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2025年1月1日水曜日

贅沢と戦争の果てに:サッダーム・フセインの巨大ヨットとその運命


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2023年9月21日に本国版「Oryxブログ」(英語)に最後に投稿されたものを翻訳した記事です。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 あなた方アメリカ人はイラクの農民が新婦にするように第三世界を扱っている...3日間のハネムーンが終わったら、あとは畑へ放り出すだけだ:サッダーム・フセイン

 オリガルヒのスーパーヨットは、その巨大なサイズと豪華な内装で多くの注目を集めています。こうした船の多くには、ヘリポート、プール、映画館、スピードボートや高級車専用の格納庫、義理の両親を泊めるのに十分なだけの豪華な客室が備わっています。

 実際、最大のスーパーヨットは、大きさの点ではフリゲートに匹敵するほど巨大です。それに比べると、ヘッダー画像のヨットについては、一見するとクルーズ船やバルト海で見るフェリーと同等のレベルに見えるかもしれません。

 しかし、その見た目に騙されてはいけません。なぜならば、この洋上宮殿は、その時代で最も豪華なものだったのです。

 「アル・マンスール」と名付けられたこの船は、大量の大理石と金メッキで装飾された部屋、印象的なアトリウム、200人収容可能なダイニングルーム、格納庫付きのヘリポート、そして脱出ポッド(小型潜水艦)などを備えていました。このヨットには、2基の「9K31 "ストレラ-1"」対空ミサイルの発射機が船の上部構造に隠される形で装備されていたという噂もあります。

 少なくとも贅沢をしないふりをする努力をしていたムアンマル・カダフィとは異なり、サッダーム・フセインは、その贅沢なライフスタイルを実に堂々と誇示していました。それには、膨大な数の高級外車のコレクション、豪華な専用列車、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ製の(個人用)ヘリコプター群、(現在は売りに出されている「ボーイング747SP」4発旅客機、さらには別のVIP専用機が含まれていたほどです。

 こうした多くの交通手段によって、彼は、一つの宮殿と別の宮殿を楽々と移動することができました(これらの宮殿それぞれが、都市全体に匹敵する広さであったことにも言及しておきます)。

 イランと戦争していないとき、あるいはイラクの村々全体を壊滅していないとき、サッダームとその家族は、イラク海軍の総排水量を上回る3隻のプライベート・ヨットのうちの1隻に乗ってリラックスできたわけです。2003年に失脚するまで、サッダームとその家族が極めて贅沢な生活を謳歌していたと言えば十分に伝わるでしょう。

 ヨットによっては不運だったのは、サッダームが贅沢な暮らしに溺れること以上に大切にしていたことがあったことです:それは外国に侵略を仕掛けることでした。

 敵の海軍や空軍の標的になることなく外洋クルージングで潮風を楽しむため、彼は近隣諸国への侵攻を控える必要がありました。と言うのも、イラクの海岸線は58キロメートルと短い上に実質的な領海が存在しないため、彼が持つ大型ヨットの運航には支障があったからです。それでも、サッダームは正式に政権の座に就いてから僅か1年後にイランを攻撃して、最初の侵攻を開始しました。

 著しく弱体化したイランを相手に迅速な勝利を見込んでいたにもかかわらず、イラン・イラク戦争が結局8年近くも続いたことはご存知のとおりです。この戦争中、イランが(港の)船舶を標的にすることに関心を示さなかったため、彼のヨットはイラクや外国の港に安全に係留されたままでした。

 1988年にイラン・イラク戦争が終結した後、サッダームはようやくヨットを使えるようになりました。しかし、彼はそのヨットに乗る前にクウェートへの侵攻を開始したのです。1990年のクウェート侵攻は、サッダームの圧政と途方もない贅沢な暮らしの終わりの始まりでした。

 その11年前の1979年、サッダームは正式に大統領の座に就き、最高権力者となりました。その年は、彼がバアス党の粛正を画策して党の臨時会議中に対立する党員たちの名前を読み上げ、彼らを外に連れ出して処刑させたほか、デンマークにプライベート・ヨット2隻を発注した年でもあります。

 そのヨットは「カディシヤット・サダーム」と「アル・カーディシーヤ」で、後者はユーフラテス川とチグリス川で運行するために特別設計された河川航行用ヨットです。デンマークの船舶設計企業であるクヌーズ・E・ハンセン社によって設計され、ヘルシンゲル造船所で建造された2隻は、それぞれ1981年と1982年に納入されました。[1] [2]

 イランとの戦争が続いていたおかげで、サッダームは全長80メートルの「カディシヤット」を利用することができませんでしたが、やがて、サウジアラビアの国王が彼に戦争を終結させるだけの説得力のある動機を与えることになります。

「アル・マンスール」には遠く及ばなかったかもしれないが、「カディシヤット・サッダーム」も豪華さに満ちあふれていた

 サウジアラビアのハーリド国王は、イラン・イラク戦争の資金として数百億ドルを提供し、イラク・フランス間のさまざまな武器取引に資金を援助したほか、新品のヨットを贈呈することで(少なくとも一部の湾岸諸国から見れば)イランの脅威に対抗したサッダームに報いました。

 「アル・マンスール(勝者)」は全長120メートルという見事なものでした。その巨体ゆえに、「カディシヤット・サッダーム」の影が完全に消えてしまったほどです。

 驚くべきことに、この船はサッダームが「カディシヤット・サッダーム」を引き渡される前からサウジアラビアに発注されていました。

 同じくクヌーズ・E・ハンセン社が設計し、フィンランドの造船企業であるバルチラによって建造されたこのヨットは、1982年に完成したことが記録されています。

 「アル・マンスール」は、大きさだけでなく設備の面においても「カディシヤット」を凌駕していました。装甲甲板、防弾窓、泳いで侵入して来る者に対する防護設備、病院、格納庫付きヘリポート、サッダームのスイートルームと脱出ポッド(小型潜水艦)を結ぶ脱出ルートを誇っており、伝えられるところによれば、2基の「9K31 "ストレラ-1"」 対空ミサイル発射機も搭載していたとのことです。

バルト海で海上公試中の「アル・マンスール」:後方のヘリポートと中央の大きなアトリウムに注目

 1982年に「アル・マンスール」が完成した後は、このヨットをイラン・イラク戦争が続く中のイラクまで航行させるという困難な任務が残されていました。2005年に行われた「アル・マンスール」の船長へのインタビューでは、1984年に新品のヨットをバスラに到着させることができたのは、綿密な計画の結果というよりも、むしろ奇跡に近い幸運のおかげだったと語られています。[3]

 航海のクライマックスは、1984年2月の暗い夜に狭いホルムズ海峡を抜けてペルシャ湾に入ったときのことでした。というのも、イランの支配下にある海域を通過するという極限の状況だったからです。ウム・カスルの港に到着した後、「アル・マンスール」はすでに同港に停泊していた「カディシヤット・サッダーム」と合流しました。

 サッダームがこのヨットをイラクまで危険な船旅をさせ、結果的に使用不能にすることを選んだ正確な理由は謎のままです。しかし、確実なのは、彼がこの船を一度も目にしたことがないということでしょう。それが、イランとの戦争で抱える過密なスケジュールのためだったのか、それとも船を訪れることでイランの標的になることを懸念してのことだったのかは分かっていません。

 とはいえ、サッダームが自分のヨットを使うためにイランとの戦争を終わらせたわけではないことは明らかです。 したがって、ハーリド国王からの贈り物は太っ腹だったとは言えますが、途方もない無駄遣いに過ぎなかったことに議論の余地がありません。

まだ安全なフィンランド領海内を航行中に撮影された「アル・マンスール」

 この船の豪勢な内装を見れば、いかに巨額の浪費だったことか分かります。

 サッダーム・フセインは、内装のデザイン担当に建築家のDinkha Latchinを起用しました。彼が手がけた略図をここで見ることができます

 サウジアラビアが費用を負担したおかげで、Latchinは事実上、あらゆる創作意欲を満たすことができました。彼によれば、サッダームは「アル・マンスール」を自身の洋上宮殿としてだけでなく、国家的な会議を開催したり、外国の要人を宿泊させたりする場としても想定していたとのことです。[4]

 彼は次のとおり述べました:「あれは多くの会議室を備えたクルーズ船で、湾岸諸国の中心部で会議をするためのものでした。無人の地で公正な会議を開くのであれば中心地でなければならない、それがこの船のコンセプトだったのです」。[4]

 それまでLatchinがサッダームのためにやってきた仕事は、主にイラク大使館や世界各地の文化センターの設計でしたが、彼に与えられた新たな役割は、船内の設計のみならず(経験のない)船の設計顧問として働くことでした。

 それにもかかわらず、クヌーズ・E・ハンセン社の設計士は、6階建ての建物と同じ高さのフェリーの設計図を見せてLatchinを安心させ、「私たちがこのフェリーを浮かべることができれば、あなたが設計したものは何でも浮かべることができます。だから何も心配しないでください。私たちがやってみせますから。」と力説したのです。[4]

 彼は船の外装のデザインも担当し、前部を延長してダウ船を想起させる外観にしたものの、波浪による損傷に脆弱であるとの懸念から、この延長部分については最終的に短縮を強いられてしまいました。[4]

「アル・マンスール」内部の様子:この船は誕生から一度も使用されず、2003年以降は略奪者によって内装が全て奪われてしまった

 ウム・カスルで、「アル・マンスール」は、 (アラブ・イスラム世界がイランを征する契機となった)西暦636年の「アル・カディシヤの戦い」にちなんで命名された「カディシヤット・サッダーム」に隣接して係留されていました。

 イラン軍がイラクとの国境に接近し、続いてイラクに侵入すると、「カディシヤット・サッダーム」は安全のため、1986年にサウジアラビアに移されました。「アル・マンスール」については、待避させられることなくイラクに残されたままとなりましたが、理由が何なのかは分かっていません。

 イランとの戦争が終結した後になっても、サッダームはサウジアラビアからヨットを取り戻す動きを見せなかったようです。その代わり、イラン・イラク戦争で生じた借金の返済を拒否したことが引き金となってクウェートに侵攻し、続く湾岸戦争で不運にもサウジアラビアにも侵攻したことで、サウジアラビアに「カディシヤット・サッダーム」を接収されてしまいました。[5]

 ただし、サウジ国王や王家の面々が新しいヨットを必要としていなかったことから、「アル・ヤマーマ」と改名されたこのヨットは全く使用されなかったようです。

 サッダーム・フセインが「カディシヤット・サッダーム」の所有で恩恵を受けたわけではありませんが、大統領専用ヨットの調達を担当した彼のスタッフが利益を得たことは間違いありません。というのも、彼らがこのヨットに関する交渉を通じて、5%の手数料に加えて「善意の心遣い」として10台のバスと4台のメルセデスを用意するよう要求し続け、最終的にヘルシンゲル造船所に契約を認めさせたからです(編訳者注:発注の見返りに便宜供与を約束させたということ)。もっとも、デンマーク側はその要求を履行しませんでしたが。[5][6]

 ヨットの建造中、サッダームの指示を確実に厳守するため、イラクの当局者たちが造船所を入念にチェックしました。その際の注目すべき出来事として、ある役人がサッダームのスイートルーム用のベッドカバーを交換するよう要求したことがありました。なぜならば、休憩中の作業員がほんの少しだけベットで休んでしまったからです。[7]

 デンマーク人が大いに驚いたことに、高価なベッドカバーが交換された後、件の作業員には(交換前の)ベッドカバーを持ち帰ることが認められました。その後、彼はそれを長年にわたって自分のベッドで使用したとのことです。[5]

「カディシヤット・サッダーム」内のサッダーム専用ベッドと悪名高い新品のベッドカバー

 1990年代初期にサウジアラビアが「カディシヤット・サッダーム」を接収して以降、このヨットが何に使われたかは全く知られていません。後に「オーシャン・ブリーズ」と改名されたこのヨットについては、ヨルダンのアブドラ2世国王に贈られた可能性が伝えられています。

 「オーシャン・ブリーズ」の正式登録はケイマン諸島の企業と関連付けられていましたが、これは真の所有者を偽装するためにスーパーヨットの世界で用いられる一般的な手法のため、特に珍しいものではありません。

 2000年代から2010年代にかけて、イラクの新政権は在外資産の所在を突き止め、本国に引き揚げることを決定しました。2007年に「オーシャン・ブリーズ」がフランスのニースでドック入りした際、イラク当局は同船の所有権を自国に移転するよう申し入れました。[5]

 数年にわたるフランスでの法廷闘争の結果、2009年に裁判所がイラクに勝訴の判決を下しました。こうして、イラクによるヨットの接収が認められたのです(編訳者注:2008年という情報もある)。 大規模な修理の後、ヨットは2010年にバスラに帰還し、「バスラ・ブリーズ」と改名されてバスラ大学海洋科学センターの研究プラットフォームとして再利用されました。[5]

 2018年にバスラ港のイラク人水先案内人用の水上ホテルに転用されたヨットの役目は、今でも続いています(編訳者注:2021年の時点で、バスラの地で洋上博物館として再利用される案が浮上したが、その後の経過については不明)。[11]

 「アル・マンスール号」と同様に、サッダームが「カディシヤット・サッダーム」に足を踏み入れることは一度もありませんでした。

後に「オーシャン・ブリーズ」と呼ばれ、その後「バスラ・ブリーズ」改名された 「カディシヤット・サッダーム」は再びイラク人の手に戻り、バスラ大学の海洋科学センターで利用されている(ただし、今では将来を危ぶまれている)

 サッダームが「カディシヤット・サッダーム」を待避させるという選択をしたことが、このヨットが今日まで現存している理由であることは言うまでもないでしょう。

 より大型の「アル・マンスール」をイラクに残すという決定は、最終的にこのヨットに全く異なる運命をもたらすことになります。イラク沖に展開するアメリカの空母打撃群と遭遇するリスクなしに航行することができなかった「アル・マンスール」は、1991年から2003年まで休眠状態にありました。

 2003年、サッダームはこのヨットをウム・カスルからバスラの内港に移動させるよう命令を出しました。この動きについては、フセイン政権が差し迫った侵攻に何とか耐えられるというサッダームの未練に似た希望を反映したものであり、ヨットが攻撃されることを回避するべく行われたものだったと思われます。ところが、彼の意図は脆くも崩れ去ってしまいました。有志連合軍が「アル・マンスール」がイラク軍及び共和国防衛隊の通信センターあるいは司令部として機能していることを確信し、この船を無力化する決定を下したからです。[8]

 第一撃はアメリカ海軍の空母艦載機ロッキード「S-3B "バイキング」の空爆で始まり、同機がミサイルを1発撃ち込みましたが、機能停止に追い込むことはできませんでした。第二撃として2機の「F/A-18 "ホーネット"」が攻撃しましたが、誘導爆弾は同艦に命中しなかったようです。[8]

 最新鋭の攻撃機と誘導兵器が無防備なプライベート・ヨット相手の攻撃に2度も失敗したことを考慮すると、この時点でアメリカは不満を大きく抱いたのかもしれません。その後、2機の「F-14」に「Mk.82」500ポンド(227kg)爆弾を使用しての「アル・マンスール」攻撃が命じられました。[8]

 1機目の「F-14」は早いタイミングで爆弾を投下したため、結果的に1発が「アル・マンスール」の前面装甲を貫通せずに爆発してしまいました。続く2機目は正確な攻撃に成功し、中央部のアトリウムに命中して炎上を生じさせたものの、沈没に至るほどの致命的な損傷を与えることはできなかったようです。

 この時点で「アル・マンスール」の防御力が見せた強靱性は、この国が経験した全戦争におけるイラク海軍の数少ない成功例を示しました。アメリカとしては、目標の無力化自体が達成されていることから、攻撃が十分に行われたと判断し、沈没まで至らせるようなことをしなかったと見受けられます。

 このヨットは空爆から数年後に転覆という形で最期を迎えましたが、これはアメリカの空爆によるものというよりは、何もせず放置し続けた結果です。

2003年のアメリカ軍による空爆で損傷を受けた「アル・マンスール」:Mk.82爆弾が装甲を突き破れなかった船首部分に注目

ヨットの反対側では、2回目の攻撃で命中したMk.82爆弾による被害を見ることができる:この爆弾は船の最も脆弱な部分に命中し、壊滅的な火災を引き起こした

 想像できる限りの豪華な設備を備えた2隻の外洋ヨットを所有しながらも、イラン(後にアメリカ)との戦争により、サッダームにとってそれらは事実上使用不可能な代物となりました。

 彼にとって幸いだったのは、イラクにはユーフラテス川とチグリス川という、大型船が航行可能な大きな河川があったことです。どうやら、彼はこれらの河川を無駄にするのは惜しいと考えたらしく、1979年にクヌーズ・E・ハンセン社とヘルシンゲル造船所の協力を得て、豪華な河川用ヨットを設計・建造させたのでした。[2]

 このヨットは西暦636年のアル・カーディシーヤの戦いの戦いにちなんで、サッダームの「ボーイング747SP」と同じ「アル・カーディシーヤ」と名付けられました。全長が67メートルで、ユーフラテス川とチグリス川に架かる橋の下を通過できるように低く設計されたデザインが特徴です。

 小型ボート用の格納庫を含む、想像しうる限りの豪華な設備を備えた「アル・カーディシーヤ」は、1982年にサッダームに引き渡されました。このヨットがイラクで使用された情報についてはほとんど存在せず、イラク国内で撮影されたことも確認されていません。

 サダムにとっては不運だったのは、自分が心の底から楽しむことができた唯一のヨットが最初に沈んだヨットになってしまったことでしょう。「アル・カーディシーヤ」は湾岸戦争中の1991年初頭に沈められてしまったのです。[2]

 このヨットについては、今でもイラクの河底に横たわり続けていると考えられています。

「アル・カーディシーヤ」はユーフラテス川とチグリス川での使用を目的としていた:1982年に引き渡されたが、湾岸戦争で戦没した

船尾部分から見た「アル・カーディシーヤ」:後部にはプレジャーボートやジェットスキー専用の格納庫が設けられている

 今日、かつてサッダームが所有していた豪勢な洋上宮殿の名残は、水路に浮かぶ錆びついた船体とホテルとして再活用されたヨットだけです。

 ヨットの1隻がイラクの人々に返還されたことは、少なくとも一つの前向きな結果を示していると言えるでしょう。とはいえ、「アル・マンスール」が誇ったかつての栄華の記憶はいまだにイラクに残っており、沈没船の保存を求める声が上がっています。[9]

 このような事業に資金が得られるかどうか、略奪に遭った沈没船を保存することが本当に価値のある行為なのかどうか、いまだに不透明なままです。それでも、錆びた船体が河川の水質を脅かしているため、この船に何か手を打たなければならないことに議論の余地はありません。[10]

 この先どのような展開になろうとも、否定できない事実が一つだけあります:それは、サッダームが所有したヨットが(誕生から)40年後に再び人びとの好奇心をそそる物語となったことです。

横転・着底した「アル・マンスール」:2024年現在もバスラ港で無残な姿を晒している(座標: 30°31'34.53"N、 47°50'25.67"E)

[1] Qadissiyat Saddam - Design of 80 m luxury yacht https://www.knudehansen.com/reference/qadissiyat-saddam/
[2] Al Quadisiya - Conceptual Design of 67 m river yacht https://www.knudehansen.com/reference/al-quadisiya/
[3] The Best of the Best of the World http://peacework.blogspot.com/2005/04/best-of-best-of-world-now-this-is.html
[4] Saddam’s Love For The Sea — Interview with Architect Dinkha Latchin. https://medium.com/@samt_60363/saddams-love-for-the-sea-interview-with-architect-dinkha-latchin-f0b6ed43a44e
[5] Whatever Happened To Saddam Hussein's Yacht? https://www.boatinternational.com/yachts/editorial-features/basrah-breeze-saddam-hussein-yacht
[6] Inside Saddam Hussein’s abandoned gold-encrusted superyacht with missile launcher and secret passage to mini-sub https://www.thesun.co.uk/news/21705213/saddam-husseins-abandoned-gold-encrusted-superyacht-missile-launcher/
[7] Grusom diktators vilde danske luksus https://jyllands-posten.dk/kultur/article6383273.ece
[8] March 27, 2003: The U.S. Navy F-14 Tomcats Attack On Saddam's Yacht https://theaviationist.com/2013/03/27/saddams-yacht/#.UVRoRqp5LYS
[9] Saddam Hussein's rusting yacht al-Mansur now serves as a picnic spot for Iraqi fishermen https://www.abc.net.au/news/2023-03-17/saddam-s-rusting-yacht-serves-as-picnic-spot-for-iraqi-fishermen/102109946
[10] Al-Mansur: How Saddam Hussein’s largest yacht became a local fishing spot in Iraq https://www.boatinternational.com/yachts/editorial-features/al-mansur-saddam-hussein-yacht
[11] バスラの地元住民が、サダム・フセインの豪華ヨットを展示する計画を提案https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_43641/

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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2024年4月7日日曜日

カダフィ大佐の遺産:イタリアから贈られた彼専用の高速列車


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

''エイブラハム・リンカーンは外部や他人の助けを借りずに無から自分自身を創り上げた男だ。彼と私にはある程度の共通点があるように思える。 (ムアンマル・カダフィ)''

 Oryxブログで鉄道を題材にした記事?そう、これはあなたの見間違いではありません。私たちはあなたが何を考えているか知っています:" 戦車や飛行機や船はどこへ行ったのですか?"と。実際のところ、(少なくとも一部の分野の)鉄道は非常に興味深いものです。

 例を挙げると、日本のリニア中央新幹線は時速603kmの世界新記録を持っています。1990年代にクライナ・セルビア人民共和国軍が使用した即席の装甲列車「クライナ急行」は、正真正銘の戦闘要塞のように見えました。

 まだ納得できませんか?それでは、厳密には未だにデンマークが所有しているカダフィ大佐専用のイタリア高速列車はどうでしょうか...興味が湧きましたか?それでは、今回はリビアのVIP用高速列車「IC4」の奇妙な物語に迫ってみましょう。

 この気動車両(DMU)がリビアにたどり着いた経緯は、極めて注目に値します:本質的には、カダフィに賄賂を贈ってリビアの鉄道プロジェクトにイタリア企業を選定させるという、当時のイタリア首相シルヴィオ・ベルルスコーニによる狡猾な策略の産物でした(仮にイタリア企業が選定されたら数十億ユーロの利益を得る可能性があっため)。

 ただし、一つだけ小さな問題がありました:カダフィに贈られた列車は一度もイタリアの所有物になったことがなかったのです。実際のところ、この列車はデンマークの国有鉄道会社であるDanske Statsbaner(DSB)向けに同国がイタリアのアンサルドブレダ社(現在の日立レール・イタリア)に発注した83両の車両の一部でした。

 当初は2003年に運行を開始する予定だったものの、最初の「IC4」は2007年後半から乗客を乗せた運行を開始しましたが、その数か月後、列車にいくつかの問題が発生したため、再び運行が停止に追い込まれてしまいました。この状況はこの先に起こるであろうことを暗示していたのかもしれません。計画の遅延と技術的な問題が積み重なり、アンサルドブレダ社は最終的に当初の契約額の半分である53億デンマーク・クローネ(1,140億円)を返金せざるを得なくなったのです。

 おそらく赤字を生む列車に苛立ったのかもしれません、アンサルドブレダ社はまだ生産ラインにあった「IC4」のうちの1編成を、2009年のカダフィ政権樹立40周年記念としてカダフィに寄贈する前にこっそりと豪華なVIP専用列車に改造したのです。

 ベルルスコーニはクーデター40周年の数日前にリビアを訪問していました―他の西側諸国首脳からは敬遠されていたにもかかわらず、です。彼はカダフィに真新しいピカピカに輝く専用の列車を案内したことに加え、(1911年から1943年まで続いた)イタリアによるリビア植民地化の賠償として35億ユーロの投資を約束しました。[1]


 伝えられるところによれば、デンマークは自分たちの列車がイタリアのどこかで放置されているのではなく、カダフィに寄贈され、現在はトリポリ郊外の廃線跡で埃をかぶっていることを把握するのに2013年までかかったとのことです。[2]

 しかし、この発見の結果がコペンハーゲンを悲嘆に暮れさせることはなかったと思われます。なぜならば、2020年7月までにDSBは2024年以降に全車両を段階的に引退させることを見越して、11両の「IC4」を売り出したからです。

 列車の真価は走る路線で決まるのですから、皮肉はここで止まることはありません。これもアンサルドブレダ社にとっては問題でした:トリポリに路線が存在していないからです。実際には、リビア全土で運行されている鉄道は1本もありません。

 (提案されたトリポリとチュニジアを結ぶ路線が完成するまでに)せめて列車を動かせるようにするため、「カダフィ急行」が往復可能な全長3kmの複線線路が敷設されました。提案された路線が2011年の革命前に完成していたらば、 カダフィがアンサルドブレダ社からさらに多くの列車を調達していたことは大いに考えられます。

 アンサルドブレダ社が低品質の列車を製造してきた実績を考慮すると、リビアはこの計画の失敗で実は危機を逃れたことになります。「IC4」の製造品質には多くの不十分な点があります – デンマークでは故障する傾向が非常に高いほどでした。

 同様の問題は「V250」(オランダ向けに製造された別タイプの高速列車)やアンサルドブレダ社が手掛けた他の鉄道プロジェクトにも及んでいることから、問題が設計にあることを明らかにしています。

 世界中の国家元首が利用する現代のVIP列車と比較すると、「カダフィ急行」はその現代風のデザインと最高時速200kmというスピードで際立っています。

 現在、ほとんどの国家元首は車で移動するには不便な距離を移動する場合は主に航空機やヘリコプターに依存しているため、VIP専用列車という概念は徐々に過去の遺物となりつつあります。日本だけが「IC4」と似たような列車を天皇のために運行していますが、最高速度は僅か130km/hしかありません。

 今でも現役で使用されている個人の専用列車で最も著名なものは間違いなく北朝鮮の金一族のものでしょう。この列車は外見や高速性よりも保護に重点を置いたものです。金王朝の全員が頻繁に鉄道を利用していますが、1976年に発生したヘリコプターの事故で飛行機恐怖症になったとされる金正日総書記(故人)は、遠方への移動ではもっぱら列車に頼っていました。安全上の懸念や旧式化した車両、そして一部の区間では時速40km以下しか出せないという北朝鮮の鉄道のお粗末な現状のおかげで、金専用列車は通常では時速60kmというカタツムリのような速度で運行されています。


 カダフィの「IC4」については、オリジナルのデンマーク製内装の少なくとも一部が彼と側近のためのVIPラウンジのために撤去されました。

 画像下のインテリアについては、カダフィとベルルスコーニの会談のために特別に設置されたものと思われます:ただし、列車がこの状態で普通に運行されていたならば、 ボルトで床に固定されていない調度品の全てが(列車が高速に達した後やブレーキを掛けた際に)車内のあちこちへ転がったでしょう。



「カダフィ急行」の別車両には、ソファが縦に向かい合うように設置されていました(下の画像)。一見すると快適に見えますが、実際には豪華なソファではなく小さな折りたたみ式の座席が使われています。これはデンマーク製ICEが持つインテリア・デザインの特徴でもありました。


 デンマークの「ICE」に欠けていたのは、トリポリ郊外にある3kmの線路の端まで移動する間、重要な戦略について議論するために不可欠な会議室でした(下の画像)。


 上述した特別車両以外の客車の内装はオリジナルのデザインから変更されていない状態であり、リビアの「IC4」の外観の鮮やかな色彩とは対照的なものとなっています。


 アンサルドブレダ社が「IC4」を改造してリビアに出荷した際の無計画さは、元のDSBの運転士の銘板とデンマーク語のステッカーが全てそのまま残されていたという事実からも読み取れます。もしカダフィがこの列車を積極的に利用していたならば、デンマーク語のマークが車内の至る場所に貼られていることを尋ねたかもしれません。

 その一方で、彼はすでにパスポートを読むことに側近を頼っていたため、単に気づくことはなかった可能性もあるでしょう。



 チュニジアとの国境までの鉄路建設を見越して、トリポリ近郊の約30kmの地面は2003年の時点でにすでに整地されていました。しかし、中国铁道建筑总公司による建設がやっと開始されるまでには、さらに6年もの歳月を要することになったのです。

 プロジェクト全体には54か月を要する予定だったものの、2011年の革命によって全ての工事はすぐに中止となり、カダフィが実際にこの列車を使う機会も消えてしまいました。[3]

 それでも、この路線の工事はすでに一部で進められており、特筆すべきものとしては、トリポリ中央駅となる予定だった場所の近くで長さ1km以上の地下トンネルが建設されたことが挙げられます。

 これによってリビアは高速鉄道と地下トンネルの路線の両方を持つ世界唯一の国となりましたが、実際の鉄道輸送は行われていません(注:新幹線は上野駅のホーム及び付近の路線が地下にあるため、厳密にはリビアが世界唯一というわけではありません)。

全長3kmの線路

未完成のまま放置された駅

地下トンネルの一部(現在はほとんど砂で覆われている)

 これまで設計された列車の中で最も美しいと言うには議論の余地がありますが、その流麗なデザインは下の画像で堪能することができます。車体にある文章は次のとおり: قطار الحياة - 「生命の列車」と الجماهيرية الليبية الشعبية الاشتراكية العظمى - 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」。



 2013年3月にデンマークのコメディアンがこの列車を訪れた際に「デンマーク国民からの贈り物」としてデンマーク女王(当時)であるマルグレーテ2世のポスターをリビアの当局者に手渡しましたが、これは実質的に列車がリビアに正式に引き渡されたことを意味する出来事と言えるでしょう。

 その後数年間で風雨と破壊行為の両方が列車の外装と内装に大損害をもたらすことになりましたが、線路自体にも被害が及んだほか、鋼鉄製であった線路の大部分が撤去されてしまいました。



 すでにカダフィが専用のジャグジーさえ設けられた自家用「A340」を含む膨大なVIP用航空機を利用することができたことを踏まえると、豪華な列車を適切に利用できないことに少しも苦に思わなかったでしょう。

 最終的に列車の基本的な利用を可能にするのに十分な線路が敷設されていたならば、デンマークが突き止めたものと同じ問題が運行会社を悩ませることになったかもしれません。

ただし、それ以前に1編成の列車がしか与えられていないこと、そしてリビアでこれらの列車を運行した経験が皆無だったという事実だけでも、おそらくそれ自体が問題を引き起こしていたと思われます。

 振り返ってみると、この試練全体は、カダフィにイタリアの列車と将来的に登場する鉄道用の設備を購入させるための巨額な賄賂にすぎませんでした。

 2011年の革命以降、リビアは何度か鉄道プロジェクトの再開を試みてきました。こうした試みはまだどれも成功していませんが、仮に成功した場合でも寄贈されたこの「IC4」がその一部に加わることはないでしょう。現在、この列車はあまりにも常軌を脱した物語ではなく、実用性の考慮が贅沢さや夢物語に取って代わられた過去の時代の象徴として、その役割をうまく果たしています。

 より現実的な性格での新たな投資は、リビアで急速に影響力を強めているトルコからの援助によって成立するかもしれません。

 結果的に、カダフィの列車は一国の願望を乗せて終点に到着したのでしたーーー。


[1] Berlusconi and Gaddafi launch Libya motorway project https://www.france24.com/en/20090831-berlusconi-gaddafi-launch-libya-motorway-project-
[2] DSB: Vi aner intet om Gadaffi-tog https://ekstrabladet.dk/underholdning/filmogtv/tv/article4737291.ece
[3] Contract placed for next stage of Libyan network https://www.railwaygazette.com/news/contract-placed-for-next-stage-of-libyan-network/33725.article

※ この記事は、2021年2月5日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。


2024年1月1日月曜日

女王陛下とNATOのために:近年におけるデンマークの軍備調達計画(一覧)


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)


 EU加盟国内で最大規模の軍隊をもたらすことになるポーランドの防衛費増額には、(少なくとも私たちの記事を通じて)多くの注目が寄せられています。[1]

 ほかのNATO加盟国もこの動きに追随しようと試みており、ルーマニアでは小規模ながらポーランドの事例と同様の野心的な再軍備計画に着手しています。これらの国々による計画上の数値を合算した場合、結果的に数千台の戦車と歩兵戦闘車(IFV)、1000門以上の自走砲(SPG)と多連装ロケット砲(MRL)が調達されることになるでしょう。.

 このような目覚ましい数字を目にすると、デンマーク、バルト三国、オランダのような小国が自国軍の大幅な近代化と能力の拡張に取り組んでいることを非常に見落とされがちとなるかもしれません。

 この中で、特にデンマークは軍備の導入プロセスを迅速化を追求しており、ヨーロッパの防衛事業として以前では考えられなかったようなペースに加速しています。(特にポーランドのような国と比較した場合)導入した兵器システムの数は決して劇的なものではありませんが、それらはそれ自体でNATOの安全保障にとって不可欠なものであり続けることに疑いを向ける余地はありません。 

 近年におけるデンマークの兵器調達事業については、完全に新しい能力を導入する一方で、冷戦終結以降に失われた能力を取り戻すことも含まれています。後者に該当するのは潜水艦(2004年)、MRL(2004年)、地対空ミサイルシステム(2005年)、戦術無人航空機(2006年)などです。

 新規に買収する兵器類の費用を捻出するためにデンマークは防衛予算を大幅に引き上げました。その規模は防衛支出を増額すべく祝日を廃止したほどにもなります。[2] [3]

 人口600万人弱のデンマーク軍は比較的小規模な軍隊です。ただし、(いずれもデンマーク王国の自治領である)フェロー諸島とグリーンランドの防衛も担う海洋国家として、同国は5隻のフリゲートと8隻の哨戒艦(OPV)からなる大規模な海軍を保有しています。

 海軍とは対照的に、デンマーク空軍における将来の戦闘機部隊は僅か27機の「F-35」戦闘機で構成される予定となっています。

 陸軍は4,000人以上の兵力を誇る1個機械化旅団を有しており、NATOの枠組みの下で緊急展開が可能です。なお、この部隊については最大4,000人の予備兵力で増強を図ることが可能となっています。さらに、必要性が生じた場合には、徴兵と志願兵という形で最大2万人の兵力を動員することができます。[4]
 
 1個機械化旅団の献身は(少なくとも武力紛争の初期段階では)それほど大したものではないと思えるかもしれません。しかし、デンマーク陸軍第1旅団は、ヨーロッパ各地の旅団よりも著しく完成されたものとなっています。

 最近、デンマークは軍の規模を拡大するのではなく、イスラエル製の「PULS」MRLや地上配備型防空システム、電子戦システムを導入して第1旅団の戦力を増強することを選択しました。

 これらのシステムは、44台の「レオパルド2A7DK」戦車、44台の「CV9035DK」IFV、300台以上の「ピラーニャV」装甲兵員輸送車、(ウクライナに寄贈された19門の「カエサル 8x8」の後継品として2023年に購入された)19門の「ATMOS 2000」自走榴弾砲で構成される部隊をカバーすることになるでしょう。

 同旅団が完全に作戦へ投入されていない場合、他のNATO軍部隊の火力を増強するために残存部隊を個別に展開させることもできます。

  デンマークによる将来的な調達には、追加の「F-35」とともに、「AGM-158B JASSM-ER」空中発射巡航ミサイル(ALCM)や「AGM-88G AARGM-ER」対レーダーミサイル(ARM)といったスタンドオフ兵器が含まれる可能性があります。

 海軍については、「イーヴァ・ヴィトフェルト」級フリゲートの兵装が「BGM-109トマホーク」巡航ミサイルの装備によって強化されるかもしれません。これは、新たな兵装を装備させることで既存の兵器システムの能力を大幅に向上させようとしているオランダの取り組みを反映たものと言えます。

 陸軍では、「ATMOS」SPGと「PULS」MRL用の精密誘導弾を(追加的に)調達することも考えられます。特にMRLは、互換性のある全ての長距離精密誘導ロケット弾という形で恩恵を与えられることになるでしょう。[5] 

 今後、デンマークの防衛力をさらに強化するためにどのような手段が講じられるにせよ、この王国がNATO加盟国としての責任から逃れるつもりはないと決心していることは確実です。

  1.   以下に列挙した一覧は、デンマーク陸海空軍によって(将来的に)調達される兵器類のリスト化を試みたものです。
  2. この一覧は重火器に焦点を当てたものであるため、対戦車ミサイルや携帯式地対空ミサイルシステム、小火器、指揮車両、トラック、レーダー、(海軍以外の)弾薬は掲載されていません。
  3. 適切と判断された場合には、各装備の分野ごとに「将来的な保有数」を示しています。この数字は、すでに運用されている同種装備と将来に調達される装備の両方を含めたものです。
  4. この一覧は新しい兵器類の調達が報じられた場合に更新される予定です


陸軍 - Hæren

歩兵戦闘車 (将来的な数量: 44)
  •  44 「CV90」の改修(新照準装置及び兵器システムの装備) [2020年代半ばに改修予定]

装甲兵員輸送車 (将来的な数量: 330+)

自走砲・多連装ロケット砲 (将来的な数量: 19 SPG, 8 MRL, 15 SPM)

防空システム

装甲工兵車両


無人航空機
  • 小型無人偵察機の導入計画 [2020年代半ば以降に就役予定]


空軍 - Flyvevåbnet

戦闘機 (Future Quantity: 27+)
  • 27 ロッキード・マーチン「F-35A」 [納入中]
  • 追加の「F-35A」 [調達を検討]

無人航空機
  • 長距離無人偵察機の導入計画 [2020年代半ばから後半に就役予定]

初等練習機



海軍 - Søværnet

水上艦
  • 4 フリゲートまたはコルベットの導入計画 [2020年代後半 または 2030年代前半に就役予定] (「テティス」級哨戒艦の後継)

その他の艦艇
  • 1 新型観測船・潜水作業支援船(海軍の潜水任務用) [2029年 または 2030年 に就役予定]
  •  小型無人艇(USV)の導入計画(水上艦搭載用) [2020年代半ばから後半に就役予定]

艦載兵装
  • 50 レイセオン「SM-2 ブロックIIIA」長距離艦対空ミサイル(「イーヴァ・ヴィトフェルト」級フリゲート用) [2021年以降に納入]
  •  レイセオン「SM-6」長距離艦対空ミサイル(「イーヴァ・ヴィトフェルト」級フリゲート用) [導入を検討]
 当記事は、2023年6月7日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。


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