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2023年4月30日日曜日

深海から浮上した物語:インドネシアの実験的な小型"Uボート"


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ

 ミリタリーファンは、常に見聞きしたことのない魅惑的な戦記を追い求めています。

 すでにマーク・フェルトンが世界中の人々の関心を引くために相当な数の戦記を世に出すという偉業を成し遂げているのもの、依然としてさらに多くの情報が埃にまみれた資料や写真の中に隠されたままとなっており、いつの日にか公表されることを待ち続けています。

 そうした話の一つが、1948年にジャワ島でドイツの元潜水艦乗組員がインドネシアの独立勢力のためにミゼットUボート(以下、特殊潜航艇と記載)を設計・建造した話です。[1]

 この潜航艇は最初の海上公試で沈没してしまいましたが、それでも専門的な機械や機器を備えていない鉄工所で(本物の設計士ではない)ドイツの潜水艦乗組員によって設計と建造がなされたことは目を見張るべき偉業と言えるでしょう。

 今回取り上げた話に登場するドイツ軍の潜水艦乗組員は、第二次世界大戦中の太平洋とインド洋で任務に就いていたドイツ(とイタリア)のUボート部隊「グルッペ・モンズーン(モンスーン戦隊」に所属していた人たちです。

 日本が支配下に置いたマレーシア・シンガポール・インドネシア(当時はまだ蘭印:オランダ領東インド)を拠点に行動していたこの戦隊の作戦地域は、ドイツ軍と日本軍(そしてイタリア軍)が実際に同じ戦域で戦った唯一の場所でした。

 1945年5月8日のドイツ降伏した後に残存していたドイツの潜水艦4隻とイタリアの潜水艦2隻は日本側に接収され、乗組員はインドネシアで抑留されたり、今や日本艦となったこれらの潜水艦を運用するために使役されたりしました。

 興味深いことに、イタリアの潜水艦「ルイージ・トレッリ」「コマンダンテ・カッペリーニ」 の2隻は、すでに一度は日本に拿捕された経歴がありました。最初の拿捕は1943年9月のイタリア降伏後のことであり、インドネシアのサバンでドイツ海軍に引き渡され、ドイツ人とイタリア人の混成クルーによって引き続き運用されました。そしてドイツ降伏後、この2隻は(4隻のドイツ艦と一緒に)再び日本に接収されて今度はドイツ・イタリア・日本の混成クルーによって運用されることになったのです!

 結果として、「ルイージ・トレッリ」と「コマンダンテ・カッペリーニ」は第二次世界大戦中に枢軸国の主要3か国全てで運用された唯一の艦艇となりました。

 2隻の元イタリア艦は主に蘭印と日本を結ぶ輸送潜水艦として活用されて最終的には1945年に神戸でアメリカ軍に接収され、ドイツのUボートである「U-181」、「U-195」、「U-219」、「U-862」はシンガポールと蘭印でイギリスに接収されてその経歴に終止符が打たれました。

 これらの運命を詳しく説明すると、「U-181(伊-501)」「U-862(伊-502)」はシンガポールでイギリスに接収され、その翌年にマラッカ海峡で海没処分されました。

 「U-195 (伊-506)」 と「U-219 (伊-505)」 については、前者は1945年8月にオランダ領東インドのジャカルタで、後者はスラバヤでイギリス軍に接収されました。この2隻を入手するはずだったオランダは、1946年の三者海軍委員会による決定に基づいて入手の断念と処分を余儀なくされたのでした(注:実際の海没処分はイギリス軍によって実施)。 [2]

「XB」級Uボート「U-219/伊-505」:三者海軍委員会の規則によってオランダ海軍は同艦と「IXD1」級Uボート「U-195/伊-506」の保有を許されなかったため、これらの2隻は1946年にジャワ島沖で海没処分された。

 シンガポールで接収された「U-181」と「U-862」のドイツ人乗組員は終戦後にドイツへ帰国するか、(イギリスの)ウェールズで抑留後にそのまま現地に永住するという運命を辿りました。

 一方で、1945年当時の蘭印に残っていた「U-195」と「U-219」の乗組員や別のドイツ海軍の軍人たちの中には全く別の人生を選択した人もいました。降伏してイギリスに協力する者もいれば、正反対にインドネシア独立戦争でイギリス・オランダ軍と戦い続けるべくインドネシアに忠誠を申し出た者もいたのです。

 その中には、ジャワ島ジョグジャカルタの鉄工所で特殊潜航艇を設計・建造した者も含まれています。[2]

 この異形な鋼鉄製の潜航艇は、インドネシア共和国の首都と指導者を捕らえることを目的とした2度の軍事攻撃の2回目として成功した「カラス作戦(Operatie Kraai)」で、オランダ軍がインドネシアの臨時首都であるジョグジャカルタを占領した後に発見されました。

 興味深いことに、オランダは2度の軍事攻撃の成果としてスカルノ大統領とモハマッド・ハッタ副大統領を捕虜にしただけでなく、1947年8月に実施された最初の攻勢である「プロダクト作戦」で、東ジャワにて5名のドイツ人も捕虜にしたのです。このうちの4名は「U-195(伊-506)」の乗組員だった者たちであり、残りの1名(インドネシア生まれのドイツ人)はインドネシア軍の犬のトレーナーとしての役割を担っていました。[3] [4] [5] [6] [7]

オランダ軍の兵士たちが鹵獲した鋼鉄製物体を訝しげに調べている様子:船体の左右に取り付けられた安定用のフィンに注目

 粗雑で正常に機能しなかった設計ではあったとはいえ、この特殊潜航艇はインドネシアによって初めて組み立てられて運用された潜水艦です。

 残念なことに、この潜航艇の内部構造については、設計時に設定されたもので初航海での沈没を防げなかったことを除くと、何も分かっていません。[8]

 その後、沈んだ"鋼鉄製の海獣"は引き上げられて修理や設計の改良のために鉄工所に戻されましたが、そうした作業はオランダ軍の占領によって力づくで中断させられてしまいました。もし、この潜航艇の修理が間に合っていれば、ジャワ島のインドネシア領を海上封鎖に従事していた不用心なオランダ海軍の駆逐艦に攻撃する姿が見れたかもしれません。

 この目的のために、この特殊潜航艇は船体下部のマウントに魚雷1本を搭載することが可能でした。[9]

 搭載する魚雷の種類はおそらく日本の「九十三式魚雷」や「九十五式魚雷」、あるいは450mmの「九一式航空魚雷改2」で占められていたと思われます。実際、インドネシア軍は大日本帝国海軍の基地を占領したり引き渡しを受けた際にこれらの魚雷を大量に入手していたからです。[10]

 魚雷の照準については、セイルに格納された大きな潜望鏡を通して合わせることになっていたのでしょう。艦橋構造物の巨大な舷窓や潜望鏡の大きさから判断すると、作戦中の特殊潜航艇は少なくとも一部が水面から突き出ていることになるため、Uボートとはいうものの技術的には半潜水艇と呼ぶべき代物ものでした。

船体下部のアタッチメントには1発の魚雷を装備できる

 最終設計案に基づいて建造された姿は、この時代の特殊潜航艇とは似ても似つかぬ、極めて粗雑なものであったとしか言いようがありません。

 実際の設計に先立って作られた潜水艦の模型は、ドイツの「ビーバー」級特殊潜航艇から大まかな着想を得たように見えます。これが全くの偶然なのか、それとも建造に関わったドイツの乗組員が蘭印に出発する前に「ビーバー」級を見る機会があって、その後に自らの設計のベースとしたのかは不明です。

 「ビーバー」級の量産は、「U-195」と「U-216」が蘭印へ向けて出発する数か月前の1944年夏に開始されました。両艦とも分解された「V-2」ロケットや最新兵器の設計図を積載していたましたが、この航海で「ビーバー」級の設計図も日本側に移転された可能性もありますが、その真相は歴史の闇に葬り去られてしまいました。

 結局のところ、「ビーバー」級との類似性については「単なる偶然の一致」が最も有力な説となっています。

ドイツの「ビーバー」級特殊潜航艇

本物を建造する前にドイツの潜水艦乗組員によって作られた縮小模型

 ナチスドイツと日本の降伏後にインドネシアの独立闘士と共に戦うことを選択した現地のドイツ人潜水艦乗組員によって、日本の魚雷で武装したドイツの特殊潜航艇が設計されていた - これは、まさに魅惑的なもので満ち溢れた物語以外の何ものでもありません。

 その粗雑な設計と製造品質のおかげで、この特殊潜航艇は最初から成功の見込みがなかったかもしれませんが、インドネシア人がオランダ軍に戦いを挑むためにあらゆる手段を模索しようという決意を(他国の人々の協力を得て)ますます強めていったという重要な証拠と言えるでしょう。

 インドネシアが再びオランダの主力艦を沈めるという試みを再び仕掛けるには、オランダ領ニューギニアへの侵攻を企図した「トリコラ作戦」の一環で実行を試みた1962年まで待たねばなりませんでした。当時はソ連から最新の兵器を入手していたため、その結果として立案された計画では「KS-1 "コメット"」対艦ミサイルを搭載した「Tu-16KS-1」爆撃機によるオランダ空母「HNLMS カレル・ドゥールマン」撃沈が求められていました(結局、攻撃は中止に終わりました)。

 明らかにインドネシアの軍事史が西側諸国で全く取り上げられていないという事実は、そこに含まれている多くの興味深い物語が十分に伝えられていないことを意味しています:つまり、それは私たちが好んで取り上げる物語のことです。

[1] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/af009e5e-d0b4-102d-bcf8-003048976d84
[2] IJN Submarine I-505: Tabular Record of Movement http://www.combinedfleet.com/I-505.htm
[3] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Erich Döring, geboren 29-03-1921 Muehlhausen. In dienst van de Kriegsmarine als Maschinenunteroff. op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/3fa45cf9-01a6-7884-0237-db4c606ccfa5
[4] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Herbert Weber, geb. 3-6-'14 te Leutersdorf. In dienst van de Kriegsmarine als Leitender Ingenieur op U-boot 195 https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/f1cca949-fd26-d1c8-3f3a-10a985539386
[5] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Heinz Ulrich, geboren 14-08-1924 te Berlijn. In dienst van de Kriegsmarine als Maschinenobergefreiter op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/432b83ec-97d7-308b-08cd-f2470cf2bea8
[6] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Res. Oberleutnant zur See Fritz Arp, geb. 16-1-'15 te Burg auf Friehmar (Ostsee) In dienst van de Kriegsmarine als 1ste Off. op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/c8569997-e185-7055-81c5-f70cad6da942
[7] Malang. Een van de vijf op 1 augustus 1947 te Malang gearresteerde Duitsers: Alfred Pschunder, geboren op 24 december 1918 te Malang, Rijksduitser. Hij richtte o.a. honden af voor de Polisi Negara https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/c8569997-e185-7055-81c5-f70cad6da942
[8] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. Op deze plaats werd de torpedo aan het moeder-scheepje bevestigd. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/af009fe4-d0b4-102d-bcf8-003048976d84
[9] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. Op deze plaats werd de torpedo aan het moederscheepje bevestigd https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/397950e1-fab7-1892-0a70-7d82a6ca43c8
[10] Hangar met Japanse? voertuigen. In de achtergrond liggen zeetorpedo's opgestapeld https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/01ff58e2-1eea-1815-f92d-68bfb852bb8e(リンク切れ)

※  当記事は、2023年1月10日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。

2022年11月11日金曜日

同盟の要であり続けるために:オランダによるウクライナへの軍事支援(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 オランダは(ロシアがウクライナとの国境沿いで戦力の増強を開始した時点で)ヨーロッパで最初にウクライナへの有意義な軍事支援を約束した国の一つです。

 2022年2月24日にロシアが侵攻を開始した数日後には、「FIM-92 "スティンガー"」携帯式地対空ミサイルシステム(MANPADS)50基とミサイル200発、「パンツァーファウスト3」対戦車無反動砲50基と弾頭400発を含む追加の軍事支援が即座に公表されました。

 ほどなくして、オランダ国防省はウクライナへの武器供与の詳細について今後は公表しないことを宣言しました。[1]
 
 それにもかかわらず、無人偵察機や「AGM-84 "ハープーン"」対艦ミサイルさえも含む追加の武器供与の詳細が何度も明らかにされていることから、この国によるウクライナへの軍事援助の流れが継続していることは間違いありません。

 2022年4月になると、オランダのマルク・ルッテ首相によって「PzH 2000」自走砲榴弾砲8台と数量不明の「YPR-765」装甲兵員輸送車(APC)を含む重火器がウクライナへ供与されることが発表されました。
 
 その後、「YPR-765」はウクライナ軍に新設された機械化旅団に配備され、ロシアに占領されたウクライナ領土全域への反抗作戦に投入されたことが確認されています。この実戦投入は、2022年8月29日にウクライナ軍がヘルソン州の一部を奪還するための攻勢を開始した際に行われました。

 「YPR-765」はトルコから供与されたBMC製「キルピ」 MRAPなどと共に、現地で戦うウクライナ兵の主要な移動手段として活躍しています。

 広大な平原を横断しながら歩兵をロシア軍の陣地近くの地点まで運ぶという危険な任務を負ったこともあり、「YPR-765」は現時点までに2台の損失が確認されています(注:2023年8月6日現在では少なくとも33台まで増加)。[2]

ロシア軍の砲撃を受けながら、ヘルソン州で前進を試みるウクライナ兵とオランダが供与した「YPR-765」

 オランダ市民による取り組みもウクライナの窮状改善に大きく寄与しています。

 「ザイレン・ファン・ ヴライハイト (自由の帆)」 はウクライナ支援のためにクラウドファンディングを実施している民間組織の一つであり、彼らの尽力によって2022年9月初旬の時点ですでに救急車88台、「ウニモグ」2台、消防車1台、最大で2000台の自転車がウクライナへ送られています。[3] 

 寄贈されたこれらの車両は主に民生用ですが、救急車は負傷したウクライナ兵の搬送や治療に使用するために迷彩塗装が施されました。送られた物品の全てが、何らかの形でウクライナが抵抗を続けることに貢献しているのです。

ウクライナ到着後に迷彩塗装が施された「ザイレン・ファン・ ヴライハイト 」が納入した救急車

 ウクライナに譲渡された「YPR-765」の数にも左右されますが、オランダが有する不用重火器のストックはほぼ枯渇状態にあると思われます。それでも、将来的の供与対象にオランダ軍でまもなく退役が始まる「メルセデス・ベンツ "290GD"」 SUVが入る可能性はあります。

 同車は非装甲のソフトスキン車両ですが、それがフランスに同様の「プジョー "P4"」SUVをウクライナに大量に供与することを妨げなかったことを踏まえると、さほど問題にはならないでしょう。[4] 

 「290GD」は優れた全地形対応の機動性が特徴であり、兵器のプラットフォーム車や単純な輸送用としても使用できることから、急場しのぎで多く使用されている民生用の乗用車よりは確実に好ましいと言えます。
 
 また、「FH-70」155mm 牽引式榴弾砲の供与も可能です。もともと、この榴弾砲は旧式となった「M114」155mm榴弾砲の改修中にオランダの砲兵戦力を維持するため、1990年に15門を一気に導入されたたものです。これらは2001年まで運用された後に保管状態を経て売りに出されましたが、その当時ですでに比較的古い設計の牽引砲であったこともあって買い手が見つかることはありませんでした。

 「FH-70」は欧米諸国が用いる全ての155mm砲弾を発射可能であり、すでにイタリアとエストニアによって少数がウクライナへ供与されているため、今後の有望な供与兵器となる可能性が残されているのです(注:両国では現在でも「FH-70」が運用中です)。

 そのほか、オランダがウクライナに代わって兵器類を調達したり、ウクライナが他国の防衛企業から兵器システムを購入可能にするための資金提供することによって、ウクライナ軍の支援を継続する選択肢を採用することもあり得ます。

 ウクライナの防衛力をさらに強化するために今後どのような措置が講じられていくにせよ、オランダがNATO加盟国として、あるいは自決権を守る主権国家としての責任を放棄しない決意を持っていることは誰から見ても明らかでしょう。

ウクライナで作戦に従事中の「PzH 2000」自走砲榴弾砲

  1. 以下に列挙した一覧は、2022年のロシアによるウクライナ侵攻の直前と最中にオランダがウクライナに供与した、あるいは提供を約束した軍事装備等の追跡調査を試みたものです。
  2. 一覧の項目は武器の種類ごとに分類されています(各装備名の前には原産国を示す国旗が表示されています)。
  3. 一部の武器供与は機密事項であるため、この一覧は供与された武器の総量の最低限の指標としてのみ活用できます。
  4. この一覧はさらなる軍事支援の表明や判明に伴って更新される予定です。
  5. 各兵器類の名称をクリックすると、当該兵器類などの画像を見ることができます。
 

戦闘機(42)
  • 42 F-16A/B [2024年以降に供与] (ウクライナ人パイロットの訓練用に一部はオランダ国内に配備)

艦艇(18)

対艦巡航ミサイル

地対空ミサイルシステム

(自走式を含む)対空砲(120)

自走砲(8)

戦車(85+)
  • 45 T-72EA [2023年1月から引き渡し] (オランダとアメリカがチェコから調達し、改修後にウクライナへ供与)
  •  33(100台中) レオパルト1A5 [予定] (ドイツ・デンマークと共同での実施)
  •  7(14台中) レオパルト2A4 [同上] (デンマークと共同での実施)

装甲戦闘車両

装甲兵員輸送車 (APC)(264+)

工兵・支援装備

車両(909)
  • ~300  DAF「YA-4442」 "4トン" トラック 及び DAF「YAZ-2300」 "10トン" トラック [2022年11月から供与] 
  • メルセデス・ベンツ290GD 救急車 [2022年/2023年]
  • フォルクスワーゲン "アマロク" SUV [同上]
  • 19 クレーン車 [同上]
  • 25 ローダー [同上]
  • 25 フォークリフト [同上]
  • 5 サイドフォークリフト [2023年]
  • オートバイ [2022年/2023年]

重迫撃砲(6)


携帯式地対空ミサイルシステム (MANPADS)

無人偵察機(164+)


無人艇(2)


レーダー

対戦車兵器

小火器


弾薬類

  •  400 DM72A1 (PzF 3-IT) 弾頭(「パンツァーファウスト3」用) [2022年3月]
  • 30,000 7.62mm弾及び12.7mm弾  (「AX308」及び「M82」狙撃銃用)[2022年3月]
  • 小火器用の弾薬 (「C7A1」アサルトライフル、グロック17拳銃, FN MAG, FN ミニミ, M2重機関銃用) [2022年]
  • 20,000 120mm戦車砲弾(「レオパルト2」用) [予定]
  • M982「エクスカリバー」誘導砲弾(「PzH 2000」用) [2022年/2023年]
  • ''ヘリコプター用の弾薬'' [同上]

個人装備
  • 3,000  M95 ヘルメット [2022年3月か4月]
  • 「STRONG」ヘルメット [2022年6月]
  • 2,000 防弾チョッキ [2022年3月か4月及び6月]
  •  爆発物処理 (EOD) 用個人装備 [2022年]
  • 暗視装置 [同上]
  •  30 携帯式地雷探知機 [2022年3月]

その他の装備品類
  • 12 野戦病院 [2022年/2023年] (エストニア・ノルウェーと協力して供与)
  • 31 野戦炊事用具 [同上]
  • 769 発電機 [同上]
  • 1,800 テント [同上]
  • 寝袋 [同上]
  •  燃料 [同上]
  •  各種装備の予備部品 [同上]
  •  MREレーション [同上]
  • 医療物資 [同上]
  • 2 爆発物処理 (EOD) 用トラック[2023年2月以前に供与]
  •  爆発物処理 (EOD) キット[2022年]

[1] Beyond The Call - Dutch Arms Deliveries To Ukraine https://www.oryxspioenkop.com/2022/04/beyond-call-dutch-arms-deliveries-to.html
[2] Wat doet Nederland? Van dag tot dag https://www.defensie.nl/onderwerpen/oostflank-navo-gebied/wat-doet-nederland
[3] Attack On Europe: Documenting Ukrainian Equipment Losses During The 2022 Russian Invasion Of Ukraine https://www.oryxspioenkop.com/2022/02/attack-on-europe-documenting-ukrainian.html
[4] Zeilen van Vrijheid | Амстердамська ТрО https://twitter.com/zeilen_vrijheid
[5] Arms For Ukraine: French Weapons Deliveries To Kyiv https://www.oryxspioenkop.com/2022/07/arms-for-ukraine-french-weapon.html
[6] Answering The Call: Heavy Weaponry Supplied To Ukraine https://www.oryxspioenkop.com/2022/04/answering-call-heavy-weaponry-supplied.html


※  当記事は、2022年9月9日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したもの
  です。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ