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2024年5月17日金曜日

「砂の壁」の向こう側:ポリサリオ戦線の重火器・軍用車両(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は2021年12月15日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳  したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 2021年に西サハラのポリサリオ戦線を狙ったモロッコによるドローン攻撃が多数行われたことで、長い間無視されてきた西サハラ問題に再び注目が集まっています。

 不安定な平和がすぐに新たな武力衝突に道を譲る可能性があるという懸念は月が経過するごとに強まっているようであり、ドローン攻撃に対するポリサリオ戦線の厳しい対応が見受けられないことは、モロッコに軍事的手段を用いて紛争をきっぱりと解決しようとする意志を高めさせるかもしれません。[1]

 西サハラ地域におけるモロッコの領有権を認めているのはアメリカだけですが、ポリサリオ戦線はアルジェリアを除いたいかなる真の政治的・軍事的同盟国から孤立しています。

 かつてスペインの植民地だった西サハラは1976年にモロッコとモーリタニアに分割され、前者が砂漠地帯の3分の2を領有することになりました。やがてこれらの国々とサハラ人の民族主義運動であるポリサリオ戦線との間に紛争が勃発し、後者は1976年にアルジェリアのティンドゥーフに亡命政府を置く形でサハラ・アラブ民主共和国(SADR)の樹立を宣言したのです。

 モーリタニアが1979年に領有権を放棄した後に、モロッコは西サハラにおけるモーリタニアの支配権を掌握しました。その後、激しい戦闘が数十年も続き、1991年に停戦の合意が成立して現在に至ります。停戦当時、西サハラの大部分はモロッコの支配下でしたが、ポリサリオ戦線が西サハラの3分の1を支配していました。

 モロッコの支配地域とポリサリオ戦線の支配地域については全長2,700kmのほとんどが今日でも残っている「砂の壁」で分断されており、砂壁沿いの砦は1980年代を通じてモロッコ軍によって徐々に建設され、現在でも未だに拡張が続けられています。

 1990年代初期以降、武力衝突は主にこの国境の壁沿いでの偶発的な銃撃戦に限られてきました。

 大部分の国はモロッコとポリサリオの主張に対して中立的な立場をとっており、平和的な手段で紛争を解決するよう両当事者に圧力をかけています。2020年、アメリカはモロッコがイスラエルとの関係を正常化するのと引き換えに、西サハラ地域におけるモロッコの主権を正式に承認した最初の国となりました。[2]

西サハラにおける各陣営の支配地域:左下にSADRの支配下にある小さな海岸線に注目。

 サハラウィー人民解放軍(SPLA)はSADRの軍隊です。当初は対空機関砲で武装したトヨタ製テクニカルを装備した反乱軍として活動していましたが、1980年代にリビアから大規模な武器供与を受けた結果、SPLAは当時のアフリカで最も装備の整った軍隊の一つとなりました。カダフィはポリサリオ戦線に「T-62」戦車や「BM-21 "グラート"」多連装ロケット砲(MRL)、さらには「9K33 "オーサ"」地対空ミサイルシステム(SAM)に至るまでのあらゆるものを供与したのです。

 現在のSPLAはいかなる武器供給源からも完全に遮断されており、老朽化したソ連製兵器を更新することもできない状態となっています。それにもかかわらず、2017年にはSPLAがアルジェリアから少数の兵器を得たことが報告されました。その兵器にはロシア製の装甲戦闘車両(AFV)も含まれていたとのことです。この武器供与の内訳については、「BTR-82A」歩兵戦闘車(IFV)、トヨタ製ピックアップトラック、地対空ミサイルで占められていたと伝えられています。[3]

 ただし、これらの情報を裏付ける証拠は提示されておらず、アルジェリアが「BTR-82A」自体の運用国とは知られていません(注:同国が保有していない兵器を供与することは考えにくい)。この時期にアルジェリアがSPLAに何らかの兵器を提供したのか、それともこの情報が国内のプロパガンダとして機能することになっていたのかは、いまだに不明のままです。

ポリサリオ戦線の「T-62」戦車と「T-55」戦車が並んでいる:SPLAは増え続ける無人攻撃機を装備した敵軍を相手に重装甲の部隊を運用する必要に迫られている。

 ポリサリオが保有する膨大な数の戦車やMRL、さらにはSAMシステムは書類上では強大な戦力を誇示しているものの、これらの装備の大半は1960年代から1970年代の旧式です。

 SPLAは1980年代を通じてモロッコ軍への強力な対抗勢力として機能してきましたが、彼らの「最新装備」でさえ世界中の軍事的なトレンドの大部分に遅れることなく追いついてきた軍隊に対しては、今や絶望的に時代遅れなものとなっています。

 SPLAが今後の紛争でモロッコと戦うことになれば、モロッコ空軍による無人機や精密空爆にすぐに屈してしまうかもしれません。

 SPLAが直面しているもう一つの問題は、予備部品と弾薬の不足です。アルジェリアが戦車や他のAFVの予備部品をしているのはもっともらしく思えますが、SAMシステムといった繊細な装備は戦闘能力を維持するために定期的なオーバーホールをする必要があるでしょう。

 これは地対空ミサイルのストックについても同様です。しかしながら、SPLAが旧式化したSAMシステムを稼動状態で維持できるかどうかについては、これらがモロッコの無人攻撃機や戦闘機などにとって脅威となる可能性が低いため、最終的にはほとんど問題にならないでしょう。

保管されているポリサリオの「BMP-1」:これらの歩兵戦闘車は機能を維持するため定期的に運転されている。

  1. 以下の一覧には、視覚的証拠があるものやSPLAに存在することがアメリカの情報機関によって確認されている車両や装備のみ掲載されています。[4] [5] [6]
  2. 掲載されている装備の多くは運用状況が不明です。
  3. SPLAはモロッコ軍やモーリタニア軍から鹵獲した大量の装備も運用していると報じられることもありますが、彼らが鹵獲装備を自軍に統合するために相当の努力をしたことを示唆する兆候はありません(おそらく兵站上の理由からでしょう)。
  4. 下の各兵器名をクリックすると、ポリサリオ戦線で運用されている当該兵器の画像を見ることができます。

戦車

歩兵戦闘車

歩兵戦闘車
  • ~35 BMP-1 (リビアから供与されたもの)

装甲兵員輸送車
  • ~25 BTR-60PB (リビアから供与されたもの)

牽引砲

多連装ロケット砲

迫撃砲
  • M-43 120mm迫撃砲(入手先不明、アルジェリアかリビアと思われる)
  • M-160 160mm迫撃砲 (同上)

対戦車ミサイル
  • 9M14 "マリュートカ" (入手先不明、アルジェリアかリビアと思われる) (現物は未確認)
  • 9M111 "ファゴット" (同上) (複数の情報源で言及されているも、現物は未確認)

携帯式地対空ミサイルシステム

(自走) 対空砲

地対空ミサイルシステム

レーダー

特別協力: Buschlaid

[1] Morocco/Algeria: Western Sahara conflict shows signs of escalation https://www.theafricareport.com/69335/morocco-algeria-western-sahara-conflict-shows-signs-of-escalation/
[2] Trump’s parting gift to Morocco https://www.washingtonpost.com/world/2020/12/14/trumps-parting-gift-morocco/
[3] الجزائر تحرض البوليساريو على إشعال الحرب وترسل لها دفعة أسلحة إلى" البير لحلو" المزيد: https://www.akhbarona.com/world/200883.html#ixzz7ES4UuVVp https://www.akhbarona.com/world/200883.html
[4] THE POLISARIO FRONT: STATUS AND PROSPECTS https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp84s00556r000100150003-7
[5] INCREASE IN ARMOR https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp84t00491r000101760001-2
[6] SUMMARY: THE POLISARIO HAS HAD SOME SUCCESS IN THE WESTERN SAHARA https://www.cia.gov/readingroom/document/cia-rdp85t00176r001700120006-0


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2024年4月7日日曜日

カダフィ大佐の遺産:イタリアから贈られた彼専用の高速列車


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

''エイブラハム・リンカーンは外部や他人の助けを借りずに無から自分自身を創り上げた男だ。彼と私にはある程度の共通点があるように思える。 (ムアンマル・カダフィ)''

 Oryxブログで鉄道を題材にした記事?そう、これはあなたの見間違いではありません。私たちはあなたが何を考えているか知っています:" 戦車や飛行機や船はどこへ行ったのですか?"と。実際のところ、(少なくとも一部の分野の)鉄道は非常に興味深いものです。

 例を挙げると、日本のリニア中央新幹線は時速603kmの世界新記録を持っています。1990年代にクライナ・セルビア人民共和国軍が使用した即席の装甲列車「クライナ急行」は、正真正銘の戦闘要塞のように見えました。

 まだ納得できませんか?それでは、厳密には未だにデンマークが所有しているカダフィ大佐専用のイタリア高速列車はどうでしょうか?

 興味が湧きましたか?それでは、今回はリビアのVIP用高速列車「IC4」の奇妙な物語に迫ってみましょう。

 この気動車両(DMU)がリビアにたどり着いた経緯は、極めて注目に値します:本質的には、カダフィに賄賂を贈ってリビアの鉄道プロジェクトにイタリア企業を選定させるという、当時のイタリア首相シルヴィオ・ベルルスコーニによる狡猾な策略の産物でした(仮にイタリア企業が選定されたら数十億ユーロの利益を得る可能性があっため)。

 ただし、一つだけ小さな問題がありました:カダフィに贈られた列車は一度もイタリアの所有物になったことがなかったのです。実際のところ、この列車はデンマークの国有鉄道会社であるDanske Statsbaner(DSB)向けに同国がイタリアのアンサルドブレダ社(現在の日立レール・イタリア)に発注した83両の車両の一部でした。

 当初は2003年に運行を開始する予定だったものの、最初の「IC4」は2007年後半から乗客を乗せた運行を開始しましたが、その数か月後、列車にいくつかの問題が発生したため、再び運行が停止に追い込まれてしまいました。この状況はこの先に起こるであろうことを暗示していたのかもしれません。計画の遅延と技術的な問題が積み重なり、アンサルドブレダ社は最終的に当初の契約額の半分である53億デンマーク・クローネ(1,140億円)を返金せざるを得なくなったのです。

 おそらく赤字を生む列車に苛立ったのかもしれません、アンサルドブレダ社はまだ生産ラインにあった「IC4」のうちの1編成を、2009年のカダフィ政権樹立40周年記念としてカダフィに寄贈する前にこっそりと豪華なVIP専用列車に改造したのです。

 ベルルスコーニはクーデター40周年の数日前にリビアを訪問していました―他の西側諸国首脳からは敬遠されていたにもかかわらず、です。彼はカダフィに真新しいピカピカに輝く専用の列車を案内したことに加え、(1911年から1943年まで続いた)イタリアによるリビア植民地化の賠償として35億ユーロの投資を約束しました。[1]


 伝えられるところによれば、デンマークは自分たちの列車がイタリアのどこかで放置されているのではなく、カダフィに寄贈され、現在はトリポリ郊外の廃線跡で埃をかぶっていることを把握するのに2013年までかかったとのことです。[2]

 しかし、この発見の結果がコペンハーゲンを悲嘆に暮れさせることはなかったと思われます。なぜならば、2020年7月までにDSBは2024年以降に全車両を段階的に引退させることを見越して、11両の「IC4」を売り出したからです。

 列車の真価は走る路線で決まるのですから、皮肉はここで止まることはありません。これもアンサルドブレダ社にとっては問題でした:トリポリに路線が存在していないからです。実際には、リビア全土で運行されている鉄道は1本もありません。

 (提案されたトリポリとチュニジアを結ぶ路線が完成するまでに)せめて列車を動かせるようにするため、「カダフィ急行」が往復可能な全長3kmの複線線路が敷設されました。提案された路線が2011年の革命前に完成していたらば、 カダフィがアンサルドブレダ社からさらに多くの列車を調達していたことは大いに考えられます。

 アンサルドブレダ社が低品質の列車を製造してきた実績を考慮すると、リビアはこの計画の失敗で実は危機を逃れたことになります。「IC4」の製造品質には多くの不十分な点があります – デンマークでは故障する傾向が非常に高いほどでした。

 同様の問題は「V250」(オランダ向けに製造された別タイプの高速列車)やアンサルドブレダ社が手掛けた他の鉄道プロジェクトにも及んでいることから、問題が設計にあることを明らかにしています。

 世界中の国家元首が利用する現代のVIP列車と比較すると、「カダフィ急行」はその現代風のデザインと最高時速200kmというスピードで際立っています。

 現在、ほとんどの国家元首は車で移動するには不便な距離を移動する場合は主に航空機やヘリコプターに依存しているため、VIP専用列車という概念は徐々に過去の遺物となりつつあります。日本だけが「IC4」と似たような列車を天皇のために運行していますが、最高速度は僅か130km/hしかありません。

 今でも現役で使用されている個人の専用列車で最も著名なものは間違いなく北朝鮮の金一族のものでしょう。この列車は外見や高速性よりも保護に重点を置いたものです。金王朝の全員が頻繁に鉄道を利用していますが、1976年に発生したヘリコプターの事故で飛行機恐怖症になったとされる金正日総書記(故人)は、遠方への移動ではもっぱら列車に頼っていました。安全上の懸念や旧式化した車両、そして一部の区間では時速40km以下しか出せないという北朝鮮の鉄道のお粗末な現状のおかげで、金専用列車は通常では時速60kmというカタツムリのような速度で運行されています。


 カダフィの「IC4」については、オリジナルのデンマーク製内装の少なくとも一部が彼と側近のためのVIPラウンジのために撤去されました。

 画像下のインテリアについては、カダフィとベルルスコーニの会談のために特別に設置されたものと思われます:ただし、列車がこの状態で普通に運行されていたならば、 ボルトで床に固定されていない調度品の全てが(列車が高速に達した後やブレーキを掛けた際に)車内のあちこちへ転がったでしょう。



「カダフィ急行」の別車両には、ソファが縦に向かい合うように設置されていました(下の画像)。一見すると快適に見えますが、実際には豪華なソファではなく小さな折りたたみ式の座席が使われています。これはデンマーク製ICEが持つインテリア・デザインの特徴でもありました。


 デンマークの「ICE」に欠けていたのは、トリポリ郊外にある3kmの線路の端まで移動する間、重要な戦略について議論するために不可欠な会議室でした(下の画像)。


 上述した特別車両以外の客車の内装はオリジナルのデザインから変更されていない状態であり、リビアの「IC4」の外観の鮮やかな色彩とは対照的なものとなっています。


 アンサルドブレダ社が「IC4」を改造してリビアに出荷した際の無計画さは、元のDSBの運転士の銘板とデンマーク語のステッカーが全てそのまま残されていたという事実からも読み取れます。もしカダフィがこの列車を積極的に利用していたならば、デンマーク語のマークが車内の至る場所に貼られていることを尋ねたかもしれません。

 その一方で、彼はすでにパスポートを読むことに側近を頼っていたため、単に気づくことはなかった可能性もあるでしょう。



 チュニジアとの国境までの鉄路建設を見越して、トリポリ近郊の約30kmの地面は2003年の時点でにすでに整地されていました。しかし、中国铁道建筑总公司による建設がやっと開始されるまでには、さらに6年もの歳月を要することになったのです。

 プロジェクト全体には54か月を要する予定だったものの、2011年の革命によって全ての工事はすぐに中止となり、カダフィが実際にこの列車を使う機会も消えてしまいました。[3]

 それでも、この路線の工事はすでに一部で進められており、特筆すべきものとしては、トリポリ中央駅となる予定だった場所の近くで長さ1km以上の地下トンネルが建設されたことが挙げられます。

 これによってリビアは高速鉄道と地下トンネルの路線の両方を持つ世界唯一の国となりましたが、実際の鉄道輸送は行われていません(注:新幹線は上野駅のホーム及び付近の路線が地下にあるため、厳密にはリビアが世界唯一というわけではありません)。

全長3kmの線路

未完成のまま放置された駅

地下トンネルの一部(現在はほとんど砂で覆われている)

 これまで設計された列車の中で最も美しいと言うには議論の余地がありますが、その流麗なデザインは下の画像で堪能することができます。車体にある文章は次のとおり: قطار الحياة - 「生命の列車」と الجماهيرية الليبية الشعبية الاشتراكية العظمى - 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」。



 2013年3月にデンマークのコメディアンがこの列車を訪れた際に「デンマーク国民からの贈り物」としてデンマーク女王(当時)であるマルグレーテ2世のポスターをリビアの当局者に手渡しましたが、これは実質的に列車がリビアに正式に引き渡されたことを意味する出来事と言えるでしょう。

 その後数年間で風雨と破壊行為の両方が列車の外装と内装に大損害をもたらすことになりましたが、線路自体にも被害が及んだほか、鋼鉄製であった線路の大部分が撤去されてしまいました。



 すでにカダフィが専用のジャグジーさえ設けられた自家用「A340」を含む膨大なVIP用航空機を利用することができたことを踏まえると、豪華な列車を適切に利用できないことに少しも苦に思わなかったでしょう。

 最終的に列車の基本的な利用を可能にするのに十分な線路が敷設されていたならば、デンマークが突き止めたものと同じ問題が運行会社を悩ませることになったかもしれません。

ただし、それ以前に1編成の列車がしか与えられていないこと、そしてリビアでこれらの列車を運行した経験が皆無だったという事実だけでも、おそらくそれ自体が問題を引き起こしていたと思われます。

 振り返ってみると、この試練全体は、カダフィにイタリアの列車と将来的に登場する鉄道用の設備を購入させるための巨額な賄賂にすぎませんでした。

 2011年の革命以降、リビアは何度か鉄道プロジェクトの再開を試みてきました。こうした試みはまだどれも成功していませんが、仮に成功した場合でも寄贈されたこの「IC4」がその一部に加わることはないでしょう。現在、この列車はあまりにも常軌を脱した物語ではなく、実用性の考慮が贅沢さや夢物語に取って代わられた過去の時代の象徴として、その役割をうまく果たしています。

 より現実的な性格での新たな投資は、リビアで急速に影響力を強めているトルコからの援助によって成立するかもしれません。

 結果的に、カダフィの列車は一国の願望を乗せて終点に到着したのでしたーーー。


[1] Berlusconi and Gaddafi launch Libya motorway project https://www.france24.com/en/20090831-berlusconi-gaddafi-launch-libya-motorway-project-
[2] DSB: Vi aner intet om Gadaffi-tog https://ekstrabladet.dk/underholdning/filmogtv/tv/article4737291.ece
[3] Contract placed for next stage of Libyan network https://www.railwaygazette.com/news/contract-placed-for-next-stage-of-libyan-network/33725.article

※ この記事は、2021年2月5日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。