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2024年4月10日水曜日

アルプスの機甲戦力:スイスの軍用車両・重火器(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2023年8月19日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに意味や言い回しを変更した箇所があります。

 いかなる(近隣の)国々からの侵略に直面する可能性が僅かでも存在しないように思える冷戦終結後の今までも、スイスが相当数の装甲戦闘車両(AFV)を運用し続けていることに多くの人は驚くかもしれません。

 ほとんどのトーチカが閉鎖され、航空兵力も大幅に削減されたにもかかわらず、スイス軍は継続的に戦力の近代化に取り組んでいます。これには、新たな装備の導入と、(限定的な)改修事業による既存のAFVの近代化の両方が含まれています。

 スイス軍の不思議な点は、30機の「F-18」と18機の「F-5」戦闘機を保有していながら、1994年に最後のホーカー「ハンター」退役後に空対地攻撃能力を喪失したことです。その代わり、スイス陸軍は大量の「M109」自走砲を地上部隊の火力支援装備として頼りにしてきました。

 2027年以降における「F-35A」の導入と共に、少量の「GBU-53」と「GBU-54」誘導爆弾の入手によってスイスは限定的な空対地攻撃能力を復活させることになるでしょう。[1]

 スイス陸軍では、(地上)火力支援アセットの重要性を疑う余地は残されていません。陸軍は2023年現在で133台の「M109 "KAWEST WE(戦闘能力向上及び戦力維持仕様)"」 自走砲を保有しており、火力支援能力を引き続き重要視していることを明確に示しています。将来的には、10年以内に「M109」を「RCH-155」「アーチャー」155mm自走榴弾砲に更新する計画があります。

 自走砲と並んで、スイス陸軍は「ピラーニャ-V」ベースの「メイザー 16」120mm自走迫撃砲(SPM)を合計で48台発注しました。しかしながら、スイス陸軍の保有兵器には多連装ロケット砲(MRL)が含まれていません。
 
 ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、スイス陸軍はすでに発注した装備の数を一気に増加させました。特に、「メイザー16」SPMの発注数は32から48まで増えました。また、「ピオニア・パンツァーファールツォイク 21」 戦闘工兵車の調達数も60から84に増加しています。ただし、スイス陸軍が有する110台の「パンツァーイェーガー90」戦車駆逐車は、後継が不在のまま2022年に退役してしまいました。

 スイスによるAFV導入は装軌式よりも装輪式のプラットフォームを好む傾向が強まっていることを特徴としており、この選択は同国の広範囲に及び道路網に適切なものと言えるでしょう。

 「ビソン」要塞砲「センティ」ブンカー(トーチカ)のような象徴的な構造物が過去の遺物となり、現在のスイスはブンカーに頼るのではなく、国内全域への迅速な戦力投入を優先する戦略をとっています。この変革は、1,000台近くの「M113」装甲兵員輸送車をスクラップにして「デューロIIIP」といった現代的な装輪式の代替車両を採用するなどの決定からも明らかです。

 スイス軍の火力と有効性をさらに向上させるために今後いかなる措置が講じられたとしても、ロシアによるウクライナ侵攻は今後何十年もの間は実体を伴ったスイス軍を存続させ、常に変化する全地球的な情勢におけるスイスの即応性を確実なものにさせることでしょう。

  1. この一覧は、現在のスイス陸軍で使用されている全種類のAFVをリストアップ化を試みたものです。
  2. この一覧には、画像・映像などで存在が確認された現役・保管車両と発注中のものを掲載しています。
  3. レーダー、 (装甲) トラックとジープ類はこの一覧には含まれていません。
  4. スイスでは、兵器の能力向上や寿命の延長を表現するためにさまざまな略語を用いています:KAWEST(戦闘能力向上)、WE(戦力維持プログラム)、NUV(長寿命化)など
  5. 各兵器の名前をクリックすると当該兵器の画像を見ることができます。

戦車 (205)

歩兵戦闘車 (186)
  • 186 CV9030CH (改修を経て2040年まで運用予定)

装軌式装甲兵員輸送車(90)

装輪式装甲兵員輸送車 (930)

歩兵機動車(4+)

工兵・支援車両など

通信車両 (64)

指揮車両(310)

自走迫撃砲(48,発注中)

自走砲 (133)

対空砲 (48)

固定配備式地対空ミサイルシステム (5個中隊分,発注中)

[1] Switzerland – F-35 Joint Strike Fighter Aircraft and Weapons https://www.dsca.mil/press-media/major-arms-sales/switzerland-f-35-joint-strike-fighter-aircraft-and-weapons


2024年3月16日土曜日

引き継がれる伝統:マリ陸軍のAFVと大砲に記された称号


著:トーマス・ナハトラブ in collaboration with シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2021年11月30日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。

 このブログの読者の多くは、フランスにはフランス軍が戦った重要な戦いの名前と日付を自軍の装甲戦闘車両(AFV)にマーキングするという伝統があることについてよくご存知のこだと思います。現在、この伝統は主にパレードの際に披露されますが、パレードが終わった後もこのマーキングは残されることが多く、時には戦闘配置の際にも見られます。

 しかし、この傾向が旧フランス植民地のいくつかの軍隊にも受け継がれていることについては、一般の人々に全く知られていません。これらの軍隊は、フランスに植民地化される前の古い時代の軍司令官やそれに伴う過去の歴史をよく記憶しているのです。

 (1892年から1960年までフランスに植民地支配されていた)マリもその1つですが、軍事的なものだけではなく都市や地域を記念して、その名をマーキングされた装備もあります。

 この記事では、名前や称号が付与されていることが把握されている全てのマリ軍のAFVと大砲を記録化し、名称の由来を説明します。


T-54B戦車

„Bakari Dian(読み方不明)“        

 「Bakari Dian」は、マリ南部のセグー州に伝わる民話に由来するものです。神話によると、村落や命を見逃すことと引き換えに、村人に多くの貢ぎ物を要求する半人半獣の怪物であるとのことです。[1]



„セコウ・トラオレ大尉“

 このT-54Bは、2012年1月に発生したアグエルホック虐殺事件で「第713ノマド中隊」を指揮したセコウ・トラオレ大尉を記念したものです。

 この事件では、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」と「アンサール・ダイン」と「アザワド解放民族運動(MNLA)」の合同部隊が、数日間の戦闘の後にマリ軍の駐屯地を制圧したものであり、後にマリ軍の兵士が大量に処刑されたことで悪名高いものとなりました。[2]



„コンナ“

マリ中央部のモプティ圏にある町と田舎のコミューンの名前です。



„モンゾン・ディアラ“

 動画の画質が悪いため、砲塔に記された正確な文字の判読はできません。しかし、かろうじて判読できた文字から推測できるのは、この名前の由来が王にして熟練した戦士としても知られていたモンゾン・ディアラということだけです。
 
 モンゾン王は(現在のマリ共和国の大部分を占めていた)バンバラ帝国を1795年から1808年にかけて統治しました。[3]



„スンニ・アリー・ベル“

 「偉大なるスンニ大王」を意味するスンニ・アリー・ベルは、15世紀にスンニ朝ソンガイ帝国に君臨していた人物です。ソンガイ帝国は(現在のマリ共和国の大部分を含む)アフリカ西部の広大な領域を支配していました。マリの都市であるガオは、かつてその帝都でした。[4]



PT-76 水陸両用戦車

„アスキア・モハメッド“

 アスキア・モハメッドは、スンニ・アリー・ベルの後継者であり、1493年から1528年に息子のアスキア・ムサに倒されるまでの間、ソンガイ帝国を統治していました。



„キリナ 1235“

 この名称は、1670年まで存続したマリ帝国の創設に導いた1235年の重要な「キリナの戦い」を思い起こさせるものです。[5]



„トゥラマカン・トラオレ“

 「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」は、スンジャタ・ケイタ王の統治化にあった13世紀のマリ帝国の将軍です。 スンジャタ王のリーダーシップの下で、マリ帝国はその領土を劇的なペースで西へと拡大させていきました。 [6]



„ビトン・クリバリ“

 1712年にバンバラ帝国(セグー王国)を創始した王です。



ZSU-23 「シルカ」自走対空砲

„ティラマカン“

 上記PT-76と同じ「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」将軍のことです。



BTR-60 装甲兵員輸送車

„スンニ・アリー・ベル“

 上記T-54Bと同じスンニ・アリー・ベル王のことです。



„2010年9月22日 マリ共和国建国50周年記念“

 マリ共和国の独立50周年を記念した名称。2010年9月に実施された特殊部隊の演習の際に登場しました。 [7]



„アラワン“

 トンブクトゥ から北に約250キロメートル離れた場所にある、広大なサハラ砂漠の中にある小さな村の名前です。[8]



„ガナドゥーグー“

 マリ南部のシカソ圏にある小さな町「フィンコロ・ガナドゥーグー」のことです。 [9]
 


„ワスル“

 現在のマリ、ギニア、コートジボワールの3カ国で構成される文化圏・歴史的な地域です。 [10]



„スンジャタ・ケイタ“

 スンジャタ・ケイタは、1235年から1670年まで続いた広大なマリ帝国の創設者にして初代皇帝となった人物です。 [11]
 


BTR-152 装甲兵員輸送車

„バマコ“

マリの首都です。



BRDM-2 偵察車

„バンディオウゴウ・ディアラ“

 バンディオゴウは、1890年にマリを植民地化しようとしたフランス軍と戦った部族の指導者にして戦士でした。[12]



„判読できず“

 下の画像では、少なくとも3台のBRDM-2にパーソナルネームがあることが確認できます。
 残念ながら、中央右側の「バンディオウゴウ・ディアラ」以外の車両に記された名前は判読不可能です。



BM-21 多連装ロケット砲

„ニオロ・デュ・サエル“

 マリ西部のカイ州にあるニオロとして知られているニオロ・デュ・サエル圏のことです。 [13]



„ジトゥームー“

マリ南部のクリコロ州にある、サナンコロ・ジトゥームーとして知られている村です。



T-12 100mm対戦車砲

„セノ“

 「セノ」は、マリ中央部にあるセノ・ゴンド平原か、首都バマコの南西部にある自治体のセヌーを示していると思われます。



„マシーナ“

 マリ南部にあるマシーナ圏か、1818年から1862年まで存在したマシーナ帝国を指していると思われます。[14]



特別協力: Esoteric Armour (敬称略)

[1] Malijet Littérature : La légende de Bakari Dian et Bilissi inspire un roman Bamako Mali
[2] Bataille d'Aguel'hoc (2012) — Wikipédia (wikipedia.org)
[3] Mansong Diarra — Wikipédia (wikipedia.org)
[4] Sonni Ali — Wikipédia (wikipedia.org)
[5] Battle of Kirina — Wikipédia (wikipedia.org)
[6] Tiramakhan Traore — Wikipédia (wikipedia.org)
[7] Mali : Spectaculaire démonstration de force des FAMAS https://youtu.be/aUdv_1VOBC4
[8] Araouane — Wikipédia (wikipedia.org)
[9] Finkolo Ganadougou — Wikipédia (wikipedia.org)
[10] Wassoulou — Wikipédia (wikipedia.org)
[11] Sundiata Keita — Wikipédia (wikipedia.org)
[12] Conquêtes coloniales du Soudan français: L’alliance entre Archinard et Koumi Diocé du Bélédougou - abamako.com
[13] Nioro du Sahel — Wikipédia (wikipedia.org)
[14] Massina Empire — Wikipédia (wikipedia.org)



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