2025年8月22日金曜日

ロシアの戦争:第一次チェチェン戦争で両陣営が損失した兵器類(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 この記事は、2022年11月21日に当ブログの本国版である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです(本国版はリンク切れ)。

 第一次チェチェン戦争は1994年12月から1996年8月までロシアとチェチェン・イチケリア共和国との間で戦われたものであり、最終的に1997年の和平条約締結とチェチェンの事実上の独立に至りました。ロシアの侵攻とそれに続く2年にわたる紛争に先立ち、1994年11月には、親ロシア派のチェチェン人勢力とロシア情報機関がジョハル・ドゥダエフ政権の転覆を狙ったクーデターを支援するための秘密介入を行っていますが、失敗に終わっています。 

 ロシア軍の機甲部隊による首都グロズヌイへの攻撃の撃退に成功した後、ドゥダエフはクーデターへの関与をロシアに認めさせるため、数十人のロシア軍捕虜を処刑すると脅しました。当時、チェチェンの著しい無法地帯ぶりにうんざりし、チェチェンにおける政権転覆を企図した秘密裏の作戦が失敗に終わったことを理解したロシアは、チェチェン侵攻計画を策定し始め、結局、12月11日にこの未承認のポスト・ソビエト国家に侵攻したのです。

 2022年のウクライナ侵攻と同様に、ロシアのチェチェン侵攻は、自国の能力を過大評価する一方で、チェチェン人の領土防衛に対する決心を極端に過小評価したことに特徴があります。(ロシア軍司令部からも非常に不評でしたが)ロシア国防省は、参謀本部や侵攻を実行する北カフカーズ国内軍管区に何ら相談することなく、侵攻を計画したのでした。[1]

 ウクライナの首都キーウを数日で占領するというロシアの予想と同様に、ロシアの パーヴェル・グラチョフ国防相は、たった1個空挺連隊を使って数時間でドゥダエフ政権を打倒できると豪語し、さらに侵攻作戦は「無血の電撃戦」であり、1週間も続かないと述べたのです。

 結局、戦争は2年間も続き、ロシアの敗北とグラチョフ国防相の解任という結果に終わったことは言うまでもないでしょう。[2]

 第一次チェチェン戦争は一般的にロシア近代史上最悪の軍事的敗北と考えられていますが、この戦争でロシア軍が被った損害は、2022年のロシア・ウクライナ戦争で被った損害の前では大したものではありません。[3]

 ロシア軍が数十両もの「T-72」と「T-80」戦車を失った、悪名高いグロズヌイの戦いで頂点に達した戦争初期の通常戦が1995年に終了した後、彼らはチェチェンの戦闘員が隠れ家のネットワークを構築していたチェチェンの 山岳地帯を制圧しようと試みました。その大半が徴兵された兵士で占められていたロシア軍部隊は、訓練もされていなければ十分な装備すらないにもかかわらず、ゲリラ戦に突然投入されることになったのです。

 1995年8月初旬に発効した和平協定が戦闘停止に失敗した後、戦闘は1996年8月にロシアとアスラン・マスカドフ独立派参謀長(ドゥジャエフ大統領は4月にロシアによって殺害された)の間で最終的な停戦協定が結ばれるまで続きました。ちなみに、同月にチェチェン軍は首都グロズヌイを奪還しています。

 チェチェン戦争といえば、待ち伏せ攻撃や道路脇のIEDを多用した山岳ゲリラの戦いを連想する人が多いかもしれません。しかし、チェチェン軍は当初、「T-72」戦車や「2S3」自走榴弾砲、「BM-21 "グラート"」多連装ロケット砲、「9K92 "ルナ-M"」戦術ロケット、「9K31 "ストレラ-1"」と「S-75」地対空ミサイル(SAM)、さらには自国領土に駐留していたソ連軍部隊から引き継いだ「Mi-8」ヘリコプターや「L-29」及び「L-39」練習機兼軽攻撃機を装備した通常戦力を頼りにしていたのです。

 これらの装備の大半は1992年2月に首都グロズヌイで行われた軍事パレードに参加したものの、「ルナ-M」、「S-75」、「L-29/L-39」のような高度なシステムは要員不足のため、ほとんど運用されなかったか、まったく使用されませんでした。[4]

 これらの大多数は戦争中に失われ、1999年に第二次チェチェン戦争が勃発する頃には、チェチェンの戦法は通常戦からゲリラ戦へと発展したのでした。

  1. 当一覧は、2022年に当ブログの本国版である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです(翻訳者は損失の精査には関与していません)。
  2. 第一次チェチェン戦争における両軍の兵器類の詳細な一覧を以下で見ることができます。
  3. この一覧は、写真や映像によって証明可能な撃破または鹵獲された兵器類だけを掲載しています。したがって、実際に喪失した兵器類は、ここに記録されている数よりも多いことは間違いないでしょう。
  4. 迫撃砲、トラックや以前から用廃となっている兵器類はこの一覧には含まれません。
  5. ロシアの巨大なスクラップ置き場で見つかった(部品が剥ぎ取られた)装備については、修理が不可能なレベルで損傷しているか、共食い整備に使用された場合にのみ含まれます。記載されている日付は、その装備が失われた正確な日付を示しているとは限りません(あくまでも概算です)。1991年以前に製造されたものについては、ソ連国旗を付しています。
  6. 各兵器類の名称に続く数字をクリックすると、破壊や鹵獲された当該兵器類の画像を見ることができます。

ロシア (767, このうち撃破: 706, 損傷: 24, 鹵獲: 38)

戦車 (192, このうち撃破: 167, 損傷: 3, 鹵獲: 22)

装甲戦闘車両 (48, このうち撃破: 42, 損傷: 2, 鹵獲: 4)

歩兵戦闘車 (302, このうち撃破: 291, 損傷: 4, 鹵獲: 7)

装甲兵員輸送車 (153, このうち撃破: 144, 損傷: 8, 鹵獲: 1)

指揮通信車両類 (4, このうち撃破: 3, 鹵獲: 1)

工兵・支援車両 (4, このうち撃破: 3, 損傷: 1)

砲兵支援車両 (5, このうち撃破: 4, 鹵獲: 1)

自走砲 (23, このうち撃破: 20, 損傷: 2, 鹵獲: 1)

自走対空砲 (5, このうち撃破: 3, 損傷: 2)

航空機 (6, このうち撃破: 6)

ヘリコプター (24, このうち墜落: 21, 損傷: 2, 鹵獲: 1)

装甲トラック(1, このうち撃破: 1)


チェチェン (41, このうち撃破: 33, 鹵獲: 8)

戦車 (26, このうち撃破: 21, 鹵獲: 5)

装甲戦闘車両 (5, このうち撃破: 3, 鹵獲: 2)


歩兵戦闘車 (1, このうち鹵獲: 1)

装甲兵員輸送車 (7, このうち撃破: 5, 鹵獲: 2)

指揮通信車両類 (3, このうち撃破: 1, 損傷: 1, 鹵獲: 1)

牽引砲 (1, このうち撃破: 1)

自走砲 (2, このうち鹵獲: 2)
  • 1 2S9 "ノーナ" 120mm自走迫撃砲: (1, 鹵獲)
  • 1 2S3 "アカツィヤ" 152mm自走榴弾砲: (1, 鹵獲)

多連装ロケット砲 (1, このうち鹵獲: 1)

戦術ロケット (1, このうち鹵獲: 1)

自走対空砲 (1, このうち撃破: 1)

レーダー (1, このうち撃破: 1)

航空機 (4, このうち撃破: 3, 鹵獲: 1)

ヘリコプター (4, このうち撃破: 4)

特別協力:Lost Armour(敬称略)

[1] Anatol Lieven: Chechnya. Tombstone of Russian Power. Yale University Press, New Haven and London, 1999.
[2] Former Russia defense chief Grachev dies https://www.reuters.com/article/us-russia-grachev-death-idUSBRE88M0BB20120923
[3] Attack On Europe: Documenting Russian Equipment Losses During The 2022 Russian Invasion Of Ukraine https://www.oryxspioenkop.com/2022/02/attack-on-europe-documenting-equipment.html
[4] Парад в Грозном / Чечня / Ичкерия https://youtu.be/QU6PEUaxCLE



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