著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)
Su-7は数多くのほかの種類のミグ、スホーイや瀋陽(飛行機)の存在で完全に影を薄くしていたにもかかわらず、朝鮮人民軍航空及び反航空軍(KPAF)のなかで30年以上もわたり重要な役割を果たした。
平壌のSu-7飛行隊が現在でも運用され続けられているのかは議論の余地があるものの、北朝鮮はSu-7を運用する最後の国として知られている。
少なくとも28機のSu-7BMKが1969年に発注され、1971年に引き渡された。
しかし、確かに少なくはない配備数とKPAFがさらに多くの旧式機を運用している事実にもかかわらず、Su-7は長い間、プロパンガンダ上では捉えられていなかった。
実際、前世紀の後半にかけての演習やパレードの歴史的な映像でさえ、Su-7の姿は全く撮影されなかった。
これによって、全機が退役したという説が浮上した。
これらの機がKPAFで運用されているベストな写真での証拠は、70年代か80年代に金日成がSu-7BMKの727号機を視察している不鮮明なショットと朝鮮人民軍武装装備館に展示されている1機の画像である(上の写真)。
北朝鮮のSu-7飛行隊はKPAFで運用されている他の多くの航空機と同様に、定期的に他の飛行場に移動している可能性が高いものの、歴史的に谷山(コクサン)飛行場を拠点として運用されていた。
しかし、21世紀初頭には飛行隊の姿が一見して見えなくなり、インテリジェンスはSu-7が退役したという結論を導き出した。
何年もの間KPAFで運用されていた機の唯一の物的証拠である実例は、北倉飛行場(KPAFのMiG-23飛行隊と数多くのヘリコプターが駐機している) に駐機する1,2機であるが、それらが飛行可能であるかは知られていない。
興味深いことに、2009年から2011年時点の谷山飛行場には約12機のSu-7が存在した。
しかし、大量のMiG-19 /
F-6が舗装された滑走路に駐機された代わりに、Su-7は山の反対側(注:基地南側)にある未舗装の駐機場に運ばれた。
この駐機場と通じている道がわずかな未舗装路しかないのに、どのようにして航空機をそこへ移動させたのかについての疑問が湧く。
谷山には、北朝鮮にある他の多くの飛行場と同様に地下の航空機保管施設があり、それは近くの山中に深く掘られている。
同飛行場周辺の画像を分析したところ、山岳地帯には隠れた「奥への入り口」があり、未舗装の駐機場と主要な施設が通じているという結論に達した。
北朝鮮に多く存在する未舗装で小型の飛行場とSu-7のそのような地帯へ離着陸できる能力が、特異な性能の利点を生むようだ。
この大型地下施設の存在は、Su-7飛行隊がこの飛行場を離れたことがないことと、その代わりとして長い年月の間そこに保管されている点を示唆している。
KPAFでのまれな使用の理由は、至る所にあるMiG-19 / F-6と比較して燃料やスペアパーツの不足から飛行可能機数自体の減少へと変わるかもしれない。
当初、戦闘機として設計されていたSu-7は後に戦闘爆撃機としての開発に転じ、そして世界中の様々なソ連の顧客に広く輸出された。
1971年のインド・パキスタン戦争において同機を投入したインドによって同機が成功した飛行機だと考えられていたが、中東での成功例は極めて少なかった。
6日間戦争、消耗戦争、ヨムキプール戦争で使用されたSu-7には、シナイ砂漠を通過するイスラエル機甲部隊と効果的に交戦するための航続距離や適切な武装が欠けていた。
Su-7は2つの増槽を搭載することができたが、この能力によって武装を搭載できるハードポイントの数はわずか4箇所に減少した。
同機が搭載したS-3及びS-5無誘導ロケットはイスラエル軍戦車の装甲を貫通できなかった。
敵の戦闘機から自分自身を守ることができないことも、Su-7の設計における大きな欠陥であった。
S-5無誘導ロケットはKPAFの主要な空対地兵器であり、UB-16ロケットポッドに搭載され、北朝鮮の戦闘機や戦闘機のほぼすべてに使用されていることは興味深い。
当記事は意訳などで、本来のものと意味や言い回しが大きく異なる箇所があります。
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
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