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2023年9月19日火曜日

アルメニア最後の抑止力:「ブークM1-2」地対空ミサイルシステム



著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 ナゴルノ・カラバフの戦場に散乱している破壊された地対空ミサイル(SAM)システムの残骸がくすぶっている中で、2020年のナゴルノ・カラバフ戦争でドローンの手にによる破壊から逃れた思われる注目すべき不在者:9K37M1-2「ブークM1-2」がいました。

 実際、「ブークM1-2(NATO呼称:SA-11"ガドフライ”)」はアルメニア軍が保有する最も現代的で有能なSAMの1つですが、激しかったあの44日間戦争で何の役割も果たしていないように見えました。

 これらについて、当初はアルメニア軍のほとんどがアルメニア国内の基地からナゴルノ・カラバフに入るまで、新たに導入した「トールM2KM」の大半と共に出撃を差し控えていたものと信じられていましたが、戦争の初期の時点ですでに「トール」が初めて目撃されていたことは「ブーク」が戦闘に投入されていないことを強く示唆しました。

 「バイラクタルTB2」「ヘロン」のようなUAVが飛行する高度に到達できる数少ないSAMの1つとして、戦場における「ブーク」の不在は戦争の全期間にわたって確かに感じられました。

 アルメニアにおける「ブーク」の運用歴については全く知られていません。実際、2016年にアルメニアが独立25周年記念の軍事パレードを実施していなければ、同国による「ブークM1-2」の導入は完全に不明のままだったでしょう。

 2010年代前半から半ばのどこかで、アルメニアは「ブーク」を当時はまだ運用中だった老朽化した2K11「クルーグ(NATO呼称:SA-4)」2K12「クーブ (NATO呼称:SA-6)」を補完・後に置き換えるために入手したと考えられています。

 しかし、数多く存在したアルメニアの防衛プロジェクトと同様に資金不足がシステムの追加購入を妨げ、最終的にアルメニアは各3基の発射機を装備した2個中隊分の「ブーク」しか導入できませんでした。

2016年のエレバンにおけるパレードに登場した「ブーク-M1-2」の輸送車兼用起立式レーダ装備発射機(TELAR)。 これらのシステムがアルメニアで目撃された例はこれが唯一です。

 アルメニアが限られた資金で数少ない「ブーク」システムを戦闘可能な状態に維持することに専念していたと現実的に予想することはできたものの、真実は全くの正反対だったようです。

 2020年9月27日に武力衝突が勃発した後のアルメニアにあった稼働状態にある「ブークM1-2」発射機は1基のみで、残りの5基はアルメニアの乗員が修復不可能なレベルの技術的な不具合を抱えていたという特異な状態下にあったようです。[1]

 これらの不具合がアルメニアでの運用期間の全体を通してシステムを苦しめ続けていたというのはもっともらく思われるものであり、存在自体を疑いたくなるほど「ブーク」が国内での軍事演習で一度も目撃されたことはありませんでした。

 アルメニア軍は即座に急いで5基の不稼動状態にある「ブーク」を運用に戻すため、10月10日までにロシアの修理チームと修復作業に関する契約をしました。[1]

 これまでにナゴルノ・カラバフ戦争での「ブーク」の目撃例はなく(対照的に「トール」SAMが戦争中に運用されている映像は多数存在しています)このSAMが使用する「9М38(M1)」ミサイルの残骸も今まで地上で発見された事例がないことから、ロシアチームの努力は結果的に無駄に終わったという結論を出すことができます。

 少なくともアゼルバイジャンのTB2に(僅かにでも)勝つ見込みのある数少ない最新のSAM6基が戦争の全期間を倉庫での保管に費やされていたという事実は、自身がアゼルバイジャンの無人機戦を受ける側であることに気づいたアルメニアの兵士たちを失望させたに違いありません。

        

 アルメニア軍はナゴルノ・カラバフ戦争を特徴づけた無人機戦に不意を突かれてしまったと、しきりに非難されてきました。

 しかし、多くの人が思っていることとは逆に、これは事実ではありません。なぜならば、「ブーク」や「トール」といった最新のSAMシステム、ロシアの「レペレント-1」「アフトバザ-M」、そして「ボリソグレブスク-2」電子戦システムや電子光学装備をさまざまなサプライヤーから購入したことで、アルメニアには市場で最も現代的なロシアのシステムがもたらされていたからです。

 これらのシステムを組み合わせた戦力が戦闘という状況下で期待に応えることに失敗した事実についてアルメニアのせいにすることはできませんが、その代わり、無人機とそれに対抗するために設計されたシステムの間に能力のギャップが広がっていることを示しています。

韓国と共同開発した「Shumits」のような電子光学システム(画像)は、結果として2020年のナゴルノ・カルバフ戦争では無人機に影響を与えることができませんでした。

 アルメニアのIADS(統合防空システム)は(75台の9K33「オーサ」を含む)あらゆる射程の旧式及び現代的なSAMシステムを多重に取り入れており、最新のMANPADS、SPAAG(自走対空砲)、対空砲、そしてデコイによってバックアップされていました。

 9K33のようなシステムに依存し続けたことについては戦中も戦後も厳しく批判されましたが、この国は21世紀に妥当な旧式化したシステムを維持するための絶え間ない投資を行っていました。

 2020年1月、アルメニアはヨルダンから2700万ドル(約30億円)で購入した35台の9K33「オーサ-AK」システムの一部を披露しました。[2] [3]

 これらはアルメニアでも運用されている「オーサ-AKM」よりも古いバージョンですが(したがって、ごく僅かしか戦力の向上に寄与しませんが)、これらのシステムは独自にアップグレードされることになりました。この偉業は、その調達価格が非常に低かったおかげで実現可能となったのです。

 9K33「オーサ」の運用と保守を数十年にわたって行経験してきたため、アルメニアはその間にこれらのシステムを自身でオーバーホールやアップグレードする能力を得ていました。それに比べると、「ブークM1-2」は技術的により複雑で維持するための費用も多くかかり、限られた数しか導入されませんでした。

 アルメニア軍にとって、9K33に依存し続けることについては少しも選択の余地があるような事柄ではありませんでした。彼らは単にアルメニアの限られた技術的能力と財政事情によって必要とされたにすぎなかったわけです。

 短期間の戦争中におけるアルメニアの乏しい戦いぶりを批判的に分析することは理にかなったことであり、実際に現代の紛争を理解するためには必要不可欠なことですが、限られた予算と向かい合って問題を解決しようとした試みを無意味なものとして簡単に 片付けるべきではありません(彼らにとってはそうではなかったからです)。

ヨルダンから2700万ドルの安売り価格で購入した9K33「オーサ」システム35基のうちの4基。これらと比較すると、同じ金額では「トール」システムを2基しか購入できません。

 もちろん、だからといってアルメニア政府が軍事的な大惨事とその大半が10代後半から20代前半である約4,000人の兵士の痛ましい死の責任から免れるという意味ではありません。

 自国の軍部が慢性的な資金不足に陥っていた時期に、アルメニア政府はアゼルバイジャンに対する抑止力として、ロシアから6機のSu-30SM多用途戦闘機を購入するのに数億ドル(数百億円)も費やしました。これらの極めて重要なアセットがただの一度も実戦に投入されなかったため、パシニャン首相はSu-30SMがこの戦争で戦闘に加わらなかった理由について何度も嘘をつくことを余儀なくされました。

 (少なくともアルメニアのような小国にとって)最大で12機のSu-30SMの導入・運用とそれに関連する法外なコストについては、偵察用無人機や徘徊兵器のような実際にアルメニア軍に利益をもたらすであろう装備に向けた方がまだ賢明だったかもしれません。


 仮に「ブーク-M1」があの戦争に投入されたとしても、ナゴルノ・カラバフ上空におけるアゼルバイジャンによるUAVの運用を僅かに困難にさせるだけで、少しもその目的(撃墜)を達成できなかった可能性があります。実際、「ブーク」自体の少なさを考慮すると、(最低でも1基の「トール」SAMで起こったように)彼らはすぐに自身を発見・破壊するために送り出された徘徊兵器や「バイラクタルTB2」の犠牲になっていたでしょう。

 実際のところ、TB2はシリアで「ブーク-M2(NATO呼称:SA-17 "グリズリー")」として知られている最新バージョンとの戦闘とミサイルからの回避に成功しているため、「ブーク」はTB2にとって新手の脅威ではありません。

 それにもかかわらず、「ブーク」はアルメニアで最も現代的なSAMシステムの1つである(44日間戦争での過酷な戦力の消耗後に最も数の多いシステムの1つにもなっている)ことから、軍はこのシステムの稼働状態を維持するための投資するしか選択の余地がなく、今後何年も使用される可能性があります。

 とにかく 、彼らは技術的に高度な武装が戦場での高度な能力を保証するものではないということを、強烈に思い出させてくれるものとして役立つはずです:効果的に展開できない抑止力は、宣戦布告されると即座にその価値を喪失してしまうのです。



[1] Армения потеряла четыре из шести размещенных в Карабахе зенитных ракетных комплексов Тор-М2КМ https://diana-mihailova.livejournal.com/5844055.html
[2] Jordan to sell Osa SAMs https://web.archive.org/web/20171104074342/http://www.janes.com/article/75246/jordan-to-sell-osa-sams
[3] Armenia Shows Off New Osa-AK Air Defense Missiles https://militaryleak.com/2020/01/06/armenia-shows-off-new-osa-ak-air-defense-missiles/

※  当記事は、2021年10月2日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
    あります。



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2022年10月21日金曜日

私をねらって:アルメニアのSAM型デコイ


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 アルメニアとアゼルバイジャンとの間で繰り広げられた2020年のナゴルノ・カラバフ戦争から得られる教訓があるとすれば、それは安価ながら非常に効果的な無人戦闘航空機(UCAV)の驚異的な効率性と、それらによってもたらされる猛攻撃を阻止するはずだった、新旧にわたる幅広い種類の防空システムの失敗を中心に展開されるに違いありません。

 アルメニアは差し迫った敗北を受け入れようとしなかったことで犠牲の大きい44日間の消耗戦を強いられ、約250台の戦車や(より悲劇的なことに)その多くがまだ10代後半から20代前半だった約5,000人の兵士と予備役兵を含む甚大な損失を受けました。[1]

 それでも、アルメニアの軍隊は無人機が主導する戦争の時代における自らの弱点を痛感することだけは見通していたはずであり、使用できる限られた資金でその改善を試みたことは確かです。

 これは主に、UAVの運用を何らかの形で妨害するためのロシア製電子戦(EW)システム、ハンターキラー・システムとして機能する可能性がある「トール-M2KM」 SAMの導入と、老朽化にもかかわらずアルメニア軍がナゴルノ・カラバフの広い範囲をカバーすることを可能にした、ヨルダンから入手した35台の「9K33 "オーサ-AK"」に現れています。

 しかし、アルメニアが痛い目に遭ったことが知られたように、前述のシステムは「バイラクタルTB2」や徘徊兵器が次々と自身を狙い撃ち始めた様子を、苦痛の中で待つ以外にほとんど何もすることができませんでした。

 アルメニアで使用された別の対UAV戦法としては、攻撃してきたドローンをおびき寄せてデコイを狙わせるために本物のSAMの近くにデコイのSAMを配置し、避けられない破壊から本物を守るというものがありました。

 1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆の際には、この「Maskirovka」戦術は非常に効果的でしたが、2020年のナゴルノ・カラバフでアルメニアによって展開された数は、運用中のSAMシステムを標的にすることからアゼルバイジャン軍の注意をそらし、戦争の行方に実際に影響を与えるにはあまりにも少ないものでした。

 それでも、実際に使用されたデコイは詳細な迷彩パターンさえも施されており、SAMシステムの写実的な再現で優れていました。

                     

 「9K33 "オーサ"(NATO側呼称:SA-8 "ゲッコー")」はアルメニア軍(さらに言うと事実上アルメニア軍の一部であるアルツァフ国防軍)で最も多く保有しているSAMシステムだったため、アルメニアのデコイの大部分がこのSAMをベースにしたことは何ら驚くべきものではありません。

 「9K33」のデコイはアゼルバイジャンのドローンオペレーターを騙して攻撃させることに成功した事実が確認されている唯一のデコイでもあります。この事例は2020年9月30日に、当時まだアルメニアが支配していたナゴルノ・カラバフの小さな村である(アルメニアではNor Karmiravanと呼ばれている)Papravəndの近くにある「9K33」の拠点で発生しました。[2]

 本物の9K33とほとんど識別できないレベルだったため、(運用システムの展開を模すために)護岸に配置された2つのデコイは、イスラエル製徘徊兵器:IAI「ハロップ」による攻撃を受けて完全に破壊されました。

 ただし、アルメニアにとって不幸なことに、拠点の周辺に配置されていた本物の運用システムの方も同じ運命を辿ってしまいました。これらは「9T217」ミサイル輸送車と一緒に、TB2とハロップによって即座に全滅させられてしまったのです

 この戦争でアルメニアは3台(うち2台が破壊、1台が鹵獲)の「9T217」ミサイル輸送車に加えて、少なくとも18台(うち16台が破壊、2台が鹵獲)の「9K33」システムを失ってしまいました。[1]




 興味深いことに、製造されたことが知られている僅かな「トール-M2KM」のデコイの場合、手の込んだ迷彩パターンは本当にデコイとしての本性を示していました。なぜならば、アルメニアの本物の「トール」システムは2019年に同国に到着した後、いかなる迷彩塗装も施されなかったからです。さらに、デコイは単にコンテナベースの発射システムだけであり、それを搭載しているはずのトラックは作られていませんでした。

 とはいえ、アゼルバイジャンのドローン操縦員が、追跡して無力化しなければならないSAMシステムの大きさや形状をどの程度把握していたかは不明であり、あまりにも熱心な彼らが「トール-M2KM」のデコイを本物と容易に間違えた可能性はあります(注:実際にこのデコイが破壊されたのかは不明です)。

 44日間の戦争中に破壊されたことが確認されている「トール-M2KM」は1基のみですが、これはアルメニア軍によって配備された数自体が少なかった可能性があるためで、必ずしもデコイが本物を守ったというわけではありません。[1]

左:2020年のナゴルノ・カラバフ戦争で運用されたアルメニア軍の「トール-M2KM」
右:アルメニア軍によって施された軍用車用の一般的な迷彩パターンが特徴の精巧な「トール-M2KM」のデコイ

 僅かな数のデコイはナゴルノ・カラバフの戦略的な場所の各地に配置されるのではなく、それぞれが稼働中の9K33や「トール-M2KM」システムを装って既存のSAM部隊の拠点に配置されました。

 結果的として、この配置は本物の9K33「オーサ」の寿命を数分延ばすのに役立ったかもしれません。しかし、アゼルバイジャン軍に貴重な時間とリソースを費やして、近くにある本物のSAMの迎撃圏内を飛行しながら「システム」を追跡して掃討することを余儀なくさせるために、アルメニアがデコイをナゴルノ・カラバフ全域に独立した「システム」として配置した方が良かったことはほぼ間違いありません。

 もちろん、デコイの存在はTB2が「9K33」の拠点(あるいはその他のアルメニアのSAMサイト)の上空を旋回できたことに何の支障も与えることはできませんでした。下にある本物のSAMでさえレーダーの電源をオンにした状態で7~8発のミサイルを搭載していたものの、TB2の存在に気づかなかったからです。

 これは、TB2が撃墜される危険に直面することなく、全ての目標が破壊されるまでSAMシステム(とデコイ)を攻撃し続けることができることを意味しており、無人機主導の戦争の時代における9K33の陳腐化を再び痛感させました。



 アルメニアのデコイは戦争の行方を左右するにはあまりにも少ない数しか配備されていなかったかもしれませんが、敵味方の双方がそれの有効性を研究し、発生する可能性がある将来の戦争に教訓を活用することは間違いないでしょう。

 現代の電子光学装置は(航空戦を含む)戦いの手法を変えたかもしれませんが、デコイも同時に変化し続けています。新たな紛争では、敵からの識別をさらに困難にするため、例えば赤外線(熱)シグネチャー発生装置などを装備したより多くの数のデコイが配備される可能性があります。

 アゼルバイジャンは今やデコイの存在に気づいたため、例えば、SAM陣地の衛星画像を研究したり、ドローンの操縦員にデコイと本物のシステムを識別する訓練をしたりするなどして、事前にそれらを識別する方法を模索するでしょう。

 とはいえ、TB2用の「MAM-L」誘導爆弾の価格は比較的安いため、大量のデコイを配備することで、(見込まれる)将来の紛争に本当に大きな影響を与えることができるのかという疑問が生じます。

 「バイラクタル・アクンジュ」TAI「アクスングル」といったUCAVはそれぞれ24発と12発の「MAM-L」を搭載することが可能であり、この数はいくらかのSAMサイトをレーダーやデコイと一緒に破壊するのに十分なものです。

 アルメニアや同等の脅威に直面している世界中の国々がTB2のようなドローンにうまく対抗できる手段を不足させている限り、デコイを大量に配備したとしても、敵側に弾薬を買い込ませるだけで少しも効果をもたらさないでしょう。

 アゼルバイジャンのような国にとっては、まさにそのような行為を阻害するものはほとんどなく、効果的なデコイのコストや両国が利用できるアセットの格差を考慮すると、破壊されたデコイは結果的にアゼルバイジャン側の純然たる戦果となるかもしれません。

 もちろん、彼らが破壊を免れたとしたら、戦いの結果に関係なく自身の任務は失敗に終わったということでしょう:それがデコイの一生涯を懸けた役割だからです。


[1] The Fight For Nagorno-Karabakh: Documenting Losses On The Sides Of Armenia And Azerbaijan https://www.oryxspioenkop.com/2020/09/the-fight-for-nagorno-karabakh.html
[2] https://twitter.com/azyakancokkacan/status/1340051552774598657

※  当記事は2021年4月28日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したもの 
 です。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

2018年6月4日月曜日

イスラーム軍の9K33「オーサ」地対空ミサイルシステム



著  スタイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 イスラーム軍はダマスカスの東グータ上空を飛行するシリア空軍のヘリコプターを撃墜するため、2016年6月26日に9K33オーサ(SA-8)移動式地対空ミサイル(SAM)システムを再展開しました。イスラーム軍は1発のミサイル:9M33でヘリコプターを撃墜したとすぐにアナウンスしましたが、損傷したMi-25はなんとかダマスカス国際空港に無事に帰還することができました。その翌日、シリア空軍はイスラーム軍の領域付近上空を飛行していた数機の航空機を喪失したため、イスラーム軍の9K33に再び注目が集められました。

 このシステムの最新の展開には多くの人が驚かされました。ロシア国防省が2015年10月15日と2015年12月30日の二度にわたって「東部ドゥーマイスラミック・ステート テロリスト集団」によって運用されていた9K33システムの破壊に成功したと主張したために、既にイスラーム軍は9K33用ミサイルを使い果たしたと思われていたからです。
 これらの攻撃の結果(9K33が本当に破壊されたのか)がどうであるのかは不明のままですが、この報告は東グータを飛行するシリア空軍への脅威が効果的に無力化されたという誤った印象を与えました。

 はっきり言うと、イスラーム軍は2012年10月6日に東グータで1基の9K33を捕獲したとよく信じられてきましたが、実際には2ヶ月足らずで少なくとも5基以上の9K33を捕獲しています。これらの5基のシステムのうち3基は運用状態で捕獲され、非運用状態の2基はシリア防空軍(SyAADF)の整備・保管施設で出くわしたものとなります。
 イスラーム軍によって捕獲・運用されている9K33の実際の数に関する情報が不足していることは、世界中の紛争地域における正確な情報収集の重要性を再び示しています。







 2012年10月に反政府勢力が東グータにていくつかの地対空ミサイル拠点やレーダーシステム及びその関連機器を捕獲しましたが、この機器の大部分は老朽化した旧ソ連時代のシステムで構成されており、数カ月にわたって放棄されていました。限られた数のZSU-23-4やトラック・指揮車両を除いて、この装備は反乱軍にとっては殆ど役に立たないことが判明したためです。
 (3基の)運用可能な9K33の捕獲は後にシリア空軍にとてつもなくやっかいな問題を引き起こしたので、彼らが捕獲された後の直後にこれらを攻撃しないと決定したのは大失敗以外の何物でもありませんでした。

 バッシャール・アル=アサド大統領の体制に反対する武装勢力はこれまでにも地対空ミサイルを捕獲していましたが、その遺棄された装備の殆どは使用方法が複雑すぎることが判明しました。しかし、機動性の高い9K33は操作をマスターするのがより簡単なシステムで、インターネットでダウンロード可能なデジタルシミュレータが使用できるようになったことで更に容易になりました。
 おそらくより重要なことは、このシステムはレーダーが発射車両に直接組み込まれているために反乱軍にとっては(他のSAMより)ずっと使いやすく、空爆の目標になるのを避けるために素早く移動して隠れる能力があることでしょう。
 今までのところ、9K33はイスラーム軍(かつてのイスラーム旅団)によって捕獲されたという事実(注:他の組織では捕獲例が報告されていない)があり、シリアにおいて反乱軍が遂に得た初の運用可能なSAMシステムとなったことは注目に値します。

 最近ではイスラミック・ステートの存在で完全に影が薄くなりましたが、内戦下におけるイスラーム軍の偉業はまさに劇的に他なりません。他の反政府勢力に見られる機甲戦力と歩兵との間の貧弱な連携とは対称的に、彼らは機械化部隊で両者を運用する最初の勢力であした(注:組織的に連携できたということ)。
 2013年後半にはイスラーム軍はKshesh空軍基地(注:ジラー空軍基地)を拠点とする独自の空軍を創設しました。そのL-39のどれもが今までに作戦飛行に投入されたことはありませんでしたが、空軍の創設はイスラーム軍がそれをできる能力があったことを証明しました。
 そのほぼ2年後、イスラーム軍は2015年9月にイラン製のゼルザル-2無誘導ロケットを東カラマウンから発射するという、他の反乱軍によって行われていなかったことも初めてやってのけました。このロケットはシリアでは「マイサラム」と呼ばれ、攻撃ではシリアの沿岸地域にある市街地の中心部を標的にしていたと思われます。この全く報告されていない攻撃はシリア空軍によって行われた東グータへの空爆に対する報復として意図されていた可能性が高いですが、その戦果は不明です。しかし、イスラーム軍はそのような兵器で攻撃を行った唯一の反政府勢力のままです。

 それらの功績と海外からの資金提供、そして故ザーラン・アルーシュ(注:ハローキティのノートで知られている人物といえば分かるだろうか)による強力なリーダーシップを考えると、イスラーム軍は捕獲された9K33を運用するテロ指定組織でした。実際、捕獲後の数カ月間に彼らは既に東グータ上空を飛行するシリア空軍機に対してシステムを活用する準備をしていたのです。









 9K33オーサは、元々はヨーロッパの平野で作戦中の前進する機甲部隊への上空援護を供するシステムの構築を目的として1960年代に開発されたものです。しかし、従来の設計とは対照的に9K33は発射システムとレーダーの両方を1台の車両に統合させており、輸送起立発射機及びレーダー搭載車両(TELAR)は、他のレーダー・システムに依存することなく独立して運用可能なことを意味しています。こうした独立性の高いシステムにもかかわらず、長距離レーダーシステムへのリンク機能はシステムの状況認識と戦闘能力を大幅に向上させます。
 TELARはBAZ-5937上の9A33B発射プラットフォームと6発の9M33ミサイルで構成されており、それら2つの要素が9K33オーサ(ワスプ)と呼ばれる1つの完全なシステムを形成します。これらはさらに9T217BM装填車によって支援されており、2台が各中隊に配備されています(注:通常、1個中隊にはTELAR4台と9T217BM2台が配備)。9T217BMはTELARに9M33ミサイルを再装填する役目を負っており、12発のミサイルを搭載しています。

 9K33はソ連から友好国へ大量に輸出されており、1971年の登場以来いくつかの紛争で行動を見せました。
 かつての南アフリカ防衛軍(SADF)は戦場で最初に9K33に遭遇し、1987年の「モジュラー作戦」中に無傷で捕獲しますた。その後、情報機関がこのシステムを調査するために列を作りました。
 米国も1991年に「砂漠の嵐作戦」中でいくつかの9K33を捕獲し、自国のためのサンプルを手に入れることとなりました。この攻勢は、システムが戦争中に見られた重度のECM環境で高速飛行するジェット機に対して本気で挑む能力が無いことを驚くほど明らかにしました。この悲惨な事実は、ベンガジ周辺に展開した全ての作戦状態下にあるリビア軍の9K33が、1発の命中弾を与えること無く破壊されたリビア内戦中にもう一度明らかになりました。






 9K33はシリアでの運用ではるかに成功した実績を見せましたが、それほど厳しくない環境で使用された場合、オーサは確かに非常に有能なシステムだったということを証明しています。
 シリアは1982年初めに最初の9K33を受け取りました。そのすべてが発展型の9K33M2 「オーサAK」であり、更に改良された9K33M3「オーサAKM」に見られる特徴的なIFF(敵味方識別)アンテナが欠けていました。これらのシステムは、レバノン内戦中に同国のベッカー高原への配備に総動員され、そこでイスラエル空軍のF-4EファントムIIと米海軍のLTV A-7EコルセアII攻撃機の撃墜に貢献しました。

 9K33M2「オーサAK」の9M33M2ミサイルは最大10kmの射程距離を有しており、19kgの弾頭が近接信管かTELARのオペレーターの指令で爆発します。9K33のレーダーに対するジャミングがあった場合に備えて、電子光学追跡システムも車両上に装備されています。
 シリアの運用では、この追跡システムは2000年代初頭から半ばにかけて出所不明の赤外線(IR)追跡システムに置き換えられました。この改修には9A33B発射機内に新しい電子機器を搭載することも含まれていました。新しいIR追跡装置は下の画像に映っているTELARに搭載されています(注:Encyclopedia of Syrian military によればこの装置は北朝鮮製とのこと。このツイートでやりとりを確認することができます。)
 また、標的に向かうミサイルの軌道をオペレーターが画面を通して把握するための新しいディスプレイも見ることができます。このディスプレイはこれまでイスラーム軍によって公表されたあらゆる映像で目立つように特集されており、標的に命中したかどうかを確認できる唯一の証拠となることが頻繁にありました。











 しかし、シリアの9K33はシリアに対するイスラエル空軍の襲撃に全く対抗できなかったことを証明し、その回数は過去数年間に急増しました。主にダマスカス周辺の武器貯蔵庫を標的にしたこれらの空爆はイスラエルによってジャミングが多様されたため、今までのところはシリアからの抵抗に殆ど遭わなかったようです。
 実際、シリアが導入したばかりのブーク-M2パーンツィリ-S1ペチョーラ-2Mでさえ、これまでにイスラエルの航空機を追尾して撃墜することができなかったことが判明しています。

 シリア内戦の途中でSyAADFの作戦能力は急速に低下し、最終的にはかつて立派だった同軍の事実上の解体に至りました。ブーク-M2、パーンツィリ-S1、ペチョーラ-2Mのような新たに導入されたシステムは依然として運用状態にありますが、他の地対空ミサイル陣地の大半は装備が保管状態か単に朽ち果てた状態で放棄されました。9K33もそれらの状態と同然であり、ほとんどの部隊は運用が停止されてシステムは保管庫に入れられました。その結果として、以前に運用状態にあった7カ所ある9K33の陣地(ダマスカス周辺に6カ所、バージ・イスラームに1カ所)の多くが空になりました。

 2013年2月2日に行われたイスラエルの空爆は、おそらくはレバノンとの国境を越えてヒズボラに引き渡されようとしていたブーク-M2が狙われていたようですが、実際はその代わりに3台の9K33オーサ-AKが破壊されたことがわかりました。レバノン国境にとても近い場所への9K33の展開は、同システムがレバノン国内のヒズボラへの移送があり得ることを示唆しているかもしれない点についてイスラエルが懸念していたことを容易に想像することができます。
 それは確かに妥当なシナリオのように思えましたが、目標とされた9K33は実際のところ、元の陣地から撤退した後にこの場所に到着しました。ヒズボラへの移転はこのように起こり得ませんが、空爆の目標設定はイスラエル側の諜報能力とそれに続く迅速な対応を示しています。









 イスラーム軍の戦闘員がアサド政権の支配下にある2つの主要な防空拠点を制圧することを目指して、東グータの田舎で作戦を開始した2012年10月5日に話題を戻します。
これらの拠点はS-125地対空ミサイル陣地とそのミサイルの保管庫から構成されていました。貧弱な防御しかなかったので、両拠点はすぐにイスラーム軍の手に落ちました。
 数ヶ月前には、ここに位置する孤立したSyAADFの9K33中隊が3km足らずの位置にある、より広大で安全なS-125陣地に移動するように命令されました。この中隊は9K33オーサ[275195]、[275196]、[275197]の3台、9T217BM'[275189]と番号不明の計2台、BTR-60PU-12指揮車両1台、関連装備と人員を輸送するいくつかのトラックから成っており、2012年8月1日に目的地に到着しました。4台目の9K33発射車両[275198]は以前は砲撃によって損傷を受けており、S-125陣地には移動されませんでした。残された[275198]はその代わりにマルジ・アル・スルタンデイル・サルマンの間に位置するSyAADFの整備・保管施設へと追いやられました。

 新しい拠点に到着した後、[275195]、[275196]、[275197]は陣地内の打ち捨てられた多くのバンカーに駐留しました。この3台は無傷のままでしたが、この動き(注:駐留)は中隊の作戦状態の終結を意味し、これらのTELARは10月6日にイスラ-ム軍に捕獲されるまでバンカーに留まっていました。9K33をより安全な場所に移す動きは、このようにして全く役に立たないことが判明しました。後から考えてみると、東グータから全てのSyAADF戦力を退避させることだけが、大量の防空装備をイスラーム軍に捕獲させることを妨げたのではないでしょうか。










 敵対勢力の戦闘員が(9K33中隊も含めた)S-125陣地を捕獲する前に陣地全体が小火器の弾幕に晒され、結果としていくつかの車両が炎上し、そして防空装備の一部に損傷を受けました。しかし、9K33は陣地の保管庫に残っていたために無傷で難を逃れました。シェルターから追い出された9K33[275196]の映像は、敵対勢力が捕獲したものをあらゆる点で最初に垣間見せたものとなっています。









 9K33[275196]の上に乗った反政府勢力戦闘員の映像は、既に(彼らが得た)2台目の9K33[275197 ](2枚目の画像での奥にある車両)も存在することを明らかにしました。3台目の9K33[275195 ]の画像はソーシャルメディア上にのみ掲載されたため、結果として一般の大衆から目撃されることを免れました。
 シリア空軍による空爆や砲撃等による破壊を避けるため、後にS-125や関連装備を含めた陣地全体が捕獲された場所から離れました。その後、この陣地は農業用地に転換されました









 また、この陣地では2台の9T217BMのうち1台の焼けた残骸も発見されました。おそらく、この車両は陣地を攻撃中のイスラーム軍に襲われ、結果として破壊に至ったのでしょう。また、その陣地からさらに離れた位置に9K33中隊の2台目の9T217BMがありました。これは無傷で捕獲されて移動させられましたが、後に火を放たれて破壊されました。



 2012年11月25日、反政府勢力はマルジ・アル・スルタンのヘリポートに隣接するSyAADFの整備・保管施設を捕獲しました。ここで発見された装備の中には十数台のトラックやAFV、工作機械、訓練用資機材だけでなく、「275198」ともう1台(シリアル不明)を含む2台のTERARもありました。どちらも以前に反政府勢力による攻撃で一方の車両には標的追尾・交戦用レーダー・アンテナにいくつかの弾痕が生じ、もう1台は火災で同アンテナが損傷を被っていました。その損傷はどちらの車両も将来にわたって使い物にならない状態にしました。そのうちの1台は以前にイスラーム軍が3台のTERARを取り上げた陣地に駐留していたと考えられ、結局は2ヶ月以内に別の場所で捕獲されたに過ぎなかったのです。






 同じ月に反政府勢力の戦闘員がハラスタ-・アル・カンタラ近郊にある整備・保管施設制圧した際に、何十台ものトラックや指揮車両だけでなく別の9T217BM[270405]も捕獲しました。軽微な損傷を除いては比較的無傷のままでしたが、9T217BMには搭載されたミサイルが無かったので事実上役に立ちませんでした。
 唯一の無傷である9T217BMの最終的な運命は不明のままですが、イスラーム軍で使用された可能性は低いでしょう。








 総計で、東グータの反政府勢力は少なくとも5台の9K33と2台の9T217BMを捕獲していいました。これらの車両の中で3台の9K33だけがイスラーム軍で使用されていたことが判明しました。9K33中隊の(イスラーム軍の)新しい拠点への移転に装填車両も含まれていたのか、そして[275198]に搭載されていた6発のミサイルにも出くわしたのかどうかは不明のままです。そのため、反政府勢力によって捕獲された9M33ミサイルの数は議論のテーマのままであり、推定される幅は18~48発までとなります。

 これらのミサイルのうち、少なくとも6発が東グータ上空を飛行するシリア空軍のヘリコプターに発射され、1機のMi-17と1機のMi-8/17の撃墜、もう1機のMi-8/17と1機のMi-25の損傷をもたらしたことが確認されました。ときには追加の発射や(実際にこのシステムに関係する可能性がある)撃墜が報告されることがありますが、これらの出来事を独自に確認することはできません(注:それを立証する術が無い)。

 反政府勢力にこのような高機能の兵器の奪取を許したことは危機的な失態であり、捕獲された直後にこれらのシステムを追跡して破壊する試みが完全に欠如していたことは、アサド政権の軍事組織の無能さを痛々しく思い出させるものとなるでしょう。それ以来、何十もの兵器庫が捕獲されていった状況を見ると、彼らはこのような度重なる失敗からほとんど学習していないという結論に達せざるを得ません。










 2012年10月5日の捕獲後にイスラーム軍が初めてこのシステムを用いたのは、それから実に1年弱が経過した2013年7月29日でした。この時にはシリア空軍のMi-8/17が撃墜される状況がはっきりと見られ、東グータ及びその付近を飛行する同軍のヘリコプターに対する深刻な脅威の幕開けとなりました(注:この撃墜を撮影した動画が存在しましたが、現在はアカウントが停止されたため視聴が不可能になっています。)
 イスラーム軍のメディア部門はヘリコプターを撃墜した直後に次の声明を発表しました。「今日、ソーシャルメディア上で1年前の襲撃で得た防空ミサイルシステムを用いたイスラーム旅団の英雄に関する朗報が拡散されている。この1年間、彼らはシステムのコードを解読して作動させるために不断の努力を費やした。多くの技術者がコードの解析に失敗した後、彼らが欲する成功に達するまで、アッラーが彼らに報いた昨日の製粉所での戦闘まで、この計画担当者は多くの試行錯誤を続けた。政府軍はムジャヒディーンによって征服された同所の奪回を必死に試みたが、イスラーム旅団のムジャヒディーンがロシア製の『オーサ』システムでヘリコプターを撃墜し、ヘリコプターに搭乗していた2名の大佐と1名の将校に死をもたらした。」 

 この報道発表では、9K33システムを高度な地対空ミサイルシステムからイスラーム軍が実際に使用できる運用システムへと転換する際に深刻な問題に遭遇したことが確認され、操作要員の中で以前にこのシステムを使用した経験がある者が全くいなかったことを示唆されました。操作要員が試行錯誤によってシステムをマスターすることは確かに可能ですが、イスラーム軍内の旧9K33操作要員が存在する可能性を除外すべきではありません。








 実際の日付は不明のままですが、続く数週間か数ヶ月の後に別の発射が記録されました。ミサイルが直近で爆発したり、おそらく標的に命中した可能性が高いという事実にもかかわらず、損傷の程度や墜落したかどうかは報告されませんでした。
 最初の発射以後、新たな発射が公式に明らかにされる前には6ヶ月ありましたが、(上記の発射に加えて)その間に別の発射があった可能性を排除できません。
 この発射は標的のMi-17の破壊をもたらした(映像はここで見ることができます。)それは2014年1月16日の真昼間に発生し、1発の9M33ミサイルがヘリコプターのすぐ上にたどり着いて爆発し、ローターとテールブームの両方の喪失をもたらしました。ダラヤにて宙返りで落下するMi-17の劇的な映像(注:アカウント停止で視聴不可)がテープに記録され、イスラーム軍の9K33の脅威がまだ大いに健在していることがもう一度確認されました。

 前回の発射からちょうど1日後の2014年1月18日に、別の9K33の発射映像がアップロードされました。この発射の成果はいくつかの家屋や木が障害となったためにはっきりしないが(注:後述のまとめ映像の2:50前後に注目)、9M33ミサイルは標的を逃して発射の25〜28秒後に自爆したと思われます。



 2014年1月18日の最後の発射以降は、発射回数とその日にちを追跡することが非常に困難になりました。追加の発射を見せるビデオがアップロードされていないと考えられた直後の3月に、イスラーム軍はこれまでに知られていなかった2つ(これは前述の発射を含む)を含む、すべての過去の発射を映したビデオを公開しました(注:便宜上、これを「まとめ映像」と記述します)。
 別の攻撃ではMi-8/17に対する1発のミサイルの発射が見られました。ミサイルはヘリコプターの直近で爆発しましたが、その直後に映像が停止したので、おそらくは9M33ミサイルがヘリコプターに損傷を与えただけの可能性が高いと思われます(注:まとめ映像で2:10以降のシーン)。

 イスラーム軍によって公表されたビデオは(システムの探知能力をさらに助ける)9K33に装備されたレーダーを使用したことも明らかにしました(注:まとめ映像の0:20前後に注目。ターレット上の捜索レーダーが回転しています)。そのような装備の使用は論理的に見えますが、シリア空軍による探知と破壊されるリスクが増大します。この発射機には1本の空のキャニスターを含む6つのミサイルが満載されている様子が映し出されています(注:これもまとめ映像の0:20前後のTELARのことを示す)。







 同じビデオでは東グータを白昼に走り抜ける、新しいヘッドライトを装着した1台のTERARが映されており、この国の同地域上空における空中監視能力が欠けていることを証明しています(注:本来はライトを点灯することで敵に発見される可能性があるため)。

 東グータには大いに恐れられている空軍情報部のメンバーが存在する可能性が非常に高く、おそらく彼らがイスラーム軍の前の指導者ザーラン・アルーシュを殺害した空爆に貢献したと思われます(注:国営シリア・アラブ通信では正確な監視に基づいて作戦が実行された旨を報じていますが、親アサド系のアル・マスダール通信はイスラーム軍内のネットワークに侵入したシリア空軍情報部の情報将校が東グータで開催される最高レベルの会議の場所を空軍情報部に通報し、殺害に至ったと詳細に報じています。また、シリア人権監視団のラミ・アブドル・ラーマン代表も同様の発言をしています)。

 しかし、9K33の運用を担当するグループの規模は小さいと考えられており、新しいメンバーの受け入れを中断することによって(スパイの)侵入は事実上不可能となりました。






 2014年1月18日の発射は2年以上にわたる9K33の運用の最後に記録されたものになりました(注:2014年時点での話)。その間に実際に追加の発射がされた可能性はありますが、この期間に彼らによって公表された(発射に関する)声明やビデオはなかったことから、9K33が2年以上も運用を休止した可能性を示唆しています。
 9K33の不在はシステムが最終的に破壊されたか、またはイスラーム軍がミサイルを使い果たしたという根拠の無い噂につながりました。

 ほかでは「外国が東グータに追加の9M33ミサイルを引き渡した」や「(今のところシリア空軍のMiG-29SMと数機のSu-24MK2が拠点を置く)サイカル空軍基地の周辺を飛行する航空機を標的にするために、少なくとも1つの9k33システムがグータから東カラマウンに移動させられた」といった奇妙な主張がなされました。この地域における墜落の多くがここで運用されていると思われた9K33に起因するものとされましたが、そのほとんどは後で技術的な欠陥としてその主張が誤りであることを証明しました。これらの噂を裏付けるものは確認できませんし、真実とも思えません。

 2年以上にわたってミサイルの発射が確認されていないことは、イスラーム軍が東グータ上空を飛行するシリア軍のヘリコプターを絶えず苦しめる意思があるのかどうかという疑問を投げかけます。確かに、イスラーム軍は捕獲した装備の使用に関して、この時期から内戦でその全ての潜在能力を活用するのではなく主に抑止力として使用しているようにますます見え始めています。































 彼らが支配する領域は過去数年間にかけてかなり縮小していますが、これはまだ9K33の運用に支障を来してはいません。TELARの位置はしっかりと守られた秘密となっており、それらは東グータ各地の別々の場所で(分散して)保管されていたと考えられていましたが、その一方でその1台のおおよその位置が見つけられました。発射機はたった1組の乗員達によって運用されており、それは未だに捕獲された直後に運用されていた際の同じメンバーで構成されているようです。





 2016年6月26日にこの乗員達が再び作戦に戻ったことが確認されたとき、彼らは多くの人を驚かせました。標的とされたMi-25は胴体のテールブームに大きな被害を被りましたが、なんとかしてダマスカス国際空港への緊急着陸に成功しました。ここで修理を待っている間、予備のMi-25用のテールブームを輸送していたMi-8/17がダマスカスIAPから遠く離れていない場所に墜落しました。この件はそのテールブームが損傷を受けたMi-25のために準備されていた可能性を高めています(注:それを断定できないため)。






 この発射が単発の出来事であったか、すぐに次の発射に続くかどうかは不明ですが、9K33の過去の展開を考慮すると後者の方がより可能性が高いと思われます。いずれにせよ、現実がこれらのシステムの脅威が抑えられている状況とは程遠いことが明らかです。
 かくしてイスラーム軍は東グータ上空を脅かし続け、彼らがそこから追い出されるまでは同地域でのアサド政権の航空作戦を妨害するでしょう。

特別協力: Morant Mathieu from Military in the Middle East.

 ※ この翻訳元の記事は、2016年10月31日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。 

2017年1月16日月曜日

フォトレポート:シリア・アラブ防空軍

著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

シリア・アラブ防空軍はかつてはシリア軍の誇り高い独立軍種であったが、5年にわたる長い内戦で甚大な被害に遭った。
シリア防空軍が保有する多くの地対空ミサイル及びレーダー基地がシリアを支配すべく戦うさまざまな勢力のために失われたおかげで防空軍はすでに深刻な打撃を受けていたものの、貧しい財政状況と陸軍及び国防軍(NDF:政権の民兵組織)への人員の転換は致命傷を与えた。

以下の画像は、シリア四軍が参加した2012年の大規模演習の際に撮影されたものである。
この演習はシリアの治安情勢がますます悪化している最中に実施され、国際社会からリビアに対するような介入の呼びかけにまで至った。これに反応して、シリア軍は数日間の演習を実施して外の世界に自国軍の強さを見せつけた。

パーンツィリ-S1と一緒にいる9K317E ブク-M2Eは、かつてはシリア防空軍の誇りであった。
下に見える9A317の輸送車兼用起立式レーダ装備発射機(TELAR)は、9S36レーダーのために独立した運用が可能である。
これらのシステムのいくつかは、ダマスカス周辺及びシリアの沿岸地域に配備されている。
2007年にデリゾールにある原子炉と疑われる建造物へのイスラエルによる爆撃後にロシアから最新の防空装備が到着したことは大いに期待されたが、新しく到着したブク-M2E、パーンツィリ-S1やペチョラ-2Mはイスラエル機を撃墜できないとして置き換えられた旧式の防空システムとあまり変わらないと思われている(注:結果的に戦果が無いということ)。

9A316輸送起立発射機(TEL)から射出され、勢いよく飛行する9M317ミサイル(写真)。
9A316にはレーダーの代わりに4発の再装填用ミサイルが搭載されているため、独立して運用することはできない。
通常の状況下ではブク大隊は6両のTELARと3両のTELで構成され、さらに2両のTELARと1両のTELを持つ3個中隊にに細分することができる。
各大隊には標的獲得レーダー、指揮車両及びより多くのを再装填用のミサイルを運ぶトラックも含まれている。

パーンツィリ-S1が12発を搭載する57E6地対空ミサイルの1発を発射している(写真)。 
これらのシステムブク-M2Eやペチョラ-2Mと同様、主にダマスカス周辺及びシリアの沿岸地域に集中して配備されている。  
海岸沿いの環境により溶け込むために、多くのパーンツィリ-S1には沙漠の環境向けに仕上げられた迷彩パターンが導入された。

2012年演習では、シリアが9K35 ストレラ-10を運用していることが初めて視覚的に確認された。
他の多くのストレラ-10運用国とは対照的に、シリアは機動SAMシステムとして陸軍へ配備せずにこれらを航空基地の周囲に配置した。
ほとんどの9K31ストレラ-1が保管状態に置かれていたが、シリアでのすべての9K35ストレラ-10は未だに現役で運用中と思われている。
 

シリアは今までにSAMシステムを全く退役させておらず、2連装及び4連装のS-125用発射機も運用し続けている。
同システムについてはより現代的な4連装の派生型が一般的であり、シリアの至る所で見つけることができる。
2連装発射機は主にダマスカス周辺に集中して配置され、このうち1基のミサイル・サイトが2012年にイスラーム軍によって制圧された。 



2連装及び4連装のS-125用発射機の運用に加えて、シリアは約10年ぶりにロシアから数個中隊分のペチョラ-2Mを受領した。
このシステムはベラルーシのMZKT-8022シャシーに4連装のS-125ランチャー(実際は2発のミサイルではあるが)を組み合わせ、敵の航空機や巡航ミサイルに対して大幅に性能を向上させた。
ペチョラ-2Mを配備しているいくつかのサイトはダマスカス周辺およびシリアの沿岸地域で確認されているが、敵に与える驚異を保持するために異なる場所へ頻繁に転換している。
 

9K33オサーSAMシステムから2発の9M33ミサイルが発射され、煙が上がっている(写真)。
シリアはすでに80年代の間にレバノンで9K33を運用していたが、注目を浴びたのは2012年にイスラーム軍が東グータでいくつかの発射車輌を捕獲した後であった。
これらの9K33はその後、イスラーム軍が支配する領域の上空を飛行するシリア空軍ヘリコプターと交戦するために使用されており、未だに運用されている。


2K12地対空ミサイルシステムは1973年の10月戦争(ヨム・キプル戦争)の際にエジプトがイスラエル空軍に対して使用して大成功を収め、伝説の地位を得た。
実際、このシステムはすぐに「死の三本指」というニックネームを得て非常に恐れられた。
ただし、このシステムはシリア軍での運用では成功例が少なく、1982年のレバノンのベッカー高原での「モール・クリケット19」作戦時と過去数年間のシリアへのイスラエル空軍の襲撃で、防空軍と空軍の残りの装備と一緒に完全に打ち負かされた。
 


シリア・アラブ防空軍の装備や組織構造などの現状を取り上げる記事は、後日にこのブログに掲載される予定だ(注:2017年現在で未執筆であるが、執筆の予定はあるとのこと)。
 

















※ この編訳元の記事は、2016年8月に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが大きく異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。

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