2021年4月28日水曜日

珍しい晴れ舞台:カタールが「AK-12」アサルトライフルを披露した

著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 自国の防衛力や近年に入手した軍事装備を誇示することについて、湾岸諸国のほとんどは一般的には控えめです。UAEとサウジアラビアが北朝鮮や中国から弾道ミサイルを入手したことが高度な機密で取り囲まれているのは十分に予想されましたが、湾岸地域ではこの機密レベルが大砲や小火器といった通常兵器にも頻繁に適用されています。

 カタールの場合、その状況は少し異なります。 毎年恒例の独立記念日に実施される軍事パレードではほとんどの武器が公開されていますが、演習やほかの行事などでは驚くほど僅かな装備しか公開されていないからです。

 同様に、カタールがロシアの「AK-12」アサルトライフルを入手したこともほとんど報じられていないままであり、今までのところは軍事パレード以外でその存在を示す画像などは存在しないようです。

 その見つけにくさは別として、「AK-12」の導入はこれまでにほぼ西側諸国から供給された武器だけに依存してきた湾岸諸国に届くロシア製の武器の流れが増加している証しとなります。カタールは2017年に連続生産に入ったばかりの新型アサルトライフルについて最初に確認された輸出先です。

 カタールがロシア製の兵器に関心を持っていることが初めて明らかになったのは、お互いの代表がドーハとモスクワで会談した際にロシアとの軍事技術協力に関する一連の協定に署名した2016年と2017年のことです。[1] [2] [3]

 これらの協定が厳密に何を含んでいたのかは(当時は)まだ不明でしたが、カタールでロシアの武器が初めて視認されたのはそれからすでに1年後の2018年12月のことです。それは、同年の独立記念日のパレードで数百もの「AK-12」がドーハ・コーニッシュ(海沿いの遊歩道)を行進するカタールの兵士たちの手にある光景を目撃された時でした。

 その数ヶ月前の2018年7月に、ロシア特使はカタールとロシアが小火器と対戦車ミサイル(ATGM)の取引を契約したという報道を追認しており、その取引には大量の「AK-12」や「9M133 "コルネット"」ATGM、そして「9K338 "イグラ-S"(SA-16)」携帯式地対空ミサイルシステム(MANPADS)さえも含まれていました。[4]

 ドーハが関心を示したもう1つのロシアの兵器は「S-400」地対空ミサイル(SAM)ですが、実際にカタールが入手する可能性は(トルコのように)米国による制裁を受ける恐れがあるために極めて低いと思われます。[4]


新たな友好関係の構築

 カタールは伝統的にフランスや(その後には)アメリカから武器や装備を購入する顧客でしたが、2017年から2021年まで続いた外交危機でその調達先の多様化に取り組み、今ではロシアも彼らへの武器供給源に含まれています。

 これはシリア内戦の間にドーハとモスクワの関係を著しく緊張させていた2010年代初頭からの顕著な変化でした。この点では、カタールがロシアとの関係を強化していることが武器の入手という事実で明白に見受けられます。

 現在、カタールとロシアはシリア紛争の政治的解決を実現するための共同した試みで連携して取り組んでいますが、これは外交的に競争の激しいこの地球の片隅で国際関係がいかに迅速に変化するかを示しています。


慣れ親しんだ姿と斬新な特徴

 5.45×39mm口径の「AK-12」は、(旧イズマッシュ社として知られている)「カラシニコフ・コンツェルン」が設計・製造した極めて人気の高いアサルトライフルシリーズの最新モデルです。

 この新型アサルトライフルは「AK-47」の登場から約70年後に生産を開始されており、初代AKの設計思想と形状はこの新型でも容易に尊重されていることがわかります。それにもかかわらず、(置き換えられる対象の)AK-74Mと比較するとAK-12はほぼ全ての面で改良されています。中でも注目すべきものとして、AK-12は命中精度を向上させるフリーフローティングバレル(注:銃身とハンドガードが接触していないので銃身に負荷がかからない)、ピカティニー・レールを備えたモジュラーデザインや過去のAKシリーズに比べて改善された人間工学を踏まえたデザインを備えていることが挙げられます。

 多くの欠陥に悩まされていた「AK-12」の試作型を未だに知っている人もいるかもしれませんが、それは(最終的に現行のAK-12となった)よりベーシックな設計の「AK-400」が選ばれたことで放棄されました。ビデオゲームで試作型がほぼ独占的に登場したこともあり、銃器に詳しくない多くのオブザーバーにとって「AK-12」という呼称は未だにこの初期モデルを指していますし、これからもそのままでしょう。

 カタールに加えてアルメニアも「AK-12」の潜在的な顧客と推測されており、国内に生産ラインを設置する可能性すらあると見込まれています。[5]

 その一方で、現時点でアルメニアはライセンス生産された「AK-103」を軍に装備させている過程にあるため、「AK-12」の大規模な導入と国内生産は実現しそうにないようです。


 実際にカタールが購入した数は不明ですが、「AK-12」がカタール軍全体で制式化されないことはほぼ確実です。これは2018年にイタリアと「ARX160」と「ARX200」アサルトライフルを国内で生産することの協定を結んだことと同様に、カタールが主要な制式化された小銃を持たずに各部隊がFN製「FNC」、「M4」や「M16」を使用しているという事実に関係があります。[6]

 「ARX160」は湾岸地域で大きな成功を収めており、隣国のバーレーンでは主力の小銃として採用されています。

 「ARX-160」や「AK-12」に加えて、さらに数種類の現代的なアサルトライフルも(特殊部隊を中心に)カタール軍に配備されてることを見落としてはならないでしょう。


 パレードの映像だけを見ると、「AK-12」の大部分がカタール特殊作戦コマンド(Q-SOC)に配備されたように見えますが、おそらくカタール王室警護隊にも同様に配備されているかもしれません。このアサルトライフルは特殊部隊のみに限定して使用される可能性があり、その場合は水中や砂や埃の多い環境での頑強性と信頼性が特に重視されるはずです。

   
 ロシアから「AK-12」を購入したことは注目に値しますが、それは必ずしもカタールが持つ(武器の顧客としての)忠誠心の大規模な変化の始まりを意味するものではありません(注:武器供給国を西側からロシアに移行を意味しないということ)。

 それどころか、カタールは今後も武器調達の多様化を継続していくと思われます。これは他の供給国からのさらなる武器購入がある可能性を意味しており、その結果としてNATO諸国製の武器とロシアや中国から購入した武器が一緒に運用されることになる可能性があります。

 カタールは(特にバルザン・ホールディングスを通じて)自国の防衛産業の拡大を目指しており、「ARX160」や「ARX200」と同様に、こうした兵器の少なくとも一部は国内で製造されるか(部品を輸入して)組み立てられることになるはずです。

 この国にとって、このような武器調達に関する方策は自国の軍事力を高めるだけでなく、国家の独立性を高める手段としても魅力的なものになるでしょう – そして、「AK-12」が多様化した武器調達の最後の一例にはならないことも確実です。


[1] Qatar, Russia sign military cooperation deal https://www.aa.com.tr/en/middle-east/qatar-russia-sign-military-cooperation-deal/642129
[2] Qatar looking for defence cooperation with Russia https://www.qatar-tribune.com/news-details/id/82421
[3] Qatar, Russia sign agreements on air defense, supplies https://www.reuters.com/article/us-russia-qatar-military-idUSKBN1CV11E
[4] Russia and Qatar discuss S-400 missile systems deal TASS https://www.reuters.com/article/us-russia-qatar-arms-idUSKBN1KB0F0
[5] Armenia will be the first country to purchase AK-12 assault rifles https://arminfo.info/full_news.php?id=54485&lang=3
[6] Qatar to receive first locally produced ARX rifles in 2019 https://defence-blog.com/news/army/qatar-to-receive-first-locally-produced-arx-rifles-in-2019.html
 
※  当記事は、2021年4月13日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。
   当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があ
  ります。
  

2021年4月16日金曜日

アル・ワティーヤ:リビアの巨大な基地からトルコの空軍基地へ



著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 アル・ワティーヤ - 国際的に承認されたリビア政府(Government of National Accord:国民合意政府)とそれを打倒しようとするハリファ・ハフタル将軍率いるリビア国民軍(LNA)との戦いのシンボルとなるまでは、あまり知られていなかった空軍基地です。

 2020年5月18日にこの基地が占領されたことで、ひどく過小報告されているリビア内戦に何とか一時的にスポットライトが当てられましたが、UAEによって提供されたロシアのパーンツィリS1防空システム2基が破壊・捕獲されたこともあり、ワティーヤの占領がもたらす影響についてはその大部分が見過ごされてきました(注:パーンツィリの話題だけが注目を集め、ほかの話題が影に隠れてしまったということ)

 国民合意政府(GNA)にとって、この占領は単なる一地方での勝利ではありませんでした。なぜならば、ワティーヤは彼らの首都であるトリポリ周辺をねらう、LNA(の実働部隊)の主要な拠点となっていたからです。ワティーヤはトリポリへの攻勢の西側面を防御・支援する役割を担っていましたが、リビアの首都を占領するというハフタル将軍の見通しはこの重要な空軍基地の喪失で崩壊してしまいました。

 ワティーヤ占領の結果としてGNA軍が完全に身動きが自由となり、それに続いてトリポリ周辺における他の戦線での圧力が高まったことで、この地域におけるLNAとワグネル(PMC)は自己の拠点を維持できなくなってしまいました。そして、これがLNAらのリビア西部からの混乱した撤退をもたらし、トリポリを占領して自称リビア大統領に就任するというハフタル将軍の長年の夢が絶たれたのです。

 この新たな現実に直面したLNAの国外支援者(エジプト、UAE、ヨルダン、フランス、ロシア)はGNAによるLNA支配地域へのさらなる前進を阻止するために奔走し、これまで以上に多くの傭兵を展開させ、さらにはロシアのSu-24やMiG-29戦闘機を付随させたワグネルの派遣部隊さえも増強しました。

 ハフタル将軍をリビアの唯一の統治者として就任させることを追い求めて、その実現に躍起になっているUAEはリビアにおける戦略的目標を達成するためにどんなことでもしてきました。しかし、イエメンにおけるUAEのまとまりのない戦略を反映するように対リビア政策でもほとんど成果を上げていません。

 リビア内戦での勝利のために6年以上にわたって数十億ドルを投資してきたため、UAEはこの紛争に賭けたものが大きすぎるために(今になって)手を引くことはできないと考えているのかもしれませんが、それどころか実現しそうにない勝利を得るために倍賭けさえもする可能性を否定することができません。
 

 トルコにとってリビアでの無人機の非常に効果的な使用は、全く新しい外交政策である「バイラクタル外交」を形づくるために、彼らの増大する外交発言力を押し上げています。
低い経済的・人道的なコストで政治的・軍事的な影響の最大化を追求した、規模が小さい介入を基本とするバイラクタル外交は、現代の紛争の特徴に比類なく適した新しいタイプの戦いを本質的に構成します。
 
 それを担う無人機(TB2)は比較的安価なものですが、バイラクタル外交は実際には国家の運命を決めたと言えるほど効果的でした:バイラクタルTB2がなければ GNAはリビアで全滅していた可能性が十分にあり得たからです(この文章が意味すること:仮にバイラクタル外交がリビアやナゴルノ・カラバフのように国家の運命を左右したとしても、この外交で使われるTB2は安価で発展性がある無人機であり、決して驚異的な武器ではありません)。」

 現場では、トルコはトリポリのGNA部隊を再編して同市の郊外を効果的に防衛できるようにし、最終的にはLNAに戦いを仕掛けることを可能にしました。UAEができなかったことですが、トルコは単に武器や装備を提供するだけでなく現地部隊の訓練も開始しました。この方法はかなりの効果をもたらし、今では対戦車ミサイル(ATGM)や対物ライフルで武装し、支援射撃や無人機の支援を受けたGNA軍は、今や通り道を敢然とLNAのキルゾーンに変えることができるようになりました。

 長期的に見れば、ワティーヤ基地の占領はトルコに国際的に承認された政府への支援を即座に強化する絶好の機会を与えたことになります。この意味では、ワティーヤはGNAの存続を保証する役割を果たしています。この基地はGNAを迅速に増強したり、戦闘が再燃した際にトルコ軍の派遣部隊を展開するために使用することが可能だからです。

 実際、すでにワティーヤ基地でF-16配備の準備をしているという事実はトルコのGNAへの深い関与がすぐに弱まることはないことを示しています(2023年現在でその兆候はありませんが、どこかの空軍基地で現リビア政府軍のバイラクタル・アクンジュがすでに配備されているようです)。


 最近の一連の展開を紹介する前に、この空軍基地の歴史を熟考することは私たちに富んだ洞察力を与えてくれます。

 ワティーヤ基地はもとは1970年代にフランスの業者によって建設された基地であり、(1990年代にスペアパーツの不足から徐々に撤退するまでは)リビア空軍のミラージュの大部分がここで格納されていました。

 その後、ワティーヤ基地のレイアウトはリビア各地にいくつかの同様の空軍基地を建設する際に利用されました。その中でも注目すべきなのはトブルク近郊のブンバ空軍基地であり、その規模に勝るのは頑丈な80もの強化シェルター(HAS)を持ち、今でもアフリカ最大の空軍基地であるシルテ近郊の巨大なガルダビーヤ空軍基地だけです。

 ただし、HASの数はそれを入れる航空機がなければ全く意味がありません。冷戦時代にはワティーヤの大きさを正当化するものが十分にありましたが、政治的な孤立と怠慢がリビア空軍に非情な損害を与えました。2003年に武器の禁輸が解除されたにもかかわらず、カダフィ大佐は自身の空軍の再建しようと少しも尽力しませんでした。結果として、2011年のワティーヤには僅か6機程度の作戦機(3機のミラージュF1と少なくとも3機のSu-22)だけが存在する有様となってしまいました。

 1980年代から1990年代にかけてリビアが運用していた数百機の軍用機とは大違いですが、それでもワティーヤに配備されていた6機の作戦機は、皮肉なことに当時のリビア空軍の戦力の約3分の1を占めていたのです。


 2011年の革命の主要な出来事から比較的遠く離れた場所にあったにもかかわらず、ワティーヤ基地のミラージュはすぐに政権に抗議している群衆に対して行動を起こすように命じられました。しかし、2011年2月21日にこの任務を負ってワティーヤを離陸した2機のミラージュF1は、路上の民間人に兵装を投下することなく、すぐにマルタへ亡命しました。
亡命事件以降は空軍の忠誠心が疑われるようになったため、ワティーヤ基地は数週間後のNATOの介入までは本格的な役割を果たすことはありませんでした。

 NATOの標的リストの上位に位置していたため、ワティーヤ基地に残存していた作戦機は精密誘導弾によって迅速に無力化されました。同基地では、中に機体が入ったままのHAS4基と外に駐機していた1機のSu-22と2機のヘリコプターが標的となりました。また、いくつかの弾薬庫も命中弾を受けて深刻な爆発を引き起こし、直径40メートルもの大きさのクレーターを残しました。

 ワティーヤ基地を防御する任務を負っていたのはS-75(SA-2)サイト2基とS-125(SA-3)サイト3基から構成された5基のSAM(地対空ミサイル)陣地です。2011年の時点ではまだ3基が稼働していましたが、そのレーダーシステムがNATOによる精密爆撃を受けた後は、すぐに役に立たなくなってしまいました。

 その後の2011年6月には反政府軍によってSAM陣地の発射機が撤去されたため、ワティーヤ基地は空からの襲撃に対して無防備になってしまいました。
 

 2012年2月にはマルタへ逃れた2機のミラージュがようやくリビアに戻ってきましたが、ワティーヤ基地に割り当てられた航空機が存在しないまま、彼らはトリポリにあるミティガ空港(空軍基地)で運用が開始されました。

 しかし、ワティーヤ基地は芽生えたばかりの民主主義にとって、いくらかの重要性を持ち続けていました。それは、この基地が戦略的に重要な位置を占めているということだけではなく、基地内にある45基の頑丈な強化シェルターに保管されている多くのミラージュF1があったからです。これらの機体は依然として外国の援助を受けてオーバーホールされる可能性があるため、リビアが少ない費用でゆっくりと空軍を再建する余地が残されていました。


 もともとワティーヤ基地は「(2016年1月にGNAに政権を譲った)リビアの夜明け(以降、ドーンと記載)」の支配下にありましたが、2014年にリビアが2つに事実上分割された後の同年8月9日にリビア国民軍(LNA)によって即座に占領されました。

 すぐに、LNAはワティーヤ基地に残されていたいくつかの航空機を運用可能な状態に戻す修復作業に着手しましたが、そもそもこの基地に保管されている航空機のすべてがスペアパーツが不足していたために放棄されたものであったため、この作業は決して軽視できるものではありませんでした(注:簡単ではないということ)。

 LNAが(ドーンの中心地である)トリポリのすぐ近くで何機もの航空機を運用可能な状態に戻そうと試みていることは、このプロセスを妨げるためにあらゆる努力をしたドーンにとって目の上のこぶであったに違いありません。

 残念なことに、ドーンは航空機のシェルターを正確かつ効果的に狙い、その中で行われている作業を粉砕できるような武器を保有していませんでした。LNAに妨害されないように、ドーンはワティーヤ基地の情報を収集や(可能であれば)航空機の修復作業をしている場所を確認するため、基地の近くで偵察飛行を開始しました。2015年1月に1機のシーベル製カムコプターS-100 UAVが基地の近くに墜落しましたが、これらの飛行がドーンに何らかの有益な情報を提供したかどうかは不明です。[1]

 (おそらく先にような手段で得た情報に促されて)LNAによる航空機をオーバーホールして使用可能にするのを阻止するためのより実践的なやり方として、2015年初頭にドーンは即席の爆撃機に改造したMiG-25PU復座練習機を使用しました。

 オーバーホールされたばかりの機体にはパイロンが左右の主要にたった1個ずつしかありませんでした。そこにはFAB-500Tを1発ずつ、つまり計2発の500kg汎用爆弾を搭載していたことにより、機体の運用能力が制限されていました。しかし、爆撃の過程で直面したであろうより重要な問題は、この役割(注:対地攻撃機)のために設計されていない機体と爆弾の酷い命中精度から発生しました。そのため、MiG-25PUから投下された最大2発の爆弾のいずれかが(空軍基地は言うまでもなく)本来の標的としていた堅固な強化シェルターにも命中していたとするならば、それ自体がすでに奇跡でした。

 ところが、それ自体は実際に問題とはなりませんでした。というのも、MiG-25PUはすでに2015年5月の初作戦飛行でジンタン(空軍基地の近くに位置する都市)付近に墜落してしまったからです。

 それから約4年後の2019年4月には、GNAが唯一保有していたミラージュF1EDがワティーヤ近郊で同様の状況下で墜落しました。このパイロットはこの不幸な機体からなんとかして脱出し、(彼を狙った)LNA部隊による捜索を奇跡的にかわすことができました。彼は自分を匿ってくれる羊飼いと隠れ家を見つけ、救出のために派遣されたGNA部隊によって回収される前に、そこで数日間は潜伏していました。[2]


 LNAによるワティーヤの支配に挑戦するべく、短期間で頻繁ながらも非常に効果の薄い試みがなされた後、ドーン(とその後身のGNA)は周辺での散発的な衝突を除いて、LNAによる空軍基地の所有をめぐる争いをほぼ断念しました。

 それから約4年間、LNAはワティーヤで邪魔されずに活動することができました。そして、彼らはこの時間を有効に活用して、その間に3機のSu-22と2機のミラージュF1(1機はF1ED迎撃機型、もう1機はF1AD戦闘爆撃機型)を現役に復帰させました。この間、同基地ではこの地域でのLNAの攻勢を支援するためにMiGやヘリコプターが頻繁に配備され、同様の理由で貨物機も定期的に援軍や物資を輸送していました。


 しかし、2019年夏にトルコが国際的に承認された政府を支持して介入したときに、この状況のすべてが変化しました。

 GNAに小規模なバイラクタルTB2飛行隊を供給したことで、GNA軍は今やMAM-L(サーモバリック弾頭搭載型)やMAM-C(炸薬弾頭搭載型)誘導爆弾を使用して、ワティーヤ基地のあらゆる構造物をピンポイント攻撃できるようになりました。

 基地周辺に基本的な防空戦力さえ配備しなかったため、LNAとUAEがこの進展を予想していなかったというのはあまりにも控えめ言い方です(注:防空面でひどく怠慢していたといくこと)。

 ますます多くのUAEのパーンツィリ-S1がリビアに到着し始めた時でさえも、その大部分がトリポリの南東に配置されたため、結局のところは上空を飛ぶ無人機の脅威に対処することができませんでした。やっと配備されたこのハンターはすぐに狩られる側となり、最低でも6台がバイラクタルTB2によって破壊されました。

 これと言った防空システムの脅威がないため、TB2はワティーヤ上空でも何ら損害を受けることなく飛行することができました。2019年6月19日、誘導路に駐機中の(1機の)Su-22が狙われたときにLNAはこの新しい現実に気づきました。[3]

 以前にはドーンがワティーヤ基地における動きを少しでも妨害することに苦労していましたが、GNAは今や地上で動くあらゆるものを完全に気づかれずに発見して標的にすることができるようになりました。

 その結果、ワティーヤでの作戦の継続は事実上不可能となり、基地の動きは急停止してしまいました。1基のHASの近くであらゆる活動の兆候があれば、上空を飛んでいるTB2に警戒されてHASとその中でオーバーホール中の機体が狙われる可能性があったため、依然として空軍基地で立ち往生していたオーバーホール作業に終止符が打たれたようです。事実上、ワティーヤは2019年の夏からバイラクタルTB2によってロックダウンされていたのです。


 このような絶えず続く空からの脅威に直面しながらも、LNAもUAEもワグネル(ロシアのPMC)も防空システムで現地の守備隊の増強を試みようとはしませんでした。結局、この状況はLNAがやっと2台のパーンツィリ-S1をワティーヤに配備した2020年5月16日まで続きました。配備自体は賢明な判断でしたが、それはこの基地の攻略を試みるGNAの攻勢の真っただ中で行われたようです。
 
 この攻勢はバイラクタルTB2によって支援されており、同機はすぐにワティーヤ基地に入ってきた(レーダーの電源をオンにしている)パーンツィリを発見したに違いありません。

 もちろん、ワティーヤ基地への移動中に車列を護衛していた兵士がパーンツィリ-S1を撮影していたことも、作戦上の安全性に有益だったはずがなかったことが容易に想像できます。LNAが上空を飛ぶ無人機に気づかないままパーンツィリ-S1を2つのHASへ動かす様子を、TB2のオペレーターも仰天して見ていたに違いありません。

 この2基の防空システムのうちの1基はHASに入った直後に空爆の標的にされましたが、誘導爆弾はそれが入ったHAS自体ではなく、ドアが開いたその出入り口を狙ったようです。おそらく、これはTB2のオペレーターが誘導爆弾で(コンクリートで補強された)HASを貫通できるか確信が持てなかったためでしょう。

 直撃弾からの回避はこのパーンツィリ-S1の唯一の救いとなりましたが、後にGNAがこの高度な装備をほぼ無傷で捕獲する結果に終わったたので、LNAはこの生存の成果を得ることはできませんでした(注:この攻撃からの教訓や残存した装備を有効に使用できなかったということ)。

 別の同システムはMAM-Lが強化シェルターのドアに命中した翌日に無力化されました。この攻撃で、パーンツィリ-S1はどうやらシェルター内に閉じ込められたようです。その後、シェルターは再び命中弾を受け、壊滅的な大爆発によってその強化構造物の半分が吹き飛ばされました。

 その翌日の5月18日にワティーヤ基地はGNA側に陥落しました。GNAの戦闘員たちはすぐに空爆の標的となったシェルターに向かい、中に駐車されていた大部分が無傷である1台のパーンツィリ-S1を見つけました。

 この貴重なパーンツィリ-S1を敵による攻勢の最中に展開することはリスクを伴う動きでしたが、もしかするとLNAはドローン戦によって引き起こされた猛攻撃で自暴自棄になっていたのかもしれません。それが計算されていたものかどうかに関係なく、このリスクを取ったことが最後に報われなかったのは確実と言えます。

 いくらかのバイラクタルTB2が追尾している中、LNA部隊がワティーヤ基地から撤退する際に、一緒に損傷したパーンツィリ-S1を回収する意欲が湧かなかったことには完全に理解できます。

 それにもかかわらず、彼らが敵の手に落ちることを防ぐためにシステムを破壊しなかったことには弁解の余地がありません。この痛ましい損失は、自分たちが運用しているシステムの重要性や、無意識のうちに加わっている政治ゲームの裏側についてほとんど知らない部隊にこのような高度な兵器を渡すことの内在的なリスクを浮き彫りにしています。
 

 これを知って驚くかもしれませんが、UAE軍は厳しいオペレーション・セキュリティ(OPSEC)のルールをうまく厳守していたため、同国のパーンツィリ-S1のリビア駐留が以前はきちんと秘匿されていた機密でした。

 しかし、これはUAEがLNAの兵士にこのシステムの訓練を開始した時点で変化しました。なぜならば、彼らがパーンツィリ-S1で訓練中の自分自身を撮影してしまったからです。このインシデントはおそらくこの先に起こることを暗示したものであり、これらのシステムの乗員が残したさらなるデジタル的な痕跡は、(一度のみならず複数回も)GNAがパーンツィリ-S1の位置を突き止めて攻撃した結果をもたらしたのかもしれません。

 これに加えて、そもそもパーンツィリ-S1がLNAに引き継がれたという事実は、バイラクタルTB2がこの戦域に登場したことによって生じた直接的な結果だと考えられています。UAEは自国の兵士の命を危険にさらしたくなかったし、今ではパーンツィリ-S1の欠陥に十二分に気づいていたので、自らの代わりとしてLNAにこのシステムに関する運用の責任を押しつけたというわけです。

 下の画像では、LNAの兵士が真新しいパーンツィリ-S1の前で誇らしげにポースをとっています。
 

 ワティーヤ基地を占領した後、無傷のパーンツィリ-S1(運用マニュアル付き)はすぐに持ち去られてトリポリの街をパレードしました。(基地の占領が)リビア内戦の転換点を象徴するようになったこともあり、その首都への到着は盛大に祝福されました。

 当初、この捕獲されたパーンツィリ-S1は程なくして内部構造を分析するためにトルコへ移送されたと信じられていました(この分析から得られたデータは将来の紛争でこのシステムに対抗するために活用されるはずです)。しかし、2021年2月には、このシステムの所有権を巡るアメリカとの一週間にわたる国際的な争いの後で、パーンツィリがトルコに引き渡されたというニュース出てきました。[4]

 ほとんどの人に知られていないことですが、前述のとおりGNAは実際に戦場に遺棄された数台のパーンツィリ-S1を回収しました。それらのいくつかはMAM-L誘導爆弾が命中して大きな被害を受けましたが、管制キャビンやレーダーの損傷が比較的軽微なもので済んだものもありました。

 いずれにせよ、現時点でパーンツィリ-S1は欧米の情報機関や軍にその情報が完全に漏洩しています。皮肉なことに、これはUAEが奮闘したおかげでもたらされました。UAEがシステムを気前よく配備や供与したりすることで、かつては恐れられていたこの装備を(運用マニュアルとともに)入手する機会をアメリカやNATOに与えてしまったからです。


 ほかの装備に関する損失はよりうまく軽減され、すべての作戦機はワティーヤ基地が陥落するかなり前の時点ですでに飛び立っていました。しかし、この基地には技術的な不具合のために退避できずに立ち往生していた数機の航空機が残されており、その中には、地上の物体と衝突したと思われるSu-22も含まれていました。

 下の画像のSu-22UM3K「16」は2016年2月に飛行可能な状態に戻され、稼働状態から退くことになった事故の前に約2年間は飛行していたようです。事故のために新しい機首が必要になりそうなこともあり、この機体の損傷レベルはLNAにとてつもなく高い費用がかかる修理をするためにあらゆる努力を払わせた可能性があります。

 (ワティーヤ陥落でもたらされた直接的な結果によって)スペアパーツが不足していることから、現在ではベンガジのベニーナ空軍基地で保管されている2機の単座型Su-22の運命はこの復座型より決して良いものにはならないでしょう。


 古いSu-22の派生型も残存していた41基のHASの一部で保管されている姿が発見されました。1990年代に退役して以来、そのまま放置されていたと思われる機体が厚い埃の層で覆われている状況に注目してください。驚くことではありませんが、LNAはこれらの機体を修復しようとはしませんでした。機体の老朽化と部品不足のため、そもそも修復すること自体が不可能に近かったのでしょう。


 ワティーヤ基地で遭遇したSu-22以外の航空機の中で、かなりの数が確認された機種はミラージュF1だけでした。

 もともと、リビアは70年代後半にミラージュF1AD戦闘爆撃機を16機、ミラージュF1ED迎撃機16機、ミラージュF1BD練習機6機から成る計38機のミラージュF1を導入しました。[5]
これらの機体はワティーヤ基地に拠点を置く第1011及び1012飛行隊で運用され、チャドやシドラ湾上空で集中的に使用されました。後者では、カダフィ大佐が1973年にリビアの領海と主張したシドラ湾上空で、ミラージュはリビアの領有権主張に異議を唱えようとした米海軍のF-14トムキャットにドッグファイトで対抗しました。

 運用可能な機体は90年代後半から21世紀初頭にかけて次々と減少し、(ミラージュF1ADを装備している)第1011飛行隊は最終的には解隊を余儀なくされ、装備していた機体はすでに保管されているミラージュの群れに加えられました。

 2003年に武器禁輸措置が解除された後、リビアはミラージュ飛行隊の一部を運用可能な状態にすることに関心を持ち、実際にオーバーホールの計画が立てられましたが、結果としてその実現には至りませんでした。カダフィが自らの軍隊へ適切な資金を出すことを渋った結果として、2011年の革命勃発時にリビア空軍に残されていたのは、たった2機のミラージュF1ED迎撃機と1機のミラージュF1BD練習機だけでした。

 2機のミラージュF1EDはベンガジの群衆を攻撃するために即座に送り出されました。この記事の前半で言及したとおり、これらのパイロットは大虐殺を引き起こすことに興味が無かったため、マルタ島へ進路を向け、そこで政治亡命を申し出ました。その後、この2機のミラージュは2012年2月にリビアに戻りました。そして、再びミラージュF1飛行隊の復活が計画され、保管されていた機体の多くがミティガ空軍基地でオーバーホールされることになりました。

 実際にいくつかの機体がそこへ移されましたが、リビアの混乱状態がこの計画に終止符を打ったようです。


 リビアが2つの地域に分割された後、ドーンは残存している運用可能な2機のミラージュF1ED、トリポリのミティガ空軍基地にあるオーバーホール施設、ワティーヤ基地にある最大21機の運用不能なミラージュF1を受け継ぎました。

 しかし、ワティーヤ基地がLNAの手に落ちた後、ドーンはオーバーホール施設を持っていたものの、共食い整備をさせる機体を入手することができませんでした。その一方で、LNAは約2ダースのミラージュF1を保有していましたが、オーバーホール施設を利用することができませんでした(注:つまり、お互いに必要なものが欠けていたということ)。

 この状況にもかかわらず、ドーンとLNAは互いにこの状況を最大限に活用しようと試み、まもなくしてここ10年間で最も多くのミラージュが空を飛ぶようになりました。

 慢性的なパイロット不足に直面していたたGNAは、ミラージュF1を飛ばすために4人の外国パイロット(傭兵)を雇い入れました。皮肉なことに、実際にジェット戦闘機を操縦した経験があるのは1人だけで、ほかの3人(民間航空機のパイロット、農薬散布機のパイロット、元アメリカ空軍の整備士)は単に危険な冒険をする機会を得ただけでした。

 当然のことながら、彼らのうち2人はすぐに機体を墜落させ、農薬散布機のパイロットは死亡し、元アメリカ空軍の整備士は敵に捕らえられてしまいました。GNAが完全に不適格な3人の志望者を採用した背景にある理由を知りたい方へ:採用のプロセスは取引で得られるお金以外のことをまったく気にしていない仲介業者を通じて管理されました。

 一方、ワティーヤではLNAがミラージュF1EDとミラージュF1ADの1機ずつを何とかして運用可能な状態に戻すことに成功し、実際にそれを飛ばすリビア人パイロットも見つけました。しかしながら、これらの機体は新しい所有者の下ではほとんど使われず、ワティーヤの支配権を失った直接の結果としてスペアパーツが入手不可能になってしまいました。その結果として、2機のミラージュはSu-22とともにベニナ(ベンガジ)で保管されるようになりました。

 ワティーヤ基地の占領で、GNAはLNAの空軍の作戦能力をほぼ半減させました。占領する過程で、彼らはLNAによって(まだ救えると思しき別の機体へ活用するために)レーダー、アビオニクスやエンジンを剥ぎ取られた数機のミラージュF1に遭遇しました。


 ワティーヤ基地では、少なくとも2機のMiG-23(正確に表現すると2機のMiG-23の一部分)を含む他の数種類の航空機も発見されています。下の画像の奥にある、一見して放棄されたと思しきMiG-23の正体は不明ですが、手前にある尾部はLNAで運用された中で最も活躍したMiG-23のものです:MiG-23UB「8008」。この機体はLNAが戦っていたほぼ全ての前線で使用されており、ベンガジを拠点に運用されていましたが、後にLNAがリビア中央部で一連の攻勢を開始した際にはタマンヒント(セブハ空港)やブラークからでも飛ばされていました。

 また、「8008」はGNA支配地域の上空を飛行するリビア航空のCRJ900を迎撃しました。同機は実際に航空機を撃墜する武装を装備していないにもかかわらず、CRJ900をLNAが掌握している空軍基地に着陸させました。

 同機が最後に目撃されたのは2019年4月にワティーヤからの出撃時であり、その後に新しい尾部が装着されました。交換された古い尾部はこのHASに廃棄され、その状態のままでGNA部隊に発見されました。

 スペアパーツの不足だけではなく、MiG-23の内部機構の複雑さと機体の老朽化のため、LNAはこれらの航空機を(安全に)飛行させることについて非常に大きな困難に直面しています。当初は他の機体を分解してスペアパーツの安定供給を確保していましたが、LNAはすぐに、まだ共食い整備が可能なはずの機体を使い果たしてしまいました。

 これに対して、ロシアは少なくとも1機のMiG-23をスペアパーツの供給源として引き渡しましたが、一時的に状況を緩和することしかできませんでした。その後、LNAは異なる機体の中から取り外した最も状態の良いパーツを組み合わせ始め、結果的には1機のMiG-23が実際には3機の異なる機体の部品で構成されているという状況になりました。

 リビアで使用されているMiG-23が非常に高い損耗率に悩まされており、これまでに無数のパイロットに死がもたらされたことは特に驚くべきことではないのかもしれません。


 ほぼ間違いなくスホーイ、ミラージュやミグよりも人目を引かないのは、GNA部隊がHASの一つで遭遇したSF.260軽攻撃機(練習機)でしょう(注:下の画像)。

 分厚い埃に覆われており、胴体にはカダフィ時代の国籍マークが残っていることから、この機体は2011年以前にここに放置されていたものと思われます。その後方には破壊されたMi-24Pがあり、その尾部が部分的に崩壊させられている姿が明確に映し出されています。


 つい最近まで使用されていたと思われるMi-24V「852」は、2011年の革命以前からリビアで運用されていた機体です。LNAの戦闘能力を強化するための努力の一環として、UAEは2015年に(LNAのために)ベラルーシから数機のMi-35Pを入手しました。[6]

 少なくとも1機のMi-24Vも同様の方法でLNAに供給されたようですが、その供給源は不明です(おそらくベラルーシでしょう)。

 「852」は捕獲時には修理中でしたが、パンクしたタイヤやコックピットの窓に埃が積もっている姿は、ワティーヤ基地が陥落する以前にその作業が中断されていた可能性を示しています。この機体については、その尾部に空いた弾痕(穴)にも注目するべきでしょう。


 この心細いMi-24Vたちは、かつてワティーヤ基地で行われていたヘリコプターの運用を悲しげに思い出させてくれます:この基地は、かつてはリビアのMi-25攻撃ヘリコプター(注:Mi-24Dの輸出型)飛行隊の主要拠点でした。

 1980年代後半には、ソ連から入手したより最新のMi-35(Mi-24Vの輸出型)が後継機となったために、これらの大部分は退役してワティーヤ基地で保管されていたのです。

 退役するまでの間、Mi-25は(リビアが航空機とヘリコプターをほぼ継続的に派遣していた)隣国チャドにおける軍事作戦で徹底的に使用されました。チャド人がリビア人に(最終的にリビア軍を国外への追放に至らせることに至らせた)一連の軍事的な敗北を負わせた際、彼らは膨大な量の装備品のみならず航空機やヘリコプターでさえも捕獲しました。この中には少なくとも2機のMi-25(1機は無傷でもう1機は損傷状態)が含まれており、1988年にそれぞれがアメリカとフランスへ運び去られてしまいました。[7]


 ほぼ間違いなく、最も興味深くも全く役に立たない戦利品はMi-24A攻撃ヘリコプターであり、基地内に多く存在する保管庫の一つから少なくとも6機(とMi-24U練習型が1機)、HASからも1機が発見されました(注:つまり、最低でも8機のMi-24初期型が捕獲されました)。

 Mi-25と同様に、旧式のMi-24A/Uも1970年代後半にリビアで就役してMi-25とともに運用されましたが、そのうちに高等練習機へと格下げされ、最終的には運用から外されてワティーヤ基地で保管されました。

 Mi-24AはMi-24Dとそれ以降の派生型の導入によってほとんど忘れ去られてしまいましたが、どうやらリビアはこの初期型にとても満足していたようです。その度合いは砂やほこり、異物による損傷(FOD)からエンジンを保護する箱型のフィルターをA型に追加していたことから知ることができます。2枚目の画像では、保管庫内の至る所にミラージュF1用の増槽が大量に横たわっていることにも注意してください。


 また、ワティーヤでは、LNAが実際にこの基地で運用されていた(1機の単座型Su-22と1機のMi-24Pを含む)数少ない機体の残骸も発見されました。

 このMi-24Pの喪失に関する詳細な情報はありませんが、Su-22は2019年6月19日にバイラクタルTB2無人機によって破壊されたことが判明しています。(攻撃で)Su-22が特別に狙われたのか、それとも偶然に狙われたのかは不明ですが、この喪失はLNAにワティーヤ基地からの航空作戦の実行がほぼ不可能になったことを痛感させました。


 ほかのいくつかの残骸は、2011年のリビア内戦でNATOが主導した空爆で生じてそのまま残ったものと思われます。それらの残骸には、(精密誘導爆弾によって破壊される前に)国連安保理が承認したリビアの飛行禁止区域に挑戦した可能性がある数機のSu-22も含まれています。


 さらにひどく損傷した2機のSu-22が明らかに焼け焦げたHASの中で発見されました。状況からすると、これはおそらく2020年3月にバイラクタルB2から投下されたMAM-L誘導爆弾が命中した結果によるものと思われます。[8]

 (カダフィ時代の国籍マーク:ジャマーヒリーヤ・グリーンが残っているため)この両機は破壊された時点では稼働状態にはなかったようですが、GNAは両機がLNAによってオーバーホールされるか、スペアパーツのために共食い整備に使用されることを示す情報に基づいて行動していた可能性があります。いずれにせよ、この空爆は明らかにそれを阻止することに成功したようです。


 筆者の予想どおりですが、かつて航空機やヘリコプターを運用するために使用された資機材も多く捕獲されました。(捕獲されたものは)使い込みによる傷みが深刻である状態を示していますが、 GNAが将来的に航空戦力の一部をワティーヤに展開するのであれば、これらのいくつかはこの基地からの航空作戦を再開するために有効活用されることは確実でしょう。


 Su-22やMiG-23、ミラージュF1に搭載されることはなかったソ連やフランス起源の数種類に及ぶ無誘導ロケット弾や汎用爆弾、クラスター爆弾を含む膨大な数の航空兵装備もワティーヤ基地の周辺に散乱している光景が見られました。
 
 GNAの空軍はこれらの爆弾を搭載できる航空機を数機しか運用していないため、大部分は錆びついたまま放置され続けるか、安全上の理由から基地の片隅で爆破処分される可能性が推測されます。
 



 膨大な数の(遺棄された)航空機やヘリコプターに加えて、 陥落したワティーヤ基地は、「RM-70」122mm多連装ロケット砲(MRL)を少なくとも3門、 「63式」107mmMRLを1門、T-55戦車を1台、UAEが供与した(損傷した)テリア LT-79歩兵機動車(IMV)を1台とストレイト・グループ製スパルタンIMVを1台、それに(損傷した)同グループ製の武装型TLC-79を1台、そして多数のテクニカルをGNAにもたらしました。

 パーンツィリ-S1を捕獲したものの、今回の占領で捕獲した装備の量はリビア国内の他の場所での捕獲と比較すると確かに迫力に欠けるものでした。この状況は、(簡単に移動できる装備をすべて持って)ワティーヤ基地からの退却を迅速に達成したというLNAの主張に信憑性を与えます。[9]


 圧倒的な量の木箱の映像は、LNAによって残された弾薬の備蓄の規模を示す良い指標となります。リビアの戦場での弾薬に飢えた環境では、これらの新たな物資は間違いなくGNAに非常に歓迎されるでしょう。

 捕獲された弾薬の大部分は、すぐに少なくとも30台のピックアップトラックに満載されて持ち去られました。おそらく、GNAが戦っている各戦線に分配するためか、あるいはブラックマーケットで売却するためだと思われます。

 確かにこれらは前述した飛行機やヘリコプターと比較すると華やかさはありませんが、より効果的に捕獲者の役に立つことは間違いありません。


 ロシアから引き渡された弾薬箱も、少なくとも1個が保管庫の一つで発見されました。
この木箱のステンシルマークは、ロシアのKBP機器設計局から発送された40個の木箱のうちの一つであることを示しています(注:箱には24/40のマークが施されています)。

 KBP社はロシアの軍需メーカーであり、 数種類の大砲や対戦車ミサイル(ATGM)、おそらくより重要なのはクラスノポール・レーザー誘導砲弾やパーンツィリ-S1に搭載されている9M311系の地対空ミサイルを含む幅広い兵器システムを製造しています。

 リビアにおけるパーンツィリ-S1の存在はかなり前に確認されていましたが、クラスノポール誘導砲弾がリビアで使用されていた証拠はごく最近になって明らかになりました。[10]


 ワティーヤ基地が占領された直後の時点で、すでにトルコ軍の車列が基地の方向に向かっているのが確認されています。

 この基地はまもなくリビアにおけるトルコの一大拠点となるでしょうが、ワティーヤであらゆる活動が開始される前に、まずはこのエリアから地雷や不発弾(UXO)を除去する必要がありました。基地の桁外れの大きさを考慮すると、それらが骨の折れる作業であることは確実でしょう。


 その後、トルコ軍は(基地内の)多数の強化シェルターや格納庫で発見された大量の航空機やヘリコプターを片付けるという困難な作業を開始しました。これらの大部分は基地内の使われていない場所に廃棄されるか、スクラップにされる可能性が高いですが、一部の機体はGNAが将来使用するために残されるかもしれません。

 しかし、L-39を除くすべての航空機の場合はすでにスペアパーツが枯渇しており、新しいものを購入する機会もほとんどありません。たとえ数機のミラージュF1を修復しても、「リビア空軍」にもたらされるのは最大で2年の運用期間だけでしょう(注:現状ではそれ以上の運用が困難であると言うこと)。

 (現在では)空対空の用途ではほとんど役に立たず、命中精度の低い無誘導爆弾やロケット弾の運用しかできない状態になっているため、これらの機体を運用可能な状態に戻すために努力する価値はなさそうです。

コルクート自走対空砲とおもわれる影

 リビア人が管理していた時代よりも相当に高い安全基準での飛行や地上作業を可能にするため、滑走路や各強化シェルター間を繋ぐ、いくつかの通路が(再)舗装されました。何年も(ときには何十年も)使用されなかった後のほとんどのリビアの空軍基地では、誘導路や滑走路から茂みどころか小さな木すらも生えています。現在のワティーヤ基地で任務に従事している人員にとって幸運なことに、(LNAによる)数機のミラージュF1とSu-22の継続的な運用が誘導路上の植物の生育を小さな茂みに「限定」させました。

 また、トルコはHASの多くに新たな用途を見出しました。今ではこれらの大半は、高射機関砲や弾薬、そして基地での日常的な運用に使用される装備などの物資を保管している可能性があります。一旦この基地の安全な運用体制が確保されると、これまでミスラタに着陸していたC-130やA400M輸送機が、今ではGNAのための物資や装備を運ぶためにワティーヤに着陸できるようになりました。

 リビアで戦闘が再び激化した場合に備えて、この基地にトルコのF-16を駐留させる準備も整っていました。このような戦闘機を配備する準備は間違いなく以前から行われていたものですが、最初の兆候が現れたのは滑走路の両側にあるエプロンに戦闘機6機分のマーキングが施された2020年後半になってからでした。

 もちろん、F-16が作戦に使用されていない場合には、それらを無傷で残存している僅か30基以下の強化シェルターに収容することができます。


 UAEが運用する翼龍UCAVや単機のミグを用いたLNAの無差別空爆から基地を守るために、トルコは基地の敷地内に2基のMIM-23ホークXXI 中距離地対空ミサイル、コルクート自走対空砲GDF-003 35mm高射機関砲を含む広範囲にわたる防空システムを配備しました。

 2020年7月4日夜、正体不明の航空機が新たに配備されたホークSAM陣地の一つに奇襲をかけたことで、その防空体制が早くも真価を問われました。[11]

 この空爆はホークの射程外で実施されたようであり、基地の被害についてはほとんど無かったように見えます。それでもなお、この攻撃の目的は単にトルコに対して、その活動地域が依然としてLNAを支援している国の標的範囲内であるというメッセージを送ることにあったのかもしれません。

 攻撃に使用された機体の国籍や機種についてはまだ議論の余地がありますが、エジプトとの国境を越えてすぐの場所にあるシディ・バラニ空軍基地に展開していたエジプトかUAEのミラージュ2000によって空爆が実行された可能性が高いと考えられます。

 偶然の一致とは考えにくいことに、この空軍基地に配備されている数機のミラージュ2000は国籍マークを塗り潰して運用されています。この事実は、それらのミラージュを今回の攻撃に関与した機体として浮上させます。


 ときどき、ワティーヤ基地がトルコのS-400の潜在的な配備拠点だと憶測されることがありますが、少なくともトルコが自国内で必要としている数の長距離地対空ミサイルシステムを得るまでは(当分の間は)、そのような配備が行われることはないでしょう。それが実現するまでワティーヤを守るのは何層にもわたって展開された短・中距離の防空システムであり、その規模は射程内に入ってきた航空機に致命的なダメージを与えることを示します。

 UAEやエジプト、ロシアがトルコの防空圏外でスタンドオフ兵器を用いて別の攻撃を試みる可能性がありますが、そのような動きは報復攻撃やワティーヤへのF-16機の配備ですら誘発するおそれがあります。そのため、リビアでトルコに対抗する国々が自ら進んでリスクを冒す可能性は低いと思われます。


 パーンツィリ-S1の鹵獲はワティーヤ基地の占領よりも大きな勝利として称賛され、確かにメディアの注目を集めましたが、戦略的には、ハフタル将軍の率いるLNAが主要な作戦拠点とトリポリ攻略の唯一のチャンスを失った結果の方がはるかに重要です。

 それでもなお、パーンツィリは6年以上に及ぶリビア内戦の大きな転換点を象徴していました:転機のほぼ全てをもたらしたのは、バイラクタル外交の功労によるものです。

 同時に、国外のLNA支援者はLNAへの深い関与を再考せざるを得なくなるでしょう。今や好結果を得られるか疑わしくなったため、紛争に多額の投資を続けることは論理的ではなくなるかもしれず、その潜在性はLNAや支援国をリビア紛争を終結させるための交渉の席に着かせる可能性を秘めています。

 それがどのような結果になったとしても、この決定的な時期がトルコにリビアでの存在感をさらに強化することに利用されるのは間違いないと思われます。

[1] Austrian-made Schiebel camcopter over al-Watya airbase by Libyan Army https://asian-defence-news.blogspot.com/2015/01/austrian-made-schiebel-camcopter-over.html
[2] Haha like we're going to reveal our source ;)
[3] https://lostarmour.info/libya/item.php?id=20786
[4] Libya: How the US and Turkey agreed to share a captured Russian defence system https://www.theafricareport.com/68186/libya-how-the-us-and-turkey-agreed-to-share-a-captured-russian-defence-system/
[5] Libyan Air Wars Part 1 1973-1985 https://www.helion.co.uk/military-history-books/libyan-air-wars-part-1-1973-1985.php
[6] https://twitter.com/Arn_Del/status/1115729494973853696
[7] Libyan Air Wars Part 3 1986-1989 https://www.helion.co.uk/military-history-books/libyan-air-wars-part-3-1986-1989.php?sid=7beacb5b560fb39b5053085e8e18abdc
[8] LNA Su-22 destroyed? https://www.itamilradar.com/2020/04/01/lna-su-22-destroyed/
[9] https://twitter.com/amelgasir/status/1262388899328020481
[10] https://twitter.com/LostWeapons/status/1243787785724542976
[11] https://twitter.com/ahmedabdo1806/status/1282372082463059973

※  当記事は、2021年2月21日に本家Oryxブログ(英語版)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。

 
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