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2020年2月1日土曜日

忘れられた軍隊:沿ドニエストルの小さなタンクバスター


著:ステイン・ミッツァー(編訳:Tarao goo

 トランスニストリア、公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれているこの国は、1990年に沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国として独立を主張して続く1992年にモルドバから離脱して以来、隠れた存在であり続けている東ヨーロッパの分離独立国家です。

 1992年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの情勢は非常に複雑です。この離脱国家は(平和維持活動で軍隊を残留し続けている)ロシア連邦への加入を希望している一方で、わずかな生産物の輸出をモルドバに大いに依存し続けており、それが経済産出量となっているためです。それにもかかわらず、沿ドニエストルは独自の陸軍だけでなく空軍すら保有する事実上の国家として機能しています。

 注目すべき発展は沿ドニエストル独自の軍需産業で見ることができます。そこではモルドバ内戦中に非常に活発的となり、モルドバ軍に対して使用する装甲兵員輸送車(APC)や複数の多連装ロケット弾発射機(MRL)を含むさまざまなDIY兵器を生産していました。停戦後、この軍需産業はこれまでに旧ソ連製兵器のストックを置き換えることができなかった沿ドニエストル軍の運用状況を維持する上で重要な役割を果たそうとしました。

 この状況を改善するために国内で多くの動きがありましたが、程なくして沿ドニエストルは少なくとも(その時点で)軍が使用できる装甲戦闘車両(AFV)の寄せ集めを埋め合わせるために独自のAFVの製造を始めました。私達は既に以前の記事で「BTRG-127 'バンブルビー'APC」と「プリボール-2」多連装ロケット砲を取り上げていますが、今回紹介する車両はその珍しさと可愛らしい姿でそれらの一群に歓迎すべき追加となります。

 滅多にお目にかかれないソ連のGT-MU軽多目的装甲車がベースである「小さなタンクバスター」は、小さくて軽快なプラットホーム車両とSPG-9 73mm無反動砲(RCL)を組み合わせたものです。そして、この組み合わせは不用心な敵に対する待ち伏せや車両や要塞化された構造物、集結した敵歩兵に対する火力支援任務に理想的に適した移動プラットホームを形成します。

 2018年11月にT-64BV戦車や対戦車砲、重迫撃砲と共に火力演習に参加した状況から、少なくとも3台が運用状態にあることが確認されています。


 今日の世界ではGT-MUが登場することは極めて珍しいので、このキャッチしにくい車両の存在自体を知る人は殆どいません。

 それにもかかわらず、同車はSPR-1移動式電波妨害システムを含むいくつかの高度に特化された派生型のプラットホームとしても使われました。SPR-1は電波妨害によって迫撃砲や野砲から発射された砲弾の近接信管を電波妨害によって無力化するシステムで、ソ連、チェコスロバキア、ハンガリー、シリア、東ドイツで運用されましたが、東ドイツではたった2台だけしか入手していません。小火器や砲弾の破片から上手く防護されているため(注:装甲自体は同じため)、同車は偽装網がかぶせられていると通常のGT-MUと判別が難しくなり得ることでその悪名をとどろかせています。

 GT-MUがどのようにして沿ドニエストルの手に入ったのかは過去にこの地域に駐留していたソ連地上軍第14軍の装備編成から知ることができます。ソ連崩壊後、軍を形成していた多くの兵員と装備は駐留していた地に新しくできた国家に属するようになりました。沿ドニエストルが支配地にある武器貯蔵庫を掌握した時点で歩兵戦闘車両や(自走式を含む)野砲は殆ど残されていませんでしたが、大量の特殊車両を引き継ぐことができました。

 このような経緯で沿ドニエストル軍は突然として明確な用途が定まっていない大量のGT-MUの所有者となったのです。しかし、GT-MUは当初から多目的プラットホームとして設計されていたため、沿ドニエストルは同車のいくつかを砲兵・MRL部隊の指揮観測車に転換し、残りを砲兵の牽引車や今では即席の対戦車車両として採用しています。



 結果として得られた車両は沿ドニエストルの軍需産業によって大量生産された他のDIY装備群よりは間違いなく革新的ではありませんが、「タンクバスター」の武装は同国のもっともらしい唯一の宿敵が運用しているAFVに対処するには十分でしょう。

 その理由は簡単で、(数年前に戦車を退役させた)モルドバ軍が実戦に招集できるAFVはSPG-9の73mm HEAT弾に対する防御力が貧弱な軽装甲車両:BMD-1 IFVしかないからです。    

 「小さなタンクバスター」の上部に取り付けられたSPG-9は同砲の両側にある2つのハッチから一名の乗員が操作をします。もちろん、装填も可能です。実際のところ、妥当な射撃速度を持続させるために車内の兵員用区画から操作する装填装置が必要になります。

 兵員用区画は多くの砲弾が収容できるように改修されている可能性が高く、それはこの車両が戦場で射撃し続けることを確実なものにします(注:すぐに弾切れになって戦闘の機会を逃す状態にはならないということ)。


 確かにこの対戦車型GT-MUは現代の対戦車車両よりも性能は劣っています。それにもかかわらず「可能性を秘めた小さなタンクバスター」は全くコストをかけずに沿ドニエストル軍の火力を増強する面白い試みであり、自称「共和国」が分離独立国家しての地位を存続させるために必要な措置の一環と言えるでしょう。

 ※  この記事は、2020年1月24日に本国版「Oryx」で投稿された記事を翻訳したもので
  す。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なったり、割愛してい
  る箇所があります。


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2017年8月22日火曜日

忘れられた軍隊:沿ドニエストルの「BTRG-127 "バンブルビー" 」装甲兵員輸送車


著 :ステイン・ミッツァーと ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれるトランスニストリアは、1990年に沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国として独立を主張し、続く1992にモルドバから離脱して以来、隠れた存在であり続けている東ヨーロッパの分離独立国家です。

 沿ドニエストルはウクライナとモルドバの間に位置しており、現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国、アルツァフ共和国からしか承認されていません。

 その立場が本当の国家なのかという論争の的になっているにもかかわらず、沿ドニエストルは自らの陸軍、航空兵力、そして軍需産業と一体になった事実上の国家として機能しています。
        
 沿ドニエストルの軍需産業は過去20年以上にわたって沿ドニエストル軍で就役した、数多くの非常に興味深い設計の装備を製造してきました。この軍需産業はトランスニストリア戦争の間に非常に活発的となり、モルドバ軍に対して使用するためのさまざまなDIY装甲戦闘車両(AFV)、多連装ロケット砲(MRLs)やその他の兵器を製造したのです。

 停戦後、同国の軍需産業は1991年に設立されて以来旧ソ連製兵器のストックを置き換えることができなかった沿ドニエストル軍の運用状態を支える上で重要な役割を果たしています。

 同国の軍需産業が製造した装備の1つが、ソ連製GMZ-3地雷敷設車をベースにした独特な装甲兵員輸送車(APC)であるБТРГ-127 'Шмель'(BTRG-127 バンブルビー)です。
 
 このAPCは、2015年にエフゲニー・シェフチュク前大統領とアレクサンドル・ルカネンコ国防大臣によって初めて発表され、これらの少なくとも8台は同年に沿ドニエストル軍に就役したと見られています。これらの車両のうち、少なくとも2台はその1か月後に演習に参加する状況が見られ、運用状態にあることが確認されています。


 沿ドニエストルは、地域内や海外への武器密売国として悪名が高いことで知られています。ソ連地上軍第14軍からの大量の武器と弾薬は沿ドニエストルの現地部隊によって引き継がれました。

 モルドバ政府によれば、同地域に忠実であった第14軍の兵士と外国の義勇兵が依然としてモルドバの領土と主張していた沿ドニエストルに入ったとき、1992年に両者の間で紛争が生じました(注:多くの第14軍の兵士や外国の義勇兵が沿ドニエストル軍に加わった)。

 紛失した大量の兵器や弾薬が確保された後、これらは新たに設立された沿ドニエストル共和国軍に引き継がれたか、在モルドバ共和国沿ドニエストル地域ロシア軍作戦集団の監督下でロシアに移送されて戻りました。しかし、限られた量の沿ドニエストル由来の武器が依然として海外へ密輸されています。

 1992年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの情勢は非常に複雑です。この離脱国家はロシア連邦への加入を希望している一方で、わずかな生産物の輸出をモルドバに大いに依存し続けており、それが同国の経済産出量となっています。

 外界への透明性を高めるための小さな一歩を踏み出しているにもかかわらず、沿ドニエストルはハンマーと鎌をその国旗の中で使用し続けるソビエト社会主義共和国のままであり、主要な治安機関としてKGBを維持し続けています。

 ロシアは依然として沿ドニエストルでわずかな影響力を維持しており、国内で公式に平和維持活動を行っています。

 ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していた人員や関連する兵器類の多くは、所在する地の新しく誕生した国に属することになりました。このプロセスは、旧ソ連の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、これはモルドバが遭った唯一の問題ではありませんでした。

 第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家であるトランスニストリア(沿ドニエストル)に属し、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアのいずれかに属したり、新たに形成された沿ドニエストル共和国に合流しました。明らかに、これは非常に複雑で過敏なプロセスの下で行われたものです。



 沿ドニエストル側は支配した領域に存在する武器保管庫ほとんどを引き継いだときに大量の高度な特殊車両を受け継いだ一方で、IFVと自走砲はわずかな数しか保有し続けることができませんでした。

 実際、この地域に存在していたいくらかの2S1「グヴォズジーカ」122mm自走榴弾砲と2S3「アカーツィア」152mm自走榴弾砲(これらはロシアへ移送された可能性が極めて高い)のほか、沿ドニエストル軍の兵器保有リストに自走砲はありません。その代わり、間接射撃の火力支援には武器庫にある牽引式野砲と122mm多連装ロケット砲(Pribor-1および2)に依存しています。

 沿ドニエストルが引き継いだ特種車両には大量のGMZ-2とGMZ-3地雷敷設車が含まれていました。トランスニストリア戦争の間にこの車輌の本来の役割は不要となり、いくつかのGMZが急造のAPCとして沿ドニエストル側で使用され、少なくともその1台が後に戦闘で破壊されました

 沿ドニエストルは、内戦後でも本来の役割でいくつかのGMZを引き続き使用したと思われますが、そのような大規模な地雷敷設車群を必要とされず、ほとんどの車両は(少なくとも8台のGMZ-3をAPCに転用することが決定されるまでは)保管庫に放置されていました。
 
 この未承認国家が利用可能なGMZの量は不明のままですが、その数はさらに多くのGMZをAPCに転換するにはおそらく不十分だと思われます。


 GMZ-3はAPCという新しい役割に従って歩兵を輸送できる能力を得るために、搭載されていたすべての機雷敷設装置が撤去されました。地雷敷設用のアーム及びその操縦用の区画は後部ドアの位置を確保するために撤去され、兵員区画を設けるために地雷が格納されていた空間も取り除かれ、内部空間が拡張されました。変化の著しい改修を受けたGMZ-3の本来の形状はここで見ることができます。

 GMZ-3は運用者によって取り扱いが容易になるように広範囲にわたって改修され、新たに装備された単装のAfanasev A-12.7重機関銃とその機関銃手のために、操縦席と兵員区画の間に新たな空間が設けられました。

 BTRG-127では単装の銃機関銃に加えて、車両に設けられた5つの銃眼からライフルと軽機関銃を射撃することができます。この改修が本来小火器の銃弾や砲爆撃の破片から自身を防護していた、GMZ-3の装甲に悪影響を与えたかどうかは不明です。



 沿ドニエストルの規模・地位・経済にとって、新型のMRLを導入することは確かに見事な偉業であり、あらゆる手段を最大限に活用するという明確なケースの提示を意味しています。この件について、沿ドニエストルは独自の軍事産業の製品で、ごく僅かな観衆:外国人ウォッチャーを驚かせ続けるに違いありません。

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。


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