後、2005年4月初めにモスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(IAP)に着陸する、民間のジャマーヒリーヤ・エア・トランスポート(リビアンエアカーゴ)のロゴを付けた姿が初めて目撃された。




その極めて稀な目撃のおかげで、Il-78は今までにリビア空軍に就役したことのない、最もキャッチしにくい飛行機となっている。
その生涯を通して少ししか目撃されていなかったこの飛行機は、カッザーフィー大佐の追放という結果をもたらしたリビア内戦の終結後にはさらに目撃が難しくなった。
リビア唯一のIl-78はアル・ジュフラ基地に駐機されたまま残されており、2015年後半にミスラタ空軍基地に再び現れてこの不運な機体が再運用に入ったことを確認される前には、既に放棄されたと考えられていた。

IL-78はその存在理由である高度な能力を捨て、貨物機としてその短い生涯を送り続けている。
新しい運用者に応じて、英語とアラビア語で描かれたカッザーフィー時代のジャマーヒリーヤの文字が塗りつぶされ、新しいリビアの旗が「ジャマーヒリーヤ・グリーン」の上に描かれた。
同機はその窓に酷使された跡があり、風防は交換されている可能性が高い(注:機首側面や下部の航法士席窓が劣化や損傷により透明度を失っている)。



リビアにおける内戦が停戦の見込みが無いまま続くにつれて、(放棄されたり、旧式である)装備は、リビアとその資源を支配するために戦っている勢力が保有する兵器のストックを増強するために、運用状態へと戻されていく。
とっくの昔にいなくなった、多国間にわたるソーティーを行う能力があるプロフェッショナルな空軍を支援することに特化した空中給油機部隊の夢はずっと以前に記憶から消えてしまっていたが、
リビアの空はこの過去の時代の残存機で騒々しいままであり、この計画で重要な役割を果たした飛行機は戦争の弱まることのない要求によって徐々に消耗されていくだろう。




特別協力:Tom Cooper from ACIG.(注:元記事への協力であり、本件編訳とは無関係です)。

 ※ この翻訳元の記事は、2017年6月3日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。  

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