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2024年4月7日日曜日

カダフィ大佐の遺産:イタリアから贈られた彼専用の高速列車


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

''エイブラハム・リンカーンは外部や他人の助けを借りずに無から自分自身を創り上げた男だ。彼と私にはある程度の共通点があるように思える。 (ムアンマル・カダフィ)''

 Oryxブログで鉄道を題材にした記事?そう、これはあなたの見間違いではありません。私たちはあなたが何を考えているか知っています:" 戦車や飛行機や船はどこへ行ったのですか?"と。実際のところ、(少なくとも一部の分野の)鉄道は非常に興味深いものです。

 例を挙げると、日本のリニア中央新幹線は時速603kmの世界新記録を持っています。1990年代にクライナ・セルビア人民共和国軍が使用した即席の装甲列車「クライナ急行」は、正真正銘の戦闘要塞のように見えました。

 まだ納得できませんか?それでは、厳密には未だにデンマークが所有しているカダフィ大佐専用のイタリア高速列車はどうでしょうか?

 興味が湧きましたか?それでは、今回はリビアのVIP用高速列車「IC4」の奇妙な物語に迫ってみましょう。

 この気動車両(DMU)がリビアにたどり着いた経緯は、極めて注目に値します:本質的には、カダフィに賄賂を贈ってリビアの鉄道プロジェクトにイタリア企業を選定させるという、当時のイタリア首相シルヴィオ・ベルルスコーニによる狡猾な策略の産物でした(仮にイタリア企業が選定されたら数十億ユーロの利益を得る可能性があっため)。

 ただし、一つだけ小さな問題がありました:カダフィに贈られた列車は一度もイタリアの所有物になったことがなかったのです。実際のところ、この列車はデンマークの国有鉄道会社であるDanske Statsbaner(DSB)向けに同国がイタリアのアンサルドブレダ社(現在の日立レール・イタリア)に発注した83両の車両の一部でした。

 当初は2003年に運行を開始する予定だったものの、最初の「IC4」は2007年後半から乗客を乗せた運行を開始しましたが、その数か月後、列車にいくつかの問題が発生したため、再び運行が停止に追い込まれてしまいました。この状況はこの先に起こるであろうことを暗示していたのかもしれません。計画の遅延と技術的な問題が積み重なり、アンサルドブレダ社は最終的に当初の契約額の半分である53億デンマーク・クローネ(1,140億円)を返金せざるを得なくなったのです。

 おそらく赤字を生む列車に苛立ったのかもしれません、アンサルドブレダ社はまだ生産ラインにあった「IC4」のうちの1編成を、2009年のカダフィ政権樹立40周年記念としてカダフィに寄贈する前にこっそりと豪華なVIP専用列車に改造したのです。

 ベルルスコーニはクーデター40周年の数日前にリビアを訪問していました―他の西側諸国首脳からは敬遠されていたにもかかわらず、です。彼はカダフィに真新しいピカピカに輝く専用の列車を案内したことに加え、(1911年から1943年まで続いた)イタリアによるリビア植民地化の賠償として35億ユーロの投資を約束しました。[1]


 伝えられるところによれば、デンマークは自分たちの列車がイタリアのどこかで放置されているのではなく、カダフィに寄贈され、現在はトリポリ郊外の廃線跡で埃をかぶっていることを把握するのに2013年までかかったとのことです。[2]

 しかし、この発見の結果がコペンハーゲンを悲嘆に暮れさせることはなかったと思われます。なぜならば、2020年7月までにDSBは2024年以降に全車両を段階的に引退させることを見越して、11両の「IC4」を売り出したからです。

 列車の真価は走る路線で決まるのですから、皮肉はここで止まることはありません。これもアンサルドブレダ社にとっては問題でした:トリポリに路線が存在していないからです。実際には、リビア全土で運行されている鉄道は1本もありません。

 (提案されたトリポリとチュニジアを結ぶ路線が完成するまでに)せめて列車を動かせるようにするため、「カダフィ急行」が往復可能な全長3kmの複線線路が敷設されました。提案された路線が2011年の革命前に完成していたらば、 カダフィがアンサルドブレダ社からさらに多くの列車を調達していたことは大いに考えられます。

 アンサルドブレダ社が低品質の列車を製造してきた実績を考慮すると、リビアはこの計画の失敗で実は危機を逃れたことになります。「IC4」の製造品質には多くの不十分な点があります – デンマークでは故障する傾向が非常に高いほどでした。

 同様の問題は「V250」(オランダ向けに製造された別タイプの高速列車)やアンサルドブレダ社が手掛けた他の鉄道プロジェクトにも及んでいることから、問題が設計にあることを明らかにしています。

 世界中の国家元首が利用する現代のVIP列車と比較すると、「カダフィ急行」はその現代風のデザインと最高時速200kmというスピードで際立っています。

 現在、ほとんどの国家元首は車で移動するには不便な距離を移動する場合は主に航空機やヘリコプターに依存しているため、VIP専用列車という概念は徐々に過去の遺物となりつつあります。日本だけが「IC4」と似たような列車を天皇のために運行していますが、最高速度は僅か130km/hしかありません。

 今でも現役で使用されている個人の専用列車で最も著名なものは間違いなく北朝鮮の金一族のものでしょう。この列車は外見や高速性よりも保護に重点を置いたものです。金王朝の全員が頻繁に鉄道を利用していますが、1976年に発生したヘリコプターの事故で飛行機恐怖症になったとされる金正日総書記(故人)は、遠方への移動ではもっぱら列車に頼っていました。安全上の懸念や旧式化した車両、そして一部の区間では時速40km以下しか出せないという北朝鮮の鉄道のお粗末な現状のおかげで、金専用列車は通常では時速60kmというカタツムリのような速度で運行されています。


 カダフィの「IC4」については、オリジナルのデンマーク製内装の少なくとも一部が彼と側近のためのVIPラウンジのために撤去されました。

 画像下のインテリアについては、カダフィとベルルスコーニの会談のために特別に設置されたものと思われます:ただし、列車がこの状態で普通に運行されていたならば、 ボルトで床に固定されていない調度品の全てが(列車が高速に達した後やブレーキを掛けた際に)車内のあちこちへ転がったでしょう。



「カダフィ急行」の別車両には、ソファが縦に向かい合うように設置されていました(下の画像)。一見すると快適に見えますが、実際には豪華なソファではなく小さな折りたたみ式の座席が使われています。これはデンマーク製ICEが持つインテリア・デザインの特徴でもありました。


 デンマークの「ICE」に欠けていたのは、トリポリ郊外にある3kmの線路の端まで移動する間、重要な戦略について議論するために不可欠な会議室でした(下の画像)。


 上述した特別車両以外の客車の内装はオリジナルのデザインから変更されていない状態であり、リビアの「IC4」の外観の鮮やかな色彩とは対照的なものとなっています。


 アンサルドブレダ社が「IC4」を改造してリビアに出荷した際の無計画さは、元のDSBの運転士の銘板とデンマーク語のステッカーが全てそのまま残されていたという事実からも読み取れます。もしカダフィがこの列車を積極的に利用していたならば、デンマーク語のマークが車内の至る場所に貼られていることを尋ねたかもしれません。

 その一方で、彼はすでにパスポートを読むことに側近を頼っていたため、単に気づくことはなかった可能性もあるでしょう。



 チュニジアとの国境までの鉄路建設を見越して、トリポリ近郊の約30kmの地面は2003年の時点でにすでに整地されていました。しかし、中国铁道建筑总公司による建設がやっと開始されるまでには、さらに6年もの歳月を要することになったのです。

 プロジェクト全体には54か月を要する予定だったものの、2011年の革命によって全ての工事はすぐに中止となり、カダフィが実際にこの列車を使う機会も消えてしまいました。[3]

 それでも、この路線の工事はすでに一部で進められており、特筆すべきものとしては、トリポリ中央駅となる予定だった場所の近くで長さ1km以上の地下トンネルが建設されたことが挙げられます。

 これによってリビアは高速鉄道と地下トンネルの路線の両方を持つ世界唯一の国となりましたが、実際の鉄道輸送は行われていません(注:新幹線は上野駅のホーム及び付近の路線が地下にあるため、厳密にはリビアが世界唯一というわけではありません)。

全長3kmの線路

未完成のまま放置された駅

地下トンネルの一部(現在はほとんど砂で覆われている)

 これまで設計された列車の中で最も美しいと言うには議論の余地がありますが、その流麗なデザインは下の画像で堪能することができます。車体にある文章は次のとおり: قطار الحياة - 「生命の列車」と الجماهيرية الليبية الشعبية الاشتراكية العظمى - 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」。



 2013年3月にデンマークのコメディアンがこの列車を訪れた際に「デンマーク国民からの贈り物」としてデンマーク女王(当時)であるマルグレーテ2世のポスターをリビアの当局者に手渡しましたが、これは実質的に列車がリビアに正式に引き渡されたことを意味する出来事と言えるでしょう。

 その後数年間で風雨と破壊行為の両方が列車の外装と内装に大損害をもたらすことになりましたが、線路自体にも被害が及んだほか、鋼鉄製であった線路の大部分が撤去されてしまいました。



 すでにカダフィが専用のジャグジーさえ設けられた自家用「A340」を含む膨大なVIP用航空機を利用することができたことを踏まえると、豪華な列車を適切に利用できないことに少しも苦に思わなかったでしょう。

 最終的に列車の基本的な利用を可能にするのに十分な線路が敷設されていたならば、デンマークが突き止めたものと同じ問題が運行会社を悩ませることになったかもしれません。

ただし、それ以前に1編成の列車がしか与えられていないこと、そしてリビアでこれらの列車を運行した経験が皆無だったという事実だけでも、おそらくそれ自体が問題を引き起こしていたと思われます。

 振り返ってみると、この試練全体は、カダフィにイタリアの列車と将来的に登場する鉄道用の設備を購入させるための巨額な賄賂にすぎませんでした。

 2011年の革命以降、リビアは何度か鉄道プロジェクトの再開を試みてきました。こうした試みはまだどれも成功していませんが、仮に成功した場合でも寄贈されたこの「IC4」がその一部に加わることはないでしょう。現在、この列車はあまりにも常軌を脱した物語ではなく、実用性の考慮が贅沢さや夢物語に取って代わられた過去の時代の象徴として、その役割をうまく果たしています。

 より現実的な性格での新たな投資は、リビアで急速に影響力を強めているトルコからの援助によって成立するかもしれません。

 結果的に、カダフィの列車は一国の願望を乗せて終点に到着したのでしたーーー。


[1] Berlusconi and Gaddafi launch Libya motorway project https://www.france24.com/en/20090831-berlusconi-gaddafi-launch-libya-motorway-project-
[2] DSB: Vi aner intet om Gadaffi-tog https://ekstrabladet.dk/underholdning/filmogtv/tv/article4737291.ece
[3] Contract placed for next stage of Libyan network https://www.railwaygazette.com/news/contract-placed-for-next-stage-of-libyan-network/33725.article

※ この記事は、2021年2月5日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。


2024年3月24日日曜日

大空の巨人:リビアにおける「An-124」:輸送機


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2021年1月21日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 リビア内戦は同国の民間航空にも壊滅的な打撃を与えており、2機の巨大な「An-124」輸送機も例外なく苦難を免れることはできませんでした。

 リビアの航空産業は2011年の革命時にほぼ休止状態となってしまい、武力衝突の停止後はリビアの航空会社が運航を再開するのに数か月から1年も要しました。中には二度と飛行機を飛ばさなかった会社もあったほどです。

 運行を再開することでリビアの民間航空は将来への新たな自信を得たものの、内戦の余波と政治的混乱は最終的にあらゆる楽観主義に終止符を打ち、やがてリビアの航空産業は存亡をかけて戦うことになりました。

 相対的な安定の見通しが立たないリビアを荒廃させる内戦が続く中、「An-124」には滅亡の危機が大きく迫っていました。当時のリビア国内にとどまっていた1機の「An-124」はどうにかして砲撃の被害を免れており、もう1機については、リビア政府が2009年からキーウのアントノフ社の施設での保管と定期整備の代金として同社に支払うべき120万ドル(約1.7億円)の支払いが不履行のままだった場合、2017年にウクライナによって競売にかけられる可能性に直面していたのです。

 その後、2019年にアントノフ社がサプライズの公表をし、国際的に承認されたリビア政府(GNA:国民合意政府)との間で「An-124」の1機を飛行可能な状態に戻す交渉が行われたことが明らかとなりました。[1]

 両者の合意に従って同機は近代化改修を受けると共に耐用年数が延長されることになっていました。しかし、それ以降の続報が全くないことから実際に合意に達したかさえも不明の状態となっています(編訳者補足:2023年5月の時点でリビアの駐ウクライナ臨時代理大使であるアデル・イッサ氏がアントノフ社に確認したところ、キーウで保管されている「An-124」の状態はロシア・ウクライナ戦争の影響を受けていおらず良好であるという回答を得たとのこと)。

 しかしながら、どんなことがあろうとリビアはまだ「An-124」を運用する意向を認めました。

 リビア政府はウクライナに保管されたままの「An-124」の運命をの掌握と最高入札者への競売を阻止することに成功したようですが、リビアの民間航空が衰えを知らない戦争の影響によって徐々に疲弊していく中で、地上での戦闘はすでに新たな犠牲者を生み出しています。

リビアでの運用

 もともと、リビアは2001年にリビア・アラブ・エア・カーゴ(LIBAC)のために2機の「An-124(5A-DKN "サブラタ" と 5A-DKL "スーサ")」を導入し、大型機を必要とする貨物の国際チャーター便にこれらの巨人機を投入し始めました。

 リビアはこれまで(特に)ロッカビー上空で発生したパンナム103便爆破事件を画策したことで国際的な制裁を受けた結果として外界からほぼ完全に孤立していたことに苦しんでいましたが、後にかつての宿敵との関係を正常化し始めたことで「An-124」は世界中に重量級の貨物を輸送するようになったわけです。

 2011年の革命勃発時の「サブラタ」はトリポリ国際空港(IAP)で反乱部隊に無傷で鹵獲され、「スーサ」はアントノフの施設で整備中でした。ちなみに、1992年に製造された「スーサ」は2001年12月にLIBACに引き渡される前にはウクライナ航空で使用されていました(1992年~1999年)。

 1994年に製造された "サブラタ" は2001年3月にリビアに引き渡される前に、タイタン・カーゴに代わって同機を運行していたトランス・チャーター航空(1996年~1999年)とヴォルガ・ドニエプル航空(1999年~2001年)によってロシアで運行されていました。[2] [3]



 「An-124」の(短い)運行期間中、リビアはフランスに拠点を置くリビア系企業FLATAM(Franco-Lybienne D'Affretement Et De Transport Arien Et Maritime:フランス-リビア海上・航空輸送用航空チャーター)を通じて、2機を貸し出していたことが知られています。

 FLATAMはリビア空軍の元ミラージュ・パイロットである実業家にして駐仏武官のジャラル・ディラが所有していました。彼は後にフランスの航空機グループ:ダッソー社の調達担当のロビイストとなりましたが、カダフィ政権崩壊前のリビアに「ラファール」戦闘機の売却を試みて失敗しました。[4]


 「An-124」のチャーター便は、リビア革命とそれに続く内戦がこの国の民間航空に大きな打撃を与える2011年2月まで続きました。

 2機とも2011年に破壊から免れることができましたが、LIBACには事業を再開するための構想と資金が欠けていたため、"サブラタ"はトリポリIAPに放置されたままとなり、"スーサ"は2009年から保管されていたウクライナ(キーウ)にあるアントノフ社の施設から回収されることはありませんでした。

 そして、リビアの航空会社による通常の運航が終焉を迎え、国内各地で戦闘が続いた結果、民間機の破壊がありふれた光景となったため、この国で就航していた「An-124」の将来は、ますます厳しいものになり始めたのです。

 それでも、LIBACの職員は緑色のジャマーヒリーヤ・グリーンの国旗を新しいリビア国旗に交換することを躊躇しなかったように見受けられます。


巨人の死

 2014年初頭からトリポリIAPの一角にある整備用エリアに移動せずに駐機していた "サブラタ" は、同年夏に空港の支配権をめぐって争っていた紛争当事者が近隣の施設を標的にして「An-124」の近くにあった複数の航空機を破壊した後も、本拠地に対する攻撃から奇跡的に生き残りました。破壊された航空機の中には、たった300mほどしか離れていない隣接するエリアに駐機していた4機以上の「Il-76」輸送機も含まれていたにもかかわらずです。

 「An-124」は破片による軽微な損傷で済んだものの、激しい衝突で旅客ターミナルは完全に破壊された結果、空港は閉鎖され、残っていた数便はトリポリ近郊のミティガ空港に振り向けられました。


 しかし、リビア全土を襲う見境のない無慈悲な猛攻撃から約8年間もなんとか逃れることに成功してきた「5A-DKN:サブラタ」ですが、その幸運は最終的に2019年6月22日に尽きてしまいました。トリポリIAPで砲弾の直撃を受け、その後の火災で破壊されたのです。

 くすぶっている巨人の残骸は、2011年のリビア革命の勃発とそれに続く巨人機の運航再開の困難さによって潰えた経歴の悲惨な結末の産物としか言いようがありません。



 「An-124」の破壊は、2機目がまだキーウにある国営のアントノフ社の施設に保管されたままで2018年と2019年にリビアに戻す計画が明らかに停止状態にある中で発生しました。[5] [6]

 興味深いことに、2018年と2019年の交渉はLIBACではなくリビア・ブルーバード航空と行われましたが、この事実はこの国で最古の貨物航空会社の運航がついに終焉を迎えたことを示しているかもしれません。

 キーウにあるリビアの「An-124」に関する問題の打開策は一見して見通しが立っておらず、保管料や整備費用が膨らみ続けているため、リビア側の自主的な売却か強制力のある裁判所からの命令によって所有権が放棄された場合の「5A-DKL」は、アントノフ社自身が保有する貨物航空会社や他の「An-124」を運航する会社にとって魅力的な機体となる可能性があるでしょう。


残る希望

 リビア政府が生き残った「An-124」を維持して活用するべき資産と判断するかどうかは、間違いなく財政状況と「An-124」のような大型貨物機に対する現実的な必要性に左右されるでしょう。

 ただ、トリポリとその周辺地域の治安がますます安定する状況下の今、リビア政府は少なくとも現存する「An-124」の運航を復活させ、国際貨物便への再投入を試みることが可能になっています。

 さらに、リビアは、現時点で自身を支援する意思を持つ数少ない国の一つ:トルコと手を組む可能性もあります。トルコはすでにウクライナと非常に親密な関係に恵まれており、最近ではいくつかのアントノフ社関連のプロジェクトについて、協力の可能性を協議しています。これらには「An-178」と「An-188」の生産だけでなく、1994年以来製造途中で放置されていた2機目の「An-225」の完成も含まれています(編訳者注:ご存じのとおり、ロシア・ウクライナ戦争でこれらのプロジェクトが前身する見通しは立っていません。ただし、ロシア軍によって「An-225」1号機が破壊されたため、未完の2号機を用いて再建する事業が進行中です。ただし、これにトルコが関与しているかは不明です)。[7] [8] [9]

 トルコの関与は、「An-124」の運命を最終的に確定させるだけでなく、同機を運航へ戻すための刺激と資金を実際にもたらす突破口となるのかもしれません。リビアに科された制裁措置が当面解除される可能性は依然として低いものの、 短期的には、かつてないほど親密な関係を享受している両国(リビアとトルコ)の間で物資や設備を空輸する可能性はあるでしょう。

 それゆえに、長続きしてしまった戦争の不幸な犠牲者である謎めいた巨人には、まだ希望が残されているのです。


[1] ANTONOV Company will begin works on renewal of Libyan Ruslan https://antonov.com/en/article/dp-antonov-rozpochne-roboti-z-vidnovlennya-liviyskogo-ruslana
[2] https://www.planespotters.net/airframe/antonov-an-124-5a-dkl-libyan-air-cargo/e01w96
[3] https://www.planespotters.net/airframe/antonov-an-124-5a-dkn-libyan-air-cargo/ekdg16
[4] https://www.facebook.com/LibyanPosts/posts/libya-the-real-negotiators-of-the-haftar-sarraj-paris-agreementthe-key-part-of-t/1492605287449867/
[5] Libya's giant Antonov could soon fly home to Tripoli https://www.africaintelligence.com/north-africa_business/2018/11/08/libya-s-giant-antonov-could-soon-fly-home-to-tripoli,108331371-art
[6] Libya tracks file of Antonov under 7-year maintenance in Ukraine https://www.libyaobserver.ly/inbrief/libya-tracks-file-antonov-under-7-year-maintenance-ukraine
[7] Ukraine: Aviation firm Antonov aims to work with Turkey https://www.aa.com.tr/en/economy/ukraine-aviation-firm-antonov-aims-to-work-with-turkey/1965437
[8] ANTONOV Presents its Advanced Programs in Turkey https://www.defenceturkey.com/en/content/antonov-presents-its-advanced-programs-in-turkey-3002
[9] Turkey interested in completing An-225 Mriya – Dpty PM https://en.interfax.com.ua/news/general/698799.html


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2024年3月16日土曜日

引き継がれる伝統:マリ陸軍のAFVと大砲に記された称号


著:トーマス・ナハトラブ in collaboration with シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2021年11月30日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。

 このブログの読者の多くは、フランスにはフランス軍が戦った重要な戦いの名前と日付を自軍の装甲戦闘車両(AFV)にマーキングするという伝統があることについてよくご存知のこだと思います。現在、この伝統は主にパレードの際に披露されますが、パレードが終わった後もこのマーキングは残されることが多く、時には戦闘配置の際にも見られます。

 しかし、この傾向が旧フランス植民地のいくつかの軍隊にも受け継がれていることについては、一般の人々に全く知られていません。これらの軍隊は、フランスに植民地化される前の古い時代の軍司令官やそれに伴う過去の歴史をよく記憶しているのです。

 (1892年から1960年までフランスに植民地支配されていた)マリもその1つですが、軍事的なものだけではなく都市や地域を記念して、その名をマーキングされた装備もあります。

 この記事では、名前や称号が付与されていることが把握されている全てのマリ軍のAFVと大砲を記録化し、名称の由来を説明します。


T-54B戦車

„Bakari Dian(読み方不明)“        

 「Bakari Dian」は、マリ南部のセグー州に伝わる民話に由来するものです。神話によると、村落や命を見逃すことと引き換えに、村人に多くの貢ぎ物を要求する半人半獣の怪物であるとのことです。[1]



„セコウ・トラオレ大尉“

 このT-54Bは、2012年1月に発生したアグエルホック虐殺事件で「第713ノマド中隊」を指揮したセコウ・トラオレ大尉を記念したものです。

 この事件では、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」と「アンサール・ダイン」と「アザワド解放民族運動(MNLA)」の合同部隊が、数日間の戦闘の後にマリ軍の駐屯地を制圧したものであり、後にマリ軍の兵士が大量に処刑されたことで悪名高いものとなりました。[2]



„コンナ“

マリ中央部のモプティ圏にある町と田舎のコミューンの名前です。



„モンゾン・ディアラ“

 動画の画質が悪いため、砲塔に記された正確な文字の判読はできません。しかし、かろうじて判読できた文字から推測できるのは、この名前の由来が王にして熟練した戦士としても知られていたモンゾン・ディアラということだけです。
 
 モンゾン王は(現在のマリ共和国の大部分を占めていた)バンバラ帝国を1795年から1808年にかけて統治しました。[3]



„スンニ・アリー・ベル“

 「偉大なるスンニ大王」を意味するスンニ・アリー・ベルは、15世紀にスンニ朝ソンガイ帝国に君臨していた人物です。ソンガイ帝国は(現在のマリ共和国の大部分を含む)アフリカ西部の広大な領域を支配していました。マリの都市であるガオは、かつてその帝都でした。[4]



PT-76 水陸両用戦車

„アスキア・モハメッド“

 アスキア・モハメッドは、スンニ・アリー・ベルの後継者であり、1493年から1528年に息子のアスキア・ムサに倒されるまでの間、ソンガイ帝国を統治していました。



„キリナ 1235“

 この名称は、1670年まで存続したマリ帝国の創設に導いた1235年の重要な「キリナの戦い」を思い起こさせるものです。[5]



„トゥラマカン・トラオレ“

 「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」は、スンジャタ・ケイタ王の統治化にあった13世紀のマリ帝国の将軍です。 スンジャタ王のリーダーシップの下で、マリ帝国はその領土を劇的なペースで西へと拡大させていきました。 [6]



„ビトン・クリバリ“

 1712年にバンバラ帝国(セグー王国)を創始した王です。



ZSU-23 「シルカ」自走対空砲

„ティラマカン“

 上記PT-76と同じ「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」将軍のことです。



BTR-60 装甲兵員輸送車

„スンニ・アリー・ベル“

 上記T-54Bと同じスンニ・アリー・ベル王のことです。



„2010年9月22日 マリ共和国建国50周年記念“

 マリ共和国の独立50周年を記念した名称。2010年9月に実施された特殊部隊の演習の際に登場しました。 [7]



„アラワン“

 トンブクトゥ から北に約250キロメートル離れた場所にある、広大なサハラ砂漠の中にある小さな村の名前です。[8]



„ガナドゥーグー“

 マリ南部のシカソ圏にある小さな町「フィンコロ・ガナドゥーグー」のことです。 [9]
 


„ワスル“

 現在のマリ、ギニア、コートジボワールの3カ国で構成される文化圏・歴史的な地域です。 [10]



„スンジャタ・ケイタ“

 スンジャタ・ケイタは、1235年から1670年まで続いた広大なマリ帝国の創設者にして初代皇帝となった人物です。 [11]
 


BTR-152 装甲兵員輸送車

„バマコ“

マリの首都です。



BRDM-2 偵察車

„バンディオウゴウ・ディアラ“

 バンディオゴウは、1890年にマリを植民地化しようとしたフランス軍と戦った部族の指導者にして戦士でした。[12]



„判読できず“

 下の画像では、少なくとも3台のBRDM-2にパーソナルネームがあることが確認できます。
 残念ながら、中央右側の「バンディオウゴウ・ディアラ」以外の車両に記された名前は判読不可能です。



BM-21 多連装ロケット砲

„ニオロ・デュ・サエル“

 マリ西部のカイ州にあるニオロとして知られているニオロ・デュ・サエル圏のことです。 [13]



„ジトゥームー“

マリ南部のクリコロ州にある、サナンコロ・ジトゥームーとして知られている村です。



T-12 100mm対戦車砲

„セノ“

 「セノ」は、マリ中央部にあるセノ・ゴンド平原か、首都バマコの南西部にある自治体のセヌーを示していると思われます。



„マシーナ“

 マリ南部にあるマシーナ圏か、1818年から1862年まで存在したマシーナ帝国を指していると思われます。[14]



特別協力: Esoteric Armour (敬称略)

[1] Malijet Littérature : La légende de Bakari Dian et Bilissi inspire un roman Bamako Mali
[2] Bataille d'Aguel'hoc (2012) — Wikipédia (wikipedia.org)
[3] Mansong Diarra — Wikipédia (wikipedia.org)
[4] Sonni Ali — Wikipédia (wikipedia.org)
[5] Battle of Kirina — Wikipédia (wikipedia.org)
[6] Tiramakhan Traore — Wikipédia (wikipedia.org)
[7] Mali : Spectaculaire démonstration de force des FAMAS https://youtu.be/aUdv_1VOBC4
[8] Araouane — Wikipédia (wikipedia.org)
[9] Finkolo Ganadougou — Wikipédia (wikipedia.org)
[10] Wassoulou — Wikipédia (wikipedia.org)
[11] Sundiata Keita — Wikipédia (wikipedia.org)
[12] Conquêtes coloniales du Soudan français: L’alliance entre Archinard et Koumi Diocé du Bélédougou - abamako.com
[13] Nioro du Sahel — Wikipédia (wikipedia.org)
[14] Massina Empire — Wikipédia (wikipedia.org)



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