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2023年4月30日日曜日

深海から浮上した物語:インドネシアの実験的な小型"Uボート"


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ

 ミリタリーファンは、常に見聞きしたことのない魅惑的な戦記を追い求めています。

 すでにマーク・フェルトンが世界中の人々の関心を引くために相当な数の戦記を世に出すという偉業を成し遂げているのもの、依然としてさらに多くの情報が埃にまみれた資料や写真の中に隠されたままとなっており、いつの日にか公表されることを待ち続けています。

 そうした話の一つが、1948年にジャワ島でドイツの元潜水艦乗組員がインドネシアの独立勢力のためにミゼットUボート(以下、特殊潜航艇と記載)を設計・建造した話です。[1]

 この潜航艇は最初の海上公試で沈没してしまいましたが、それでも専門的な機械や機器を備えていない鉄工所で(本物の設計士ではない)ドイツの潜水艦乗組員によって設計と建造がなされたことは目を見張るべき偉業と言えるでしょう。

 今回取り上げた話に登場するドイツ軍の潜水艦乗組員は、第二次世界大戦中の太平洋とインド洋で任務に就いていたドイツ(とイタリア)のUボート部隊「グルッペ・モンズーン(モンスーン戦隊」に所属していた人たちです。

 日本が支配下に置いたマレーシア・シンガポール・インドネシア(当時はまだ蘭印:オランダ領東インド)を拠点に行動していたこの戦隊の作戦地域は、ドイツ軍と日本軍(そしてイタリア軍)が実際に同じ戦域で戦った唯一の場所でした。

 1945年5月8日のドイツ降伏した後に残存していたドイツの潜水艦4隻とイタリアの潜水艦2隻は日本側に接収され、乗組員はインドネシアで抑留されたり、今や日本艦となったこれらの潜水艦を運用するために使役されたりしました。

 興味深いことに、イタリアの潜水艦「ルイージ・トレッリ」「コマンダンテ・カッペリーニ」 の2隻は、すでに一度は日本に拿捕された経歴がありました。最初の拿捕は1943年9月のイタリア降伏後のことであり、インドネシアのサバンでドイツ海軍に引き渡され、ドイツ人とイタリア人の混成クルーによって引き続き運用されました。そしてドイツ降伏後、この2隻は(4隻のドイツ艦と一緒に)再び日本に接収されて今度はドイツ・イタリア・日本の混成クルーによって運用されることになったのです!

 結果として、「ルイージ・トレッリ」と「コマンダンテ・カッペリーニ」は第二次世界大戦中に枢軸国の主要3か国全てで運用された唯一の艦艇となりました。

 2隻の元イタリア艦は主に蘭印と日本を結ぶ輸送潜水艦として活用されて最終的には1945年に神戸でアメリカ軍に接収され、ドイツのUボートである「U-181」、「U-195」、「U-219」、「U-862」はシンガポールと蘭印でイギリスに接収されてその経歴に終止符が打たれました。

 これらの運命を詳しく説明すると、「U-181(伊-501)」「U-862(伊-502)」はシンガポールでイギリスに接収され、その翌年にマラッカ海峡で海没処分されました。

 「U-195 (伊-506)」 と「U-219 (伊-505)」 については、前者は1945年8月にオランダ領東インドのジャカルタで、後者はスラバヤでイギリス軍に接収されました。この2隻を入手するはずだったオランダは、1946年の三者海軍委員会による決定に基づいて入手の断念と処分を余儀なくされたのでした(注:実際の海没処分はイギリス軍によって実施)。 [2]

「XB」級Uボート「U-219/伊-505」:三者海軍委員会の規則によってオランダ海軍は同艦と「IXD1」級Uボート「U-195/伊-506」の保有を許されなかったため、これらの2隻は1946年にジャワ島沖で海没処分された。

 シンガポールで接収された「U-181」と「U-862」のドイツ人乗組員は終戦後にドイツへ帰国するか、(イギリスの)ウェールズで抑留後にそのまま現地に永住するという運命を辿りました。

 一方で、1945年当時の蘭印に残っていた「U-195」と「U-219」の乗組員や別のドイツ海軍の軍人たちの中には全く別の人生を選択した人もいました。降伏してイギリスに協力する者もいれば、正反対にインドネシア独立戦争でイギリス・オランダ軍と戦い続けるべくインドネシアに忠誠を申し出た者もいたのです。

 その中には、ジャワ島ジョグジャカルタの鉄工所で特殊潜航艇を設計・建造した者も含まれています。[2]

 この異形な鋼鉄製の潜航艇は、インドネシア共和国の首都と指導者を捕らえることを目的とした2度の軍事攻撃の2回目として成功した「カラス作戦(Operatie Kraai)」で、オランダ軍がインドネシアの臨時首都であるジョグジャカルタを占領した後に発見されました。

 興味深いことに、オランダは2度の軍事攻撃の成果としてスカルノ大統領とモハマッド・ハッタ副大統領を捕虜にしただけでなく、1947年8月に実施された最初の攻勢である「プロダクト作戦」で、東ジャワにて5名のドイツ人も捕虜にしたのです。このうちの4名は「U-195(伊-506)」の乗組員だった者たちであり、残りの1名(インドネシア生まれのドイツ人)はインドネシア軍の犬のトレーナーとしての役割を担っていました。[3] [4] [5] [6] [7]

オランダ軍の兵士たちが鹵獲した鋼鉄製物体を訝しげに調べている様子:船体の左右に取り付けられた安定用のフィンに注目

 粗雑で正常に機能しなかった設計ではあったとはいえ、この特殊潜航艇はインドネシアによって初めて組み立てられて運用された潜水艦です。

 残念なことに、この潜航艇の内部構造については、設計時に設定されたもので初航海での沈没を防げなかったことを除くと、何も分かっていません。[8]

 その後、沈んだ"鋼鉄製の海獣"は引き上げられて修理や設計の改良のために鉄工所に戻されましたが、そうした作業はオランダ軍の占領によって力づくで中断させられてしまいました。もし、この潜航艇の修理が間に合っていれば、ジャワ島のインドネシア領を海上封鎖に従事していた不用心なオランダ海軍の駆逐艦に攻撃する姿が見れたかもしれません。

 この目的のために、この特殊潜航艇は船体下部のマウントに魚雷1本を搭載することが可能でした。[9]

 搭載する魚雷の種類はおそらく日本の「九十三式魚雷」や「九十五式魚雷」、あるいは450mmの「九一式航空魚雷改2」で占められていたと思われます。実際、インドネシア軍は大日本帝国海軍の基地を占領したり引き渡しを受けた際にこれらの魚雷を大量に入手していたからです。[10]

 魚雷の照準については、セイルに格納された大きな潜望鏡を通して合わせることになっていたのでしょう。艦橋構造物の巨大な舷窓や潜望鏡の大きさから判断すると、作戦中の特殊潜航艇は少なくとも一部が水面から突き出ていることになるため、Uボートとはいうものの技術的には半潜水艇と呼ぶべき代物ものでした。

船体下部のアタッチメントには1発の魚雷を装備できる

 最終設計案に基づいて建造された姿は、この時代の特殊潜航艇とは似ても似つかぬ、極めて粗雑なものであったとしか言いようがありません。

 実際の設計に先立って作られた潜水艦の模型は、ドイツの「ビーバー」級特殊潜航艇から大まかな着想を得たように見えます。これが全くの偶然なのか、それとも建造に関わったドイツの乗組員が蘭印に出発する前に「ビーバー」級を見る機会があって、その後に自らの設計のベースとしたのかは不明です。

 「ビーバー」級の量産は、「U-195」と「U-216」が蘭印へ向けて出発する数か月前の1944年夏に開始されました。両艦とも分解された「V-2」ロケットや最新兵器の設計図を積載していたましたが、この航海で「ビーバー」級の設計図も日本側に移転された可能性もありますが、その真相は歴史の闇に葬り去られてしまいました。

 結局のところ、「ビーバー」級との類似性については「単なる偶然の一致」が最も有力な説となっています。

ドイツの「ビーバー」級特殊潜航艇

本物を建造する前にドイツの潜水艦乗組員によって作られた縮小模型

 ナチスドイツと日本の降伏後にインドネシアの独立闘士と共に戦うことを選択した現地のドイツ人潜水艦乗組員によって、日本の魚雷で武装したドイツの特殊潜航艇が設計されていた - これは、まさに魅惑的なもので満ち溢れた物語以外の何ものでもありません。

 その粗雑な設計と製造品質のおかげで、この特殊潜航艇は最初から成功の見込みがなかったかもしれませんが、インドネシア人がオランダ軍に戦いを挑むためにあらゆる手段を模索しようという決意を(他国の人々の協力を得て)ますます強めていったという重要な証拠と言えるでしょう。

 インドネシアが再びオランダの主力艦を沈めるという試みを再び仕掛けるには、オランダ領ニューギニアへの侵攻を企図した「トリコラ作戦」の一環で実行を試みた1962年まで待たねばなりませんでした。当時はソ連から最新の兵器を入手していたため、その結果として立案された計画では「KS-1 "コメット"」対艦ミサイルを搭載した「Tu-16KS-1」爆撃機によるオランダ空母「HNLMS カレル・ドゥールマン」撃沈が求められていました(結局、攻撃は中止に終わりました)。

 明らかにインドネシアの軍事史が西側諸国で全く取り上げられていないという事実は、そこに含まれている多くの興味深い物語が十分に伝えられていないことを意味しています:つまり、それは私たちが好んで取り上げる物語のことです。

[1] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/af009e5e-d0b4-102d-bcf8-003048976d84
[2] IJN Submarine I-505: Tabular Record of Movement http://www.combinedfleet.com/I-505.htm
[3] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Erich Döring, geboren 29-03-1921 Muehlhausen. In dienst van de Kriegsmarine als Maschinenunteroff. op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/3fa45cf9-01a6-7884-0237-db4c606ccfa5
[4] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Herbert Weber, geb. 3-6-'14 te Leutersdorf. In dienst van de Kriegsmarine als Leitender Ingenieur op U-boot 195 https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/f1cca949-fd26-d1c8-3f3a-10a985539386
[5] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Heinz Ulrich, geboren 14-08-1924 te Berlijn. In dienst van de Kriegsmarine als Maschinenobergefreiter op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/432b83ec-97d7-308b-08cd-f2470cf2bea8
[6] Malang: Een van de vijf op 1 augustus 1947 gearresteerde Duitsers: Res. Oberleutnant zur See Fritz Arp, geb. 16-1-'15 te Burg auf Friehmar (Ostsee) In dienst van de Kriegsmarine als 1ste Off. op U-boot 195. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/c8569997-e185-7055-81c5-f70cad6da942
[7] Malang. Een van de vijf op 1 augustus 1947 te Malang gearresteerde Duitsers: Alfred Pschunder, geboren op 24 december 1918 te Malang, Rijksduitser. Hij richtte o.a. honden af voor de Polisi Negara https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/c8569997-e185-7055-81c5-f70cad6da942
[8] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. Op deze plaats werd de torpedo aan het moeder-scheepje bevestigd. https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/af009fe4-d0b4-102d-bcf8-003048976d84
[9] In een staalfabriek in Djocja werkte een ex-Duitse matroos aan een eenmanstorpedo. Zijn uitvinding mislukte. Bij de eerste proefneming zonk het ijzeren gevaarte. Op deze plaats werd de torpedo aan het moederscheepje bevestigd https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/397950e1-fab7-1892-0a70-7d82a6ca43c8
[10] Hangar met Japanse? voertuigen. In de achtergrond liggen zeetorpedo's opgestapeld https://www.nationaalarchief.nl/onderzoeken/fotocollectie/01ff58e2-1eea-1815-f92d-68bfb852bb8e(リンク切れ)

※  当記事は、2023年1月10日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。

2023年3月26日日曜日

新たな時代に備えて:日本が各国に供与した防衛装備品など(一覧)


著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo

 何十年も平和を維持するための努力を費やしてきた後に再び戦争の可能性に備えている日本は、自衛隊に初となる正真正銘の攻撃能力を導入することになったほか、台湾周辺の島々に長距離対艦ミサイルの配備もしました。

 冷戦以降も領土問題を外交的に解決することを望んでいたにもかかわらず、今の日本は、ますます威勢を強める中国と(日本の千島列島のうち最南端に位置する4つをいまだに占領している)ロシア、核保有国と化した北朝鮮に囲まれた状態にあるのです。

 軍事態勢を強化する試みの一環として、日本は中国の干渉に対するアジア諸国の戦力を支援を通じて高め、主にフィリピンやマレーシアといった国の海上監視能力の強化も目指しています。

 これまでの支援は非武装の哨戒機や練習機、非殺傷兵器の寄贈に限られていましたが、ようやく日本が海外に堂々と軍備を輸出できるようになった情勢を受け、この国はさらなる貢献の方策を模索して始めています。

 フィリピンは冷戦後に日本から大型装備の供与を受けた最初の国であり、2020年に全長96mの巡視船2隻と対空捜索レーダー数基を入手しています。その後も、日本はフィリピン沿岸警備隊がこれらの艦艇を運用し続けるための整備能力を強化するため、2億1,000万円を拠出しました。[1] 

 フィリピンは、すでに日本政府が建造資金を提供した全長44mの巡視船10隻と元海上自衛隊機である「ビーチクラフト・キングエア "TC-90"」双発機5機を受領しており、2023年または2024年には多数の「UH-1J」ヘリコプターも受け取る予定です。

 同様にベトナムも日本の援助の受領国であり、2016年と2018年に6隻の漁業取締船を供与されています。2021年9月、両国の軍事協力が徐々に強化されていく中で、彼らは日本がベトナムに防衛装備品や技術を供与する協定を締結しました。[2]

 日本の民間団体による取り組みも、太平洋の海洋安全保障に重要な貢献をしていることに注目すべきです。日本財団は太平洋の国々へ資金や巡視船さえも寄贈している組織の一つであり、2018年にはミクロな島国であるパラオに40m級の新型巡視船まで寄贈しています。[3]

 中国の影響力に支配されることを阻止したり、密漁や違法操業への対処するかどうかを問わず、日本政府や民間からの寄贈は何らかの形で太平洋の海洋安全保障に寄与しているのです。


 2022年2月24日のロシアの侵攻を受けたウクライナに対する日本の支援の動きは、早くも2月25日にウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相から岸信夫防衛大臣(当時)宛の書簡から始まりました。[4]

 この書簡の中で、レズニコフ国防相はロシアからの侵攻の阻止を支援して欲しいと日本から「武器」を含む軍備の提供を要請しました。これを受けた岸防衛大臣は、日本が厳格な輸出規制に縛られながらも自国ができることを探すよう防衛省の各部署に指示したとのことです。こうして、1960代以降の政権によって定められた厳しいガイドラインの限度内でどのような種類の装備品を送ることができるのかを選定するという、日本政府にとって大変な挑戦が始まりました。
 
 まず、防衛省は自衛隊の不用装備品を開発途上国に譲渡できると定めた自衛隊法第116条の3第1項に着目したものの、当該条文は武器と弾薬の譲渡について明確に除外していることがネックとなりました。 [4]

 もう一つの障害となっていたのは、「紛争当事国」への(非殺傷型を含む)軍備の移転を禁止していることが明記されている、1967年に定められた「武器輸出三原則(注:現在の「防衛装備移転三原則」)というガイドラインの存在でした。[4]

 この原則で定義する「紛争当事国」とは、「武力攻撃が発生し、国際の平和及び安全を維持し又は回復するため、国連安保理がとっている措置の対象国」を指します。ただし、「紛争当事国」と定義された具体的な国は朝鮮戦争時の北朝鮮と湾岸戦争のイラクだけしか存在しません。つまり、皮肉にも日本のガイドラインでウクライナは「紛争当事国」ではないため、日本は非殺傷型の防衛装備を供与する選択肢に進むことができたのです。[4]

 しかし、防衛省は「日本と安全保障面での協力関係がある国に対する救難、輸送、警戒、監視及び掃海に係る協力に関する防衛装備の海外移転」のみ限定する三原則上における「運用指針」の問題にも直面することになりました。[4]

 このおかげで、ヘルメットや防弾チョッキは日本の輸出貿易管理令で定める防衛装備品に該当することから、当時はウクライナへの譲渡が不可能だったわけです。

 これらの厳格な規制を回避するため、日本政府は自衛隊が用いている「88式鉄帽」について、民間市場でも同等のものが購入できることから、実質的には規制に該当する「軍用ヘルメット」ではないと宣言したのです – これが独創的な解釈と言えることは確かでしょう。[1] 
 
 ウクライナに対するヘルメットや防弾チョッキなどの非殺傷型の装備品を供与する上で生じる問題を解決するため、日本政府は「運用指針」そのものに変更を加えました。防衛装備移転三原則の運用指針に定める「防衛装備の海外移転を認め得る案件」に、「国際法違反の侵略を受けているウクライナに対して自衛隊法第116条の3の規定に基づき防衛大臣が譲渡する装備品等に含まれる防衛装備の海外移転」が追加されたのです。

この興味深くも、非常に骨の折れる官僚的な駆け引きの後、「88式鉄帽」6900個と「防弾チョッキ3型」1900着は、その他の衣服や人道支援物資と共に航空自衛隊の「KC-767」と「C-2」輸送機やアメリカ空軍の「C-17」輸送機で欧州へと空輸されるに至りました。

ウクライナで用いられている防弾チョッキ3型(改):日本がウクライナへ供与した装備類は現時点で非殺傷型のものばかりだったが、数年前まではこの程度の支援も考えられなかったことに注目すべきだろう(提供:とあるウクライナの予備兵 via 爆戦氏)

 ウクライナと日本の国境(海)に近い地域における出来事を考慮すると、今後もウクライナやアジア諸国が日本から寄贈される各種防衛装備の受け入れ先となる可能性は高いと思われます。

 絶え間ない現代化を続ける軍事組織を維持するため、将来的な寄贈対象には戦車やヘリコプター、さらには艦艇といった自衛隊の退役装備も含まれるかもしれません。なぜならば、これらも細心の注意を払って稼働(またはそれに準じた)状態が維持されているからです。

 ウクライナは確実に日本政府へ追加の軍事支援を(得られる瞬間まで)求めてくることが予想されるため、結果として、日本政府が過去の政権によって定められた原則の範囲内に収めるようにする奮闘の中で、さらに官僚の頭を抱えさせることになるのは間違いありません。

  1. 以下の一覧では、日本政府から諸外国へ寄贈されたことが判明している軍用装備や重機を掲載しています。
  2. 個人から寄贈されたものについては、この一覧には含まれていません。
  3. 一覧の項目は武器の種類ごとに分類されています(各装備名の前には原産国を示す国旗が表示されています)。
  4. この一覧はさらなる軍事支援の表明や判明に伴って更新される予定です。
  5. 各装備品類の名称をクリックすると、当該装備品類の画像などを見ることができます。

ヨーロッパ

ウクライナ


東南アジア

カンボジア

インドネシア

マレーシア


フィリピン

ベトナム


[1] Japan pledges 210M yen to PCG https://mb.com.ph/2022/06/11/japan-pledges-210m-yen-to-pcg/
[2] Japan, Vietnam sign defense transfer deal amid China worries https://apnews.com/article/technology-china-japan-tokyo-kamala-harris-9bf99b9422489050fcb0dde811741714
[3] Japan Patrol Vessel Donation to Help Palau Counter Maritime Threats https://www.nippon.com/en/features/c04802/
[4] 防弾チョッキ提供 ウクライナに武器輸出?https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/79571.html
以降は邦訳に際して参考とした資料となります。

※  当記事は、2023年3月22日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したも  
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
    あります。また、編訳者の意向で大幅に加筆修正を加えたり、画像を差し替えています。

2022年9月22日木曜日

名誉ある地位を占めるために:日本によるウクライナへの軍事支援(一覧)

ウクライナで用いられている防弾チョッキ3型(改)[提供:とあるウクライナの予備兵 via 爆戦氏]
 
著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ  in cooperation with *****

 日本は伝統的に世界で最も厳しい軍備輸出政策を維持しており、(例外はあるものの)この国の防衛企業や公的機関は他国への軍備の輸出のみならず寄贈さえも妨げてきました(それでも近年は規制緩和や政策・指針の変更により輸出活動は活発し始めています)。

 ウクライナへの軍事支援を妨げる事態を回避するために、日本政府が防衛装備の移転に関する独自のガイドラインに変更を加えたという事実は極めて例外的なものと言わざるを得ないでしょう。

 結果的に非殺傷型の装備の供与にとどまりましたが、戦乱の最中にあるウクライナへ軍需品を供給するという動きは第二次世界大戦後における日本の現代史では前例がありません(注:ベトナム戦争頃まで、日本は砲弾を含めた弾薬類及び被服などを含む備品を主にアメリカ軍経由で法に明記されていない紛争当事国に供給した事例はあります。しかし、今回のようにダイレクトに供給したことは初めてです)。

 軍事支援として、これまでに小型偵察用無人機40機、ヘルメット6900個、防弾チョッキ1900着などが提供されています。[1][2]

 2月24日にロシアが侵攻したウクライナに対する日本の支援の動きは、早くも2月25日にウクライナのオレクシー・レズニコフ国防相から岸信夫防衛大臣(当時)宛の書簡から始まりました。[3]

 書簡の中で、レズニコフ国防相はロシアからの侵攻の阻止を支援して欲しいと日本から「武器」を含む軍備の提供を要請しました。これを受けた岸防衛大臣は、日本が厳格な輸出規制に縛られながらも自国ができることを探すよう防衛省の各部署に指示したとのことです。[3] 

 こうして、1960〜70年代に定められた厳しいガイドラインの限度内でどのような種類の装備品を送ることができるのかを選定するという、日本政府にとって大変な挑戦が始まったのです。
 
 まず、防衛省は自衛隊の不用装備品を開発途上国に譲渡できると定めた自衛隊法第116条の3第1項に着目しました。[3][4]

 実際、2017年と2018年に海上自衛隊の「TC-90」練習機5機と関連装備及び退役した「UH-1」ヘリコプターの部品をフィリピンに譲渡したという事例があったため、当然ながら今回も検討の対象となったのです。[5][6][7]

 しかし、当該条文は武器と弾薬の譲渡について明確に除外していることから、2月25日の書簡でレズニコフ国防相が求めた装備(対戦車兵器や対空ミサイルシステム、弾薬など)の大部分を供給することは不可能でした。

 もう一つの障害となっていたのは、「紛争当事国」への(非殺傷型を含む)軍備の移転を禁止していることが明記されている、1967年に定められた「武器輸出三原則(注:現在の「防衛装備移転三原則」)というガイドラインの存在でした。[8]

 この原則で定義する「紛争当事国」とは、「武力攻撃が発生し、国際の平和及び安全を維持し又は回復するため、国連安保理がとっている措置の対象国」を指します。

 ただし、「紛争当事国」と定義された具体的な国は朝鮮戦争時の北朝鮮と湾岸戦争のイラクだけしか存在しません。つまり、皮肉にも日本のガイドラインでウクライナは「紛争当事国」ではないため、日本は非殺傷型の防衛装備を供与する選択肢に進むことができたのです。[3]

 しかし、その後に防衛省は、軍用ヘルメットや防弾チョッキが輸出貿易管理令で定める防衛装備品に含まれることも供与を妨げる要因と判明しました。

 さらに、「日本と安全保障面での協力関係がある国に対する救難、輸送、警戒、監視及び掃海に係る協力に関する防衛装備の海外移転」のみ限定する三原則上の「運用指針」にも直面することになりました。なぜならば、ウクライナは該当国ではないからです。つまり、非殺傷型の防衛装備さえも供与できないということを意味します。[3][8]

 これらの厳格な規制を回避するため、日本政府は自衛隊が用いている「88式鉄帽」について、民間市場でも同等のものが購入できることから、実質的には規制に該当する「軍用ヘルメット」ではないと宣言したのです – これが独創的な解釈と言えることは確かでしょう。[1] 

 ウクライナに対するヘルメットや防弾チョッキなどの非殺傷型の装備品を供与する上で生じる問題を解決するため、日本政府は「運用指針」そのものに変更を加えました。[9]

 防衛装備移転三原則の運用指針に定める「防衛装備の海外移転を認め得る案件」に、「国際法違反の侵略を受けているウクライナに対して自衛隊法第116条の3の規定に基づき防衛大臣が譲渡する装備品等に含まれる防衛装備の海外移転」が追加されたのです。[9]

 つまり、日本政府はウクライナがロシアの侵略によって存続が脅かされている極めて特殊な状況下にある国であると認識し、自衛隊が有する装備を提供することはやむを得ないものと判断したことを内外に明言したことになります。

 この興味深くも、非常に骨の折れる官僚的な駆け引きの後、「88式鉄帽」6900個と「防弾チョッキ3型」1900着は、その他の衣服や人道支援物資と共に航空自衛隊の「KC-767」と「C-2」輸送機やアメリカ空軍の「C-17」輸送機でウクライナの隣国であるポーランドへ空輸されました。[10][11][12]

 (武士の格好で著名な)セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ特命全権大使は「KC-767」が欧州に向けて飛び立った翌日の3月9日に岸信夫防衛大臣と会談し、装備品の供与に対する日本政府への謝意を延べると共に小火器用の照準器や軍用ナイフなどの供与の要望も表明しました。[12]

 日本の国是や緊迫する東アジア情勢を鑑みると、現実的にそのような装備品を供与することは不可能に近いでしょう(イタリアとエストニアは陸上自衛隊で運用している「FH-70」155mm榴弾砲をウクライナに供与したので、日本もその気になれば供与することもできないわけではないでしょうが、それを検討する場合には高度な政治判断が求められることは避けられません。また、自衛隊に行き渡っていない新型の装備を外国に優先して供与することに異論があることも考慮しておく必要があります。そして、対中国における日本の防衛装備の充実化の必要性を踏まえると対外供与自体に余裕があるかも疑わしいと思われます)。

 ロシア・ウクライナ戦争は半年を過ぎた今でも日本はウクライナへの軍事支援を続けており、8月以降も偵察用のドローン10機などが供与される予定です。[14] 

 ロシアが不法占拠し続けている北方領土の返還を含む日本との平和条約締結交渉を一方的に(事実上)打ち切ったことは火に油を注ぐだけで、ウクライナに対する日本の支持は強いものであり続けることでしょう(注:かつてウクライナが中国に空母「ワリヤーグ」のスクラップや「Su-33」艦上戦闘機の試作機、「ズーブル」級エアクッション艇を販売したことでウクライナに良い印象を持たない人々も多くいますが、現ゼレンスキー政権では中国による主要なエンジンメーカーである「モトールシーチ」社買収計画を阻止したことは評価するべきではないでしょうか)。

 ロシアに対して課された制裁ネットワークへの参加や、2014年以降に提供された約20億ドル(約2,850億円)に加えて緊急人道支援として3億ドル(約427億円)を提供したことは、日本が今次戦争において明確な姿勢をとることを恐れておらず、ウクライナへの支援を実現するためには自国の厳格な規制を回避するために何でもすることも示しています。[3]

ウクライナへ空輸される支援物資(2022年3月)

  1. 以下に列挙した一覧は、2022年のロシアによるウクライナ侵攻の際に日本がウクライナに供与した、あるいは提供を約束した非殺傷型の防衛装備品等の追跡調査を試みたものです。
  2. 一覧の項目は武器の種類ごとに分類されています(各装備名の前には原産国を示す国旗が表示されています)。
  3. この一覧はさらなる軍事支援の表明や判明に伴って更新される予定です。
  4. 各装備品類の名称をクリックすると、当該装備品類の画像などを見ることができます。


無人偵察機

対ドローン(C-UAS)探知  システム

  • 1 形式不明のC-UASシステム [予定]

車両


個人装備


その他の装備品類
  • 通信機器 [2022年3月]
  • 衛星電話 [同上]
  • 双眼鏡 [2022年3月以降に供与]
  • 240 テント [2022年3月]
  •  発電機 [同上]
  • 50 カメラ [同上]
  • 照明器具 [同上]
  • 衛生資材 [同上]
  • 140,000 非常用糧食 [2022年3月 と 2023年6月]
  • ALIS 地雷探知システム [2023年4月]
  •  爆弾処理防護服 [同上]

ウクライナへの支援物資を積み込んで欧州へ向けて出発する「C-2」輸送機に航空自衛隊員たちが手を振って別れを告げている

[1] https://www.sankei.com/article/20220324-JK3DVENX2NNZJKHGICL5QXKBZQ/

※  当記事は、2022年9月8日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したもの
  です。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ      ります。また、編訳者の意向で大幅に加筆修正を加えたり、画像を差し替えています。


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