2026年6月2日火曜日

【復刻記事】T4要塞:戦乱で変貌した空軍基地


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ 
collaboration with Luftwaffe A.S.・衛星画像: finriswolf.(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2015年6月29日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とBellingcatで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 シリア中部におけるイスラム国(ISIL)の攻勢は、戦闘員がこれまで手の届かなかった地域へ活動範囲を拡大することを可能にしただけでなく、今やアサド政権のガス供給網や複数の戦線におけるプレゼンス、そして最重要拠点にしてシリア最大の空軍基地であるT4空軍基地と同基地へ通じる唯一の道路までも脅かしています。

 近隣にあるポンプ場と同じ名称であるT4については、より一般的には(正確ではないが)「ティヤス」を含む数多くの通称で知られています。タドムル空軍基地陥落後の現在では、シリア空軍(SyAAF)が実効支配する16の作戦基地の一つとなり、その防衛は空軍がシリア領空を掌握する上で必要不可欠なものとなりました。

 現在、T4基地では少なくとも3個の戦闘爆撃機飛行隊と1個のヘリコプター飛行隊が運用されており、運用機にはシリア空軍の誇る「Su-24M2」もあります。また、同基地には、過去10年間で大部分が段階的に退役した「MiG-25」飛行隊の拠点でもありました。シリア最大の空軍基地であるにもかかわらず、T4には滑走路がたった1本しかないため、この唯一の滑走路が破壊された場合、この基地は極めて脆弱な状態に陥るでしょう。

 2014年半ばから後半にかけてシリア中部と東部の全域で電撃的な進撃を続けたISILによるT4基地への攻撃を予期して、同基地の戦力は、制圧される前のタブカ空軍基地から避難してきた「L-39」練習機の暫定的な飛行隊と少なくとも4機の「Mi-8/17」ヘリコプターから構成される分遣隊の配備によって増強されました。

 T4基地の高い軍事的価値を深く認識しているアサド政権が基地防衛に多大な努力を尽くしたことで、今では難攻不落の要塞同然と言えるものとなっています。「要塞T4」は、現時点におけるISIL支配下のタドムルとアサド政権支配下のホムスを隔てる障壁としても機能していることから、その重要性が一層高まっているのです。

 T4基地守備隊は過去1年間を通じてISIL部隊と幾度も衝突しており、最新の攻勢では将校用宿舎T4ポンプ場付近まで迫ったようです。ISIL関連のツイッターアカウントによる複数の報告によれば、2015年5月下旬にT4基地は砲撃を受けたものの、これが基地に損害を与えたかどうかは現時点でも確認されていません。

 基地自体はISILの手に落ちるという差し迫った危険には晒されていないものの、T4へ通じる唯一の道路の支配権が争われている状況です。したがって、ISILがホムス方面への進撃を続けた場合、この道路は完全にISILに制圧される可能性が高いと思われます。そうなればT4基地は孤立し、道路によるアクセスが不可能となるため、いずれ重大な問題を引き起こすでしょう。

 T4基地への補給は空軍の輸送機とヘリコプターに頼らざるを得なくなるでしょうが、この空輸戦術では重火器や燃料を搬入できないという深刻な欠点があります(編訳者注:空軍の機体では燃料すら十分な量を輸送できない)。もちろん、アサド政権にとって貴重なリソースを大量に消費することになるという事実があることは言うまでもありません。


 T4に配備されている航空機とヘリコプター飛行隊はISIL戦闘員にとって大きな悩みの種となり得るだけでなく、ホムス県で将来行われるあらゆるISILの攻勢を阻止する能力を有しています。ただし、空軍は現実の情勢に十分に対応できない状態が続いており、地上戦が終わった後にようやく参戦する事例が少なくありません。したがって、T4基地で運用可能な戦力を最大限に活用するためには、地上部隊と空軍機・ヘリコプターとの連携強化が不可欠です。そして、空軍が最近失った町に対して行った自暴自棄の報復攻撃についても止める必要があります。これらの出撃で殺害された数多くの罪なき民間人の命だけでなく、無用な出撃に投入された貴重な航空機自体も救うことができるからです。浪費された飛行時間は、代わりにアサド政権の地上部隊を支援する任務に割り当てられるべきでしょう。

 例えば、Hulayhilah守備隊を支援するためにT4から出撃した申し訳程度の任務はたった1回だけであり、最近ISIL戦闘員によって占領されたガス田やアル・スクナ、アル・ハイル、アラクといった数多くの町を守る部隊には航空支援が皆無だったのです。空軍はタドムル陥落時もほぼ静観しており、地上部隊の士気を高めるための意味のない出撃を繰り返しただけでした。この町がISILに占領された後にやっと激しい空爆が開始されたものの、使用された爆弾が住宅地へ無差別に投下されたことは周知のとおりです。

 タドムルに存在する巨大な兵器貯蔵庫と空軍基地はISIL戦闘員に大量の武器弾薬を提供していたため、高度な精密誘導兵器を装備できる空軍の戦闘爆撃機にとって当然の標的となりました。ところが、どの貯蔵庫もシリア空軍の攻撃目標とはならず、タドムルで鹵獲された6門の対空砲を撃破するため動いたのはアメリカ主導の有志連合軍でした[1]。精密誘導兵器を搭載可能な機体の大半がタドムルから僅か60kmしか離れていないT4基地に配備されているにもかかわらず、です。

 種類が豊富なシリアの空対地精密誘導ミサイルは、数は限られている上に内戦では全く使用されていません。このことから、その大半は将来起こるかもしれないアメリカやイスラエルとの武力衝突に備えて温存されている可能性が高いと考えられます。しかし、戦争が4年目に突入した今、こうした兵器をこの内戦で活用する方が賢明ではないかという疑問が生じます。現時点におけるシリア空軍の精密誘導兵器のストックは急速に枯渇するでしょうが、ロシアによって迅速に補充される可能性があります。ロシア製兵器が定期的にシリアに供給され続けている事実が、まさにその証左です。


 最新の(公開されている)衛星画像でT4をチェックすると、基地周辺に運用不能と思われる多数の航空機が点在して様子が確認できます。2014年10月には退役した「MiG-25」が32機もありました。確かに壮観ではあるものの、かつて強大だった「フォックスバット」飛行隊の時代の終焉を告げる光景です。「MiG-25」飛行隊は過去10年間にわたり徐々に退役が進められ、世紀の変わり目までに運用可能な機体は僅か数機となっていました。

 シリアが導入した「MiG-25」の数は約40機です。これらには、(後に「MiG-25PDS」に改修された)「MiG-25P/PD」迎撃機や「MiG-25R/RB」偵察機、「MiG-25PU」複座練習機が含まれると見られています。「MiG-25」飛行隊の退役理由については、機体の老朽化とそれに伴う運用維持費の増加のみならず、この機種がイスラエルのジャミングに対して脆弱だった点にもあるかもしれません。

 シリア内戦では一部の「MiG-25」の運用が複数回にわたって再開された模様です。最後に確認された出撃は2014年3月と4月に行われ、その際に「MiG-25PD(S)」が地上目標に向けて「R-40」空対空ミサイルを発射しました。当然ながら、これらの出撃は実りある結果をもたらしませんでした。

 最後に「MiG-25」を運用したのはタドムルの詳細不明な飛行隊であり、2013年末まで3機の「MiG-25PD(S)」と1機の「MiG-25PU」を配備していました。その後、これらはT4基地へ移送され、既に保管状態にある「MiG-25」飛行隊の残存機と合流したと思われます。



 シリア空軍の「Su-24M2」を含むT4基地から運用される現用機の大半は、同基地内に58基設けられた航空機用強化シェルター(HAS)に格納されています。T4は古くからシリアの「Su-24」の拠点であり、その大半は基地南東部に配置されていますが、常に数機がジーン基地に派遣されています。「Su-24」は間違いなくシリア空軍にとって最重要戦力であり、過去4年間で多用されてきた存在です。

 T4基地はISIL支配地域に近接しているにもかかわらず、「Su-24」を運用する第819飛行隊がISIL攻撃に参加することは稀です。その代わり、「Su-24」飛行隊は、主にシリア全土の村落を攻撃対象としている長距離攻撃部隊として機能しています。デリゾールからクネイトラに至るまでの攻撃どころかキプロスのアクロティリ基地に駐留するイギリス空軍のリアクションタイムをテストすることさえ成し遂げてきたのです。

 以前の報告とは反対に、1990年代半ばにリビアからシリアへの「Su-24MK」1機と「Su-24MR」1機の移送は実際には行われなかった可能性があるようです。実際、複数のシリア空軍パイロット及びT4基地の元司令官によって否定されています。これはシリアが入手した「Su-24」の数が僅か20機であることを意味します。しかしながら、これらの「Su-24MK」のうち19機は2010年から2013年にかけてロシア・ルジェフの第514ARZ航空機修理工場によりM2規格に改修されました。そして、内戦への参加に間に合うかのように、全機が比較的注目されることなくシリアへ帰還したのです。



 この改修では機体の古い制御システムを新型に入れ替えることによって、改良された照準能力・航法および火器管制システムがもたらされました。また、MK2はより新しい搭載装備である「KAB-500/1500(精密誘導爆弾、数字は爆弾の重量を示す)」、「Kh-31A/P」、「Kh-59」、「R-73」との互換性も得ています。つまり、既存の「FAB(無誘導爆弾)」、「OFAB(破砕爆弾)」、「RBK(クラスター爆弾)」、「Kh-25」、「Kh-28」、「Kh-29L」、「Kh-29T」、「Kh-58」空対地ミサイル、「KAB-500」及び「KAB-1500」誘導爆弾、「S-24/25」空対地ロケット弾やロケットポッド、「R-60」空対空ミサイルといった搭載兵器群に新しいものが追加されたわけです。

 シリアでは、「R-73」を除く全兵装が「Su-24M2」で運用可能となっていますが、この空対空ミサイルは「MiG-29SM」専用となっています。



 シリア空軍が入手した20機の「Su-24」のうち、2015年6月時点で11機が運用可能な状態にあります。このうち内戦前に事故で全損した1機を除く全機が内戦中に何らかの損失を被りました。

 1機は2012年11月28日にダーラト・イッザ上空で自由シリア軍のMANPADS(携帯式地対空ミサイル)によって、別の1機は2014年9月23日に占領下のゴラン高原上空に迷い込んだ後、イスラエル軍の「パトリオット」地対空ミサイルによって撃墜されました。さらに別の1機は2015年6月11日にNahtah 近郊に墜落しましたが、これはおそらく搭載していた爆弾の早期爆発が原因とみられています。 

 2015年5月、1機の「Su-24M2」が対空砲火で深刻な損傷を受けた後、パイロットは機体の状態にもかかわらず、何とかT4基地まで辿り着かせることに成功しました。しかし、損傷が安全な着陸に支障をきたすことが明らかな状態になり、最終的に滑走路へのアプローチ中に墜落しました。パイロットと航法士はともに無事脱出したと伝えられています。

2015年5月28日には、さらに2機が事故で失われたとみられています。両機が次の出撃に向けて再武装中だった際に爆発が発生し、少なくとも5名の死亡と十数名の負傷者をもたらしたとのことです。

そして、地上砲火を受けてもう2機が運用不能となってしまいました。両機の損傷は軽微で修理可能ではあるものの、現在のシリア空軍には必要なリソースが不足しているために何もできていません。こうした損失で運用可能な「Su-24MK2」はほぼ半減し、1機ごとの損失がシリア空軍にとって大きな痛手となっています。


 T4基地に駐留する2番目の戦闘爆撃飛行隊は「Su-22M4」を運用しており、全機が同基地の北西部及び南西部に配置されています。第827飛行隊は過去1年間でISIL戦闘員に対する攻撃任務に頻繁に投入され、主にシリアの砂漠地帯をパトロールする「スクーア・アル・サハラ(砂漠の鷹)」旅団の支援任務に従事してきました。

 「Su-22M4」は、「S-24/25」空対地ロケット弾、無誘導ロケット弾ポッド、「FAB」、「OFAB」、「RBK」の各種爆弾、「KMGU-2」ディスペンサー、「Kh-25」、「Kh-28」、「Kh-29L」、「Kh-29T」、「Kh-58」空対地ミサイル、そして「R-60」空対空ミサイルを搭載可能です。ただし、シリア内戦における「Su-22M4」はほぼ完全に無誘導兵器のプラットホームとして使用されています(誘導兵器を運用可能という能力は無視され続けています)。


 ISILの対空砲火に頻繁に狙われる「Su-22」を運用する第827飛行隊ですが、過去4年間の損失は比較的軽微であり、2014年11月30日にシャエルのガス田付近でISIL戦闘員に撃墜された「Su-22M4」が1機のみです。「Su-24M2」と同様に、戦闘による損傷を受けた数機が修理待ちの状態にあります。

 2014年中盤から年末にかけて、T4空軍基地の航空戦力は「L-39」分遣隊の配備によってさらに強化されました。今ではシリア上空で目撃されることは稀ですが、シリア空軍が保有する「L-39」機の残存機はほぼ全戦線で作戦飛行を続けており、「L-39ZO/ZA」はアレッポ及びダマスカス地域において、ほぼ夜間の出撃に限定して運用されています。

 T4基地に配備されている「L-39」は、ナイラブ/アレッポ国際空港にあるシリア空軍修理整備センター(通称「工廠」)でオーバーホールされた機体の一部です。こうした機体は、2014年8月24日にISILに制圧される前のタブカ基地を含む、シリア国内で生き残っている作戦基地に配備されました。現在T4に配備されている「L-39」自体は、以前はタブカに配備されていたとみられています。これらは、ISILがシリアで攻勢を展開するに中で、その戦闘員たちを追うように移動してきたのです。

 「L-39」の火力向上を図るため、オーバーホールされた全機体には(そもそも同機種での使用が想定されていなかった)「B-8」80mmロケット弾ポッドの搭載用配線が施されました。下の画像には、現在T4空軍基地に配備されている「B-8」を装備した「L-39ZO」が写っています。このロケット弾ポッドの搭載のおかげで、従来は57mmロケット弾ポッドと爆弾だけを装備可能だった「L-39」の能力が大幅に強化されたのです。



 最近のT4基地の衛星画像では常に少なくとも5機の「L-39」が存在しており、その大半は「MiG-25」が以前に使用していたエプロンや現在は「L-39」の支援施設として機能している複合強化シェルターに駐機している様子が確認できます。




 現在T4に配備されている「Mi-8/17」分遣隊は、この地域に残存するアサド政権軍を支援するとともに、空軍基地とアサド政権支配下のシリア全土との連絡役を担っています。


 最近の衛星画像では、「L-39」のすぐ西側に4機の「Mi-8/17」が駐機している様子が確認できます。 



 「MiG-25」飛行隊の退役後、中身が空となった多くの強化シェルターは、兵舎や武器庫、さらにはトーチカに転用されています。衛星画像では基地の北東側に位置する2つのシェルター南東部に位置する一つのシェルター周辺では特に活発な動きを見せており、常に複数のトラックがシェルター内や付近に存在している状況です。




 T4の中央には1個戦車中隊が駐屯しており、この基地の防御体制をさらに強化しています。



 デリゾール周辺の油田を守備するために派遣されたスラブ軍団(PMC)のロシア人傭兵たちは、同市への到着前にT4基地に立ち寄ったことが確認されています。実際に戦闘するよりも写真撮影に多くの時間を費やしているように見えた彼らは、デリゾールへ向かう道中のアル・スクナ近郊で反政府勢力に待ち伏せ攻撃を受け総崩れとなり、速やかにロシアに帰国しました。その後、ロシア政府によってこの活動が違法と判断されたため、スラブ連隊の代表者たちは連邦保安庁(FSB)に拘束されてしまったことは言うまでもありません(編訳者注:ロシアではPMC自体が非合法の存在であるため)。

 下の画像は、5人の傭兵がSu-24M2 ‘2514’ の前で撮った記念写真です。


 空軍基地を囲むように配置された2基の「S-75(SA-2)」と3基の「S-125(SA-3)」地対空ミサイル(SAM)陣地は現在も稼働中であり、敵を混乱させるためか定期的に位置を変更しています。そもそも旧式装備である以上、これらが有志連合軍の空爆を迎え撃つのには全く役に立たないでしょうが、それでも空爆の初期段階で敵機の最低高度を押し上げたり、他の勢力による単独攻撃を牽制する効果は期待できるでしょう。

 これらのSAMを目標へ指向する任務を担うシステムは、「P-18 "スプーンレストD"」2次元VHF対空捜索レーダー(2基)と「P-35/37 "バーロック"」早期警戒レーダー(2基)です。これらはシリア中部を飛行するあらゆる航空機の探知を担当していますが、タドムル空軍基地と多数のレーダーがISILに占領された今では極めて重要な任務となっています。T4にはさらに1基ずつの「RSP-7」飛行場監視レーダーと「1L22 「パロル」」対空・識別(IFF)レーダーが配備されており、着陸を控えた航空機の誘導に用いられています。


 
 ISILによるこの重要な空軍基地への新たな攻撃は、またしても基地に到達前に阻止されました。ここ最近続く彼らの劣勢を考えると、これが基地を制圧できる最後の機会だったかもしれません。その規模と重要性の大きさゆえに、T4要塞は確かにシリア空軍の主要拠点としての機能を維持し続けるでしょう。


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました

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2026年5月23日土曜日

【復刻記事】イスラム国、新たな奇襲攻撃でタドムル(パルミラ)を制圧す


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 
この記事は、2015年5月21日に「Oryx」本国版 (英語)とBellingcatに投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 イラクとシリア双方の標的に対して開始された一連の新たな奇襲攻撃の結果、イスラム国(ISIL)は古代都市パルミラ(現代名タドムル)の占領に成功しました。戦略的に重要な町であるアル・スフナが僅か1週間余りで陥落し、イラクのラマーディー市もタドムルの数日前に同じ運命をた辿ったことを踏まえると、ISILは制圧された状態から程遠く、昨夏に見せた破竹の勢いの進撃を再び起こそうと企てている可能性が示唆されています。

 タドムルは同名の空軍基地が存在し、M20高速道路の要衝に位置するため戦略的に極めて重要な場所です。この道路は最近陥落したアル・スクナ経由でアサド政権の国内東部で最後に生き残っている都市:デリゾールへと通じています。この高速道路へのアクセスを断たれ、ISILが新たに得た二拠点を奪還する見通しも限りなくゼロに近いことから、アサド政権はデリゾール守備隊への補給の維持が極めて困難となり、同市と(市内にある)空軍基地の陥落は近いうちに避けられない事態となるかもしれません。

 タドムルの町は古代ローマ時代の遺跡群でよく知られていますが、ISILが史跡を破壊してきた経緯を考えると、今やそれらが破壊の標的となる恐れがあります。この点について西側メディアが大々的に報じる可能性は高い一方で、先にシリア国営メディアが民間人の避難を報じていたにもかかわらず、これまでに数百人もの死傷者の発生が報じられているのです。つまり、数多くの人が犠牲になったこと、何千もの人命が危機に瀕していることも忘れるべきではありません。もちろん、主流のメディアが幅広い層の興味を引く新たな話題を熱心に追い求める以上、新たな毒ガス攻撃や最近の攻勢といった出来事は、破壊の危機に瀕した古代ローマ遺跡に関する報道ほど取り上げられる可能性は低いでしょう。

 また、シリア最大級と言えるタドムルの巨大な兵器貯蔵庫も極めて重要です。この貯蔵庫が何を貯蔵しているのかは依然として不明な一方で、弾道ミサイルが保管されているとの報告があります。もしこれが事実ならば、ISILがこうしたミサイルを入手した映像や画像を近いうちに公開する可能性が高いでしょう。それでも、彼らが実際にミサイルを運用することはほとんどあり得ないと思われますが。 むしろ懸念すべきなのは、戦闘員によって戦利品(ガニーマ)として鹵獲された多種多様な武器が、将来の攻勢の原動力となってISILが地域全域の前線に圧力を加えることを可能にするという事実です。



 下の画像は、ISILが数日前にタドムルへの攻勢を開始した初期段階で鹵獲された数百個もの弾薬箱です。これは、タドムル周辺に点在する多数の貯蔵用バンカー内に依然として大量の武器弾薬が存在する可能性を明確に示しています。


 タドムルはシリアのガス供給において大部分の産出と供給を担う重要な拠点でもあります。タドムルを掌握するということは、周辺に広がる数多くのガス田とパイプラインへ容易にアクセスできること意味します。すなわち、今やこれら全てがISILの支配下にあるということです。ガス田へアクセスできなければ、アサド政権はダマスカス、ラタキア、タルトゥースへの十分なガス供給を維持する上で重大な問題に直面する恐れがあるでしょう。

 ISILがタドムルを簡単に制圧できた事実は、アサド政権支配下のシリア全域に分散配置された軍部隊がいっそう疲弊しており、今や政権のために命を捧げようとする兵士が徐々に尽きつつあることを明確に示しています。アサド政権の状況は以前からすでに深刻でしたが、イランとヒズボラの介入で各地における自由シリア軍の進撃が阻止され、内戦初期段階における状況を安定化させることに成功したのです。とは言うものの、この人的資源は依然として有限であり、イランとアサド政権は攻勢で外国人戦闘員に依存せざるを得ない状況が増えているのが実情です。その多くはイランで投獄されたアフガニスタン人の犯罪者や難民であり、彼らがその任務を担っています。

 タドムルでの攻勢は多くの人々にとって驚くべき出来事でしたが、その電撃的な勝利はISILの戦闘員たちも驚かせたに違いありません。そもそも、彼らは2014年8月のタブカ陥落以降、シリア中部と東部で主要な町や施設、基地の占領に一度も成功していなかったからです。


 タドムルの防衛を担っていたのは、シリア陸軍第18戦車大隊と国民防衛隊(NDF)、そしてスクーア・アル・サハラ(「砂漠の鷹」旅団)です。しかし、この地域への攻撃が予想されていなかったため、タドムルにおけるアサド政権軍の配備を最小限にするという結果を招いています。予備兵力も増援も存在しなかったことから、シリア中部の政権軍はあっけなく崩壊しました。完全に不意を突かれたアサド政権軍は、ISIL戦闘員に対して町を死守する有効な手立てを何一つ持っていなかったため、タドムルはISILが攻撃を始めてから短時間で陥落したのです。

 ISILの戦闘員がタドムルの刑務所に残っていた囚人を解放したと報じられていますが、1980年の虐殺で悪名を轟かせ、2011年の再稼働後も再びシリアで最も悪名高い存在となった刑務所で、実際に囚人がどれほど生存していたかは明らかではありません。撤退前に残存する全囚人を処刑することはアサド政権の常套手段となっていることを考慮すると、タドムルの刑務所もその例から外れることはないでしょう。


 シリア中部に戦略的に位置するタドムル空軍基地は、象徴的な「MiG-25PD(S)」戦闘機と「MiG-25PU」練習機を運用する、詳細不明の飛行隊を従来から配備してきました。 シリア空軍の「MiG-25」が段階的に退役した後、この空軍基地の価値は著しく低下したものの、民間航空便の増加によってその一部は回復したようです。しかしながら、この基地で特筆すべきは、駐留する謎の飛行隊が強大な「MiG-25 "フォックスバット"」を運用し続けた最後の部隊だったことでしょう。

 自由シリア軍が2012年8月8日に公開した映像によって、タドムル空軍基地では2013年まで、あるいはそれ以降も一部の「MiG-25」が稼働状態にあった可能性が確認されました。生き残った機体は、基地内に存在する16基の航空機用強化シェルター(HAS)に保管されたままである可能性が高いと思われます。ちなみに、同基地では完全に破壊された「Mi-17」ヘリコプター2機も発見されました(上の画像参照)。



 この空軍基地は、武器弾薬をデリゾールへ輸送する上で重要な中継拠点としても機能していました。今後、この役割はタドムル西部に位置するT4空軍基地が引き継ぐことになるでしょう。ただし、同基地はISILが次に攻撃を仕掛ける可能性が高い場所でもあります。

 タドムル基地に配備されていた3基のレーダーシステム(「JY-27」、「P-14」、「P-12/18」)はシリア中部上空の監視を担っていたものの、制圧で今やこの能力が失われてしまいました。このおかげでシリア空軍はシリア中部及び東部上空の航空機を一切探知できなくなったため、タドムルの陥落は既に機能不全に陥っていた防空体制により深刻な打撃を与えたことになります。

 シリアの中心というタドムルの立地条件は、同町をこの国の道路網における重要な中継点と位置づけていることから、その占領はISILが拠点や「領土」をシリア奥深くまで拡大する道を切り開くことになるでしょう。彼らの次の標的が間違いなくT4空軍基地及び/またはデリゾールとなるだろうことに異論を挟む余地はありません。ISILがホムス、あるいはダマスカスへ進撃する可能性もありますが、シリアで最も重要な空軍基地を制圧するか、デリゾールへの包囲を強化する方がより理にかなっていると言えます。


 タドムルの陥落は、アサド政権が国内の東半分を掌握しているという現状に切迫した危機を告げるものです。そして、この地域における最後の拠点(デリゾール)も物資不足とISILによる絶え間ない攻撃による圧力の強化に屈すれば、アサド政権がシリアの大部分を確実に掌握しているというイメージは崩壊するでしょう。戦略的位置のせいで、この都市の陥落はISILがホムスや首都ダマスカスを含む主要な県の多くへ直接(道路で)アクセス可能になったことを意味するのです。


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました


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2026年5月16日土曜日

近代化の前触れ:トルコ国鉄の「MT5200」 気動車


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年12月4日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります

 わが国を世界で最も繁栄し、文明化された国々の水準にまで引き上げよう (ムスタファ・ケマル・アタテュルク)

 近年のトルコは、数千キロメートルに及ぶ新たな道路や橋、トンネル、高速鉄道の建設を通じて、インフラの近代化という面で大きな進展を遂げてきました。現時点におけるトルコの高速鉄道網の規模、はアメリカや韓国、そしてイギリスといった国々よりも大きいものであり、現在計画中のプロジェクトが完了すれば、世界第3位の規模となる見込みです。[1] [2]

 トルコの野心はそれだけで終わることなく、高速鉄道の大国となる道を着実に歩んでいます。なぜならば、この国は必要な鉄道インフラの整備に加え、その路線を走る列車それ自体の製造も計画しているからです。こうした成果は、将来的にトルコをその技術とノウハウを世界中に輸出するという申し分のない立場に導くことでしょう。

 他の成功例と同じく、その成果は独自のビジョンと大きな野心から始まったものです。トルコ共和国成立直後(1923年)の時代において、近代的な鉄道網の整備は、近代国家の発展に大きく寄与する要素と位置付けられていました。ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領は鉄道の発展に個人的な関心を寄せ、ヌリ・デミラーを筆頭とする国内産業の立役者たちも、この国の鉄道網の拡張に多大な資金を投じたのです。[3]

 1927年にはトルコ国鉄(Türkiye Cumhuriyeti Devlet Demiryolları – TCDD)が設立され、旧アナトリア鉄道及びトランスコーカサス鉄道の蒸気機関車と鉄道路線(一部)が移管されました。

 1940年10月、トルコ国鉄(TCDD)はドイツのMAN(Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg:第二次世界大戦後は大型トラックの製造で知られるメーカー)に対し、「MT5200」ディーゼル気動車(DMU)6編成を発注しました。[4] 

 「MT5200」はトルコで初めて就役した正真正銘の近代的な列車であり、当時のヨーロッパや世界で運行されていた最先端の列車と肩を並べるものでした。この列車は、480馬力の12気筒MAN製ディーゼルエンジン2基を搭載したことで最高速度が120km/hに達したほか、A号車とB号車の2両編成で最大127名の乗客を収容できる能力を誇りました。ちなみに、座席数の内訳は、1等席が24席、2等席が103席です。

 第二次世界大戦の影響で多少の遅れが生じたものの、最初の2編成は1944年にトルコへ引き渡されました。[4] 

 当初は2両編成で運行されていたものの、1954年にMAN社から2両の中間車を調達し、「MT5200(MotoTrain)」を3両編成に改造することで、より多くの乗客を輸送可能にしたとされています。[4] 

 残念なことに、これらの車両の運行記録や引退時期については、ほとんど不明のままとなっています。判明しているのは、両方とも旧来の暗いカラーリングから見栄えのする赤と白の塗装へと塗り替えられたということだけです。現在、「MT5200」は1両も現存していません。いずれも1960年代に解体されたと見られています。

 ドイツの工場内で、製造中の「MT5200」の前をドイツ人労働者たちが歩いていく:この写真は第二次世界大戦中に撮影されたものだ。

 1944年後半、第二次世界大戦の戦況がドイツにとって刻一刻と厳しさを増す中、トルコへ引き渡されていなかった「MT5200」4編成の輸出が中止されました。これはおそらく、トルコへの列車の輸送に費やすリソースを自国の戦争に充てる方が有益であったという事実と、空爆やパルチザンによる鉄道への攻撃により、列車をトルコまで運ぶことが次第に困難を極めたせいで、その長い旅路が極めて危険なものとなっていたという事情が背景にあったと考えられます。

 ちなみに、トルコは1944年にドイツから「Ju 52」旅客機5機を受領し、これらをターキッシュ エアラインズの前身となる航空会社で就航させました。これは、両国間の関係が完全に断絶する直前に得られた最後の装備であったとみられます。[5]


 ドイツは完成した列車をトルコへ引き渡す代わりに、そのうちの3編成を傀儡国家であるスロバキアに譲渡し、残る1編成はドイツ国内に残されました(この編成は1965年までドイツ国内で運用され続けたとのこと)。[6]

 ドイツ(とスロバキア)が戦争に負けた後、スロバキアにあった「MT5200」のうち2両が、戦時賠償としてソ連に接収されてしまいました。この列車は当時のソ連全域で運行されていたどの列車よりもはるかに近代的であったことから、ソ連側はこれらの車両を改造しました。と言うのも、自国の線路で運行できるようにする必要があったからです(注意:ドイツとソ連における線路の規格が異なっていたため)。[6]

 この2編成は「DP-11」と「DP-12」と命名され、1960年代初頭までミンスク・ヴィリニュス・リガ間で集中的に運用されました。1964年以降、「DP-11」は新しい駆動技術のテストベッドとして用いられ、1974年にプロジェクトが終了すると引退しました。 [6]

ソ連の鉄道でテストベッドに使われた「MT5200」の「DP-11」

 「MT5200」は、当時としては先進的な機能をいくつか備えていました。おそらくその中でも最も特徴的だったのは、ディーゼルエンジンの冷却に用いられたラジエーターでしょう。この列車では、ラジエーターが列車の中央や下部ではなく、両端の屋根部分にある、水平グリルを備えた流線型のフード内に配置されていました。

 このデザインによって、この列車には独特で威厳のある外観が与えられたというわけです。
内装も先進的かつ豪華なものであり、石油式セントラルヒーティング、調節可能な換気扇、照明、革張りの座席に加え、軽食や飲み物を用意できる小さなキッチンも備わっていました。
A号車には、動力室と乗降口の間に手荷物室があり、その後にトイレ付きの洗面室で中央が仕切られた2つの二等室が続いていました。最後に、小さな食堂室も設けられていたのも特徴です。

 B号車には、郵便物や貴重品の輸送専用の荷物室が設けられており、施錠可能なキャビネットも備わっていました。その奥には、二等室、トイレ付きの洗面室、そして一等室が続いていました。

 以下の画像は、トルコへの引き渡し直前に車内を撮影したものです。




 第二次世界大戦の終結後、TCDDは新たなDMUの導入に際し、再びドイツのMAN社に発注しました。こうして、1951年以降は16両の「MT5300」が運用中の「MT5200」を補完することとなったわけです。

 「MT5300」は、「MT5200」の設計を基に大幅な改良が加えられた発展型であり、複数両を連結して運行することが可能という違いがあります。この新型DMUは、アンカラとイスタンブール間のような長距離路線での運行を目的に特別に開発されたものです。蒸気機関車ではアンカラとイスタンブールのハイダルパシャ駅間の運行に約14時間を費やしていたのに対し、「MT5300」は同区間を8.5時間で結ぶことができました。参考までに記しておきますが、現在のトルコの高速列車では、この533kmの区間を僅か3.5時間で走破できます。[7]

 移動時間が劇的に短縮されたことはさておき、「MT5300」(と「MT5200」)のディーゼルエンジンとトランスミッションは、予期せぬ故障を防ぐために、頻繁かつ入念なメンテナンスを必要としていました。当時、気動車の運用経験がまだ浅かったこの国では、それが口で言うほど簡単ではなかったことは言うまでもありません。DMUをDMUで、あるいは蒸気機関車で牽引せざるを得なかった事例も複数ありました。最終的に、エンジンやトランスミッションの継続的な問題のため、「MT5300」は耐用年数に達する少し前の1970年代後半に引退しました。[7]

 運行の最終期には、これらのDMUはほぼ例外なく機関車牽引の列車として運行されていました。

 雪の中、鮮やかな赤い塗装の「MT5300」が目を引く:2両の「MT5200」も、これと同様の塗装に塗り替えられた。

 「MT5200」の導入は、当時急速に近代化が進んでいたトルコの象徴的な出来事だったと言えます。

 この10年間で、トルコは1920年代にアタテュルクが掲げたビジョンを実現し、橋やトンネル、道路、イスタンブールの両岸を結ぶマルマライ通勤鉄道(地下鉄)、高速鉄道、そして全国各地に建設された多数の空港といった新たなインフラプロジェクトを完成させました(編訳者注:マルマライ地下鉄の完成には日本が大きく関与していたことを記しておく)。

 近い将来、トルコは国産高速列車の生産を計画しており、新型電車(EMU)がまもなく量産に入る予定です。この動きは、公共交通のニーズへの対策でトルコがどれほど発展したかを示しています。

 新たな分野での自給自足を確立する中で、トルコはそう遠くないうちに鉄道技術やノウハウを世界各国へ輸出するようになるかもしれません。


[1] High speed lines in the World https://uic.org/IMG/pdf/20180420_high_speed_lines_in_the_world.pdf
[2] High-speed rail in Turkey: Vision 2023 https://www.globalrailwayreview.com/article/112860/high-speed-rail-turkey/
[3] Aviation Facilities of Nuri Demirağ in Beşiktaş and Yeşilköy https://dergipark.org.tr/tr/download/article-file/404341
[4] MT5201 to MT5202 http://www.trainsofturkey.com/pmwiki.php/MUs/MT5200
[5] Humble Beginnings - Turkish Airlines’ Ju 52s https://www.oryxspioenkop.com/2021/04/humble-beginnings-turkish-airlines-ju.html
[6] TCDD MT 5200 sınıfı Mototrenler ve yurtdışındaki kardeşleri https://modeltrenciler.com/forum/index.php?topic=6971.0
[7] MT5301 to MT5316 http://www.trainsofturkey.com/pmwiki.php/MUs/MT5300


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました


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2026年5月8日金曜日

【復刻記事】DIYに走るイスラム国:テルスクフ攻勢


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ 編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2016年5月11日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とBellingcatで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 モスル北部にあるペシュメルガの陣地を襲撃するイスラム国(ISIL)戦闘員が戦い、敗北し、そして殺害される様子を記録した、今や悪名高い映像が公開されてから僅か6日後、2016年5月3日、彼らは(アラビア語でテルスクフ、テル・エスコフ、テル・アスコフ、テル・アスカフとも呼ばれる)アッシリア人の町テスコパ付近で、再びペシュメルガの陣地を制圧しようと試みました。

 結果として、この攻勢は世界的な注目を集めました。この戦闘で、この地域をISILのさらなる攻撃から守るために展開していた海軍特殊部隊(Navy SEALs)のアメリカ兵が死亡したためです。

 2015年12月16日にナヴァラン近郊で発生した攻撃と同様に、ISILは攻撃前と攻撃中に自身を撮影した画像をリリースしました。しかし、これは再び奇妙な事態を招いています。まず、防衛側のペシュメルガ部隊が殺害されたISIL戦闘員の画像を公開すると、その直後にISIL側が全く同じ戦闘員たちが(まだ生きていて)準備を整えている様子を捉えた画像を公開しているのです。

 結果的にISIL部隊の大半が壊滅した事実から、この攻勢を扱った彼らの映像が公開される可能性は低いと思われます。

 ISILがモスル北部で展開した同様の攻勢:戦闘員が大規模に改造された装甲戦闘車両(AFV)と連携して行動するケースが多かったこととは対照的に、テルスクフ攻勢の初期段階は実際に成功を収めました。彼らは複数の戦線で防御陣地を突破しただけでなく、戦闘員が町の大部分に侵入し掌握することに成功したのです。

 ところが、彼らの成功物語はここで終わりを迎えました。アメリカ軍の強力な航空支援を受けたペシュメルガ部隊とSEALsによる反撃のおかげでISILのAFV群と部隊集結地点が壊滅させられ、ペシュメルガ部隊は失ったのと同じ速さで町を奪還したからです。この町に潜伏していたISIL残党の拠点は、この日遅くまでに掃討されたと伝えられています。


 テルスクフへの攻撃を主導したのは「襲撃大隊」の「アブ・レイス・アル・アンサリ隊」であり、「自殺大隊」から抽出された少なくとも10台のVBIED(車両運搬式即席爆発装置)が支援しました。

 興味深いのは、「襲撃大隊」がこの部隊を「セクター」と呼称していることでしょう。「セクター」とは割り当てられたの区域での作戦を担っている部隊のことです。テルスクフへの攻撃を主導した部隊は、2014年11月にアメリカ軍の空爆で殺害された元ISILモスル州知事(ワーリー)のアブ・ライス・アル・アンサリにちなんで命名されました。 ちなみに、アブ・ライース・アル・アンサリ旅団を含む複数の部隊も彼の名前を冠しています。

 「襲撃大隊」は、アブ・リドワーンのチーム、つまり今や悪名高く知られるアブ・ハジャールも参加したナヴァラン近郊での失敗に終わった攻勢にも関与していました。ただし、この攻撃を担当した「セクター」がどこであったかは、依然として不明のままです。

 2015年12月のナヴァラン近郊での攻勢以降、このような大規模な攻撃は発生していないとみられています。つまり、「襲撃大隊」には戦略を見直すための十分な時間が与えられたことになるわけです。

 過去にモスル北部で展開された彼らの攻撃で直面した大きな問題は、そもそもいかなる勢力にとっても同様の攻撃を行うことを躊躇させるのに十分深刻なものでした。ところが、装甲車両や戦闘員を十二分に有しているISILは、こうした攻撃を妥当なものと見なしているようです。

 「襲撃大隊」が最も頻繁に直面する主要な障害は、制圧対象であるペシュメルガの堅固な陣地です。これらの陣地が往々にして高台に位置しているため、彼らの装甲車両はペシュメルガからのRPGや対戦車ミサイル、そして戦車からの砲火に完全に晒されたまま、開けた平野を走行せざるを得なくなってしまいます。陣地へ到着する頃にはすでに大部分の車両が撃破されており、生き残った車両も陣地を取り囲む巨大な塹壕によって進路を阻まれてしまうのです。この塹壕を越えるには、架橋用の車両を使うか、土で埋め戻すしかありません。こうした状況が展開される中で、アメリカ主導の有志連合軍がすでに戦場に展開している場合が多く、その時点で航空機や無人機(UAV)を用いてISIL部隊を攻撃しているわけです。

 ISILの州(ウィラヤット)の中で、ニーナワー州(モスル)は防空面で最も優れているものの、彼らが運用する対空砲でさえ、低空飛行するヘリコプターや低速で飛行する航空機にしか効果がありません。高速で飛行するジェット機の速度と高度を考慮すると、イラクやシリア上空で撃墜される可能性は極めて低いでしょう。

 注目すべきは、ISILがニーナワー州において防空任務を担う独立大隊を編成したことです。「ウィラヤット防空大隊」は、2015年3月に初めてモスル市内を行進し、その後、モスル上空で情報収集や電子戦に従事していたアメリカ海軍の「(E)P-3」電子偵察機を「D-30」122mm榴弾砲で撃墜しようとしている様子が公開された際にも姿を見せました。

 しかし、「ウィラヤット防空大隊」の部隊が(任務に出る)「突撃大隊」に配属されることはありません。と言うのも、「突撃大隊」自身の防空は自分で対応することになっているからです。テルスクフ攻勢を含めた今までの攻撃作戦における彼らの防空戦力は、ピックアップトラックに搭載された14.5mm重機関銃や単砲身の23mm機関砲に過ぎませんでした。

 「ウィラヤット防空大隊」の対空砲がジェット機を撃墜できる可能性は低いものの、より強力な37mmや57mm機関砲、そして122mm対空砲を装備しているため、少なくとも有志連合軍機に対して一定の抑止力が機能するのではないでしょうか。


 テルスクフ攻勢における「襲撃大隊」の戦力は、数十台もの防御力強化型装甲戦闘車両(AFV)やピックアップトラックに支援された300名以上の戦闘員で構成されていたと伝えられています。

 2016年5月6日時点で、少なくとも154人のISIL戦闘員の遺体と25台のAFV及びピックアップトラックが撃破あるいは鹵獲されたことが確認されています。一方のペシュメルガ側は(実際にはそれ以上と思われるが)少なくとも10人の戦闘員を失いました。また、アメリカ海軍特殊部隊(ネイビーシールズ)の隊員1名も、乗っていた装甲SUVがRPGの直撃を受けた際に戦死したとのことです。戦闘の際には、10人から15人のネイビーシールズ隊員が陣地付近にいたとみられており、その映像はこちらで確認できます。ちなみに、ナヴァランを防衛していたアッシリア系民兵の死傷者数は不明です。

 いつもの手法どおり、攻撃に先立って、町周辺の陣地にロケット弾と迫撃砲の集中砲火が浴びせられました。その約1時間後、「自殺大隊」によるVBIEDの第一波が襲来し、その直後に到着した「強襲大隊」の尖兵部隊のための道が切り開かれたのです。この攻勢は、少なくとも3方向、おそらく4方向から行われたようで、合計で10台以上のVBIEDが投入されています。

 「襲撃大隊」は(車両が通過できるよう)塹壕を埋めるためのブルドーザーのみならず、専用の架橋用車両も投入するようになりました。ただし、この車両はどの映像にも映っていなかったことから、モスルで押収された本物の架橋戦車(AVLB)が使用されたのか、それともDIY式の独自装備が用いられたのかは判然としていません。

 陣地周辺に構築された塹壕の規模を把握しやすくするために、下にナヴァラン周辺の主要な塹壕の画像を紹介します。画像の右側にいるのは、「襲撃大隊」の装甲強化型ブルドーザーです。このブルドーザーは、近くのペシュメルガの陣地からの激しい砲火を浴びながら巨大な塹壕を埋める任務に就いていましたが、当然のことながら、任務を完了する前に撃破されてしまいました。


 数的に優勢な敵に直面した守備隊は、最後の一発まで陣地を死守するより撤退という選択をしました。組織的な撤退はテルスクフ外縁で部隊の再編を可能にさせ、アメリカ軍の地上と空からの支援を受けて反撃に転じることを成功させたのです。

 撤退という決断は絶大な効果をもたらし、ペシュメルガ側の犠牲者を最小限に抑えることに繋がりました。もし守備隊が町に残っていたならば、数で勝る「襲撃大隊」によって間違いなく蹂躙されていたことでしょう。そして、後に続く戦闘もテルスクフの市街地で展開されたはずであり、その結果、同市はアメリカ軍の空爆によって徹底的に破壊されていたに違いありません。

 その代わり、「襲撃大隊」は町の大部分を占領した後、ペシュメルガが支配する地域へとさらに進撃し、開けた場所でアメリカ軍の空爆に晒されることとなり、結果として甚大な被害を被りました。下の画像に見えるのは、「M1114」1台と複数のピックアップトラックから構成されるISIL部隊の車列の残骸です。


 「襲撃大隊」のAFVは、2015年12月16日のナヴァラン攻勢で使用されたものと外観が酷似しています。ISILがリリースしたフォトレポートには、この攻勢に参加した他の部隊よりも装備が充実していた主力強襲部隊の様子が収められていました。

 主力襲撃部隊のAFVの構成は、ナヴァランを攻撃した部隊とほぼ同様です。今回は装甲強化型「MT-LB」1台、装甲強化型「M1114」が少なくとも5台、「バジャー」ILAVが数台、そして武装ピックアップトラックで構成されていました。

 以前の強化型「M1114」と比較してみると、いくつかの改良点が確認できます。まず、どの車両にも大口径機関銃やRPGからの攻撃に対し、車体前面をより効果的に防御できるよう、傾斜装甲が採用されました。

 次に、エンジンへのアクセスを容易にするため、ボンネット上部にハッチが設けられました。そして、少なくとも2台には(乗員が使用するアサルトライフルや軽機関銃用の)ガンポートが設けられています。ちなみに、ナヴァランへの攻撃では、こうしたガンポートが備わっていないことが戦闘で「不利」を招いたことが判明しました。右前方の窓にあるガンポートが残されたおかげで、前席に追加のガンナーが配置可能となっています。

 さらに、「M1114」のドアについて、少なくとも1台が自作の装甲ドアに交換されていました。

 以前のバージョンと同様に、装甲強化型「M1114」の全てが車体上部に最大3名の戦闘員を乗せることができるキャビンを備えています。少なくとも1台は中国製「W85」12.7mm 重機関銃を装備していました。ナヴァラン攻撃の際にも、「襲撃大隊」の車両2台に同様の装備が確認されています。

 典型的なDIYスタイルらしく、どの車両も全く同じではありません。紛らわしいことに、一部の車両は黒く塗装されています。なぜならば、この色は基本的に「防御大隊」が運用するAFVに見られる色だからです。しかし、テルスクフ攻勢に参加した黒いAFVについては、その全てが(通常ならば車両に現地の地形に溶け込むような迷彩塗装を施している)「襲撃大隊」の所属車両であったと考えられています。

 下の画像(1枚目)では、テルスクフ攻勢に参加した装甲強化型「M1114」のうち2台が見えます。2枚目は、ナヴァランへの攻撃で使用された「M1114」です(比較検討用)。



 別の写真でも同じ車列が写っていますが、こちら(下の1枚目)は反対側から撮影されたものです。最前列のISIL戦闘員4人の隣に見える車両は、装甲強化型「MT-LB」で、後にペシュメルガによって無傷のまま鹵獲される運命を迎えることになります。

 2台の「M1114」には、いずれも車体上部のキャビン内に梯子が装備されており、乗員が高台にあるペシュメルガの陣地へ突入できるようになっています。手前の2台は「自殺大隊」のVBIEDです。これらの車両はたいてい黒く塗装されているほか、個別の番号も割り振られています。例えば、一番手前の車両は「502」です(編訳者注:左側面の文字がそれである)。

 2枚目には別のVBIEDが3台写っており、手前の車両には「1004」の番号が付与されています。このうち1台は積載された爆薬が起爆せず、後に無傷で鹵獲されました



 イラク軍がモスルから撤退する際に残していった大量の装備や武器を入手できた「襲撃大隊」の隊員たちは、ISILの中でも最も装備の整った戦闘員です。

 それでも、彼らが携行する比較的高度な兵器や大量の弾薬も訓練や実戦経験の不足を補うことはできませんでした。アブ・ハジャールやアブ・アブドゥッラーたちが参加したナヴァラン攻撃の際に、そのことが驚くほど露呈したのです。



 こうして「襲撃大隊」は当初の目標を達成することに成功したものの、すぐにアメリカ空軍の「F-15E」や「A-10」、そして同陸軍の「AH-64 「アパッチ」の無慈悲な攻撃に直面することになったのは言うまでもありません。また、戦死したネイビーシールズの隊員を収容するため、「UH-60 "ブラックホーク"」2機も投入されました。

 結局、航空攻撃に対する自衛手段を欠いていた「襲撃大隊」の部隊は開けた平原で全滅し、一部の車両の乗員が車両を放棄して戦場から逃げ出すという形でこの攻勢は頓挫したのでした。



 下の画像は、「KPV」14.5mm重機関銃を装備したピックアップトラックがアメリカ軍機に向けて射撃している様子です。「KPV」を車載した場合、機銃手は一度に1発しか発射できなくなるため、この武器は地上目標以外に対しては事実上役に立ちません(編訳者注:「ZPU-2」やAFVから取り外した「KPV」が構造上単発射撃しかできないか、射撃時の反動が連射を不可能にしているのだろう。要は連射では照準射撃ができないわけだ)。

 なお、このピックアップトラックは、テルスクフの主要道路を走行中に空爆を受けて壊滅した車列に含まれていました。



 下の画像はペシュメルガによって鹵獲された「襲撃大隊」のピックアップトラックです。モスルを拠点とする装甲部隊の車両のほとんどに見られるこのマークには、「ウィラヤット・ニーナワー―戦士襲撃大隊―アブ・ライス・アル・アンサリ セクター」と記されています。2枚目の車両は、カラフルな塗装が施されたISILの装甲強化型「M1114」です(これもペシュメルガの鹵獲品)。



 戦闘後、攻撃に参加した車両の一部を含む主要な戦利品は町で展示されました。別の装甲強化型「M1114」の隣には、装甲強化型「MT-LB」が見えます(一番右側)。

 2枚目には、自家製の小銃擲弾を発射できるように改造された「タブク(ザスタヴァM70)」自動小銃が写っています。この武器はVICEが公開した動画でアブ・リドワーンが使用したものと同型ですが、照準をより正確にするためか、画像の個体にはグリップが取り付けられているようです。




 次に紹介するのは、攻勢失敗後に残骸と化した「襲撃大隊」の装甲強化型「M1114」の一台です。この画像では、前面に2つのガンポートと側面に視察窓を備えた本格的な装甲キャビンがはっきりと見えます。

 2枚目には、助手席に座るガンナー用のガンポートが見えます。この車両は1枚目のものと非常によく似ていますが、細部に若干の違いがあることに注意してください。



 これまでの攻撃は度重なる敗北に終わっていましたが、今回の攻勢は初期段階で成功を収めた初の事例であると考えられています。ISILが保有する車両群に施したDIY式改修や、それらの車両が用いた戦術からは、過去の失敗から少なくともある程度の教訓が得られていたことが示唆されています。

 とは言え、イラクの平原上空に有志連合軍の航空戦力が展開しているため、ISILはAFVを最大限に活用することができませんでした。この攻勢の初期段階は成功だったと言える一方で、アメリカ軍の空爆によって最終的に壊滅したことから、結局のところ、この攻勢は人的・物的資源の浪費に他なりません。

 過去2年間の状況は、モスル北部の現状の支配地域を越えて進撃することは不可能であることを示しています。仮にペシュメルガの陣地を制圧できたとしても、イラクのこの地域においては、有志連合軍の航空戦力が常に決定的な役割を果たすことになるでしょう。

 ISILは持てる戦力の全てを投入し、これまでに見られなかった戦術や、さらに高度なDIY式AFVを運用することはできるかもしれませんが、彼らに向けて発射される誘導爆弾やミサイルに対抗できないだろうことは言うまでもありません。

 モスルのISIL軍事指導部が今なおこの事実を認識してこなかった結果、再び約150人もの戦闘員が死亡し、さらに相当規模の装備も失われるという大惨事に繋がりました。そして、イラク西部の情勢が当面変わる気配が全くないことから、今後もさらなる攻勢と大量の人的被害が予想されます。

2枚目と22枚目の画像:Operation Valhalla.

 
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