著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
北朝鮮の73式軽機関銃(LMG)がイラクで目撃された後、現在(注:2016年3月)ではイラクのシーア派民兵組織であるカタイブ・ヒズボラのシリアへの展開と共に、この貴重な火器の新たな仕様例も確認されています。同組織によるこの国への関与としては、2016年2月の(北アレッポにおける同北部と北東部に展開する反政府軍の遮断を目的とした)シリア政府軍がしかけた攻勢の中核部隊とされたことがあります。
この記事は、2016年3月にOryxブログ本国版(英語)で投稿されたものを邦訳した記事です。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが大きく異なる箇所があります。
北朝鮮の73式軽機関銃(LMG)がイラクで目撃された後、現在(注:2016年3月)ではイラクのシーア派民兵組織であるカタイブ・ヒズボラのシリアへの展開と共に、この貴重な火器の新たな仕様例も確認されています。同組織によるこの国への関与としては、2016年2月の(北アレッポにおける同北部と北東部に展開する反政府軍の遮断を目的とした)シリア政府軍がしかけた攻勢の中核部隊とされたことがあります。
既に知られているように大勢のイラクのシーア派民兵がイラクから(アメリカ製の「M-1114」を含む)自身の装備を伴ってシリアへ展開していた一方で、(特にイラクが73式LMGの運用者ではないと考えられていた時点までには)彼らが持ち込んだ武器の中では、このLMGが実際に使用される機会は完全に低いものと思われていました。しかし、実際は「PK(M)」系機関銃に混じって使用されていたのです。
イランは人民動員隊(PMF/PMU:イラクのシーア派民兵組織)がその傘下で運用する多種多様なシーア派民兵に対して少数の73式LMGを供給しました。今回の事例については、彼らとともにシリアへ流入したという説が最有力でしょう。
もともと、イランは1980年代前半のイラン・イラク戦争中に73式LMGを入手したことが知られています。この戦争はイランにさまざまな種類の武器を迅速に届けることができるサプライヤーを探させ、北朝鮮という相手を見つける結果をもたらしました。73式LMGはより古い兄弟である「PK(M)」と共に使用されたようですが、イラン製「PKMが」十分に生産された後に廃棄されたと思われていたのでした(注:この戦争後に73式LMGの画像などが目撃されなくなったため)。
PKMと珍しく弾倉が挿入された73式軽機関銃(イラン・イラク戦争中に撮影されたもの) |
73式は主にソ連製「PK」軽機関銃をベースとしていますが、(シリアやイラクといった紛争地域で常に確保できる)PKで使用される7.62x54R弾を装填するために弾倉と(ベルトリンクが収納された)箱の両方を使用できるという特異な給弾機構を備えています。
この73式は朝鮮人民軍に大量に配備されて今日でも使用されている一方で、記録された輸出例はイランに向けたものだけです。ほかでの事例はジンバブエとより最近のイラクが挙げられます(注:2024年時点ではイエメン、ウガンダ、ロシアでも確認されており、このうちイエメンについてはイランから流入したものと考えられている。また、ジンバブエで発見された個体は73式より前に生産された68式である)。
解体されたIEDの隣でポーズをとる民兵が73式LMGを装備している(右から2人目) |
中東における北朝鮮製武器の複数の目撃はこれらの画像として公開され、国際武器密売市場での北朝鮮の影響力の大きさが制裁でよりその力を制限されたとしても、依然として続いていることを示しています。こうした事象を観察する人たちができることは、この次に北朝鮮の兵器の新しい証拠が登場する時間や場所をただ推測する程度しかないのが否定できない。
追記:北朝鮮の73式軽機関銃は、シリアのアレッポでJabhat Al Shamiyaの戦闘員が使用している姿が目撃されました(リンク先に動画あり)。また、2016年6月にはアレッポ付近でアルヌスラ戦線の戦闘員に3挺の73式LMGが鹵獲されました(下の画像)。これらはいずれもイランから供給されたものです。
追記2:2017年にデリゾールの包囲が解除された後、シリア軍がイスラム国から鹵獲した兵器を公開した中に73式軽機関銃があることが確認されました。