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2026年4月10日金曜日

【復刻記事】シリア戦線:要塞と化すクワイリス空軍基地


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2015年5月10日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とベリングキャットで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 ラスム・アル・アッバードとしても知られるクワイリス空軍基地は、2015年5月上旬以降、この基地の占領を目論むイスラム国(ISIL)戦闘員による激しい攻撃を受けていると報じられています。ISILが敷いたSNSの検閲は戦闘員に攻撃に関する画像や情報の投稿を控えさせているため、現在のクワイリスで実際に何が起きているのかを把握することは困難です。この検閲は、タブカ空軍基地への襲撃で得られた痛ましい教訓の結果と言えるでしょう。と言うのも、この襲撃で防衛側(シリア軍)はISIL戦闘員がオンラインに投稿した情報から敵の位置を特定できたからです。そのため現在では、彼らが実施するあらゆる大規模攻勢においてこの検閲が徹底になされています。

 クワイリス基地は、シリア空軍(SyAAF)と陸軍(SyAA)が掌握している17の(稼働中の)空軍基地の一つです。ただし、クワイリスは空軍基地としての価値が低く、2012年12月から包囲されている状態が続いています。それにもかかわらず、同基地は現時点でも運用状態を維持してるようです。当初は自由シリア軍に完全に包囲されていたものの、約1年前にシリア東部で急速に勢力を拡大したISIL戦闘員が包囲網を奪取したのでした。ISIL戦闘員は基地を何度も襲撃しましたが、これらの攻撃は基地の占領よりも空軍基地の防衛体制を探ることに重点が置かれていた可能性が高いと考えられます。それにもかかわらず、シリア空軍は基地防衛のため多数の出撃を続け、士気高揚のため少なくとも1発の「ファテフ110 "ティシュリーン"」地対地ミサイルが基地内の敵部隊に向けて発射されました。[1]※現在は閲覧不可

 クワイリス基地は完全に稼働状態にあるにもかかわらず、その軍事的価値は現時点における空軍基地の中で最も低いものです。この点と同基地が事実上の不落の要塞であるという事実はISIL側も理解していたようで、この基地を完全に包囲しながらも本格的な占領を試みたことは一度もありません。散発的な砲撃、迫撃砲やロケット弾が頻繁に基地に撃ち込まれるのの、これによる重大な損害は確認されていません。驚くべきことに、ISIL戦闘員は(基地とその周辺への砲撃に使用されている)イラクで鹵獲したアメリカ製 「M198」155mm榴弾砲の標的を探すために無人機(UAV)を活用しています。[2]※現在は閲覧不可

 ISILがクワイリス基地に用いた戦術は、これまで自由シリア軍とほぼ同様のものでした。そもそも、彼らには基地を強襲する戦力が不足していたのです。シリア・アラブ通信社(SANA)のテレビクルーが最後に同基地を訪れたのが2014年2月であり、その映像と写真はこちらで閲覧可能です。現在の攻勢を記録するためにテレビクルーが派遣されることはありませんでした。以前にSANAがタブカ空軍基地で同様の取材を行った際、同基地が「イスラム国の戦闘員を撃退した」と誇らしげに報じられた僅か1日後に陥落してしまったたためでしょう。

 なぜISILが今まさにクワイリス基地への攻撃を開始したのかと言えば、かつて誇っていた抑止力を維持するため、彼らが躍起になって大規模な宣伝戦を展開しようとしているという事実で説明できます。つまり、この基地の占領がまさにそれに該当するわけです。

 ところで、シリアのISILの攻勢は時点で期待した目標を達成できていません。これまでに、彼らはクワイリスよりもさらに厳重に防御されたデリゾールとT4空軍基地の占領に失敗しています。2014年の夏、第17師団、第121連隊、第93旅団、タブカ空軍基地、そしてシャエル地区のガス田が、当時無敵と思われたISIL戦闘員たちの手に落ちました。ただし、ガス田を除けば、これらはすでに長期間包囲されており、内部に閉じ込められた兵士たちは差し迫った最終攻撃を待っているにすぎなかったという事情があります。デリゾールとT4基地はこれらと完全に別の話であり、仮に制圧が可能だとしても、そのために必要となる甚大な兵力は彼らにとって代償が大きな勝利にしかならないでしょう。


 クワイリス空軍基地は1960年代初頭にポーランド人によって建設され、シリア空軍の主要な訓練基地として運用されてきました。同基地の入口に掲げられた標識は上記の写真で見ることができます。

 現在も公式にはシリア空軍アカデミーの拠点であり、同校は「MBB-SIAT 223K1 "フラミンゴ"」とPAC「MFI-17 "ムシュシャク"」を使用する初級操縦学校と、「L-39ZO/ZA」を使用する上級飛行訓練学校で構成されています。シリア空軍パイロットの大半がここで飛行訓練を修了しているため、この基地が極めて象徴的な価値を有していることは言うまでもないでしょう。

 ところが、内戦勃発後に初級操縦課程はすぐに活動を縮小し、訓練機は現在も基地内のさまざまな場所に保管されたままとなっています。このため、シリア空軍は国内で新たなパイロットを養成できず、すでに疲弊し、頻繁に憂鬱な状態に追い込まれているパイロットたちの負担をさらに増大させているのです。彼らの大半はロケット弾や樽爆弾の攻撃目標のほとんどが民間人であることを十分に認識しています。

 もう一つの訓練拠点:ヘリコプター操縦学校があったミナク基地については、2013年8月5日にはすでに制圧されていました。上級飛行訓練は、シリアの別の場所にある「L-39」とヘリコプターを用いた限定的なものが継続されているようです。

 クワイリス空軍基地の「L-39」は、2012年7月末に実施された反乱の鎮圧に初めて積極的に関与した航空機として不名誉な記録を残しました。当時、上級飛行訓練学校が「L-39ZO/ZA」をアレッポとその郊外への爆撃任務に投入したのです。これらの作戦では主に病院や学校などの民間施設が攻撃対象となり、当然ながら数多くの民間人犠牲者を出しました。しかし、アレッポ上空への「L-39」の出撃回数は次第に減少し、2013年5月には完全に停止されました。


 「L-39」の出撃が徐々に減少するにつれ、その機体数も次第に減っていき、2013年2月12日に(現在はシリア初の反政府空軍の拠点として知られる)クシェシュが占領された際、「L-39」群は壊滅的な打撃を受けました。その後、生き残った「L-39」は、ハマ、タブカ、アレッポ国際空港(ナイラブ)に分散配備され、後者で一部はオーバーホールを経て 「B-8」80mmロケット弾ポッドを搭載できるように改修されたのです。クワイリス基地に配備されていた「L-39」飛行隊の規模は当初約40機で機体数はほぼ維持されたものの、長年わたるスペアパーツの不足と自由シリア軍やISILによる迫撃砲の攻撃により深刻な被害を被り、2013年時点で運用可能な機体は僅か十数機となっていました。

 しかし、2013年5月26日に撮影された衛星画像でクワイリスを精査すると、少なくとも89機の航空機と12機のヘリコプターが確認できます。仮にこの基地が占領されたとしても、航空機とヘリコプターが果てしなく続くように並ぶ光景は、ISILが渇望するプロパガンダ用写真を提供し続けるに違いありません。こうした膨大な数の機体の状態は運用可能なものから残骸同然まで多岐にわたっていて、基地に存在する十数機のイギリス製「ミーティア」戦闘機は半世紀以上前にここに放棄されたものです。また、この基地に現存する2機の「MiG-23」戦闘機のうち、かつて訓練用として使用されていた1機が下の画像の機体です。

 それでも、クワイリスの「L-39」は基地の防衛を支援できるだけの数が稼働状態を維持していました。報じられるところによれば、基地周辺にあるISILの拠点を攻撃するため、1日に最大20回の出撃をしたこともあったとのことです。特に彼らの強固な陣地があるアイン・アル・Jamajimahは激しい空爆を受けました。2015年4月20日、こうした任務の一つで「L-39」1機の墜落が確認されています。[3]


 クワイリスの防衛については、シリア陸軍、国民防衛隊(NDF)、シリア空軍の兵士、パイロット、整備兵等から構成される規模不明の部隊が担っており、その大部分は革命勃発時からこの基地に駐留しています。2014年夏、つまりISILの進撃で自由シリア軍が基地周辺の陣地を放棄せざるを得なくなった後、守備隊が増強されたと見られています。

 クワイリス近郊に配備されていた「S-125」地対空ミサイル部隊は、2012年から2013年かけての時期に自由シリア軍による制圧を回避するため、全装備と要員をクワイリス基地へ撤退させました。同部隊は後に同基地で再展開し、2013年時点では稼働状態を維持していましたが、現在も稼働している可能性は低いと思われます。そもそも空からの脅威が存在しない以上、このSAMを運用する要員は地上からの攻撃に対する防衛面で有効活用される可能性が高いでしょう。


 クワイリスはISILの手で完全に包囲されているため、シリア空軍のヘリコプター部隊が空軍基地と(アサド政権が掌握する)シリアを結ぶ唯一の生命線となっています。彼らは食料から武器弾薬に至るまであらゆる物資を絶え間なくこの基地に供給しているのです。この任務を支援するため、クワイリスには1個の「Mi-8」飛行隊が常駐配備されています。



 基地の防衛でクワイリス守備隊はほぼ軽火器だけに依存せざるをえない状況となっています。空軍の現状と、基地を包囲するISIL戦闘員にとって大型輸送機が格好の標的となることから、重火器の空輸は不可能だからです。守備隊が使える武器はヘリコプターで空輸されてきました。こうした武器には、「SVD "ドラグノフ"」狙撃銃やイラン製「AM.50」12.7mm 対物狙撃銃、(重)機関銃、RPG-7、対戦車ミサイル、そして守備隊の夜間戦闘能力を向上させるためのロシア製AKM用暗視装置が多数含まれていました。

 基地に配備された26門の対空砲(このうち2門は近隣の「S-125」陣地から回収したもの)が重火力を形成しているものの、基地には戦車や火砲は配備されていません。このために守備隊は創意工夫を余儀なくされ、4つの対空陣地から調達した 「ZPU-4」14.5mm機関砲や 「ZU-23」23mm機関砲、「 AZP S-60」57mm機関砲を、戦術的効果を最大化するため基地の全域に戦略的に配置しました。中には基地に設けられている11基の航空機用強化シェルター(HAS)の屋上に設置された例さえあったほどです。興味深いことに、ほとんどの「ZPU-4」は4門ある砲身のうち2門が取り外され、その後、重火器がカバーできる範囲を拡大するためにDIY式の架台に装備されました(編訳者注:これは「ZPU-4」をそのまま配置するより機関砲を2門ずつに分けて配置した方が有効と判断したものと思われる)。


 この基地を取り囲む平坦な地形は防衛側に極めて有利であり、この戦術的優位性によって、ISIL戦闘員は基地に到達するために遮蔽物の少ない広大な野原を駆け抜けざるを得なかったのでした。この優位性は特に北、東、南側で際立っていました。驚くべきことに、ISIL戦闘員がまさに北東の角を攻撃したのです。ISIL部隊は強化シェルター2基の占領に成功したものの、すぐに撃退されてしまいました。下に3枚ある「AZP S-60」陣地の画像は皆さんに平坦な地形の様子を明らかにしています。そして、広大な野原を突破しようとした場合、多大な犠牲を払うことになることもはっきりと示しているのではないでしょうか。




 基地の防御をさらに強化するため、守備隊は北側と東側に配置された11基の強化シェルターを最大限に活用しています。これらは文字通り要塞と化し、屋上に対空砲か重機関銃が備えられているのが一般的です。もちろん、大型爆弾の直撃にも耐えられる構造となっているため、仮にISILが砲撃でこれを破壊を試みたとしても無駄でしょう。強化シェルターとその周辺に設けられた塹壕は、割り当てられたルートの守備を任された兵士たちの隠れ場所となります。シェルター内に大量の弾薬が備蓄されているため、これを奪取しようとする試みは極めて困難な任務となるはずです。さらに、基地の至る所に築かれている巨大な砂の土塁が守備隊の動きを覆い隠しているため、各部隊への補給も容易にさせる効果をもたらしています。さらに、守備隊は「ZU-23」対空機関砲と重機関銃を装備した複数のテクニカルを運用しています。これらを装備した部隊は即応部隊として活用されており、必要に応じて基地内のいかなる地点にも展開可能です。

 忘れてはいけないのは、この空軍基地はすでに2年半前から完全に包囲されており、守備隊には防御体制を完璧に整える十分な時間があったということでしょう。主にISILによって実行された無数の小規模な攻撃は、守備隊が基地の防備を適切に維持する方法を学習する上での助けとなったに過ぎません。



 基地の西側に位置する軍用住宅エリアでも激しい戦闘が続いており、その様子は下の衛星画像でも確認できます。ISILによる激しい砲撃でこの団地の大部分が破壊され、残存する建物や塹壕では家から家へと激しい戦闘が繰り広げられているのです。下の画像の団地複合施設は基地西側を防御する上での要衝となっているため、守備隊は団地を維持するためにリソースを投入し続けねばならない状況に陥っています。そうしなければ、基地全体が危険に晒されるリスクを負うことになってしまうからです。



 軍用住宅エリアが死守できない場合、第二(かつ最終)防衛線でISIL戦闘員を食い止めて、空軍基地への流入を妨げなければなりません。(下の衛星画像に見える)この最終防衛線も、要塞化された建物、塹壕、対空機関砲、重機関銃で構成されています。


 クワイリスは完全に包囲されているものの、アレッポ東部に駐留するシリア軍とNDFは、理論上は空軍基地が制圧されるのを防ぐための攻勢をかけることが可能です。しかし、既に疲弊しきったアレッポの部隊がそのような攻勢を実行する可能性は極めて低いでしょう。なぜならば、クワイリスには貴重な人的資源と戦力を浪費するほどの戦略的価値が単純に存在しないからです。

 空軍基地があまりにも危機的な状態に陥った場合、守備隊はアレッポ方面への突破を試みる可能性が高いと思われます。その際には空軍の戦闘爆撃機やヘリコプターの支援を受けることでしょう。

ISILがクワイリス空軍基地守備隊に撒いたビラ

 クワイリス守備隊が本当に制圧されることを認識させるため、ISILは彼らに悔い改める機会を与え、大量処刑の運命から救われると説くビラを作成しました。

 ”アッラーは汝らが剣によって殺されねばならぬと定められた。我らは汝ら一人たりとも容赦せぬことを誓う。ゆえに悔い改め、この背教者の政権と決別せよ。我らがそちらへ赴く前に降伏するならば、汝らの悔い改めを受け入れようぞ。その時となれば暴君(アサド)は汝らを救えぬ。タブカ空軍基地の戦友たちが迎えた末路を心に刻むがよい。

 以下の電話番号を通じてイスラム国の者たちに連絡されよ:
 0937699604
 0935007806
 WhatsApp: 00905378489193”


 守備隊の兵士がISILへの投降を真剣に考えることはまず起こり得ません。クワイリス基地の士気は依然として高く、その大半がすでに4年以上も共に生活してきた兵士たちは、ISILに降伏するよりはむしろ死ぬことを選ぶでしょう。


 2015年5月7日、戦死した戦友たちをコラージュした画像がある守備隊員によって公開されました。これまでに戦死した11名の追悼を目的としたもので、クワイリス基地の司令官であるアル・ムハンナ将軍も含まれています。


 もちろん、シリア内戦は(執筆当時)4年に及ぶ戦闘の中で、どの勢力がどの戦闘で勝利するかという特定の予測がいかに誤りになり得るかを何度も示してきました。しかしながら、本記事で概説した基地の守備隊に有利な大規模な防衛体制やその他の要素を考慮すると、クワイリス空軍基地が近い将来にISILの手に落ちることはないと予想されます。



 結論から言えば、ISILによるクワイリス空軍基地へのあらゆる動きも、軍事戦略というよりシンボリックな勝利の必要性から生じています。仮にISILのクワイリス攻撃が一部の情報源が主張する通り大規模なもので戦闘員が基地の占領に成功した場合、それは彼らが求めているものをほぼ確実に実現させることになるでしょう。


 お知らせ2025年7月に上記本の改訂・分冊版である「The Armed Forces of North Korea Volume 1: Part 1: Korean People's Army Ground Forces Organisation, Strategy and Infantry」が発売されました。残りの巻も完成次第発売される予定です(記載情報は2025年現在のものにアップデート済み)。
 お知らせ2:2025年10月に「Volume 1: Part 2(陸軍AFV)」が発売されました。 
 
お知らせ3:2025年12月に「Volume 2(空軍)」が発売されました。
 お知らせ4:2026年2月に「Volume 3(海軍) 」が発売されました


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2025年9月28日日曜日

【復刻記事】西側製小火器の流入:シリアの特殊部隊でイギリス製狙撃銃の使用が確認された


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2015年9月28日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 シリア政府に対するロシアに軍事支援はこの1か月で全く新しいレベルに達し、国際的なメディアはシリアへの航空機や装甲車の流入に注目している一方で、アサド政権への新たな小火器の引渡しについては未だに少しも明らかとなっていません。しかし、ロシアの国営ニュースチャンネルであるヴェスティ(現在のRIAノーボスチ)は9月27日、イギリスのアキュラシー・インターナショナル社製「アークティア・ウォーフェア・マグナム(AWM)」狙撃銃を装備したシリア兵の映像を公開したことで、これまで考えられていたよりもシリアの装備調達方針が幅広いことが明らかになったのです(編訳者注:動画はアカウントの停止で視聴不可、また実際はシリア兵ではなくロシア兵であり、ロシア連邦保安庁保安庁特殊任務センター所属である可能性が高い)。

 ヴェスティの記者は、9月上旬にイスラーム軍が攻勢を開始して以来の激しい戦闘が続いているダマスカス郊外にあるハラスタで、反政府勢力の支配地域に攻勢をかける特殊部隊を追いました。この映像では、戦車や装甲戦闘車両(AFV)が反政府勢力の陣地と思われる場所に射撃したり、特殊部隊がさまざまな新装備を使用している様子が映し出されています。


 映像に映っている狙撃銃に2012年にアキュラシー・インターナショナル社が発売した独立式ピストルグリップが装備されていることは、この銃の導入が本当に最近のことだという事実を一層強調しています。 .338ラプアマグナム弾を使用とする「AWM(L115A3)」ボルトアクション式狙撃銃は1996年に設計され、現在までにロシアやアメリカを含むさまざまな国で使用されています。この銃の良質な性能の証として、2009年にアフガニスタンでイギリスの狙撃兵が2.475メートル先にいる2人のタリバン戦闘員を射殺したことで狙撃の最長記録を更新したことが有名です(編訳者注:この記録は後年に更新され、2023年にウクライナSBUの狙撃兵が「ホライゾンズ・ロード」で3,800メートル先のロシア兵を射殺した事例が現在の最長記録)。

 シリアで目撃された個体に装備された新型のピストルグリップは、(グリップと一体化した)ストレートストックをより現代的なピストルグリップに交換することでより新しい「AX」系狙撃銃に人間工学を取り入れることをねらいとしたものであり、その過程で軽量化が図られています。映像の銃の有効射程はマズルブレーキにサプレッサーが装着されているために若干短くなっていると思われますが、狙撃兵だらけとも言えるシリアの戦場では、(サプレッサーの使用で)この銃を使用する兵士がより長く敵に発見されずにいられることに役立つのは間違いないでしょう。



 映像の他の部分には、特殊部隊員が「PKP "ペチェネグ"」汎用機関銃を使用する姿が映っていました。特殊部隊用に最低でも100丁の「PKP」が2013年にシリアへ引渡されたと考えられていますが、「ペチェネグ」が人前に姿を現した事例は極めて少なく、今回の映像が公開される前に1度目撃されただけです。

右奥にあるのが「PKP "ペチェネグ"」汎用機関銃である

 しかしながら、アサド政権が最近入手したのは小火器に限ったことではありません。兵士の個人装備の大半は、アメリカ、特にアメリカのスポーツ用品メーカーであるアンダーアーマー以外から調達されていないようです。

 アメリカ製装備を選択することは一見すると不自然に思えるかもしれませんが、アメリカ製を筆頭とする西側製小火器や装備は現在でも日常的にシリアに入ってきており、その大半はレバノンの闇市場経由と云われています。これらの西側製小火器の大部分が沿岸地域のアラウィー派によって入手されたものです。彼らは長年にわたって反政府勢力が侵攻してくる可能性から自衛するための準備をしてきました。

 シリアには世界各地から小火器が流入しており、今ではロシア製の新型狙撃銃や軽機関銃、イギリス製の狙撃銃、アメリカ製のアサルトライフル、そして第2次世界大戦時代の骨董品などが混在している状況です。近年では最も武器の多様性に富んだ戦場と言えます。これほど多種多様な兵器にアクセスできる状況を考慮すると、近いうちに内戦の当事者が敵と戦う手段を使い果たすことは起こりそうもありません。


改訂・分冊版が2025年に発売予定です


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2025年7月11日金曜日

【復刻記事】影から姿を現す:シリアで「BM-30 "スメルチ"」の存在が確認された



著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2014年12月27日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」とベリングキャットで公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 新たに入手した画像によって、シリアで悪名高い「BM-30 "スメルチ"」多連装ロケット砲(MRL)の存在がついに明らかとなりました。その「9M55K」300mmロケット弾は、ハマ北方のカフル・ジタAl-Tahで使用されたことが記録されているものの、発射機の画像はまだ確認されていなかったのです。発射機の登場を長く待たなければいけなかった理由としては、「ブーク-M2」や「パーンツィリ S-1」、「BM-30」といった高度な兵器の位置が特定されることを避けるため、その近くでの撮影が禁止されたことに関係していると思われます。

 シリアは内戦中にベラルーシか(より可能性が高いと思われる)ロシアから数台の「BM-30」を調達し、2014年初めに納入されたことが確認されています。その数か月後、「UR-77 "メテオリット"」地雷除去車がダマスカスのジョバルに出現したことで、ロシアがアサドにあらゆる兵器を供給する意志があることが改めて強調されました。

 内戦前からシリアで長く運用されている「BM-27 "ウラガン"」に見られるように、「BM-30」も同じような緑色の塗装が施されています。こうしたカラーリングはハマーに見られるような緑豊かな地域に最適です。


 これらの「BM-30」をダマスカスに投入するの合理的だと思われるかもしれませんが、反政府勢力の進撃を阻止するため、全「BM-30」がハマー近郊に配備されています。ハマーはアサドにとって戦略的に重要な場所です。これは何も戦略的な位置にあるという理由だけではありません。空軍基地があるほか、南部には地下ミサイル施設もあるからです。

 ダマスカスには多数の「BM-27 "ウラガン"」やIRAM(Improvised Rocket-Assisted Munition or Mortar:急造ロケット推進弾・迫撃砲)も配備されており、戦闘の多くは共和国防衛隊の拠点であるカシオン山から近距離で行われているほか、砲兵部隊も定期的に投入されているため、この地における「BM-30」の必要性が低いことも理由に入るでしょう。

 ハマーとその周辺における全戦闘はシリア軍と国民防衛隊(NDF)、その他の民兵組織によって行われているため、シリアの「BM-30」は共和国防衛隊ではなくシリア軍の管轄下にあります。下の画像は、Al-Tahで「BM-30」が発射した「9M55K」ロケット弾の残骸です。


 「9M55K」は「BM-30」から発射できるロケット弾の一種に過ぎませんが、野外に晒された歩兵に対して絶大な威力を発揮するために今でも好んで使用されています。ちなみに、このロケット弾には72個の「9N235」対人クラスター子弾が搭載されています。


 作戦がシリア全土で展開されるにつれ、「BM-30」はしばらく仕事に困ることないため、シリア内の別の地域に投入される可能性が十分に考えられます。このMRLの引渡しはロシアがアサド政権を支援していることを改めて示すものであり、両国の関係は時間とともに強まってきています。シリアに最近納入された「BM-30」や「UR-77」、その他の兵器は、今後の展開の兆しなのかもしれません。

【編訳者による補足】この記事が執筆された10年後の2024年12月にアサド政権が崩壊したことは周知のとおりです。この間にシリアの「BM-30」がキャッチされる機会がありませんでしたが、崩壊前日の12月4日の時点でアレッポのアル・サフィラとその郊外で放棄された個体が2台確認されました。[1]

 こうした発射機の損傷状況が修復可能なレベルか否かは判然とせず、ほかに存在するかもしれない個体を含めて新シリア軍が運用するのかは不明です。

アル・サフィラでシリア軍が遺棄した「BM-30」

[1] https://x.com/clashreport/status/1864188921598402660

改訂・分冊版が2025年に発売予定です(英語版)

2025年7月6日日曜日

【復刻記事】鋼鉄の野獣: シリア軍のT-62戦車


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2014年11月27日に「Oryx」本国版(英語)とベリングキャットで公開された記事を日本語にしたものです。10年前の記事ですので当然ながら現在と状況が大きく異なっていたり、情報が誤っている可能性があります(本国版ブログは情報が古くなったとして削除)。ただし、その内容な大いに参考となるために邦訳化しました。 

 登場当時の「T-62」戦車は技術的な奇跡の産物と考えられていました。なぜならば、最先端の115mm滑腔砲を搭載していたからです。しかし、この戦車は「T-55」から多くの問題を受け継いだだけでなく、さらに多くの新たな問題も生み出してしまいました。

 NATOが恐れていた115mm砲については、「T-55」の100mm砲で新型の砲弾が使用可能になったため、冗長なものとなってしまいました。この理由と毎分僅か4発という受け入れがたい発射速度が合わさって、「T-62」は同時代の戦車の中で「厄介者」となったのです。

 実際、ブルガリアを除くワルシャワ条約機構加盟国は「T-62」を導入せず、より多くの「T-55」を調達する道を選びました。

 それでも、この戦車は中東や北アフリカのソ連勢力圏内にある国々に広く輸出されています(注:2010年代後半においてもシリアやリビアへ供与された)。エジプトとシリアは実戦で「T-62」のテストを試みており、その後1973年の第四次中東戦争で投入したものの、期待に応える結果を得ることはできませんでした。

 1960年代の終わりから70年代にかけて、シリアは最大で800台の「T-62」を入手したと推測されています。このうち500台弱が依然として現役か予備兵器扱い、あるいは保管状態にあります。

 1962年に形式不明の戦車の追加バッチが納入されたとされていますが、結局その情報は誤ったものであり、実際は「T-55A」戦車のバッチでした。また、リビアから供給された「T-72」戦車に関する情報もありますが、独自には確認できていません。

 「T-62」の "1967年型"と"1972年型"の両モデルがシリアに納入されました。このうち後者がシリア陸軍で最も運用された型です。この型は空中からの脅威に対する防御力を高め、地上目標への使用も可能にする大口径の「DShK」12.7mm機関銃を装備しています:"1967年型"にはこうした対空用の機関銃はありません。


 「T-62」は1982年のレバノン戦争にも投入されました。ところが、シリア軍の戦車は第四次中東戦争よりも活躍したにもかかわらず、イスラエル軍の歩兵や戦車、そしてヘリコプターによる攻撃の結果、約200台もの「T-62」戦車が失われました。

 この戦争では「RPG-7」や「RPG-18」、「9K111 "ファゴット"」「ミラン」対戦車ミサイルで武装した遊撃対戦車部隊の方がはるかに活躍したことが知られています。ベイルートとその周辺で活動する彼らは、狭い路地で攻撃を実施して圧倒的な優位に立ったのでした。

 興味深いことに、シリア軍が保有していた「T-62 "1967年型"」の1台が南アフリカ国防軍に配備されていることが明らかとなっています。同軍はすでに仮想敵(OPFOR)訓練用としてだけでなく、アンゴラで将来起こりうるこれらの戦車との衝突に備えて評価するために「T-55」の部隊を運用しているのです。


 シリア軍の「T-55」とは対照的に、「T-62」は戦闘能力を向上させるための大幅な近代化改修を受けていません。その代わり、90年代には一部の「T-62」が保管庫送りにされています。現役で残っていた「T-62戦車」については、被占領地であるゴラン高原から遠く離れた場所に配備され、主に予備部隊によって運用されていました。

 少数の「T-62」戦車には、風力センサーを搭載するという小規模な改修が実施されました。本来ならば将来実施されるかもしれない近代化計画の試作車両として用いられる可能性が高かったものの、改修された戦車の数が極めて少なかったこともあり、同計画が開始されることはなかったようです。

 少なくともこの1台がシリア内戦で反政府軍に鹵獲されたことが確認されています。下の画像の改修型「T-62」には、「بشار(バッシャール)」と「منحبك يا بشار(我らはバッシャールを愛す)」の文字がペイントされています。


 シリア内戦は、シリア軍における「T-62」戦車の3度目の実戦投入でした。その大部分はシリア・アラブ陸軍に配備されていますが、ある程度は民兵組織である国民防衛隊(NDF)スクーア・アル・サハラ(デザート・ファルコン)にも配備されています。

 なお、残りの一部は戦略予備として保管状態のままです。 これは、シリア政府がいつでも数百台の戦車を投入することで戦闘による損失を埋め合わせができることを意味しています。もちろん、この状況はシリア・アラブ軍にとって有益なものとなっています。というのも、シリア軍が保有する戦車の数は減少し続けているからです(注:上述のとおり損失の埋め合わせに困らないため)。

 2台の「T-62」がタブカ市で活躍しました。残存した航空機やヘリコプターが空軍基地から脱出できるよう、滑走路の周囲を長時間にわたって防御したのです。

 他の「T-62」は砂漠地帯でスクーア・アル・サハラの攻撃部隊に参加しましたが、これらの戦車がこの部隊の指揮下にあったのか、それともシリア軍の管理下にあったのかは定かではありません(注:スクーア・アル・サハラはシリア軍の支援を受ける民兵組織だったため)。


 少数の「T-62」は僅かながらも防御力の向上が図られました。こうした改良は、一般的に戦車の運用者がどれだけの労力とリソースを投入したかによって度合いが左右されます。つまり、改良と一口で言ってもレベルはピンからキリまであるということです。例えば、単に土嚢で覆うという策(下の2番目の画像)から装甲版の追加といった大幅な改良まで、全く異なる改良がなされる場合があるわけです。

 このような応急的な改良は通常のロケット擲弾(RPG)に対して多少は役に立つ可能性があるものの、「T-62」をシリアの戦場に蔓延する非常に変わりやすい対戦車戦をめぐる情勢に持ちこたえる助けにはなりそうもありません。


 それでも、内戦によってシリアにおける鋼鉄の野獣が徐々に減少し、すぐに使用できる戦車の数も少なくなっているため、「T-62」戦車が今後の極めて過酷な戦いで非常に重要な役割を果たす可能性は高いと思われます。


2025年4月13日日曜日

【復刻記事】鋼鉄の野獣: シリア軍のT-55戦車


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 この記事は、2014年11月27日に「Oryx」本国版(英語)とベリングキャットで公開された記事を日本語にしたものです。10年前の記事ですので当然ながら現在と状況が大きく異なっていたり、情報が誤っている可能性があります(本国版ブログは情報が古くなったとして削除)。ただし、その内容な大いに参考となるために邦訳化しました。

 (この記事の執筆時点で)約4年に及ぶ内戦は、シリアの戦車部隊とその運用方法に影響を与え続けています。今や、彼らはシリア各地に点在しており、数多くの友軍に火力支援を提供しているのです。

 この新シリーズでは、シリア軍が運用する鋼鉄の野獣にスポットライトを当てます。

 シリア国内でアサド政権の戦車を実際に運用しているのは誰なのか、やや曖昧なままです:多くの人はシリア国内における全ての戦闘任務をシリア・アラブ軍(SAA)が担い続けていると考えていますが、SAAはその人員と装備の多くを国民防衛隊(NDF)やその他の民兵組織に移管しています。

 しかしながら、シリア軍は依然として多数の旅団とシリア各地に点在する無数の駐屯地を維持しています。つまり、そこで発見された戦車は、その全てがシリア軍の指揮下に置かれたものというわけです。

 戦車部隊で運用される戦車は大きく3種類に分類することができます:「T-55」と「T-62」、そして「T-72」です。さらに2種類:「T-54」と「PT-76」もかつてシリアで運用されていたものの、現存する「T-54」の大部分はレバノンに寄贈され、その他は保管状態にあります。今のところ、前者は多くが現役に戻されつつありますが、後者はこの10年間でスクラップにされたと考えられています。

 内戦が勃発する前のシリアは約5,000台の戦車を保有していたと推測されています:内訳としては、「T-54/55」が2,000台、「T-62」が1,000台、「T-72」が1,500台です。しかし、この数字はかなり歪められています:2010年代初頭でシリアが実際に運用していた戦車は2,500台に近いものであり、その内訳は「T-55」が約1,200台で「T-62」が約500台、「T-72」が約700台でした。もちろん、2,500台の戦車が同時に稼働していたわけではありません。「T-55」や「T-62」の大半は予備兵器扱いや保管状態にありました。

 2,500台の戦車のうち、1,000台以上が内戦で失われました。その大多数は「T-55」ですが、残存する戦車の多さがこうした損失をカバーしています。

 2014年末の時点で、シリア軍は推定700台の「T-55」が作戦能力を維持している一方で、この国を支配するべく戦っている多くの勢力も、さまざまな種類の「T-55」を運用し続けています。その中でも特筆すべき運用者はイスラム国です:彼らは第93旅団で数十台を鹵獲して、この戦車の主要なユーザーとなったのです。同旅団が保有していた戦車のほとんどは、後にイスラム国によるコバニへの攻勢に投入されました。


 シリアでの「T-55」は4種類に分けることができます:標準的なスタイルの「T-55A」、北朝鮮が改修した「T-55」、「T-55AM」、そして「T-55MV」です。これらのうち最も多く運用されているタイプは「T-55A」で、北朝鮮の改良型、「T-55MV」と「T-55AM」がそれに続きます。

 「T-55A」と北朝鮮の改修型はその大部分がNDFでも運用されている姿を目撃されていますが、「T-55AM」と「T-55MV」の運用はSAAだけです。

 北朝鮮の改修型は同国で設計されたレーザー測距儀(LRF)を搭載しているほか、一部は発煙弾発射機や「KPV」14.5mm機関砲さえ装備しています。シリア軍の「T-54/55」には、少なくとも2種類の北朝鮮製LRFが搭載されていることが判明しています。

 これらの戦車の改修は1973年の第四次中東戦争で得た戦訓に基づいたものであり、ソ連による「T-55」の改修:シリア軍の一部が受けた「T-55AM」規格への引き上げよりも安価な代替案として、1970年代初頭から80年代にかけて実施されたものです。

北朝鮮製LRFを装備した「T-55」(イスラム国が鹵獲したもの)

 「T-55AM」規格への改修には、「KTD-2」LRFとサイドスカート、発煙弾発射機の搭載が含まれていたものの、砲塔と車体前部への「BDD」追加装甲の装着については予算の制約から省略されてしまいました。下の画像は、ダラア県で活動する反政府軍:グラバー・ハッラーン大隊が運用するT-55AMです。


 「T-55MV」はシリア国内で使用されている「T-55」の中で最も近代的なものであり、その戦闘能力はシリアの「T-72」を上回るとさえ言えるかもしれません。「T-55」のMV規格への改修については、1997年に200台がウクライナによって実施されました。[1]

 シリアの「T-55AM」とは逆に、「T-55MV」は新型エンジンの搭載や対戦車ロケット弾(RPG)に対して装甲の防御力を強化する爆発反応装甲(ERA)ブロックの装備などで全面的に改修されました。

 シリアの「T-55MV」は、主砲である100mm砲から発射可能な「9M117M "バスチオン"」砲発射式対戦車ミサイルも装備しています。これまでシリアで「9M117M」が使用されていることは知られていませんでしたが、反政府勢力がクネイトラ県のテル・アフマル近郊で約10発を鹵獲したことで判明したのです。

 クネイトラは昔から「T-55MV」戦車隊の拠点であり、戦争になれば同ミサイルはイスラエルの戦車にとって厄介な奇襲の道具となったことでしょう。これらのミサイルは高価なため、各戦車は数発しか搭載していません。ミサイルの大多数は将来的にイスラエルの機甲部隊に使用される可能性があることから、ゴラン高原沿いのテル・アフマルのような弾薬集積地点に備蓄されたままです。


 一部の「T-55MV」はLRFの上に奇妙な装置を搭載しています。おそらく、この装置はある種のカメラとして機能すると思われます。というのも同様の装置がウクライナによって改修された「BMP-1」でも見られたからです。ただし、決定的な証拠は車内を映した映像でしか得られないので断定はできません。


 すでに共和国防衛隊の「T-72」で見られたものと同様に、「RPG」に対する防御力を向上させるため、「T-55」にも土嚢で防御力を向上させたスラット装甲が少しずつ導入されています。こうした装甲を装備した「T-55」を下の画像で見ることができます。ちなみに、改修された「T-55」の大半は砲塔の周囲にスラット装甲を施されただけでした。


 NDFは「T-55」を安全な距離から反政府勢力の拠点を攻撃するという積極的な用途で運用し続けている一方で、シリア軍は「T-55」のほとんどを固定式のトーチカとして使用しているため、敵が持つ対戦車ミサイルの格好の餌食となっています。

 シリアにおける戦車の損失の大部分は、地方の守備隊や検問所を強化するという(ほとんど)無駄な試みによる必然的な結果によるものです。


 「T-55」の数があまりにも多いため、シリア軍とNDFには兵士の火力支援に提供する戦車が不足するという差し迫った恐れはありません。

 シリアの戦車部隊にとって最大の脅威は悲惨な燃料不足です。入手可能な燃料のほとんどは、共和国防衛隊やスクーア・アル・サハラ(デザート・ファルコン)といった部隊で使われているからです。燃料不足はすでに戦車運搬車(トレーラー)の広範囲にわたる使用を強いています。なぜならば、戦車が自力で配備地まで走行するための十分な燃料が不足しているからです。この状況は、デリゾール周辺の油田が奪還されない限り改善されることはないでしょう。