ラベル SA-8 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル SA-8 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年10月21日金曜日

私をねらって:アルメニアのSAM型デコイ


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 アルメニアとアゼルバイジャンとの間で繰り広げられた2020年のナゴルノ・カラバフ戦争から得られる教訓があるとすれば、それは安価ながら非常に効果的な無人戦闘航空機(UCAV)の驚異的な効率性と、それらによってもたらされる猛攻撃を阻止するはずだった、新旧にわたる幅広い種類の防空システムの失敗を中心に展開されるに違いありません。

 アルメニアは差し迫った敗北を受け入れようとしなかったことで犠牲の大きい44日間の消耗戦を強いられ、約250台の戦車や(より悲劇的なことに)その多くがまだ10代後半から20代前半だった約5,000人の兵士と予備役兵を含む甚大な損失を受けました。[1]

 それでも、アルメニアの軍隊は無人機が主導する戦争の時代における自らの弱点を痛感することだけは見通していたはずであり、使用できる限られた資金でその改善を試みたことは確かです。

 これは主に、UAVの運用を何らかの形で妨害するためのロシア製電子戦(EW)システム、ハンターキラー・システムとして機能する可能性がある「トール-M2KM」 SAMの導入と、老朽化にもかかわらずアルメニア軍がナゴルノ・カラバフの広い範囲をカバーすることを可能にした、ヨルダンから入手した35台の「9K33 "オーサ-AK"」に現れています。

 しかし、アルメニアが痛い目に遭ったことが知られたように、前述のシステムは「バイラクタルTB2」や徘徊兵器が次々と自身を狙い撃ち始めた様子を、苦痛の中で待つ以外にほとんど何もすることができませんでした。

 アルメニアで使用された別の対UAV戦法としては、攻撃してきたドローンをおびき寄せてデコイを狙わせるために本物のSAMの近くにデコイのSAMを配置し、避けられない破壊から本物を守るというものがありました。

 1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆の際には、この「Maskirovka」戦術は非常に効果的でしたが、2020年のナゴルノ・カラバフでアルメニアによって展開された数は、運用中のSAMシステムを標的にすることからアゼルバイジャン軍の注意をそらし、戦争の行方に実際に影響を与えるにはあまりにも少ないものでした。

 それでも、実際に使用されたデコイは詳細な迷彩パターンさえも施されており、SAMシステムの写実的な再現で優れていました。

                     

 「9K33 "オーサ"(NATO側呼称:SA-8 "ゲッコー")」はアルメニア軍(さらに言うと事実上アルメニア軍の一部であるアルツァフ国防軍)で最も多く保有しているSAMシステムだったため、アルメニアのデコイの大部分がこのSAMをベースにしたことは何ら驚くべきものではありません。

 「9K33」のデコイはアゼルバイジャンのドローンオペレーターを騙して攻撃させることに成功した事実が確認されている唯一のデコイでもあります。この事例は2020年9月30日に、当時まだアルメニアが支配していたナゴルノ・カラバフの小さな村である(アルメニアではNor Karmiravanと呼ばれている)Papravəndの近くにある「9K33」の拠点で発生しました。[2]

 本物の9K33とほとんど識別できないレベルだったため、(運用システムの展開を模すために)護岸に配置された2つのデコイは、イスラエル製徘徊兵器:IAI「ハロップ」による攻撃を受けて完全に破壊されました。

 ただし、アルメニアにとって不幸なことに、拠点の周辺に配置されていた本物の運用システムの方も同じ運命を辿ってしまいました。これらは「9T217」ミサイル輸送車と一緒に、TB2とハロップによって即座に全滅させられてしまったのです

 この戦争でアルメニアは3台(うち2台が破壊、1台が鹵獲)の「9T217」ミサイル輸送車に加えて、少なくとも18台(うち16台が破壊、2台が鹵獲)の「9K33」システムを失ってしまいました。[1]




 興味深いことに、製造されたことが知られている僅かな「トール-M2KM」のデコイの場合、手の込んだ迷彩パターンは本当にデコイとしての本性を示していました。なぜならば、アルメニアの本物の「トール」システムは2019年に同国に到着した後、いかなる迷彩塗装も施されなかったからです。さらに、デコイは単にコンテナベースの発射システムだけであり、それを搭載しているはずのトラックは作られていませんでした。

 とはいえ、アゼルバイジャンのドローン操縦員が、追跡して無力化しなければならないSAMシステムの大きさや形状をどの程度把握していたかは不明であり、あまりにも熱心な彼らが「トール-M2KM」のデコイを本物と容易に間違えた可能性はあります(注:実際にこのデコイが破壊されたのかは不明です)。

 44日間の戦争中に破壊されたことが確認されている「トール-M2KM」は1基のみですが、これはアルメニア軍によって配備された数自体が少なかった可能性があるためで、必ずしもデコイが本物を守ったというわけではありません。[1]

左:2020年のナゴルノ・カラバフ戦争で運用されたアルメニア軍の「トール-M2KM」
右:アルメニア軍によって施された軍用車用の一般的な迷彩パターンが特徴の精巧な「トール-M2KM」のデコイ

 僅かな数のデコイはナゴルノ・カラバフの戦略的な場所の各地に配置されるのではなく、それぞれが稼働中の9K33や「トール-M2KM」システムを装って既存のSAM部隊の拠点に配置されました。

 結果的として、この配置は本物の9K33「オーサ」の寿命を数分延ばすのに役立ったかもしれません。しかし、アゼルバイジャン軍に貴重な時間とリソースを費やして、近くにある本物のSAMの迎撃圏内を飛行しながら「システム」を追跡して掃討することを余儀なくさせるために、アルメニアがデコイをナゴルノ・カラバフ全域に独立した「システム」として配置した方が良かったことはほぼ間違いありません。

 もちろん、デコイの存在はTB2が「9K33」の拠点(あるいはその他のアルメニアのSAMサイト)の上空を旋回できたことに何の支障も与えることはできませんでした。下にある本物のSAMでさえレーダーの電源をオンにした状態で7~8発のミサイルを搭載していたものの、TB2の存在に気づかなかったからです。

 これは、TB2が撃墜される危険に直面することなく、全ての目標が破壊されるまでSAMシステム(とデコイ)を攻撃し続けることができることを意味しており、無人機主導の戦争の時代における9K33の陳腐化を再び痛感させました。



 アルメニアのデコイは戦争の行方を左右するにはあまりにも少ない数しか配備されていなかったかもしれませんが、敵味方の双方がそれの有効性を研究し、発生する可能性がある将来の戦争に教訓を活用することは間違いないでしょう。

 現代の電子光学装置は(航空戦を含む)戦いの手法を変えたかもしれませんが、デコイも同時に変化し続けています。新たな紛争では、敵からの識別をさらに困難にするため、例えば赤外線(熱)シグネチャー発生装置などを装備したより多くの数のデコイが配備される可能性があります。

 アゼルバイジャンは今やデコイの存在に気づいたため、例えば、SAM陣地の衛星画像を研究したり、ドローンの操縦員にデコイと本物のシステムを識別する訓練をしたりするなどして、事前にそれらを識別する方法を模索するでしょう。

 とはいえ、TB2用の「MAM-L」誘導爆弾の価格は比較的安いため、大量のデコイを配備することで、(見込まれる)将来の紛争に本当に大きな影響を与えることができるのかという疑問が生じます。

 「バイラクタル・アクンジュ」TAI「アクスングル」といったUCAVはそれぞれ24発と12発の「MAM-L」を搭載することが可能であり、この数はいくらかのSAMサイトをレーダーやデコイと一緒に破壊するのに十分なものです。

 アルメニアや同等の脅威に直面している世界中の国々がTB2のようなドローンにうまく対抗できる手段を不足させている限り、デコイを大量に配備したとしても、敵側に弾薬を買い込ませるだけで少しも効果をもたらさないでしょう。

 アゼルバイジャンのような国にとっては、まさにそのような行為を阻害するものはほとんどなく、効果的なデコイのコストや両国が利用できるアセットの格差を考慮すると、破壊されたデコイは結果的にアゼルバイジャン側の純然たる戦果となるかもしれません。

 もちろん、彼らが破壊を免れたとしたら、戦いの結果に関係なく自身の任務は失敗に終わったということでしょう:それがデコイの一生涯を懸けた役割だからです。


[1] The Fight For Nagorno-Karabakh: Documenting Losses On The Sides Of Armenia And Azerbaijan https://www.oryxspioenkop.com/2020/09/the-fight-for-nagorno-karabakh.html
[2] https://twitter.com/azyakancokkacan/status/1340051552774598657

※  当記事は2021年4月28日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したもの 
 です。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

2021年3月27日土曜日

戦いの余波: ナゴルノ・カラバフ戦争の教訓がバクーの通りを行進した

著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

「もしアゼルバイジャンが戦争を始めるのならば、アルメニアの戦車はバクーまで行くことになる(2020年9月、アルメニア国防省アルツルン・オワンニシャン報道官)」

 結果的に、アルメニア軍の装備は(国防省が想像していたものとは明らかに異なる方法で)2020年12月10日に実施されたアゼルバイジャンの戦勝パレードに登場しました。バクーの自由広場におけるこのパレードでは、44日間にわたるナゴルノ・カラバフ戦争にて両軍が使用した装備の一部を垣間見ることができました。

 何列にも並んだ車両に乗せられた(最終的にはドローン戦によって圧倒された)多種類の兵器システムが展示された戦利品の隊列は大規模なものでしたが、このパレードに登場したアルメニアの装備は、アゼルバイジャンが捕獲した武器と車両の総数の約10分の1にすぎません [1]。

  実際、現時点で確認されているアゼルバイジャンの損失数を 2 倍にしても、同軍は戦争で失った以上の装備を捕獲したことになります。

 一般的な考えとは逆に、アルメニア軍が被った装備の大規模な損失は実際には人が思っているほど重要ではありません。アルメニアは比較的人口の少ない経済的に苦しい国というよりも地域大国に相応しい装備の量を持ち、戦力の構成は常にナゴルノ・カラバフとその周辺の占領地域を防衛することに非常に力を注いでいました。

 しかし、敗北によってナゴルノ・カラバフとその周辺の領土の半分近くの支配権を喪失したため、大規模な常備軍の存在意義もそれに伴って失われてしまったのです。
 


 ボロボロになったアルメニアの旧ソ連製装備(の隊列)はその大部分が1970年代から1980年代のものであり、過去数年で急速に発展して今や大都市になったバクーの近代的な景観とは著しく対照的なものでした。

 また、アルメニアの装備はアゼルバイジャンがパレードで公開した自軍の大量の兵器システムとも対照的でした。アゼルバイジャン軍の装備の多くは最近入手したものであり、それぞれの分野で最も現代的なシステムに属するものだったからです。

 パレードの全体はここで視聴することができます(捕獲されたアルメニアの装備は1:02:40からです)。



 パレード会場に最初に入場してきたものは、両国にとって非常に象徴的なものでした。それは戦争中にアゼルバイジャンが捕獲したアルメニア軍のトラックとジープのナンバープレートからできたオブジェだったためです。これは、1990年代にアルメニアがナゴルノ・カラバフとその周辺の7地域から追い出したばかりのアゼルバイジャン系住民が所有していた車のナンバープレートで作った「ナンバープレートの壁」への明確な仕返しでした。アゼルバイジャンが作った壁には「Qarabağ Azerbaycandir(カラバフはアゼルバイジャンのもの)!」 の文字が大きく表示されています。


 パレードにて車両の部の先頭を飾ったのは、十字架が描かれた3台のカマズ・トラックでした(注:パレードの映像では十字架が確認できないので、下の画像は予行演習で撮影された可能性があります)。このパレードで見られた白い十字架は、(アルメニアの乗員が軍用車両に施したものもありますが)アゼルバイジャン側が捕獲されたアルメニアの装備と自軍の装備との違いを示すために施したものです。

 戦争中、アルメニアはイラン経由でロシアから数バッチのカマズ・トラックを受け取り続けました。[1]

 しかし、これらは戦時下におけるアルメニアの対アゼルバイジャン戦を支援するためのロシアからの軍事支援ではなく、戦争が勃発する以前に発注された大規模な武器取引の(納入の)一部に過ぎませんでした。どの国に対しても一般に課される武器禁輸措置に反して、ロシアは戦争中にもかかわらず契約上の義務を忠実に守りました。

 興味深いのは各車の荷台に載せられた多種類の迫撃砲です。左(後部)からM57 60mm、M69 82mm、M74 120mmと全てが旧ユーゴスラビア起源のものです。そして最も右側(車体側)にはヘル・キャノン(即席の簡易式迫撃砲)があることにも注目してください。
後者の存在はナゴルノ・カラバフの戦場での驚くべき発見でした。通常、ヘル・キャノンはより多くの通常兵器へのアクセスに欠けている反政府勢力などの武装組織と関連しているためです(注:今回はアルメニアという国家が運用していたため)。


 迫撃砲よりも遥かに広範囲に砲火を浴びせる能力があるのはアルメニアでも多く運用されている牽引式砲ですが、その中でもD-30 122mm榴弾砲(画像)が最も多く使用されています。より大きな砲としてはD-20 152mm榴弾砲や同口径の2A36ギアツィント-Bカノン砲などがあり、第二次世界大戦時の M-30 122mm榴弾砲や D-1 152mm榴弾砲、さらには野砲に転用した高射砲(KS-19)も2020年の時点でも前線で使用されていました。

 装軌式自走砲よりもかなり安価であるため、多くの国が牽引式砲の弱点である限られた機動性について、砲自体をトラックに搭載することで対処し始めていますが、驚くべきことに、この種の装備の開発はアルメニアで一度も実行されたことがありませんでした。ほとんど全ての牽制式砲は事前に構築された(砲撃に対するいくらかの防御力はある)陣地に配置されていたものの、頭上で滞空する無人機には完全に無防備なものだったのです。

 したがって、バイラクタルTB2無人機だけによって(アルメニアが合計で200門以上の牽引式砲を失ったことが確認されているうち)120門以上の牽引式砲が破壊されたことは驚くべきことではありません。[2]

 一門ずつ狙い撃ちされることもしばしばあったため、アルメニア軍砲兵の(短い平均余命をもたらす)戦時中の生活は本当に恐ろしい経験だったと想像することができます。
 

 さらにこの後には、えり抜きの対戦車ミサイル(ATGM)や無反動砲、重機関銃を荷台に積んだ3台のウラル-4320トラックがD-20 152mm榴弾砲を牽引しながら登場しました。
これらの中にはシリアの主な戦場で装甲戦闘車両や構造物、兵士の集団に大損害を与えた非常に恐ろしい9M133コルネット(6門)が含まれていました。

 ナゴルノ・カラバフ戦争ではATGMは小さな役割しか果たすことができませんでした。アルメニア軍のATGMチームは大抵は無力化されたり、撃破するはずの敵戦車が視界に入る前に無人機や砲撃、ミサイル攻撃によって退却を余儀なくされたりしたためです。

 それにもかかわらず、アルメニア国防省による士気向上のための意味合いが強い思われるものに9K115メチスATGMの訓練を受けている予備役の映像があり、それは国営テレビで定期的に放映されました。本来、メチスは9M113コンクールスに比べてより軽いATGMシステムを兵士に提供するためにソ連で設計されましたが、専用の9M131ミサイルの射程と貫徹力の不足はメチスが本来の想定よりも普及しなかったことを意味しています。

 もちろん、射程距離はたった 1km( 9M133は約5km )であるため、仮に大量の9K115が前線に配備されていたとしても、アルメニアがアゼルバイジャン軍の進撃を阻止することはできなかったでしょう。

 当然のことながら、この戦争で発射された(アルメニアの)ATGMの映像は存在しません。
 

 続いて、戦争に投入されたさまざまな種類の対空装備が紹介されました。まず、ZSU-23-4自走式高射機関砲(SPAAG)ですが、4門の23mm砲で合わせて毎分約4,000発の発射能力を持つ、低空飛行する航空機に依然として猛烈な一撃を与える可能性を秘めた実績のあるシステムです。

 もちろん、それは航空機がZSU-23-4の射程圏内に入ってくることが前提ですが、きちんとした空軍には多量のスタンド・オフ兵器が配備されているため、現代ではそのようなことはめったにありません。 これは無人機にも当てはまります。無人機はZSU-23-4のような防空システムを追跡して狙うことが可能であり、それらが逃れることができないほどの高度や遠距離を飛行するためです。

 ただし、ハロップのような徘徊兵器を狙える可能性は大幅に高くなります。標的に向かって突入する際に地表近くへ降下しなければならず、ZSU-23-4の射程距離に入るためです。

 いくつかの国では、より現代的なレーダーや電子光学照準装置、さらにはMANPADSを追加することで、このようなシステムを標的にするZSU-23-4の能力向上を手がけました。ただし、アルメニアではそのような改良が施されなかったため、現代戦におけるZSU-23-4の欠陥が再び驚くほど明らかになりました。

 パレードの訓練を容易にし、自由広部への損傷を与える可能性を避けるため、ZSU-23のよう装軌車両は自力で会場を走行するのではなく、トレーラーに載せてパレードに登場しました。


 9K33「オーサ(NATOコード:SA-8)」は、現在でもアルメニアの主要な地対空ミサイル(SAM)システムであり、同国は21世紀に適切なこのシステムを維持するために継続的な投資を行っています。

 最近の例としては、2020年1月にアルメニアはヨルダンから27億ドルで購入したばかりの35台の9K33「オーサ-AK」の一部を見せびらかしました。[3] [4]

 これらは同じくアルメニアで運用されている「オーサ-AKM」よりも古いバージョンですが(それ故に低性能でミサイルの有効射程がより制限されたものでしたが)、非常に安価に調達できたおかげで独自の改修が可能となっていました(注:コスト的に余裕があったということ)。

 9K33のような旧式のシステムへの依存と追加調達は戦時中も戦後も激しく批判されましたが、アゼルバイジャンとの衝突初期には徘徊兵器に対して使用され、一定の成果を収めました。

 アルメニアにとって不幸なことに、9K33に対して施した、または計画された(新型コンピュータと光学システムから構成された)改修は1つの大きな問題に対処することに失敗しました。バイラクタルTB2のようなUAVは、9K33の射程距離に入ることを必要とせずにそれらを攻撃目標にすることができたのです。

 他国では特にこの問題への対処に努め、結果として最も人気のある改修型は(アゼルバイジャンも調達した)ベラルーシの「オーサ-1T」が知られるようになりました。しかし、各ミサイルの近代化と改修はそのような能力向上策の中でも最も高価なものだったため、アルメニアは9K33の能力を高めるための別の方法を検討しました。

 とは言え、バイラクタルTB2は戦争中に複数の9K33の射程圏内で一度も標的にされることなく頻繁に運用されました。おそらくアルメニアははるかに多くの9K33を展開して各システムの交戦範囲が重なるようにすれば、その能力不足を少なくとも部分的には補えると想像していたのでしょう。つまり、仮にTB2が1基の9K33と交戦中であれば、それが自動的に近くにある別のシステムの交戦範囲内を飛んでいることを意味するわけです。

 しかし、これらのシステムはそのレーダーシステムが明らかに作動していても、上空を旋回しているバイラクタルTB2を全く識別できないことが判明しました。これはTB2自体が持つレーダーの被探知性が低く、それに加えてアゼルバイジャンが電子戦(EW)を展開した可能性があったためだと思われます。その結果として、14基の9K33の破壊と引き換えにTB2は1機も失われることはありませんでした。 [2]


 アルメニアで依然として現役にある2K11「クルーグ (SA-4)」と2K12「クーブ (SA-6)」のような、より長射程のSAMは9K33よりも健闘することはなく、戦争中には基本的に何も役割を果たしませんでした。アルメニアは少なくとも2つの老朽化したシステムを維持していましたが、衝突が勃発した時点で稼働状態にあったのはシュシャ近郊に配備された1基だけだったようです。

 興味深いことに、アルメニアは戦争中にもう1つの2K12のサイトを再稼働させようと試みませんでしたが、アゼルバイジャンは予防策として1S91レーダー(注:下の画像は別の個体)と空の発射機を攻撃することを止めることはありませんでした。


2K12を擁護するならば、その後継システムである9K37M1-2「ブク-M1・2」や9K332「トール-M2KM」、さらには自慢のS-300も、ナゴルノ・カラバフ上空で展開された航空作戦には何の影響も与えることはありませんでした。

 トール-M2KMについては、(拠点への到着後に)2発の徘徊兵器と1回のミサイル攻撃で破壊される前にバイラクタルTB2に追跡されたシステムが(確認された数は)たった1基だけということが、もしかすると唯一の出番だったのかもしれません。[5]

 トール-M2KMは(自立したシステムであるため)展開に大きなスペースをとらず、偽装の容易さと敵UAVの警戒網から逃れることが可能な機動性を用いて、ナゴルノ・カルバフでハンター・キラーシステムとしての運用ができると想定されていました。しかし、実際にはそれどころかトールと全ての他の防空システムは明らかに狩られる側となってしまいました。


 ロシアの一般的な反応は、SAMの運用者を非難したり、問題のシステムは決して最後の一撃を与えた爆弾類や無人機を標的にするようには作られていなかった(注:最初から無人機類を標的にする能力が備わっていなかった)という主張が大抵でしたが、いずれにせよアルメニアの「防空の傘」を構成する全ての層がピストンエンジンの無人機によって完全に打ち負かされてしまいました。

 これには、ソ連時代のSAMと(それを置き換えるために設計された)畏怖されているS-300などの現代的なロシア製SAMの両方が含まれていました。S-300ファミリーはそれだけで地域の戦略的航空軍事バランスを完全に乱すことが可能な驚異的な兵器として誇示されることが多いですが、実際にはそもそもS-300の能力については実現不可能なレベルまで誇張して伝えられてきたのです。

 戦争中、バイラクタルTB2は(攻撃成果の観測をして飛び去る前に)S-300に向けられた弾道ミサイルや徘徊兵器が着弾するのを待っている間に3つのS-300陣地の付近を文字どおりに旋回していましたが、衝撃的なことに、これらのSAM陣地の一部の発射機はあたかも戦争が始まっていないかのように展開モードにすらなっていませんでした。

 ただし、アルメニア近年における「ブク」や「トール」のような最新のSAMシステムを取得し、さまざまな供給源から入手した多数のロシア製電子戦システムや電子光学装備への長年にわたる投資によってナゴルノ・カラバフとその周辺地域を(北朝鮮を除いて)世界で最も高密度な防空エリアに変化させたため、同国が完全に戦いの準備を怠っていたわけではないことに注意する必要があります。

 一部のエリアでは依然として高度なSAMが不足していますが、そこでは最新のMANPADS(携帯式地対空ミサイルシステム)、自走対空砲と対空砲にバックアップされた、あらゆる射程距離のレベルで旧式と最新のシステムを大量に運用していました。結果として、その防空システム(ADS:Air Defence System)が、これに挑戦することを厭わない敵に対してちょっとした切り札となりました。

 しかし、この切り札が敵にほとんど損失を与えない一方で数日のうちに徹底的に打ち破られたという事実は、無人機や電子戦、スタンドオフ兵器などの新分野に対する現代の防空システムの有効性が多くの研究の主題になるだろうことを疑う余地はありません。

 アルメニアがロシアから引き渡されたEWシステムに特に大きな信頼を寄せていたことは、同国国防省の報道官であるアルツルン・オワンニシャン(そう、彼はこの記事の冒頭でも発言を引用した人物です)がアフトバザ-Mについて「アゼルバイジャン空軍の死」と熱心に言及していたことが証明しています。[6]

 何らかの方法でUAVの運用を妨害することを目的とした、ムルマンスクボリソグレブスク-2R-330Pレペレント-1といったシステムもSAMと同じようなものであり、これらがナゴルノ・カルバフ上空における敵UAVの運用を少しでも妨害できなかったことが証明されたと結論づけなければなりません。


 分類上、対空砲と装甲戦闘車両(AFV)の中間に位置するのが現地で火力支援車に改造された4台のMT-LB汎用軽装甲牽引車です。転用された大抵の車両は旧ユーゴスラビア製のM55 20mm三連装高射機関砲を装備していますが、まれにZU-23 23mm高射機関砲や(2枚目の画像で見られるような)AZP S-60 57mm高射機関砲を搭載しているものもあります。

 これらの対空砲は全てがヘリコプターや低空飛行中の航空機に対してある程度の効果を有していますが、電子光学照準機の追加なしでこれらが高速で飛行する航空機や徘徊兵器の脅威に対処するには完全に不十分な装備です。

 結局、運用数の多さと戦場での低い価値のために少なくとも36台の対空砲搭載型MT-LBが戦争で失われました。36台中、12台がバイラクタルTB2によって破壊され、別の2台がスパイク-ERによって破壊されました。そして、22台が捕獲されました。 [2]


 パレードのAFVの部では、73mm低圧砲を搭載したBMP-1と(歩兵に対する照準や敵陣の制圧に最適な30mm機関砲を搭載した)より新しいBMP-2の計6台が会場に登場しました。
おそらく両者の能力を結びつけようとしたのか、アルメニアはいくつかのBMP-1を改修し、ZU-23やZSU-23-4から取り外された連装の23mm機関砲を追加しました。しかし、2種類の砲を操作しなければならない砲手の作業負荷を大幅に増加させるものだったため、この改修はBMPの実際の能力を拡充させることに全く貢献しませんでした。

 いずれにせよ、このような改修は主にBMP-1の攻勢的(非防御的)な役割を中心に展開されたものでしたが、アルメニアは44日間の戦いのほぼ全体にわたって守勢にあり、ほとんどのBMPは決して来なかった反撃命令を見越して固定された陣地に残されていました。アルメニアが降伏する直前の11月10日には、BMP-2も投入された数少ない反撃の一つがシュシャの入り口付近にて発生しました。この反撃は霧が立ちこめた天候の中で実施されたため、アゼルバイジャンの無人機はこれらに対する攻撃に参加することを数日間続けて妨害されました。やっと空が晴れてきた際にこれらのBMP-2はすぐに徘徊兵器に襲われ、霧が立ちこめる中での反撃ですらも街の一部や近郊の森で防備していたアゼルバイジャンの特殊部隊によって失敗に終わってしまいました。

 アルメニアは最終的に戦争開始の時点よりも約75台少ないBMPと共に戦争を終えましたが、失われたBMPのほとんどがバイラクタルTB2の照準線に捉えられて最後を迎えました。


 T-72戦車もパレードの登場を期待されていた装備であり、計6台が観客の前を行進しました。これらにはアルメニアで運用されている中で最も一般的なT-72、T-72AVとT-72Bが含まれていました。これらの各タイプはどれもがあまりにも長く最前線に置かれ、決して射程に入ってこない敵を待つために頻繁に護岸へ配置されたようです。

 彼らが想定していた敵の代わりに襲来したのは、(目視で少なくとも105台のT-72戦車を破壊したことが確認されている)バイラクタルTB2、(最低でも11台の戦車を破壊した)徘徊兵器、少なくとも8台のT-72戦車を破壊した)スパイク-ER ATGMでした。[2]

 アルメニアがやっとAFVや大砲の一部を撤収させ始めたとき、それは空軍機の援護を受けずに行われました。つまり、バイラクタルTB2はたった1発のMAM-L爆弾で、撤収中の装備とそれを運んでいたトラックの両方を攻撃することができたことを意味しています。

 T-72A(V)とT-72Bに加えて、アルメニアはさらに2種類のT-72の派生型を運用しています:旧式のT-72「ウラル」とT-72B 1989年型は、T-72AVとT-72Bに装備されているコンタークト-1 ERA(爆発反応装甲)ではなく、T-90にも装備されているコンタークト-5 ERAを装備しています。戦争中に破壊されたことが確認されたT-72「ウラル」は2台のみであり、T-72B 1989年型は全く見られませんでした。

 アルメニアは2014年にロシアにて開催された戦車バイアスロンで獲得した1台のT-90Aも運用していますが、T-72 1989年型と同様に戦争中に投入されたとは思われていません。


 パレードに登場したT-72Bの1台には、砲塔にかなり興味深いもの:2つの国産の(IRダズラーとして知られる)電子光学妨害装置が追加されていました。IRダズラーは特に自車を狙うATGMのレーザー指示器を混乱させるように設計されており、装甲防護力の強化では達成できない方法で、ほぼ確実な破壊から戦車を救うことができます。

 アルメニアが戦争で喪失したことが確認されている約230台の戦車のうち、このT-72BはIRダズラーを装備した2台のうちの一つです。これは、この装置がまだ試作段階で現時点ではテスト中であったのか、あるいはコストが法外に高価で広範囲への導入が保証できないとみなされて普及しなかったことを示している可能性があります。


 次には、3台の2S1「グヴィズジーカ」122mm自走榴弾砲が登場しました。これらはアルメニアが戦闘で失ったことが確認されている20台のうちの3台です。これらの大部分は彼らを守るはずだった防空システムが除去された後にバイラクタルTB2によって破壊されましたが、いくつかは戦場に取り残された後にアゼルバイジャン軍に捕獲されました。

 もちろん、「防空の傘」がなくなってしまったので、一見して避けられない無人機の攻撃で敵弾が自車に命中することを待つよりも、乗員が自車を放棄しただろうことは十分に理解できます。


 ロシアの勢力圏の下にある大部分の軍隊や、単に先人(旧ソ連軍)の軍事装備を受け継いだ軍隊と同様に、アルメニアもありふれたBM-21 122mm多連装ロケット砲(MRL)を大量に運用しています。

 多くの場合、MRLは従来の大砲よりも長射程の標的に壊滅的な集中砲火を浴びせることができるため、アルメニアはこのようなシステムのストックを増やすために巨額の投資をしました。この対象にはBM-21だけでなく、1990年代に入手した中国のWM-80 273mm MRLや、最近取得したBM-30「スメルチ」300mm MRL、T-72の車体をベースにした(さらにはサーモバリック弾を発射する)TOS-1 220mm MRLも含まれていました。



 アルメニアはもっぱら遠方で集結している敵兵群や司令部を標的にするために長距離MRLを用いると予想されましたが、その代わりに「スメルチ」は10月末にアゼルバイジャンの都市バルダへの一連の攻撃で使用され、27人もの市民の死をもたらしました。

 アルメニアは既に10月初旬の時点でOTR-21「トーチカ」とスカッド-B弾道ミサイルをガンジャ市へ向けて発射、アパート全体が崩壊して26人の市民が死亡しているため、これらの攻撃は決して単発の出来事ではありませんでした(注:つまり市街地への攻撃は一回だけではなかったということ)。


 BM-30やいかなる弾道ミサイルも( ほぼ完全にアルメニア人によって配置され、アルメニア軍に内在した存在となっている)アルツァフ共和国軍ではなくアルメニア軍が運用していますが、アルメニアは「全くの嘘」として両攻撃の責任を否定しました。[7]

 その代わり、アルツァフ共和国は自国の軍隊がどちらのシステムも運用しておらず、スカッド-Bがアルメニアから発射されたという事実があるにもかかわらず、「軍事目標を狙った」と両攻撃の関与を主張しました。

 偶然にも、バイラクタルTB2はナゴルノ・カラバフの最前線から遠く離れた場所を監視しており、国境地域に展開したスカッドBを追跡していたのです(注:これによって攻撃の主体がアルメニアの弾道ミサイルであることが判明しました)。[8]

 これらの長距離砲兵システムが仮にバルダやガンジャの街中にある軍事目標を標的にしたものであったとしても、その使用する兵器の選択は本当に許しがたく、市民の命を完全に無視していることを示しています。

 問題のBM-30は命中率が不正確な9M55Kロケット弾に72個の(それぞれ96個の破片を含む)子爆弾を搭載したクラスター弾頭を使用しており、スカッド-B弾道ミサイルは平均誤差半径(CEP)が500メートルであるため、これらは大規模な軍事基地に対しての使用のみか領域拒否兵器としての使用が適しています。

 もし戦争中におけるアルメニア・アルツァフ側が市民の命を軽視していたことについてまだ疑問に思っているのであれば、その答えを自称アルツァフ共和国大統領アライク・ハルチュニャンの報道官による10月5日の発言が教えてくれます:「あと数日で考古学者でさえもガンジャの場所を見つけられなくなるだろうことを心配しています」。[9]

 人道に対する罪を構成することは別として、これらの攻撃はアルメニアで運用されている、遠方の目標を攻撃して壊滅的な効果を上げることができた数少ないシステムの完全な無駄遣いでした。

 無人機によって敗北に至った原因を分析することや、戦争に大敗していることを認めず、それを国民に伝えることを拒絶したことを別にしても、アルメニア軍の指導者層はMRLや弾道ミサイルなどの戦略資産を配備する意図と方法を再考することが賢明でしょう。


 もちろん、この章は「カラバフの征服者」たるバイラクタルTB2について再びはっきりと言及することなしには完結しません。この征服者はMAM-L誘導爆弾でBM-21を57台、WM-80を2台破壊したほか、バルダへの攻撃に関与したBM-30を発見し、追跡、破壊することもしました。[2]

 攻撃に関与した2台の「スメルチ」は、ナゴルノ・カルバフの奥深くに用意された陣地に静かに配置され、河川敷から外へ発進して、近くの野原まで走り、破壊的なロケット弾を放った後、再装填のために戻ってきました。[10]

 これらのBM-30の1台は、10月30日に命取りの一斉射撃を行った後に目撃されましたTB2はそこで攻撃せずにそのBM-30を追跡したところ、この車両は拠点に戻り、同機はそこで別のBM-30と再装填用の弾薬を発見しました。この後にこれらは攻撃を受けて2台の発射機は破壊された結果となったので、より多くのバルダ市民の命が救われた可能性があります。

 この戦争の過程で、 さらに2台のBM-30が破壊されました (別の1台はTB2、もう1台は徘徊兵器による)。[2]


 台無しとなったAFVや大砲の隊列の後ろから迫り来るのは、さらに多くのトラックやジープのみならず、戦争中にアルメニアが少なくとも5台は失った9P148「コンクールス」ATGM車も1台ありました。

 大部分の西側の軍隊では広範囲に配備するには用途が特化されすぎていると思われていますが、ポスト・ソビエトのいくつかの国ではこのようなATGMキャリアを相当数運用し続けています。9P148に加えて、アルメニアはMT-LBの車体をベースにしたより近代的な9P149「シュトゥルム-S」も運用している一方で、アゼルバイジャンはBMP-3をベースにした最先端の9P157-2「クリザンテマ-S」を採用しています。

 アルメニアが依然として9P148の能力を高く評価していることは、2018年に数台が受けた、昼夜兼用の照準能力を向上させるためにサーマルサイトの追加改修が証明しています。ちなみに、今回のパレードで展示されていたのも、この近代化改修されたバージョンです。

 アルメニアはナゴルノ・カラバフ戦争の結論を引き出した後もATGMキャリアが維持する価値のある資産と考えるかどうかは不明ですが、彼らはわずかなコストで(耐用年数が尽きるまで)それらを運用し続けることを簡単に選択するかもしれません。


 戦争が勃発したとき、アルメニア軍はまだソ連時代のトラックやジープをより近代的なものに交換することによって同軍の装備車両の近代化する過程の中にありました。

 この近代化の一環として、既にアルメニアのストックにある旧式のウラルやカマズ製トラック、UAZジープを代替するために同じブランドの新しい車両がロシアから大量に調達されました。この近代化の大部分はすでに実行されており、これはおそらくアルメニアが戦争で喪失した膨大な量の車両を補うために(ロシアに)再度の発注をしなければならないことを意味するでしょう(注:納入された新しい車両の大半を既に喪失したということ)。

 無人機が最前線のはるか後方で自由に闊歩していたため、物資や兵士を輸送するトラックはバイラクタルTB2や徘徊兵器の格好の餌食になってしまいました。

 結果としてアルメニアは大きな損失を被り、現時点で約600台のトラックとジープがアゼルバイジャンによって破壊や捕獲されたことが確認されています。[2]

 自分の持ち場と鎖でつながれたアルメニア兵の遺体が塹壕から出てきた映像のように、(兵士が無人機の攻撃を恐れて車両を放棄するのを防ぐために)一部の司令官が兵士をトラックのハンドルにつなぐことを決めた兆候もあります。[11]

 これらの出来事が事実か否かを検証することはできませんが、このような行為を裏付ける映像は驚くほど大量に存在します。


 この豊富な捕獲装備の一部がアゼルバイジャン軍に配備される可能性はありますが、大半は廃棄されるか(将来に建立されるかもしれない)モニュメントとして展示されるために保管されるかもしれません。実際、バクーの祖国戦争記念館と戦勝博物館の建設準備は2021年1月初旬の時点ですでに開始されています。これらの施設はパレード会場からたった数百メートル離れた場所にあり、展示品の中にはパレードに登場したものを含む多数のAFVやトラックがあります。

 そこでは、これらの装備はこの地域の歴史の中で最も驚異的な番狂わせの1つであるだけでなく、急速に近代化する敵に直面していた不十分な軍事計画がもたらした結果の証拠として残り続けるでしょう。

 捕獲された兵器が埃を被るにつれて、ほかの国々はここで何が起こったのか気づくはずです。そして、この短くも猛烈な紛争の結果は、彼らが学んだ教訓とそれを受けての変化の中で反響していくにちがいありません。


[1] Foreign Ministry Spokesman Denies Iran Is Transiting Russian Arms To Armenia https://iranintl.com/en/world/foreign-ministry-spokesman-denies-iran-transiting-russian-arms-armenia
[2] ナゴルノ・カラバフの戦い2020:アルメニアとアゼルバイジャンが喪失した装備(一覧) http://spioenkopjp.blogspot.com/2020/09/2020.html
[3] Jordan to sell Osa SAMs https://web.archive.org/web/20171104074342/http://www.janes.com/article/75246/jordan-to-sell-osa-sams
[4] Armenia Shows Off New Osa-AK Air Defense Missiles https://militaryleak.com/2020/01/06/armenia-shows-off-new-osa-ak-air-defense-missiles/
[5] The enemy's Tor-M2KM SAM was destroyed in the Khojavend direction of the front https://mod.gov.az/en/news/the-enemy-039-s-tor-m2km-sam-was-destroyed-in-the-khojavend-direction-of-the-front-video-33775.html
[6] Armenian new multifunctional UAVs being displayed at ArmHiTec 2018 Yerevan exhibition https://armenpress.am/eng/news/928038/armenian-new-multifunctional-uavs-being-displayed-at-armhitec-2018-yerevan-exhibition.html
[7] Azerbaijan and Armenia accuse each other of breaking ceasefire https://edition.cnn.com/2020/10/10/europe/azerbaijan-armenia-ceasefire-intl/index.html
[8] Məhv edilən düşmən ƏTRK-nin start mövqeyinə çıxarılmasının videogörüntüləri https://youtu.be/Fi8yGuzQors
[9] A few more days and even archaeologists will not be able to find the place of Ganja. Poghosyan https://www.1lurer.am/en/2020/10/05/A-few-more-days-and-even-archaeologists-will-not-be-able-to-find-the-place-of-Ganja-Poghosyan/328058
[10] Two more "Smerch" belonging to the enemy, which fired at the cities of Barda and Tartar, were destroyed today https://mod.gov.az/en/news/two-more-smerch-belonging-to-the-enemy-which-fired-at-the-cities-of-barda-and-tartar-were-destroyed-today-vide-33498.html
[11] https://twitter.com/canacun/status/1312365311803482112

※  この翻訳元の記事は、2021年1月2日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
 

おすすめの記事

2018年6月4日月曜日

イスラーム軍の9K33「オーサ」地対空ミサイルシステム



著  スタイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 イスラーム軍はダマスカスの東グータ上空を飛行するシリア空軍のヘリコプターを撃墜するため、2016年6月26日に9K33オーサ(SA-8)移動式地対空ミサイル(SAM)システムを再展開しました。イスラーム軍は1発のミサイル:9M33でヘリコプターを撃墜したとすぐにアナウンスしましたが、損傷したMi-25はなんとかダマスカス国際空港に無事に帰還することができました。その翌日、シリア空軍はイスラーム軍の領域付近上空を飛行していた数機の航空機を喪失したため、イスラーム軍の9K33に再び注目が集められました。

 このシステムの最新の展開には多くの人が驚かされました。ロシア国防省が2015年10月15日と2015年12月30日の二度にわたって「東部ドゥーマイスラミック・ステート テロリスト集団」によって運用されていた9K33システムの破壊に成功したと主張したために、既にイスラーム軍は9K33用ミサイルを使い果たしたと思われていたからです。
 これらの攻撃の結果(9K33が本当に破壊されたのか)がどうであるのかは不明のままですが、この報告は東グータを飛行するシリア空軍への脅威が効果的に無力化されたという誤った印象を与えました。

 はっきり言うと、イスラーム軍は2012年10月6日に東グータで1基の9K33を捕獲したとよく信じられてきましたが、実際には2ヶ月足らずで少なくとも5基以上の9K33を捕獲しています。これらの5基のシステムのうち3基は運用状態で捕獲され、非運用状態の2基はシリア防空軍(SyAADF)の整備・保管施設で出くわしたものとなります。
 イスラーム軍によって捕獲・運用されている9K33の実際の数に関する情報が不足していることは、世界中の紛争地域における正確な情報収集の重要性を再び示しています。







 2012年10月に反政府勢力が東グータにていくつかの地対空ミサイル拠点やレーダーシステム及びその関連機器を捕獲しましたが、この機器の大部分は老朽化した旧ソ連時代のシステムで構成されており、数カ月にわたって放棄されていました。限られた数のZSU-23-4やトラック・指揮車両を除いて、この装備は反乱軍にとっては殆ど役に立たないことが判明したためです。
 (3基の)運用可能な9K33の捕獲は後にシリア空軍にとてつもなくやっかいな問題を引き起こしたので、彼らが捕獲された後の直後にこれらを攻撃しないと決定したのは大失敗以外の何物でもありませんでした。

 バッシャール・アル=アサド大統領の体制に反対する武装勢力はこれまでにも地対空ミサイルを捕獲していましたが、その遺棄された装備の殆どは使用方法が複雑すぎることが判明しました。しかし、機動性の高い9K33は操作をマスターするのがより簡単なシステムで、インターネットでダウンロード可能なデジタルシミュレータが使用できるようになったことで更に容易になりました。
 おそらくより重要なことは、このシステムはレーダーが発射車両に直接組み込まれているために反乱軍にとっては(他のSAMより)ずっと使いやすく、空爆の目標になるのを避けるために素早く移動して隠れる能力があることでしょう。
 今までのところ、9K33はイスラーム軍(かつてのイスラーム旅団)によって捕獲されたという事実(注:他の組織では捕獲例が報告されていない)があり、シリアにおいて反乱軍が遂に得た初の運用可能なSAMシステムとなったことは注目に値します。

 最近ではイスラミック・ステートの存在で完全に影が薄くなりましたが、内戦下におけるイスラーム軍の偉業はまさに劇的に他なりません。他の反政府勢力に見られる機甲戦力と歩兵との間の貧弱な連携とは対称的に、彼らは機械化部隊で両者を運用する最初の勢力であした(注:組織的に連携できたということ)。
 2013年後半にはイスラーム軍はKshesh空軍基地(注:ジラー空軍基地)を拠点とする独自の空軍を創設しました。そのL-39のどれもが今までに作戦飛行に投入されたことはありませんでしたが、空軍の創設はイスラーム軍がそれをできる能力があったことを証明しました。
 そのほぼ2年後、イスラーム軍は2015年9月にイラン製のゼルザル-2無誘導ロケットを東カラマウンから発射するという、他の反乱軍によって行われていなかったことも初めてやってのけました。このロケットはシリアでは「マイサラム」と呼ばれ、攻撃ではシリアの沿岸地域にある市街地の中心部を標的にしていたと思われます。この全く報告されていない攻撃はシリア空軍によって行われた東グータへの空爆に対する報復として意図されていた可能性が高いですが、その戦果は不明です。しかし、イスラーム軍はそのような兵器で攻撃を行った唯一の反政府勢力のままです。

 それらの功績と海外からの資金提供、そして故ザーラン・アルーシュ(注:ハローキティのノートで知られている人物といえば分かるだろうか)による強力なリーダーシップを考えると、イスラーム軍は捕獲された9K33を運用するテロ指定組織でした。実際、捕獲後の数カ月間に彼らは既に東グータ上空を飛行するシリア空軍機に対してシステムを活用する準備をしていたのです。









 9K33オーサは、元々はヨーロッパの平野で作戦中の前進する機甲部隊への上空援護を供するシステムの構築を目的として1960年代に開発されたものです。しかし、従来の設計とは対照的に9K33は発射システムとレーダーの両方を1台の車両に統合させており、輸送起立発射機及びレーダー搭載車両(TELAR)は、他のレーダー・システムに依存することなく独立して運用可能なことを意味しています。こうした独立性の高いシステムにもかかわらず、長距離レーダーシステムへのリンク機能はシステムの状況認識と戦闘能力を大幅に向上させます。
 TELARはBAZ-5937上の9A33B発射プラットフォームと6発の9M33ミサイルで構成されており、それら2つの要素が9K33オーサ(ワスプ)と呼ばれる1つの完全なシステムを形成します。これらはさらに9T217BM装填車によって支援されており、2台が各中隊に配備されています(注:通常、1個中隊にはTELAR4台と9T217BM2台が配備)。9T217BMはTELARに9M33ミサイルを再装填する役目を負っており、12発のミサイルを搭載しています。

 9K33はソ連から友好国へ大量に輸出されており、1971年の登場以来いくつかの紛争で行動を見せました。
 かつての南アフリカ防衛軍(SADF)は戦場で最初に9K33に遭遇し、1987年の「モジュラー作戦」中に無傷で捕獲しますた。その後、情報機関がこのシステムを調査するために列を作りました。
 米国も1991年に「砂漠の嵐作戦」中でいくつかの9K33を捕獲し、自国のためのサンプルを手に入れることとなりました。この攻勢は、システムが戦争中に見られた重度のECM環境で高速飛行するジェット機に対して本気で挑む能力が無いことを驚くほど明らかにしました。この悲惨な事実は、ベンガジ周辺に展開した全ての作戦状態下にあるリビア軍の9K33が、1発の命中弾を与えること無く破壊されたリビア内戦中にもう一度明らかになりました。






 9K33はシリアでの運用ではるかに成功した実績を見せましたが、それほど厳しくない環境で使用された場合、オーサは確かに非常に有能なシステムだったということを証明しています。
 シリアは1982年初めに最初の9K33を受け取りました。そのすべてが発展型の9K33M2 「オーサAK」であり、更に改良された9K33M3「オーサAKM」に見られる特徴的なIFF(敵味方識別)アンテナが欠けていました。これらのシステムは、レバノン内戦中に同国のベッカー高原への配備に総動員され、そこでイスラエル空軍のF-4EファントムIIと米海軍のLTV A-7EコルセアII攻撃機の撃墜に貢献しました。

 9K33M2「オーサAK」の9M33M2ミサイルは最大10kmの射程距離を有しており、19kgの弾頭が近接信管かTELARのオペレーターの指令で爆発します。9K33のレーダーに対するジャミングがあった場合に備えて、電子光学追跡システムも車両上に装備されています。
 シリアの運用では、この追跡システムは2000年代初頭から半ばにかけて出所不明の赤外線(IR)追跡システムに置き換えられました。この改修には9A33B発射機内に新しい電子機器を搭載することも含まれていました。新しいIR追跡装置は下の画像に映っているTELARに搭載されています(注:Encyclopedia of Syrian military によればこの装置は北朝鮮製とのこと。このツイートでやりとりを確認することができます。)
 また、標的に向かうミサイルの軌道をオペレーターが画面を通して把握するための新しいディスプレイも見ることができます。このディスプレイはこれまでイスラーム軍によって公表されたあらゆる映像で目立つように特集されており、標的に命中したかどうかを確認できる唯一の証拠となることが頻繁にありました。











 しかし、シリアの9K33はシリアに対するイスラエル空軍の襲撃に全く対抗できなかったことを証明し、その回数は過去数年間に急増しました。主にダマスカス周辺の武器貯蔵庫を標的にしたこれらの空爆はイスラエルによってジャミングが多様されたため、今までのところはシリアからの抵抗に殆ど遭わなかったようです。
 実際、シリアが導入したばかりのブーク-M2パーンツィリ-S1ペチョーラ-2Mでさえ、これまでにイスラエルの航空機を追尾して撃墜することができなかったことが判明しています。

 シリア内戦の途中でSyAADFの作戦能力は急速に低下し、最終的にはかつて立派だった同軍の事実上の解体に至りました。ブーク-M2、パーンツィリ-S1、ペチョーラ-2Mのような新たに導入されたシステムは依然として運用状態にありますが、他の地対空ミサイル陣地の大半は装備が保管状態か単に朽ち果てた状態で放棄されました。9K33もそれらの状態と同然であり、ほとんどの部隊は運用が停止されてシステムは保管庫に入れられました。その結果として、以前に運用状態にあった7カ所ある9K33の陣地(ダマスカス周辺に6カ所、バージ・イスラームに1カ所)の多くが空になりました。

 2013年2月2日に行われたイスラエルの空爆は、おそらくはレバノンとの国境を越えてヒズボラに引き渡されようとしていたブーク-M2が狙われていたようですが、実際はその代わりに3台の9K33オーサ-AKが破壊されたことがわかりました。レバノン国境にとても近い場所への9K33の展開は、同システムがレバノン国内のヒズボラへの移送があり得ることを示唆しているかもしれない点についてイスラエルが懸念していたことを容易に想像することができます。
 それは確かに妥当なシナリオのように思えましたが、目標とされた9K33は実際のところ、元の陣地から撤退した後にこの場所に到着しました。ヒズボラへの移転はこのように起こり得ませんが、空爆の目標設定はイスラエル側の諜報能力とそれに続く迅速な対応を示しています。









 イスラーム軍の戦闘員がアサド政権の支配下にある2つの主要な防空拠点を制圧することを目指して、東グータの田舎で作戦を開始した2012年10月5日に話題を戻します。
これらの拠点はS-125地対空ミサイル陣地とそのミサイルの保管庫から構成されていました。貧弱な防御しかなかったので、両拠点はすぐにイスラーム軍の手に落ちました。
 数ヶ月前には、ここに位置する孤立したSyAADFの9K33中隊が3km足らずの位置にある、より広大で安全なS-125陣地に移動するように命令されました。この中隊は9K33オーサ[275195]、[275196]、[275197]の3台、9T217BM'[275189]と番号不明の計2台、BTR-60PU-12指揮車両1台、関連装備と人員を輸送するいくつかのトラックから成っており、2012年8月1日に目的地に到着しました。4台目の9K33発射車両[275198]は以前は砲撃によって損傷を受けており、S-125陣地には移動されませんでした。残された[275198]はその代わりにマルジ・アル・スルタンデイル・サルマンの間に位置するSyAADFの整備・保管施設へと追いやられました。

 新しい拠点に到着した後、[275195]、[275196]、[275197]は陣地内の打ち捨てられた多くのバンカーに駐留しました。この3台は無傷のままでしたが、この動き(注:駐留)は中隊の作戦状態の終結を意味し、これらのTELARは10月6日にイスラ-ム軍に捕獲されるまでバンカーに留まっていました。9K33をより安全な場所に移す動きは、このようにして全く役に立たないことが判明しました。後から考えてみると、東グータから全てのSyAADF戦力を退避させることだけが、大量の防空装備をイスラーム軍に捕獲させることを妨げたのではないでしょうか。










 敵対勢力の戦闘員が(9K33中隊も含めた)S-125陣地を捕獲する前に陣地全体が小火器の弾幕に晒され、結果としていくつかの車両が炎上し、そして防空装備の一部に損傷を受けました。しかし、9K33は陣地の保管庫に残っていたために無傷で難を逃れました。シェルターから追い出された9K33[275196]の映像は、敵対勢力が捕獲したものをあらゆる点で最初に垣間見せたものとなっています。









 9K33[275196]の上に乗った反政府勢力戦闘員の映像は、既に(彼らが得た)2台目の9K33[275197 ](2枚目の画像での奥にある車両)も存在することを明らかにしました。3台目の9K33[275195 ]の画像はソーシャルメディア上にのみ掲載されたため、結果として一般の大衆から目撃されることを免れました。
 シリア空軍による空爆や砲撃等による破壊を避けるため、後にS-125や関連装備を含めた陣地全体が捕獲された場所から離れました。その後、この陣地は農業用地に転換されました









 また、この陣地では2台の9T217BMのうち1台の焼けた残骸も発見されました。おそらく、この車両は陣地を攻撃中のイスラーム軍に襲われ、結果として破壊に至ったのでしょう。また、その陣地からさらに離れた位置に9K33中隊の2台目の9T217BMがありました。これは無傷で捕獲されて移動させられましたが、後に火を放たれて破壊されました。



 2012年11月25日、反政府勢力はマルジ・アル・スルタンのヘリポートに隣接するSyAADFの整備・保管施設を捕獲しました。ここで発見された装備の中には十数台のトラックやAFV、工作機械、訓練用資機材だけでなく、「275198」ともう1台(シリアル不明)を含む2台のTERARもありました。どちらも以前に反政府勢力による攻撃で一方の車両には標的追尾・交戦用レーダー・アンテナにいくつかの弾痕が生じ、もう1台は火災で同アンテナが損傷を被っていました。その損傷はどちらの車両も将来にわたって使い物にならない状態にしました。そのうちの1台は以前にイスラーム軍が3台のTERARを取り上げた陣地に駐留していたと考えられ、結局は2ヶ月以内に別の場所で捕獲されたに過ぎなかったのです。






 同じ月に反政府勢力の戦闘員がハラスタ-・アル・カンタラ近郊にある整備・保管施設制圧した際に、何十台ものトラックや指揮車両だけでなく別の9T217BM[270405]も捕獲しました。軽微な損傷を除いては比較的無傷のままでしたが、9T217BMには搭載されたミサイルが無かったので事実上役に立ちませんでした。
 唯一の無傷である9T217BMの最終的な運命は不明のままですが、イスラーム軍で使用された可能性は低いでしょう。








 総計で、東グータの反政府勢力は少なくとも5台の9K33と2台の9T217BMを捕獲していいました。これらの車両の中で3台の9K33だけがイスラーム軍で使用されていたことが判明しました。9K33中隊の(イスラーム軍の)新しい拠点への移転に装填車両も含まれていたのか、そして[275198]に搭載されていた6発のミサイルにも出くわしたのかどうかは不明のままです。そのため、反政府勢力によって捕獲された9M33ミサイルの数は議論のテーマのままであり、推定される幅は18~48発までとなります。

 これらのミサイルのうち、少なくとも6発が東グータ上空を飛行するシリア空軍のヘリコプターに発射され、1機のMi-17と1機のMi-8/17の撃墜、もう1機のMi-8/17と1機のMi-25の損傷をもたらしたことが確認されました。ときには追加の発射や(実際にこのシステムに関係する可能性がある)撃墜が報告されることがありますが、これらの出来事を独自に確認することはできません(注:それを立証する術が無い)。

 反政府勢力にこのような高機能の兵器の奪取を許したことは危機的な失態であり、捕獲された直後にこれらのシステムを追跡して破壊する試みが完全に欠如していたことは、アサド政権の軍事組織の無能さを痛々しく思い出させるものとなるでしょう。それ以来、何十もの兵器庫が捕獲されていった状況を見ると、彼らはこのような度重なる失敗からほとんど学習していないという結論に達せざるを得ません。










 2012年10月5日の捕獲後にイスラーム軍が初めてこのシステムを用いたのは、それから実に1年弱が経過した2013年7月29日でした。この時にはシリア空軍のMi-8/17が撃墜される状況がはっきりと見られ、東グータ及びその付近を飛行する同軍のヘリコプターに対する深刻な脅威の幕開けとなりました(注:この撃墜を撮影した動画が存在しましたが、現在はアカウントが停止されたため視聴が不可能になっています。)
 イスラーム軍のメディア部門はヘリコプターを撃墜した直後に次の声明を発表しました。「今日、ソーシャルメディア上で1年前の襲撃で得た防空ミサイルシステムを用いたイスラーム旅団の英雄に関する朗報が拡散されている。この1年間、彼らはシステムのコードを解読して作動させるために不断の努力を費やした。多くの技術者がコードの解析に失敗した後、彼らが欲する成功に達するまで、アッラーが彼らに報いた昨日の製粉所での戦闘まで、この計画担当者は多くの試行錯誤を続けた。政府軍はムジャヒディーンによって征服された同所の奪回を必死に試みたが、イスラーム旅団のムジャヒディーンがロシア製の『オーサ』システムでヘリコプターを撃墜し、ヘリコプターに搭乗していた2名の大佐と1名の将校に死をもたらした。」 

 この報道発表では、9K33システムを高度な地対空ミサイルシステムからイスラーム軍が実際に使用できる運用システムへと転換する際に深刻な問題に遭遇したことが確認され、操作要員の中で以前にこのシステムを使用した経験がある者が全くいなかったことを示唆されました。操作要員が試行錯誤によってシステムをマスターすることは確かに可能ですが、イスラーム軍内の旧9K33操作要員が存在する可能性を除外すべきではありません。








 実際の日付は不明のままですが、続く数週間か数ヶ月の後に別の発射が記録されました。ミサイルが直近で爆発したり、おそらく標的に命中した可能性が高いという事実にもかかわらず、損傷の程度や墜落したかどうかは報告されませんでした。
 最初の発射以後、新たな発射が公式に明らかにされる前には6ヶ月ありましたが、(上記の発射に加えて)その間に別の発射があった可能性を排除できません。
 この発射は標的のMi-17の破壊をもたらした(映像はここで見ることができます。)それは2014年1月16日の真昼間に発生し、1発の9M33ミサイルがヘリコプターのすぐ上にたどり着いて爆発し、ローターとテールブームの両方の喪失をもたらしました。ダラヤにて宙返りで落下するMi-17の劇的な映像(注:アカウント停止で視聴不可)がテープに記録され、イスラーム軍の9K33の脅威がまだ大いに健在していることがもう一度確認されました。

 前回の発射からちょうど1日後の2014年1月18日に、別の9K33の発射映像がアップロードされました。この発射の成果はいくつかの家屋や木が障害となったためにはっきりしないが(注:後述のまとめ映像の2:50前後に注目)、9M33ミサイルは標的を逃して発射の25〜28秒後に自爆したと思われます。



 2014年1月18日の最後の発射以降は、発射回数とその日にちを追跡することが非常に困難になりました。追加の発射を見せるビデオがアップロードされていないと考えられた直後の3月に、イスラーム軍はこれまでに知られていなかった2つ(これは前述の発射を含む)を含む、すべての過去の発射を映したビデオを公開しました(注:便宜上、これを「まとめ映像」と記述します)。
 別の攻撃ではMi-8/17に対する1発のミサイルの発射が見られました。ミサイルはヘリコプターの直近で爆発しましたが、その直後に映像が停止したので、おそらくは9M33ミサイルがヘリコプターに損傷を与えただけの可能性が高いと思われます(注:まとめ映像で2:10以降のシーン)。

 イスラーム軍によって公表されたビデオは(システムの探知能力をさらに助ける)9K33に装備されたレーダーを使用したことも明らかにしました(注:まとめ映像の0:20前後に注目。ターレット上の捜索レーダーが回転しています)。そのような装備の使用は論理的に見えますが、シリア空軍による探知と破壊されるリスクが増大します。この発射機には1本の空のキャニスターを含む6つのミサイルが満載されている様子が映し出されています(注:これもまとめ映像の0:20前後のTELARのことを示す)。







 同じビデオでは東グータを白昼に走り抜ける、新しいヘッドライトを装着した1台のTERARが映されており、この国の同地域上空における空中監視能力が欠けていることを証明しています(注:本来はライトを点灯することで敵に発見される可能性があるため)。

 東グータには大いに恐れられている空軍情報部のメンバーが存在する可能性が非常に高く、おそらく彼らがイスラーム軍の前の指導者ザーラン・アルーシュを殺害した空爆に貢献したと思われます(注:国営シリア・アラブ通信では正確な監視に基づいて作戦が実行された旨を報じていますが、親アサド系のアル・マスダール通信はイスラーム軍内のネットワークに侵入したシリア空軍情報部の情報将校が東グータで開催される最高レベルの会議の場所を空軍情報部に通報し、殺害に至ったと詳細に報じています。また、シリア人権監視団のラミ・アブドル・ラーマン代表も同様の発言をしています)。

 しかし、9K33の運用を担当するグループの規模は小さいと考えられており、新しいメンバーの受け入れを中断することによって(スパイの)侵入は事実上不可能となりました。






 2014年1月18日の発射は2年以上にわたる9K33の運用の最後に記録されたものになりました(注:2014年時点での話)。その間に実際に追加の発射がされた可能性はありますが、この期間に彼らによって公表された(発射に関する)声明やビデオはなかったことから、9K33が2年以上も運用を休止した可能性を示唆しています。
 9K33の不在はシステムが最終的に破壊されたか、またはイスラーム軍がミサイルを使い果たしたという根拠の無い噂につながりました。

 ほかでは「外国が東グータに追加の9M33ミサイルを引き渡した」や「(今のところシリア空軍のMiG-29SMと数機のSu-24MK2が拠点を置く)サイカル空軍基地の周辺を飛行する航空機を標的にするために、少なくとも1つの9k33システムがグータから東カラマウンに移動させられた」といった奇妙な主張がなされました。この地域における墜落の多くがここで運用されていると思われた9K33に起因するものとされましたが、そのほとんどは後で技術的な欠陥としてその主張が誤りであることを証明しました。これらの噂を裏付けるものは確認できませんし、真実とも思えません。

 2年以上にわたってミサイルの発射が確認されていないことは、イスラーム軍が東グータ上空を飛行するシリア軍のヘリコプターを絶えず苦しめる意思があるのかどうかという疑問を投げかけます。確かに、イスラーム軍は捕獲した装備の使用に関して、この時期から内戦でその全ての潜在能力を活用するのではなく主に抑止力として使用しているようにますます見え始めています。































 彼らが支配する領域は過去数年間にかけてかなり縮小していますが、これはまだ9K33の運用に支障を来してはいません。TELARの位置はしっかりと守られた秘密となっており、それらは東グータ各地の別々の場所で(分散して)保管されていたと考えられていましたが、その一方でその1台のおおよその位置が見つけられました。発射機はたった1組の乗員達によって運用されており、それは未だに捕獲された直後に運用されていた際の同じメンバーで構成されているようです。





 2016年6月26日にこの乗員達が再び作戦に戻ったことが確認されたとき、彼らは多くの人を驚かせました。標的とされたMi-25は胴体のテールブームに大きな被害を被りましたが、なんとかしてダマスカス国際空港への緊急着陸に成功しました。ここで修理を待っている間、予備のMi-25用のテールブームを輸送していたMi-8/17がダマスカスIAPから遠く離れていない場所に墜落しました。この件はそのテールブームが損傷を受けたMi-25のために準備されていた可能性を高めています(注:それを断定できないため)。






 この発射が単発の出来事であったか、すぐに次の発射に続くかどうかは不明ですが、9K33の過去の展開を考慮すると後者の方がより可能性が高いと思われます。いずれにせよ、現実がこれらのシステムの脅威が抑えられている状況とは程遠いことが明らかです。
 かくしてイスラーム軍は東グータ上空を脅かし続け、彼らがそこから追い出されるまでは同地域でのアサド政権の航空作戦を妨害するでしょう。

特別協力: Morant Mathieu from Military in the Middle East.

 ※ この翻訳元の記事は、2016年10月31日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。