2017年12月11日月曜日

リビアのAn-124がウクライナで競売されるかもしれない立場に陥る



著 Stijn Mitzer(編訳:ぐう・たらお)

リビアを疲弊させ続けている混乱が安定する見込みの無いまま継続しているため、リビアが所有する2機の巨大An-124輸送機の1機は、2010年からキエフにある施設で同機の保管と定期的なメンテナンスを行っているアントノフ社に対して同国政府が120万ドルを支払うことに失敗した場合、ウクライナによって競売にかけられる可能性に直面している 。

リビアは2001年にリビア・アラブ・エア・カーゴ(LIBAC)のために2機のAn-124を取得し、An-124ほどの大型機を要する国際チャーターの貨物便にこれらの巨人機を使用し始めた。
パンアメリカン航空103便爆破事件によって科された制裁措置の結果としてリビアは対外的にほぼ完全な孤立状態に耐えていたが、かつての宿敵との関係を正常化し始めたことから、An-124は再び世界中を飛び回っていた。

少なくとも2011年まで、リビア革命とそれに続く内戦の勃発は同国の民間航空に重大な影響を与えた。
2機とも2011年の爆撃やその破片による破壊から逃れたものの、LIBACの運航を再開するための構想と資金が不足していたことは、An-124 「5A-DKN」がトリポリ国際空港(IAP)に放置され続け、同「5A-DKL」'スーサ'がウクライナから本国へ回収されずに今日までキエフのアントノフ社の施設に残り続けることを意味した。

国内で続く内戦のために、リビアの航空会社による通常の運行が崩壊し始めて民間機の破壊がありふれた光景になったため、リビアにおけるAn-124の将来は次第に厳しいものになった。

しかしながら、LIBAC職員が機体に描かれた緑のジャマーヒリーヤ旗を新しいリビアの国旗に置き換えることを妨げていなかったようだ。




リビアの治安情勢はさらに悪化したものの、「5A-DKN」は紛争当事者がトリポリIAPを制圧するための戦闘で、付近の施設を標的にしてAn-124の近くに駐機されていたいくつかの航空機を壊滅させた後も奇跡的に生き残った。
An-124は破片による損傷だけで済んだが、大規模な戦闘が旅客ターミナルを完全に破壊した結果として、空港が閉鎖され少数の航空便がトリポリからミティガの空港に行き先が変更された。

(リビア側が維持する)動機がなく、アントノフの保管施設に残っているAn-124を回収する資金が不足している可能性が高いため、同機が最高入札者へ競売される見込みはますます高くなってきている。
他のAn-124と比較すると飛行時間が比較的少ないことから、「5A-DKL」はアントノフ自身の航空会社やAn-124を運行する他の会社にとって魅力的な機体となるだろう。
現在のリビア政府はAn-124を維持する価値があると考えているのだろうか?
この答えは疑いようも無く今でも非常に好ましくない財政事情と安定性が関係してくるだろう。

 ※ この翻訳元の記事は、2017年11月27日に元記事を執筆するStijn Mitzer氏が運営 
  するブログ:Al Maha Aviationに投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま  

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