2017年10月17日火曜日

イスラミック・ステートの機甲戦力:『工廠』の話



著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans(編訳:ぐう・たらお)

「今まで存在した中で最も洗練されたテロ指定組織」というイスラミック・ステート(IS)の地位の上昇は、シリア・イラクや海外の各地で関与している戦場での前例のないレベルの想像力と適応力、そして残忍性が伴っている。
彼らは2011年にイラクから米軍が撤退した後の治安の欠如を活用した上、シリアにおける権力の空白状態を賢く利用して革命の本来の目的を効果的に乗っ取ることに成功した。
ISはシリアやイラクだけでなく、世界全体にも脅威として急速に現れる能力があった。

突然、ISは単なるイラクの過激派グループからイラク、シリアと世界中に広大な領域を支配していると自称するカリフ制国家へ変化した。
その原因は、ISの戦場(主に最前線)で直面した様々な状況に対して迅速に適応できる能力と、適切に適応する独創的なアイデアとそのための熱心な実行力があったことが挙げられる。
ISの勢力拡大によってシリアとイラクにもたらされた戦闘範囲の急激な変化は、それに巻き込まれた人々にとってショックを与えた。
勢力の拡大は人員と武器、そして何よりも空軍力の大規模な投入によってのみ阻止することができた。

ISの壊滅を目的としているこの強大な力(注:ISと対抗する全ての国)は2001年のアフガニスタンのタリバーン政権崩壊以来、初めて出現した同様に強力な自称カリフ制国家と戦わなければならないだろう。
彼らはISをゲリラ戦と従来の戦闘の両面で敵と戦うことができる力があると位置づけている。
ISによって捕獲された膨大な量の兵器は、シリアとイラクでの作戦中に展開した大量の重火器を含めた装備に対する正確な(誘導兵器による)攻撃の絶えず続く脅威があるにもかかわらず、彼らが地上でより強い敵に直接挑むことを可能にした。

これらの作戦でAFV(装甲戦闘車両)を使用することも例外ではなく、ISはシリアだけでも200台以上の戦車と約70台のBMPを捕獲して運用しているため、シリア軍に続く第2のAFV運用者になっている。
シリアを支配するべく戦う多くの反政府勢力のほとんどがある時点でAFVを運用していたが、ISだけが強大かつ組織化された規模で機甲戦力を展開し、その装備の量と質はもちろん使用される戦術によって多くの国の軍隊を凌駕している。
このAFV群に対する技術的支援を提供するための努力の一環として、IS支配地全域のいくつかのウィラヤット(州)は、戦場において将来使用する目的で車両を修理や改修をするためのAFV用工場を設立した。

すべての行政区域には装甲を強化した車両運搬式即席爆発装置(VBIED)の製造の任に当たる工場があるが、わずか一握りの州だけがAFVの修理や改修をすることができる重要な工業力を有している。
シリアでは2つの主要な工場:ラッカ州(ラッカ)にある工廠とハイル州(デリゾール)の別工廠が設立されたようだ。
この記事では、「工廠」としてよく知られているラッカ州の「追跡調査された工場」の事業を対象とする。






ISはシリアとイラクの戦場で使用するためにVBIEDへ改修したブルドーザーから一見して粗雑でシンプルな装甲強化型の民生車両に至るまでのあらゆる種類の兵器を運用することでよく知られているが、これらの醜悪な新兵器への関心は、ISに対してもっぱらそのような車両だけを運用してばかりで従来の兵器を使用することができないという評判を与えている。

このステレオタイプな見方が間違っているだけでなく、よく聞かれる精密誘導兵器による空爆に直面したISの機甲戦力の有効性を疑問視する主張も大いに誇張されている。
シリアとイラクの各地でISの重火器のレベルを低下させようという有志連合による集中的な試みとロシア空軍のある程度の努力があったにもかかわらず、ISは2014年9月下旬に有志連合による空爆が開始されて以来、戦闘を行ってきたシリアのほとんどの前線でAFVを制限を受けずに運用することができた。
実際のところ、これらAFVの大多数は「工廠」の産物だった。




「工廠」は、シリアに存在する2番目に大きい武器修理施設だが、活動に関してはこの国で唯一最大の活発的な施設だった可能性が非常に高い。
「工廠」は2014年の夏に始動して以来、3年後の2017年6月に終焉を迎えるまでに150台以上のAFVのオーバーホールと改修をしたと考えられている。
この数字はISが将来に再び使用するためAFVのオーバーホールと改修を目的として取り組んだ規模に関する証言によって、ISの2014年から運用された戦車とBMPのストックの半数以上を占めていることが判明した。

この施設は戦車にマルチスペクトル迷彩を施すことからAFVの装甲強化、さらにトヨタ・ランドクルーザーのような4WD車にモジュラー式砲塔を搭載することの全てに至るまで、ISで使用されるほぼ全ての種類のAFVのオーバーホールや改修を幅広く実施していた。
「工廠」はラッカ州に位置していたものの、その製造車両はイラク内の州を含めたIS全土の各地で姿を見せていた。
実際、「工廠」でオーバーホールされた数台のかつてシリア軍に属していたT-55はISが
モスルを防衛する作戦中に目撃され、その後イラク軍によって捕獲された。






この記事は「工廠」が2014年の設立から実施したプロジェクトの概要を提供することに加えて、シリア各地の戦闘でAFVを運用した数人のIS戦闘員の生涯も辿っていく。
シリアでのIS戦闘員の日常生活を撮影した写真は、友人や家族と一緒に過ごす時間から大量の処刑と斬首後の遺体の詳細な写真を撮るまでのすべてを含んだ戦闘員の非現実的な生活の調査に関心を与える。

「工廠」の位置についてオープンソース・インテリジェンス(OSINT)とオペレーション・セキュリティ(OPSEC)での証言はあるものの、後者では「工場」で働くIS戦闘員によって明確に黙過されていた。
しかし、これらのIS戦闘員によって撮影された豊富な個人所蔵の画像は著者に「工廠」の正確な位置を示すことを可能にした。
これは戦争中におけるOPSEC(例:画像をアップロードすることで自分の位置を敵に明らかにすることができる)の重要性を明白に証明している。
なぜなら、1つの画像は敵対勢力に対して自身の位置を既に明らかにできるわけであって、1つの画像をアップロードすることで標的にされたり(自分の位置を明らかにする画像をアップロードしないことで)発見から逃れることができるからだ。




「工廠」の位置は、AFV修理施設内部で撮影された画像に写り込んだ建造物をジオロケート(位置特定)に利用することができた後の2016年6月に初めて明らかになり、最終的にタブカ飛行場の南西14キロに位置する施設、タウラ工業施設とその勤労者住宅と合致した。
この施設はもともと、この地域にある多くの油田の住宅団地と支援施設として建設されたものであるが、結果としてISにAFV修理工場の設立に最適な場所をもたらした。
「工廠」の場所は既に発見されていたが、追加情報と画像の絶え間ない流れは施設に関する記事をこれまで以上の総合的なものにすることを可能にさせたものの、残念なことに完成まで1年以上の遅れをもたらした。
興味深いことに、「工廠」の場所は1年以上も前にそれ相応の注目を集めていたにもかかわらず、今まで殆どのアナリストの目から逃れていたようだ。

2016年6月2日、シリア軍はラッカ県に足がかりを築くという目的で破滅的な「ラッカへ」の攻勢を発動した
狭く伸びた道に沿って進むと、シリア軍は北に向かう前にすぐにサフィーヤの交差点に到達し、やがて既に占領される前にISによって放棄されたとみられる「工廠」に到着した。
シリア軍が何の大きな妨害も無くその地点に到着したにもかかわらず、ISは奇襲的な反撃ですぐに「工廠」を奪回し、その前日に敵によってもたらされた全ての戦果を逆転させて最終的に通常の作業に戻ることを可能にした。

著者が大いに驚いたことに、「工廠」自体にスペアパーツ用としてカニバライズ(部品取り)されたいくつかの戦車の残骸が明らかに存在しているにもかかわらず、シリア軍でさえも捕獲したばかりのこの施設の性質を完全に気づいていないようにみえた。
さらに追い打ちをかけるように、アマーク通信社(IS系通信社)はISが施設をシリア軍から奪回した後に、「工廠」にあるスペアパーツ用としてカニバライズされた2台のT-72M1の部分的な残骸を含めた映像を公開した。











誰も「工廠」の正確な所在地を知っていないように見えるが、有志連合が2016年8月30日にこの施設の最大の建造物でVBIEDに改修作業にあったBMP-1を標的に空爆した時点でこの施設を認識していたことは確かだ。
この空爆の結果、BMP-1のみならず建物全体も破壊された。
テラサーバーから入手した衛星画像によって2016年8月24日の時点で既に他の2つの建物が深刻な損傷を受けていることが明らかになったが、6月のISとシリア軍の戦闘の結果によるものなのか、有志連合による別の空爆によるものかどうかは不明のままだ。

2016年8月30日に有志連合が「工廠」を空爆したにもかかわらず、施設の正確な性質を完全に認識しているかどうかも不明のままだが、おそらく偶然にBMPを発見したことからそれだけを狙って攻撃した可能性がある。
有志連合のインテリジェンスは所有する情報資源の量によってすぐにこの施設を特定できたはずだと主張することはできるが、ここで150以上のAFVのオーバホールと改修したという事実はこの可能性とあからさまに矛盾するようだ(注:特定できていればすぐに破壊されたはずということ)。
シリア軍は施設を捕獲しただけでなく、(IS戦闘員の携帯電話から得た)「工廠」の中で撮影された大量の写真を所有していたが、シリア軍組織の非効率性がそれに対する空爆などの対応を妨げた。

しかしながら、「工廠」は2年以上も空爆に妨げられずに業務を遂行できたことは確かだ。
実際、シリア軍によって捕獲された上にわずか数ヶ月の期間に有志連合の攻撃を受けたにもかかわらず、作業は以前よりもさらに速いペースで継続していると考えられている。
いくつかの設計を簡素化した結果として、「工廠」に過去数年の間で2014年の設立以来最も多くの戦車にオーバーホールと改修をすることを可能にした。
ラッカ州の新しく設立された「工廠」への作業の少なくとも一部が他に委任された可能性も排除することはできない。








「工廠」の位置は無作為に選ばれたように見えるかもしれないが、タウラ工業施設と勤労者住宅が占有する地点が要衝として選ばれた可能性が高い。
ラッカのちょうど南西に位置した上に一見して砂漠の中にある放棄された拠点だったため、有志連合の空中偵察から大きな注目を浴びることはなかった。
シリア中心部に位置した上にラッカに近接していたことは、ラッカを通り抜けることによって敵に察知されるリスクを冒すことなくISが戦っている各戦線にAFVを送り込む点からも理想的だった。

「工廠」に対する空襲がなかったため、ISは大量のAFVを前線で使用し続けることができたがものの、空爆は短期間で確実に「工場」を無能力化した。
しかし、その後すぐに簡単に他の場所へ移動した可能性があることに注意しなくてはならない。
とは言え、タブカ周辺への集中した航空偵察は「工廠」がオーバーホールされた車両を運用側に引き渡すことだけでなく、まずオーバーホールと改修するためにAFVを受領すること自体を妨害した。

当初、シリア民主軍(SDF)がタブカ周辺に急速に前進したことから、彼らが最終的に「工場」を獲得するものと考えられていた。
しかし、驚いたことにSDFは「工廠」からわずか数Km離れた地点で前進を停止した。
「工場」は静かになり、作戦期間中は占領されずに残されたままだった。
現時点で放棄された施設は、最終的に始動開始からわずか3年後の2017年6月初旬にシリア軍によって取り戻された。
3年間の稼動の間にほとんど報告されなかった「工廠」の存在はシリア内戦の過程で重要な影響を与えたにもかかわらず、メディアで全く報じられないままだった。







「工廠」によってオーバーホールと改修を受けた実際の戦車に関する話は、まだイラクとシャームのイスミック・ステート(ISIS)と呼ばれていた時のISに所属していた戦車が北アレッポを突き進む車両の護衛をしていた2014年1月26日から始まる。
戦車の装甲に関してはほとんど特徴が無いが、車列を率いたT-72AVは後にISが戦車や他のAFVの改修の実行を開始したという最初のヒントを与えてくれた。

もっと興味深いことに、それは2014年中にあったほぼ全てのISの主要な攻勢に参加したであろう部隊の姿を初めて我々に見せた。
このとある部隊で得られた経験は、後にこの記事で「سرية المهام الخاصة :特別任務小隊」と言及するこのような他の部隊の設立に繋がったと考えられている。
時には(間違って)جيش الخلافة:ジャイシュ・アル・ハリーファ(カリフ制軍)として言及されていたが、特別任務小隊は2014年以来シリアで発動したほぼ全ての主要な攻勢の責任を負っていた。








話題をT-72AVに戻すと、この車両は約7カ月後、正確には2014年7月9日に再び出現した。
同車はこの地域からの後方支援を得ることを目的とした、ISと部族長との会合を警備している。
この力を誇示したショーでは、T-72AVの車体からゆるやかにぶら下がっている爆発反応装甲(ERA)の酷い状態が更に強調された。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ハラブ州(アレッポ県):部族会議を警備するために展開した重装備と軍用車」。



このT-72AVが「工廠」によって近代化された後に再び撮影されるまで僅か数週間しかかからなかった。
この車両が、この施設でERAの完全な再配置と新塗装を含む大幅な改修を受けた最初の戦車の1つだったと考えられている。
これらの写真はまた、我々にISの機甲部隊に配属されたいくつかの人員を最初の姿を見せてくれた:アブ・ハムザ・アル・ハリーディーとアブ・オマル・アル・マンスーリ(注:どちらもこの記事のために付与した仮名)で、双方とも「كتيبةالدبابات:戦車大隊」に所属していた。














同じ車両はたった僅かな時間の後、都市の北部に位置するラッカの穀物サイロに再び姿を見せた。
この施設は以前は「戦車大隊」と「特殊任務小隊」の拠点になっていたが、都市にあるISの砦を発見して破壊しようという広範囲にわたる有志連合の試みによって穀物サイロの近くにAFVを存在させることができなくなった。
最終的には有志連合による空爆で近隣にある倉庫が標的にされて破壊をもたらすことになった。
この施設はISのAFVへのオーバーホールと改修に何の役割も果たしていないにもかかわらず、数度の機会にわたって「工廠」と誤認された。

また、この穀物サイロは、ISが2014年8月上旬に第93旅団基地を占領する目的でアイン・イッサを攻略するためのT-72AVを含めた部隊の主要な集結地として役立った。
この攻勢は、最終的に8月7日に同基地を占領する結果をもたらした。
注目したいのは、戦車を「工廠」から穀物サイロへ移送したときに発生したはずの車体下部の装甲に装備されたERAの列に生じた損傷だ。





今ではT-72がトレーラーに載せられるのは見慣れた光景だ。
興味深いことにサイドスカート上のコンタークト-1ERAは、通常の密集した配置からより均等に分散した配置に切り替えられた。
また、後部の泥除けにコンタークト-1を配置したことは注目に値する。
なぜなら、防護強化の点では全く役に立たず、代わりにあまりに多く知られているT-72の本当の弱点の箇所が曝け出された可能性があるからだ。










ISが孤立した第93旅団基地を占領した後に公開された画像は、「戦車大隊」の他のいくつかの戦車と共に攻撃に参加したT-72AVを再び映し出した。
新しい状態のT-72AVが初めて公に公開されたにもかかわらず、同車のさらなる画像や映像は、攻撃後の数ヶ月でISのメディアによってシェアをされなかった。
しかし、この理由はすぐに明らかになった。

このT-72AVの悲惨な残骸はおそらく2発の弾が命中後、火災が発生して決定的に破壊されたものとみられる。
皮肉なことに、戦車に発射された弾の1発が新しいサイドスカートに取り付けるためにERAを取り除かれた状態のままだった砲塔前部に命中したように見える。
この画像は「戦車大隊」のメンバーの一人が撮影したもので、この乗員全員が戦車の破壊から生き残ったと思われる。






前述のT-72AVの追跡は何千両ものAFVの関与と破壊があった内戦の稀なケースであり、アブ・ハムザ・アル・ハリーディーが撮影した写真なしにこの程度まで追跡することは不可能だった。
この「戦車大隊」メンバーのデジタルフットプリント(インターネットを使用しているときに残す全ての痕跡)は、著者が「工廠」の場所を特定するのを助けるだけでなく、「戦車大隊」の他のメンバーやシリア各地で実施される作戦で使用されるAFVの特定にも極めて重要だと証明することになる。

アブ・ハムザ・アル・ハリーディーに加えて、「戦車大隊」の他のメンバーや「工廠」の技術者もソーシャルメディア上での存在のために特定することができた。
Twitterは2014年の時点で既にテロ指定組織との戦争を宣言してIS戦闘員と支援者のアカウントを停止しているが、多数のIS戦闘員は様々なソーシャルメディアのアカウントを維持し続けており、その中でも注目すべきはFacebookだろう。

シリアでの作戦及び日常生活の情報と写真の収集のため、著者は「戦車大隊」とは別の部隊のメンバーを装って所属戦闘員との接触をいくらか試みたが、Facebookによって数回にわたってアカウントが削除された。
皮肉なことに、当のIS戦闘員のアカウントの多くは今日に至るまでFacebook上に残っている。
外国人戦闘員が「工廠」を運営する上で極めて重要な役割を果たしている可能性が非常に高いが、その存在をそこで立証することはできなかった。

(Facebook上で活動している)ISの戦車乗員の多くは他の乗員だけでなく、シリアを支配するべく戦っている別の様々な勢力の戦闘員も「友達」にしている。
実際、そのほとんどがAFVに対する共通した情熱によって、互いを分断しているだろう宗教的信条や他の違いを無視することを選んで結び付いているように見える。
これについては戦場で互いを殺し合う関係なので極めて特別なことだが、それでもFacebookでは「友達」だ。
彼らの戦車でポーズを取ってあらゆる角度から写真を撮ったり、Facebook上の戦車愛好家グループのメンバーになっていても、ソーシャルメディア上の彼らの存在は我々に対してほとんど目にする機会が無いIS戦闘員の生活への興味深い見識を確実にもたらしてくれる。











話題をアブ・ハムザ・アル・ハリーディー(以下、アブ・ハムザ:上の写真左側の人物)に戻すと、彼のデジタル上の足跡は「工廠」を研究する上で非常に重要になっている。
彼の人生の状況の幾つかは不明のままだが、彼は自らが所属していた反政府派リワ・ダウード旅団が2014年7月8日にIS側に逃亡した際にアブ・オマルと共にISに加わったと思われる。
この逃亡が多数の運用可能なAFVを乗員と共にISへもたらし、そのほとんどがこの地域の他のすべての反政府勢力を根絶やしにするべく北アレッポへ迅速に配備された。

ISの頻繁なメディアリリースは、ISがシリア北部の反政府勢力やシリア軍からより多くの領土を得るにつれて、これらのAFVのいくつかの追跡を可能にした。
一例としては、クワイリス空軍基地を守備しているシリア軍を追い出すために同所へ展開した「戦車大隊」のT-72「ウラル」(写真)がある。
さらに興味深いことに、アブ・ハムザは2014年8月14日にISに占領されたアクタリンの町で彼のT-72「ウラル」と一緒に写真レポートに写っていた。










彼はアクタリンで撮影される前に第93旅団への攻撃に参加したことが知られており、後にそこで虐殺され、切断された守備兵の写真を撮影した。
彼の写真に写された遺体は第93旅団制圧後にリリースされたIS公式画像で見られるものと比較することが可能で、それはすぐに一致した。
続く数ヶ月間の戦場における彼の行動は不明のままであり、それから再び姿を現したのはタドムル(パルミラ)を占領した後の2015年5月、都市の北側に位置する大規模な弾薬庫を点検しているときだった。

多くの写真が軍事への彼の関心に捧げられていたが、他の画像は彼の3人の子供、家族、友人、そして他のIS戦闘員と過ごした個人的な生活風景を写していた。
これらの戦闘員の大部分は「戦車大隊」のメンバーであったと思われる。
彼はまだ若い年齢ではあるが、既に3人の子供の父親だった。
前線や「工廠」にいない時、アブ・ハムザはラッカ市で大半の時間を過ごし、しばしば「戦車大隊」の他のメンバーとくつろいでいた。

この友人のグループはラッカ滞在中に定期的に撮影されており、ユーフラテス川のそばで楽しく時間を過ごしたり、前線から離れた間の時間に食事を楽しんだりしていた。
下の画像は破壊された「新ラッカ橋」の近くで撮影されたものであり、VICE Newsがほぼ同時期に制作したISに関するドキュメンタリー番組の一部を撮影した場所とまったく同じ所だ。
現在進行中の調査を危うくしないために、写真ではとある3人の顔を加工してぼかしている。
AFVや斬首された人間の遺体、彼の新生児と一緒に過ごした貴重な瞬間を写した写真の
あからさまに奇妙で対照的なブレンドは、2015年8月10日のアブ・ハムザの死まで続いた。
この日、彼はクワイリス空軍基地への攻撃に失敗して彼のT-72 「ウラル」から逃げ出した
後に、アブ・オマルと共に殺害されたと考えられていた。








残念ながら、この記事の調査によれば「工廠」に関係があるほとんどの人がこの数年の間に戦闘で殺害された。
「工廠」が実施に実施した改修について詳しく説明する前に、シリア各地でAFVを使用したIS部隊の体制について現時点で何が知られているのかを理解することは賢明なことだ。
前述のとおり、ISの戦車の多くは「戦車大隊」に組み込まれており、さらにそれぞれが異なる拠点を有する幾つかの部隊に分けられていた。
それは理論的には独立した部隊だったが、「戦車大隊」は決してそれ単体で出撃することはなく、そのかわりにAFVはシリア各地への攻勢の間にいわゆる「特別任務小隊」に所属させられた。

アナリストがシリアとイラクにおけるISの運用体制を解明することについてはまだ道のりは遠いものの、現在では、シリア全域で攻勢を開始する任務を負う特別な種類の部隊があることは一般的に受け入れられている。
時には(おそらく誤りかもしれないが)「カリフ制軍:ジャイシュ・アル・ハリーファ」
として知られているこれらの部隊(この記事で「特別任務小隊」と呼ばれるもの)は2014年以降のISによる主要な攻勢の任に当たる部隊であり、その作戦中にAFVを大量に使用することになった。

「特別任務小隊」のための土台は、シリアでのISの存在が増大する中の2014年初頭の時点で既に築かれていたと考えられているが、2014年と2015年の外国人戦闘員の大規模な流入は、ISが現在の境界を越えて「カリフ制」を拡大するためにより専門的な部隊を立ち上げることを可能にした。
新兵を最前線に直接配置する代わりに、多くの戦闘員は「特別任務小隊」への編入のためにラッカに引き止められた。
これらの小隊は通常のIS部隊よりも意欲が高く、よく訓練されていると考えられており、
おそらく戦闘員のかなりの部分がISに加わるためにシリアに渡ったという事実の結果によるものだ。











通常の構成では、「特別任務小隊」は、ラッカを拠点とした戦闘員と支援車両である数台のテクニカルから構成されており、「戦車大隊」と砲兵部隊は作戦に応じて配属される。
その目的を果たした後、これらの部隊は次の任務を待つ個々の拠点に戻る。
これはどの部隊も同じだというわけではなく、各作戦の間にいくつかの個々の組み合わせ
で構成することができた。

これらの部隊の拠点は、ラッカに拠点を置く戦闘員が目的地に向かう前に車両を終結させるタブカ周辺の地域に位置すると考えられていた。
この方法は重装備をラッカを通行して輸送する必要がないので、有志連合による発見のリスクを最小限に抑えた。
「特別任務小隊」の典型的な編成は下の画像で見ることができる。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ムジャーヒディーンがダル・アル・ファテフ(デアー・ハファイアのIS名)の町の東にあるヌサイリー(アラウィー派の蔑称)軍の拠点への襲撃を準備している」。
「戦車大隊」に加えて、فرقة عثمان بن عفان:ウスマーン・イブン・アッファーン師団、فرقة أبي عبيدة بن الجراح:アブー・ウバイダ・ブン・アル=ジャッラーフ師団、فرقة الزبير بن العوام:ズバイル・イブン・アウワーム師団から成る、少なくとも3つの他の部隊がシリアでAFVを運用していることが知られている。
3つの全ての師団は、正統カリフ時代に重要な役割を果たした預言者ムハンマドの教友にちなんで名付けられた。






当初、アブ・ハムザの部隊は「工廠」に駐屯しており、戦車を付近の果樹園に隠していた。
しかし、有志連合がシリアとイラク上空で航空作戦を開始したために戦車を外に出す時間を大幅に減少させたので、航空偵察による発見の機会を最小限に抑えた。
これは、施設の多くの建物が戦車に十分なシェルターとして割り当てられたため、大きな問題をもたらしたとは考えられていない。
(下の画像で見られる)果樹園に「隠された」T-72AVはリワ・ダウード旅団の戦闘員と共に到着した戦車の一つで、以前に彼らの映像に登場したものと考えられている。







興味深いことに、アブ・ハムザの部隊に属するT-72「ウラル」の1台は、東ゴータの大部分を支配していることで最もよく知られ、以前はシリア北部でも強力な存在だったジャイシュ・アル・イスラーム(イスラーム軍)のマークを付けている。
したがって、この例はISがジャイシュ・アル・イスラームの領土を引き継いだ際に捕獲したものか、あるいはリワ・ダウード旅団から来た車両で、わざわざマークを取り除くことをしなかったものと思われる。











5台の戦車が「工廠」によってオーバーホールされ、改修されるための順番を待っている。
施設の駐車スペースは、車両に航空偵察から逃れるための多少は安全な隠れ場所を提供し、結果として長年にわたって有志連合による空爆を受けることが無かった。
しかし、たった1回の空爆で複数のAFVの破壊を回避する可能性があるために、有志連合による空爆が開始された後に施設にある戦車の位置をより均等に広げさせられた。
写真の後部に写っているT-72は深刻な戦闘損傷を受けているように見えるため、スペアパーツの供給源として使用されるものと思われる。










「工廠」にある最大の建物には複数のAFVが同時に収容されていたが、他の小さな建物も作業場や保管庫として使用されていた。
その最大の建物の2016年8月30日時点における状態を考慮すると、通常は一度に1台の戦車しか収容されていない小さな建物に生産ライン全体を移動させる必要があった(注:空爆で打撃を受けたため)。
いくつかの建物は実際にはとても小さかったので、戦車を屋内に入れるために入り口をカットして大きくしなければならなかった(注:そのままの入り口のサイズだと戦車を入れることが不可能だったため)。












「工廠」と「戦車大隊」の施設に加えて、タウラ工業施設と勤労者住宅は「戦車大隊」だけでなく、ここで整備や改修を受けたAFV用の弾薬庫としても使用された。
作業の完了後、これらのAFVは新しい運用者に引き渡される前に適切な弾薬を積み込まれた。
運用者について、そのうちのいくつかは「工廠」で訓練を受けたものと考えられている。
これは「工廠」の作業規模が実際どれだけ大きかったかを強調している。







タウラにストックされている戦車砲弾の一部に目を向けてみよう。
ここにはシリアに存在するほぼ全てのタイプの砲弾が含まれている。
この中で興味深いのは、T-55AM(V)に搭載された誘導装置と共に9K116-1 システム「バスチオン」として知られている9M117M対戦車誘導弾を弾頭に備えた3UBK10M-1砲弾の存在だ。
シリア内戦中に極めて稀にしか使用されていなかったこの砲弾は、ISによって照明弾と誤認されていた。








戦闘で損傷を受けたT-72AVの残骸が「工廠」に持ち込まれ、その後スペアパーツ用として完全に破棄された。
これらのAFVの多くは、光学装置や戦車砲といった他の戦車に搭載できるさまざまなスペアパーツ用の部品取り用の母体として活用が可能だったため、損傷を受けたたり、時には破壊された戦車を輸送することが「工廠」の一般的な業となった。
これはまた、ISが2016年6月に施設を奪回した際に撮影した、前述した2つのT-72の砲塔の存在の理由にもなる。





AFVの内部部品をリサイクルすることに加えて、T-72AVやT-55(A)MVといった戦車にはERAが標準装備されているため、無傷のものを他の戦車に装備させることができた。
その一例は下のシリア軍が運用していたT-55(A)MVで、 2016年6月の「ラッカへ」の攻撃の間に元々破壊されたものであり、その後に「工廠」 に移送されて2017年6月にシリア軍が施設を奪回した後に再び姿を現した。
この戦車はERAを完全に取り外されているが、それ以外はそのまま残されている。

リサイクルのもう一つの例は、2013年にFSAによってタウラ工業施設の近くで破壊されたこのT-62(1972年型)だ。
この戦車は2016年6月のシリア軍による施設の最初の奪回の間に再び目撃され、「工廠」の2回目の奪回の際にまた遭遇した。
どちらの目撃例も前照灯、赤外線捜索灯やTSh-2B-41照準装置がないことを明らかにした。












シリアとイラク各地におけるISの戦車の輸送は常に大型トラックを用いて行われ、そのうちの1台[603]は、下の画像のとおりハマ州で成功した襲撃の後で捕獲されたT-72「ウラル」を輸送している。
シリア軍は車両や時には弾薬で満杯の倉庫を含めた装備を残して撤退することで悪名高いので、ISは鹵獲したガニーマ(戦利品)をその牙城へ運ぶために大型輸送車両を頻繁に利用した。
これらのトラックは、戦車の搭載によって生じる致命的な負荷を除いて民間トラックとほとんど区別がつかないことから殆ど標的とされていなかったが、T-62を搭載した以下の車両は例外だ。

民間車両と区別がつかない輸送車両の多用している理由としては、アメリカ空軍が「ガニーマ」をタドムルなどの前線から移動させる機会を妨害するため、捕獲された武器自体を頻繁に標的にしていることもある。
実際、タドムルでは7台の戦車を含む兵器がISに鹵獲され、空軍基地の強化シェルターに保管されていた。
シリア空軍とロシア空軍による怠慢はISに大型トラックで迅速な撤収をもたらし、シリア内戦でこれらの空軍を悩ます明らかな弱点のいくつかをさらけ出した極めて重大な間違いだった。 
最終的に、彼らは「ガニーマ」をオーバーホールや改修、更にはシリアの他の場所へ配置させるために「工廠」へ向かったことだろう。













「工廠」によってオーバーホール及び/又は改修されたAFVは、運用側に引き渡される前にこの施設によって車両が整備されたことを示すマークが付けられた。
これらのマークは、通常、黒い四角の上とそれに記載された以下の3つの文字で構成されている:الدولةالإسلامية - 'イスラミック・ステート'、جيشالخلافة - 'カリフ制軍'(ジャイシュ・アル・ファリーファ)、固有のシリアル番号。
このマークは下の画像で見ることができる
ISがかつて一時的に使用していた9xx番号付与システムの代わりに、これらのマークのいくつかのバリエーションが過去数年の間に知られている。
ウスマーン・イブン・アッファーン師団とアブー・ウバイダ・ブン・アル=ジャッラーフ師団は、これまでに注目されていた[101]、[701]及び[506]といった独自の番号付与システムを使用したことが知られている。

これらの印は当初、一部の人々にこの「ブラック・スクエア」が(この記事で「特別任務小隊」として知られている)主に戦闘で鍛えられた外国人戦闘員で構成された、いわゆるISのエリート部隊である「カリフ制軍」専用のものだと断定させた。
ISは主にイラクだけでなくシリアでも車両の一部に部隊マークを施しているが、「ブラック・スクエア」は「工廠」によってこの戦車がオーバーホールされたことを示す標識に過ぎない可能性が非常に高い。
同様に、「カリフ制軍」は特定の部隊ではなくISの軍隊全体を指していると思われる(注:つまりIS軍そのものということ)。

さらに興味深いことに、このマークは「工場」によって改修されたAFVのカウントと追跡調査を可能にした。
以下は、様々な種類のAFVに適用された、既に判明しているシリアルのリストだ。
特筆すべきはこのリストにはT-72が3台しか存在しないことであり、理由は未だに不明のままだが、ほとんどは「ブラック・スクエア」を付与されていない。

BRDM-2: 100

BMP-1: 202, 206, 208, 211, 212, 213, 215, 218, 219, 222, 225, 227, 229, 230, 231, 232, 233, 235, 248, 253, 258, 259, 261

T-55: 301, 302, 309, 310, 314, 319, 324, 325, 331, 334, 337, 352, 370, 363, 366, 370, 372

T-62: 333, 335, 336, 34?, 3?2, 344, 347, 348, 352, 353

T-72: 311, 329, 334

ZSU-23-4: 400

BTR-50: 601

これらのナンバリングシステムは各車種ごとに付与された独自の最初の桁数(例:BMP=2 [00]、T-55=3[00]など)によってかなりシンプルに見えるが、その適用はいくつかの要因によって複雑になった。
最も重要なのは、AFVとVBIEDとの間の区別はなかったことだ(例:207は通常のBMPかVBIED型のBMPのいずれかということ)。
当初、車両のシリアル番号はAFVの専用であることを意味していたが、後にISはBMPの車体が無いにもかかわらず2xxシリアルを付与されたBMP-1の砲塔を搭載したトヨタ・ランドクルーザーを運用した(車体部にもシリアルが付与された)。
また、「ブラック・スクエア」の無いAFVをオーバーホールや改修した場合に、独自のシリアル番号が与えられていたのか、それとも番号付与システムには含まれていなかったかどうかは不明のままだ。








このシステムは当初「工廠」 でオーバーホールされたほとんどの車両に適用されていたが、これらのマークは増加装甲を取り付けた後は見えなくなってしまうことがあり、その後のMBTの改修を繰り返すうちに完全に放棄されたようだ。
他の車両はシリアでの戦歴を積む間ずっと「ブラック・スクエア」を付け続けたが、時には擦り切れて下の画像のZSU-23-4のようにかろうじて見える程度までになった。











「工廠」によって行われた装甲の改修を解明するために、この記事では主な改修プログラムと共に、AFVの非常に長いリストを作成させたこれらの興味深いバリエーションについて解説する。
この記事で取り上げた車両に加えて、過去数年の間で各改修プログラムに関して更に多くのバリエーションが存在していた。
実際、改修プログラムのいくつかは規格化されていたが、「工廠」によって改修される車両はまったく同じということではなかった。

これの完璧な例はT-72「ウラル」の[311]で、同車はその生涯を通して「工廠」で3回以上オーバーホールや改修を受けた。
この戦車はアブ・ハムザの戦車で、「工廠」と戦場の両方で定期的に撮影されていた。 
下の画像は2回目のオーバーホール中の戦車を写しているものであり、増加装甲とマルチスペクトル迷彩カバーの支持部は既に取り付けられている。









次に、2回目の改修の最終段階における[311]を見てみよう。 
戦車は再塗装され、戦車の前部と後部に迷彩カバーを追加するための裏打ちとスラット・アーマーが追加されている。
「ブラック・スクエア」は最初の画像ではまだ存在していないが、2番目と3番目の画像の時点で既に施されている。
T-55AとT-72AVは、「工廠」の最も大きい施設で改修作業を受けている。
右のチェコスロヴァキア製プラガV3Sは、工具用の作業場として機能したと考えられてる。

この戦車の装甲配置は車体両側と砲塔の周囲にスラット・アーマーが特徴で、「工廠」による初期の改修プログラムの特色を示している。
前者は装甲版の上にわずかな間隔をあけた状態で直接取り付けられている。
このスラット・アーマーは戦闘で損傷を受けた後に容易に交換することが可能であり、改修された戦車のいくつかの特徴の一つだ。
追加された特徴には、戦車のサイドスカートのすぐ上にゴム板が装備された点と、主砲の防楯部を保護するためにT-72AVから回収された3個のコンタークト1 ERAブロックが装備された点が含まれている。
また、興味深いのは履帯後部の上にスラット・アーマーを配置したことだ。
これは戦車を防御する目的としては全く役立たないが、それでもなお素晴らしいタッチだ。

防御力の増強を受けているにもかかわらず、この戦車の装甲配置は決して理想的ではない上に、独自の部品で構成されているために製造と設置が困難だ。
当然ながら、この装甲配置は後に従来のレイアウトに置き換えられた。
しかし、T-72[311]は細部への過剰とも言える程に注意を払って入念に改修された「工廠」の職人技の証だ。













下はマルチスペクトル迷彩カバーを砲塔に追加した後の同車だが、車体前面と側面にはカバーがまだ装備されていない。
砲塔の周りに(迷彩カバーの)太いコードがあると、戦車の光学機器の使用が酷く困難になって視界が大幅に低下してしまう。
これがT-72 「ウラル」の酷い照準精度を更に低下させているが、既に光学機器の一部を増加装甲によってブロックされた装甲強化型T-72 「ウラル」を多く運用していたISにとって、大きな問題になった可能性は低い。

[311]は2回目のオーバーホール後に戦闘に参加した可能性が高いが、2014年後半から2015年初頭の間にかけての運用状態についてはほとんど知られていない。
マルチスペクトル迷彩の導入は、この戦車が有志連合軍機が活発的に飛行している地域へ展開した可能性を示唆している。
しかし、IS部隊の攻勢を描写しているプロパガンダ・ビデオが頻繁に投稿されていたにもかかわらず、同車は一度もそれらには登場しなかった。







ISのメディアリリースでは明らかに不在だったにもかかわらず、T-72 [311]は2015年中頃の時点で「工廠」によって3回目の改修を受けた。
この改修にはいくつかの装甲配置の変更が含まれている。
最も注目すべき点は、車体両側面にあった複数枚の装甲パネルをスラット・アーマーとゴムと推定される板で構成された2枚の大きなパネルに交換した点と、砲塔周囲に装備されたスラット・アーマーが戦車にこの部分のより良い防御力を与えるために嵩が高められた点が挙げられる。

[311]が「工廠」を最後に訪れたことが判明した直後に、同車は2012年12月に包囲されて以降の空軍基地に対して発動する最大の攻勢の準備のため、2015年8月初旬にクワイリスへ展開した。
「戦車大隊」は既にいくつかの機会に2012年以降、様々な反政府勢力とISによって開始された数度にわたる攻撃を成功裏に撃退したクワイリスの守備隊と交戦していた。
反政府勢力は空軍基地守備隊とまともに戦うことができないと証明されたが、ISによる一新した取り組みはクワイリスの回復力をきっぱりと終わらせることを意味した。

クワイリスを占領するための待望の攻勢は最終的に2015年8月9日に行われた。
ほとんど完全に報じられていないが、これは2014年8月24日のタブカ空軍基地の陥落以来に行われたISによる最大の攻勢の1つとなるだろう。
いくつかの「特別任務小隊」とアブ・ハムザのT-72[311]を含む装甲支援車両が攻勢に参加した。   
下の画像では、[311]が8月9日の攻勢で自爆攻撃をする戦闘員の1人の背後に写っている。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「イスティシュハディ(殉教攻撃)をする兄弟、アブ・アブドゥラ・アル・シャミ」。












クワイリスの守備隊は、当時の時点で3年弱の包囲下で数度にわたる大規模な攻撃の撃退に成功していたため、戦闘せずに死守を諦めることはなかった。
AFVや砲兵支援が完全に不足している上にISによる激しい砲撃下にあったにもかかわらず、空軍基地の防衛はISの領域とクワイリス基地を隔てる広大な土地の幅を恐れずに横切る侵入者に対して最適なものになっていた(注:防衛に適した、隅々まで見渡せる地形だったということ)。

クワイリスの防御陣地について詳細に述べることはこの記事の範囲を超えているが、守備隊の強さは主に空軍基地のHAS(強化シェルター:対爆格納庫)の上手い活用まで及んだ。
必然的にHASの多くは真の要塞へと変化させられた。
その占領を試みることは非常に困難な任務であることが判明して、ISがHASを超えて前進することは決してなかったという事実は、彼らの強さを証明している。

残念なことに、ISは空軍基地を占領するためにこれらのHASを征服しなければならなかった。
空軍基地を囲む平坦な地形が(他の部隊に)IS戦闘員の波が守備隊によって殺りくされている光景をすぐに見させたことから、「特殊任務小隊」はHASの襲撃中に歩兵を安全に輸送するためにAFVを大量に使用した。
2015年8月の攻勢の間に2回の機械化部隊による襲撃が行われ、それぞれの実行と成果は非常に似ていた。

最初の襲撃は2015年8月10日に実施され、参加車両にアブ・ハムザのT-72 [311]とBMP-1 [208]が含まれていた。
彼らの目的はクワイリス基地東部のHASまで前進して、強固に要塞化された陣地を襲撃する戦闘員を降車配置させることだった。
この襲撃が成功する可能性があったならば、HASにより接近することが可能な場所でIS戦闘員をBMP-1から降車させて安全に到達できるようにするために、塹壕に隠れているHASの守備兵を抑えなければならなかった。

まさにその時に、このような環境下で作戦中の乗員の未熟さが露見し、攻撃側に極端な結果を及ぼした。
幅広い視野とHASの守備兵を抑えるのに必要な(T-72の)主砲の仰俯角が可能なBMP-1の背後に位置する代わりに、アブ・ハムザのT-72はBMP-1を追い抜き、自らをHASの守備兵を狙うための砲の仰俯角がとれない盛り土の背後に配置した。
また、他の地点を射撃するための視野は盛り土によって阻まれた。

















アブ・ハムザのT-72からの援護射撃を一切受けずにBMP-1から降車したIS戦闘員は、盛り土に向かって走った際に素早く殺りくされた。
その後、戦闘員を乗車させていたBMP-1も敵弾が右側面のスラット・アーマーに1発命中したが、車体の装甲を貫通していない可能性があった。
乗員の運命はHASを襲撃した戦闘員と同じ可能性が高い:車両から脱出した後に射撃を受けただろう。

アブ・ハムザのT-72も敵弾に命中したかどうかは分からないままだが、彼と彼の乗員は彼らの周りに広がっている大虐殺から脱出を試みようと戦車を放棄したようだ。
安全に走る場所がないので、アブ・ハムザは簡単な標的となってそこで殺害された。
クワイリス基地の最も東にあるHASを占領するという彼の目的は失敗したが、シリア軍兵士が彼の携帯電話に何とかアクセスして多くの画像をジャーナリスト達とシェアした後に、彼の死はインターネット上での彼らの存在の発覚に通じる大量の画像と知識をもたらした。

下の画像は、いくつかの遺体が放棄されたBMP-1の周りに散乱している状況を写しており、攻撃中にここで行われた虐殺をはっきりと明らかにしている。
BMP-1には、同車を無力化したか乗員に脱出やパニックを引き起こしたに違いない、砲弾が貫通した穴がはっきりと見える。
さらに興味深いのは、BMP-1の燃料タンクとしても機能する後部ドアの外側に追加された装甲板の存在だ。








T-72 [311]が無傷で鹵獲されたにもかかわらず、後に撮影された写真では同車が完全に焼け焦げている。
また、いくつかの遺体もその場から移動させられている。
これについては、攻撃の直後に撮影された上記の画像と比較することができる。
この理由は不明のままだが、続く数ヶ月の間にいくらかのジャーナリストが同基地を訪れたという事実とは何らかの関係していて、この後始末された光景はより劇的なカットのために作られた可能性がある。
あるいは、その場所は射撃演習で使用された可能性があるので、それがT-72の状態を物語っているのかもしれない(注:射撃演習の的になった可能性があるということ)。
BMP-1は後にその場から撤去されたが、T-72は今日までここに残り続けている










この大失敗は一見してISに機械化部隊による2回目の攻撃を実行することを思いとどまらせなかったようだ。
その2回目の攻撃にはT-55 [319]及びBMP-1 [206]を含む車両が参加した。
T-55 [319]はおそらく、ISに仕えた戦車の中で最も象徴的な車両の1つだ。
この車両には他のT-55と識別できるような特別な外観的特徴は無いが、2014年6月30日にラッカでカリフ制の布告を祝賀するパレードに参加したため、ISを扱う記事で(時折いまだに)注目された。

このひどく損傷を受けたT-55Aは、1970年代後半から80年代初めの間に北朝鮮のレーザー測距儀(LRF)と風圧センサーでアップグレードされた、シリアに多く存在するT-55の一つだ。
この大規模な改修プログラムでは、数百台のT-55Aに北朝鮮が設計したLRFと風圧センサー、それにKPV 14.5mm重機関銃が搭載された。
しかし、システムを使用するためには過去の使用経験や訓練を必要としたため、シリア内戦で北朝鮮が改修した車両を運用している多くの勢力がこれらのレーザー測距儀を使用することはなかった。










クワイリス空軍基地に展開する前に、この戦車は戦場に復帰することを見込んで「工廠」で大規模な改修を受けた。
最も顕著なのは、戦車の(砲塔を囲むかなりの空間領域と車体側面を含む)ほとんどの部分を覆う非常に素晴らしいスラット・アーマーの装備だ。
戦車の機動性を確保するために、車体側面のスラット・アーマーはその内側にあるゴム板と非常に近接して装備されているため、その有効性を部分的に無力化されている(注:空間装甲の意味がなされていないということ)。

さらに、「工廠」によって同様に改修された多くの戦車のように、スラット・アーマーは光学機器の視界を妨げることによって戦車の状況認識力を著しく妨げるおそれがある。
しかし、ISはこの「犠牲」を喜んで作っているように見える。
スラット・アーマーの設置で唯一妥協した点は、同軸のPKT 7.62mm機関銃の使用を可能にするために(射線の干渉部分を)カットしたことだった。
また、T-55の脆弱な後部を考慮すると役立っただろう、装備の保管やDIY装甲の保持のために使用されると思われる、車体後部に装備された大きなコンテナも興味深い。

アブ・ハムザのT-72が参加した攻撃の失敗から得た教訓は一見して無いようで、このT-55は第1次攻勢とほぼ同じように展開する第2次攻勢に参加した。
T-55は降車した戦闘員の支援ができた位置からBMP-1の背後に自らを配置する代わりに、
文字通り盛り土の中へ突進させた。
この動きは、明らかに敵の車両がこの盛り土を通過することを妨害する役割を果たすためのものだった。
T-55はこの悲惨な間違いの後に(自身を)動かすためのスペースをほとんど持たなかったため、その後に被弾したが貫通はしていないようだ(注:盛り土であまり身動きできなかった)。
BMP-1の乗員はT-55が被弾した後すぐに、まだ使える同車(BMP)を放棄したと思われる。







また、このT-55のD-10T 100mm戦車砲RPGと思われる弾に貫通されている。
これは戦車の作戦放棄を達成しており、その後に同車は放棄されたようだ。
戦車が他の点ではまだ運用可能の状態にあったという事実は、車両自体を戦闘から離脱させることを招いた主砲の損傷を受けた後に場所を移動させたり、砲塔を何度も旋回させたように見えるという点によって証明される。









T-55AとBMP-1の両方は後で空軍基地の防御線内部に移動させられ、より詳細に調査することを可能にした。
T-55の砲塔に装備されているスラット・アーマーは、既にこの時点で部分的に外れている。
これはおそらくシリア軍によるものだろう。
BMP-1 [206]には車体の後部ドアに追加装甲用の取り付け部が装備されているが、追加装甲はこの攻撃時には存在していなかった。
クワイリス基地を占領することを目指した攻勢はさらに数日間続いたが、8月末を通して
徐々に規模が縮小していった。
それによって基地を占領するというISの目的は当分の間断念されなければならず、それは最終的にシリア軍が基地の包囲を解除する目的で反撃を開始した後、完全に放棄された。
突然、ISは基地を占領する代わりに自身を防御する必要が生じたため、これらの交戦ではより多くの改修されたISの戦車の姿が見られた。











クワイリス基地の防衛線の外周における激戦で数台の改修型BMP-1が失われ、そのうち2台([206]と[208])が後にシリア軍によって運用された。
皮肉なことに、空軍基地の守備隊はこれまでにいかなる種類のAFVも不足していたので、守備隊の目の前に放棄されたBMP-1は彼らの追加装備として確実に歓迎されていたはずだ。
スラット・アーマーを装備したT-55は一見して無傷の状態で捕獲されたが、主砲の損傷はシリア軍によるさらなる使用を妨げた。

※ここでT-55[319]号車の戦歴について簡単に説明する。
ISはクワイリス基地の占領を考えており、短期間に数回の攻撃を試みた。
この攻撃の中の一つに[319]号車が参加したが、スタックして基地守備隊に回収された。
この車両は砲身に被弾したが、それ以外は無傷だった。
しかし、この損傷は守備隊の再使用を妨げ、最終的にはクワイリス基地の防衛線内部に放棄された。


















クワイリス基地を占領するという悲惨な試みはいくらかの改修されたAFVを喪失したが、最終的には利益を全くもたらさなかった(それどころか不利になった)。
しかし、「工廠」はクワイリスで失われた車両と同じように、いくつかのAFVを引き続き改修していった。
間違いなく最も印象的だったのは、既に砲塔と車体の前部にあるERAに加えてスラット・アーマーを装備したT-72AV [334]だろう。

ERAの存在が「工廠」の印(ブラック・スクエア)を描く場所を残していないので、鋼板が車体の正面に取り付けられ、そこに「カリフ制軍」の文字とシリアル番号が表記された。
しかし、おそらく時間の無駄だと思われたために、この慣習は後に全て放棄された。
ちなみに、この[334]はアブ・ハムザのT-72 [311]の防楯に見られた、明らかに戦闘で彼を救わなかったERAを本来装備していた車両だ。
この戦車の作戦地域と最終的な運命は不明のままだ。

















同様に改修された2台のT-72は、後にホムス州、ハマ州、ハラブ州で2015年を通して運用されている姿が見られ、このうちの1台はハマ州での攻勢に参加した後に基地へ戻るために輸送されている間にも見られた。
両方とも上で見られるT-72AVではなくT-72M1の派生型だが、シリア内戦であまり見ることがないこれらの戦車の印象的なスラット・アーマーの配置はほぼ同じだ。
下の画像の文字は次のとおり: 「ドゥア地区でヌサイリー軍の拠点を戦車砲で攻撃している」。





結局はかなりの数のAFVがこの種のスラット・アーマーを装備することになり、その製造プロセスはいくつか異なるものの、明確に規格化された。
この装甲の配置の有効性は不明のままだろうが、RPGやおそらくATGM(対戦車ミサイル)といったタイプの投射物に対して効果があることを証明している可能性がある。
残念なことに、有志連合による空爆の開始後にはISにとってこれらは彼らの中の問題では最も小さなものになっただろう(注:空爆対策の方が重要であるため)。
下のハラブ州での作戦の画像では、このスラット・アーマーで改修されたT-62(1967年型)とT-55Aを1台ずつ見ることができる。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「PKK背教者集団の集会を戦車砲弾で攻撃している」と「カナサー北部のラスム・アルナフル村のヌサイリー軍と民兵の集まりを戦車弾で攻撃している」。








この改修プログラムの亜種(下の画像)には、異なるタイプのスラットアーマーの配置がなされており、アブ・ハムザのT-72 「ウラル」で見られた装甲の配置に似ている。
このとある戦車は砲塔の周囲にマルチスペクトル迷彩のカバーを装備する予定であり、そのための支持部は、この改修段階の間に既に存在している。
確かに素晴らしく見えるが、スラット・アーマーは「金属製マットレス」の上に全く間隔を設けないで装備されている。
同様に、無限軌道の前部にある金属製のフェンダーが投射物に対して本当に効果的なのかどうかは疑わしい。







「工廠」でオーバーホールと改修、それに再塗装が完了した後のBMP-1[213]に注目してみよう。
この画像は、車体側面にある追加装甲パネルの取り付け部を見せてくれる。
この車両が戦闘で見られる以前は、他の改修車両の場合では被弾後に追加装甲パネルが外れたように見えたことがあったが、[213]の場合は敵弾が命中した後でさえいくつかの装甲パネルが取り付けられたままであったため、車両の間で装備方法が大きく異なる可能性がある。








これと完全に同じ車両はデリゾールで見ることができた
同車は都市へ接近するための前進を試みている際にシリア軍によって撃破された(下の画像)。
(よく見ると)砲塔が車体から外れているので、車内にある弾薬が誘爆した可能性が高い。
車体側面と砲塔へのスラット・アーマーの装備はこの車両が破壊されることを防ぐには明らかに不十分だったが、同じ配置の同装甲がいくつかの機会に発射されたRPG弾頭を止めたことが知られている。

BMP-1の車体にERAを装備することが車両の防護力を増強するより簡単な方法と思われているが、コンタークト-1 ERAに敵弾が当たった際にはそれ自体が爆発で砕け散って車体の装甲に対する爆発の破片を更に強化することになるため、BMPの紙のように薄い装甲はこの方法を実際には逆効果なものにしてしまうだろう。
この効果にもかかわらず、いくつかの勢力は車体にERAを取り付けてBMP-1の装甲を増強しようとしたので、時には悲惨な結果を招くこともあった。








「工廠」は数種類にわたるAFVの装甲防御力を強化させることに加えて、有志連合が2014年9月にシリア上空での空中作戦を始動して以来、同軍機によるIS車両の標的化に対する解決策を出すことも試みた。
有志連合の航空戦力が都市の防衛に決定的な役割を果たしたコバニの戦いは、IS軍に精密誘導兵器で武装した航空機への脆弱性を驚くほど明らかにさせた。

頭上を旋回する高速ジェット機や無人航空機(UAV)に対して無防備なままだったISの唯一の実行可能な選択肢は、敵に発見される機会を減少させることであり、それが戦場におけるISの興味深い適応に至った。
その一例は、兵士の熱源を拾う赤外線(FLIRターゲティング・ポッドでの捜索を妨害するために、裏地にアルミを備えた数種類の迷彩服の製造だ。
これらの方法は比較的難しいものではなく実装も容易だが、戦車と同じ大きさの物体をカモフラージュするにはこの記事の前半と下の画像で明らかにされているように完全に異なる方法が必要とされた。
このカモフラージュを構成する、吊り下げられたロープ状のものは革の帯だと考えられており、上記の迷彩服と同様の働きをする。













当然のことながら、マルチスペクトル迷彩で改修された戦車のほぼ全てが、ISがシリア軍だけでなくYPGに対しても攻勢を仕掛けていたバラク州(ハサカ県)に配備された。
後者はこの地域におけるISの進撃を阻止する上で重要な役割を果たす、有志連合の大規模な航空支援を当てにすることができた。
カモフラージュ・ネットがまだトラベリング・ポジションで固定された状態にある下のT-55は、後に「戦場の獅子2」に見られるハサカ県に配備された車両の1つだ。
この車両のマーキングは不作法に施されている:「カリフ制軍 『334』」。







他のISのAFVの改修と同様に、有志連合の航空戦力を欺くというマルチスペクトル迷彩の有効性はほとんど知られていないままだ。
しかし、この種のカモフラージュを装備した戦車が今までに有志連合による空爆の映像で目標として取り上げられたことが無く、シリアの地上において空爆と推定される攻撃で破壊された姿も見られないので、有志連合軍機を欺いて発見を回避することに効果があった可能性がある。

偽装された戦車が映った数少ない映像は、下のT-62ではっきりと証明されたとおり支持部及び吊革自体が傷みを非常に受けやすいことを明らかにした。
このとあるT-62(下の画像)は、ISがハサカの市街地への侵入と占領を試みた戦いを題材にした宣伝映像「ジハードの栄光」に出てきたものだ。
2つ目の画像にあるとおり、ぼろぼろになった迷彩カバーが有志連合の航空戦力を欺くことに寄与することはほとんどないだろう。














この同じ戦車は、2015年7月にハサカ県でYPGによって捕獲された。
最終的に2015年8月1日にハサカの解放に至るYPGとシリア軍が残存しているIS軍の包囲後、このT-62 [335]は市街地の中で捕らわれの身となった。
T-62[335]の残骸は広範囲にわたって記録されており、かつてカモフラージュ・ネットを保持していた構造をより細かく見ることを可能にしている。
戦車自体は既にこの時点で無力化されており、エンジンと砲塔の後部に大きな損傷がはっきりと映し出されている。
















アブ・ハムザは「工廠」でマルチスペクトル迷彩カバーの取り付けを施工中の数台のT-62も撮影した。
真下にあるT-62は、(ハサカ県で被弾して放棄される以前に)後に[335]となった。
「工廠」によって施されたマークはシリア各地に移動したISのAFVの追跡調査を容易にしたが、いくつかの戦車に依然として残っていた元のシリア軍のマークも、時には戦車の出処に関して貴重な手がかりを与えてくれることもあった。

このマークを手がかりにした追跡調査は、特に(シリア内戦で最大の重装備の鹵獲数である)少なくとも30台のT-55と十数門以上の野砲をISに与えた、2014年8月7日に第93旅団基地を奪取した後に必要不可欠となった(注:AFVの数が増えたため)。
これと(ISにさらに多数のT-62とT-55をもたらした)2015年8月のカルヤタイン占領といった他の場所で鹵獲した兵器の数は、「工廠」に一見して無限の量のAFVを絶えずオーバーホールと改修させることを可能にした。

























装甲防御力の増強によるAFVの改修は比較的速いペースで継続し、その間にAFVの大多数が幅広い種類の装甲の改修を受けた。
これらの改修のほとんどの質は、先に見た「工廠」の初期の仕事ぶりとは対照的にこの時期に急に低下した。
下のT-72はその完璧な例だ。
これまで見られた広範囲に及ぶスラット・アーマーは、現在では砲塔の周りの土嚢と車体側面への粗悪な見た目のもので置き換えられている。

このとある戦車は、2015年11月に包囲が解除された後、IS戦闘員が周囲を維持するために戦闘していたクワイリス空軍基地を囲む地域に配備された。
最初のテキスト・バーの内容は次のとおり:「クワイリス空軍基地の西側にてヌサイリー軍の集まりを戦車砲弾で照準を定めている」。
2番目のテキスト・バーの内容は次のとおり:「クワイリス空軍基地の西側にて機関銃で
ロシアの飛行機(による攻撃)を防いでいる」。



























初期の改修プログラムに沿って改修されたいくつかの戦車には、砲塔と車体側面に同様のスラット・アーマーが装着された。
砲塔周囲の大がかりなスラット・アーマーの配置は同時期に放棄され、砲塔の防御力をさらに強化するために土嚢や様々な他の物を固定することができる金属バーの単純な設置に置き換えられた。

この戦車のサイドスカートは著しく粗悪な品質ではあるが、先に紹介した、大幅に改修を受けたAFVの一部に見られるものと同じデザインだ。
(サイドスカートの)横のバーはフレームに不均一に溶接されており、DIY仕上げの外観をさらに強調している。
砲塔と車体側面のスラット・アーマーとの間に装備された薄いスラット・アーマーの細長いプレートは特に脆く、明らかにきっちりと組み立てられていないように見える。







更に質が低下した例としては、主に砲塔の追加装甲のレイアウトがほぼ全ての戦車で異なっていたことが挙げられる。
通常の配置は、前述の土嚢または様々な物を搭載するための金属バーの装備から構成されていた。
これは下に写っている3台の戦車からも明らかで、各車両は先に見たような大規模なスラット・アーマー装備計画の指針に沿った改修の名残がある。
北朝鮮のLRFを装備したT-55にまだ残っている一枚の装甲パネルについては、特にスラット・アーマーを使用している点が気になる。
その理由としては別の装甲板の上に更に直接施されており、成形炸薬弾頭が命中した場合、貫徹力を実際に止める可能性を少なくしているからだ(注:空間装甲の意味を相殺しているため)。















2015年に「工廠」によって改修された戦車の多くは、下の画像のハラブ州で運用されているT-55のように2017年まで十分に生き残っただろう。
この戦車に装備されていた追加装甲のほとんどが外れ落ちたと思われ、同車が「工廠」によって再びオーバーホールを受けずに何ヶ月か何年もの間戦ったという当然の結果を示している。
実際、以前には戦車が何度も「工廠」に戻った姿が見られたが、ISの戦車保管場所やストックが徐々に減少していったことは内戦後半の「工廠」での再改修を妨げた。








「工廠」は様々な種類のAFVを戦場において再び使用するためにオーバーホールや改修することだけではなく、多数のAFVを車両運搬式即席爆発装置(VBIED)へと改修し始めた。
ISのやり方では、攻勢の多くはVBIEDの使用(恐ろしい空爆に相当するISの攻撃と考えることができる)から開始される。
通常、これはトラックや装甲を強化した4x4車両だ。
これらの自爆車両は、自身の破壊力だけでなく心理的な武器としても効果がある。

VBIEDを生産するISの取り組みの対象は決して民間車両に限られたままではなかったが、
2015年以降、VBIEDに改修されるAFVの数が増加している。
「工廠」は、おそらくデリゾールにおけるのIS軍の例に倣ったと思われる。
デリゾールでは、戦車やブルドーザーが早くも2014年にVBIEDのプラットフォームとして使用され、強固に防備された都市中心部から残存しているシリア軍を追い出そうと努力した。
BMP-1と2S1をベースにした2台のVBIEDも2013年のミナクの戦闘で投入された。
そこでは、ISのVBIEDの使用がヘリポートの占領に決定的に役立った。

「工廠」で製造されたVBIEDの多くは、従来の車両と比較すると防護力と機動性をが向上したBMP-1をベースとしている。
貴重なBMP-1をVBIEDとして使用することは戦力の無駄使いになると主張することができるが、BMP-1の紙のように薄い装甲と見栄えのしない武装は今日の紛争ではあまり役に立たない。
いくつかの未改修のBMP-1はハラブ州(アレッポ)とハイル州(デリゾール)で活動は見られたが、それらが他の戦線の殆どで見られなかったことは指摘されていた。

手元に十分な数があれば、多くのBMP-1はVBIED化の犠牲になり、この改修はすぐに規格化された。
この改修では砲塔と後部ドアの1つが取り外され、その後に溶接されて閉じられた。
この後部ドアの撤去の背後にある正確な理由は、現在のところ不明のままだ。
いくつかの車両はゴム製のサイドスカートやスラット・アーマーから成る追加装甲を装備されているが、その差はおそらく利用可能な資源と時間次第だろう。
典型的なBMP-1のVBIEDは下の画像のとおりだ。
下の車両はISのプロパガンダ・ビデオ「二つの国の間で:苦難と報い」で取り上げられており(19:47)、最終的に目標に達する前に激しい射撃を受けた(注:ビデオ・タイトルの「国」は、ムハンマドが最初に建国したイスラームの国とISが建国した国を意味すると思われるとのこと)。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「イスティシュハディ(殉教攻撃)をする兄弟、アブ・ダウド・アル・チュニジ。アッラーはアウラン村にある背教者サゥワット(ISと戦っているスンニ派)の拠点へ突撃する彼を受け入れるだろう」。














おそらく、使用されたこれらのBMP-1 VBIEDの中で最も恐ろしい実例は、ダマスカスとタドムルの間に位置するカルヤタインの近くで起こった。
この町では、シリア軍と2015年8月5日に町を支配したISの間で大きく争われた。
2016年3月に開始された政府側の攻勢ではカルヤタインの支配権を取り戻そうとしたが、いくつかのVBIEDを展開していた、町を防衛しているIS軍とすぐに衝突した。

町でのシリア軍の攻勢を混乱させる試みで、カルヤタインに駐留していたIS軍は実際にBMP-1のVBIEDを使用して、広大な砂漠でシリア軍を正面から攻撃した。

少なくとも2つの車両がこのやり方でうまく使用され、猛射撃の中での前進は攻撃者の逃亡を引き起こした。
どちらもISのプロパガンダ・ビデオ「もし彼らがあなたと戦うなら、彼らはあなたに背中を見せるだろう」で取り上げられ(10:12)、このタイトルは結果的に映像で示されたシーンを描写したものと分かった。

ISの最善の努力にもかかわらず、カルヤタインは最終的に2016年4月に奪回された。
爆発物を積載したBMP-1を映す下の画像のテキスト・バーの内容は次のとおり:「カルヤタインの町の郊外でヌサイリー集団を襲撃したイスティシュハディ(殉教攻撃者)、アブ・ジャラ・ラヒビ」と「「カルヤタインの町の郊外でヌサイリーの隊列を襲撃したイスティシュハディ、アブ・ジャアファル・アル・ジャウラーニーの乗り物」。















カルヤタイン周辺での猛烈な混乱を引き起こした手柄は別として、ISはバーブを前進するFSAとトルコ軍の拠点に対するVBIEDの理想的な使用を見出した。
FSAによる遅い進撃はトルコ軍がISのATGMとVBIEDによる攻撃に脆弱な拠点に陣取ることを余儀なくさせたが、この点についてISの戦闘員はすべてをよく知っていたということが事実だ。

下の装甲強化型BMP-1 VBIED [225]はバーブ近くの自由シリア軍とトルコ軍の連合部隊に対して使用され、それは敵の車両がそうすることを防ぐために的確に立てられた砂の障壁の存在にもかかわらずなんとか進入できた。
その後、トルコ陸軍の車両によってブロックされた後に爆薬を起爆させ、[225]がより大きなダメージを与えることを妨げた。
このVBIED攻撃の映像は、ISのプロパガンダ・ビデオ「十字架の盾」で観ることができる(8:45)。
以下のテキスト・バーの内容は次のとおり:「兄弟アブ・オマル・アル・ハーシミ。アッラーはアル・バーブの町の西側でサゥワット (自由シリア軍)集団とトルコ軍の背教者達に対するイスティシュハディ作戦を実行した彼を受け入れるだろう」。

















シリア各地で「工廠」のマークを付けた戦車ベースのVBIEDもいくつかは使用されているが、これらのVBIEDのほとんどは、実際には「工廠」ではなく現場でVBIEDに改修されたと考えられている。
その一例は下の画像のハイル州(デリゾール)で運用されているT-55[363]であり、残った空のスペースに大容量の爆発物を搭載できるように砲塔が撤去された。
その結果として戦車にもたらされた低車高は、飛来してくるRPGを回避し、VBIEDが目標を達成する確率を向上させることにも好都合だ。
この車両の爆発はここで観ることができる(3:26)。











VBIEDに改修された別の戦車にはT-62 [347]があり、同車は以前にこの記事の前半で説明した大掛かりなスラット・アーマーが装着されていた。
この戦車の戦歴のある時点で、運用者はVBIEDとして使用することにしたようで、その後に砲塔が撤去された。
その後、この戦車はマンビジの近郊に配備された。
これは、下のISがリリースした画像で見ることができる。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「マンビジの町の南にある背教者クルド人の拠点に向かって進んでいるインギマージ小隊」(注:インギマージとは、準自爆戦闘ともいえる戦術で、通常は自爆ベルトと小火器を携行し通常の戦闘に従事するが、弾薬切れや負傷、敵に包囲されどうにもならなくなった際に自爆する最期の手段。自爆が前提ではないことが特徴)。

臨機目標を待っている状態と思われるが、このT-62 [347]は空爆で木っ端みじんに破壊される直前の姿を、有志連合軍機のターゲッティング・ポッドを介して見ることができる。
この空爆がもたらした爆発は非常に強力で、戦車を完全に破壊するだけでなく、戦車自体がそこにあったという証拠すら消し去った。
ちなみに、[347]の砲塔は後で同じくVBIEDに改修されたと思われるT-55 [324]の砲塔と
アブー・ウバイダ・ブン・アル=ジャッラーフ師団に所属する捕獲されたM1114とともに、北アレッポのIS野戦工廠で発見された。











一方で、サイカル空軍基地を包囲しているIS戦闘員は世界初のT-72ベースのVBIEDを使用しようと試みたが、その搭載爆薬を起爆させることに失敗し、空軍基地周辺の地域を守備するシリア軍によって捕獲された。
航空機が離陸する姿を見ることができるほど戦闘員は空軍基地の滑走路に近い位置に陣取っていたにもかかわらず、ISはこの空軍基地への本格的な攻撃を開始するのに十分な勢いを得ることができなかった。
このとあるT-72にはサイドスカートが装着されていたが、これは後に「工廠」によって改修されたほぼすべてのT-72でスタンダードな装備となった。






興味深いことに、デリゾールでBTR-50が1台だけVBIEDとして使用されたことがある。
かつての大規模なBTR-50部隊の一部は今日まで未だに保管されて生き残っているかもしれないが、 この車両の存在はシリア内戦でほぼ完全に欠けたままだ。
2014年にISによって占領された多くのシリア軍基地のうちの1つで発見された可能性が高く、その後にオーバーホールとVBIEDへの改修のために「工廠」へ送られた。

















BMP-1のVBIEDへの改修は、改修される際に車両から撤去された砲塔の安定した供給をもたらした。
これらの砲塔は以前の改修では共食い整備に使用されているようにみえたが、その後にいくつかは有名なトヨタ・ランドクルーザーのような特定の種類の民間車両に砲座として採用された。
砲塔と乗員区画はモジュール式で、異なるタイプの車両に取り付けることができる。

その結果、シリア内戦からより巧みなデザインが出てきていることは間違いないなく、リビア内戦で運用されていた同様の車両とは際立って対照的だ。
その1台は下で見ることができる。
テキスト・バーの内容な次のとおり: 「ハイル市中央でヌサイリー軍の拠点を砲撃している」と「ハイル市郊外でヌサイリー軍のメンバーを重火器で攻撃している」。












こういった武装テクニカルは「工廠」によって製造されていることが知られており、少なくとも3台は主にデリゾール周辺での使用が目撃された。
しかし、1台はハラブ州のトルコ軍に対する作戦で目撃されており、奇妙なことに車両の2A28 73mm砲が砲兵の用途で(注:間接射撃の砲として)使用された(20:59)。
これらの車両はその大きさのためにかなりの量の弾薬を搭載することが可能で、更にマリュートカ対戦車ミサイル(9M14)で武装することさえできた。

デリゾール郊外のアイヤッシュ兵器庫を捕獲した後、98発以上の同ミサイルがIS軍に捕獲されており、そこではシリア内戦で最大量の武器をISに提供した。
テキスト・バーの内容な次のとおり: 「Haramishの丘の頂上にあるヌサイリー軍の兵舎にマリュートカ・ミサイルを発射している」と「ハイル市の西側にあるヌサイリー軍の拠点を重火器で攻撃している」。









これらの車両をシリアに配備することに加えて、これらのモジュラー式砲塔の少なくとも1つ[231]はイラクのISに行き着き、その後ニーナワー州でフォードF-350に搭載された。
同車は後でこの州でイラクのISによる戦車の稀な使用も見られたいくつかの攻撃に参加したことが目撃された。
これには、シリア側から供給された北朝鮮LRFを装備した装甲強化型T-55の使用が含まれていた。
これらの車両がイラクで運用できたという事実は、ISは何とかして領土内でほぼ無制限の自由な移動をすることができたということであり、空軍がそれを的確に妨害することを目指していたにもかかわらず自由な移動を維持できたことを証明している。












「工廠」の影響力はイラクにまで達したが、 この施設は2016年6月に初めて直接の脅威にさらされることになった。
それはまだ「発見」されていなかった施設の最初の深刻な敗北だった。
ラッカとタブカのIS中心部の西側面(にいる部隊)は「工廠」の防衛も担当していたが、同所はその地域の平坦な地形のために簡単に防御されていただけで、その拠点は空爆と地上攻撃の両方に脆弱な状態だった。

シリア軍はタブカに近い砂漠の道に沿って成功裏に前進して最終的には「工廠」の占領に至ったが、ISは少なくとも前進をいくらか止めて逆転できるかもしれない援軍の到着を可能にするために、その進撃を遅らせるべくいくつかの試みを実行した。
3台のBMP-1 VBIED[202]、[212]及び[222]もこれらの試みの1つに参加する運命にあった。





3台全てが政府軍の前進を一時的に遅らせることに成功しただろうが、これは単に最初にVBIEDの脅威を無力化せざるを得なかったという事実によるものだ。
平坦な地形な上、(シリア軍による)多数の戦車と正面攻撃を用いた戦術は、ISに敵の近くでVBIEDを起爆させる任務をほぼ不可能にさせ、3台全てが無傷で捕獲された。
BMP-1 [202]は上の画像に写っている金属製の装甲板で証明されているように、深刻な打撃を受けたようだ。












続くISの反撃は1年以上もシリア軍のこの地域で前進するためのさらなる取り組みを断念させたが、その一方でISはクワイリス空軍基地の周辺を前進するシリア軍と激戦を繰り広げた。
徐々にアレッポ市周辺の領域を失い、クワイリスを占領する主導権を失ったISはすぐにハラブ州各地を防衛する必要性に気付いた。














同地域でのトルコが支援しているFSAとSDFの大規模な進撃は、ISのAFVの定期的な出現をもたらした。
AFVやATGMに関してはほとんど運用されておらず、SDFは主にIS車両の破壊と拠点防衛のために短射程の対戦車兵器と有志連合の空軍力に依存していた。

バーブに進行しているFSAは空軍に加えてトルコのレオパルト2M60Tサブラを当てにすることができたが、そのいくつかはISによって捕獲されたり、破壊された。
その代わりに、トルコ陸軍の戦車がバーブ周辺で少なくとも2台のISの戦車を破壊した要因だと考えられている。
異なる勢力によって何千もの戦車が配備されたにもかかわらず、シリア内戦での戦車戦は極めて稀にしか発生しなかった。

















ISのプロパガンダ・ビデオ「戦場の獅子4」で見られるように、ISのAFVに対する全く異なる種類の改修が2016年後半にバラカ州(ハサカ)で運用されているT-55に行われた。
この改修では、車体側面と砲塔の追加装甲板を使用してスラット・アーマーのように命中弾を阻止する可能性を向上させている。
砲塔の場合、装甲板は広範囲に間隔を空けられ、そこへ更なる防御のために砂利や砂の土嚢が詰められた。
この改修はスラット・アーマーの装着よりもわずかに勝る防御力を付与するが、欠点は重量を増加させて機動性の多少の低下をもたらす点だ。
このT-55に関しては本来はサイドスカートが無いため、この改修にはその欠点を非常にうまく設計されたやり方で対処したという付加価値があった。
よって、その改修の専門性は単なるDIYを遥かに超えているようだ。












これと全く同じ戦車は後でハイル州で運用されている姿が見られたが、現在はデリゾールの地形とうまく溶け込むように迷彩塗装が施された。
この戦車の正面にある四角のマークに書かれた文字は次のとおり:ズバイル・イブン・アウワーム師団 - 工廠の装軌式(車両)。
この戦車は、そこに残存しているYPGとシリア軍を排除するというISの希望が終わった一連の敗北の後で、ハサカ県からデリゾールに配置転換された可能性がある。














この新しい改修プログラムの最初の製品は、シリア軍の進撃を食い止め、あるいは押し戻すために送り出された「特別任務小隊」の一部として、2016年6月21日にタブカ近くでの反撃に参加したことが既に目撃された。
この巧妙デザインは、その砲塔の周りに砂利や砂の土嚢で満杯にした装甲板のベルトと、既に存在しているサイドスカートの上にボルト止めされた装甲板のセットを組み込んだものだ。
この戦車の乗員は装甲防御力を少し向上させることを望み、後で砲塔と車体正面上部に土嚢を追加した。

ほとんどのISの戦車はシリアのIS領内の各地へ配備されて終わったが、この戦車は砂丘に調和した塗装を施され、もっぱらシリアの砂漠地帯におけるシリア軍に対して使用されている姿を見ることができた。
タブカに配備された後、全く同じ戦車が後にホムス州に現れ、ISのプロパガンダ・ビデオ「完全なる勝利」で運用されている姿を見ることができた。
下に表示された戦車の僅かに異なる派生型は後にダマスカス州で見られ、改修が複数の戦車に施されたことを示している。







この戦車は2016年10月にデリゾールのすぐ手前で最後に目撃されており、「神からの支援と差し迫った勝利(5)」で装甲が強化された他の2台のT-72と共に取り上げられた。
この映像には、このとある戦車が大型トラックによって(前線に)到着したシーンが含まれており、戦車がハイル州に攻勢に参加するために展開したことが確認された。
その後、これらの戦車は別の戦域に再配備された可能性が高い。
それ以来、この戦車は目撃されていないので、有志連合軍やロシア空軍の犠牲になっている可能性が高い。










この装甲の配置は滑らかな外観と遥かに慎重に熟慮されたレイアウトであり、大いに細心の注意を払って改修された戦車の基本的なテンプレートとして役立つ。
最も改修された戦車はT-72だが、この種の改修はそれぞれ異なっている上に一度だけしか施されていないため、それぞれのデザインが特有のものになっている。
それぞれのバージョンでは以前のものより独自の改良が加えられているが、それは今までに例のない時間とリソースを個々の車両に費やしてているだけでなく、ISの残存している戦車戦力の向上を目的としてますます洗練された方法も示唆している。








最も重要な例は綺麗に改修されたT-72AVであり、改修された戦車の最初のものは精巧な迷彩パターンを施され、全体として改修に費やされた配慮をはっきりと反映している(牽引フックの逆配置はミスだろうが、作者は喜んで許したい)。
これは工具箱に開けられた(装甲強化のために追加の資材で充填することを可能にする)穴や細部に沿って慎重に修理されたフェンダーの泥除けによって断言でき、プロジェクトに従事しているISのエンジニアによって実行された正確なアプローチを立証している。
これは改修の主な特徴:砲塔に密着してベルト状に配置された、砂利や砂で満たされた追加装甲でも明らかだ 。

新たに追加装甲上に装備されたERAの角度と車体ではなく砲塔上部にERAが存在することは奇妙に見えるかもしれないが、空に向かってERAを追加することで乗員が無効化することを望んでいた有志連合軍機の脅威の増加と関係している可能性が高い。
プロ級の仕上がりのため、この戦車は旧ソ連諸国によってアップグレードされたように見えるにもかかわらず、よく見ると機能の一部が失われていることがわかる。
塞がれた光学機器及び欠けているIRサーチライトは別として、これの顕著な例は発煙弾発射機だ。
新しく装備されたベルト状装甲の位置のために、発射時に戦車自体に衝突してしまうのだ。
それでもISの戦闘員がこのような機能を頻繁に使用する可能性は低いので、それらを諦める決定は賢明だ。





この同じ戦車は、実際にはたった一度だけ作戦中に目撃された。
同車はウンム・アル・カラの町の近くでのISの攻勢の間に、別の改修されたT-72と一緒に町への攻撃に参加した。
ちなみに、この戦車は攻勢の間にISと防衛しているSDFの両側から撮影された。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ウンム・アル・カラの村でPKK背教者集団の拠点に向かって進むカリフ兵の戦車」。











ベルト状追加装甲に完全にデザインを改めて配置されたコンタークト1ERAブロックを特徴とするこのT-72AV改修型は、2016年12月にタドムル近郊で作戦に従事する姿が見られた。
適切に採用された戦車の迷彩パターン、ERAブロックの珍しい配列と上手く設計されたサイドスカートは、決して5年近くも内戦に巻き込まれたテロ集団の創作物ではなく、より現代的なT-72やT-90の派生型に関係するものだと人に信じさせてしまうおそれがある。
先のT-72改修型にはこの改修型のように正面装甲板上にERAが無いが、これは改修時に利用可能なERAの量と直接的に関連している可能性が高い。













間違いなくISから出た中で最も素晴らしい外見の「製品」は、宣伝資料で頻繁に目撃されていた。
皮肉なことに、それにもかかわらず、主にこれまでに見せられてきた低すぎる映像の質のために誰からも「発見」されていなかった。
しかし、その問題は下の素晴らしく鮮明な画像によって完全に解決された。
この戦車は、これまでのところ、他の1台の戦車でしか目撃されていない魅力的な「スプリンター迷彩」(この戦車での有効性は疑わしいが)のために際立っており、同様に追加装甲とERAブロックの構成が極めて上手く調整されている。

明らかに高いレベルの細部にわたる注意は、光学装置用に作られた切り欠き部と2基の発煙弾発射機を維持して主砲ダストカバーの隣に移し、前述の理由で履帯上にある工具箱に開けられた穴に表れている。
また、改修された他の戦車のように、補強されたサイドスカートと砲塔の周囲に砂利で満たされたベルト状の追加装甲を装備している。
前の2つの改修型に装備されたERAの豊富な列とは対照的に、この戦車のERAの配置はそれらとは異なっており、正面装甲板、砲塔の天井部とベルト状追加装甲の上部のみに特別の注意を払われている。
今まで遭遇してきたDIY車両のほとんどがぼろぼろで醜かったため、手が込んだ迷彩、詳細に及ぶ改修と素晴らしい装甲の改良を施されたこの戦車の存在は本当に予期しないものだった。










この戦車はウンム・アル・カラ近郊でで既に先に紹介したT-72改修型の1つと同じ一団の中で見られており、これは作戦で戦車が3回目撃されたうちの最初のものだった。
同車はタドムルへの攻勢の間にISの車両の一団を率いた姿が再び見られており、攻勢に参加した「特別任務小隊」の1つに属していると思われる。
この近頃では珍しいシリアでのISの力の誇示は、やがて2016年12月11日に都市の占領をもたらした。
しかし、T4空軍基地への更なる前進に失敗しただけでなく、同地域を守備する兵員の不足したためにシリア軍が2017年3月2日にこの地域を奪回した。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ジャズル地区にあるヌサイリー軍のチェックポイントへ攻撃に向かう途中のカリフ兵達」。
この戦車が最後に目撃された機会はハマ県のサラミーヤ近郊でのことであり、同車は塗装が剥げ落ちたりサイドスカートの一部が外れるなど頻繁な戦闘で酷使された状態だった。














これらの素晴らしいデザインの姿に加えて「工廠」ではいくつかの追加の亜種を製造したており、それぞれが砲塔周囲でのERAのレイアウトが異なっている。
おそらく防御力に関してはほぼ同じだろうがこれらの戦車はあまり素晴らしい見た目ではなく、上で紹介した滑らかなデザインの車両と(装甲配置について)同じ配慮を受けているようには見えない。
興味深いことに、下の車両には車体正面の下部に追加装甲が付与されているため、そこに被弾した際の生存率がわずかに向上している。













同様に改修された2台の戦車は、後日、ホムス県のアラック近郊でロシア空軍によって破壊された後に姿を見せた。
シリア各地に残存する領土を急速に失ったISは、包囲されたデリゾール市へ進撃する政府軍勢力を阻止しようとする絶望的な試みで大量の兵士とAFVを投入した。
適当な対空装備は全く無かったので、後に多くの戦車がその地域で作戦中のロシアの攻撃ヘリコプターの犠牲になった。

両方のT-72は共に悲惨な残骸になったにもかかわらず、砲塔の周囲に包まれたベルト状装甲の中身について興味深い姿を見せてくれた。  
これは、装甲間の充填財として砂利や砂が使用されたという最初の推測を証明した。
最初のT-72を破壊した被弾は、ERAが豊富なベルト状装甲を砲塔から少し剥ぎ取ったように見えるので、装甲の砲塔への結合力が不十分であることを示した。










「工廠」が機能している限り、主にT-55やT-62といった戦車の改修はあまり高度ではない装甲パッケージの装着という形で継続された。
興味深いことに、ERAは前述のT-72への装備に専ら使用されたように思われ、これらの戦車のどれもがERAを装備されていなかった。
これらの改修の質は車両が「工廠」での滞在中にたまたま空いていた時間と資源の量に応じている可能性があるので、車両ごとに異なっている。








これらの戦車の1台は、シリアの砂漠にて主砲の壊滅的な損傷を受けて砲身の大部分が引き裂かれており、将来に再使用をしようにも全く使い物にならなくなった。
当然ながら、この戦車はその後に放棄された。
この損傷の原因は不明だが、シリア内戦で未だに運用されている多くの戦車はかなり酷使されているので砲身を交換する必要があることは間違いなく、その状態が新しい砲身の装備が必須となる前に、限られた数だけ発射するようにしているようだ(注:少ない砲身寿命を更に引き伸ばすため、発射回数を制限している)。















サイドスカートの珍しいレイアウトがされている別の派生型もあり、それは車体側面にボルト止めされた個々の装甲パネルから構成されているように見える。
これらの装甲パネルは被弾後に外して交換することが容易にできるが、何よりもこの構造は、以前に見られた他のサイドスカートの派生型よりも頑丈に見える。
この戦車の砲塔の追加装甲はそれほど革新的ではない。
これは単に金属製のスラット・アーマーのフレームと防護力の僅かな改善のために入れられた土嚢で構成されている。














残念なことに、これらの改修された戦車群の最終的な運命は殆どが不明のままだが、そのうちの1台の永眠の地は明確に見ることができた。
この車両は当初、クワイリス空軍基地周辺の政府軍の進撃を阻止しようとしてハラブ州に配備された後、下の画像で見られるように損傷を受けた。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「アカーリブ・アル・サフィとマフカルのの村の間にあるヌサイリー軍の拠点への攻撃シーン...T-55戦車を捕獲した」(注:T-55は戦果の話なので、画像のT-72を意味しているのではない)。
そのT-55は明らかに後でバーブへ再配備され、同所の周辺にいるトルコ軍によって破壊されただろう。















意味のある数の中で製造された最後から2番目の改修は、砲塔の周囲に巻かれたベルト状装甲の初期段階のコンセプトで継続されたが、今回はやや嵩張っており、いくらか頑丈な外観のように見える(注:意味のある数...戦闘に影響を及ぼす数のこと。例えば1台の戦車は内戦に影響を与える可能性が低いが10台だと可能性が増大する)。
このタイプの改修は2017年に開始された。
しかし、この改修型は「工廠」がシリア軍によって蹂躙される前に3台の戦車でしか見られなかったので、戦場の周りを動き回るより多くの改修車両を目にする見込みは無くなった。

T-62MやT-55AMのようないくつかの種類の改修されたソ連戦車の砲塔前面にあるBDD「ブローヴィ」増加装甲との重要な類似点があるが、これは実際にはBDDのように砲塔と増加装甲との間に空間が設けられていない(中空ではない)頑丈な構造になっている。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「シャリーファの村にいるヌサイリー軍とその同盟者ラフィーダ(シーア派の蔑称)の民兵を戦車砲で攻撃している」。










この改修された車両は限られていたにもかかわらず、2台のT-72「ウラル」ですぐに見ることができる。
以前の改修のように、これらの戦車は増加装甲によって光学機器が遮られたため、状況認識の低下に悩まされた。
ベルト状装甲にERAが存在することは、既に戦車の中で最も防護された部分に装備されているという意味で注目に値する。
この戦車にはサイドスカートが無いので、最初にこの問題に対処した方がおそらく理にかなっていただろう。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ムジャーヒディーンの戦車は、ヌサイリー軍とその同盟者ラフィーダ民兵の拠点を砲撃するために移動している」。














別のT-72「ウラル」には、ERAがより従来型の配列で装着された(注:先の車両はERAが欠落したり整然とした配置ではなかったため)。
また、この戦車は車体正面の装甲上部に土嚢を保持する金属製のフレームもはっきりと見せている。
この方法は、車体正面の装甲を補強する(ごく僅かだが)簡単な解決方法だ。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「戦車がマスラマの村の東にあるジュワイム交差点にあるヌサイリー軍の拠点を砲撃するために移動している」と表示されています。


















「工廠」によって改修された最後の戦車は、一般的なレイアウトで以前の装甲の改修を反映した設計の寄せ集めを象徴しており、質と有効性はおそらく低いと思われる。
下の例では、砲塔周囲の装甲は単純な溶接された金属板で構成されているように見えるが、また砂やコンクリートで充填されている。
ERAは、利用可能な場合は常に砲塔上部と車体正面装甲の上部に追加されたが、度々省略されることもあった。
その上、サイドスカートが以前に改修された戦車に見られたものと同じ補強方法であることが明白だ。
下の2枚目の画像の場合は、側面への被弾でエンジンが破壊された後にシリア軍によって捕獲されたので、(サイドスカートが)明らかに戦車を防護しなかったことがわかる。
下のT-72では、砲塔に表示されているマークに「ウスマーン・イブン・アッファーン師団-兵員局-バラカ州」と表記されている。
「工廠」が最後にデザインした車両が出現する前に、この手法で3台か4台の戦車が改造されて登場したと考えられている。









別の車両は、「工廠」によって施された初期の改修で以前に見られた車体側面を防御するスラット・アーマーに加えて、砲塔には先と似た追加装甲が装着された。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ホムスの東地方にあるヌサイリー軍の拠点を戦車砲で攻撃している」。
後にこの戦車は東ハマでシリア軍によって撃破され、見慣れたスラット・アーマーの配置をもっとよく見ることを可能にした。












これらの最後に改修された戦車は前述した装甲の改修の概略を保持していたが、仕上がりは遥かに不完全であり、砲塔の周囲に施された雑な形状の装甲板と強化されたサイドスカートがしばしば完全に省略されることが多いのが特徴だ。
砲塔の追加装甲が今では上が完全に開いたので、その中身と厚さを容易に認識できる:
下の画像の、北朝鮮のLRFで改修されたT-55が証明しているように、砂や砂利だ(DShKの弾薬が適度に使用されずに弾薬箱に投げ出されていることにも注目)。














「工廠」によって行われたこれらの最終的な改修は、さまざまな種類のものが約6台の戦車に行われたことが見られており、そのうちのいくつかは、ISが可能な限り紛争を長引かせるための戦略的拠点として占領することをまだ望んでいる市街地があるハイル州に配備された。
今ではその一流の改修工場が奪われたので、ISがシリアで敗北する前に我々がさらなるデザインの進化を見ることはありそうにない。
























現行ではISの終焉が急速に迫ってきているので、かつての素晴らしい改修車両の残骸は戦場のガラクタとしてどんどん増えている。
一例として、SDFはタブカ近郊で既に有志連合軍機の攻撃を受けていた、ISの武器で溢れた倉庫に遭遇した。
そこは「特別任務小隊」の基地として使用された可能性があり、武器には3台のT-62、2台のT-55及び1台のタレットが撤去されたBMPが含まれていた。
その一部は「工廠」でオーバーホールを受けたサインを示している。

更なる敵による攻略には2017年9月にUqayribat近くでISのAFVで満杯になった別の倉庫が含まれており、修理やVBIEDへの変換を待っている、修理かVBIED化を待つひどく損傷したいくつかの戦車とデリゾールのアイヤッシュにあった建造物に類似したものが明らかにさらた。
興味深いことに、後者には「工廠」によってオーバーホールされた9P122自走ATGMが含まれており、BRDM-2に属すると知られている唯一のシリアル「100」を付与されていた。





















「工廠」の映像自体はかつて大規模な操業をしていた面影を映し出している。
それも今や無数の爆破された残骸と来ることのなかった修理を無駄に待ち続けていた車両の部品達によって証明されるだけとなっている。
それにもかかわらず、「工廠」の素晴らしい規模は否定できない。
単なるDIYをはるかに超えており、専門的な組織化と管理された改修プログラムを上手く試みており、シリア内戦で他のほとんどの反政府勢力ができるものよりもはるかに進んでいた。



































戦車自体は、(改修された)AFVが実際に効果的に使用できるような場所ではほとんど使用されず、敵の航空兵力によって消された多くの非常に手の込んだ車両もあったが、「工廠」の内戦への影響を過小評価することはできない。
ISのために働くエンジニアの独創性と知略を実証した沢山の装甲強化型戦車を別として、
同じく彼らが製造を担当したVBIEDの大群は、戦闘が永遠に行われる方法を変えたかもしれない。

5年間近く続く消耗戦と絶え間ない空爆は最終的にこの脅威を制圧する方法だが、ISをもう一度、オープンな従来型の戦闘を遂行できる脅威の状態から隠れたテロリスト・グループに変えた。
ISが引き起こした破壊と災難を別とすれば、しばらくの間は破壊された戦車のみがISが存在していたことを思い起こさせるだろう。
また、戦車の残骸はISが(非人道的な犯罪行為のために)人口にダメージを与えたように、中東の景観に損害をもたらすだろう(残骸が景観を損ねるということ)。













特別協力: Abu Nuggie, Within SyriaMorant Mathieu.

 ※ この翻訳元の記事は、2017年8月31日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま  
  す。   
   正確な表現などについては、元記をご一読願います。  

おすすめの記事

イスラミック・ステートの機甲戦力:ハイル州のDIYワークス(英語)