ラベル イスラム国 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル イスラム国 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年4月10日金曜日

【復刻記事】シリア戦線:要塞と化すクワイリス空軍基地


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2015年5月10日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とベリングキャットで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 ラスム・アル・アッバードとしても知られるクワイリス空軍基地は、2015年5月上旬以降、この基地の占領を目論むイスラム国(ISIL)戦闘員による激しい攻撃を受けていると報じられています。ISILが敷いたSNSの検閲は戦闘員に攻撃に関する画像や情報の投稿を控えさせているため、現在のクワイリスで実際に何が起きているのかを把握することは困難です。この検閲は、タブカ空軍基地への襲撃で得られた痛ましい教訓の結果と言えるでしょう。と言うのも、この襲撃で防衛側(シリア軍)はISIL戦闘員がオンラインに投稿した情報から敵の位置を特定できたからです。そのため現在では、彼らが実施するあらゆる大規模攻勢においてこの検閲が徹底になされています。

 クワイリス基地は、シリア空軍(SyAAF)と陸軍(SyAA)が掌握している17の(稼働中の)空軍基地の一つです。ただし、クワイリスは空軍基地としての価値が低く、2012年12月から包囲されている状態が続いています。それにもかかわらず、同基地は現時点でも運用状態を維持してるようです。当初は自由シリア軍に完全に包囲されていたものの、約1年前にシリア東部で急速に勢力を拡大したISIL戦闘員が包囲網を奪取したのでした。ISIL戦闘員は基地を何度も襲撃しましたが、これらの攻撃は基地の占領よりも空軍基地の防衛体制を探ることに重点が置かれていた可能性が高いと考えられます。それにもかかわらず、シリア空軍は基地防衛のため多数の出撃を続け、士気高揚のため少なくとも1発の「ファテフ110 "ティシュリーン"」地対地ミサイルが基地内の敵部隊に向けて発射されました。[1]※現在は閲覧不可

 クワイリス基地は完全に稼働状態にあるにもかかわらず、その軍事的価値は現時点における空軍基地の中で最も低いものです。この点と同基地が事実上の不落の要塞であるという事実はISIL側も理解していたようで、この基地を完全に包囲しながらも本格的な占領を試みたことは一度もありません。散発的な砲撃、迫撃砲やロケット弾が頻繁に基地に撃ち込まれるのの、これによる重大な損害は確認されていません。驚くべきことに、ISIL戦闘員は(基地とその周辺への砲撃に使用されている)イラクで鹵獲したアメリカ製 「M198」155mm榴弾砲の標的を探すために無人機(UAV)を活用しています。[2]※現在は閲覧不可

 ISILがクワイリス基地に用いた戦術は、これまで自由シリア軍とほぼ同様のものでした。そもそも、彼らには基地を強襲する戦力が不足していたのです。シリア・アラブ通信社(SANA)のテレビクルーが最後に同基地を訪れたのが2014年2月であり、その映像と写真はこちらで閲覧可能です。現在の攻勢を記録するためにテレビクルーが派遣されることはありませんでした。以前にSANAがタブカ空軍基地で同様の取材を行った際、同基地が「イスラム国の戦闘員を撃退した」と誇らしげに報じられた僅か1日後に陥落してしまったたためでしょう。

 なぜISILが今まさにクワイリス基地への攻撃を開始したのかと言えば、かつて誇っていた抑止力を維持するため、彼らが躍起になって大規模な宣伝戦を展開しようとしているという事実で説明できます。つまり、この基地の占領がまさにそれに該当するわけです。

 ところで、シリアのISILの攻勢は時点で期待した目標を達成できていません。これまでに、彼らはクワイリスよりもさらに厳重に防御されたデリゾールとT4空軍基地の占領に失敗しています。2014年の夏、第17師団、第121連隊、第93旅団、タブカ空軍基地、そしてシャエル地区のガス田が、当時無敵と思われたISIL戦闘員たちの手に落ちました。ただし、ガス田を除けば、これらはすでに長期間包囲されており、内部に閉じ込められた兵士たちは差し迫った最終攻撃を待っているにすぎなかったという事情があります。デリゾールとT4基地はこれらと完全に別の話であり、仮に制圧が可能だとしても、そのために必要となる甚大な兵力は彼らにとって代償が大きな勝利にしかならないでしょう。


 クワイリス空軍基地は1960年代初頭にポーランド人によって建設され、シリア空軍の主要な訓練基地として運用されてきました。同基地の入口に掲げられた標識は上記の写真で見ることができます。

 現在も公式にはシリア空軍アカデミーの拠点であり、同校は「MBB-SIAT 223K1 "フラミンゴ"」とPAC「MFI-17 "ムシュシャク"」を使用する初級操縦学校と、「L-39ZO/ZA」を使用する上級飛行訓練学校で構成されています。シリア空軍パイロットの大半がここで飛行訓練を修了しているため、この基地が極めて象徴的な価値を有していることは言うまでもないでしょう。

 ところが、内戦勃発後に初級操縦課程はすぐに活動を縮小し、訓練機は現在も基地内のさまざまな場所に保管されたままとなっています。このため、シリア空軍は国内で新たなパイロットを養成できず、すでに疲弊し、頻繁に憂鬱な状態に追い込まれているパイロットたちの負担をさらに増大させているのです。彼らの大半はロケット弾や樽爆弾の攻撃目標のほとんどが民間人であることを十分に認識しています。

 もう一つの訓練拠点:ヘリコプター操縦学校があったミナク基地については、2013年8月5日にはすでに制圧されていました。上級飛行訓練は、シリアの別の場所にある「L-39」とヘリコプターを用いた限定的なものが継続されているようです。

 クワイリス空軍基地の「L-39」は、2012年7月末に実施された反乱の鎮圧に初めて積極的に関与した航空機として不名誉な記録を残しました。当時、上級飛行訓練学校が「L-39ZO/ZA」をアレッポとその郊外への爆撃任務に投入したのです。これらの作戦では主に病院や学校などの民間施設が攻撃対象となり、当然ながら数多くの民間人犠牲者を出しました。しかし、アレッポ上空への「L-39」の出撃回数は次第に減少し、2013年5月には完全に停止されました。


 「L-39」の出撃が徐々に減少するにつれ、その機体数も次第に減っていき、2013年2月12日に(現在はシリア初の反政府空軍の拠点として知られる)クシェシュが占領された際、「L-39」群は壊滅的な打撃を受けました。その後、生き残った「L-39」は、ハマ、タブカ、アレッポ国際空港(ナイラブ)に分散配備され、後者で一部はオーバーホールを経て 「B-8」80mmロケット弾ポッドを搭載できるように改修されたのです。クワイリス基地に配備されていた「L-39」飛行隊の規模は当初約40機で機体数はほぼ維持されたものの、長年わたるスペアパーツの不足と自由シリア軍やISILによる迫撃砲の攻撃により深刻な被害を被り、2013年時点で運用可能な機体は僅か十数機となっていました。

 しかし、2013年5月26日に撮影された衛星画像でクワイリスを精査すると、少なくとも89機の航空機と12機のヘリコプターが確認できます。仮にこの基地が占領されたとしても、航空機とヘリコプターが果てしなく続くように並ぶ光景は、ISILが渇望するプロパガンダ用写真を提供し続けるに違いありません。こうした膨大な数の機体の状態は運用可能なものから残骸同然まで多岐にわたっていて、基地に存在する十数機のイギリス製「ミーティア」戦闘機は半世紀以上前にここに放棄されたものです。また、この基地に現存する2機の「MiG-23」戦闘機のうち、かつて訓練用として使用されていた1機が下の画像の機体です。

 それでも、クワイリスの「L-39」は基地の防衛を支援できるだけの数が稼働状態を維持していました。報じられるところによれば、基地周辺にあるISILの拠点を攻撃するため、1日に最大20回の出撃をしたこともあったとのことです。特に彼らの強固な陣地があるアイン・アル・Jamajimahは激しい空爆を受けました。2015年4月20日、こうした任務の一つで「L-39」1機の墜落が確認されています。[3]


 クワイリスの防衛については、シリア陸軍、国民防衛隊(NDF)、シリア空軍の兵士、パイロット、整備兵等から構成される規模不明の部隊が担っており、その大部分は革命勃発時からこの基地に駐留しています。2014年夏、つまりISILの進撃で自由シリア軍が基地周辺の陣地を放棄せざるを得なくなった後、守備隊が増強されたと見られています。

 クワイリス近郊に配備されていた「S-125」地対空ミサイル部隊は、2012年から2013年かけての時期に自由シリア軍による制圧を回避するため、全装備と要員をクワイリス基地へ撤退させました。同部隊は後に同基地で再展開し、2013年時点では稼働状態を維持していましたが、現在も稼働している可能性は低いと思われます。そもそも空からの脅威が存在しない以上、このSAMを運用する要員は地上からの攻撃に対する防衛面で有効活用される可能性が高いでしょう。


 クワイリスはISILの手で完全に包囲されているため、シリア空軍のヘリコプター部隊が空軍基地と(アサド政権が掌握する)シリアを結ぶ唯一の生命線となっています。彼らは食料から武器弾薬に至るまであらゆる物資を絶え間なくこの基地に供給しているのです。この任務を支援するため、クワイリスには1個の「Mi-8」飛行隊が常駐配備されています。



 基地の防衛でクワイリス守備隊はほぼ軽火器だけに依存せざるをえない状況となっています。空軍の現状と、基地を包囲するISIL戦闘員にとって大型輸送機が格好の標的となることから、重火器の空輸は不可能だからです。守備隊が使える武器はヘリコプターで空輸されてきました。こうした武器には、「SVD "ドラグノフ"」狙撃銃やイラン製「AM.50」12.7mm 対物狙撃銃、(重)機関銃、RPG-7、対戦車ミサイル、そして守備隊の夜間戦闘能力を向上させるためのロシア製AKM用暗視装置が多数含まれていました。

 基地に配備された26門の対空砲(このうち2門は近隣の「S-125」陣地から回収したもの)が重火力を形成しているものの、基地には戦車や火砲は配備されていません。このために守備隊は創意工夫を余儀なくされ、4つの対空陣地から調達した 「ZPU-4」14.5mm機関砲や 「ZU-23」23mm機関砲、「 AZP S-60」57mm機関砲を、戦術的効果を最大化するため基地の全域に戦略的に配置しました。中には基地に設けられている11基の航空機用強化シェルター(HAS)の屋上に設置された例さえあったほどです。興味深いことに、ほとんどの「ZPU-4」は4門ある砲身のうち2門が取り外され、その後、重火器がカバーできる範囲を拡大するためにDIY式の架台に装備されました(編訳者注:これは「ZPU-4」をそのまま配置するより機関砲を2門ずつに分けて配置した方が有効と判断したものと思われる)。


 この基地を取り囲む平坦な地形は防衛側に極めて有利であり、この戦術的優位性によって、ISIL戦闘員は基地に到達するために遮蔽物の少ない広大な野原を駆け抜けざるを得なかったのでした。この優位性は特に北、東、南側で際立っていました。驚くべきことに、ISIL戦闘員がまさに北東の角を攻撃したのです。ISIL部隊は強化シェルター2基の占領に成功したものの、すぐに撃退されてしまいました。下に3枚ある「AZP S-60」陣地の画像は皆さんに平坦な地形の様子を明らかにしています。そして、広大な野原を突破しようとした場合、多大な犠牲を払うことになることもはっきりと示しているのではないでしょうか。




 基地の防御をさらに強化するため、守備隊は北側と東側に配置された11基の強化シェルターを最大限に活用しています。これらは文字通り要塞と化し、屋上に対空砲か重機関銃が備えられているのが一般的です。もちろん、大型爆弾の直撃にも耐えられる構造となっているため、仮にISILが砲撃でこれを破壊を試みたとしても無駄でしょう。強化シェルターとその周辺に設けられた塹壕は、割り当てられたルートの守備を任された兵士たちの隠れ場所となります。シェルター内に大量の弾薬が備蓄されているため、これを奪取しようとする試みは極めて困難な任務となるはずです。さらに、基地の至る所に築かれている巨大な砂の土塁が守備隊の動きを覆い隠しているため、各部隊への補給も容易にさせる効果をもたらしています。さらに、守備隊は「ZU-23」対空機関砲と重機関銃を装備した複数のテクニカルを運用しています。これらを装備した部隊は即応部隊として活用されており、必要に応じて基地内のいかなる地点にも展開可能です。

 忘れてはいけないのは、この空軍基地はすでに2年半前から完全に包囲されており、守備隊には防御体制を完璧に整える十分な時間があったということでしょう。主にISILによって実行された無数の小規模な攻撃は、守備隊が基地の防備を適切に維持する方法を学習する上での助けとなったに過ぎません。



 基地の西側に位置する軍用住宅エリアでも激しい戦闘が続いており、その様子は下の衛星画像でも確認できます。ISILによる激しい砲撃でこの団地の大部分が破壊され、残存する建物や塹壕では家から家へと激しい戦闘が繰り広げられているのです。下の画像の団地複合施設は基地西側を防御する上での要衝となっているため、守備隊は団地を維持するためにリソースを投入し続けねばならない状況に陥っています。そうしなければ、基地全体が危険に晒されるリスクを負うことになってしまうからです。



 軍用住宅エリアが死守できない場合、第二(かつ最終)防衛線でISIL戦闘員を食い止めて、空軍基地への流入を妨げなければなりません。(下の衛星画像に見える)この最終防衛線も、要塞化された建物、塹壕、対空機関砲、重機関銃で構成されています。


 クワイリスは完全に包囲されているものの、アレッポ東部に駐留するシリア軍とNDFは、理論上は空軍基地が制圧されるのを防ぐための攻勢をかけることが可能です。しかし、既に疲弊しきったアレッポの部隊がそのような攻勢を実行する可能性は極めて低いでしょう。なぜならば、クワイリスには貴重な人的資源と戦力を浪費するほどの戦略的価値が単純に存在しないからです。

 空軍基地があまりにも危機的な状態に陥った場合、守備隊はアレッポ方面への突破を試みる可能性が高いと思われます。その際には空軍の戦闘爆撃機やヘリコプターの支援を受けることでしょう。

ISILがクワイリス空軍基地守備隊に撒いたビラ

 クワイリス守備隊が本当に制圧されることを認識させるため、ISILは彼らに悔い改める機会を与え、大量処刑の運命から救われると説くビラを作成しました。

 ”アッラーは汝らが剣によって殺されねばならぬと定められた。我らは汝ら一人たりとも容赦せぬことを誓う。ゆえに悔い改め、この背教者の政権と決別せよ。我らがそちらへ赴く前に降伏するならば、汝らの悔い改めを受け入れようぞ。その時となれば暴君(アサド)は汝らを救えぬ。タブカ空軍基地の戦友たちが迎えた末路を心に刻むがよい。

 以下の電話番号を通じてイスラム国の者たちに連絡されよ:
 0937699604
 0935007806
 WhatsApp: 00905378489193”


 守備隊の兵士がISILへの投降を真剣に考えることはまず起こり得ません。クワイリス基地の士気は依然として高く、その大半がすでに4年以上も共に生活してきた兵士たちは、ISILに降伏するよりはむしろ死ぬことを選ぶでしょう。


 2015年5月7日、戦死した戦友たちをコラージュした画像がある守備隊員によって公開されました。これまでに戦死した11名の追悼を目的としたもので、クワイリス基地の司令官であるアル・ムハンナ将軍も含まれています。


 もちろん、シリア内戦は(執筆当時)4年に及ぶ戦闘の中で、どの勢力がどの戦闘で勝利するかという特定の予測がいかに誤りになり得るかを何度も示してきました。しかしながら、本記事で概説した基地の守備隊に有利な大規模な防衛体制やその他の要素を考慮すると、クワイリス空軍基地が近い将来にISILの手に落ちることはないと予想されます。



 結論から言えば、ISILによるクワイリス空軍基地へのあらゆる動きも、軍事戦略というよりシンボリックな勝利の必要性から生じています。仮にISILのクワイリス攻撃が一部の情報源が主張する通り大規模なもので戦闘員が基地の占領に成功した場合、それは彼らが求めているものをほぼ確実に実現させることになるでしょう。


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました


おすすめの記事

2025年5月16日金曜日

イスラム国の機甲戦力:モスルに出現した「戦闘トラム」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo


 この記事は、2020年1月15日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 2016年11月、モスルの北にあるバシジの町の木の下にトラムか装甲戦闘バスのような車両が置かれていました。以前の所有者によって放棄されたこの怪物は、かつてモスル北部のナヴァラン近郊で行われた今や悪名高いイスラム国(IS)の攻勢に登場したものです。その攻勢を撮影した動画は、参加した数人の戦闘員の滑稽な動きで急速にネット上で拡散されました。戦闘員アブ・ハジャールはインターネットのあらゆる場所でミームのネタとなりましたが、この攻勢でISが投入した装甲強化型トラックやその他の車両は、軍事的側面に注目する人々にとって特に興味深い存在でした。

 ISが手掛けたDIY式装甲戦闘車両(AFV)の多くは、車体に鉄板を貼り付けただけの非常に粗雑なものでした。ただし、彼らのニーズにより適合させるように車両を改造することを目的とした大規模な工廠が存在しており、そこからシリアやイラクの戦場で展開する戦闘に完璧に適したAFVが生み出されたのです。これらの兵器の改修を担当したAFV工廠はIS支配地域内にあり、最大のものはシリアのタブカイラクのモスル近郊にありました。

 モスル占領の直後、ISはイラク軍と警察がモスルからの撤退時に残した大量の車両と装備を運用するために複数の装甲部隊を創設しました。一部の車両は事実上全く手を加えられずにイラクとシリアの戦場に直ちに配備されたものの、他の車両は車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)として使用するために改造されたり、「襲撃大隊」向けとして、モスルの平原で使用するAFVに改造されたのです。

 インギマージ...生還を期することなく敵陣に突入することを任務とする突撃部隊...の作戦において、「襲撃大隊」は重くて遅い装軌式AFVではなく、より高速が出る装輪式車両を主に使用しました。実際のところ、イラクのISでは少数の戦車が積極的な戦闘行動(攻撃)で運用されていましたが、そのほとんどは「アル・ファルーク機甲旅団」と「防御大隊」の所属でした。したがって、即席かつ装甲が強化されたAFVを使用したのは、主に「襲撃大隊」です。


 「襲撃大隊」用に改造された車両の大半は基本的に装甲兵員輸送車(APC)であり、戦闘員が立って射撃するためのキャビンを備えているのが特徴です。モスル周辺におけるISの攻勢は実質的な自殺行為のため(詳細はこちらを参照)、「襲撃大隊」の攻勢については、その大部分が目的に到達する前に車両が撃破されて終わりを迎えました。

 しかし、改造できるトラックやその他の車両が豊富に残されていたため、「襲撃大隊」向け車両の「生産」は継続されました。これらは実質的に同じクラスの車両に僅かな違いが見られる程度であり、ある程度は規格化がなされていたことが見受けられます。今回取り上げる戦闘トラムは3台が確認されており、それぞれが「201」と「202」、そして(おそらく)「200」の番号が振られました。下の画像では、「202」(1枚目の右)と「200」(1枚目の左と2枚目)が見えます。ちなみに、後者は詳細不明な原因で失われています。



 戦闘トラムは重装甲が施されたキャビン前部が特徴であり、(少し想像力を働かせると)鳥のような顔や、バリエーションによっては「きかんしゃトーマス」のキャラクターを彷彿とさせます。これが「戦闘トラム」という名称の由来です。戦闘員を収容する区画には空間装甲が設けられており、8個あるホイールの外側には保護する鉄板のサイドスカートが装備されています。この戦闘トラムについては、(特徴を考えると)2014年にモスル周辺で鹵獲されたソ連製「BTR-80」APCの車体を改造したものであることはほぼ間違いないでしょう。

 事実上のトラックである車両を改造することは実に不思議な選択ではあるものの、このような大型APCを製造しようとした今までの取り組みでは、ダンプトラックをベースにした(見応えがあるが不格好な)車両が数多く作られました。こうした車両とは対照的に、戦闘トラムは比較的バランスの取れたデザインに見えます。



 戦闘トラムの武装は過去に登場した怪物のようなDIY車両から変わっておらず、重装甲のキューポラに軽機関銃や重機関銃が取り付けられるようになっています。興味深いことに、「202」は前面に4本のラムを装備しているように見えますが、そのうちの2本は車体構造を補強する機能を兼ねているのかもしれません。これらのラムはある程度の障害物を突破するのに効果的ですが、起伏のある地形を走行中にスタックしやすくなるリスクがあります。そして、突破した障害物の破片が兵員区画にいる戦闘員の頭上に落下するだろうことは言うまでもありません(編訳者注:無蓋式のオープントップのため)。

 ペシュメルガの陣地の前に立ちはだかる塹壕をよじ登るための梯子については、「200」と「201」には装備されていたにもかかわらず、「202」にはありませんでした。

 戦闘トラムのキャビンは、「襲撃大隊」が使用した他の車両とほぼ同様の構造です。高速移動を伴う作戦中にキャビン内の戦闘員を支えるため、小型車に見られるシートベルトの代わりに(キャビンの縁に)金属製の手すりが設置されました。 軽機関銃や重機関銃用のピントルマウントは装備されていないため、戦闘員は安定装置を欠いた状況で金属製の手すりの上から射撃することを余儀なくされました。このため、経験の浅い戦闘員が射撃した場合はほとんど命中弾を得られないことが明らかとなりました。

 「202」は「200」や「201」とはキャビンのレイアウトが若干異なっており、小さな出入口扉が後面に設けられています(注:「200」と「201」は側面に扉がある)。



 最初の戦闘トラムは、モスル北部のナヴァラン近郊で展開された、今では(悪)名高いISの攻勢に登場しました。この攻勢には、アブ・ハジャールとアブ・アブドゥッラー、そしてアブ・リドワーンたちの装甲強化型「M1114」以外にも、「襲撃大隊」の大幅に改造されたトラックやその他の車両も数台参加したことが知られています。前者には初代戦闘トラム「201」が含まれており、攻勢開始の直前と失敗した直後にその存在が確認されました。この姿は下の画像でも確認できます。



 この戦闘トラムは、ペシェルメルガ陣地前にある巨大な塹壕の埋め立てを担っていたブルドーザーが撃破されたことで、他の「襲撃大隊」の車両と一緒に事実上身動きが取れない状態となってしまいました。この直後、トラムは(アブ・ハジャ-ルの車両のように)命中弾を受けて放棄されました。

 車体側面に設けられた空間装甲の存在はここでもはっきりと確認できます。様子を見る限り、少なくとも1発の命中弾を阻止するのに効果を発揮したようです。


 上の画像: アブ・ハジャールの「M1114」から撮影されたナヴァラン近郊を走行中の戦闘トラム「201」:装甲キャビンに立って発射の機会をうかがうRPG砲手の姿が見えます。装甲を増強したことで重量が増加したにもかかわらず、このトラムは適度な速度で戦場を駆け抜けることにあまり問題はないようです。後方の装甲強化型「M1114」と比べると、車体の圧倒的な大きさは一目瞭然です。ただし、そのおかげでペシュメルガのATGMチームやRPG砲手にとっては格好の標的になりやすいというデメリットがあることは言うまでもありません。 

 実際、モスルの平原でこうした車両を使用した場合は、前述の理由で失敗に終わることは避けられないでしょう。戦闘トラムは平原より都市部での使用が適している可能性があります。


 数種類のAFVを自力で製造しようとするISの取り組みは、結果的にISの典型的な攻撃手法に適した(高度に発達した)車両を数多く生み出すことに至りました。ところが、ATGMの拡散とISの大規模な攻勢に有志連合軍の航空機やヘリコプターが登場したことで、これらのAFVがイラクの戦場で完全に場違いな存在となってしまったことは否めません。それでも、勝利という成功の可能性に賭ける彼らの信仰が挑戦に次ぐ挑戦に至らしめ、そのたびに同じ結果、つまり全滅という形で終焉を迎えたのです。

 設計と生産の分野におけるISの努力は確かに見事なものでしたが、そもそも最初から事実上絶望的な攻勢に投入する車両を大量生産することは彼らが他の地域で展開している作戦とは大違いであり、そう長くはできない贅沢と言えます。

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

おすすめの記事

2025年4月28日月曜日

【復刻記事】イスラム国+マッドマックス:リビアでバトル・モンスターが登場した


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2016年3月20日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 これまで存在した中で最も洗練されたテロ組織と化した「イスラム国(IS)」の隆盛は、戦闘員に(形だけの)装甲防御力と重火力を装備させるべく無数のDIYプロジェクトを行うまでに至っています。こうしたプロジェクトの大半はシリアとイラクの戦場に限られる運命にあったものの、リビアのIS部隊が、映画「マッドマックス」からそのまま飛び出してきたかのようなワンオフの逸品を完成させることに成功しました。

 2016年3月に初めて目撃されたこのバトル・モンスターはリビアの北東部のデルナで建設され、リビア国民軍(LNA)やムジャヒディーン・シューラ評議会と戦闘しました。(敗北する前の)デルナにおけるIS戦闘員たちはリビア国内にある他のIS支配地から完全に切り離されていたため、リビアに存在する巨大な武器庫や敵対勢力から鹵獲した少数の装備だけで対処を強いられたという事情があります。

 今回取り上げるバトル・モンスターは、6x6トラックをベースにしたものであり、多種多様な装甲板とスラット装甲を備えているほか、「BMP-1」の砲塔のみならず車体自体を組み込んだものです。ただし、「2A28 "グロム"」73mm低圧砲と同軸の「PKT」7.62mm機関銃は撤去され、その代わりに「M40」106mm無反動砲(RCL)1門を備えるオープントップ式の砲塔が本来の砲塔の上に搭載されています。言うまでもありませんが、「M40」を旋回させるためには砲塔内に操作要員がいなければなりません。高い位置にあるRCLはバルコニーや屋上からの敵の射撃にさらされやすいという弱点があるものの、それでも(その高さゆえの)優位性を有しています。


 バトル・モンスターの装甲は控えめに言っても特別です。「BMP-1」の車体側面の装甲防御力は前面下部にも追加されたスラット装甲によって強化されていることに加え、「BMP-1」の車体とスラット装甲の間は土嚢によってさらに強化されています。スラット装甲以外でモンスターを覆っているのは、車体にボルト留めされた厚さと強度の異なる鉄板です。最も特徴的と言えるのは、露出したホイールとタイヤを保護しているのが再利用された「BMP-1」の履帯でしょう。

 モンスターの武装は、砲塔の「M40」RCL1門と「BMP-1」の車体に備えられた8個(車体後部のドアにあるものを含めると9個)の銃眼から発射される小銃や軽機関銃で構成されています。主砲の「2A28 "グロム"」が撤去された理由は不明ですが、損傷したか、あるいは過去に目撃されたテクニカル搭載用として撤去された可能性があるのではないでしょうか(編訳者注:リビアで「グロム」だけを装備したテクニカルを転用した事例が確認されているのはISではなくイスラーム系民兵組織「リビアの夜明け」であるが、こベースとなったBMPがISに鹵獲されたり、あるいは同様のテクニカルをISが使用している可能性は否定できない)。


 上の画像が示すように、この車両の役割は装甲兵員輸送車(APC)や歩兵戦闘車(IFV)に似ているものの、「BMP-1」の車体が高い位置にあるため、乗降が相当困難になっています。小型の梯子があればこのプロセスは大幅に楽となるはずですが、モンスターには装備されていないようです。

 特筆すべき点としては、このバトル・モンスターのドライバーが、デルナの狭い通りで運転するのに四苦八苦したに違いないということが挙げられます。もちろん、外を覗く窓が非常に小さかったため、後退時も進行方向を確認できないまま動くこと余儀なくされたであろうことは言うまでもありません。下の画像で、ドライバーが外に向けて「AK-103」7.62mmで狙いを定めていますが、これは単にカメラ用のカットでしょう(つまりプロパガンダ用)。


 リビアは間違いなく突飛なDIYプロジェクト発祥の地です。終わりの見えない長期にわたる内戦で勝利を確実なものとするため、各勢力が敵対陣営より優位に立つことを目的とした改造兵器が今後も数多く生み出されることでしょう。リビアへの武器禁輸措置を順守する意思のある国は少ないものの、各勢力に供給される(実用的な)重火器が不足しているということは、(実際に役立つかどうかは別として)今回のようなDIYプロジェクトを継続する必要があることを意味しています。


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

おすすめの記事

2025年4月13日日曜日

イスラム国の機甲戦力:モスル周辺に登場した移動トーチカ


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 この記事は、2019年10月13日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 イラクにおける対イスラム国(IS)戦では、各勢力が敵より優位に立つために火力の向上を試みたことで、さまざまなDIY兵器が誕生しました。もちろん、ISもその例外ではありません。イラクでのIS部隊は、モスルで鹵獲した膨大な兵器群をイラクの絶えず変化する戦場で使用するための強力な武器に変えるにあたって、 数多くある兵器工廠の創意工夫に事実上依存していたからです。

 ウクライナの「BTS-5B」装甲回収車(ARV)の移動トーチカへの改造は、(ISにとって)そうでなければ役に立たない車両を、強力な兵器プラットフォームに変えた事例です。

 ソ連時代の「T-72」戦車群をさらに支援する取り組みの一環として、イラク軍は2006年に(それ自体も「T-72」をベースである)少数の「BTS-5B」を入手したものの、2014年のモスルでのイラク軍の崩壊で、下の画像に見られる「BTS-5B」やポーランドの「WZT-2」を含む複数のARVが稼働状態でISによって鹵獲されてしまいました。


 2015年1月、移動トーチカに改造された「BTS-5B」ARVが初めて登場したときは確かに人々を驚かせました。もちろん、すぐに溝にはまって撃破されてしまったからではありません。 こうして本来の用途では全く成功しなかったものの、その後継車両がイラクの平原に姿を現れるまで1年もかかりませんでした。2015年12月に初めて目撃されたこの二代目は、先代から学んだ教訓と、それまでISが広く使用していなかった技術を組み合わせたものです。

 しかしながら、この二代目の詳細を語る前に初代について考察することは有意義なことです。本来の役割ではISにとって少しも役に立たなかった「BTS-5B」は、オリジナルの車体の上に装甲キャビンを追加する形で大々的に改造されました。このために、クレーンやシュノーケル、そして工具の入った各種の木箱が取り外されました。ただし、ドーザーブレードとウインチは残されています。

 武装は装甲板で覆われた銃塔に装備された「DShK」12.7mm 重機関銃1門と複数の軽機関銃用の支持架で構成されています。この車両が最初で最後の戦場で使用された際、乗員は1門の「DShK」を補完するために「M16」と「AKM」も使用しました。


 おそらくサンドクリートで充填されたと思われる大きなブロックが新しく設けられたキャビンの装甲板として装備され、車体側面には大きなゴム製のサイド・スカートが取り付けられました。これらの組み合わせは、乗員を前方と側面からの射撃や爆発物の破片、そして場合によってはロケット推進擲弾(RPG)から保護することを可能にしました。

 装甲キャビンの支持梁で運転席のハッチがふさがれたため、操縦手はキャビンの床にあるハッチから車内に入る必要がありました。また、支持梁が視界を遮るために操縦手は運転中に頭を突き出すことを余儀なくされました。ただし、この弱点をカバーするためか防弾ガラスが装備されています。

 全体として、この改造AFVは見事なプロジェクトと言えます。これを完成させるためにISは多大な労力を費やしたに違いありません。それゆえに、このAFVの戦場における活躍が芳しくないのは、やや意外に感じられます。


 この移動トーチカは都市部で活躍できたはずです。そこでなら、前進する部隊に火力支援を提供できる重装甲の破城槌として重宝されたと思われます。装甲でほとんどの反撃を防ぐことができることを考えると、比較的軽度ながらも弾力性に富んだ武装はアパートの高層階など高所を狙うのに理想的だったでしょう。

 ところが、この移動トーチカは、2015年1月25日にISがペシュメルガに攻勢をかけたニネベ州シェハン近郊の平原で投入されたのです。失敗に終わった攻勢の映像はここで観ることができます

 この攻勢で、シェハンはIS戦闘員による度重なる攻撃の舞台となりました。この一連の攻撃の典型的なパターンには、1台の車両運搬式即席爆発装置/自動車爆弾(VBIED)の突入から始まり、続いて鹵獲したアメリカ軍の「M-1114」や「バジャー」ILAV、「M1117」ASVによる攻撃があります。 

 高地を守っていたペシュメルガは、数km離れたところからISの車両が近づいてくる状況を目視できていたため、(特に「ミラン」対戦車ミサイル(ATGM)がペシュメルガに供与された後では)ISがこうした攻撃手法を採用した正確な理由は依然としてわかっていません(編訳者注:この攻撃では敵陣地の到達前に簡単に撃破されてしまうため)。


 シェハンへの攻撃では、数台の(装甲強化型)「M-1114」、1台の装甲強化型「バジャー」ILAV、1台の「M1117」ASVと移動要塞がペシュメルガの陣地に向かって移動したものの、即座に高地から激しい機関銃や迫撃砲、さらには戦車砲の攻撃を受けました。ただし、ペシュメルガからの攻撃のほとんどが外れるか、各車両のDIY式追加装甲で跳ね返されたようです。その結果として、一部の車両は撃破される前に山の近くまで前進することができました。

 移動トーチカは溝に落ちてRPGと(おそらく)迫撃砲弾の直撃を受け、無防備な乗員が殺害されました。こうして、最初の移動トーチカはその生涯を終えたのです。


 二代目は、イラクのモスルにおけるウィラヤット・ニーナワー(ニネベ州)でのIS装甲部隊の演習を取り上げたISのプロパガンダ動画「ダビク・アポイントメント」に最初にして唯一登場しました。「ダビク・アポイントメント(約束の地:ダビク)」とは、シリア北部あるダビクという町を意味したものであり、ISによれば、同地で正義(イスラームの軍勢)と悪(背教徒:つまりIS以外の全て)の最終決戦が行われるというものです。

 大方の予想に反して、この町の近くに有志連合軍の部隊が大規模に展開して(その結果として)戦闘が起こることは、ISが心から望んでいたことでした。空爆やドローンによる攻撃を卑怯な行為と見なす彼らとしては、この戦闘こそが「十字軍(有志連合軍)」と決戦する手段としていたからです。それにもかかわらず、この小さな町は2016年10月、トルコの支援を受けた自由シリア軍によっておとなしく占領されてしまいました。敵にさらなる脅威を与えるためか、動画にはイタリアのローマにあるコロッセオに向かって行進するISの戦車のカットが含まれています。


 「ダビク・アポイントメント」に登場するのは、「防御大隊」と「襲撃大隊」を傘下に置く第3アル・ファルーク機甲旅団で、彼らはウィラヤット・ニーナワーにおける大部分の装甲戦闘車両(AFV)の運用を担っています。動画での第3アル・ファルーク機甲旅団はダビクでの「差し迫った」戦いに備えて訓練を行っており、2台の「T-55」と1台の「59式戦車」、2台の「MT-LB」汎用軽装甲牽引車、2台の「バジャー」ILAV、1台のMRAP、1台の移動トーチカ、1台の「BTR-80UP」装甲兵員輸送車を含む多数のAFVを使い、装備の整った戦闘員(歩兵)と共に標的を撃ち、陣地を襲撃している様子が映し出されていました。 

 下の車両は第3アル・ファルーク機甲旅団が使用しているもので、「 ولاية نينوى - الجند (?) لواء الفاروق المدرع الثالث - ウィラヤット・ニーナワー - 戦士 (?) - アル・ファルーク機甲旅団 - 第3」と書かれています。また、白い円の文章はシャハーダ(信仰告白)の「 محمد رسول الله - ムハンマドはアッラーの使徒である」です。これはISが運用する車両に見られるもので、単に装飾的な目的で施されていると考えられています。


 初代と同様に、この「BTS-5B」もAFVとしての新たな用途のために大幅に改造されました。オリジナルの状態では車両上部に搭載されているクレーンやシュノーケル、さまざまな種類の箱は撤去されています。使用されることはないでしょうが、ドーザー・ブレード(排土板)は残されました。スラット装甲によって光線が遮られるために撤去されたと思われる前照灯を補うため、前部マッドガード(またはフェンダー上)に2個の新しい前照灯が取り付けられています。

 初代では、新たに搭載されたキャビンの周囲にシンプルなブロックが装備されているだけだでしたが、二代目では、車体の周囲と高くなったキャビンの周囲にスラット装甲が取り付けられています。確かに見応えのある見た目ですが、スラット装甲とそれを支持する架台の強度はお世辞にも良いとは言えないものです。おまけに、操縦手の視界は前方に設置されたスラット装甲によって著しく阻害される可能性が高いと思われます。

 初代では特徴的だったゴム製のサイドスカートについては、この二代目には装備されていません。


 武装については、「DShK」12.7mm重機関銃1門を装備して軽機関銃用の支持架を複数備えていた初代から大幅に増強されました。二代目では同じ「DShK」を指揮官(車長)用キューポラに搭載したほか、「KPV」14.5mm機関砲が元イラク陸軍の「M-1114」から、高くなったキャビンの上に移設された装甲銃座に装備されています。

 「KPV」の銃座は敵にとって格好の標的となる一方、高い位置にあるために周囲の視界が良好であり、移動トーチカの見通し線(LOS)上のいかなる目標に対しても射撃が可能という利点があります。


 本物のAFVというよりは歩兵を輸送する重装甲の破城槌と言っても過言ではない初代とは異なり、二代目は正真正銘のAFVに近い存在と言ってもいいでしょう。車体上に搭載されたキャビンの圧倒的な大きさについては、ATGMやRPGの格好の標的にもなることを考慮すると二代目の長所にも短所にもなります。

 二代目移動トーチカの最終的な運命はまだ明らかになっていませんが、モスル周辺にあるペシェルメルガの陣地への攻撃に投入された可能性は十分に考えられます。この2台の移動トーチカの存在は、IS戦闘員がたいていの戦闘状況に頻繁かつ素早く適応できているものの、この地域における戦闘員たちがAFVの運用に関する適切な戦術を理解できないままだったということを証明するものかもしれません。

4枚目と5枚目の画像:Matt Cetti-Roberts via The Kurds Are Close to Mosul—And in No Hurry to Get There.


改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)