著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
当記事は、2016年8月5日に本国版「Oryxブログ」(英語)に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
シリア・アラブ航空は内戦で荒廃したシリアでの運行を続けていますが、所属機の中でも由緒ある「ボーイング747SP」が同社が運行を続ける数少ない路線や目的地からぱったりと姿を消してしまいました。
もともと、同航空は1976年に納入された「ボーイング747SP(超長距離用に開発されたボーイング747-100の短縮型)」を2機運航していたものの、アメリカの制裁措置で航空機がD整備を受けられなくなったため、2008年には2機とも事実上放置状態となり、結果としてシリア航空は32年間運航した「ボーイング747SP」の退役を余儀なくされたのです。
ところが、アメリカとシリアの関係が一時的に修復されたことで「YK-AHA 「11月16日」」と「YK-AHB 「アラブの連帯」」のD整備に必要なスペアパーツの引き渡しが認められ、その後シリアはサウジアラビアのアルサラーム・エアクラフト社との間でD整備とプラット・アンド・ホイットニー製「JT9D-7」エンジンと着陸装置のオーバーホールの契約が結ばれました。
両機は2010年12月16日にダマスカスで調印された契約に基づいて、2011年後半には再就役する予定だったようです。
2011年4月、シリア航空の社長兼CEOは、オーバーホールの状況を確認するため(この時点では退役状態の)「ボーイング747」の整備を行っていたアルサラーム・エアクラフト社を訪問し、「アルサラームのチームと、納期を厳守するための彼らの努力に感謝する」と述べています。
その時点でプロジェクトはまだ予定通り進んでいたようですが、両機ともにシリアに戻ることなく、今でもサウジアラビアのリヤドにあるアルサラーム社の施設に残されたままです。「ボーイング747SP」の整備中止の正確な理由はいまだ不明のままですが、アルサラーム社に今後の全作業を中止せざるを得なくなった主な要因である可能性が高いのは、シリアでの内戦勃発でアメリカがシリア政府に対する姿勢を再考したことでしょう。
アメリカの新たなシリアへの姿勢の一つとして、2011年8月に当時のオバマ大統領によって署名された大統領令13582号が発効されたことが挙げられます。この大統領令には「直接または間接的に、アメリカから、あるいはアメリカ人による、シリアへのいかなるサービスの輸出、再輸出、販売、供給」の禁止が含まれていたのです。
言うまでも無く、シリア航空の「ボーイング747SP」のオーバーホールにはアメリカ製の部品が必要であったことから、大統領令13582号はアルサラーム社が同機の整備を継続することを妨げるものであったわけです。
D整備が未完了のままで頓挫した結果、塗装はほとんど剥がれ落ち、部品が欠落したことで「ボーイング747SP」はシリアに戻る見込みもなく、サウジアラビアで立ち往生し続けています。2013年になると、アルサラーム社の駐機場で埃をかぶっていた2機は同社の施設の片隅へ追いやられてしまいました。
ボーイング機の喪失については、制裁の発動によりシリア航空のほとんどの路線が廃止されたことで部分的に相殺されたものの、この飛行機の不在はその後の数年間で大きく目立つものとなってしまったようです(注:路線縮小で喪失自体はあまり問題とならなくなったが、後で存在感の大きさに気づく人が出てきたということ)。
14年間に僅か45機しか生産されなかった「ボーイング747SP」は、胴体が短くなったにもかかわらず747のクラシックな特徴を維持し、当時のどの旅客機よりも長い航続距離を誇ったことで知られる希少な名機です。その優れた航続距離と見た目のおかげで、この航空機はアラブの国家元首が選ぶ交通手段として人気を博しました。
南アフリカ航空では、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代に自国の空域の飛行を禁止していた国々を回避するため、6機を活用したことが知られています。
シリア・アラブ航空では、1970年代後半にニューヨークへの直行便を就航させることを見越して2機を導入しました。ところが、その計画が実現しなかったため、シリア航空は(ほぼ)短距離路線しか就航していない航空会社にもかかわらず世界でも最長の航続距離を誇る旅客機を保有することになったのです。
アメリカの新たなシリアへの姿勢の一つとして、2011年8月に当時のオバマ大統領によって署名された大統領令13582号が発効されたことが挙げられます。この大統領令には「直接または間接的に、アメリカから、あるいはアメリカ人による、シリアへのいかなるサービスの輸出、再輸出、販売、供給」の禁止が含まれていたのです。
言うまでも無く、シリア航空の「ボーイング747SP」のオーバーホールにはアメリカ製の部品が必要であったことから、大統領令13582号はアルサラーム社が同機の整備を継続することを妨げるものであったわけです。
D整備が未完了のままで頓挫した結果、塗装はほとんど剥がれ落ち、部品が欠落したことで「ボーイング747SP」はシリアに戻る見込みもなく、サウジアラビアで立ち往生し続けています。2013年になると、アルサラーム社の駐機場で埃をかぶっていた2機は同社の施設の片隅へ追いやられてしまいました。
ボーイング機の喪失については、制裁の発動によりシリア航空のほとんどの路線が廃止されたことで部分的に相殺されたものの、この飛行機の不在はその後の数年間で大きく目立つものとなってしまったようです(注:路線縮小で喪失自体はあまり問題とならなくなったが、後で存在感の大きさに気づく人が出てきたということ)。
14年間に僅か45機しか生産されなかった「ボーイング747SP」は、胴体が短くなったにもかかわらず747のクラシックな特徴を維持し、当時のどの旅客機よりも長い航続距離を誇ったことで知られる希少な名機です。その優れた航続距離と見た目のおかげで、この航空機はアラブの国家元首が選ぶ交通手段として人気を博しました。
南アフリカ航空では、アパルトヘイト(人種隔離政策)時代に自国の空域の飛行を禁止していた国々を回避するため、6機を活用したことが知られています。
シリア・アラブ航空では、1970年代後半にニューヨークへの直行便を就航させることを見越して2機を導入しました。ところが、その計画が実現しなかったため、シリア航空は(ほぼ)短距離路線しか就航していない航空会社にもかかわらず世界でも最長の航続距離を誇る旅客機を保有することになったのです。
超長距離路線が存在しないこと、機体の高い維持費、そして燃料消費量の多さから、「ボーイング747SP」はシリア航空が持つ小型機群の中でいつしか無用の長物のような存在と化してしまったのでした。シリア航空で現役時代の「ボーイング747SP」は、定期便で使用されていない間は小型機と一緒にヨーロッパや中東への路線で不定期に使用されていました。
売却しても莫大な損失しか残らないせいか、最終的に「ボーイング747SP」は2008年まで使用され続けました。(予定された)最後のD整備の後でも、少なくともより現代的な航空機に更新されるまで、さらに数年間は運航されたことでしょう。
ところが、運命はこれらの素晴らしい飛行機に対し、サウジアラビアの灼熱の駐機場に放置されたまま早すぎる最期を迎えることを求めたのです。
追記:グーグルアースでは2023年4月の時点でも依然として2機の「ボーイング747SP」が放置されている状況が確認されています(座標: 24°57'49.82"N、 46°43'53.58"E)。アサド政権崩壊に伴ってこの機体が復帰すること自体は絶望的ですが、今後どのような運命を迎えるのか注目されます。
追記:グーグルアースでは2023年4月の時点でも依然として2機の「ボーイング747SP」が放置されている状況が確認されています(座標: 24°57'49.82"N、 46°43'53.58"E)。アサド政権崩壊に伴ってこの機体が復帰すること自体は絶望的ですが、今後どのような運命を迎えるのか注目されます。
2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です |
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