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2025年5月16日金曜日

イスラム国の機甲戦力:モスルに出現した「戦闘トラム」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo


 この記事は、2020年1月15日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 2016年11月、モスルの北にあるバシジの町の木の下にトラムか装甲戦闘バスのような車両が置かれていました。以前の所有者によって放棄されたこの怪物は、かつてモスル北部のナヴァラン近郊で行われた今や悪名高いイスラム国(IS)の攻勢に登場したものです。その攻勢を撮影した動画は、参加した数人の戦闘員の滑稽な動きで急速にネット上で拡散されました。戦闘員アブ・ハジャールはインターネットのあらゆる場所でミームのネタとなりましたが、この攻勢でISが投入した装甲強化型トラックやその他の車両は、軍事的側面に注目する人々にとって特に興味深い存在でした。

 ISが手掛けたDIY式装甲戦闘車両(AFV)の多くは、車体に鉄板を貼り付けただけの非常に粗雑なものでした。ただし、彼らのニーズにより適合させるように車両を改造することを目的とした大規模な工廠が存在しており、そこからシリアやイラクの戦場で展開する戦闘に完璧に適したAFVが生み出されたのです。これらの兵器の改修を担当したAFV工廠はIS支配地域内にあり、最大のものはシリアのタブカイラクのモスル近郊にありました。

 モスル占領の直後、ISはイラク軍と警察がモスルからの撤退時に残した大量の車両と装備を運用するために複数の装甲部隊を創設しました。一部の車両は事実上全く手を加えられずにイラクとシリアの戦場に直ちに配備されたものの、他の車両は車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)として使用するために改造されたり、「襲撃大隊」向けとして、モスルの平原で使用するAFVに改造されたのです。

 インギマージ...生還を期することなく敵陣に突入することを任務とする突撃部隊...の作戦において、「襲撃大隊」は重くて遅い装軌式AFVではなく、より高速が出る装輪式車両を主に使用しました。実際のところ、イラクのISでは少数の戦車が積極的な戦闘行動(攻撃)で運用されていましたが、そのほとんどは「アル・ファルーク機甲旅団」と「防御大隊」の所属でした。したがって、即席かつ装甲が強化されたAFVを使用したのは、主に「襲撃大隊」です。


 「襲撃大隊」用に改造された車両の大半は基本的に装甲兵員輸送車(APC)であり、戦闘員が立って射撃するためのキャビンを備えているのが特徴です。モスル周辺におけるISの攻勢は実質的な自殺行為のため(詳細はこちらを参照)、「襲撃大隊」の攻勢については、その大部分が目的に到達する前に車両が撃破されて終わりを迎えました。

 しかし、改造できるトラックやその他の車両が豊富に残されていたため、「襲撃大隊」向け車両の「生産」は継続されました。これらは実質的に同じクラスの車両に僅かな違いが見られる程度であり、ある程度は規格化がなされていたことが見受けられます。今回取り上げる戦闘トラムは3台が確認されており、それぞれが「201」と「202」、そして(おそらく)「200」の番号が振られました。下の画像では、「202」(1枚目の右)と「200」(1枚目の左と2枚目)が見えます。ちなみに、後者は詳細不明な原因で失われています。



 戦闘トラムは重装甲が施されたキャビン前部が特徴であり、(少し想像力を働かせると)鳥のような顔や、バリエーションによっては「きかんしゃトーマス」のキャラクターを彷彿とさせます。これが「戦闘トラム」という名称の由来です。戦闘員を収容する区画には空間装甲が設けられており、8個あるホイールの外側には保護する鉄板のサイドスカートが装備されています。この戦闘トラムについては、(特徴を考えると)2014年にモスル周辺で鹵獲されたソ連製「BTR-80」APCの車体を改造したものであることはほぼ間違いないでしょう。

 事実上のトラックである車両を改造することは実に不思議な選択ではあるものの、このような大型APCを製造しようとした今までの取り組みでは、ダンプトラックをベースにした(見応えがあるが不格好な)車両が数多く作られました。こうした車両とは対照的に、戦闘トラムは比較的バランスの取れたデザインに見えます。



 戦闘トラムの武装は過去に登場した怪物のようなDIY車両から変わっておらず、重装甲のキューポラに軽機関銃や重機関銃が取り付けられるようになっています。興味深いことに、「202」は前面に4本のラムを装備しているように見えますが、そのうちの2本は車体構造を補強する機能を兼ねているのかもしれません。これらのラムはある程度の障害物を突破するのに効果的ですが、起伏のある地形を走行中にスタックしやすくなるリスクがあります。そして、突破した障害物の破片が兵員区画にいる戦闘員の頭上に落下するだろうことは言うまでもありません(編訳者注:無蓋式のオープントップのため)。

 ペシュメルガの陣地の前に立ちはだかる塹壕をよじ登るための梯子については、「200」と「201」には装備されていたにもかかわらず、「202」にはありませんでした。

 戦闘トラムのキャビンは、「襲撃大隊」が使用した他の車両とほぼ同様の構造です。高速移動を伴う作戦中にキャビン内の戦闘員を支えるため、小型車に見られるシートベルトの代わりに(キャビンの縁に)金属製の手すりが設置されました。 軽機関銃や重機関銃用のピントルマウントは装備されていないため、戦闘員は安定装置を欠いた状況で金属製の手すりの上から射撃することを余儀なくされました。このため、経験の浅い戦闘員が射撃した場合はほとんど命中弾を得られないことが明らかとなりました。

 「202」は「200」や「201」とはキャビンのレイアウトが若干異なっており、小さな出入口扉が後面に設けられています(注:「200」と「201」は側面に扉がある)。



 最初の戦闘トラムは、モスル北部のナヴァラン近郊で展開された、今では(悪)名高いISの攻勢に登場しました。この攻勢には、アブ・ハジャールとアブ・アブドゥッラー、そしてアブ・リドワーンたちの装甲強化型「M1114」以外にも、「襲撃大隊」の大幅に改造されたトラックやその他の車両も数台参加したことが知られています。前者には初代戦闘トラム「201」が含まれており、攻勢開始の直前と失敗した直後にその存在が確認されました。この姿は下の画像でも確認できます。



 この戦闘トラムは、ペシェルメルガ陣地前にある巨大な塹壕の埋め立てを担っていたブルドーザーが撃破されたことで、他の「襲撃大隊」の車両と一緒に事実上身動きが取れない状態となってしまいました。この直後、トラムは(アブ・ハジャ-ルの車両のように)命中弾を受けて放棄されました。

 車体側面に設けられた空間装甲の存在はここでもはっきりと確認できます。様子を見る限り、少なくとも1発の命中弾を阻止するのに効果を発揮したようです。


 上の画像: アブ・ハジャールの「M1114」から撮影されたナヴァラン近郊を走行中の戦闘トラム「201」:装甲キャビンに立って発射の機会をうかがうRPG砲手の姿が見えます。装甲を増強したことで重量が増加したにもかかわらず、このトラムは適度な速度で戦場を駆け抜けることにあまり問題はないようです。後方の装甲強化型「M1114」と比べると、車体の圧倒的な大きさは一目瞭然です。ただし、そのおかげでペシュメルガのATGMチームやRPG砲手にとっては格好の標的になりやすいというデメリットがあることは言うまでもありません。 

 実際、モスルの平原でこうした車両を使用した場合は、前述の理由で失敗に終わることは避けられないでしょう。戦闘トラムは平原より都市部での使用が適している可能性があります。


 数種類のAFVを自力で製造しようとするISの取り組みは、結果的にISの典型的な攻撃手法に適した(高度に発達した)車両を数多く生み出すことに至りました。ところが、ATGMの拡散とISの大規模な攻勢に有志連合軍の航空機やヘリコプターが登場したことで、これらのAFVがイラクの戦場で完全に場違いな存在となってしまったことは否めません。それでも、勝利という成功の可能性に賭ける彼らの信仰が挑戦に次ぐ挑戦に至らしめ、そのたびに同じ結果、つまり全滅という形で終焉を迎えたのです。

 設計と生産の分野におけるISの努力は確かに見事なものでしたが、そもそも最初から事実上絶望的な攻勢に投入する車両を大量生産することは彼らが他の地域で展開している作戦とは大違いであり、そう長くはできない贅沢と言えます。

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月28日月曜日

【復刻記事】イスラム国+マッドマックス:リビアでバトル・モンスターが登場した


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2016年3月20日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 これまで存在した中で最も洗練されたテロ組織と化した「イスラム国(IS)」の隆盛は、戦闘員に(形だけの)装甲防御力と重火力を装備させるべく無数のDIYプロジェクトを行うまでに至っています。こうしたプロジェクトの大半はシリアとイラクの戦場に限られる運命にあったものの、リビアのIS部隊が、映画「マッドマックス」からそのまま飛び出してきたかのようなワンオフの逸品を完成させることに成功しました。

 2016年3月に初めて目撃されたこのバトル・モンスターはリビアの北東部のデルナで建設され、リビア国民軍(LNA)やムジャヒディーン・シューラ評議会と戦闘しました。(敗北する前の)デルナにおけるIS戦闘員たちはリビア国内にある他のIS支配地から完全に切り離されていたため、リビアに存在する巨大な武器庫や敵対勢力から鹵獲した少数の装備だけで対処を強いられたという事情があります。

 今回取り上げるバトル・モンスターは、6x6トラックをベースにしたものであり、多種多様な装甲板とスラット装甲を備えているほか、「BMP-1」の砲塔のみならず車体自体を組み込んだものです。ただし、「2A28 "グロム"」73mm低圧砲と同軸の「PKT」7.62mm機関銃は撤去され、その代わりに「M40」106mm無反動砲(RCL)1門を備えるオープントップ式の砲塔が本来の砲塔の上に搭載されています。言うまでもありませんが、「M40」を旋回させるためには砲塔内に操作要員がいなければなりません。高い位置にあるRCLはバルコニーや屋上からの敵の射撃にさらされやすいという弱点があるものの、それでも(その高さゆえの)優位性を有しています。


 バトル・モンスターの装甲は控えめに言っても特別です。「BMP-1」の車体側面の装甲防御力は前面下部にも追加されたスラット装甲によって強化されていることに加え、「BMP-1」の車体とスラット装甲の間は土嚢によってさらに強化されています。スラット装甲以外でモンスターを覆っているのは、車体にボルト留めされた厚さと強度の異なる鉄板です。最も特徴的と言えるのは、露出したホイールとタイヤを保護しているのが再利用された「BMP-1」の履帯でしょう。

 モンスターの武装は、砲塔の「M40」RCL1門と「BMP-1」の車体に備えられた8個(車体後部のドアにあるものを含めると9個)の銃眼から発射される小銃や軽機関銃で構成されています。主砲の「2A28 "グロム"」が撤去された理由は不明ですが、損傷したか、あるいは過去に目撃されたテクニカル搭載用として撤去された可能性があるのではないでしょうか(編訳者注:リビアで「グロム」だけを装備したテクニカルを転用した事例が確認されているのはISではなくイスラーム系民兵組織「リビアの夜明け」であるが、こベースとなったBMPがISに鹵獲されたり、あるいは同様のテクニカルをISが使用している可能性は否定できない)。


 上の画像が示すように、この車両の役割は装甲兵員輸送車(APC)や歩兵戦闘車(IFV)に似ているものの、「BMP-1」の車体が高い位置にあるため、乗降が相当困難になっています。小型の梯子があればこのプロセスは大幅に楽となるはずですが、モンスターには装備されていないようです。

 特筆すべき点としては、このバトル・モンスターのドライバーが、デルナの狭い通りで運転するのに四苦八苦したに違いないということが挙げられます。もちろん、外を覗く窓が非常に小さかったため、後退時も進行方向を確認できないまま動くこと余儀なくされたであろうことは言うまでもありません。下の画像で、ドライバーが外に向けて「AK-103」7.62mmで狙いを定めていますが、これは単にカメラ用のカットでしょう(つまりプロパガンダ用)。


 リビアは間違いなく突飛なDIYプロジェクト発祥の地です。終わりの見えない長期にわたる内戦で勝利を確実なものとするため、各勢力が敵対陣営より優位に立つことを目的とした改造兵器が今後も数多く生み出されることでしょう。リビアへの武器禁輸措置を順守する意思のある国は少ないものの、各勢力に供給される(実用的な)重火器が不足しているということは、(実際に役立つかどうかは別として)今回のようなDIYプロジェクトを継続する必要があることを意味しています。


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月19日土曜日

【復刻記事】アサド政権への支援の規模が明らかに:ロシアの諜報施設「ツェントル-S」が制圧された


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2014年10月6日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」と「ベリングキャット」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります(注:Oryxでは削除されていますが、記録のためベリングキャットから翻訳しました)。

 2014年10月5日、自由シリア軍は、ロシアのオスナズGRU電子偵察局の特殊部隊オスナズとシリア情報機関の一つが共同で運用している「ツェントル-S(Центр С - المركز س)」SIGINT(信号情報収集)施設を占領しました(編訳者注:ここでリンクが張られていた動画はアカウント停止のため視聴不可)。 ハッラ近郊に位置するこの施設はシリア国内で活動する全ての反政府勢力の無線通信を傍受・解読する役目を担っていたため、アサド政権にとって極めて重要な施設でした。ここでロシアによって収集された情報が、一連の空爆による反政府勢力リーダーの殺害に(少なくとも)部分的に関係している可能性が高いと思われます。

 公開された動画の3:08では 、「5月31日に調査局から出された、テロ集団の全無線通信を盗聴・録音せよという命令は、第一センターの司令官ナズィル・ファッダ准将の署名入りだ。」と読み上げられています。

 この施設は最近になってシリアとイランに中東の状況認識を提供するため、ロシアによって改修・拡張されました。1月から2月中旬にかけて行われた改修後は、イスラエルとヨルダンの全域、そしてサウジアラビアの大部分をカバーしたと伝えられています[1]。

 報道によれば、この改修はイランの懸念に対する反応だったようです。この施設がシリア内戦に注力しすぎているため、イスラエルへの諜報活動がおろそかになっているというわけです。こうして新しい資機材と追加要員が基地に配備されたわけですが、鹵獲時には固定式かつ使い古されたようなアンテナ類しか残されていないなかったため[2][3]、より現代的な資機材とロシア人要員の撤収は数日から数週間前に行われたことは間違いないでしょう。

 この施設が正式に「ツェントル-S(SはシリアのSかスペシャルのSと思われる)」と命名されていたかどうかは不明ですが、ほかにもロシアとシリアのシギント施設が少なくとももう1か所あることが知られています。下の画像にあるのは、この「ツェントル-S2」という施設の開設10周年を記念した勲章です。


 「ツェントル-S」のロシア側運用者は、ロシア軍内の無線・電子諜報活動を担当していたGRUのオスナズでした。この部隊についてはあまり知られていませんが、ロゴを下の画像で見ることができます:それぞれ、「Части особого назначения(特殊任務部隊、つまりオスナズ)」と「Военная радиоэлектронная разведк(軍事電子情報収集)」と書かれています。



 占領された施設内の壁には、ロシアによる中東への関与をあらためて強調するさまざまな写真が掲示されていました。そこにはイスラエル軍の基地や部隊の配置が記された地図さえあったのです。ほかの写真には、この施設で働くロシア人要員の姿だけでなく、ロシア国防相顧問のリュボフ・コンドラチェフナ・クデーリナ氏の訪問も紹介されていました(注:クデリーナ氏は経済・財政担当の副国防相)。


「Совместная обработка информации российскими и сирийскими офицерами/معالجة مشتركة للمعلومات بين الضباط السوريين والروس( ロシアとシリアの将校による共同での情報処理/分析」と書かれている。

 下の画像は、「Начальники Центра-С(ツェントル-S センター長)」と書かれたコーナーを映したものです。赤い罫線で囲まれた6行の文字列には、歴代センター長の階級・氏名・在任期間が記されています。6人全員の階級は「Полковник(大佐)」のようすが、苗字は判読できません。

「Начальники Центра-С(ツェントル-S センター長)」

 下の画像には、「Визит советника МО РФ Куделиной Л.И. в Центр/زيارة مستشار وزارة الدفاع الروسية كوديلني لي للمركز"(ロシア連邦国防相顧問のクデーリナL.I.氏がセンターを訪問)」と書かれていますが、彼女はKudelina L.K.です。ここでは名前をミスして表記したものと思われます。


「Визит советника МО РФ Куделиной Л.И. в Центр/زيارة مستشار وزارة الدفاع الروسية كوديلني لي للمركز"(ロシア連邦国防相顧問のクデーリナL.I.氏がセンターを訪問)

「Рабочий визит начальника ГУ МВС ВС РФ( ロシア連邦軍国際軍事協力総局長が訪問)」

 下の地図に記されている「情報源」は、電波の発信源を示しているようです。

「Объекты、и источники северного военного округа ВС Израиля(イスラエル軍北部軍の基地と情報源)」

「Карта радиоэлектронной обстановки (電波環境図)」

[1] http://www.washingtontimes.com/news/2012/feb/29/russia-upgrades-radar-station-syria-aid-iran/
[2] http://youtu.be/RiQWr4SfVx0 ※アカウント停止のため視聴不可
[3] http://youtu.be/pEYrbcWpjH8?t=4s

特別協力: PFC_JokerMark Anthony(敬称略)

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

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2025年4月13日日曜日

イスラム国の機甲戦力:モスル周辺に登場した移動トーチカ


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 この記事は、2019年10月13日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 イラクにおける対イスラム国(IS)戦では、各勢力が敵より優位に立つために火力の向上を試みたことで、さまざまなDIY兵器が誕生しました。もちろん、ISもその例外ではありません。イラクでのIS部隊は、モスルで鹵獲した膨大な兵器群をイラクの絶えず変化する戦場で使用するための強力な武器に変えるにあたって、 数多くある兵器工廠の創意工夫に事実上依存していたからです。

 ウクライナの「BTS-5B」装甲回収車(ARV)の移動トーチカへの改造は、(ISにとって)そうでなければ役に立たない車両を、強力な兵器プラットフォームに変えた事例です。

 ソ連時代の「T-72」戦車群をさらに支援する取り組みの一環として、イラク軍は2006年に(それ自体も「T-72」をベースである)少数の「BTS-5B」を入手したものの、2014年のモスルでのイラク軍の崩壊で、下の画像に見られる「BTS-5B」やポーランドの「WZT-2」を含む複数のARVが稼働状態でISによって鹵獲されてしまいました。


 2015年1月、移動トーチカに改造された「BTS-5B」ARVが初めて登場したときは確かに人々を驚かせました。もちろん、すぐに溝にはまって撃破されてしまったからではありません。 こうして本来の用途では全く成功しなかったものの、その後継車両がイラクの平原に姿を現れるまで1年もかかりませんでした。2015年12月に初めて目撃されたこの二代目は、先代から学んだ教訓と、それまでISが広く使用していなかった技術を組み合わせたものです。

 しかしながら、この二代目の詳細を語る前に初代について考察することは有意義なことです。本来の役割ではISにとって少しも役に立たなかった「BTS-5B」は、オリジナルの車体の上に装甲キャビンを追加する形で大々的に改造されました。このために、クレーンやシュノーケル、そして工具の入った各種の木箱が取り外されました。ただし、ドーザーブレードとウインチは残されています。

 武装は装甲板で覆われた銃塔に装備された「DShK」12.7mm 重機関銃1門と複数の軽機関銃用の支持架で構成されています。この車両が最初で最後の戦場で使用された際、乗員は1門の「DShK」を補完するために「M16」と「AKM」も使用しました。


 おそらくサンドクリートで充填されたと思われる大きなブロックが新しく設けられたキャビンの装甲板として装備され、車体側面には大きなゴム製のサイド・スカートが取り付けられました。これらの組み合わせは、乗員を前方と側面からの射撃や爆発物の破片、そして場合によってはロケット推進擲弾(RPG)から保護することを可能にしました。

 装甲キャビンの支持梁で運転席のハッチがふさがれたため、操縦手はキャビンの床にあるハッチから車内に入る必要がありました。また、支持梁が視界を遮るために操縦手は運転中に頭を突き出すことを余儀なくされました。ただし、この弱点をカバーするためか防弾ガラスが装備されています。

 全体として、この改造AFVは見事なプロジェクトと言えます。これを完成させるためにISは多大な労力を費やしたに違いありません。それゆえに、このAFVの戦場における活躍が芳しくないのは、やや意外に感じられます。


 この移動トーチカは都市部で活躍できたはずです。そこでなら、前進する部隊に火力支援を提供できる重装甲の破城槌として重宝されたと思われます。装甲でほとんどの反撃を防ぐことができることを考えると、比較的軽度ながらも弾力性に富んだ武装はアパートの高層階など高所を狙うのに理想的だったでしょう。

 ところが、この移動トーチカは、2015年1月25日にISがペシュメルガに攻勢をかけたニネベ州シェハン近郊の平原で投入されたのです。失敗に終わった攻勢の映像はここで観ることができます

 この攻勢で、シェハンはIS戦闘員による度重なる攻撃の舞台となりました。この一連の攻撃の典型的なパターンには、1台の車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)の突入から始まり、続いて鹵獲したアメリカ軍の「M-1114」や「バジャー」ILAV、「M1117」ASVによる攻撃があります。 

 高地を守っていたペシュメルガは、数km離れたところからISの車両が近づいてくる状況を目視できていたため、(特に「ミラン」対戦車ミサイル(ATGM)がペシュメルガに供与された後では)ISがこうした攻撃手法を採用した正確な理由は依然としてわかっていません(編訳者注:この攻撃では敵陣地の到達前に簡単に撃破されてしまうため)。


 シェハンへの攻撃では、数台の(装甲強化型)「M-1114」、1台の装甲強化型「バジャー」ILAV、1台の「M1117」ASVと移動要塞がペシュメルガの陣地に向かって移動したものの、即座に高地から激しい機関銃や迫撃砲、さらには戦車砲の攻撃を受けました。ただし、ペシュメルガからの攻撃のほとんどが外れるか、各車両のDIY式追加装甲で跳ね返されたようです。その結果として、一部の車両は撃破される前に山の近くまで前進することができました。

 移動トーチカは溝に落ちてRPGと(おそらく)迫撃砲弾の直撃を受け、無防備な乗員が殺害されました。こうして、最初の移動トーチカはその生涯を終えたのです。


 二代目は、イラクのモスルにおけるウィラヤット・ニーナワー(ニネベ州)でのIS装甲部隊の演習を取り上げたISのプロパガンダ動画「ダビク・アポイントメント」に最初にして唯一登場しました。「ダビク・アポイントメント(約束の地:ダビク)」とは、シリア北部あるダビクという町を意味したものであり、ISによれば、同地で正義(イスラームの軍勢)と悪(背教徒:つまりIS以外の全て)の最終決戦が行われるというものです。

 大方の予想に反して、この町の近くに有志連合軍の部隊が大規模に展開して(その結果として)戦闘が起こることは、ISが心から望んでいたことでした。空爆やドローンによる攻撃を卑怯な行為と見なす彼らとしては、この戦闘こそが「十字軍(有志連合軍)」と決戦する手段としていたからです。それにもかかわらず、この小さな町は2016年10月、トルコの支援を受けた自由シリア軍によっておとなしく占領されてしまいました。敵にさらなる脅威を与えるためか、動画にはイタリアのローマにあるコロッセオに向かって行進するISの戦車のカットが含まれています。


 「ダビク・アポイントメント」に登場するのは、「防御大隊」と「襲撃大隊」を傘下に置く第3アル・ファルーク機甲旅団で、彼らはウィラヤット・ニーナワーにおける大部分の装甲戦闘車両(AFV)の運用を担っています。動画での第3アル・ファルーク機甲旅団はダビクでの「差し迫った」戦いに備えて訓練を行っており、2台の「T-55」と1台の「59式戦車」、2台の「MT-LB」汎用軽装甲牽引車、2台の「バジャー」ILAV、1台のMRAP、1台の移動トーチカ、1台の「BTR-80UP」装甲兵員輸送車を含む多数のAFVを使い、装備の整った戦闘員(歩兵)と共に標的を撃ち、陣地を襲撃している様子が映し出されていました。 

 下の車両は第3アル・ファルーク機甲旅団が使用しているもので、「 ولاية نينوى - الجند (?) لواء الفاروق المدرع الثالث - ウィラヤット・ニーナワー - 戦士 (?) - アル・ファルーク機甲旅団 - 第3」と書かれています。また、白い円の文章はシャハーダ(信仰告白)の「 محمد رسول الله - ムハンマドはアッラーの使徒である」です。これはISが運用する車両に見られるもので、単に装飾的な目的で施されていると考えられています。


 初代と同様に、この「BTS-5B」もAFVとしての新たな用途のために大幅に改造されました。オリジナルの状態では車両上部に搭載されているクレーンやシュノーケル、さまざまな種類の箱は撤去されています。使用されることはないでしょうが、ドーザー・ブレード(排土板)は残されました。スラット装甲によって光線が遮られるために撤去されたと思われる前照灯を補うため、前部マッドガード(またはフェンダー上)に2個の新しい前照灯が取り付けられています。

 初代では、新たに搭載されたキャビンの周囲にシンプルなブロックが装備されているだけだでしたが、二代目では、車体の周囲と高くなったキャビンの周囲にスラット装甲が取り付けられています。確かに見応えのある見た目ですが、スラット装甲とそれを支持する架台の強度はお世辞にも良いとは言えないものです。おまけに、操縦手の視界は前方に設置されたスラット装甲によって著しく阻害される可能性が高いと思われます。

 初代では特徴的だったゴム製のサイドスカートについては、この二代目には装備されていません。


 武装については、「DShK」12.7mm重機関銃1門を装備して軽機関銃用の支持架を複数備えていた初代から大幅に増強されました。二代目では同じ「DShK」を指揮官(車長)用キューポラに搭載したほか、「KPV」14.5mm機関砲が元イラク陸軍の「M-1114」から、高くなったキャビンの上に移設された装甲銃座に装備されています。

 「KPV」の銃座は敵にとって格好の標的となる一方、高い位置にあるために周囲の視界が良好であり、移動トーチカの見通し線(LOS)上のいかなる目標に対しても射撃が可能という利点があります。


 本物のAFVというよりは歩兵を輸送する重装甲の破城槌と言っても過言ではない初代とは異なり、二代目は正真正銘のAFVに近い存在と言ってもいいでしょう。車体上に搭載されたキャビンの圧倒的な大きさについては、ATGMやRPGの格好の標的にもなることを考慮すると二代目の長所にも短所にもなります。

 二代目移動トーチカの最終的な運命はまだ明らかになっていませんが、モスル周辺にあるペシェルメルガの陣地への攻撃に投入された可能性は十分に考えられます。この2台の移動トーチカの存在は、IS戦闘員がたいていの戦闘状況に頻繁かつ素早く適応できているものの、この地域における戦闘員たちがAFVの運用に関する適切な戦術を理解できないままだったということを証明するものかもしれません。

4枚目と5枚目の画像:Matt Cetti-Roberts via The Kurds Are Close to Mosul—And in No Hurry to Get There.


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

【復刻記事】鋼鉄の野獣: シリア軍のT-55戦車


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2014年11月27日に「Oryx」本国版(英語)とベリングキャットで公開された記事を日本語にしたものです。10年前の記事ですので当然ながら現在と状況が大きく異なっていたり、情報が誤っている可能性があります(本国版ブログは情報が古くなったとして削除)。ただし、その内容な大いに参考となるために邦訳化しました。

 (この記事の執筆時点で)約4年に及ぶ内戦は、シリアの戦車部隊とその運用方法に影響を与え続けています。今や、彼らはシリア各地に点在しており、数多くの友軍に火力支援を提供しているのです。

 この新シリーズでは、シリア軍が運用する鋼鉄の野獣にスポットライトを当てます。

 シリア国内でアサド政権の戦車を実際に運用しているのは誰なのか、やや曖昧なままです:多くの人はシリア国内における全ての戦闘任務をシリア・アラブ軍(SAA)が担い続けていると考えていますが、SAAはその人員と装備の多くを国民防衛隊(NDF)やその他の民兵組織に移管しています。

 しかしながら、シリア軍は依然として多数の旅団とシリア各地に点在する無数の駐屯地を維持しています。つまり、そこで発見された戦車は、その全てがシリア軍の指揮下に置かれたものというわけです。

 戦車部隊で運用される戦車は大きく3種類に分類することができます:「T-55」と「T-62」、そして「T-72」です。さらに2種類:「T-54」と「PT-76」もかつてシリアで運用されていたものの、現存する「T-54」の大部分はレバノンに寄贈され、その他は保管状態にあります。今のところ、前者は多くが現役に戻されつつありますが、後者はこの10年間でスクラップにされたと考えられています。

 内戦が勃発する前のシリアは約5,000台の戦車を保有していたと推測されています:内訳としては、「T-54/55」が2,000台、「T-62」が1,000台、「T-72」が1,500台です。しかし、この数字はかなり歪められています:2010年代初頭でシリアが実際に運用していた戦車は2,500台に近いものであり、その内訳は「T-55」が約1,200台で「T-62」が約500台、「T-72」が約700台でした。もちろん、2,500台の戦車が同時に稼働していたわけではありません。「T-55」や「T-62」の大半は予備兵器扱いや保管状態にありました。

 2,500台の戦車のうち、1,000台以上が内戦で失われました。その大多数は「T-55」ですが、残存する戦車の多さがこうした損失をカバーしています。

 2014年末の時点で、シリア軍は推定700台の「T-55」が作戦能力を維持している一方で、この国を支配するべく戦っている多くの勢力も、さまざまな種類の「T-55」を運用し続けています。その中でも特筆すべき運用者はイスラム国です:彼らは第93旅団で数十台を鹵獲して、この戦車の主要なユーザーとなったのです。同旅団が保有していた戦車のほとんどは、後にイスラム国によるコバニへの攻勢に投入されました。


 シリアでの「T-55」は4種類に分けることができます:標準的なスタイルの「T-55A」、北朝鮮が改修した「T-55」、「T-55AM」、そして「T-55MV」です。これらのうち最も多く運用されているタイプは「T-55A」で、北朝鮮の改良型、「T-55MV」と「T-55AM」がそれに続きます。

 「T-55A」と北朝鮮の改修型はその大部分がNDFでも運用されている姿を目撃されていますが、「T-55AM」と「T-55MV」の運用はSAAだけです。

 北朝鮮の改修型は同国で設計されたレーザー測距儀(LRF)を搭載しているほか、一部は発煙弾発射機や「KPV」14.5mm機関砲さえ装備しています。シリア軍の「T-54/55」には、少なくとも2種類の北朝鮮製LRFが搭載されていることが判明しています。

 これらの戦車の改修は1973年の第四次中東戦争で得た戦訓に基づいたものであり、ソ連による「T-55」の改修:シリア軍の一部が受けた「T-55AM」規格への引き上げよりも安価な代替案として、1970年代初頭から80年代にかけて実施されたものです。

北朝鮮製LRFを装備した「T-55」(イスラム国が鹵獲したもの)

 「T-55AM」規格への改修には、「KTD-2」LRFとサイドスカート、発煙弾発射機の搭載が含まれていたものの、砲塔と車体前部への「BDD」追加装甲の装着については予算の制約から省略されてしまいました。下の画像は、ダラア県で活動する反政府軍:グラバー・ハッラーン大隊が運用するT-55AMです。


 「T-55MV」はシリア国内で使用されている「T-55」の中で最も近代的なものであり、その戦闘能力はシリアの「T-72」を上回るとさえ言えるかもしれません。「T-55」のMV規格への改修については、1997年に200台がウクライナによって実施されました。[1]

 シリアの「T-55AM」とは逆に、「T-55MV」は新型エンジンの搭載や対戦車ロケット弾(RPG)に対して装甲の防御力を強化する爆発反応装甲(ERA)ブロックの装備などで全面的に改修されました。

 シリアの「T-55MV」は、主砲である100mm砲から発射可能な「9M117M "バスチオン"」砲発射式対戦車ミサイルも装備しています。これまでシリアで「9M117M」が使用されていることは知られていませんでしたが、反政府勢力がクネイトラ県のテル・アフマル近郊で約10発を鹵獲したことで判明したのです。

 クネイトラは昔から「T-55MV」戦車隊の拠点であり、戦争になれば同ミサイルはイスラエルの戦車にとって厄介な奇襲の道具となったことでしょう。これらのミサイルは高価なため、各戦車は数発しか搭載していません。ミサイルの大多数は将来的にイスラエルの機甲部隊に使用される可能性があることから、ゴラン高原沿いのテル・アフマルのような弾薬集積地点に備蓄されたままです。


 一部の「T-55MV」はLRFの上に奇妙な装置を搭載しています。おそらく、この装置はある種のカメラとして機能すると思われます。というのも同様の装置がウクライナによって改修された「BMP-1」でも見られたからです。ただし、決定的な証拠は車内を映した映像でしか得られないので断定はできません。


 すでに共和国防衛隊の「T-72」で見られたものと同様に、「RPG」に対する防御力を向上させるため、「T-55」にも土嚢で防御力を向上させたスラット装甲が少しずつ導入されています。こうした装甲を装備した「T-55」を下の画像で見ることができます。ちなみに、改修された「T-55」の大半は砲塔の周囲にスラット装甲を施されただけでした。


 NDFは「T-55」を安全な距離から反政府勢力の拠点を攻撃するという積極的な用途で運用し続けている一方で、シリア軍は「T-55」のほとんどを固定式のトーチカとして使用しているため、敵が持つ対戦車ミサイルの格好の餌食となっています。

 シリアにおける戦車の損失の大部分は、地方の守備隊や検問所を強化するという(ほとんど)無駄な試みによる必然的な結果によるものです。


 「T-55」の数があまりにも多いため、シリア軍とNDFには兵士の火力支援に提供する戦車が不足するという差し迫った恐れはありません。

 シリアの戦車部隊にとって最大の脅威は悲惨な燃料不足です。入手可能な燃料のほとんどは、共和国防衛隊やスクーア・アル・サハラ(デザート・ファルコン)といった部隊で使われているからです。燃料不足はすでに戦車運搬車(トレーラー)の広範囲にわたる使用を強いています。なぜならば、戦車が自力で配備地まで走行するための十分な燃料が不足しているからです。この状況は、デリゾール周辺の油田が奪還されない限り改善されることはないでしょう。