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2026年4月17日金曜日

大空の女王: トルコの「ボーイング747-8I BBJ」大統領専用機


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年1月12日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 トルコは世界政治においてますます重要なプレイヤーとして台頭しており、積極的な国際的役割を担うとともに、その政治的影響力も高まりつつある状況です。新たな大国としての台頭に伴い、政府高官が利用するVIP専用機の規模も大幅に拡大しています。

これらの堂々たる見た目の航空機は、国内外におけるトルコの力と威信を象徴するステータスシンボルとなっています。この中で間違いなく最も圧倒的な存在感を放つのは、2018年9月から大統領府で運用されている「ボーイング747-8I」ボーイング・ビジネス・ジェット(BBJ)です。

 ただし、トルコ大統領府で運用されている他の機体が新品か中古機として調達されたのとは異なり、「ボーイング747-8I BBJ」は、カタールの首長であるシェイク・タミーム・ビン・ハマド・アル=サーニーからの贈り物として引き渡されたものという経緯があります。この大盤振る舞いの寄贈は、(エルドアン大統領から同機を購入したいという意向を耳にしていた)アミール首長が「トルコから代金を貰うつもりはない」と述べたことを受けて行われたものでした。ちなみに、エルドアン大統領は専用機について、「トルコの威信を懸けたことに関して、費用は考慮すべきではない」と述べていたとのことです。[1]

 カタールによる「ボーイング747-8I」の寄贈については、2017年6月に複数のアラブ諸国がカタールとの国交を断絶して封鎖措置を発動した後、トルコがドーハを支援したことへの謝意の表れであったかもしれません。詳しく説明すると、トルコは封鎖開始から僅か1か月の間に食料やその他の物資を満載した貨物機197便をドーハへ派遣したほか、カタールに駐留するトルコ軍部隊も増派しました。[2] [3]

 カタールはサウジアラビアとの国境を経由して国内に流入する輸入品に大幅に依存していたため、危機の初期段階におけるトルコによるドーハへの支援は、同国に十分な食料やその他の重要な物資を確保する上で極めて重要なものだったわけです。


 トルコに寄贈された航空機は、サーニー家及びカタール政府高官のために運航されていた4機の「ボーイング747-8I」のうちの1機でした。同機は以前にバミューダで「VQ-BSK」として登録されていたものの、トルコに到着後に「TC-TRK」に変更されています。

 トルコに引き渡される以前のカラーリングでは、(下の画像で見えるように)まだ尾翼にカタールの大きな国章が掲げられていました。現在のカタール王室専用機は、国旗や国章などのマークを一切排除した、より控えめな塗装を採用しています。

 「TC-TRK」は、2012年にボーイング・エバレット工場で組み立てられた機体です。その後にカラーリングとVIP仕様の内装が施されました。この機体は2015年末か2016年初頭に就航しましたが、トルコへ寄贈されるまでの飛行時間はたった436時間に過ぎませんでした。つまり、寄贈時点で就航から6年近くも経過していたにもかかわらず、実質的に新品同然の状態だったのです。[4]

 もっとも、カタールが同時に放出した「ボーイング747SP」と同様に、この「ボーイング747-8I」も実際にはカタール王室(AMIRI)の正式な専用機ではなかったため、両機の売却と寄贈の背景には、(カタール側の)大規模な構造改革が関わっていた可能性が高いと思われます。



 カタールは国家元首及び政府専用機として「ボーイング747」を運用している数少ない国の一つですが、「747-8I」の寄贈がサーニー家及びカタール政府の移動手段に悪影響を与える可能性は低いでしょう。トルコへの「747-8I」寄贈後も、AMIRIは依然として3機の「ボーイング747-8I」どころか、「エアバスA340」と「A320」と「A319」も各3機ずつ、「A330」を2機保有している上に、彼らが運用する複数の輸送機(「C-17」)や小型VIP機も利用可能だからです(ただし、AMIRIが輸送機や小型VIP機の所有者ではない)。

 同様に、現在のトルコ政府は「エアバスA318CJ」1機、「A319CJ」2機(うち1機は現在アルバニア政府にリース中)、「A330-200プレステージ」1機、超長距離型の「A340-500」1機、「ガルフストリームG550」と「ガルフストリームIV」が3機ずつ、そしてVIP仕様の「シコルスキーS-92」ヘリコプター3機を運用しています。ちなみに、「A319CJ」は2026年4月のゼレンスキー大統領のシリア訪問に使用されました

 場合によっては、トルコ空軍の「A400M」が、外国への公式訪問の際に大統領の車列やその他の装備を輸送するために使用されるケースもあります。

トルコ共和国大統領府が運用するVIP仕様の「シコルスキーS-92」

 2018年に「A350-900ULR」が導入されるまで、世界最長航続距離を誇る旅客機であったトルコの「A340-500」:「ボーイング747-8I(15,000km)」よりもさらに長い航続距離(16,020km)を誇っている。

 2018年9月15日、スイスのバーゼルからトルコに到着した「ボーイング747-8I」は、整備及び再塗装のため、イスタンブールのサビハ・ギョクチェン国際空港にあるターキッシュ・エアラインズの整備施設内に設けられた特別エリアへ搬入されました。

 この機体には、過去に「A330」及び「A340」になされたものと同様の基準に沿って、機内設備に追加のアップグレードや改修が施されたものと推測されます。それから一か月後の10月5日にトルコ国内線として初飛行を行い、イスタンブールからアンタルヤ、続いてイズミルを経由して首都アンカラへ向かったのでした。[5]


 カタール向けに納入された時点の「TC-TRK」は76名の乗客を収容できるよう設計されており、内装の豪華さは「究極の贅沢」としか言いようがないものでした。トルコがこの機体を譲り受けた後、(下の画像で見える)オリジナルの内装がどの程度変更されたかは分かっていません。

 確実に言えることは、この機体には数多くのセキュリティシステムのみならず、(当然ながら)独自の機内エンターテインメントシステムも備わっているということです。広々とした寝室、浴室、客室、ラウンジ、そしてファーストクラスの座席エリアが、この機体の完成度を際立たせています。





 この航空機のもう一つの非常に注目すべき特徴は、緊急医療処置に対応できる充実した医療設備が備わっている点でしょう。重篤な状態でない限り、直ちに最寄りの空港に着陸する必要がなくなるわけです。


 カタール、韓国、ブルネイ、トルコなど、どの国で運用されていようとも、「ボーイング747-8I BBJ」は、世界中のあらゆる場所でその権力と影響力を誇示するための、紛れもないステータスシンボルとなっています。(おそらく世界で最も不格好な国家元首専用機の一つと言える)オランダ政府の「ボーイング737-700 BBJ」とは対照的に、この機体は見た目が非常に優れている上に、その目的をしっかりと果たしているのです。

 その重厚かつ荘厳なデザインは、もはやトルコの空だけでなく、国家元首が向かう先々でその姿を披露することになるでしょう。

 航続距離だけでなく、トルコの外交力も広範囲に及ぶことを考えれば、行き先の対象には世界中の国々が含まれる可能性があります...もっとも、カタールへの親善訪問が1、2回は行われることは確実ではないでしょうか。

編訳者による補足:「TC-TRK」はカタール、オマーン、インドネシア、マレーシア、中国、アメリカ、日本などへの訪問で活用されたことが確認できた。


[1] Qatar's emir 'gives $500m private jet to Turkey' https://www.bbc.com/news/world-middle-east-45550537
[2] Turkey sent some 200 cargo planes to Qatar since dispute began: minister https://www.reuters.com/article/cnews-us-gulf-qatar-turkey-idCAKBN19X0Q2-OCATP
[3] New batch of Turkish troops arrives in Qatar https://www.aljazeera.com/news/2017/6/30/new-batch-of-turkish-troops-arrives-in-qatar
[4] Qatar sells the world's largest private plane https://www.aerotime.aero/21685-qatar-sells-the-world-s-largest-private-plane
[5] Devlet Filosunun yeni uçağı B747-8 "TC-TRK" Antalya Havalimanı'na yaklaşmada.. https://youtu.be/r7Y5_YX5p24


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました


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2026年4月4日土曜日

永遠に残り続けるために:BEAの「A300」

Image 1 by Matteo Lamberts

著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月12日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 飛行機でイスタンブールのアタテュルク国際空港に着く際、右側の座席に座ったことのある人なら、ヘッダー画像に写っているこの航空機を見たことがあるはずです。イェシルキョイ近くの空港の片隅には、3機の青と白のエアバス「A300」が、まるで近い将来に必ず訪れるであろう解体処分を待っているかのように佇んでいます。初めてアタテュルク空港に着陸して以降、私はこの3機に関心を抱き続けてきました。なぜあそこに駐機されているのでしょうか?この塗装でどれくらいの期間運航され、どうして退役することになったのでしょうか?

 こうした疑問がずっと私を悩ませていましたが、ついに先日、いつの日かこれらの「A300」が解体されて人々の記憶から消え去ってしまう前に記事として残すべく、できる限りの情報を集めることに決めました。

 日頃の軍事分析を求めている一般の読者にとっては、この記事は必ずしも期待通りの内容ではないかもしれません。しかしながら、民間航空や激しい競争で知られる業界で事業を営む航空会社や旅客機が直面する過酷な運命に深い関心を抱いている方々にとって、この記事はまさにうってつけの内容となるでしょう。今回は、ボスポラス・ヨーロピアン・エアウェイズ(BEA)が保有する3機の「A300」にまつわるものです。


 BEAは2001年にチャーター航空会社として設立され、2002年3月に、座席数298席、貨物積載量約10トンのエアバス「A300B4」旅客機3機の運航を開始しました。[1] 

 「TC-COA」、「TC-OIM "カーン"」、「TC-OYC"ハーカン"」の3機は、2001年12月にBEAが入手した時点で、すでに製造から約20年が経過していました。これら3機全てが1980年代初頭にスカンジナビア航空(SAS)に納入された後、デンマークのチャーター航空会社であるスカンエア、コンエアー、プレミエアへと引き継がれるという過去を持っています(その間に、別の複数の航空会社にもリースされていました)。[2]


 「A300」がBEAに引き渡されてからの数か月間は、2002年の行楽シーズン開始を見据え、乗務員が同機への習熟を図るための訓練に費やされたと推測されます。チャーター航空会社であるBEAにとって最も重要な顧客層は、トルコ沿岸の行楽地を訪れる観光客やヨーロッパ各地でのサッカーの試合を観戦するファン、そしてヨーロッパで働くトルコ人でした。BEAは、その短い歴史の中で、ドイツ、オランダ、スイス、フランス、イギリス、キプロス、イラン、イラクを含むヨーロッパや中東の都市へのフライトを運航していたことが確認されています。[1] [3]

 BEAにとって残念だったのは、1990年代から2000年代初頭におけるトルコのチャーター航空会社の平均寿命は極めて短いものだったことでしょう。例えば、その僅か7年前(1995年)には、アクデニズ・エアラインズも「A300」を3機導入してチャーター航空事業への参入を試みています。1995年6月に大きな期待を胸に運航を開始したものの、たった6か月つまり1995年12月には運航停止となってしまったのです。[4] 

 BEAの運命も例外ではなく、その活動も資金が底を突くまでの僅か6か月(2002年3月から8月まで)で終わってしまいました。結果的に、BEAの功績と呼べるものは、「A300」が空を飛んでいた時よりも地上で放置されていた時に撮影された写真の方が多いという、奇妙な記録を残したことぐらいに過ぎません。

 フランクフルト空港における「TC-COA」。背景には巨大な「C-5  "ギャラクシー"」輸送機が駐機している。そこにまだラインマイン米空軍基地が存在していた時代のことだ。

マンチェスター国際空港に着陸寸前のTC-OIM "Kaan"」

 2002年の夏休みシーズンが終わりに近づくのと時を同じ頃、BEAの運航業務も終わりを迎えました。同社の保有機はアタテュルク国際空港で長期保管に入りましたが、結局BEAは2004年に正式に事業終了に追い込まれてしまいました。業務停止から事業終了まで2年もかかりましたが、この期間は新たな投資家による事業の再始動という、ごく僅かな可能性に賭けるために設けられていたものと思われます。

 しかしながら、年月を重ねるにつれて、その見通しはますます不透明なものとなっていきました。当初、「A300」はアタテュルク空港の整備棟の前に数機の放置された航空機と共に保管されていたものの、時が経過するにつれて、機体の状態と運命は次第に絶望的なものと化していったのです。



 3機の「A300」については、BEAの事業再開や他社による買収に備えて直ちに再稼働できるよう保管されていたものの、最終的にエンジンを覆っていたカバーまでもが取り外され、機体はトルコの気候に完全に晒された状態となってしまいました。
 なお、この時期でもエンジンカバーには依然として「SAS」の文字が記されていました。同機が元オーナのスカンジナビア航空で使用されたのは1981年から1983/1984年までです。[2]


 興味深いことに、「TC-OYC "ハーカン"」は保管されるという事実上の放棄を逃れ、2003年8月にトルコのチャーター航空会社であるフライ・エアに2か月間リースされ、その後2003年10月にはスーダン航空に数週間(!)リースされたとのことです。[2]

 後者の運用において、この機体はスーダン航空のマーキングを施されたものの、尾翼のBEAの塗装と文字はそのまま残されました。これは、BEAの機体がたどる「忘却の彼方までの長い道のり」で唯一の救いとでも言うべきものでしたが、最終的にアタテュルク空港の格納庫で保管されていた他の2機のもとへ戻ることになったのはまさに悲劇と言えるでしょう。

 2015年には、整備棟前のスペースを空けるために3機全てが現在の場所へ移動されました。


 2017年には「TC-OYC "ハーカン"」のノーズコーンが撤去された:左手前はCATカーゴで運用されていた「An-12 (TC-KET)」だ。

 ここ数年のうちに、2機の「A300」の尾翼にあった馴染み深い青色の塗装とBEAの文字が消去されました。この措置の正確な理由はいまだに不明ですが、2021年1月に3機全てが1機あたり73,954ドル(当時のレートで約770万円)で競売に出されたことが判明しています。[5]


 現在のアタテュルク空港は民間旅客便の運航を停止しており、貨物便、ビジネス便、VIP機のみが運航されています。それでも、空港の前を車で通りかかると、長年の放置にもかかわらずその威容を損なうことなく高くそびえ立つ尾翼が必ず目に入ってくるはずです。

 見捨てられ、忘れ去られた彼らが二度と空を飛ぶことはないでしょう。風変わりなキョフテ料理店として第二の人生を送ることも望み薄そうです。それでも、こうしてこの記事で永遠に記録された以上、スクラップヤードの掘削機の爪がどんな最悪な最期を与えたとしても、BEAの「A300」が忘れ去られることはないでしょう。

image by Ivica Ramljak

[1] https://web.archive.org/web/20020719232036/http://www.bea-air.com/
[2] https://www.planespotters.net/airline/Bosphorus-European-Airways
[3] https://www.airliners.net/search?airline=13001&display=detail
[4] Akdeniz Airlines https://en.wikipedia.org/wiki/Akdeniz_Airlines
[5] Istanbul-Atatürk versteigert herrenlose Flugzeuge https://aviation.direct/istanbul-atatuerk-versteigert-herrenlose-flugzeuge?print-posts=pdf


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
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2026年1月16日金曜日

つつましやかな始まり:トルコ航空の「Ju 52」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2021年4月5日に「Oryx」本国版 (英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 トルコ航空(ターキッシュ・エアラインズ)は世界最大級の航空会社の一つであり、世界で最も多くの便を運航しています。今では350機以上のエアバスとボーイングの旅客機を運用し、国内・国際線合わせて約300の航路で運航させているのです。1933年に国内の4路線で始まった会社が2003年には103路線まで持つまでに拡大したことから考えると、飛躍的な成長を遂げたと言えます。過去1世紀にわたってトルコ航空は数多くの航空機を運航してきましたが、その全部が今の機体ほど注目を浴びてきたわけではありません。その目立たなかった機種の一つがドイツの「Ju 52」です。この機体は、トルコでの運用中に画像や映像で記録された事例が極めて稀でした。

 ユンカース「Ju52」は史上最も有名な航空機の一つです。1930年代初頭のドイツで(当初は)民間市場向けの単発旅客機として設計されたこの飛行機は、すぐに3発機として再設計され、現代の私たちが知る「Ju52」となりました。このエンジンの配置のおかげで、「Ju52」はすぐに世界中の航空会社で評判を得て南米やアジアまで旅客便を運航することになったわけです。第二次世界大戦が差し迫る中、多くの「Ju52」がドイツ空軍に爆撃機や輸送機として導入されたことは誰もが知るところでしょう。

 「Ju52」が最初に投入された主要な作戦は、1940年4月のデンマーク侵攻における空挺部隊の輸送任務です。デンマークはドイツの侵攻が迫っているという情報をキャッチしていたものの、完全に油断していたため、武力での抵抗を開始してから僅か2時間で降伏してしまいました。この驚異的な戦果に勇気づけられたドイツ空軍は、それから1か月後のオランダ侵攻においてこの成功の再現を試みようとしました。ところが、歴史の必然として、オランダの空は彼らにとって特に過酷なものとなったようです。結局、数日間の間に約250機の「Ju52」が失われました。[1] [2]

 1940年までに既に著しい旧式化が進んでいたにもかかわらず、「Ju52」は第二次世界大戦終結までドイツ空軍の主力輸送機として活躍し続け、ドイツ軍が戦っていたほぼ全ての戦場に兵士と物資を輸送しました。「Ju52」の後継機としてより現代的な機体(「Ju252」と「Ju352」)の開発が試みられましたが、「Ju52」の生産は1944年まで続けられたのです。戦後の生産については、フランスでアミオ「AAC.1 トゥーカン(1945-1947)」として、スペインでは「CASA 352(1945-1952)」として続けられ、旅客機や軍用輸送機として1970年代初頭まで使用されたことが知られています。

 しかし、今回のテーマを始めるには、そこから数年 – つまり、5機の「Ju52」がイスタンブールのイェシルキョイ空港に着陸した 1944年4月2日– に遡らなければなりません。ドイツのハーケンクロイツを施されたまま到着したおかげで、この機体の売り手について疑問の余地を残さなかったようです。その後、これらの「Ju52」はトルコ航空(Türk Hava Yolları)の前身である国営航空(Devlet Hava Yolları:DHY)で就航を開始しました。[3]

 トルコにおける「Ju52」の運用に関する情報は極めて少なく、機体の写真もほとんど残っていません。


 国営航空は、1933年5月20日にトルコの主要な人口密集地を結ぶ国内線の航空会社として設立されました。当初はドイツのユンカース「F13」2機や同数のアメリカ製カーチス「モデル55 "キングバード"」、そして1機のソ連製ツポレフ「ANT-9」といった多種多様な航空機を導入したものの、国内航空の需要増加に伴ってDHYの保有機リストが拡大し、1930年代後半から1940年代初頭にかけて、イギリスから4発エンジンのデ・ハビランド「D.H.86 "エクスプレス"」を含むデ・ハビランド機を調達しました。[4] [5]

 ところが、第二次世界大戦中に連合国が航空機の供給を拒否したことにより、トルコは自身に航空機を調達する意欲のある供給源:つまりドイツに頼らざるを得なくなったわけです。

この美しいイラストは1946年4月の航空便の時刻表の表紙に描かれたものだ:トルコの農村上空を飛ぶDHYの 「Ju52」が描かれている。




 第二次世界大戦の大部分で、トルコは隣国のギリシャやブルガリア、カフカス地方のみならず中東が瞬く暇もなく戦争に引きずり込まれていく中で、中立をどうにか維持し続けました。結局、この国の中立は1945年2月まで続き、トルコはついにドイツと日本に対して宣戦布告して連合国に加わることで中立に終止符を打ちました。ちなみに、その約1年前の1944年4月の時点でトルコはドイツへのクロム鉱石の輸出を停止し、続く同年8月には国交と貿易を完全に断絶しています。

 鋼の生産に用いられるクロム鉱石は、ドイツの軍事産業を維持するために極めて重要な役割を果たしていました。この貴重な資源の供給を保証する見返りとして、ドイツはトルコに対して連合国から入手する見込みがほぼ完全にない物資や軍備を提供していました。したがって、「Ju52」がこうした条件での取引を通じて入手された可能性は高く、土独関係が完全に断絶する直前に受け取った最後の兵器だったことも想定されます。

 1944年4月にトルコに到着した「Ju52」については、尾翼の大きなハーケンクロイツやその他のマーキングは急いで塗りつぶされ、必要最小限の塗装に塗り直されました。これらの機体の旧塗装を見ると、少なくとも一部の機体がナチス・ドイツの国営航空会社であるドイツ・ルフト・ハンザによって運用されていたことを示しています。一方、新たに導入した「Ju52」は乗客を約17名しか乗せることができなかったものの、それでもDHYの主力機となっていた大多数のデ・ハビランド機よりも2倍のペイロードを有していました。

 下の画像は、トルコ軍で運用された「Ju52」の現存する数少ない写真です。この機体には、機体番号「TC-RUH」と尾部に「18」のシリアル番号、そして(トルコ国旗の一部と推定される)三日月のマークが確認できます。また、別の写真(ヘッダー画像)の機体には、機首側面の窓の下に「Devlet Hava Yolları」のステッカーが貼られている姿が一目瞭然となっています。

 第二次世界大戦中におけるDHYの「Ju52」はトルコ国内の路線だけで運航されていたため、トルコの所属を示す大きな旗や目立つ識別マークは不要だったようです。1940年代後半にアメリカから供与されたダグラス「DC-3」に置き換えられるまで、引き続きこのシンプルなカラーリングのまま運用されていた可能性はおおいに有り得るでしょう。


 「Ju52」には別の塗装が施された可能性も否めません。ただし、こちらの根拠はより信憑性の低い情報が由来です:下にある、1946年にトルコ赤新月社が発行した記念切手を見てください。この切手には、翼と機体に大きな赤い新月マークを付けた「Ju52」が医療搬送機として描かれています。[6]

 トルコの「Ju52」が実際にこのような塗装で運用されたのか、あるいは切手用に特別にデザインされた架空の塗装であるかは不明ですが、後者の方が可能性が高いと考えられます。


 ユンカース「Ju52」は別として、2種類のユンカース機:「G24」とより小型の「F13」が戦間期のトルコで運用されていました。「G24」は「Ju-52」の精神的な先駆者と言える存在で、似たような3発エンジンの配置と波型外板を特徴とした機体です。興味深いことに、トルコで運用された唯一の機体は実はトルコが所有していませんでした。というのも、1920年代半ばから後半にかけてユンカースが実施した(最終的に失敗した)マーケティングキャンペーンの一環として運用されていたからです。[7]

 その一方で、3機の「F13は」1930年代後半に退役するまで、旅客機や連絡機、空中探査機、郵便機として運用されたことが記録されています。[9]

 一時期、トルコ初の航空機製造工場であるトムタシュ(Tayyare ve Motor Türk Anonim Şirketi)で約20機の「F13」の生産が計画されましたが、財政難によりこのプロジェクトは中止に追いやられ、最終的にTOMTAŞが倒産するという形で国内航空産業の有望なスタートは残念な終わりを迎えました。[8]


トルコの国籍マークが施されたユンカース「G24」:実際にはトルコがこの機体を所有したことはなかったが、同国で1925年から1927年までの約2年間運航された。

 トルコにおける「Ju52」の運用期間は僅か数年と短かったかもしれません。しかし、この機体はトルコの航空産業の humble beginnings( つつましやかな始まり)の物語において際立つ章を刻んだ機体であり、後世に語り継ぐ価値のある物語の断片です。そのつつましさは長く続きましたが、約30年後、トルコ航空は3発エンジン搭載の旅客機:「DC-10」を運航する最初の航空会社の一つとなりました。

 現在、この国は航空宇宙分野のパイオニアとして、多種多様な先進的な航空機やその試作機を生産しています。ただし、「TRジェット」計画を通じて国産旅客機の生産を目指す取り組みは2017年に中止されました。しかし、忘れ去られた過去にたった数機の「Ju52」を運用していた時代から(イスタンブールの交通渋滞を実際に体験した人なら、その価値を高く評価するであろう)バイカルの「ジェゼリ」のような開発に至るまでの驚くべき進化は、つつましやかな始まりは偉大さの誕生を予感させるということを私たちに教えてくれます。

ジェゼリ・フライングカー

[1] Mei 1940 - de verdediging van het Nederlandse luchtruim http://www.bataafscheleeuw.nl/db/main/assortiment/index.php?book_id=514
[2] De gebroken vleugel van de Duitse adelaar https://uitgeverijaspekt.nl/boek/de-gebroken-vleugel-van-de-duitse-adelaar/
[3] 1/48 Revell Ju-52 3/m TC-RUH Turkish Airliner https://www.aircraftresourcecenter.com/Gal3/2701-2800/Gal2785-Ju-52-Gerdan/00.shtm
[4] Turkish Airlines History http://www.thy-heritage.com/history/
[5] Turkish Airlines Fleet http://www.thy-heritage.com/flit/
[6] Kızılay uçak resimli pullar, Sanayi Kongresi ve ilk uçuş zarfları https://pulveposta.com/2018/02/11/kizilay-ucak-resimli-pullar-sanayi-kongresi-ve-ilk-ucus-zarflari/
[7] 1/72 Plastikart Junkers G 24 https://www.aircraftresourcecenter.com/Gal3/2901-3000/Gal2904-Ju-G24-Gerdan/00.shtm
[8] JUNKERS F13 Limuzin http://www.tayyareci.com/digerucaklar/turkiye/1923ve50/junkers-f13.asp
3枚目の画像: Gökhan Sarigöl via Stuart Kline.

2025年に改訂・分冊版が発売予定です(英語版のみ)

 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
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2025年12月14日日曜日

藁にもすがる思い:ティグレ戦争中に確認されたエチオピアへの武器移転(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2022年1月に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります(本国版の記事はリンク切れ)。

 エチオピアとアラブ首長国連邦、イランとの間に設けられた輸送網により、エチオピアは2021年現在進行中の紛争でティグレ防衛軍(TDF)を打ち負かすために必要な武器を全て備えることができています。

 2022年1月までに合計約140便の飛行があったにもかかわらず、窮地に立たされているエチオピア国防軍(ENDF)にどのような種類の武器や装備が届けられたかについては、ほとんど知られていません。[1]

 これは、ENDF全体に(兵士が装備の写真を撮ることを禁止するような)強力な作戦保全(OPSEC)の規則が徹底されていることが原因というわけではないようです。そもそも、ティグレ戦争勃発前のエチオピアは適切なOPSECの遵守が緩く、私たちのようなアナリストが歓迎していた事実があります。

 現在進行中のティグレ戦争の流れを変えるため、エチオピアは乏しいリソースの大半を世界各国からの無人攻撃機(UCAV)の入手に費やしています。これには、2021年8月に少なくとも2機の「モハジェル-6」を引き渡したイラン、2021年9月に3機の「翼竜I」を納入した中国、2021年11月にハラールメダ空軍基地に少なくとも6機の「翼竜I」を配備したアラブ首長国連邦が含まれます。[2] [3] [4]

 また、UAEが引き渡した複数のVTOL型UCAVもエチオピアで使用され続けています。[5]

 ただし、ENDFに引き渡された陸戦兵器については全く判明していません。この国が当初から保有している装甲戦闘車両(AFV)と牽引砲のストックは、戦闘の損失とティグレ軍に奪われた約100台の戦車と約70門の火砲を補うには十分だったようです。[6]

 これとは対照的に、Eティグレ軍がティグライ地方の基地を制圧した際に、ENDFは大口径多連装砲(MRL)と誘導ロケット弾や弾道ミサイルシステムのほとんどを失っています(編訳者注:「M20」弾道ミサイルシステムは戦後に少なくとも1門残存していることが確認されている)。[7] [8]

 したがって、エチオピアの失われた戦力を埋め合わせるために、大口径ロケット砲などの装備を提供することは十分ありえることだと思われます(編訳者注:2023年に中国から23門の「PCL-181」155mm自走榴弾砲を導入したが、ロケット砲類については未確認)。

  • この一覧は、ティグレ戦争中におけるエチオピアに引き渡された武器を網羅することが狙いです。
  • 各装備名の前に付されている国旗は、生産国よりも引き渡した国を示しています。
  • 各装備名をクリックすると当該兵器の画像を見ることができます。

無人攻撃機 (UCAV)

ミサイル・誘導爆弾 (UCAV用)

車両

[1] Iran Is Still Resupplying The Ethiopian Military https://www.oryxspioenkop.com/2021/12/iran-is-still-resupplying-ethiopian.html
[2] Iranian Mohajer-6 Drones Spotted In Ethiopia https://www.oryxspioenkop.com/2021/08/iranian-mohajer-6-drones-spotted-in.html
[3] Wing Loong Is Over Ethiopia: Chinese UCAVs Join The Battle For Tigray https://www.oryxspioenkop.com/2021/10/wing-loong-is-over-ethiopia-chinese.html
[4] The UAE Joins The Tigray War: Emirati Wing Loong I UCAVs Deploy To Ethiopia https://www.oryxspioenkop.com/2021/12/the-uae-joins-tigray-war-emirati-wing.html
[5] UAE Combat Drones Break Cover In Ethiopia https://www.oryxspioenkop.com/2021/10/uae-combat-drones-break-cover-in.html
[6] The Tigray Defence Forces - Documenting Its Heavy Weaponry https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/the-tigray-defence-forces-documenting.html
[7] From Friend To Foe: Ethiopia’s Chinese AR2 MRLs https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/from-friend-to-foe-ethiopias-chinese.html
[8] Go Ballistic: Tigray’s Forgotten Missile War With Ethiopia and Eritrea https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/go-ballistic-tigrays-forgotten-missile.html


 2025年現在の情報にアップデートした改訂・分冊版が発売されました(英語のみ)

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2025年8月10日日曜日

「Nu.D.40」から「バイラクタル・アクンジュ」まで:デミラー氏のレガシー


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2021年5月19日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 Benden bu millet için bir șey istiyorsanız, en mükemmelini istemelisiniz. Madem ki bir millet tayyaresiz yaşayamaz, öyleyse bu yaşama vasıtasını başkalarının lütfundan beklememeliyiz. Ben bu uçakların fabrikasını yapmaya talibim. - この国のために私に何かして欲しいなら、最も素晴らしいものを求めるべきだ。飛行機なしでは国家は生きられないのだから、私たちはこの生きる術を他人の恩恵に期待すべきではない。私はこれらの飛行機の工場を建てることを熱望している:ヌリ・デミラー

 航空大国としてのトルコの台頭について、その規模と範囲、そしてスピードの面で、近代史において比類のないものです。この偉業は、彼らが防衛分野でのほぼ自給自足を達成させるという目標に向けた不断の努力と、外国のサプライヤーやトルコに何度も制裁を加えている国への依存度を軽減させてきたことが大いに影響しています。この政策の成果はすでにトルコ軍のほとんどの軍種で活躍していますが、自給自足を達成するための最も野心的な試みは、間違いなく新型ジェット練習機「ヒュルジェット」とステルス戦闘機「TF-X(カーン)」の開発でしょう。いずれもこの10年で初の試験飛行が予定されています。(注:前者は2023年4月25日、後者は2024年2月21日に初飛行を実施しました)

 しかしながら、トルコによる軍用機開発・生産への取り組みは有人システムだけに限定されるものではありません。トルコには現在、無人戦闘機の開発計画が少なくとも2つあります。そのうちの1つは、今年後半に就役する予定のバイカル・テクノロジーが開発した「バイラクタル・アクンジュ」です。「アクンジュ」は、巡航ミサイルや視界外射程空対空ミサイル(BVRAAM)発射能力を含む斬新な能力をこの分野にもたらし、自身がそれらを実行可能な世界初の無人プラットフォームとなります。このUCAVはトルコの無人機戦能力の範囲を飛躍的に拡大させることになるでしょう。というのも、100キロメートルも離れた敵機やUAV、ヘリコプターも標的にできるようになるからです。

 「アクンジュ」の生産が意欲的に進められている一方で、もう1つの無人戦闘機「MİUS(Muharip İnsansız Uçak Sistemi)」計画が進められています。2023年までに初飛行を予定しているこの超音速戦闘無人機は、戦闘空域で精密爆撃、近接航空支援(CAS)任務、敵防空圏制圧(SEAD)を遂行できるように設計されています。(この記事を執筆した2021年5月)現在のところ、MİUS計画はまだ設計段階にとどまっていますが、トルコの防衛産業が盛況していることを示すものです。 独自の解決策で困難を克服する素晴らしい能力のおかげで新しい計画が迅速に採用され、トルコは複数の防衛分野で技術革新の最前線に立っていると言っても過言ではありません注:「MİUS」は「クズルエルマ」と命名され、試作機が2022年12月に初飛行を記録しました

 しかし、多くの人に知られていないのは、「TF-X」も現在開発中の「MİUS」も、トルコが初めて国産戦闘機の設計に挑戦したものではないという事実です。このような航空機を実現させようと最初に挑戦したのは、実は1930年代まで遡ることができます。当時、トルコの航空機設計者であるヌリ・デミラー(1886~1957年)が型破りで革新的な双発単座戦闘機の設計に着手したのです。 残念なことに、ヌリ・デミラーの功績はトルコ国外ではほとんど注目されておらず、国内でも彼の斬新な飛行機が最近まで全く知られていませんでした。


 ヌリ・デミラーの功績と「Nu.D.40」そのものについて詳しく説明する前に、より富んだ洞察力を得るために第二次世界大戦勃発以前のトルコにおける航空産業史を簡単に説明します。1930年代にはヨーロッパの大部分の国が何らかの形で航空機産業を抱えていましたが、トルコでは武力衝突や(民間)輸送における航空機の役割が急速に拡大することを見越しており、すでに1925年2月にトルコ航空協会(Türk Hava Kurumu - THK)が設立されていました。そして、彼らは初期段階のサポートと専門知識を得るために外国のパートナーとの提携を求め、ドイツのユンカース社と契約を結び、1925年8月にTayyare and Motor Türk AnonimŞirketi(TOMTAŞ)が設立されるに至りました。[1]

 ユンカースとの契約では、小型機の生産とオーバーホールを行う工場をエスキシェヒルに、大型機の生産と整備を行うより大規模な施設をカイセリに設立することが定められました。当初はドイツが中心となって運営されていたものの、ドイツの関与は徐々に縮小して現地の部品や労働者による生産に置き換えられ、最終的には真の意味での国産化へと進んでいったのです。[1] 

 TOMTAŞで最初に生産されたのはユンカース「A20」偵察機と「F13」輸送機で、それぞれ30機と3機が生産されました。同社が最終的に年間約250機の航空機を生産することを計画していたことは、この設立が国産航空機産業を立ち上げるための形だけの試み以上のものであったことを示しています。

 ところが、設立直後からユンカース側の財政難を主因として、最終的にプロジェクト全体を崩壊に導くような問題が発生し始めました 。この時すでに倒産寸前であったユンカースに対するドイツ政府の支援が打ち切られた後、同社は1928年6月にトルコとの提携を正式に解消し、その数か月後にはTOMTAŞも閉鎖されてしまったのです。[1]

 工場についてはトルコ国防省へ移管後も整備・修理事業を継続し、1931年にカイセリ航空機工場と改称され、1942年まで航空機の組み立てを続けました。[2] 現在、カイセリにあるTOMTAŞの跡地にはトルコ空軍の主要な戦術輸送航空基地である(エルキレト空軍基地)があり、「A-400M」、「C-130」、「CN-235」輸送機が配備されています。

1930年代のカイセリ航空機工場で生産中のPZL「P.24」(ライセンス生産)

 トルコの国産航空機産業の役割が、いつの日か航空機を設計・製造するという当初の目標ではなく、組み立てに絞られるようになったことで、トルコの実業家ヌリ・デミラーは、この分野におけるトルコの取り組みを再始動させるという構想を抱き始めました。彼は技術革新や大規模な建設プロジェクトを全く知らなかったわけではありません。というのも、彼の会社が1920年代の時点でトルコ全土に約1.250kmの鉄道を敷設したことがあるからです。[3] 

 トルコ鉄道発展への貢献を称え、1934年、ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領は彼にデミラー(鉄の網)という姓を与えました。彼の次のプロジェクトはさらに野心的なスケールのもので、私財を投じて1936年にイスタンブールのベシクタシュ地区に航空機工場を設立したのです。すでに同年、デミラーと彼の技術チームが設計した最初の飛行機が形になり始めていました。「Nu.D.36」は2人乗りの初等練習機で、最終的に24機が生産されています。[3]

 まもなく、より野心的な設計の双発旅客機「Nu.D.38」が登場しました。試作機の製造は第二次世界大戦中も続き、1944年には初の試験飛行が行われたものの、試作で終わっています。成長と航空事業をより円滑に進めるため、デミラーはイスタンブールのイェシルキョイに土地を購入し、現在のアタテュルク空港がある場所に飛行場と飛行学校(1943年まで約290人のパイロットを養成)を設立しました。[3]

 彼の幅広い野心と分野を超えた多大な取り組みは、自身の目標が航空機の設計と製造だけにとどまらず、 トルコ全体の航空関連活動に対する大衆の参加と関心を高めるプロセスを立ちあげることも目指していたことを十分に証明していると言えるのではないでしょうか。

1942年、イェシルキョイ空港に並ぶ「Nu.D.36」




1940年代初頭、「Nu.D.38」の試作機が製造されている光景

 献身的な努力にもかかわらず、やがて彼は、自国の航空産業が繁栄するために必要な環境を提供できないばかりか、その存続そのものに積極的に反対する政府に直面することになります。THKは24機の「Nu.D.36」を発注していましたが、イスタンブールからエスキシェヒルへの試験飛行後に不時着した(パイロットのセラハッティン レシット・アランが死亡に至らせた)事故を受け、同機の発注をすべてキャンセルしたのです。[3]

 これに対し、デミラーは訴訟を開始しました。何年にもわたる長引いた裁判でしたが、航空機には何の欠陥もないことを証明する複数の専門家の報告にもかかわらず、裁判所は最終的にTHKを支持する判決を下しました。[3]

 同様に、待望の「Nu.D.38」は、(ターキッシュ エアラインズの前身である)トルコ国営航空やその他の政府機関からの注文を獲得することができませんでした。さらに追い打ちをかけるように、デミラーの飛行機を他国へ輸出することを禁止する法律が制定されたことで、スペインを含む「Nu.D.36」に関心を示していた数か国との交渉が打ち切られてしまったのです。[4]

 そして、トルコ空軍からの発注も得られなかったため、彼の工場は1943年に閉鎖を余儀なくされました。 この状況を覆すため、デミラーはイスメト・イノニュ大統領を含む政府高官に何度も陳情したものの、結局は効果が得られませんでした。[3]

 こうして、彼の多大な努力は実らず、国産航空産業の有望なスタートが途絶えてしまったのです。トルコ航空界への貢献を記念して、2010年にはスィヴァス空港に彼の名前が付けられました。彼の名前が認知されるのは遅くてもないよりはマシですが、トルコの歴史においてデミラーが十分に評価されていない人物であることは間違いないでしょう。

 ヌリ・デミラーと彼の航空機工場の物語はここで終わったと思われていました。数年前、研究者のエミール・オンギュネルがトルコとドイツの公式文書から、デミラーと彼の技術チームによる別のプロジェクト「Nu.D.40」の存在を発見するまでは。その型破りなデザインとドイツで風洞実験が行われた機体という事実を考えると、この飛行機の存在が長い間にわたって忘れ去られていたことは、実に驚くべきことと言えるでしょう。

 「Nu.D.40」に関する情報の多くは、1938年にドイツのゲッティンゲンにある空気力学研究所 (Aerodynamische Versuchsanstalt, AVAが実施した風洞試験に由来します。試験終了後、AVAはデミラーに、(試験で判明した事項を詳述した)110ページにも及ぶ包括的な報告書を送付しました。[5]

 ところが、度重なる連絡ミスにより、AVAは当初要求していた資金の一部しか集めることができず、1940年には「Nu.D.40」に関する機密報告書をドイツの航空会社2社に譲渡してしまったのでした。[6]

 「Nu.D.40」について、機体の構成やエンジンの種類、武装案等はほとんど知られていません。第二次世界大戦が勃発する前に設計されたため、国産化できない部品(特にエンジンと武装)は海外から調達する必要があったものの、ヨーロッパ全土で戦火が拡大する中での調達は不可能に近いものでした。この事実を無視して、仮に完成させた場合を考えてみますと、ドイツ製の航空機用エンジン2台と、機関砲または重機関銃2挺と軽機関銃2挺という武装の組み合わせが、もっとも妥当な機体の構成だったように思われます。


 やがて、エミール・オンギュネルは自分の発見をトルコ航空宇宙産業(TAI)のテメル・コティル会 長兼CEO(当時)に対し、興奮気味に『この飛行機を絶対に作るべきだ!』と伝えたとのことです。こうして、「Nu.D.40」復活チームが結成されたわけですが、まずは3Dのデジタルモデルが作成された後、1/24スケールの模型が製作されました。次のステップには、「Nu.D.40」のUAVモデル(1/8と1/5スケールが1機ずつ)の組み立てが含まれます。[7]

 最終的には、実物大の1/1レプリカモデルが製作され、デミラーの夢である「Nu.D.40」の飛行をついに実現させる予定です。


 計画されている1/1のレプリカモデルの機体構成の場合、「Nu.D.40」は同時代にフォッカーが設計したオランダの「D.23」単座戦闘機と驚くほどよく似た姿になるでしょう(実際のところ、ヘッダー画像は第二次世界大戦時のトルコ空軍の塗装が施された「Nu.D.40」に似せて修正された「D.23」なのです)。

 「D.23」計画は、最高速度約535km/h、13.2mm機関砲2挺と7.9mm機関砲2挺を装備する迎撃機として1937年に構想がスタートしたものです。実寸大のモックアップが1938年のパリ航空ショーで初公開され、翌年の1939年3月に試作機が完成しました。[8] 「D.23」はその2か月後に初飛行を実施しましたが、1940年4月の11回目の試験飛行中に機首車輪が損傷したため、分解して修理のために輸送しなければならない状態となりました。[8]

 1940年5月にドイツ軍がオランダに侵攻したとき、「D.23」はまだ機首の車輪を修理しておらず、格納庫に保管されたままだったため、ほとんど無傷で生き残ることができました。オランダ征服から僅か2週間後、ドイツ空軍がこの飛行機の視察と、ドイツへの輸送準備をしにやって来ました。有望なプロジェクトをそう簡単に敵に引き渡すわけにはいかなかったフォッカーは、ドイツの代表団に対し、「D.23」はオランダ空軍ではなくフォッカーの所有物であり、ドイツがこれを欲しいのであれば高額の買収費用を支払う必要があることを要求したことで、ドイツ側の関心が急速に失われていったのです。 [8] 

 結局、この機体は「記念品ハンター」によって次第に分解されていき、連合軍によるスキポール空襲で破壊されました。「D.23」が就役していれば、その時代で最も興味深い航空機の一つになっていたでしょう。しかしながら、第二次世界大戦の勃発によって、この飛行機は大きな期待に応えることができなかったのは言うまでもありません。






 長年にわたる綿密な調査を経て、エミール・オンギュネルは「Nu.D.40」に関する全ての知見を『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』という本にまとめました。この本は、ドイツとトルコの公文書館から収集した公文書を用いて、この航空機の設計史に焦点を当てています。現在はトルコ語版しかありませんが、将来的には英語版も出版されることを期待しています。『Bir Avcı Tayyaresi Yapmaya Karar Verdim』は、トルコの有名オンラインストアやトルコ科学技術研究会議(TÜBİTAK )で260トルコリラ(約943円)で注文可能です。


 トルコ初の(無人)国産戦闘攻撃機は、「Nu.D.40」の設計から約83年後の2021年に就役する予定です。「Nu.D.40」が当時革新的であったように、「アクンジュ」も革新的なものです。ヌリ・デミラーは今ではほとんど忘れ去られてしまいましたが、近代的な国産航空産業に対する彼のビジョンを受け継ぐ人々がいることは注目に値します。

 バイカル・テクノロジーのような企業は、非常に献身的な人々のチームが何を達成できるかを実証しています。 彼らはデミラーのようにリスクを恐れず、祖国と技術への愛を第一とし、多くの利益を得ることを二の次にしているのです。100年近く前にデミラーが知っていたように、これらの目標を達成するためには人々の関心を集めることが重要です。デネヤップテクノフェストといった技術ワークショップやイベントを通じて、バイカルは同社の工場や他のトルコの技術系企業に同じ志を持つ大勢の人々を引き寄せるに違いありません。未来を見据えるこれらの企業は、空における自国の運命のみならず、人々の心にも変革をもたらそうとしているのです。

 編訳者注:「アクンジュ」は2021年8月29日に就役し、対テロ作戦など実戦に投入されています。ムラドAESAレーダーの統合試験などが実施されています(この統合によって、BVRAAMなどの運用能力が付与され、本来想定していた能力が完全に発揮できることになります)。


[1] Turkey's First Aircraft Factory TOMTAŞ https://www.raillynews.com/2020/07/The-first-aircraft-factory-turkiyenin-tomtas/
[2] TOMTAS - Tayyare Otomobil ve Motor Türk Anonim Sirketi http://hugojunkers.bplaced.net/tomtas.html
[3] Aviation Facilities of Nuri Demirağ in Beşiktaş and Yeşilköy https://dergipark.org.tr/tr/download/article-file/404341
[4] The 24 Nu.D.36s that had been produced for the THK were donated by to the local flight school and later scrapped.
[5] Nuri Demirağ’ın Almanya’da kaybolan avcı uçağı: Nu.D.40 https://haber.aero/sivil-havacilik/nuri-demiragin-cok-az-bilinen-ucagi-nu-d-40/
[6] Nuri Demirağ’ın Bilinmeyen Uçağı: Nu.D.40 https://www.havayolu101.com/2019/01/10/nuri-demiragin-bilinmeyen-ucagi-nu-d-40/
[7] We’re very proud to realize Nuri Demirağ’s dream https://defensehere.com/eng/defense-industry/we-re-very-proud-to-realize-nuri-demirag-s-dream/75967
[8] Fokker D.23 https://geromybv.nl/home/fokker-d-23-willem-vredeling/



 2025年現在の情報にアップデートした改訂・分冊版が発売されました(英語のみ)