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2025年8月29日金曜日

【復刻記事】予感から確信へ:シリア内戦でロシア軍の直接的な関与を示す新たな証拠が浮上


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2015年8月29日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。

 ラタキア県におけるアサド政権軍の攻勢は、今まで知られていなかったロシアによる内戦の関与を示す詳細な証拠を暴露し続けています。最近納入されたロシア製「BTR-82A」歩兵戦闘車(IFV)の目撃情報とは別に、新たに登場した資料はロシア軍が攻勢を指揮する上重要要な役割を担っていることを裏付けました。

 ラタキアでの攻勢を取材した国民防衛隊(NDF)のメディア部門からのニュース・リポートの動画から聞こえてきた断片的な音声は、シリアにおける「BTR-82A」の存在を初めて明らかにしたものであり、この地域で進行中であるアサド政権軍の作戦を支援するためにロシアの軍人がラタキアに派遣されたという以前の証言を裏付けるものでした。 シリア・アラブ陸軍(SyAA)と最近到着した共和国防衛隊と共に、NDFはラタキア北東部で以前に反政府勢力に制圧された領土の奪還を目的とした新たな攻勢を開始しました。仮にこの攻勢が成功した場合、今や危機に瀕している主要都市へのアサド政権の影響は大幅に向上し、反政府勢力に深刻な打撃を与えることになるでしょう。

 会話は「BTR-82A」の「2A72」30mm機関砲自動砲から出る轟音のために聞き取りにくいものの、火力支援を再開するよう呼びかけたり、ある時点では「Павлин, павлин, мы выходим(ピーコック、ピーコック、我々は撤退する)」(注:ピーコックはコールサインと思われる)を含む特定のフレーズを聞き取ることができます(残念ながら、動画のアカウントがYoutube運営に停止させられたために現在では視聴不可)。

 動画の2:03から2:30までの間に聞き取れる会話の内容を以下に記します。
  • 2:03: ''Давай!'' - 早く!
  • 2:06: ''Бросай!'' - 落とせ!
  • 2:10: "Ещё раз! Ещё давай!'' - もう一度! もう一度だ早く!
  • 2:30: "Павлин, павлин, мы выходим" - ピーコック, ピーコック, 我々は撤退する.

 会話は少ししか聞こえませんが、どうやら「BTR-82A」の乗員に向けられたもののようで、この車両が実際にロシアの兵士によって運用されていることを示唆しています。しかし、(シリア介入に関する)ロシア軍空挺部隊トップの発言を受けて、8月4日にウラジーミル・プーチン大統領の報道官(ペスコフと思われる)にロシア兵のシリア派遣の話が提起された際、彼はシリア政府側からそのような要請がなされたことを否定しました。


 興味深いことに、ロシアが(地上部隊を通じて)シリア内戦に介入したことを示したのは、今回が初めてではありません。ニュースサイト「Souria Net」は8月12日、主にアラウィー派の住民が住む(ラタキアの東約30kmに位置する)スランファにロシア兵が派遣され、反政府勢力の進攻を阻止したと報じています。

 その結果として、親アサド政権の新聞「アル・ワタン(祖国)」は8月26日付で、ロシアが(ラタキア市から南へ25kmほど離れた)ラタキア県沿岸部のジャブラに新たな軍事基地を建設し、シリアにおけるプレゼンスを拡大しているという記事を掲載しました。この記事では、欧米とロシアによるシリア内戦への介入に関するさまざまな噂や陰謀論も言及されていました。その中には、先月にロシアから6機の「MiG-31」迎撃機が届けられたという、大々的に報じられたものの結局は嘘だった話や、ロシアが親アサド勢力に衛星画像を提供し始めたとされる話も含まれています。


 衛星画像の提供に関する証拠はこれまで見つかっていませんが、ロシアは内戦前と内戦中に「センターS」、「S-2」と(おそらく)「S-3」という情報収集施設を通じたSIGINTでシリア政府を支援していたことが知られています。「センターS」については、2014年10月5日に反政府勢力によって初めて制圧されたことを著者が当ブログとベリングキャットで取り上げました。

 この情報はシリア上空でロシア製ドローンの目撃が急増していることと同時に重なっているため、この数か月でロシアによる新たな情報収集ミッションが開始されたことをさらに示唆しています。

 以前にロシアの民間軍事会社がシリアで活動したことがあるという事実から、ロシア語で交わされた会話はロシア軍関係者によるものではない可能性があるという主張するに至る人がいるかもしれませんが、そのような民間企業が「BTR-82A」のような高度な兵器を運用する可能性は非常に低いことに留意すべきでしょう(編訳者注:この記事が執筆された当時はワグネルの存在がそれほどクローズアップされておらず、彼らが戦車を含むAFVを多用していたことも知られていなかったことに注意してください)。そして、ロシア政府は実際にシリアへの「民間企業」の派遣を禁じており、ロシア連邦保安庁(FSB)はいわゆるスラヴ軍団のトップをロシア帰国後に(2013年10月)拘束しました

 もちろん、シリアのメディアによる言及はこの国にロシア兵士がいるという説を補強するものであり、今回の映像での会話が民間軍事会社のメンバーによるものだという説の根拠をさらに覆すものと言えます。

 シリアへ関与しているという今回の証拠の件は、単発の出来事ではありません:大々的に報じられるようになったウクライナにおけるロシア軍関係者の活動や、長年にわたるアサド政権への衰えることのない(むしろ増加さえしている)支援は、たとえそれが公然と紛争にダイレクトに巻き込まれることを意味するとしても、ロシアが国外の利益を守ることに献身していることを証明するものと言えるでしょう。

 こうしたステルス介入が今や再び行われている可能性が高いという事実は、シリアの先行きに対する不確実性を増大させ、5年目を迎えようとしている戦争へのロシアによる大々的な介入の始まるを意味しているかもしれません。

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

 2025年現在の情報にアップデートした改訂・分冊版が発売されました(英語のみ)

おすすめの記事

2024年3月16日土曜日

引き継がれる伝統:マリ陸軍のAFVと大砲に記された称号


著:トーマス・ナハトラブ in collaboration with シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2021年11月30日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。

 このブログの読者の多くは、フランスにはフランス軍が戦った重要な戦いの名前と日付を自軍の装甲戦闘車両(AFV)にマーキングするという伝統があることについてよくご存知のこだと思います。現在、この伝統は主にパレードの際に披露されますが、パレードが終わった後もこのマーキングは残されることが多く、時には戦闘配置の際にも見られます。

 しかし、この傾向が旧フランス植民地のいくつかの軍隊にも受け継がれていることについては、一般の人々に全く知られていません。これらの軍隊は、フランスに植民地化される前の古い時代の軍司令官やそれに伴う過去の歴史をよく記憶しているのです。

 (1892年から1960年までフランスに植民地支配されていた)マリもその1つですが、軍事的なものだけではなく都市や地域を記念して、その名をマーキングされた装備もあります。

 この記事では、名前や称号が付与されていることが把握されている全てのマリ軍のAFVと大砲を記録化し、名称の由来を説明します。


T-54B戦車

„Bakari Dian(読み方不明)“        

 「Bakari Dian」は、マリ南部のセグー州に伝わる民話に由来するものです。神話によると、村落や命を見逃すことと引き換えに、村人に多くの貢ぎ物を要求する半人半獣の怪物であるとのことです。[1]



„セコウ・トラオレ大尉“

 このT-54Bは、2012年1月に発生したアグエルホック虐殺事件で「第713ノマド中隊」を指揮したセコウ・トラオレ大尉を記念したものです。

 この事件では、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」と「アンサール・ダイン」と「アザワド解放民族運動(MNLA)」の合同部隊が、数日間の戦闘の後にマリ軍の駐屯地を制圧したものであり、後にマリ軍の兵士が大量に処刑されたことで悪名高いものとなりました。[2]



„コンナ“

マリ中央部のモプティ圏にある町と田舎のコミューンの名前です。



„モンゾン・ディアラ“

 動画の画質が悪いため、砲塔に記された正確な文字の判読はできません。しかし、かろうじて判読できた文字から推測できるのは、この名前の由来が王にして熟練した戦士としても知られていたモンゾン・ディアラということだけです。
 
 モンゾン王は(現在のマリ共和国の大部分を占めていた)バンバラ帝国を1795年から1808年にかけて統治しました。[3]



„スンニ・アリー・ベル“

 「偉大なるスンニ大王」を意味するスンニ・アリー・ベルは、15世紀にスンニ朝ソンガイ帝国に君臨していた人物です。ソンガイ帝国は(現在のマリ共和国の大部分を含む)アフリカ西部の広大な領域を支配していました。マリの都市であるガオは、かつてその帝都でした。[4]



PT-76 水陸両用戦車

„アスキア・モハメッド“

 アスキア・モハメッドは、スンニ・アリー・ベルの後継者であり、1493年から1528年に息子のアスキア・ムサに倒されるまでの間、ソンガイ帝国を統治していました。



„キリナ 1235“

 この名称は、1670年まで存続したマリ帝国の創設に導いた1235年の重要な「キリナの戦い」を思い起こさせるものです。[5]



„トゥラマカン・トラオレ“

 「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」は、スンジャタ・ケイタ王の統治化にあった13世紀のマリ帝国の将軍です。 スンジャタ王のリーダーシップの下で、マリ帝国はその領土を劇的なペースで西へと拡大させていきました。 [6]



„ビトン・クリバリ“

 1712年にバンバラ帝国(セグー王国)を創始した王です。



ZSU-23 「シルカ」自走対空砲

„ティラマカン“

 上記PT-76と同じ「トゥラマカン (またはティラマカン)・ トラオレ」将軍のことです。



BTR-60 装甲兵員輸送車

„スンニ・アリー・ベル“

 上記T-54Bと同じスンニ・アリー・ベル王のことです。



„2010年9月22日 マリ共和国建国50周年記念“

 マリ共和国の独立50周年を記念した名称。2010年9月に実施された特殊部隊の演習の際に登場しました。 [7]



„アラワン“

 トンブクトゥ から北に約250キロメートル離れた場所にある、広大なサハラ砂漠の中にある小さな村の名前です。[8]



„ガナドゥーグー“

 マリ南部のシカソ圏にある小さな町「フィンコロ・ガナドゥーグー」のことです。 [9]
 


„ワスル“

 現在のマリ、ギニア、コートジボワールの3カ国で構成される文化圏・歴史的な地域です。 [10]



„スンジャタ・ケイタ“

 スンジャタ・ケイタは、1235年から1670年まで続いた広大なマリ帝国の創設者にして初代皇帝となった人物です。 [11]
 


BTR-152 装甲兵員輸送車

„バマコ“

マリの首都です。



BRDM-2 偵察車

„バンディオウゴウ・ディアラ“

 バンディオゴウは、1890年にマリを植民地化しようとしたフランス軍と戦った部族の指導者にして戦士でした。[12]



„判読できず“

 下の画像では、少なくとも3台のBRDM-2にパーソナルネームがあることが確認できます。
 残念ながら、中央右側の「バンディオウゴウ・ディアラ」以外の車両に記された名前は判読不可能です。



BM-21 多連装ロケット砲

„ニオロ・デュ・サエル“

 マリ西部のカイ州にあるニオロとして知られているニオロ・デュ・サエル圏のことです。 [13]



„ジトゥームー“

マリ南部のクリコロ州にある、サナンコロ・ジトゥームーとして知られている村です。



T-12 100mm対戦車砲

„セノ“

 「セノ」は、マリ中央部にあるセノ・ゴンド平原か、首都バマコの南西部にある自治体のセヌーを示していると思われます。



„マシーナ“

 マリ南部にあるマシーナ圏か、1818年から1862年まで存在したマシーナ帝国を指していると思われます。[14]



特別協力: Esoteric Armour (敬称略)

[1] Malijet Littérature : La légende de Bakari Dian et Bilissi inspire un roman Bamako Mali
[2] Bataille d'Aguel'hoc (2012) — Wikipédia (wikipedia.org)
[3] Mansong Diarra — Wikipédia (wikipedia.org)
[4] Sonni Ali — Wikipédia (wikipedia.org)
[5] Battle of Kirina — Wikipédia (wikipedia.org)
[6] Tiramakhan Traore — Wikipédia (wikipedia.org)
[7] Mali : Spectaculaire démonstration de force des FAMAS https://youtu.be/aUdv_1VOBC4
[8] Araouane — Wikipédia (wikipedia.org)
[9] Finkolo Ganadougou — Wikipédia (wikipedia.org)
[10] Wassoulou — Wikipédia (wikipedia.org)
[11] Sundiata Keita — Wikipédia (wikipedia.org)
[12] Conquêtes coloniales du Soudan français: L’alliance entre Archinard et Koumi Diocé du Bélédougou - abamako.com
[13] Nioro du Sahel — Wikipédia (wikipedia.org)
[14] Massina Empire — Wikipédia (wikipedia.org)



おすすめの記事

2023年5月23日火曜日

バトル・オブ・ベルゴロド:2023年の在宇ロシア人部隊によるロシア侵攻で両陣営が喪失した兵器類(一覧)


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 2023年5月22日、ウクライナ軍と連携するロシアの反乱部隊である「自由ロシア軍団」が、国境を越えてロシアのベルゴロド州に侵入したことが注目を集めています。

 ロシア人義勇兵のみで構成される部隊であるロシア自由軍団は、その後に(3月にブリャンスク州に侵入したとされる別の部隊である)ロシア義勇軍団とともにベルゴロド州のコジンカ村を確保し、その前衛部隊がグレイヴォロンの町に入ったと発表しました。

 ウクライナ政府の高官は、自由ロシア軍団がこの地域で国境を越えて侵入を図ったことを認めたものの、彼らが(ウクライナから)独立して行動していたことを強調しています。[1]

 ロシアのベルゴロド州知事である ヴャチェスラフ・グラトコフは、月曜日に「ウクライナ軍の破壊工作・偵察グループ」が同州のグライヴォロンスキー地区に侵入したと発表しました。そして、彼はテレグラム上で「ロシア軍はもとより、国境警備隊、国家親衛軍、連邦保安庁(FSB)は、敵を排除するために必要な措置を講じています」とも明言しています。[2]

  1. この一連の戦闘で撃破されたり、鹵獲された両陣営の兵器類の詳細な一覧を以下で見ることができます。
  2. この一覧は、写真や映像によって証明可能な撃破または鹵獲された兵器類だけを掲載しています。
  3. 民生車両はこの一覧には含まれていません。 
  4. 新たな損失が確認され次第、この一覧は更新される予定です。
  5. 各兵器類の名称に続く数字をクリックすると、破壊や鹵獲された当該兵器類の画像を見ることができます。
  6. 最終更新日:2023年5月24日(本国版は同日午後7時15分ころ)

ロシア (4, このうち撃破:3, 鹵獲: 1)

歩兵戦闘車 (1, このうち鹵獲: 1)

牽引砲 (1, このうち撃破: 1)

各種車両 (2, このうち撃破: 2)


自由ロシア軍団 (8, このうち撃破:2, 鹵獲: 6)

MRAP:耐地雷・伏撃防護車両 (2, このうち鹵獲: 2)


歩兵機動車 (5, このうち撃破: 1, 鹵獲: 4)

各種車両 (1, このうち撃破: 1)
  • 1 いすゞ「TF」ピックアップトラック: (1, 撃破)

[1] Russia accuses Ukraine of mounting ‘sabotage’ attack across border https://edition.cnn.com/2023/05/22/europe/belgorod-ukrainian-forces-russian-territory-intl/index.html
[2] https://twitter.com/Liveuamap/status/1660664784830734338

※  当記事は、2023年5月22日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したも
 のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
 あります。


2023年1月6日金曜日

内なる軍隊:チェチェンの治安部隊と軍用車両(一覧)


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 チェチェンの軍隊はロシア軍にとって不可欠な存在です。この組織は2022年のロシア・ウクライナ戦争で一般的に「前線の火消し部隊(Fuerwehr Der Front)」と称されて攻撃を主導し、ロシアの防衛線の穴を塞ぐ役割を果たしています。しかし、戦闘での手柄を撮影してTikTokにアップロードするという一部のチェチェン兵の傾向は、この軍隊に「TikTok旅団」というあまり好ましくない称号をもたらしてしまいました。

 実際のところ、チェチェンの部隊はロシア軍が持つ似たような部隊の大部分よりもうまくやっているように見えます。

 チェチェン共和国が保有する部隊は(ロシア)国家親衛軍の一部です。つまり、同部隊は国内の脅威と戦うための装備をして訓練されていますが、その大半はウクライナでの従来型の戦争を行うために投入されています。

  今日のチェチェン治安部隊(CSF)は、親ロシア派の分離主義指導者で後に大統領となったアフマド・カディロフに忠実な民兵組織を継承したものですが、彼は2004年に暗殺されたため、息子のラムザン・カディロフがその後を継ぎました。ちなみに、CSFはカディロフの権力闘争で殺害されたヤマダエフ兄弟が率いた(現在は解散した)「ヴォストーク大隊」「ザーパド大隊」とは何の関係もありません。

 2006年、カディロフに忠実なチェチェン民兵のほとんどが第141特殊自動車化連隊として内務省に編入され、後にロシア国家親衛軍に移管されました。

 俗に言う「カディロフツィ」は、ラムザン・カディロフ首長率いるチェチェン人部隊を指す言葉です – 名目上はロシア国家親衛軍の指揮下にありますが。

 チェチェン共和国はラムザン・カディロフによって統治されています。彼は頻繁に軍備の視察や写真撮影を行っており、グロズヌイにおける戦勝記念閲兵式でその様子を携帯電話で撮影している姿も見られました。[1]

 ロシアにある別の共和国と比較すると、カディロフの支配下にあるチェチェンは高度な自治権を確立しており、事実上の独自の軍隊を持つ唯一の共和国となっています。

 ロシア国内の敵と戦うという本来の目的に従って、CSFは戦車・大砲・防空システム・航空戦力などの重装備を運用していません(ただし、少なくとも3機のオートジャイロが使用されています)。
 
 CSFは2016年12月以降にシリア各地へ投入されているほか、大規模な集会やグロズヌイでの戦勝記念閲兵式で頻繁に自らの装備を披露しています。[2] [3] [4]

 現在のチェチェンの治安部隊は、アフマド・ハジ・カディロフ名称第141特殊自動車化連隊「北(セーヴェル)」、第249独立特殊自動車化大隊「南(ユーク)」、「アフマト」緊急対応特殊課(SOBR)、「アフマト・グロズヌイ」特別任務機動隊(OMON)、アフマト・アブドゥルハミドヴィッチ・カディロフ名称特別任務民警連隊(PPSN)、制服警官隊で構成されています。

 ウクライナにおけるロシアの戦いを支えるため、2022年6月にはラムザン・カディロフによって「セーヴェル・アフマト(北)」、「ユーグ・アフマト(南)」、「ザーパド・アフマト(西)」、「ヴォストーク・アフマト(東)」の4大隊を追加編成することが発表されました 。[5]

 チェチェン共和国における大部分の部隊の名前の由来となっているカディロフ前大統領は、「アフマト・シラ(意味:アフマトの力)」という鬨の声でもその名を覚えられています。

チェチェン共和国で開発・製造された「チャボルツ-M6」軽攻撃車両(LSV)

 CSFは一般的に国家親衛軍が利用できる最新の装備を運用しており、これには大量のMRAPや歩兵機動車(IMV)、装甲兵員輸送車(APC)だけではなく、歩兵戦闘車も含まれています。

 また、彼らはロシアの他の部隊では運用されていない幅広い種類の車両も入手しています。それらには、少数のカザフスタン製「アルラン」 MRAP(注:南アフリカで設計された「マローダー」の現地生産型)、ヨルダンの「スタリオン II」IMV、イスラエルの「ジバール Mk.2」軽攻撃車両(LSV)などが該当します。

 さらに、CSFはウクライナで鹵獲したいくつかの装甲戦闘車両(AFV)さえも運用しています。これらには、少なくとも3台の「BTR-3」IFV、数台の「ヴァルタ」MRAP、そして数十台の KrAZ「コブラ」や「ノヴァター」、「M1151 “ハンヴィー”」が含まれています。
 
 また、チェチェンの自動車メーカーである「チェチェンアフト」は、CSF向けに「チャボルツ-M3」及び「チャボルツ-M6」LSVを製造しています。このLSVは主にチェチェンの部隊に配備されていますが、一部は別の国家親衛軍部隊にも配備されているようです。[6]

 また、カディロフはCSFがチェチェンで「ブラート"6x6"」 APCを組み立てることに関心を寄せていると公表したものの、ロシア製の試作型がチェチェン側の要求に沿うように多少変更された程度であり、実際の組み立てや 生産は開始されなかったと考えられています。[7]

 CSFは、ボンネットの先端に狼の頭の装飾を付けた「ボルツ」と呼ばれる特別仕様のイヴェコ「LMV」 をいくらか受領しています。

 2022年7月、チェチェンはロシアのレムディーゼル「Z-STS 6x6」APC初の運用者となり、アフマト・カディロフに敬意を表したメーカーによって「アフマト」と命名されました。この月に「アフマト」の第一陣である20台がチェチェンに供給された後にウクライナに送られ、そこでチェチェン部隊で活躍している「アルラン」や「タイフーン」、「パトロール」MRAPの仲間に加わりました。[8]

 「Z-STS "アフマト"」はウクライナでの運用を念頭に置いて特別に開発されたAPCであり、「カマズ-5350 6x6」トラックの車体をベースにしたものです。最初の開発構想からCSFへの最初の納入まで僅か4か月という「アフマト」の開発速度には目を見張るものがあります。[9]

 これらのAPCは、ほかの最新型の(ロシア製)AFVと一緒に、当面の間はチェチェン治安部隊のAFV部隊の主力として活躍し続けることになるでしょう。

チェチェンSOBRで使用されている「BMP-1P」はCSFで運用されている唯一の装軌車両である:「アフマト・カディロフ」の肖像付きの旗に注目

  1. この一覧は現在のチェチェン治安部隊で運用されている全AFVを網羅することを試みたものです。
  2. この一覧は利用できる画像などの視覚的証拠に基づいて確認された車両だけを掲載しています。
  3. AFVの運用者が判明している場合は、名称の後に括弧書きで表示しています(СОБР = SOBR, ОМОН = OMON, ППСН = PPSN, ЮГ =「北」連隊, СЕВЕР =「南」大隊)。
  4. 車両の名前をクリックすると、チェチェンで運用されている当該車両の画像を見ることができます。

歩兵戦闘車 (IFV)
  • BMP-1P [СОБР]
  • BTR-82A [СОБР]
  • BTR-3 [СОБР] (ウクライナで鹵獲され、チェチェンに持ち帰られる)

装甲戦闘車両(AFV)

装甲兵員輸送車 (APC)

MRAP:耐地雷・伏撃防護車両

歩兵機動車 (IMV)

軽攻撃車両 (LSV)

装甲強化型車両

(武装) ピックアップ・トラック

トラック


[1] Grozny Chechnya Victory Day Parade 2017 https://youtu.be/rSk2otJK1Z8?t=1827
[2] A War Within a War: Chechnya’s Expanding Role in Syria https://deeply.thenewhumanitarian.org/syria/articles/2017/11/30/a-war-within-a-war-chechnyas-expanding-role-in-syria
[3] Grozny Chechnya Victory Day Parade 2017 https://youtu.be/rSk2otJK1Z8
[4] В Грозном состоялся грандиозный военный парад, посвященный 77-й годовщине Победы в Великой https://youtu.be/g6Gn3L_vU04
[5] https://t.me/RKadyrov_95/2438
[6] Кадыров испытал чеченский броневик "Болат" https://quto.ru/journal/autorambler/kadyrov-ispytal-chechenskiy-bronevik-bolat-06-11-2019.htm
[7] https://twitter.com/RALee85/status/1108154327074590720
[8] Armoured vehicles captured from the Ukrainian army by Chechen fighters. https://youtu.be/ivkJ7wfWcqY
[9] Russia has developed an armored car "Akhmat" inspired by the special operation https://vpk.name/en/613450_russia-has-developed-an-armored-car-akhmat-inspired-by-the-special-operation.html



※  当記事は、2022年11月23日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳
  したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した
  箇所があります。