著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
この記事は、2023年9月6日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
Ancak, ulusun hayatı tehlikeye girmedikçe, savaş bir cinayettir - 国家の存亡がかかっている場合を除けば、戦争は犯罪である (ムスタファ・ケマル・アタテュルク)
第二次世界大戦中、中立を保ち続けることは一種の芸術であり、トルコは巧みな外交によってそれを見事に成し遂げました。トルコがようやくナチス・ドイツと日本に対して宣戦布告したのは1945年2月のことだったが、それでも大戦の残りの期間において、トルコ軍が実際に参戦することはありませんでした。実際、トルコの遅い参戦は、連合国が同国を国際連合に加盟させる条件として完全なる交戦国としての立場になりことを求めたためであり、要は形式的なものに過ぎなかったわけです。
ただし、実戦への参不加は、イギリスの側にとって間違いなく大きな失望をもたらしました。というのも、イギリスは、イタリアがギリシャへの侵攻を開始した1940年10月28日の時点で、トルコがドイツに対して宣戦布告するものと期待していたからです。この期待は、1939年10月19日にトルコ、イギリス、フランスが締結した軍事同盟に端を発するものでした。[1]
僅か一か月前に始まった第二次世界大戦へのトルコ参戦を確実なものにしたいと考えたイギリスとフランスは、旧式化が進んだトルコ軍を大幅に近代化するため、大量の兵器を供給することを約束しました。
アンカラは、近隣諸国のいずれにも勝るか、少なくとも同等の戦力を有する500機の近代的な航空機からなる第一線部隊の整備に、特に強い意欲を示していたことが知られています。ただし、その半数すら購入する資金がなかったため、最終的に英仏はトルコへ300機以上の最新鋭戦闘機を供給することで合意しました。
それでもなお、トルコがイタリアやドイツのような大国と、ほぼ単独で戦うことになるとは、ほとんど予想されていませんでした。海軍力が乏しく、陸軍の大半が依然として騎馬部隊であることを踏まえると、トルコ軍が新たな装備をすべて吸収し、それらを用いた戦術を練り上げ、他の軍種と連携して展開するには、相当の時間を要するであろうことは言うまでもありません。
予想されるトルコの戦闘能力の不足を補うため、必要が生じた場合には将来的に英仏軍を同国に派遣することが構想されました。これもあって、英仏およびトルコ軍が使用するための仮設飛行場が約95か所もトルコ全土で建設が開始されたのです。[1]
しかし、ヨーロッパで戦争が激化する中、トルコは要望した装備の一部しか受け取ることができませんでした。
1939年10月、トルコ空軍は、「スピットファイア」や「ハリケーン」といった戦闘機、「ブレニム」や「バトル」といった軽爆撃機を含む、計159機のの供給をイギリスに要請しました。最終的に引き渡されたのは、要望(と注文)したうちのたった半分だけでした。おまけに、この中に含まれていた「スピットファイア Mk I」は僅か2機でというありさまだったのです。[1]
1940年にイタリアが隣国であるギリシャへの侵攻を開始した時点で、トルコ軍は自国の国境を守るのがやっとの状態であり、その地域に展開していたイタリア軍(そして後にドイツ軍)に対して攻勢に出るなど、到底考えられない状況でした。
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| トルコ軍のスピットファイアとハリケーンの列(1940年):トルコが1939年に発注した15機の「スピットファイア」のうち、引き渡された2機だけだったというのは上述のとおりであるが、1939年10月にポーランドが陥落した後に同国向けだった別の1機が引き渡されたものの、3機はスペアパーツの不足で1940年12月には退役に追い込まれた。 |
フランスから供給された武器の量も、トルコの期待にはほど遠いものでした。1940年初頭には、36機の「MS.406C1」 戦闘機(ヘッダー画像参照)と100台の「R-35」戦車が納入されたものの、1940年5月のドイツフによるフランス侵攻以降は納入が途絶えてしまいました。
イギリスもまた、ダンケルクやバトル・オブ・ブリテンで甚大な損害を被った後、1940年と1941年にトルコから繰り返し寄せられた要請(その数はその間に546機にまで膨れ上がていた)に応えることができなかったのです。
1941年にドイツがアンカラに対して「He 111爆撃機」の予備部品の供給をこれ以上行えないと通告した後、バトル・オブ・ブリテンはトルコにとって同型機の部品を入手する絶好の機会となりました。詳しく説明すると、トルコはイギリスに対して、1940年のロンドン大空襲の際に不時着した「He 111」から回収された部品を供給できないかという異例の要請を行い、ロンドン側から肯定的な回答を得たわけです。[2][3]
戦争に関連した、あまり知られていないもう一つの動きとして、ドイツ軍による地上侵攻からイスタンブールを守るため、マルマラ海から黒海へと続く大規模な掩蔽壕と地下トンネル網が建設されたことが挙げられます。考案者であるムスタファ・フェヴズィ・チャクマク元帥の名にちなんで「チャクマク線」として知られるこの防衛線は、1940年のフランス戦で簡単に突破された「マジノ線」を参考にして構築されたものです。このプロジェクトには莫大な資金とコンクリートが投入され、要塞の建設には(当時のトルコのセメント生産量に匹敵する)推定35万トンのセメントが使用されました。[4]
1944年にドイツ軍がギリシャから撤退した後、チャクマク線はその唯一の存在意義を失い、すぐに放棄されてしまいました。
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| チャクマク線のトーチカは今でも多数が残っている(画像はイスタンブール西部の個体) |
1942年以降、戦況が連合国に有利に傾き始めると、イギリス(そして、その程度は低いもののアメリカも)は、トルコからの大規模な軍需物資の要請に初めて応えることができるようになりました。この時点で、連合国はトルコの防衛能力だけでなく、トルコにおけるドイツの影響力の拡大も懸念せざるを得なくなっていたのです。
1941年1月、アンカラが依然としてイギリスと公式に軍事同盟を結んでいたにもかかわらず、ドイツとトルコは友好条約を締結しました。ドイツ軍がソ連深部へと進撃を続ける中、ベルリンはドイツのUボートがボスポラス海峡を通過して黒海へ入る許可と、クロム鉄鉱の供給についてトルコに要請しました。アンカラは最初要請は拒否したものの、ドイツの最新鋭の装備を有利な条件で入手できることを条件に、ベルリンへのクロム鉄鉱の供給にはより前向きな姿勢を示したわけです。
アンカラが天才的手際でベルリンとの交渉の詳細を米英側にリークしたところ、彼らはドイツを凌ぐ条件を提示しようと、急いでアンカラへ赴きました。ベルリンがこの情報を耳にすると、直ちにアンカラの条件を受け入れ、その結果、1943年に「Fw 190 A-3」戦闘機72機、「III号戦車」と「IV号戦車」が35台ずつ発注されるという結果に至っています。[5]
ロンドンとワシントンが再びトルコを同盟に引き入れようとしていたため、連合国による大規模な武器供与も継続されました。
1943年12月、チャーチル、ルーズベルト、そしてムスタファ・イスメト・イノニュ大統領がカイロで会談したものの、合意には至りませんでした。結果として、1944年初頭に、連合国は、アンカラがドイツへのクロム鉄鉱の輸出を停止し、空軍基地を提供するまで、武器の供給を大幅に削減し、トルコへの石油輸出を事実上すべて停止すると発表したのです。
1944年4月にドイツへのクロム鉄鉱の出荷を停止するという要求には応じた一方で、トルコの空軍基地は依然として外部の軍隊には開放されませんでした。
鉄鋼生産に用いられるクロム鉄鉱の輸出停止に続き、1944年8月にはドイツとの外交・通商関係が完全に断絶され、1945年2月にはベルリンに対して宣戦布告が行われました。興味深いことに、ベルリンはトルコがいずれ宣戦布告を行うことをすでに予期しており、その場合に備えてイスタンブールへの戦略爆撃を計画していました。結局のところ、トルコがどちらかの側につくという決断を下したのは、そのような報復措置が実行可能となるには遅すぎたようです(つまり、1945年2月の時点でドイツにそのような能力が残されていなかったということ)。[5]
もしドイツが当初の計画を実行していたならば、トルコ空軍に配備されていたドイツ製「Fw 190 A-3」が、ドイツ空軍の「He 111」を迎撃したかもしれません。
明らかに、トルコが第二次世界大戦に参加しなかったからといって、その戦時中の功績が研究対象として興味深いものではないとは限りません。このテーマに関する資料が全般的に不足していることからそう思われがちではありますが、そうではないのです。
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| トルコ空軍の「スピットファイアMk. Vb(左)」と「フォッケウルフ Fw 190 A-3(右)」 |
- 以下の一覧は、第二次世界大戦直前、戦中、および終戦直後にトルコへ納入された重装備を網羅することを目的としています。
- 以下の項目は兵器の種類ごとに分類されています(納入国を示す国旗が付いています)。
- 牽引砲及び対空砲はこの一覧には含まれていません。
- この一覧の目的は、大戦中におけるトルコの戦力を概観することではなく、1933年から1949年の間に受け入れた第二次世界大戦時代の装備という、トルコ軍のユニークな装備を紹介することにあります。
- 兵器の名前をクリックするとトルコで使われた当該装備の画像が表示されます。
陸軍
戦車
64 T-26 1933年型 [1934-1943] (1932年に2台のT-26 1931年型とT-27を入手)
1 T-37A [1934-194?]100 ルノー R-35 [1940-194?]
16 あるいは 50 Mk.VI軽戦車 [193?-194?]
ヴァレンタインII [1942-194?]
128 ヴァレンタイン III [1942-194?]
50 ヴァレンタイン IX [1943-194?]
201 M3A1 スチュアート/ハニー [1942-194?]
III号戦車M型 [1943-194?]
IV号戦車G型 [1943-194?]
34 M4A2 シャーマン [1943/5-195?]
装甲車
34 BA-3 [1934-194?]
59 ユニバーサル・キャリア [1943-194?]
150 ダイムラー「ディンゴ」偵察車 [1942-194?]
自走砲
49 ビショップ [1943-194?]
ディーコン AEC マークI ガンキャリアー [194?-194?]
空軍
戦闘機
20 PZL P-24A [1936-1943]
46 PZL P-24C [1937-1943] (20機をカイセリ航空機工場で生産)
2 PZL P-24G [1939-1943] (カイセリ航空機工場で生産)36 モラン・ソルニエ MS.406C1 [1940-1945]
35 ホーカー ハリケーン Mk. I [1939-194?]
38 ホーカー ハリケーン Mk. IIB [1943-1947]
91 ホーカー ハリケーン Mk. IIC [1943-1947]
3 スーパーマリン スピットファイア Mk. I [1939-1942]
39 スーパーマリン スピットファイア Mk. Vb [1944-1948]
71 スーパーマリン スピットファイア Mk. Vc [1945-1948]
3 スーパーマリン スピットファイア Mk. V/R [1945-1948]
170 スーパーマリン スピットファイア Mk. IX [1947-1954]
1 スーパーマリン スピットファイア Mk. XI [194?-1954]
4 スーパーマリン スピットファイ Mk. XIX [1947-1954]
42 P-40 トマホーク Mk.IIB [1942-1944]
24 P-40D キティホーク Mk. I [1942-1944]
180 リパブリック P-47D サンダーボルト [1948-1954]
72 フォッケウルフ Fw 190A3 [1943-1947]
攻撃機
40 または 41 ヴァルティー V-11-GBT [1937-1948]
30 フェアリー バトル Mk. I [1940-1947]
18 ブリストル ブレニム Mk. V [1943-1947]
24 ブリストル ボーファイター TF.MK.X [1947-1948]
10 デ・ハビラント モスキート Mk. III(T) [1947-1953]
122 または 132 デ・ハビラント モスキート Mk. IV [1947-1953]
45 B-26B ・ B-26C マローダー [1948-1958]
爆撃機
24 ハインケル He 111 J [1937-1945]
40 ブリストル ブレニム Mk. I [1937-1947]
3 ブリストル・ブレニム Mk. IV [1942-1947]
24 ブリストル ボーホート Mk. I [1944-1947]
20 マーチン139-WT [1937-1946]
72 マーチン187 バルチモアMk. V [1944-1950]
4 または 5 B-24 リベレーター [1944-1947] (1942と1944に不時着などの後に接収された11機の一部)
練習機
46 ゴータ Go 145 [1936-1947] (43機をカイセリ航空機工場で生産)
122 マイルズ M.14 マジスター Mk. I [1941-1963] (26機をカイセリ航空機工場で生産)
47 マイルズ M.9 マスター Mk. II [1943-1948] (27機をカイセリ航空機工場で生産)
50 カーチス・ライト CW-22R [1940-1949]
50 カーチス・ライト CW-22B [1940-1949]
100 ハーヴァード T-6C テキサン [1948-1974] (1950年代後半、さらに96機を受領)
汎用機
2 モノスパー ST-12 [1938-1941]
7 コールホーフェン FK.49A [1938-194?]
36 ウェストランド ライサンダー Mk. II [1939-1948]
7 デ・ハビラント D.H.84 ドラゴン [1934/5-1948]
25 アブロ アンソン [1940-1946]
50 エアスピード AS.10 オックスフォード Mk. I [1941-1952]
7 エアスピード AS.10 オックスフォード Mk. II [1946-1952]
2 エアスピード AS.65 コンサル [1946-1952]
7 マイルズ M.25 マーチネット [1945-19??]36 アンリオ H.182 [1940-1945]
2 ビーチクラフト モデル18 [1947-1983]
128 ビーチ AT-11 カンザン [1947-1983]
6 フォッケウルフ Fw 58K ヴァイエ [1937-1945]
20 フォッケウルフ Fw 44 シュティーグリッツ [1937-1962]
輸送機
1 ギュル級 [1934-1947]
3 サルディライ級 [1939-1958] (1隻がナチス・ドイツ軍に接収)
3 オルチュ・レイス級 [1942-1958] (WWIIで1隻が英軍に拿捕後、海没処分)
駆逐艦
掃海艦・機雷敷設艦
2 シウリヒサル級 [1940-1964]
8 バサースト級 [1946-1965]
8 アウク/キャサリン級 [1947-1973]
8 YMS級 [1948-1966]
魚雷艇
[1] The Turkish Air Force, 1939-45: The Rise of a Minor Power https://www.jstor.org/stable/4283380?origin=JSTOR-pdf
[2] Bye Bye Berlin: Türkiye’s He 111 Bombers https://www.oryxspioenkop.com/2023/01/bye-bye-berlin-turkiyes-he-111-bombers.html
[3] The Turkish Air Force, 1939-45: The Rise of a Minor Power https://www.jstor.org/stable/4283380
[4] Another Section of the Çakmak Line of Defense in Çatalca Surfaced http://en.istanbul.gov.tr/another-section-of-the-cakmak-line-of-defense-in-catalca-surfaced
[5] https://twitter.com/ResuALKAN/status/1618572734602293248
Special thanks:Ole Nikolajsen, Gekho , Mark Bevis.
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[4] Another Section of the Çakmak Line of Defense in Çatalca Surfaced http://en.istanbul.gov.tr/another-section-of-the-cakmak-line-of-defense-in-catalca-surfaced
[5] https://twitter.com/ResuALKAN/status/1618572734602293248
Special thanks:Ole Nikolajsen, Gekho , Mark Bevis.
お知らせ:2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました
お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました





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