著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
スーダンが英国から独立した1956年1月に設立されて以来、 スーダン空軍(SuAF)は激動の歴史を歩んできました。もともとエジプトと英国から装備を得て訓練していたものの、1960年代後半にソ連から航空機とヘリコプターを導入した数年後には中国からの装備の導入が続いたのです。
1980年代後半になると、彼らはリビアからの航空機とヘリコプターを供与される形で軍事支援を受け始め、その後すぐにより多くの中国製航空機が引き渡されました。中国は、おそらく過去20年の間にスーダンへ航空機を供給し続けたものと思われます。
近年におけるSuAFの中核は、ロシアやベラルーシ、そして当然ながら中国の航空機によって構成されているものの、彼らはドイツ・スイス・オランダ・カナダといった国から導入した航空機を運用した経験がある(または今でも運用している)ので、東側の機体だけしか知らないというわけではありません。
幅広い供給源に及ぶ多くの種類の航空機を運用することは既に物流面と財政面では悪夢となっており、1960年代から1990年代初頭のスーダンにおける政情不安は、スーダンが異なる政治的方針と外交政策を持つ政府を頻繁に切り替えることを意味していました。その結果、SuAFが最近導入した航空機用のスペアパーツを入手することができず、作戦能力が低下をもたらし、最終的には1956年の創設以来、飛行隊のほとんどが駐機された状態をもたらしたのです。
ここ数十年の間、スーダンはより安定した政治的・経済的状況を享受してきました。その主な要因は大規模な油田の発見と大規模な開発であり、これはSuAFのためにより高性能な航空機と装備を購入することを可能にしたようです。
また、スーダンは中国やイラン、ロシア、アラブ首長国連邦(UAE)に拠点を置く企業の支援を受けて、自国で特定の種類の航空機やヘリコプターのオーバーホールを可能にする施設の設立に成功しました。(より一般的には「サファット・アヴィエーション グループ」の一部である「サファット・アヴィエーション・コンプレックス」と知られる)「サファット・メンテナンスセンター」は2004年に開設され、2006年に航空機のオーバーホール作業が始められました。
当初、サファットは主にソ連製航空機やヘリコプターのオーバーホールを行うためにもっぱら外国人に依存していたものの、スーダン人の数が増加することで他の外国人の大部分を置き換えることに成功したようです。
現在のサファットはいくつかの種類の航空機とヘリコプターを独自にオーバーホールすることが可能ですが、大部分の(主要な)プロジェクトでは依然として外国の援助に依存しています。中国製航空機のオーバーホールでは中国人技術者の関与が大きく、ソ連時代の航空機のオーバーホールと整備は主にロシア人とウクライナ人の支援を受け、イランは他のほとんどのプロジェクトで人員と専門的技術を提供しています。
(以前は「DAVEC(デジェン・アヴィエーション・エンジニアリング・コンプレックス)」として知られていた)「デジェン航空産業」との協定によって、エチオピアはソ連時代のヘリコプターや輸送機、さらにはスーダンとエチオピアの「MiG-23」のオーバーホールでサファットを支援しました。
それにもかかわらず、SuAFは一部の航空機とヘリコプターをオーバーホールのために海外に送り続けており、サファットがいまだにSuAFの要求への対応ができないことを示しています。
下の画像はサファットのヘリコプター整備用格納庫の内部を示しており、「Mi-24P(912番機)」 だけでなく背景には4機の「Bo-105」も映しています。
この4機の「Bo-105」の目撃は、スーダンが長年保管されていたこのヘリの数機を稼動状態に戻すために取り組んでいた最初の兆候でした。同国は1977年に西ドイツから20機の「Bo-105」を発注し、その1年後には全機が引き渡されたと考えられていました。
この4機の「Bo-105」の目撃は、スーダンが長年保管されていたこのヘリの数機を稼動状態に戻すために取り組んでいた最初の兆候でした。同国は1977年に西ドイツから20機の「Bo-105」を発注し、その1年後には全機が引き渡されたと考えられていました。
これらのヘリコプターの少なくとも12機がスーダンの警察部隊に配備され、残りの8機はある時点でSuAFに配置転換されたようです。警察が運用していた機体は民間用の塗装が施され、SuAFによって運用された「Bo-105」はスーダンの地形に適応した迷彩が塗装されていたので識別は極めて容易でした。
引き渡された時点の「Bo-105」は新品でしたが、スーダンは80年代初めにさらに深刻な危機に陥ったため、SuAFとスーダン軍全体に損失をもたらしはじめました。社会不安、立て続けに発生する戦争、政情不安は最終的に新たなクーデターをもたらしてオマル・アル=バシール現大統領を権力の座につけ、すぐにスーダンの同盟関係を西側から遠ざけてイランとリビアの方にシフトさせたのです。
引き渡された時点の「Bo-105」は新品でしたが、スーダンは80年代初めにさらに深刻な危機に陥ったため、SuAFとスーダン軍全体に損失をもたらしはじめました。社会不安、立て続けに発生する戦争、政情不安は最終的に新たなクーデターをもたらしてオマル・アル=バシール現大統領を権力の座につけ、すぐにスーダンの同盟関係を西側から遠ざけてイランとリビアの方にシフトさせたのです。
この急激な転換はSuAFが今では西側製航空機のスペアパーツを入手できなくなったことを意味し、「F-5」や「C-130」と他の航空機を飛行禁止にさせる結果に至らせました。もちろん、この対象には、短期間の間に極めてまれにしか飛行していなかったと考えられていた「Bo-105」飛行隊も含まれています。
残存するこのヘリコプターの大半はSuAF最大の航空基地であるワディ・セイドナに保管され、そこで最終的な生涯を終える可能性が高いと思われていました。
専門技術やノウハウが向上したおかげで、サファットは(外国からの支援はあるものの)数が増え続ける飛行機やヘリコプターの修理ができるようになり、かつてSuAFで運用されていた(「Bo-105」を含む)二度と飛行しないと思われていた数種類の航空機のオーバーホールも着手しました。
4機の「BO-105」、つまり3機の旧SuAF機と警察が運用する1機は(一般的に「パンハ」として知られている)「IHSRC(イラン・ヘリコプター・サポート・アンド・リニューアル・カンパニー」の支援を受けて2012年にオーバーホールされました。その過程でほかの機体が共食い整備の餌食になったり闇市場を介してスペアパーツを入手した可能性があることは言うまでもありません。
これらのヘリコプターは2014年の時点でも衛星画像に写り続けており、いまだに試験飛行を行っているのか、単にSuAFへの引渡しを待っていることを示唆している可能性があります(注:2017年現在では駐機されていない)。
再び運用状態に入った「Bo-105」の1機を下の画像で見ることができます。
スーダンの「Bo-105」は全機が28発入りのSNIA 50mmロケット弾ポッドと2門の7.62mm機銃を搭載したガンポッドで武装することが可能であり、これは下の画像で見ることができます。
もちろん、SuAFによって運用されている「Mi-24/35」といった攻撃専用のヘリコプターに比べると、この武装の数は実に少ないものです。こうしたソ連製ヘリコプターはSuAFの主要な攻撃ヘリとしての地位を獲得しており、その耐久性や航続距離とペイロードは彼らをSuAFにとって理想的なプラットフォームにしています。
それとは反対に「Bo-105」は全く異なるプラットフォームであり、スーダンの厳しい戦場の上で有効活用するための航続距離と装甲が不足しているのは一目瞭然ですが、代わりに武装偵察ヘリコプターとして使用したり、より平和的な任務のために警察へ引き渡すこともできる利点があるのです。
「Bo-105」がSuAFの能力を大幅に強化する見込みはありませんが、最小限の努力で飛行状態に戻し、結果としてSuAFに少なくとも4機を再び存在させることになりました。
「Bo-105」がSuAFの能力を大幅に強化する見込みはありませんが、最小限の努力で飛行状態に戻し、結果としてSuAFに少なくとも4機を再び存在させることになりました。
おそらくより重要なのは、このヘリに関する作業がスーダンにとっての重要な一歩を示していることであり、将来的に航空機やヘリコプターのオーバーホールをより自立して行うことになる可能性があるということでしょう。
編訳者追記:復活したスーダンの「Bo105」については3機がSuAF、1機が警察に引き渡されたようですが、2016年10月26日に空軍所属機1機が墜落しパイロットが殉職し乗員2名が負傷する事故を起こしたという報道があって以降、2023年2月28日現時点で残存機がどのような状態にあるのかは判然としてません。
編訳者追記:復活したスーダンの「Bo105」については3機がSuAF、1機が警察に引き渡されたようですが、2016年10月26日に空軍所属機1機が墜落しパイロットが殉職し乗員2名が負傷する事故を起こしたという報道があって以降、2023年2月28日現時点で残存機がどのような状態にあるのかは判然としてません。
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