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2018年7月17日火曜日

その翼に用心せよ:シリア・アラブ空軍



著:シュタイン・ミッツァー、ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao goo

 驚いたことに、頻繁に誤ってSAFやSAAFと略されるシリア・アラブ空軍(SyAAF)は今や4年近く(注:執筆当時)にわたる長い内戦の下でペースの高い作戦を持続させることができました。そもそもSyAAFはイスラエルとの激しいながらも短い戦争に従事させるものと想定されており、アサドが主導する政権側とその敵対者との間の消耗戦で戦うことは決して予想されていなかったので、試行錯誤で紛争における自身の役割を見出してきました。
 SyAAFの飛行機とヘリコプターの大部分は内戦の前後にロシアとウクライナで改修を受け、そして全ての機体が無事に戻されたため、SyAAFは「新鮮なスタート」を享受することができたのです。

 内戦初期におけるわずかな戦闘任務を別とすると、SyAAFが反乱を鎮圧するのに積極的に関与したのは2012年7月の末でした。この関与は主にアレッポとその郊外への爆撃にL-39ZAを展開させることによって行われました。これらの出撃では主に病院や学校などの民間の標的が被弾し、当然ながら多数の民間人の死傷者を招きました。
 続く数ヶ月の間にMiG-21MiG-23BNSu-22、少数のSu-24も戦闘に加わり、シリア各地への出撃数が大いに増加しましたが、L-39の出撃数は時間が経過するとともに徐々に減少し、2013年5月には完全に停止してしまいました。









 SyAAF最初の敗北は2012年11月25日に発生したマルジ・アル・スルタン基地の陥落であり、5機のMi-8/17の捕獲と破壊がもたらされました。
 これに続いて2013年1月11日にタフタナズ空軍基地が制圧され、少なくとも15機のMi-8/17と1機のMi-25が捕獲されたか破壊されました。その次は(一般にジラーとして知られていた)Kshesh基地の番であり、2013年2月12日に制圧されました。50機以上の運用不能なMiG-15/17L-29を除けば少なくとも8機の無傷なL-39が捕獲されたので、この基地の陥落は反体制派に自身の空軍の設立に取り組む機会を与えました(この「戦果」は後にイスラーム軍によって活用されました)。
 (一般にアル・クサイルとして知られている)Dhab'ah基地は4月18日に捕獲されてそこで数機のMiG-21が発見されましたが、全機が運用不能でした。ここで発見された空対空ミサイルのストックは、後に反体制によって間に合わせの対地ロケットとして使用されました。
 アブー・アル・ダッフール基地は2013年4月30日に襲撃されましたが、守備隊はその攻撃を受け流すことに成功しました(注:後に陥落しました)。これがSyAAF基地に対する反政府軍の進撃の転換点となり、それ以降は全ての進撃が停止しました。
 既に包囲されたミナクのヘリポートのみが2013年8月6日に陥落し、数機のMi-8が捕獲されたか破壊された。
 最も新しい空軍基地の陥落は2014年8月24日のタブカ基地陥落でした。そこで運用可能なものからスクラップに至るまでの18機程度のMiG-21がイスラミック・ステート(IS)によって捕獲されました

 Ksheshとミナク基地はそれぞれが戦闘機パイロットとヘリコプターパイロットの訓練に使用されていましたので、それらが捕獲されたことは将来のパイロットの訓練を大いに妨げました。また、SyAAFの主要な訓練基地であるクワイリス基地の完全な包囲は、SyAAFにとって問題をさらに悪化させました。













前述の拠点で捕獲や破壊されたいくらかの航空機を別とすると、包囲の間の損失はMiG-21が5機、MiG-23が2機、Su-24M2が1機、L-39が2機、Mi-8/17が6機に留まりました。これらの損害は時間の経過とともに次第に増加していきましたが、反体制派はまだSyAAFに苦痛を与えることができていません。

 SyAAFをそれよりもはるかに心配させたのは、戦闘機や攻撃機が毎日実施しなければならなかった出撃の数の増加でした。シリアにあるMiG-21の殆どは70年代初期のものであり、MiG-23BNはすべてが70年代後半に、Su-22M3 / M4は80年代から製造されたものでした。つまり、Su-22M-4を別とすると全ての機体が寿命の終わりに近づいていて、この10年間で交代が予定されていたのです。しかし、これらの機体は平穏な数年間を享受する代わりに、今や戦闘の最前線に立つようになりました。











 これはSyAAFの戦闘爆撃機部隊の中核を成す、SyAAFの誇りと考えられている(現時点で総勢20機強の)Su-24飛行隊にとってそれほど問題にはなりませんでした。Su-24MK(輸出型)は1988年にソ連に発注して1990年には引き渡され、さらに1990年代半ばにSu-24MKとSu-24MR(偵察型)が各1機ずつリビアから提供されました。

 (Su-24を)ちょうど内戦に投入できるタイミングである2010年から2013年の間に、ロシアのルジェフにある第514ARZ航空機修理工場で21機のSu-24MKがM2規格に改修されました。M2規格への改修はシリアのSu-24にSu-24M2と同じ規格をもたらしました。この改修では、機体の古い制御システムを新型に入れ替えることによって改良された照準能力、航法および火器管制システムが付与されました。
 そして、MK2はより新しい搭載装備であるKAB-500/1500(精密誘導爆弾、数字は爆弾の重量を示す)、Kh-31A/P、Kh-59R-73との互換性も得ました。また、同機は上記の装備に加えてFAB(無誘導通常爆弾)、OFAB(破砕爆弾)、RBK(クラスター爆弾)、Kh-25Kh-29L/T、Kh-31Kh-58空対地ミサイル、KAB-500とKAB-1500誘導爆弾、S-24S-25無誘導空対地ロケット弾、ロケット弾ポッドとR-60空対空ミサイルを既に装備しています。

 この改修の範囲は「レーダー未満に留まる」と考えられていましたが、第514ARZ工場にシリアのSu-24が存在していることを公に話す同工場の作業員、ルジェフで示されたシリアのSu-24の衛星画像と第514ARZ工場の公式ウェブサイト上に掲載された改修作業中のシリアのSu-24の画像はそのように有利な方向にはいかなかったことを示しています(注:予想に反して大規模な改修を受けたということ)。










話題をボロボロになった戦闘爆撃機飛行隊に戻すと、運用可能な機体数が減少し続けている間に標的リストの増加が予想されました。しかし、不思議なことにの戦闘爆撃機飛行隊の差し迫った崩壊はそれから全く発生しなかったので、シリアはそれらの運用を維持するためにロシアからのスペアパーツを今なお当てにし続けることができるという結論に至りました。
 この説は、ロシアとウクライナのMiG-23MLDMiG-29SM、Su-24M2、Mi-25、Ka-28の改修(アフターサービスもこの取引に含まれている可能性が高い)した点、ロシア航空機会社であるMiGが(ダマスカスにある)メッゼ空軍基地の近くに事務所を開設した点、MiGの助けを借りて(SyAAFの)より現代的な整備システムへの移行した点、毎月シリアに到着するロシア製兵器の大規模な流入とロシアでのSyAAFのIL-76の頻繁な目撃によって補強されています。IL-76(の所属)はシリア航空ですが、事実上空軍の指揮下にあります。

 SyAAFの人員は、シリア陸軍共和国防衛隊の多数の兵士や将校と共にロシアでの訓練を続けています。ロシア軍のMiG-29の前にいるSyAAFのパイロットの姿を下の画像で見ることができます。






 (ロシアが)SyAAFへの武器の供給を継続している最初のケースは、Mi-25、MiG-29とSu-22がB-8ロケット弾ポッドを初めて使用した2013年10月に明らかになりました。B-8から発射されたS-8 80mmロケット弾は既に2013年6月にレバノンのアルサールにある村に着弾しており、これがSyAAFによるS-8の最初の使用として記録されました。
 SyAAFのMi-25と戦闘機爆撃機はそれまで依然としてS-5 57mmロケット弾を装填したUB-32ロケット弾ポッドで武装していましたが、掩体や隠れた敵兵を撃破するための貫徹力と火力が不足していました。







 B-8で武装したMiG-29の存在は、大抵は機体の運用を維持するために定期的にオーバーホールをする必要があった、酷使された大量のMiG-23BNやSu-22M3 / M4が戦場にいないことを示唆していました。(対地攻撃任務の主体を)戦闘機に置き換えて大量の戦闘爆撃機を一時的に駐機させることはSyAAF内では標準的な戦術となっており、一定の機体に本当に必要な休息を可能にします。
 例えば、一時的に駐機しているものか完全に退役した機の数が増加するにつれてデュマイル空軍基地にあるSu-22の墓場[1]が大きくなるという事実が証明しているように、2014年11月の間には1機のSu-22もシリア上空で目撃されませんでした。




 この戦術によってSyAAFはMiG-23BN及びSu-22M3 / M4に全く負担をかけることなく多数の出撃数の維持を可能にしています。
 MiG-29は2013年後半からたびたび戦闘爆撃機の一部を代行することに関与しましたが、現在では内戦に投入されることはめったにありません(注:一時的に対地攻撃任務に転用されたということ)。ほんの僅かなMiG-29がシリア各地で精密誘導弾を装備して使用されていると思われています。

 その代わりに、SyAAFのMiG-23MFとそれよりも少ない規模のMiG-23MLとMiG-23MLDが対地攻撃任務での出撃を始めました。主に2基のUB-16と2基のUB-32ロケット弾ポッド、2基のB-8ロケット弾ポッドか無誘導爆弾で武装してシリアの空を飛ぶMiG-23BNとSu-22M3 / M4の列に加わったのです。
 シリアはまだ豊富な数のMiG-23MF、MiG-23ML、MiG-23MLDを運用しているため、この戦術を今後数年も容易に継続することができます。








 MiG-23MLおよびMiG-23MLD群の一部が2008年から2011年または2012年までにウクライナとロシアで改修され、すべての機体が同じ年に気付かれることなくシリアに戻りました。世界ではロシアでのオーバーホールから帰還した3機のMi-25を運送する貨物船を止めるために慌ただしかったですが、同様のMiG-23、MiG-29、Su-24の複数のバッチがメディアから全く注目されることなくシリアに入ることに成功しました:視野が狭すぎることと偽善は見事です。
 海外でオーバーホールされたSyAAFの(チャフ/フレア発射機が欠如している)MiG-23MLDの1つを以下の画像に示します。





多くの人に知られていませんが、シリアのMiG-23飛行隊は過去数年で約30機が増強されました。33機のMiG-23:30基前後のMiG-23MLDと数機のMiG-23UBが2008年にベラルーシからアレッポ国際空港/ナイラブ空軍基地に引き渡されました。当初はこの取引の意図が不明でしたが、間もなくして全機がこの基地にあるSyAAFのオーバーホールとメンテナンス施設である「工廠」でオーバーホールされたと思われています。

 そのうち4機が悪い状態であったことからオーバーホールに適さないと見なされてナイラブ基地に残され、そこで2機がTWO対戦車ミサイルによって襲撃されました[2]。しかし、これらの機体は決して再び空を飛ぶことはないので、この攻撃は全く役に立ちませんでした。

 「工廠」はSyAAFの傘下の施設として知られており、SyAAFの戦闘機とヘリコプターのオーバーホールと整備を担当しています。Su-24を除き、シリアの全軍用機がここでオーバーホールされました。
 また、「工廠」はSyAAFのMiG-21、MiG-23、Su-22用として独自に設計したチャフ/フレア発射機も製造しました。オーバーホールを完了した後の航空機やヘリコプターには「工廠」のロゴが施されています。
 ナイラブ基地が対戦車ミサイルの射程内にあるので、航空機の動きは今や制限されています。最近になって2機のオーバーホールされたばかりのL-39がTOWミサイルによって破壊されており、再び基地の脆弱性を示しています。
 ナイラブ空軍基地は過去にMiG-29のオーバーホールに使用されていたが、この治安状況でSyAAFの最も高度な機体をここで整備することができないことは明らかです。






 それにもかかわらず、シリアはMiG-29を運用し続けるために以前から外国の援助に大きく依存してきた。伝えられるところによれば、それには胴体と翼の亀裂を解消する援助も含まれていた。多数のMiG-29はナイラブ空軍基地の「工廠」でのオーバーホール中に新しい迷彩塗装を施されました。
 1988年にシリアによって取得されたMiG-29の総数は依然として謎のままです。多くの報告が主張している48機という数は誇張されている可能性が高く、実際には22機から24機しか引き渡されていないと思われます。この数は1つの飛行隊に装備させるには十分だったが、MiG-29を2飛行隊目にも配備させる計画は見送りしなければなりませんでした。
 約15~20機のMiG-29は(サイカルとして知られている)ジーン空軍基地を拠点とする第697飛行隊で未だに運用されているはずです。また、数機のMiG-29は(T4として知られている)ティーヤース:T4空軍基地へ恒久的に分遣されています。

 ロシアの航空機会社であるMiGは、(顧客760として表された)シリアとの契約上での合意事項を積極的に履行しています。2010年8月には契約番号「776041110116」のもとで、4基の形式不明の飛行シミュレータをシリアに引き渡しました。
 また、2011年に履行された密約では4機の(SyAAFの)MiG-29BがMiG-29SM規格に改修され、シリアの空対地攻撃能力を増大させました。MiG-29BはMiG-29SMの「製品9.13M(注:設計局の名称)」と異なって「製品9.12」の機体を使用しているため、ミコヤンはインドのMiG-29UPGのようにシリアのニーズに合った(ガルデニヤ電子妨害装置が搭載されていない可能性が高い)特別な派生型を開発しました 。

 この派生型の開発には、MiG-29UPGの開発に費やされた92億5700万ルーブルとは対照的に合計で53億1100万ルーブルを要しました。この改修に関する情報を含むMiGの2011年度の報告書は削除され、後にこの取引の発注先であるシリアに関する情報が削除されて再アップロードされたことがこの契約の秘密性を強調しているようです。








 MiG-29SMはMiG-29Bよりも多くの能力向上がされている点が特徴であり、アップグレードされたN-019MEレーダーや最大積載重量の増加だけでなく、操縦席のディスプレイや航法システム、通信システムのアップグレードといったさらに多くの小規模な改良が施されています。
 今日におけるシリアでのMiG-29の使用を考慮すると、おそらく最も重要な改修はKh-29T(E)、Kh-31A / P空対地ミサイル、KAB-500-Kr / OD誘導爆弾といった空対地兵装
の運用能力がもたらされた点です。これらの兵装の引き渡しもMiG-29SMへの改修に関する契約に含まれていました。

 そして、MiG-29SMは紛争に介入する外国の航空機に相当の脅威を突きつける、手強いR-77(AA-12 'アッダー)空対空ミサイルを運用可能です。シリアで目撃されたMiG-29には既にこのミサイルを装備するために使用されるAKU-170E発射レールが搭載されています(下の画像)。








 さらに、別の2つの取引にはシリアのMiG-23MLDの修理とより現代的な整備・維持システムへの移行が含まれていました。
 伝統的に、ソ連製の機体は一定の時間が経過した後に点検整備とオーバーホールを受けなければなりません。一定の時間だけ(の使用)に制限された特定の部品は、一般にオーバーホール中に取り外されます。近年ではより現代的な整備システムが使用されるようになり、一定の時間が経過しても正常に作動していると見なされた場合は特定のコンポーネントを引き続き使用することが可能になっています。
 MiGは2009年にSyAAFをこの整備システムに移行させるための支援をしました。SyAAFは内戦でのこの新しい新しいシステムから多大な利益を得ているので、これは彼らにとって良いタイミングでした。

 約30機のMiG-23MLDがベラルーシから引き渡されたことに加えて、この取引はSyAAFが依然としてこれらの航空機に大きく依存していることを証明している。チャフ/フレア発射機を装備したオーバーホール済みのMiG-23MLD(元ベラルーシ機)の1機を下の画像で見ることができます。







 ナイラブ空軍基地で2機のL-39が撃墜された後に少なくとも1機のL-39がデリゾールに配備され、ISに対する反撃に参加しました。
 L-39は運用や整備が容易なのでシリア各地へ簡単に展開可能です。下の画像のL-39はつい先日(注:2015年)に「工廠」でオーバーホールを受け、新しい塗装も施されました。






 いくつかのL-39も、本来はL-39で運用されていない兵装である、(最近引き渡された)B-8 80mmロケット弾ポッドを装備できるように改修されました。B-8を装備したL-39ZOはハマー空軍基地に配備されました(下の画像)。





 L-39はシリア内戦の初期段階で多くの行動を見せていたが、その拠点の一つであるKshesh基地が、同所で稼働状態にある少なくとも4機のL-39を入手しようと試みたイスラーム軍によって制圧されました。この計画(注:空軍機を捕獲する試み)はISが空軍基地を奪取した後も継続されていたと思われます。

アサド政権はこの報道を自己の利益のために巧妙に使用し、シリア陸軍が地上で2機を破壊したと次のように主張し続けました[3]

"テロリストがアレッポにあるアル・ジラー軍用空港で3機のジェット機を操縦している件に関して、(同所には)テロリストがテストしていた3機の古い飛行機があったが、
シリア陸軍は直ちに滑走路上に駐機していた2機を破壊した。"

 シリア陸軍はKshesh近くのどこにも存在しないので、ISの航空機に対するいかなる作戦もSyAAFによって実施されたはずだです。しかし、Ksheshには約60の飛行機の残骸が散らばっており、SyAAFがこれまでに殆ど耐爆格納庫に隠されていた航空機を発見したり破壊した可能性は極めて低いと思われます。
 反政府軍が保有する2機の運用可能なL-39についての存在は2013年11月に既に知られていましたが、それらはSyAAFに完全に無視されました。それから約1年後、ISが2機のL-39を再び稼動させることに取り組んでいたと伝えられた時点で、これらが急にSyAAFの優先目標となりました。それでもなお、それは彼らの素晴らしいPR活動といえます(注:皮肉)。

 問題の2機のL-39については、ISに捕獲された直後の姿を下で見ることができます。











 シリアの最も象徴的な迎撃機であるMiG-25は、ここ数年で全く行動が見られませんでした。引き渡されたMiG-25の正確な数は不明のままであるが、約40機と思われます。その中の派生型には、MiG-25P(後にMiG-25PDSに改修された)とMiG-25PD迎撃機、MiG-25R/RB偵察機、MiG-25PU練習機が含まれると考えられています。
 強大なMiG-25飛行隊の多くは2011年までに段階的に廃止されましたが、2013年11月にT4基地にて退役した28機のMiG-25が見られました。その一部は砂漠に放置されており、その殆どが二度と飛行することはないと示唆しています。MiG-25が大量に退役した理由はイスラエルのジャミングに対する脆弱性にあるかもしれません。

 それにもかかわらず、2012年8月8日に反政府勢力によって公開されたビデオは、一部のMiG-25がタドムル(パルミラ)で未だに運用されている可能性があることを裏付けました。

 MiG-25が再び登場したのは2014年3月と4月の間で、MiG-25PD(S)がハマー県のAqaribat村で2発のR-40TD赤外線誘導型空対空ミサイルを発射しました。1発目のR-40は地面に着弾した後に起爆しませんでしたが、2発目のR-40は1発目の着弾地点から約5キロメートル離れた空中で爆発しました。その1週間後に他のMiG-25が4発のR-40を発射し、それに続いて4発が同時期に発射されました。
 R-40空対空ミサイルを地上の目標に発射する試みは既に2013年の時点で伝えられていましたが、発射される度に同じ結果:失敗が得られました。
 SyAAFは空対空ミサイルで何の達成を期待していたのかは、いつまでも疑問に残り続けるでしょう。







 一方、SyAAFは最近になってMiG-25RB用のマルチ・エジェクター・ラック(MER)を導入したか、既に所有していた可能性が高まっています。そのようなラックが装備された場合、(正確性に難があったとしても)MiG-25RBは爆撃任務用に最大8発のFAB-500Tを携行することが可能です。しかし、十分な数のMiG-25RBを保有しているのであれば、現在、精度が重視されているようには見えない対地攻撃任務に使用されているSu-24M2を精密爆撃のような任務に転換させることができます。

 とある地上での目撃証言は、シリア内戦における新しい航空機の使用を既に報告しています。ここではSu-25と呼ばれていますが、実際にはここでMiG-25を目撃した可能性が極めて高いと思われます(SyAAFはSu-25を保有していないため。また、時期的にロシア軍の介入前である)[4] :

"過去2日間、政府軍は非常に高い高度から攻撃する新しいSu-25らしきものを使用して数回の空襲を実施した。"

...

"
彼らはより長い時間を飛行し、高度5kmから攻撃するので、それらを空中標的とすることは殆ど不可能だ。"

...

"彼は、カーン・アル・シーの町を囲む検問所でシリア陸軍の兵士達が通過する女性達に"新しい飛行機はお好き?"と満足げに尋ねたことを付け加えた。"

 要するに、いくつかのMiG-25PD(S)迎撃機、MiG-25RB偵察爆撃機、MiG-25PU練習機は、依然としてSyAAFで使用されている可能性が高いということです。内戦前に撮影された、2発のR-40を装備したMiG-25PD(S)の写真を下の画像で見ることができます。





 固定翼機部隊とは対照的に、ヘリコプター部隊は異なる飛行隊や機体をローテーションするために彼らと同じ贅沢な立場を享受することができません(注:絶えず忙しいということ)。
 残存しているMi-8とMi-17は包囲されたシリア陸軍守備隊に食料、武器の補給することから2012年8月に開始された町への樽爆弾の投下に至るまでの全ての任務をこなしています。

 Mi-8とMi-17はもともと厳しい状況での運用を想定して設計されたものですが、過酷な消耗戦は残存するヘリコプターがさらに頑張って働かなければならないことを意味しています。下の画像はそれらの機体が多用途の任務に時間を取られて再塗装するための時間が殆ど無いことを明らかにしています。







 Mi-25部隊は大部分が無傷で残存しており、シリア各地で散発的に使用される姿が見られています。戦略的な空軍基地であるタブカの支配権を維持するべく2機のMi-25が同基地に派遣されました。Mi-25はIS戦闘員の陣地や輸送車両を攻撃することに大成功を収めましたが、タブカは完全に包囲された時点で既に失われました(注:事実上制圧されたことを意味する)。
 約20機のMi-25は依然として第767飛行隊と(一般的にマルージ・ルハイーリとして知られている)ブレイ空軍基地に拠点を置くもう一つの名称不明の飛行隊で運用可能な状態にあると考えられています。また、いくつかのMi-25は恒久的に他の基地に分遣されています。







 Mi-14とKa-28はこの紛争で全く役立っていません。双方とも潜水艦の探知と攻撃や捜索救助任務を行うように設計されていたため、内戦での使用はこれまで制限されていたからです。

 ただし、Mi-14は何度かシリア上空でSADAF-2機雷を投下したことがあります。おそらく、機雷が着弾時に爆発するかどうかをテストする目的で行われたと思われます。[5] 当然のことながら、この試みはR-40の失敗と同じ結果をもたらしました。
 最近、いくつかのMi-14は爆撃任務から徐々に離れていくMi-8/17部隊を部分的に補完する目的で、村を爆撃するMi-8/17の列に加わったようです。[6]

 Mi-14は戦死したSyAAFパイロットを埋葬するために棺を輸送することにも使用されました。SyAAFのヘリコプターは戦死したSyAAFパイロットの追悼記念として彼らの家族が住む家の上空でのフライパスに定期的に参加していますが、これはSyAAFの基準からしても珍しいことだったようです。
 6機のMi-14と4機のKa-28(このうち2機は最近、ウクライナでオーバーホールを受けている)は、フメイミム/バッシャール・アル・アサド国際空港に拠点を置く第618飛行隊で運用されていると考えられています。





 タブカの防衛戦では、これまで限られた量の偵察任務でしか使用されていなかったSA-342「ガゼル」の戦闘デビューも見られました。空軍基地を取り囲む開けた砂漠はこれらのヘリコプターに取って最適な戦闘環境であることを証明しました。HOTミサイルで武装したガゼルはISの車両に対して猛威を振るいました。
 およそ10機のSA-342はメッゼ空軍基地に拠点を置く第976飛行隊で運用されていると考えられており、いくつかのヘリコプターは他の基地に恒久的に分遣されています。
 数機のSA-342が近くの砂漠でIS戦闘員と戦うスクーア・アル・サハラ(砂漠の鷹:政権側の精強な民兵組織)を支援するためにT4基地から運用されている可能性が高いです。


シリアにある空軍基地の概要は下のとおりです(地図製作:Luftwaffe A.S.)。





 ほとんどの空軍基地には現時点で少なくとも1機か2機のMi-8/17が派遣されているため、ヘリコプター飛行隊の現在の構成を解明することは非常に困難となります。
 現在、SyAAFの飛行隊のほぼすべてが各自の機体を他の基地に分遣していますが、それにもかかわらず、SyAAFの戦闘序列(ORBAT)は以下のとおりとなっています(飛行機名をクリックするとシリアで運用されている機体の画像が開きます。空軍基地名をクリックすると当該基地を示すウィキマピアが開きます)。

航空基地及び滑走路の長さ
飛行隊
航空機の種類など(注:HAS=耐爆格納庫)
9.280 フィート
第767 飛行隊
第? 飛行隊
24x HAS, 26x ヘリコプター用舗装駐機場
11.800 フィート
第522 飛行隊
第565 飛行隊
第575 飛行隊
第585 飛行隊
- Il-76 及び An-26
Yak-40
16x HAS 
11.000 フィート
第8 飛行隊


MiG-21MFMiG-21bis 及び MiG-21UM
4x HAS 
数機のMi-8/17 及び 12機の運用不能状態にある MiG-21を観察可。 L-39や時にはMiG-23BNもここを拠点にしている
10.335 フィート
第54 飛行隊
第? 飛行隊
第? 飛行隊


MiG-23MLMiG-23MLD 及び MiG-23UB
MiG-23MLMiG-23MLD 及び MiG-23UB
42x HAS, 10x格納庫。 数機のMiG-25を格納。
9.232 フィート
679 飛行隊
飛行隊
飛行隊
MiG-21MFMiG-21bis 及び MiG-21UM
MiG-23MF 及び MiG-23UB
Mi-8/17
16x HAS. 数機のL-39が存在。 陸軍のBM-30もここを拠点にしている。
9,177 フィート618 飛行隊
Mi-14PSMi-14PL 及び Ka-28
9.925 フィート
945 飛行隊
956 飛行隊
MiG-21MFMiG-21bis 及び MiG-21UM
MiG-21MFMiG-21bis 及び MiG-21UM
30x HAS.
8.305 フィートBasic Flying School
Advanced Flying School
飛行隊
L-39ZO 及び L-39ZA
11x HAS.
8,258 フィート
909 飛行隊
976 飛行隊
? 飛行隊
Tu-143Mojaher 4Yasir 及び Shahed 129  
19x HAS. Mi-25が存在。
9.847 フィート

695 飛行隊
698 飛行隊
- MiG-23BN 及び MiG-23UB
- MiG-23BN 及び MiG-23UB
16x HAS
9.547 フィート
'工廠' メンテナンス・センター
- 数機の L-39s, Mi-8/17が残存する4機の MiG-23MLDと共に存在。
11.800 フィート-ハサカ県で戦う陸軍 及び NDF(民兵)への補給基地として使用。
9.820 フィート697 飛行隊
MiG-29SM 及び MiG-29UB
36x HAS, 10x 小型シェルター. 多数の遺棄されたMiG-21, MiG-23 及び Su-22が存在。
9.843 フィート
675 飛行隊
677 飛行隊
685 飛行隊
MiG-23MLMiG-23MLD 及び MiG-23UB
38x HAS. 数機の MiG-21s, Su-22M 及び MiG-25を格納。
10.410 フィート
飛行隊
飛行隊
819 飛行隊
827 飛行隊

MiG-25PD(S)MiG-25RB 及び MiG-25PU  
MiG-25PD(S)MiG-25RB 及び MiG-25PU 
58x HAS, 2x 大形ハンガー.殆どの MiG-25は退役。 数機の MiG-29が存在。
10,000 フィート
-放棄された基地。16x HAS. 4x シェルター 及び様々な舗装駐機場。 自由シリア軍によって捕獲された後にヒズボラが奪回。2009年から活動を停止。 遺棄された MiG-21 及び 農薬散布機が存在。
650 フィート
-
リーフ・ディマシュク地方への攻勢を踏まえて放棄。
かつてはMi-8/17を運用する第532 飛行隊が使用。遺棄された3機の Mi-8が存在。
9,868 フィート
-
放棄された基地。 16x HAS.。2004年にはヘリコプターが存在。















































































 数多く報道されてきた、新品のロシア製航空機の引き渡しは近い将来に起こりそうにもありません。2014年5月には、いくらかのメディアがロシアが2014年後半にシリアへYak-130の最初のバッチを送る準備が完了したとの報道[7] をしましたが、これは単にロシアの武器輸出公社ロスオボロンエクスポルトに近い情報源によってなされた発言の誤訳にすぎませんでした。

情報源が実際に発言した内容:

''Правда, по оценке источника "Ъ", близкого к ФСВТС, сверстанный план является "очень оптимистичным". "Он делался исходя из технологических возможностей производителя самолетов — Иркутского авиастроительного завода — и никаких политических аспектов не учитывает,— говорит собеседник "Ъ".— Сложно предсказать, каким образом будут развиваться события, но планировать свою работу мы все равно должны".''

[新聞の情報によると:]
"計画は非常に楽観的である - それはイルクート(イルクーツク)航空機工場の技術的力だけを考慮しており、政治的側面を考慮していない。
何が起こるかを予測するのは難しいが、とにかく計画を立てるべきだ。"

 確かにイルクート(イルクーツク)航空機工場はシリア向けにYak-130を生産するか可能性はありますが、ロシア政府がそれをシリアに引き渡す保証はありません。MiG-29M2の場合も全く同じ話で、そのうちの数機は既に生産されています(ただし、引き渡されていないままです)。

 この状況はSyAAFが現在保有している戦力で戦い続けなければならないことを意味していますが、(彼らに)大きな問題を克服する能力があると仮定すると、それは大した問題にならないはずです。
 しかし、シリアの反政府勢力がISとバッシャール・アル・アサド体制の間に押しつぶされるにつれて革命を成し遂げることに成功するというかつての強い希望はこれまでよりも更に遠ざかり、世界はISと戦うために(シリアへの)航空機とヘリコプターの引き渡しを黙認するかもしれません。






シリアへの改良及び修理された機体の継続的な流れはアサド体制を支援するためのロシアの決意の規模を示し、内戦が近いうちに終わる可能性がないことを再び明確にしています。

特別協力:ACIG と Luftwaffe A.S.

 ※ この翻訳元の記事は、2015年1月15日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来とは意味や言い回しがやや異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。 

2017年6月16日金曜日

プローブ アンド ドローグ:失敗したリビアの空中給油システム導入計画







著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

リビアの空中給油システム導入計画は80年代後半にスタートして以来(関連する動きが)ほとんど伝えられていませんが、最終的に計画の放棄に至らせた数多くの挫折に悩まされていたようです。
それにもかかわらず、この野心的な計画は確実にその痕跡をリビア空軍に残しており、かつてこの計画で重要な役割を果たしていた機体は、現在の国内における治安状況がますます悪化している状況の中でも依然として飛行を続けています。

旧LAAF(リビア・アラブ空軍)は、5年以上前(注:2021年現在)から2つの空軍に分離して、それぞれがさまざまな種類の戦闘機やヘリコプターを運用しています。
統一政府がリビアの新政府として役割を果たすことになっていますが、国内の分裂はいくらかの勢力によって実質的に継続しています。ファイズ・サラージ(注:2021年現在はモハンマド・アル・メンフィ大統領)が率いる、トルコとカタールが支援している国際的に承認された国民合意政府(GNA)と、エジプト、ヨルダン、ロシア、アラブ首長国連邦から多大な支援を受けているハリーファ・ハフタル率いるリビア国民軍(LNA)リビアでは最強の勢力です。


両者は主に「イスラム国」などのイスラム過激派との戦いに目を向けていますが、双方の間での攻撃や空爆は増加し続けています。
これはムアンマル・カダフィ体制の崩壊後の混乱がもたらた不幸な結果です。これを引き起こした主な原因としては、リビアの各勢力の権力欲、リビアを不安定にしようとする国による外部からの影響...そして、カダフィ大佐の失脚には大きな役割を果たしたものの、リビアが機能する民主主義国家として発展を手助けするために不十分な支援しかしてこなかった国際的パートナーの役割不足が挙げられます。

限られた数の運用可能な機体を2つの空軍で分け合っているため、GNAとLNAの両方は比較的少ない労力で運用可能にできる機体や共食い整備に使用できる機体を分裂した国内で探し回りました。
以前に最後を迎える安息の地を見つけたと思われた航空機は、今では運用可能な状態に修復されて再利用されている場合が多く見受けられます。
リビアの大部分の空軍基地での機密装備の撮影に関する規則が緩いたためか、これらの機体の画像が定期的に流出しています。この特異な状況は、これまで多くの人に知られていなかったリビアの失敗した空中給油システムの導入計画を再検討するための理想的な映像をもたらしています。




リビアの広大な面積が、頻繁な着陸や目標に近い空軍基地に前進配備することなく、作戦機を長距離飛行させて目標に到達させることを可能にする空中給油機を貴重な資産にしました。カダフィ時代には、チャドやウガンダに展開しているリビア軍を支援するためか単なる報復として、リビア機がチャド、スーダン、さらにはタンザニアの目標を頻繁に攻撃していたため、その価値は特に真実性を帯びていたのです。

チャドにおけるリビアの暗闘は、チャド軍のみならず同国内の代理勢力やリビアと戦うイッセン・ハブレを支援するために展開したフランス軍と対峙したリビア空軍にとって決定的な時期とみることができます。
リビアの空軍基地はその大多数が北部に位置していたため、LAAFはリビア南部の人里離れた場所やチャド北部にさえも作戦機を前進配置させていました。
しかし、後にこの両方の場所がフランス空軍による空爆とチャド軍による地上からの襲撃に対して極端に脆弱だということが判明し、後者はチャド内のワディ・ドゥーン空軍基地を攻略したうえにリビア南部にあるメーテン・アル・スッラ基地を奇襲してリビア側に深刻な損失を与えました。

チャドで得た経験と世界的な流れへの関心が、リビアが空中給油機の導入を決定する決め手となった可能性があります(注:他国が空中給油機を使用し始めたことを見て、リビアも導入するという着想を得た可能性があるということ)。
1980年代半ばにはソ連のIL-78がすでに生産されていましたが、リビアはそれを導入する代わりに(イラクと同様に)空中給油計画の立ち上げに関する支援を受けるために欧米へ目を向けました。
この決定の理由は不明のままですが、単に当時のリビアにはIL-78の購入が(ソ連から)認められていなかったか、改修なしにこのソ連製空中給油機から給油を受けることができる航空機を運用していなかった可能性があります。



















1987年、リビアは自身の空中給油システムの導入計画を立ち上げるために、西ドイツ「インテック・テクニカル・トレード・ウント・ロジスティック(ITTL)」社と契約しました。[1] 
リビアは西側諸国の前に立ちはだかる宿敵であるにもかかわらず、軍事関連を含めたあらゆる種類の取引では西側の企業と契約することを問題にしませんでした。関連機器を送り出す西側の企業も、リビアの石油資源から利益を得ることに意欲的であったため、リビアのために働くことに問題はありませんでした。
興味深いことに、ITTLは独自の空中給油(IFR)用プローブの設計に引加えてフランスからIFR(空中給油)プローブを入手することを始め、後にそれらは少なくとも3機のMiG-23BNと1機のMiG-23UBに搭載されました。

MiG-23MSでの過酷な経験があったうえにMiG-23BNでまた同様の問題に直面しているにもかかわらず、MiG-23BNは頑丈さと兵装のペイロードのおかげでリビアでは貴重な戦力となりました。(注:MiG-23MSは質や能力が低くい上に飛行が難しかったため、結果として多くの機体やパイロットが失われました。LAAFにとってはこの事態はまさに悪夢そのものだったのです)。そのため、戦闘行動半径を拡大するためにIFR用のプローブを特別にMiG-23BN飛行隊に装備させるという決定がなされたことは当然のことでした。
MiG-23BNにIFR用プローブを追加することに加えて、LAAFはフランスから導入した16機のミラージュF.1AD(の残存機)も頼りにすることができました。このミラージュは間違いなくリビアが保有する戦闘機のなかで最も高性能な機体であり、既に空中給油能力が付与されていたのです。

同時に2機の航空機へ給油することを可能にするため、ITTLはLAAFが保有する1機のC-130の両翼の下に空中給油ポッドを搭載することによって、同機を空中給油機に改修する作業を進めたようです。
残念なことに、空中給油の際にMiG-23がC-130の比較的遅い飛行速度に適応することができなかったため、C-130がこの任務に不向きであることが判明しました。
ミラージュF.1ADはC-130からの空中給油が可能でしたが、この時点で、リビアはすでにより適した空中給油プラットフォームを自国で運用していることに気づきました...IL-76です。

そのため、(事実上LAAFの一部である)リビア・アラブ・エア・カーゴ(LIBAC)のIl-76TD「5A-DNP」はITTLの技術者によって空中給油機に改造されました。
彼らの尽力にもかかわらず、西側でこの件が公に知られた際に、ITTLはリビアでの作業の打ち切りを余儀なくされました。
彼らの撤退はこの野心的な計画の終わりを最終的に告げた一方で、リビアは自身でこの計画を数年間は継続させたようです。結局は1990年代半ばにこれに関する全ての取り組みが終了したと考えられています。
興味深いことに、この計画の様子はフィルムに記録されており、オンラインで視聴することができます


ITTLがリビアの空中給油システム導入計画の作業を開始したのと同時期に、リビアはTu-22飛行隊を最大で36機のSu-24MKとそれを支援する6機のIL-78空中給油機へ更新するためにソ連と交渉に入りました。
このSu-24とIL-78の組み合わせはLAAFの長距離打撃能力としての機能を果たし、これまでこの任務で使用していたTu-22爆撃機を置き換えるものでした。
Tu-22はアル・ジュフラにある基地から長距離を飛行することができましたが、80年代後半には運用寿命が終わりに近づいたために、これらを更新する必要があったのです。

Su-24MKは、Tu-22に欠けていた精密打撃を可能にする多様な空対地ミサイルと誘導爆弾を装備することができました。
実際、リビアのTu-22がタンザニアの標的に対する爆撃ソーティを実施した際、乗員は標的を外しただけでなくそれがある国自体も外し、爆弾が国境を越えてブルンジに着弾したということがあったのです!(注:それくらい精密打撃能力などが欠如していたということ)[2]

リビアにとって不幸だったのは、支払いに関する意見の不一致と1992年から発動された国連の武器禁輸措置がLAAFに希望する量の航空機を受け取ることを妨げ、最終的には6機のSu-24MKと1機のIL-78だけがリビアにたどり着いたことです。(注:Su-24MKの代金について、ソ連はリビアに事前に50%の支払いを求めていましたが、リビアはそれを拒否したために取引は合意に達しなかったのです

1989年か1990年の運用開始以来、この唯一のIL-78が空中給油の任務に使用されたのかは不明のままですが、生涯のほとんどを貨物機として過ごしてきたにもかかわらず、依然として3基のUPAZ空中給油ポッドが装備されていることは確実です。
民間のジャマーヒリーヤ・エア・トランスポート(リビアン・エア・カーゴ)のロゴを付けたこのIL-78は2004年と2005年にかけてロシアのスタラヤ・ルーサの123ARZ修理工場で修理された後、2005年4月初めにモスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(IAP)に着陸する姿が初めて目撃されました。




その生涯を通してほんの僅かしか目撃されていないこの飛行機は、リビア革命の終結後にはさらに見つけることが困難となってしまいました。
アル・ジュフラ基地に駐機されたままだったリビア唯一のIl-78について、2015年後半にミスラタ空軍基地に再び姿を現した際にこの不運な機体がミスラタを拠点とする空軍に再就役したことが確認される前には、既に現役を退いたものと考えられていました。

IL-78はその存在理由である高度な能力を出さないまま、貨物機としてその残された短い生涯を送り続けています。
新しい運用者に従って、英語とアラビア語で描かれたカダフィ時代のジャマーヒリーヤの文字が塗りつぶされ、新しいリビアの国旗がジャマーヒリーヤ・グリーン(カダフィ時代のリビアを象徴する緑色)の上に描かれました。
機種の窓には酷使された跡がありますが、正面の風防は交換されているようです(注:機首側面や下部の航法士席窓が劣化や損傷により透明度を失っています)。




リビア内戦で見える絶え間ない戦闘が続くにつれて、リビアとその資源を支配するべく争っている各勢力の武装を強化するために(今は使用されていない)軍事装備が運用可能な状態に戻されています。 
多国間にわたる作戦飛行を行う能力があるプロフェッショナルな空軍を支援することに特化した空中給油機部隊の夢は遠い昔に記憶から消えてしまっていますが、リビアの空にはまだこの機体のエンジンの残響がこだまし続いています。
この計画で重要な役割を果たした機体は、戦争の弱まることのない要求によって徐々に消耗されていくでしょう。





















[1] Libya’s Peculiar, Aerial-Refueling MiG-23s https://warisboring.com/libyas-peculiar-aerial-refueling-mig-23s/
[2] African MiGs Volume 2: Madagascar to Zimbabwe http://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM2/index.html


特別協力:トム・クーパー from ACIG (注:翻訳記事では協力を受けていません)
リビア空軍の詳細については、Helion & Company社の素晴らしいLibyan Air Warsシリーズをぜひご覧ください。

 ※ この翻訳元の記事は、2017年6月3日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。