2017年8月22日火曜日

忘れられた軍隊:沿ドニエストルの「BTRG-127 "バンブルビー" 」装甲兵員輸送車


著 :ステイン・ミッツァーと ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれるトランスニストリアは、1990年に沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国として独立を主張し、続く1992にモルドバから離脱して以来、隠れた存在であり続けている東ヨーロッパの分離独立国家です。

 沿ドニエストルはウクライナとモルドバの間に位置しており、現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国、アルツァフ共和国からしか承認されていません。

 その立場が本当の国家なのかという論争の的になっているにもかかわらず、沿ドニエストルは自らの陸軍、航空兵力、そして軍需産業と一体になった事実上の国家として機能しています。
        
 沿ドニエストルの軍需産業は過去20年以上にわたって沿ドニエストル軍で就役した、数多くの非常に興味深い設計の装備を製造してきました。この軍需産業はトランスニストリア戦争の間に非常に活発的となり、モルドバ軍に対して使用するためのさまざまなDIY装甲戦闘車両(AFV)、多連装ロケット砲(MRLs)やその他の兵器を製造したのです。

 停戦後、同国の軍需産業は1991年に設立されて以来旧ソ連製兵器のストックを置き換えることができなかった沿ドニエストル軍の運用状態を支える上で重要な役割を果たしています。

 同国の軍需産業が製造した装備の1つが、ソ連製GMZ-3地雷敷設車をベースにした独特な装甲兵員輸送車(APC)であるБТРГ-127 'Шмель'(BTRG-127 バンブルビー)です。
 
 このAPCは、2015年にエフゲニー・シェフチュク前大統領とアレクサンドル・ルカネンコ国防大臣によって初めて発表され、これらの少なくとも8台は同年に沿ドニエストル軍に就役したと見られています。これらの車両のうち、少なくとも2台はその1か月後に演習に参加する状況が見られ、運用状態にあることが確認されています。


 沿ドニエストルは、地域内や海外への武器密売国として悪名が高いことで知られています。ソ連地上軍第14軍からの大量の武器と弾薬は沿ドニエストルの現地部隊によって引き継がれました。

 モルドバ政府によれば、同地域に忠実であった第14軍の兵士と外国の義勇兵が依然としてモルドバの領土と主張していた沿ドニエストルに入ったとき、1992年に両者の間で紛争が生じました(注:多くの第14軍の兵士や外国の義勇兵が沿ドニエストル軍に加わった)。

 紛失した大量の兵器や弾薬が確保された後、これらは新たに設立された沿ドニエストル共和国軍に引き継がれたか、在モルドバ共和国沿ドニエストル地域ロシア軍作戦集団の監督下でロシアに移送されて戻りました。しかし、限られた量の沿ドニエストル由来の武器が依然として海外へ密輸されています。

 1992年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの情勢は非常に複雑です。この離脱国家はロシア連邦への加入を希望している一方で、わずかな生産物の輸出をモルドバに大いに依存し続けており、それが同国の経済産出量となっています。

 外界への透明性を高めるための小さな一歩を踏み出しているにもかかわらず、沿ドニエストルはハンマーと鎌をその国旗の中で使用し続けるソビエト社会主義共和国のままであり、主要な治安機関としてKGBを維持し続けています。

 ロシアは依然として沿ドニエストルでわずかな影響力を維持しており、国内で公式に平和維持活動を行っています。

 ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していた人員や関連する兵器類の多くは、所在する地の新しく誕生した国に属することになりました。このプロセスは、旧ソ連の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、これはモルドバが遭った唯一の問題ではありませんでした。

 第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家であるトランスニストリア(沿ドニエストル)に属し、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアのいずれかに属したり、新たに形成された沿ドニエストル共和国に合流しました。明らかに、これは非常に複雑で過敏なプロセスの下で行われたものです。



 沿ドニエストル側は支配した領域に存在する武器保管庫ほとんどを引き継いだときに大量の高度な特殊車両を受け継いだ一方で、IFVと自走砲はわずかな数しか保有し続けることができませんでした。

 実際、この地域に存在していたいくらかの2S1「グヴォズジーカ」122mm自走榴弾砲と2S3「アカーツィア」152mm自走榴弾砲(これらはロシアへ移送された可能性が極めて高い)のほか、沿ドニエストル軍の兵器保有リストに自走砲はありません。その代わり、間接射撃の火力支援には武器庫にある牽引式野砲と122mm多連装ロケット砲(Pribor-1および2)に依存しています。

 沿ドニエストルが引き継いだ特種車両には大量のGMZ-2とGMZ-3地雷敷設車が含まれていました。トランスニストリア戦争の間にこの車輌の本来の役割は不要となり、いくつかのGMZが急造のAPCとして沿ドニエストル側で使用され、少なくともその1台が後に戦闘で破壊されました

 沿ドニエストルは、内戦後でも本来の役割でいくつかのGMZを引き続き使用したと思われますが、そのような大規模な地雷敷設車群を必要とされず、ほとんどの車両は(少なくとも8台のGMZ-3をAPCに転用することが決定されるまでは)保管庫に放置されていました。
 
 この未承認国家が利用可能なGMZの量は不明のままですが、その数はさらに多くのGMZをAPCに転換するにはおそらく不十分だと思われます。


 GMZ-3はAPCという新しい役割に従って歩兵を輸送できる能力を得るために、搭載されていたすべての機雷敷設装置が撤去されました。地雷敷設用のアーム及びその操縦用の区画は後部ドアの位置を確保するために撤去され、兵員区画を設けるために地雷が格納されていた空間も取り除かれ、内部空間が拡張されました。変化の著しい改修を受けたGMZ-3の本来の形状はここで見ることができます。

 GMZ-3は運用者によって取り扱いが容易になるように広範囲にわたって改修され、新たに装備された単装のAfanasev A-12.7重機関銃とその機関銃手のために、操縦席と兵員区画の間に新たな空間が設けられました。

 BTRG-127では単装の銃機関銃に加えて、車両に設けられた5つの銃眼からライフルと軽機関銃を射撃することができます。この改修が本来小火器の銃弾や砲爆撃の破片から自身を防護していた、GMZ-3の装甲に悪影響を与えたかどうかは不明です。



 沿ドニエストルの規模・地位・経済にとって、新型のMRLを導入することは確かに見事な偉業であり、あらゆる手段を最大限に活用するという明確なケースの提示を意味しています。この件について、沿ドニエストルは独自の軍事産業の製品で、ごく僅かな観衆:外国人ウォッチャーを驚かせ続けるに違いありません。

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。


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