著:スタイン・ミツッアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
過去20年間に、シリアで民間人が所持する武器の完全な復活が見られました。
1982年のハマの虐殺後、銃の所持が蜂起に繋がる恐れが生じたために民間人が武器を所有し、取り扱う流れは急速に減退しました。失敗した蜂起の直後に施行された厳格な銃規制法は、武器の入手と所有をより困難なものにしたのです。蜂起への恐怖は80年代に徐々に消えていき、政権によって容認された散弾銃は90年代の農村地帯において狩猟道具として次第に人気が高まっていきました。その理由の大半は有利な価格(注:比較的安価)が関係していました。
こうした事情にもかかわらず、アサルトライフルの所有は1982年の後には厳格に禁じられていました。政治的に信頼できる農家や牧羊者は1982年以前にアサルトライフルを所有することを許可された資格を得ることができたものの、この資格は一般の農家とってはあまりにも高価過ぎました。違法にアサルトライフルを所有した場合、一般に2〜6年の懲役と革命前の2000〜10.000USドルの間の単位で罰金が科せられました。しかし、これはピスタチオの木を襲った泥棒を撃退するためにAKMSを握ることを妨げるものでありませんでした(注:不法所持を根絶できなかったということ)。
話題を散弾銃に戻すと、シリア陸軍(SyAA)と国民防衛軍(NDF)内での使用は限られたたままです。シリアの軍事ドクトリンは今まで市街戦に焦点を当てていなかったため、そのような状況に対応する特殊な武器は少しも導入されていなかったためです。しかし、ここ数年の間にイタリアのスパス-15といった限られた数の軍用クラスの散弾銃がシリア沿岸の一般人のもとにたどり着きました。
シリア内戦において比較的よく戦われる、広範囲に及ぶ市街戦は近接戦闘に最適な武器の必要性をもたらし、そのような武器を購入するためにシリア軍の代表団がロシアに送られました。
ВПО-205-03は、AK-104とともに2012年のロシアの武器博覧会の際にシリア軍の代表団が視察した武器に含まれていた考えられ、これが限られた数量のVepr-12の軍用版であるВПО-205-03セミオートマチック式散弾銃の導入につながりました。
Vepr-12シリーズの散弾銃はAK-74MとAK-100シリーズに酷似しており、特に従来の弾倉を使用したアサルトライフルと間違える可能性があります。AKシリーズに見られる標準的なサイドマウントとは対照的に、装備されているピカティニーレールには、さまざまな種類の光学照準器、フォアグリップ、IRポインターやフラッシュライトの装着を可能にしています。
すでにコンパクトなВПО-205-03は横折りたたみ式の銃床によってさらに短縮されることで、近接戦闘のための理想的な武器となります。この銃は世界中の散弾銃の大半のように、標準的な12ゲージの散弾を使用します。
これらの散弾銃のどれもがシリアへ供与されたほかの高性能な武器でよく見られるような、戦場に行き着いた姿を見つけられることはありませんでした。その代わりとして、全てが直ちに沿岸地域の様々な重要人物やその関係者に支給されました。
ВПО-205-03は、例えばデリゾールなどで戦闘する政府軍には天の賜物になるでしょうが、汚職は最も必要とされる場所でのそういった武器の使用を妨げているようです(注:軍隊ではなく有力者などに支給したこと)。
もちろん、このケースは新型散弾銃の使用だけが関係しているます、このような政策(注:汚職のこと)は最終的に戦時体制の損失に終わる可能性があります(注:現体制を不安定にさせるということ)。
※ この翻訳元の記事は、2015年6月8日に投稿されたものです。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま
す。
正確な表現などについては、元記事(再アップ待ち)をご一読願います。
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