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2026年4月17日金曜日

大空の女王: トルコの「ボーイング747-8I BBJ」大統領専用機


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年1月12日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 トルコは世界政治においてますます重要なプレイヤーとして台頭しており、積極的な国際的役割を担うとともに、その政治的影響力も高まりつつある状況です。新たな大国としての台頭に伴い、政府高官が利用するVIP専用機の規模も大幅に拡大しています。

これらの堂々たる見た目の航空機は、国内外におけるトルコの力と威信を象徴するステータスシンボルとなっています。この中で間違いなく最も圧倒的な存在感を放つのは、2018年9月から大統領府で運用されている「ボーイング747-8I」ボーイング・ビジネス・ジェット(BBJ)です。

 ただし、トルコ大統領府で運用されている他の機体が新品か中古機として調達されたのとは異なり、「ボーイング747-8I BBJ」は、カタールの首長であるシェイク・タミーム・ビン・ハマド・アル=サーニーからの贈り物として引き渡されたものという経緯があります。この大盤振る舞いの寄贈は、(エルドアン大統領から同機を購入したいという意向を耳にしていた)アミール首長が「トルコから代金を貰うつもりはない」と述べたことを受けて行われたものでした。ちなみに、エルドアン大統領は専用機について、「トルコの威信を懸けたことに関して、費用は考慮すべきではない」と述べていたとのことです。[1]

 カタールによる「ボーイング747-8I」の寄贈については、2017年6月に複数のアラブ諸国がカタールとの国交を断絶して封鎖措置を発動した後、トルコがドーハを支援したことへの謝意の表れであったかもしれません。詳しく説明すると、トルコは封鎖開始から僅か1か月の間に食料やその他の物資を満載した貨物機197便をドーハへ派遣したほか、カタールに駐留するトルコ軍部隊も増派しました。[2] [3]

 カタールはサウジアラビアとの国境を経由して国内に流入する輸入品に大幅に依存していたため、危機の初期段階におけるトルコによるドーハへの支援は、同国に十分な食料やその他の重要な物資を確保する上で極めて重要なものだったわけです。


 トルコに寄贈された航空機は、サーニー家及びカタール政府高官のために運航されていた4機の「ボーイング747-8I」のうちの1機でした。同機は以前にバミューダで「VQ-BSK」として登録されていたものの、トルコに到着後に「TC-TRK」に変更されています。

 トルコに引き渡される以前のカラーリングでは、(下の画像で見えるように)まだ尾翼にカタールの大きな国章が掲げられていました。現在のカタール王室専用機は、国旗や国章などのマークを一切排除した、より控えめな塗装を採用しています。

 「TC-TRK」は、2012年にボーイング・エバレット工場で組み立てられた機体です。その後にカラーリングとVIP仕様の内装が施されました。この機体は2015年末か2016年初頭に就航しましたが、トルコへ寄贈されるまでの飛行時間はたった436時間に過ぎませんでした。つまり、寄贈時点で就航から6年近くも経過していたにもかかわらず、実質的に新品同然の状態だったのです。[4]

 もっとも、カタールが同時に放出した「ボーイング747SP」と同様に、この「ボーイング747-8I」も実際にはカタール王室(AMIRI)の正式な専用機ではなかったため、両機の売却と寄贈の背景には、(カタール側の)大規模な構造改革が関わっていた可能性が高いと思われます。



 カタールは国家元首及び政府専用機として「ボーイング747」を運用している数少ない国の一つですが、「747-8I」の寄贈がサーニー家及びカタール政府の移動手段に悪影響を与える可能性は低いでしょう。トルコへの「747-8I」寄贈後も、AMIRIは依然として3機の「ボーイング747-8I」どころか、「エアバスA340」と「A320」と「A319」も各3機ずつ、「A330」を2機保有している上に、彼らが運用する複数の輸送機(「C-17」)や小型VIP機も利用可能だからです(ただし、AMIRIが輸送機や小型VIP機の所有者ではない)。

 同様に、現在のトルコ政府は「エアバスA318CJ」1機、「A319CJ」2機(うち1機は現在アルバニア政府にリース中)、「A330-200プレステージ」1機、超長距離型の「A340-500」1機、「ガルフストリームG550」と「ガルフストリームIV」が3機ずつ、そしてVIP仕様の「シコルスキーS-92」ヘリコプター3機を運用しています。ちなみに、「A319CJ」は2026年4月のゼレンスキー大統領のシリア訪問に使用されました

 場合によっては、トルコ空軍の「A400M」が、外国への公式訪問の際に大統領の車列やその他の装備を輸送するために使用されるケースもあります。

トルコ共和国大統領府が運用するVIP仕様の「シコルスキーS-92」

 2018年に「A350-900ULR」が導入されるまで、世界最長航続距離を誇る旅客機であったトルコの「A340-500」:「ボーイング747-8I(15,000km)」よりもさらに長い航続距離(16,020km)を誇っている。

 2018年9月15日、スイスのバーゼルからトルコに到着した「ボーイング747-8I」は、整備及び再塗装のため、イスタンブールのサビハ・ギョクチェン国際空港にあるターキッシュ・エアラインズの整備施設内に設けられた特別エリアへ搬入されました。

 この機体には、過去に「A330」及び「A340」になされたものと同様の基準に沿って、機内設備に追加のアップグレードや改修が施されたものと推測されます。それから一か月後の10月5日にトルコ国内線として初飛行を行い、イスタンブールからアンタルヤ、続いてイズミルを経由して首都アンカラへ向かったのでした。[5]


 カタール向けに納入された時点の「TC-TRK」は76名の乗客を収容できるよう設計されており、内装の豪華さは「究極の贅沢」としか言いようがないものでした。トルコがこの機体を譲り受けた後、(下の画像で見える)オリジナルの内装がどの程度変更されたかは分かっていません。

 確実に言えることは、この機体には数多くのセキュリティシステムのみならず、(当然ながら)独自の機内エンターテインメントシステムも備わっているということです。広々とした寝室、浴室、客室、ラウンジ、そしてファーストクラスの座席エリアが、この機体の完成度を際立たせています。





 この航空機のもう一つの非常に注目すべき特徴は、緊急医療処置に対応できる充実した医療設備が備わっている点でしょう。重篤な状態でない限り、直ちに最寄りの空港に着陸する必要がなくなるわけです。


 カタール、韓国、ブルネイ、トルコなど、どの国で運用されていようとも、「ボーイング747-8I BBJ」は、世界中のあらゆる場所でその権力と影響力を誇示するための、紛れもないステータスシンボルとなっています。(おそらく世界で最も不格好な国家元首専用機の一つと言える)オランダ政府の「ボーイング737-700 BBJ」とは対照的に、この機体は見た目が非常に優れている上に、その目的をしっかりと果たしているのです。

 その重厚かつ荘厳なデザインは、もはやトルコの空だけでなく、国家元首が向かう先々でその姿を披露することになるでしょう。

 航続距離だけでなく、トルコの外交力も広範囲に及ぶことを考えれば、行き先の対象には世界中の国々が含まれる可能性があります...もっとも、カタールへの親善訪問が1、2回は行われることは確実ではないでしょうか。

編訳者による補足:「TC-TRK」はカタール、オマーン、インドネシア、マレーシア、中国、アメリカ、日本などへの訪問で活用されたことが確認できた。


[1] Qatar's emir 'gives $500m private jet to Turkey' https://www.bbc.com/news/world-middle-east-45550537
[2] Turkey sent some 200 cargo planes to Qatar since dispute began: minister https://www.reuters.com/article/cnews-us-gulf-qatar-turkey-idCAKBN19X0Q2-OCATP
[3] New batch of Turkish troops arrives in Qatar https://www.aljazeera.com/news/2017/6/30/new-batch-of-turkish-troops-arrives-in-qatar
[4] Qatar sells the world's largest private plane https://www.aerotime.aero/21685-qatar-sells-the-world-s-largest-private-plane
[5] Devlet Filosunun yeni uçağı B747-8 "TC-TRK" Antalya Havalimanı'na yaklaşmada.. https://youtu.be/r7Y5_YX5p24


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました


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2026年4月4日土曜日

永遠に残り続けるために:BEAの「A300」

Image 1 by Matteo Lamberts

著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月12日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 飛行機でイスタンブールのアタテュルク国際空港に着く際、右側の座席に座ったことのある人なら、ヘッダー画像に写っているこの航空機を見たことがあるはずです。イェシルキョイ近くの空港の片隅には、3機の青と白のエアバス「A300」が、まるで近い将来に必ず訪れるであろう解体処分を待っているかのように佇んでいます。初めてアタテュルク空港に着陸して以降、私はこの3機に関心を抱き続けてきました。なぜあそこに駐機されているのでしょうか?この塗装でどれくらいの期間運航され、どうして退役することになったのでしょうか?

 こうした疑問がずっと私を悩ませていましたが、ついに先日、いつの日かこれらの「A300」が解体されて人々の記憶から消え去ってしまう前に記事として残すべく、できる限りの情報を集めることに決めました。

 日頃の軍事分析を求めている一般の読者にとっては、この記事は必ずしも期待通りの内容ではないかもしれません。しかしながら、民間航空や激しい競争で知られる業界で事業を営む航空会社や旅客機が直面する過酷な運命に深い関心を抱いている方々にとって、この記事はまさにうってつけの内容となるでしょう。今回は、ボスポラス・ヨーロピアン・エアウェイズ(BEA)が保有する3機の「A300」にまつわるものです。


 BEAは2001年にチャーター航空会社として設立され、2002年3月に、座席数298席、貨物積載量約10トンのエアバス「A300B4」旅客機3機の運航を開始しました。[1] 

 「TC-COA」、「TC-OIM "カーン"」、「TC-OYC"ハーカン"」の3機は、2001年12月にBEAが入手した時点で、すでに製造から約20年が経過していました。これら3機全てが1980年代初頭にスカンジナビア航空(SAS)に納入された後、デンマークのチャーター航空会社であるスカンエア、コンエアー、プレミエアへと引き継がれるという過去を持っています(その間に、別の複数の航空会社にもリースされていました)。[2]


 「A300」がBEAに引き渡されてからの数か月間は、2002年の行楽シーズン開始を見据え、乗務員が同機への習熟を図るための訓練に費やされたと推測されます。チャーター航空会社であるBEAにとって最も重要な顧客層は、トルコ沿岸の行楽地を訪れる観光客やヨーロッパ各地でのサッカーの試合を観戦するファン、そしてヨーロッパで働くトルコ人でした。BEAは、その短い歴史の中で、ドイツ、オランダ、スイス、フランス、イギリス、キプロス、イラン、イラクを含むヨーロッパや中東の都市へのフライトを運航していたことが確認されています。[1] [3]

 BEAにとって残念だったのは、1990年代から2000年代初頭におけるトルコのチャーター航空会社の平均寿命は極めて短いものだったことでしょう。例えば、その僅か7年前(1995年)には、アクデニズ・エアラインズも「A300」を3機導入してチャーター航空事業への参入を試みています。1995年6月に大きな期待を胸に運航を開始したものの、たった6か月つまり1995年12月には運航停止となってしまったのです。[4] 

 BEAの運命も例外ではなく、その活動も資金が底を突くまでの僅か6か月(2002年3月から8月まで)で終わってしまいました。結果的に、BEAの功績と呼べるものは、「A300」が空を飛んでいた時よりも地上で放置されていた時に撮影された写真の方が多いという、奇妙な記録を残したことぐらいに過ぎません。

 フランクフルト空港における「TC-COA」。背景には巨大な「C-5  "ギャラクシー"」輸送機が駐機している。そこにまだラインマイン米空軍基地が存在していた時代のことだ。

マンチェスター国際空港に着陸寸前のTC-OIM "Kaan"」

 2002年の夏休みシーズンが終わりに近づくのと時を同じ頃、BEAの運航業務も終わりを迎えました。同社の保有機はアタテュルク国際空港で長期保管に入りましたが、結局BEAは2004年に正式に事業終了に追い込まれてしまいました。業務停止から事業終了まで2年もかかりましたが、この期間は新たな投資家による事業の再始動という、ごく僅かな可能性に賭けるために設けられていたものと思われます。

 しかしながら、年月を重ねるにつれて、その見通しはますます不透明なものとなっていきました。当初、「A300」はアタテュルク空港の整備棟の前に数機の放置された航空機と共に保管されていたものの、時が経過するにつれて、機体の状態と運命は次第に絶望的なものと化していったのです。



 3機の「A300」については、BEAの事業再開や他社による買収に備えて直ちに再稼働できるよう保管されていたものの、最終的にエンジンを覆っていたカバーまでもが取り外され、機体はトルコの気候に完全に晒された状態となってしまいました。
 なお、この時期でもエンジンカバーには依然として「SAS」の文字が記されていました。同機が元オーナのスカンジナビア航空で使用されたのは1981年から1983/1984年までです。[2]


 興味深いことに、「TC-OYC "ハーカン"」は保管されるという事実上の放棄を逃れ、2003年8月にトルコのチャーター航空会社であるフライ・エアに2か月間リースされ、その後2003年10月にはスーダン航空に数週間(!)リースされたとのことです。[2]

 後者の運用において、この機体はスーダン航空のマーキングを施されたものの、尾翼のBEAの塗装と文字はそのまま残されました。これは、BEAの機体がたどる「忘却の彼方までの長い道のり」で唯一の救いとでも言うべきものでしたが、最終的にアタテュルク空港の格納庫で保管されていた他の2機のもとへ戻ることになったのはまさに悲劇と言えるでしょう。

 2015年には、整備棟前のスペースを空けるために3機全てが現在の場所へ移動されました。


 2017年には「TC-OYC "ハーカン"」のノーズコーンが撤去された:左手前はCATカーゴで運用されていた「An-12 (TC-KET)」だ。

 ここ数年のうちに、2機の「A300」の尾翼にあった馴染み深い青色の塗装とBEAの文字が消去されました。この措置の正確な理由はいまだに不明ですが、2021年1月に3機全てが1機あたり73,954ドル(当時のレートで約770万円)で競売に出されたことが判明しています。[5]


 現在のアタテュルク空港は民間旅客便の運航を停止しており、貨物便、ビジネス便、VIP機のみが運航されています。それでも、空港の前を車で通りかかると、長年の放置にもかかわらずその威容を損なうことなく高くそびえ立つ尾翼が必ず目に入ってくるはずです。

 見捨てられ、忘れ去られた彼らが二度と空を飛ぶことはないでしょう。風変わりなキョフテ料理店として第二の人生を送ることも望み薄そうです。それでも、こうしてこの記事で永遠に記録された以上、スクラップヤードの掘削機の爪がどんな最悪な最期を与えたとしても、BEAの「A300」が忘れ去られることはないでしょう。

image by Ivica Ramljak

[1] https://web.archive.org/web/20020719232036/http://www.bea-air.com/
[2] https://www.planespotters.net/airline/Bosphorus-European-Airways
[3] https://www.airliners.net/search?airline=13001&display=detail
[4] Akdeniz Airlines https://en.wikipedia.org/wiki/Akdeniz_Airlines
[5] Istanbul-Atatürk versteigert herrenlose Flugzeuge https://aviation.direct/istanbul-atatuerk-versteigert-herrenlose-flugzeuge?print-posts=pdf


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
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2026年1月16日金曜日

つつましやかな始まり:トルコ航空の「Ju 52」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2021年4月5日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 トルコ航空(ターキッシュ・エアラインズ)は世界最大級の航空会社の一つであり、世界で最も多くの便を運航しています。今では350機以上のエアバスとボーイングの旅客機を運用し、国内・国際線合わせて約300の航路で運航させているのです。1933年に国内の4路線で始まった会社が2003年には103路線まで持つまでに拡大したことから考えると、飛躍的な成長を遂げたと言えます。過去1世紀にわたってトルコ航空は数多くの航空機を運航してきましたが、その全部が今の機体ほど注目を浴びてきたわけではありません。その目立たなかった機種の一つがドイツの「Ju 52」です。この機体は、トルコでの運用中に画像や映像で記録された事例が極めて稀でした。

 ユンカース「Ju52」は史上最も有名な航空機の一つです。1930年代初頭のドイツで(当初は)民間市場向けの単発旅客機として設計されたこの飛行機は、すぐに3発機として再設計され、現代の私たちが知る「Ju52」となりました。このエンジンの配置のおかげで、「Ju52」はすぐに世界中の航空会社で評判を得て南米やアジアまで旅客便を運航することになったわけです。第二次世界大戦が差し迫る中、多くの「Ju52」がドイツ空軍に爆撃機や輸送機として導入されたことは誰もが知るところでしょう。

 「Ju52」が最初に投入された主要な作戦は、1940年4月のデンマーク侵攻における空挺部隊の輸送任務です。デンマークはドイツの侵攻が迫っているという情報をキャッチしていたものの、完全に油断していたため、武力での抵抗を開始してから僅か2時間で降伏してしまいました。この驚異的な戦果に勇気づけられたドイツ空軍は、それから1か月後のオランダ侵攻においてこの成功の再現を試みようとしました。ところが、歴史の必然として、オランダの空は彼らにとって特に過酷なものとなったようです。結局、数日間の間に約250機の「Ju52」が失われました。[1] [2]

 1940年までに既に著しい旧式化が進んでいたにもかかわらず、「Ju52」は第二次世界大戦終結までドイツ空軍の主力輸送機として活躍し続け、ドイツ軍が戦っていたほぼ全ての戦場に兵士と物資を輸送しました。「Ju52」の後継機としてより現代的な機体(「Ju252」と「Ju352」)の開発が試みられましたが、「Ju52」の生産は1944年まで続けられたのです。戦後の生産については、フランスでアミオ「AAC.1 トゥーカン(1945-1947)」として、スペインでは「CASA 352(1945-1952)」として続けられ、旅客機や軍用輸送機として1970年代初頭まで使用されたことが知られています。

 しかし、今回のテーマを始めるには、そこから数年 – つまり、5機の「Ju52」がイスタンブールのイェシルキョイ空港に着陸した 1944年4月2日– に遡らなければなりません。ドイツのハーケンクロイツを施されたまま到着したおかげで、この機体の売り手について疑問の余地を残さなかったようです。その後、これらの「Ju52」はトルコ航空(Türk Hava Yolları)の前身である国営航空(Devlet Hava Yolları:DHY)で就航を開始しました。[3]

 トルコにおける「Ju52」の運用に関する情報は極めて少なく、機体の写真もほとんど残っていません。


 国営航空は、1933年5月20日にトルコの主要な人口密集地を結ぶ国内線の航空会社として設立されました。当初はドイツのユンカース「F13」2機や同数のアメリカ製カーチス「モデル55 "キングバード"」、そして1機のソ連製ツポレフ「ANT-9」といった多種多様な航空機を導入したものの、国内航空の需要増加に伴ってDHYの保有機リストが拡大し、1930年代後半から1940年代初頭にかけて、イギリスから4発エンジンのデ・ハビランド「D.H.86 "エクスプレス"」を含むデ・ハビランド機を調達しました。[4] [5]

 ところが、第二次世界大戦中に連合国が航空機の供給を拒否したことにより、トルコは自身に航空機を調達する意欲のある供給源:つまりドイツに頼らざるを得なくなったわけです。

この美しいイラストは1946年4月の航空便の時刻表の表紙に描かれたものだ:トルコの農村上空を飛ぶDHYの 「Ju52」が描かれている。




 第二次世界大戦の大部分で、トルコは隣国のギリシャやブルガリア、カフカス地方のみならず中東が瞬く暇もなく戦争に引きずり込まれていく中で、中立をどうにか維持し続けました。結局、この国の中立は1945年2月まで続き、トルコはついにドイツと日本に対して宣戦布告して連合国に加わることで中立に終止符を打ちました。ちなみに、その約1年前の1944年4月の時点でトルコはドイツへのクロム鉱石の輸出を停止し、続く同年8月には国交と貿易を完全に断絶しています。

 鋼の生産に用いられるクロム鉱石は、ドイツの軍事産業を維持するために極めて重要な役割を果たしていました。この貴重な資源の供給を保証する見返りとして、ドイツはトルコに対して連合国から入手する見込みがほぼ完全にない物資や軍備を提供していました。したがって、「Ju52」がこうした条件での取引を通じて入手された可能性は高く、土独関係が完全に断絶する直前に受け取った最後の兵器だったことも想定されます。

 1944年4月にトルコに到着した「Ju52」については、尾翼の大きなハーケンクロイツやその他のマーキングは急いで塗りつぶされ、必要最小限の塗装に塗り直されました。これらの機体の旧塗装を見ると、少なくとも一部の機体がナチス・ドイツの国営航空会社であるドイツ・ルフト・ハンザによって運用されていたことを示しています。一方、新たに導入した「Ju52」は乗客を約17名しか乗せることができなかったものの、それでもDHYの主力機となっていた大多数のデ・ハビランド機よりも2倍のペイロードを有していました。

 下の画像は、トルコ軍で運用された「Ju52」の現存する数少ない写真です。この機体には、機体番号「TC-RUH」と尾部に「18」のシリアル番号、そして(トルコ国旗の一部と推定される)三日月のマークが確認できます。また、別の写真(ヘッダー画像)の機体には、機首側面の窓の下に「Devlet Hava Yolları」のステッカーが貼られている姿が一目瞭然となっています。

 第二次世界大戦中におけるDHYの「Ju52」はトルコ国内の路線だけで運航されていたため、トルコの所属を示す大きな旗や目立つ識別マークは不要だったようです。1940年代後半にアメリカから供与されたダグラス「DC-3」に置き換えられるまで、引き続きこのシンプルなカラーリングのまま運用されていた可能性はおおいに有り得るでしょう。


 「Ju52」には別の塗装が施された可能性も否めません。ただし、こちらの根拠はより信憑性の低い情報が由来です:下にある、1946年にトルコ赤新月社が発行した記念切手を見てください。この切手には、翼と機体に大きな赤い新月マークを付けた「Ju52」が医療搬送機として描かれています。[6]

 トルコの「Ju52」が実際にこのような塗装で運用されたのか、あるいは切手用に特別にデザインされた架空の塗装であるかは不明ですが、後者の方が可能性が高いと考えられます。


 ユンカース「Ju52」は別として、2種類のユンカース機:「G24」とより小型の「F13」が戦間期のトルコで運用されていました。「G24」は「Ju-52」の精神的な先駆者と言える存在で、似たような3発エンジンの配置と波型外板を特徴とした機体です。興味深いことに、トルコで運用された唯一の機体は実はトルコが所有していませんでした。というのも、1920年代半ばから後半にかけてユンカースが実施した(最終的に失敗した)マーケティングキャンペーンの一環として運用されていたからです。[7]

 その一方で、3機の「F13は」1930年代後半に退役するまで、旅客機や連絡機、空中探査機、郵便機として運用されたことが記録されています。[9]

 一時期、トルコ初の航空機製造工場であるトムタシュ(Tayyare ve Motor Türk Anonim Şirketi)で約20機の「F13」の生産が計画されましたが、財政難によりこのプロジェクトは中止に追いやられ、最終的にTOMTAŞが倒産するという形で国内航空産業の有望なスタートは残念な終わりを迎えました。[8]


トルコの国籍マークが施されたユンカース「G24」:実際にはトルコがこの機体を所有したことはなかったが、同国で1925年から1927年までの約2年間運航された。

 トルコにおける「Ju52」の運用期間は僅か数年と短かったかもしれません。しかし、この機体はトルコの航空産業の humble beginnings( つつましやかな始まり)の物語において際立つ章を刻んだ機体であり、後世に語り継ぐ価値のある物語の断片です。そのつつましさは長く続きましたが、約30年後、トルコ航空は3発エンジン搭載の旅客機:「DC-10」を運航する最初の航空会社の一つとなりました。

 現在、この国は航空宇宙分野のパイオニアとして、多種多様な先進的な航空機やその試作機を生産しています。ただし、「TRジェット」計画を通じて国産旅客機の生産を目指す取り組みは2017年に中止されました。しかし、忘れ去られた過去にたった数機の「Ju52」を運用していた時代から(イスタンブールの交通渋滞を実際に体験した人なら、その価値を高く評価するであろう)バイカルの「ジェゼリ」のような開発に至るまでの驚くべき進化は、つつましやかな始まりは偉大さの誕生を予感させるということを私たちに教えてくれます。

ジェゼリ・フライングカー

[1] Mei 1940 - de verdediging van het Nederlandse luchtruim http://www.bataafscheleeuw.nl/db/main/assortiment/index.php?book_id=514
[2] De gebroken vleugel van de Duitse adelaar https://uitgeverijaspekt.nl/boek/de-gebroken-vleugel-van-de-duitse-adelaar/
[3] 1/48 Revell Ju-52 3/m TC-RUH Turkish Airliner https://www.aircraftresourcecenter.com/Gal3/2701-2800/Gal2785-Ju-52-Gerdan/00.shtm
[4] Turkish Airlines History http://www.thy-heritage.com/history/
[5] Turkish Airlines Fleet http://www.thy-heritage.com/flit/
[6] Kızılay uçak resimli pullar, Sanayi Kongresi ve ilk uçuş zarfları https://pulveposta.com/2018/02/11/kizilay-ucak-resimli-pullar-sanayi-kongresi-ve-ilk-ucus-zarflari/
[7] 1/72 Plastikart Junkers G 24 https://www.aircraftresourcecenter.com/Gal3/2901-3000/Gal2904-Ju-G24-Gerdan/00.shtm
[8] JUNKERS F13 Limuzin http://www.tayyareci.com/digerucaklar/turkiye/1923ve50/junkers-f13.asp
3枚目の画像: Gökhan Sarigöl via Stuart Kline.

2025年に改訂・分冊版が発売予定です(英語版のみ)

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2025年3月1日土曜日

アフリキヤ・ワン: 代金と所有権をめぐって苦しんだカダフィ専用機


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2023年9月6日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 私は国際的なリーダーであり、アラブの統治者たちの長であり、アフリカの諸王の王であり、ムスリムのイマームである:ムアンマル・カダフィ

 2011年にリビア革命が終結したことは、リビアの人々に、ムアンマル・カダフィが42年にわたる統治下で蓄えていた数十億ドルと、それによって彼が手に入れた贅沢なライフスタイルのレガシーを求めて熱狂させる事態に至らせました。というのも、リビアはアフリカで最も豊富な石油を埋蔵している国にもかかわらず、カダフィの統治下では、リビアの人口600万人のうち約40%が貧困ライン以下で生活しており、適切な医療を受ける機会すら全くなかったからです。[1]

 カダフィ一家が所有する宮殿の内部をリビア人がやっと垣間見ることができたとき、もっとも際立っていたのは、(おそらく大半の人が予想していたような)豪華さではなく、むしろそのお粗末な内装でした。サイフ・アル=イスラム・カダフィの邸宅で発見されたスーパーカーの壁画にしても、カダフィ一家の保養所の廊下の中央に置かれた巨大な石造りの噴水にしても、お金とセンスがイコールではないことは明らかです。彼の独特なインテリア・センスは、反政府軍がカダフィの1億2,000万ドル(約180億円) もしたVIP専用エアバス「A340 "アフリキヤ・ワン"」 の内部を初めて覗いたときに、さらに証明されました。[2]

 国連安全保障理事会がリビア上空に飛行禁止区域を設定した後にトリポリ国際空港(IAP)で立ち往生していた「A340」は、2011年8月に発生した空港をめぐる戦いでは、概ね被害を免れました。この後、反政府軍が首都トリポリを制圧したことは周知のとおりです。反政府軍がトリポリIAPで遭遇した飛行機は、(過去の当ブログで紹介した)リビアが2機保有する「An-124」貨物機のうちの1機だけでなく、カダフィの自家用ジェット機の大部分も含まれていました。[3]

 贅沢をしないふりをしていた割には、彼の専用機は「A340-213(5A-ONE)」1機、「A300-600(5A-IAY、空港の先頭で破壊された)」1機、ダッソー「ファルコン900EX(5A-DCN、近郊のミティガ空軍基地で発見された)」1機で構成されていました。ちなみに、トリポリで発見されたカダフィ専用の高速列車は、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相(当時)から贈られたものでした。これの詳細は過去に取り上げた記事をご一読ください。[4]

 明らかになったカダフィ専用「A340」の内部は、1990年代のリムジンと遜色ない銀灰色の内装でした。それでも、4発機の「A340」はスタイリッシュさに欠けていたものの、豪華さではそれを補って余りあるものがありました。というのも、カダフィとその側近たち、そして女性だけで構成された親衛隊 "アマゾニア"が利用できた、複数のバスルームと2個のシャワー、ジャグジー、革張りのソファと座席が設けられていたからです。

 このような豪勢なことを考えれば、カダフィ大佐、あるいは彼が好んで使った "大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の偉大なる9月1日革命の指導者" が、実際に「A300」を愛用した事実は驚くべきことかもしれません。このことは、彼がすでに「A340」の3人目のオーナーであり、自分でインテリアを決めていなかった事実と大いに関係がありそうです。「A300」も中古機でしたが、こちらは2003年にアブダビ・アミリ・フライト(現プレジデンシャル・フライト)から入手した後にカダフィの好みに合わせて改装されました。[5]

 「A340」がカダフィの手元に渡った経緯については、それ自体が興味をそそるストーリーです。まず、この機体は1996年8月にブルネイのジェフリ・ボルキア皇太子によって発注されたもので、2億5,000万ドル(約378億円)を費やして調達と内部の改装が行われました。[6]

 2億5,000万ドルという額の時点でもすでに巨額ですが、それが彼自身のお金でないことを考えれば余計にそう言えます。(お察しの通り)ジェフリ皇太子にはブルネイの国家予算を不正に流用する悪習があり、国庫から148億ドル(約2.2兆円)を不正に持ち出し、多くの宮殿やヨット、そしてこの「A340」を含む9機以上のプライベート機に費やしたとして非難されていたのです。[7]

 結果として、彼は弟の行動を少しも快く思わなかったブルネイのスルタン(兄のハサナル・ボルキア)によって解任され、全ての所有物を売り払われてしまいました。ジェフリ皇太子が "自分の"「A340」に2億5,000万ドルも費やした僅か3年後に、この飛行機はスルタンによって、世界で最も裕福な人物の一人であるサウジアラビアのアル=ワリード・ビン・タラール・アル・サウード王子にたった9,500万ドル(約140億円)で売却されたわけです。

 手っ取り早く金儲けをしようとした王子は、この飛行機をカダフィに売ろうと試みたものの、それがさらなるスキャンダルを招くことになりました。

ゾッとさせるような1990年代風の銀灰色の内装が施されたカダフィの「A340」

"アフリキヤ・ワン" に備えられたカダフィの(旧ジェフリ・ボルキアの)豪勢な玉座

 アル=ワリード王子が最初に直面した障害は、カダフィ大佐が2001年に初めて「A340」を売り込まれた際に少しも興味を示さなかったことでした。そもそもカダフィは飛行機を用いての移動に熱中していたわけではなかったし、リビアへの制裁と政治的な面での国際的孤立の拡大のため、過去10年以上は海外へ飛ぶことがなかったからです。1970年代と1980年代、まだ世界の多くで歓迎されていた頃の彼が単にリビア航空の「ボーイング707」を使用していたことを踏まえると、専用機には特に興味を示していなかったようです。

 アル=ワリードからすると、「A340」の購入に関心を示す相手がいなかったことが問題となったのは容易に想像できるでしょう。買い手からの関心が乏しかったのは、航空機の内装と外装がいずれも著しく魅力のないものだったことが影響しているかもしれません。ジェフリ皇太子は兄が所有する3機(!)の「A340」とほぼ同様の内装をチョイスしたものの、仕上げは兄が使用した金色ではなく、なぜか銀灰色のものだったことは上述のとおりです。彼はその出来栄えに満足したようで、「A340」の外装も同様に仕上げられました。

ブルネイのジェフリ・ボルキア皇太子が所有していた時代の「A340」:外装もパッとしない銀灰色に固執しているように見える (画像:Konstantin von Wedelstaedt)

 アル=ワリード王子は、カダフィが1億2,000万ドルの空飛ぶリムジンの購入に無関心であることに気後れせず、カダフィと人脈を持つヨルダンのフィクサー:ダード・シャラブに依頼し、カダフィにエアバスを購入するよう説得を試みました。それにもかかわらず、シャラブは彼との会談を実現させるのに1年半近くを要して、ようやく実現したのは2003年1月のことです。[6]

 この会談で、カダフィは最終的にエアバスに興味を示した一方、他にも提示された複数の航空機を検討していると述べました。この数日後、シャラブは王子に連絡を取り、カダフィに「A340」だけでなく、同じく売却しようとしていた「ボーイング767」もチェックしてもらうよう提案しました。こうして2003年4月に両機はリビアへ飛び、王子自身も「A340」に搭乗して売り込みにきたのです。

 結果として、カダフィはエアバスを気に入り、売却の手続きが完了するまで機体をトリポリに留め置くよう要請しました。これは、彼の知らないところで機体に手を加えるなどの行為を防止するための措置という意味合いがあります。

 結局、王子は「ボーイング767」でサウジアラビアに戻りました。この時の彼は、おそらく取引の成功の見込みに満足したことでしょう。

アル=ワリード王子は銀灰色の塗装が「A340」の販売に悪影響を及ぼすと判断し、より美しい "キングダム・グリーン" に変更した:カダフィが初めて目にした「A340」はこの塗装の機体だった

 「A340」の売却価格に関して、どうやら王子とシャラブの間には齟齬があったようです。シャラブは1億3,500万ドル(約200億円)と考えていたのに対し、王子は最高でも1億1,000万ドル(約165億円)と考えていました。[6]

 この価格でも、王子にとっては1,500万ドル(約22億円)の利益を手にすることができます。それにもかかわらず、彼はカダフィを騙して「A340」の価格が実際はもっと高価だと信じ込ませ、「1億3,500万ドルという価格は、私たちがこの機体に要した費用です。これには、購入後に機体に施された多種多様な追加の装備や改造が含まれています」とカダフィに伝え、儲けを増やそうとしたのでした。[6]

 後にこれらの改造について尋ねられた際、王子は実際には「A340」に何もしていないことを認めました。

 騙されていたのはカダフィ大佐だけがではありません:というのも、シャラブは「機体を1億1,000万ドルで売却できたならば、王子がそれ以上の金額を自身に支払うことに同意していた」と主張していたものの、後に王子はこの約束を否定したからです。最終的にシャラブは訴訟を起こし、勝訴しました。2013年にイギリスの裁判所は王子に対して彼女に1,000万ドル(約15億円)の(損害賠償を兼ねる)仲介手数料を支払うよう命じたのでした。[8]

 勝訴のちょうど10年前となる2003年6月、カダフィ大佐との交渉を成功させて1億2,000万ドルでエアバス「A340」を売却したのはシャラブでしたが、隣国エジプトにおける王子の農業プロジェクトに対するリビアからの2,000万ドル(約30億円)の投資を決定させたのも彼女でした。[6]

 機体の代金の支払いは2回に分割して行われ、最初の7,000万ドル(約105億円)は王子に直接支払われる予定になっていました。リビア農業投資公社が、第2回目の出資分として残りの7,000万ドルを拠出し、そのうち2,000万ドルは農業プロジェクトに、残りの5,000万ドルは航空機の代金に充てられる予定だったのです。王子は2003年8月に最初の7,000万ドルを受け取ったものの、航空機購入費用の5,000万ドルと農業プロジェクト用の2,000万ドルの入金は実現しませんでした。

 2004年2月、カダフィの代理として「A340」を運航する予定だったリビアのアフリキヤ航空の会長が、王子の代理と会談しました。この会議の途中で、会長はカダフィが7,000万ドルが適正な価格だと考えており、それ以上の金額を支払うつもりはないと述べています。最近調達した「A300」に加えて長距離用のVIP機を追加する必要性が全くないことを踏まえると、この時点でカダフィが後悔していた可能性があるのではないでしょうか。

 おそらく、彼が「A340」の購入を決断した主な理由は、そのサイズと4基のエンジンという点にあったと思われます。一般の読者からすると、4基のエンジンが持つ重要性をすぐに理解するのは難しいかもしれませんが、一般的に中東の指導者たちが4基のエンジンを搭載した「ボーイング747-400」か、より現代的で大型の「ボーイング747-8」を所有していることをイメージすれば分かるのではないでしょうか。というのも、大型機は、指導者とその国に高い威信を授けてくれるからです。

 かつて「A340」は一流の飛行機と見なされていましたが、トルコとエジプトの両政府は、(「A340」に加えて)より大型の「ボーイング747-8」も導入しています。

アラブ諸国の指導者たちの専用機と比較した際に明らかに見劣っていたため、双発機の「A300」はカダフィに劣等感を抱かせていたのかもしれません。カダフィに「A340」購入を動機づけた要因が、これであった可能性は決して低くはないでしょう。ただし、彼がこの購入で1億2,000万ドルもの大金を出すことについては、明らかに快く思っていませんでした。

「A340」を入手した後も、カダフィは海外へのフライトには双発機の「A300」を頻繁に利用した (画像:Dennis)

 別の億万長者が以前所有していた4発エンジンのプライベートジェット機の価格をめぐって2人の億万長者が口論しているという光景がそれほど面白くないと思っても、この事態はさらに滑稽な展開を繰り広げることになります。

 明らかにカダフィは依然として未払いの5,000万ドルをアル=ワリードに渡す意思はなかった一方で、王子の手には隠し玉がありました。

 「A340」は王子がトリポリを去った2003年4月以来、ずっと駐機されたままでした。しかし、機体をフライアブルな状態に維持するには(通常はヨーロッパで行われる)定期点検を受ける必要があったわけです。こうして2004年3月に、この機体がドイツで定期点検を受ける番となりました。

 リビアの当局者たちは「A340」のトリポリへの帰還を期待していたようですが、驚いたことに、その機体は戻ってくることはありませんでした。跡形もなく消えてしまったかのような状態となったわけです。

 以前、カダフィは王子が2,500万ドルの損失を受け入れて、「A340」の所有権を正式にリビアに移転することを予期していたようですが、今や大佐は「A340」とすでに支払った7,000万ドルを失うことになってしまったのでした。

 カダフィは、消えた飛行機を発見する任務に精鋭のエージェントを投入したに違いありません。なぜなら、未だに「A340」の正式な所有者であるアル=ワリード王子が、ドイツでの整備を完了した同機を彼に黙ってサウジアラビアに戻したことを、すぐに突き止めたことで、大佐が激怒したからです。[6]

 このエスカレートする争いの中に巻き込まれヨルダンの仲介人であるシャラブは、結果的に、飛行機の即時返還か7,000万ドルの払い戻しを求めるカダフィの要求を伝えることしかできませんでした。飛行機がサウジアラビアでの駐機中に不正に改造された可能性があることを察知したカダフィは、その後、取引の完全なキャンセルを決定しました。これに対して、(王子は)エアバスの取引はキャンセルするものの、補償金として7,000万ドルを支払う意向を表明しました。文字どおり、アル=ワリード王子は大佐よりも上手に立ち回ったわけです。[6]

 これまでのカダフィは、他国への徹底的な侵攻によって紛争を解決しようとしてきましたが、サウジアラビアとの国境を接していない上にリビア軍も機能していなかったため、この選択肢は実現不可能なものでした。つまり、王子が「A340」と7,000万ドルの両方を掌握した時点で、カダフィに残された手段はなくなってしまったのです。

 状況の行き詰まりから3か月後、シャラブはアル=ワリードとカダフィがトリポリでの直接会談を手配することで、事態の打開を計画しました。結局、彼女はこのプランを通じて少なくとも1,000万ドルの報酬を得ることになったわけですが、そう簡単にはいかなかったことを後で触れます。

 復讐のためにカダフィが王子の自家用機を押収するリスクを回避するため、王子はチャーター機でリビアに向かいました。その後、王子とカダフィの公開の会談が行われ、大佐は最終的に未払いの5,000万ドルを支払う意向を表明しました。[6]

 しかし、その翌日の会合で詳細を話し合った際、リビア側はまたしても決定を覆して再び7,000万ドルの返還を求める事態に展開したのです。カダフィとの非常に長期に渡る話し合いに耐え、この取引を解決するためにトリポリに赴いたアル=ワリード王子は、この突然の展開に不愉快だったに違いありません。しかし、結局はリビア側が譲歩して、飛行機の購入を進めることに同意しました。[6]

 王子の農業プロジェクトに対する2,000万ドルの投資はもはや議題から消えたものの、リビアは未払いの5,000万ドルを支払って遂に飛行機の所有権を得ることで決着がつきました。ただし、終わりにはまだ時間がかかります。この新たな契約は9月に王子によって署名されたものの、リビア側が署名をするのにそこから6か月、実際に王子に代金を支払うまでにさらに6か月を要したことも触れておかなければなりません。

 2006年9月、カダフィの手にようやく飛行機の所有権が渡り、3年半を費やした1億2,000万ドルの取引がやっと完了しました!

 王子はこの売却で2,500万ドルの利益を得ました。ただし、話はこれで終わりません。というのも、シャラブが1,000万ドルの仲介手数料を自分に支払うべきだと主張したからです。不思議なことに、今回その支払いを拒否したのは(カダフィの支払い拒否に苦しめられた)王子でした。[8]

新たなカラーリングを施された「A340 "5A-ONE"」 : ジェフリ皇太子が使用していた銀灰色よりも、この白と黒の配色の方がより視覚的に引き立つ

 しかし、この時期のシャラブにとって最大の心配事は、王子の不払い支払いではありませんでした。なぜなら、彼女は(ヨルダン国籍保有者にもかかわらず)どうやらカダフィの怒りを買ったらしく、そのためにトリポリで軟禁状態に置かれていたからです。[9]

 彼女が自宅軟禁に追いやられた理由は、カダフィの被害妄想でしかなかったようです。彼は、シャラブがヨルダンのアブドラ2世とエジプト大統領のホスニイ・ムバラクと共謀して自分を失脚させようと画策していると非難しました。彼の主張は次のとおりです:「私は、お前の王がエジプトの大統領と一緒になって、私に対して何を企てているかを知っているぞ」。[9]

 これらの疑惑に対する自己弁護の機会を認められなかった彼女は、2011年のリビア革命で反体制派に解放されるまで、トリポリで21か月間のも及ぶ軟禁に耐えなければならなかったのです。

 解放後、彼女はアル=ワリード王子に対する1,000万ドルの要求を続け、最終的に2013年7月にイギリスの裁判所で損害賠償(兼仲介手数料)の請求が認められました。[8]

2011年、反体制派の戦闘員が "アフリキヤ・ワン" の魅力的な内装について熟考している

 2006年にカダフィに売却された後、「A340」はドイツのルフトハンザ・テクニークで再塗装を施されました。以前にカダフィの「A300」で行われたのと同様に、彼が本当に民間の旅客機で移動しているかのような虚偽のイメージを与えるため、「A340」はアフリキヤ航空のカラーで飾られたのです。

 目立つように表示された9.9.99のロゴは、アフリカ連合の設立を呼びかけた1999年9月9日のシルテ宣言の署名日を記念したものです。この 「9.9.99」 という日付は、少なくとも2012年までは)アフリキヤ航空の機体カラーの大部分を占めており、カダフィのアフリカに対する新たに生じた親近感を象徴していました。

 1970年代に自分の指導の下でアラブ諸国を統一しようとして失敗した後、カダフィは1990年代後半から2000年代にかけて新たにアフリカへの取り組みを開始し、アフリカ連合を土台にして、自らを将来のアフリカ合衆国の指導者に位置づけようとしたわけです。

 ところが、アフリカのほぼ全ての指導者たちがカダフィの提案から静かに距離を置くようになり、アフリカ連合はカダフィの議長在任中、彼を事実上の孤立に追いやってしまいました。このため、カダフィはAUや別のアフリカの構想に資金を投入したことを後悔するようになります。「議長が持つ権力がこんなに小さいことを事前に知っていたら、私はこの仕事を拒否していただろう」と述べる有様でした。[10]

 アフリカをテーマにしたアフリキヤ航空のカラーリングの背後にあった意図は別として、「A340」の "9.9.99 " の塗装が極めて際立っていたことは否定できません。

2009年6月、イタリアへの公式訪問で "アフリキヤ・ワン" を降りた直後、軍服姿で演奏されるリビアの国歌に敬礼するカダフィ:シルテ宣言を記念した "リビア-アフリカ 9.9.99" のマーキングにも注目

 機体の外観には新たな塗装が施された一方で、カダフィは内装を一切変更しないことを選択しました。この決定については、彼がこの飛行機を入手するまでにすでに3年半もかかっており、これ以上就役を遅れさせたくなかったという事実が影響しているのでしょう。もしくは、カダフィの嗜好がジェフリ王子と一致したのかもしれません。

 いずれにせよ、外観は型破りだったものの、内装はカダフィ大佐が望むだけの豪華さを備えており、ジャグジーなどの設備や  "革命の尼僧" や "アマゾニアン・ガード" として知られる女性だけで構成された護衛部隊員用の座席も十分に完備されていました。

 この「A340」については、2006年から2011年にかけて何度もカダフィを乗せて海外と行き来したことが知られています。

 リビア革命で、カダフィがベネズエラやジンバブエに脱出するために「A340」を使用するという憶測が流れたにもかかわらず、国連が飛行禁止区域を設定するまで彼はリビアに留まり続けました。こうして、事実上最後の脱出ルートが絶たれてしまったのです。

 その後、カダフィは2011年10月に殺害されるという悲惨な運命を迎えました。

"アフリキヤ・ワン" のカダフィ専用ベッド

殺風景な座席:これらは大佐の女性ボディーガート部隊用だ

 同じ空港にあったカダフィの「A300」が完全に破壊されたのとは対照的に、幸いなことに「A340」はリビア革命からほぼ無傷で生き延びることができました。

フランスで修理を受けた後、新しい塗装を施されたこのエアバスは、リビア新政府のVIP機として一時的に使用された記録があります。ところが、リビアの治安情勢が悪化したため、「A340」は2014年にフランスに再び移送されてしまいました。その後、同機はさまざまな法的紛争に巻き込まれたため、2021年までフランスで駐機状態に置かれることになったのです。もちろん、駐機も無料ではなく、1日につき1,200ドル(約18万円)の費用がかかりました。[11]

 こうした法廷闘争については、カダフィの債務不履行を理由に同機を押収を図ろうとする多国籍企業の試みもあったようです。しかしながら、フランスの高等裁判所は、同機は主権免除を享受しており、差し押さえできないとの判決を下しました。[11]

 ただし、「A340」を押収しようとしたのは多国籍企業だけではありません。国内で分裂したトリポリ政府(暫定国民統一政府:GNU)とトブルク政府(GNS/LNA)も同機の所有権を主張していたからです。結局は、国際的に承認されたトリポリ政府が同機の所有権を確保することに成功し、2021年6月に同機を手に入れました。

新しいカラーリングの「A340」:この画像は2014年から2021年までフランスに駐機していた際に撮影された

 今回紹介した「A340」の歴史は、当初の目的から、その後のカダフィへの売却、そしてリビアでの就航に至るまで、スキャンダルに満ちています。ただし、長年にわたって変わらなかったものがあります:センスに欠けたインテリアです。この飛行機は駐機していた空港での戦闘に耐え、差し押さえを試みる企業・組織・個人による法的紛争に何度も直面したものの、最終的にはこれらの試練を乗り切ったのです。

 「A340」は27年の歴史の中で初めて、選挙で選ばれた政府首脳を乗せて飛行します。これは、億万長者や独裁者に仕えるという今までの役目から脱却するものと言えます。波乱に満ちた過去があったにせよ、「A340」がこれ以上の論争や衝突に出会うことなく、これからもずっと空を優雅に飛び続けてくれることを願うばかりです。

2021年6月、(1日に1,200ドルの駐機代を支払わなければならなかった)フランスから戻った「A340」の前でポーズをとるアブドゥル・ハミド・ムハンマド・ドベイバ暫定国民統一政府首相

[1] Poverty persists in Libya despite oil riches https://www.thenationalnews.com/world/africa/poverty-persists-in-libya-despite-oil-riches-1.384738
[2] Libya Conflict: Inside Colonel Gaddafi's Private Jet https://youtu.be/cysf9zT6Hso
[3] Giants Of The Skies - The An-124 In Libyan Service https://www.oryxspioenkop.com/2020/09/an-124-article.html
[4] This Was Gaddafi’s Personal Italian High-Speed Train https://www.oryxspioenkop.com/2021/02/this-was-gaddafis-personal-italian-high.html
[5] 5A-IAY Afriqiyah Airways Airbus A300-600 https://www.planespotters.net/airframe/airbus-a300-600-5a-iay-afriqiyah-airways/l3wn53
[6] Selling a VIP business jet to Colonel Gaddafi https://www.corporatejetinvestor.com/news/selling-a-vip-business-jet-to-muammar-gadafi/
[7] How The Playboy Prince Of Brunei Blew Through $14.8 Billion https://www.businessinsider.com/prince-jefri-brunei-spending-habits-2011-6
[8] Billionaire Saudi prince loses UK court battle over Gaddafi jet https://www.reuters.com/article/uk-britain-saudi-gaddafi-idUKBRE96U0G920130731
[9] Colonel Muammar Gaddafi memoir author: ‘Judge him for yourself’ https://www.thenational.scot/news/19652822.colonel-muammar-gaddafi-memoir-author-judge-yourself/
[10] Why Gaddafi Is Unhappy https://youtu.be/cjBGn8TVUT8?si=dzEoUiAUcQfF_Shb
[11] Qaddafi’s former Presidential plane returns to Libya – end of a saga https://libyaherald.com/2021/06/qaddafis-former-presidential-plane-returns-to-libya-end-of-a-saga/

ヘッダー画像: Joan Martorell

2025年に改訂・分冊版が発売予定です(英語版)

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2025年2月1日土曜日

世界で最も醜悪な大統領専用機を見よ: ガンビアのエアフォース・ワン


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年12月24日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 私に投票する地域は発展させますが、私に投票しないのであれば...何も期待しないでいただきたい:ヤヒヤ・ジャメ 

 世界のトップリーダーたちが豪勢な外遊をすることを知らない人はいません。アメリカの 「エアフォース・ワン 」やカタール王室が所有する豪華なVIP専用機を見れば一目瞭然でしょう。こうした専用機はそれぞれ豪華さのレベルが異なるものの、一つだけ確かなことがあります: 世界の指導者たちはスタイリッシュな移動を好むということです。

 このことは、失脚したガンビア共和国のジャメ大統領を除く全世界のリーダーに言えると思います。と言うのも、ジャメ大統領は、「Il-62M」を含む(おそらく)世界で最も見栄えの悪い内装のVIP専用機を誇示していたからです。

 1970年代の内装を備えたソ連製のジェット旅客機が、自国の年金基金で購入したアフリカの独裁者のために、キューバから来た乗員によって整備され、飛んでいる: これが気にならない読者がいますか?。

 公式には「シャイフ・プロフェッサー・アルハジ・ドクター・ヤヒヤ・アブドゥル=アズィーズ・アワル・ジェムス・ジュンクング・ジャメ・ナーシル・ディーン・バビリ・マンサ閣下」と称されるヤヒヤ・ジャメは、軍の最高司令官にしてガンビアの神聖な憲法における最高責任者であり、1994年から2017年までガンビアを統治した人物です。より詳しく説明すると、最初は軍事政権の議長として、その後の1996年から2017年に失脚するまでは大統領の地位にありました。

 在任中、彼は(自身が作った薬で)HIV/エイズや喘息、さらには不妊症を治療できると豪語し、世界最貧国の一つである自国に世界最大級の高級車コレクションを築き上げたことで、国際的な悪名を轟かせました。

 同様に目立ったのは、一時は「IL-62M」が1機と「ボーイング727」が2機、さらにはボンバルディア・「チャレンジャー601」が1機あったジャメのVIP専用機群です。どの国の政府でも4機のVIP専用機を保有することは、すでに相当の負担が発生することは言うまでもありません。ガンビアの場合では、専用機で恩恵を受ける人間がヤヒヤ・ジャメ自身だけであることを考えると、なおさら贅沢と言えます。

 さらに深刻なのは、同国の国営航空会社であるガンビア国際航空が航空機を1機も保有していなかったために、運休を余儀なくされたことでしょう。状況がどれほど深刻だったのかについては、(正式に設立されなかった)ガンビア空軍でさえ、ジャメの便宜のためだけに運用され、1機の「Su-25」対地攻撃機と2機の「AT-602」農薬散布機は、パレードでの飛行やジャメの所有地を肥沃にするために使用される有り様だったことで察することができるはずです。この状態はジャメが個人的に「Su-25」のパイロットを解雇するまで続き、それ以後は同機の運用が放棄されてしまいました。 [1]

 人口が200万人弱のアフリカ大陸で最も小さな国であることから、4機のVIP専用ジェット機は国外への公式訪問時にしか飛ばすことができませんでした(1回に1機ずつの飛行自体が、明らかに4機も所有する必要性を自己否定していると言っても過言ではありません)。実際、ガンビアは国土が狭いため、ジャメは国内の移動でヘリコプターさえも使いませんでした。彼は宮殿から宮殿(そして故郷に建設した私設動物園)への移動に、自身が保有する膨大な車のコレクションを利用することを好んでいたのです。

 それでも、ムスリムの指導者にして(少なくとも2013年までは)台湾を国家承認していた世界でも数少ない国の大統領として、ジャメは長距離用の「Il-62M」を使って中東や台湾を頻繁に訪問しています。

 「チャレンジャー601」については、ショッピングを目的としたヨーロッパへのお忍び旅行を念頭に置いて購入されたものの、実際に使用されることは滅多にありませんでした。

2013年、東京国際空港(羽田)に着陸するジャメの「Il-62M」:機体の外観は間違いなく大統領専用機らしく見える

 ジャメ大統領が国家予算を大量に費やして、最新のロールスロイスやメルセデス、ハマー、ランドローバーでマイカーのコレクションを拡大している一方で、彼の飛行機は驚くほど古いものでした。

 彼が所有する2機の「ボーイング727」はそれぞれ1966年(C5-GAF)と1971年(C5-GOG)に製造されたものにもかかわらず、細心の注意が払われて良好な状態が維持されていました(フランスのペルピニャンで頻繁にオーバーホールが行われていたのです)。C5-GOGについては、2016年に新しいエンジンに換装されました。[2] [3] [4]

 G5-GAFは、以前にサウジアラビア王室用のプライベート機として使用されていたものであり、「チャレンジャー601」は1985年の製造で2010年にドイツ空軍から購入された機体です。[5]

 これらとは対照的に、ジャメが最初に所有した「Il-62M(C5-GNM)」は、ロシアの武器密輸業者であるヴィクトー・. バウトの協力を得て入手されたものでした。この機体が最終的にジャメのエアフォース・ワンとして使われるようになった経緯は、アフリカでダイヤモンドや武器の密輸に用いられる航空機には比較的よくあるものですが、実に興味をそそられる話です。

 1980年にアエロフロート用に製造されたこの機体は、1999年にセントラアフリカン・エアに登録されました。ところが、それ自体がヴィクトー・. バウトの密輸事業のための巧妙な隠れ蓑でした。[6]

 バウトはいくつかの航空機を中央アフリカ共和国に登録したわけですが、要は民間航空を管理するの腐敗した役人が彼の機体を登録(合法化)していたということです。[7]

 登録された直後、「Il-62M」はガンビアのニュー・ミレニアム・エアに譲渡されました。同社のCEOはガンビアの政治家であるババ・ジョベでした。つまり、会社とCEOは実質的にバウトの別の隠れ蓑と言える存在だったわけです。

 当時のヴィクトー・バウトは、『彼は母を殺し、父を殺した。でも、私は彼に投票する!』というスローガンを掲げてチャールズ・テイラーが選挙で勝利したばかりのリベリアから、ダイヤモンドと武器の密輸に深く関わっていたことで知られていました。

 しかし、この陰謀はすぐに国連安全保障理事会に気づかれてしまったことで、2001年にガンビア・ニュー・ミレニアム・エアと(そのCEOである)ババ・ジョベに制裁が科され、彼はガンビアで9年の刑期を宣告されるという結果で頓挫しました。[8]

 この出来事で「Il-62M」は所有者を失い、しばらくガンビア後で立ち往生することになります。所有者を失った4発エンジンの旅客機が自分の空港に放置されたら、あなたはどうしますか?そう、自分のものだと主張するのでしょう。まさにジャメはそうしたのです。

 彼には、この飛行機に全く馴染みがなかったわけではありません。 (まだセントラアフリカン・エアが正式に所有していた頃の)1999年12月、ジャメはガボンのリーブルヴィルへの公式訪問のために「Il-62M をチャーターしたことがあります。ここで彼は、乗ってきた飛行機の大きさについて、他ならぬ中央アフリカ共和国のアンジュ=フェリックス・パタッセ大統領から(本当に)褒められたわけですが、パタッセ自身は、これが(汚職役人のおかげで)自国に登録された機体であることを全く知らなかったようです。
[9]

 パタッセの褒め言葉はジャメを喜ばせたようで、彼は「ボーイング727」の代わりにこの機体を定期的に使用するようになりました。特に主要なイベントでの使用例としては、2003年の台湾への国賓訪問や2004年の国連総会でのニューヨーク訪問が挙げられます。[10] [11]

ジャメ大統領が使用していた最初の「Il-62M(C5-GNM)」:この機体は2000年代後半に退役するまでガンビア・ニュー・ミレニアム・エアの塗装で運航された

 アフリカ大陸で最も小さな国がアフリカ大陸で最大のVIP専用機を運航しているという皮肉をジャメは自覚していないわけではなかったようです。彼が大型機に対する賛辞を頭の片隅に置きながら、2000年代半ばに専用機の後継機探しを始めたのは間違いないでしょう。

 そして、彼は中古のエアバスで妥協するのではなく、実際にウズベキスタンから代わりの「IL-62M」を購入したのです!

 2005年にガンビアに到着した後にC5-RTGの登録を受けたこの機体は、1993年に組立ラインを離れたばかりの、末期に生産された「Il-62M」の1機でした。同機は完成後にウズベキスタン政府に引き渡され、2000年まで同国のVIP専用機として活躍したことで知られています。[12]

 C5-RTGが引き渡されると、最初の「Il-62M(C5-GNM)」は退役となり、現在でもバンジュール国際空港の廃棄物集積場に放置された状態で残っています

 新たに導入されたC5-RTGの運航については、キューバの国営航空会社であるクバーナ航空で同型機を操縦していたキューバ人の乗員に委託され、機体の整備が必要となった場合はキューバに空輸され、ハバナのホセ・マルティ国際空港にあるクバーナ航空の整備施設でオーバーホールを受けました

 しかしながら、この飛行機が正式に就航する前に、まずはシャイフ・プロフェッサー・アルハジ・ドクター・ヤヒヤ・ジャメ閣下の個人的なニーズに合わせて改造する必要があったことに言及しなければなりません。実際、彼は独特な要望を持っていたのです。面白いことに、その要望にはジャグジーや国家安全保障の問題を協議する会議室の設置ではなく、空港のターミナルから外してそのまま持ってきたようなマッサージチェアが含まれていました。その他の追加装備には、(1970年代風の装飾で飾られた)新しい座席エリアと、(いくつかの)DVDプレーヤー付きテレビモニターの設置が含まれています。

 彼の要望を受け入れて改装した結果、内装は1970年代風としか言いようがないものに仕上がるという、1993年に製造された機体としては驚くべき偉業が成し遂げられました。なお、この内装については、その後における同機の平穏無事なキャリアで更新されることはありませんでした。ちなみに、C5-RTGのコックピットはオリジナルの状態であり、未改修のままです。

 いずれにせよ、個人的な好みがどうであれ、ジャメの飛行機が独特だったことは否定できません!




 2017年のジャメ追放後、アダマ・バロウ大統領率いる新政権は資金難に陥っている国のために少なくとも1,000万ドル(約15億円)を集めようと期待を抱いて、即座に4機のVIP専用機と2機の「AT-602」農薬散布機、そして膨大な車のコレクションを売りに出しました。[13]

 ガンビアはもともと貧しい国ですが、ジャメが在位の最後の数日間を利用して、国庫を事実上ゼロにしたことがすぐに明らかとなりました(そのためにコレクションが売りに出された)。

 赤道ギニアへの亡命では高級車のほとんどを置き去りにせざるを得なかったジャメですが、在任最後の週に貨物機をレンタルしてお気に入りの車を空輸するという手段に出ました。しかも、辞任を可能な限り長引かせて一台でも多く空輸できるよう試みたのです。[14]

 ジャメがどのようにして贅沢な暮らしをする余裕があったのかという謎についても、その後すぐに明らかとなりました。大統領は国有企業の大部分から分け前を得ていた上に、自身の浪費を支えるためにジャメ平和財団が集めた資金を充てていたのでした。 [15]

ジャメが所有していた7台の「ハマーH2(SUT)」リムジンのうちの1台:彼はこれを持ち出すことができなかったため、新政権によって売りに出された

 VIP用ジェット機4機、農薬散布機2機、高級車約30台に1,000万ドルという目標額は、それほど多くないように感じるかもしれません。しかし、50年前のボーイング2機と、すでに商用(旅客)運航されていないソ連のジェット旅客機1機の相場を考えると、決して非現実的な金額ではないことには間違いないでしょう。

 そして、需要が無かったわけでもありません。事実、(他国で)最後に売りに出された「Il-62」が2012年に北朝鮮に渡ったことが確認されています。自国が抱える2機のVIP用機のスペアパーツの供給源とするために、北朝鮮は元クバーナ航空の「Il-62M」を調達したのです。[16]

 2019年に2機の「AT-602」の売却に成功した後、残ったボーイングと「Il-62」については、同年に国内外の複数の入札者を競り落としたガンビアの起業家に僅か50万ドルで売却されるという結果を迎えました。[17]

 ところが、この売却で「Il-62M」の当面の運命が少しも変わることはありませんでした。
というのも、この起業家は、すぐに別の利害関係者に売却する意図で飛行機を購入したからです。

 彼の計画は2021年にやっと実現しました。この年、「Il-62M」は貨物機としてベラルーシのラーダ・エアラインズに売却され、2021年8月にミンスクに到着したことが確認されています。[22]

 すでに2機の「Il-62M」を運用していた同社にとって、売りに出された機体が1993年と比較的新しいことが魅力的に感じたのでしょう。なお、「ボーイング727」は依然として売れ残っており、今でもバンジュール国際空港に放置されています。

2018年、バンジュール国際空港で埃まみれとなったジャメの「Il-62M(C5-RTG)」:再び飛行する日を迎えるまで、さらに3年を要した

バンジュール国際空港の駐機場における「ボーイング727」の1機:もう1機と共に4年以上もこの場所で放置されている

 ジャメと彼の飛行機の双方が、ほとんど読まれることのないマイナーな歴史年表に登場するようになれば、詐欺的な独裁者としての彼のレガシーは、自身の理解し難い趣味の悪さに関するエピソードと競い合うことになるでしょう。

 ガンビアの人々や世界中の老朽化したVIP用機は、「美とは見る人の目の中にある」という格言を具現化したような、国家どころかファッションの問題でさえ判断力に欠ける男の君臨した時代が終わったことを知って、ホッと胸をなで下ろしたのではないでしょうか。

判断力に欠けた男:ヤヒヤ・ジャメ

[1] African MiGs Volume 1: Angola to Ivory Coast https://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM1/index.html
[2] C5-GAF https://www.jetphotos.com/info/727-19252
[3] Registration Details For C5-GOG (Gambia Republic) 727-1H2 https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/C5-GOG/498390
[4] https://www.airplane-pictures.net/photo/739326/c5-gog-gambia-government-boeing-727-100/
[5] Registration Details For C5-AFT (Gambian Air Force) Challenger-601 https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/C5-AFT/540182
[6] Registration Details For C5-GNM (Gambia New Millenium Air) Il-62-M https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/C5-GNM/722468
[7] https://airlinehistory.co.uk/airline/centrafricain-airlines-centrafricaine/
[8] ACCORD – Austrian Centre for Country of Origin and Asylum Research and Documentation a-7674 (ACC-GMB-7674) https://www.ecoi.net/en/document/1264492.html
[9] Registration Details For TL-ACL (Centrafrican Airways) Il-62-M https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/TL-ACL/722467
[10] https://www.jetphotos.com/photo/166632
[11] https://www.jetphotos.com/photo/372347
[12] Registration Details For UK-86569 (Uzbekistan Gvmt) Ilyushin Il-62M https://www.planelogger.com/Aircraft/Registration/UK-86569/722819
[13] Gambia to sell off presidential planes https://standard.gm/gambia-to-sell-off-presidential-planes/
[14] Gambia Got Robbed: Jammeh’s Cars Being Loaded Into An Awaiting Cargo Plane - Photos https://www.gistmania.com/talk/topic,323209.0.html
[15] Exclusive: How money flowed to Gambia's ex president https://www.reuters.com/article/us-gambia-jammeh-idUSKBN16312M
[16] https://www.flickr.com/photos/tpeddle/8261940065/
[17] Gov’t disposes 3 Jammeh aircraft https://thepoint.gm/africa/gambia/headlines/govt-disposes-off-3-jammeh-aircrafts
[18] Republic of Gambia sells VIP Il-62M to Belarus https://www.ch-aviation.com/portal/news/106777-republic-of-gambia-sells-vip-il-62m-to-belarus

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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