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2024年7月13日土曜日

伝説的な駆逐艦:ポーランド海軍の「ORP ワルシャワ」


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo)

 当記事は、2022年11月3日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 ポーランド海軍が1970年から2003年の間に2隻のミサイル駆逐艦を運用していたことは全く知られていません。それらは1970年代や1980年代の基準から見ても決して近代的な艦船とは言えなかったものの、冷戦期の大半においてバルト海でソ連が運用していなかった、地対艦ミサイル(SAM)で武装した数少ない艦艇でした。

 2003年の「プロジェクト61MP級」駆逐艦「ORP ワルシャワ」の退役でポーランド海軍による73年にわたる駆逐艦の運用に終止符が打たれたわけですが、その33年前の1970年に、ソ連から「プロジェクト56AE級(NATO呼称:コトリン級)」駆逐艦1隻を引き渡されたことでポーランド海軍の新たな伝説が幕開けたのです。

 この国の海軍は「スプラヴェドリーヴイ」の名称で同艦を十数年間運用していたソ連海軍から中古で入手したことで、ソ連海軍と西ドイツ海軍に次いでSAMで武装した艦を運用する3番目のバルト海沿岸の海軍となったのでした。というのも、(陸上型「S-125」の艦載版である)「M-1 "ヴォルナ"」SAMシステムを中核兵装とする「ORP ワルシャワI」は、1986年の退役までポーランド海軍に防空能力を提供し続けたのです。
 
 この艦が退役する時点には、すでにソ連との間で後継艦に関する交渉が始まっていました。ただし、ポーランド海軍が「ORP ワルシャワI」の後継艦としてリースした「プロジェクト61MP(NATO呼称:改カシン)級」大型対潜艦の「ORP ワルシャワII」を正式に導入するまでには、それからさらに2年の歳月を要したのです。

 1969年に「スメールイ」としてソ連海軍に就役していた「ORP ワルシャワII」は、ポーランド海軍で初の真の多目的水上戦闘艦です。2連装の「AK-726」76mm砲、2基の「M-1 "ヴォルナ"」SAM発射機、4基の「P-15」対艦巡航ミサイル(AShM)、4基の「AK-630」30mm CIWSに加えて、533mm魚雷と2基の「RBU-6000」対潜ロケット砲を搭載した「ORP ワルシャワII」は、どの方向から見ても恐ろしい姿をしていました。


  対照的に、「ORP ワルシャワⅠ」は確かに控えめなに見えると言えるかもしれません。本来は対潜艦として設計された艦でしたが、 ソ連海軍は1960年代を通して7隻の「コトリン級」にSAMを搭載するための改修を施しました。そして、さらに1隻が改修されてポーランドに売却されました。これが(輸出された唯一の「プロジェクト56」級駆逐艦:「プロジェクト56AEである)「ORP ワルシャワⅠ」になったというわけです。

 ポーランドでは、「ワルシャワⅠ」は2隻の「プロジェクト30bis(スコーリイ)」級駆逐艦の「ヴィヘル」と「グロム」、そして第二次世界大戦前にイギリスで建造されて1967年に事故に遭って動けなくなっていた「ブウィスカヴィーツァ」の後継艦となりました。その後、「ブウィスカヴィーツァ」は浮き(対空)砲台に格下げとなり、進水から40年後の1976年に正式に退役しました。同年には記念艦となり、現在もその役割を忠実に果たし続けています。

在りし日の「ORP ワルシャワⅠ」

記念館となった「ORP ブウィスカヴィーツァ」

 「ORP ブウィスカヴィーツァ」がいまだに100mmと37mmの対空砲を装備していたのに対し、その後継である「ORPワルシャワI」は、「M-1 "ヴォルナ"」SAMシステムという形でポーランド海軍に初の艦対空ミサイル能力をもたらしました。

 「M-1」は、レール式ミサイル発射機1基で2発の「V-600/601」ミサイルを射程15km以内の空中目標に(緊急時には艦船にも)発射することが可能です。このSAMの開発は陸上配備型(最終的には世界のどこでも見られるようになった「S-125」)の開発と共に1956年に開始されたことが知られています。

 一度に交戦できる目標は1つ(発射機を2基装備した艦の場合は2つ)だけなので、それ以上の目撃が存在した場合のシステムの有効性は大幅に低下する弱点があります。発射機は最大32発の再装填が可能であり、数回の改良事業のおかげで「V-601(M)」ミサイルを使用した場合におけるシステムの最大有効射程は最終的に22kmまで延長されました。 

「ORP ワルシャワI」は本来の役割であるASW(対潜)戦に沿って、2基の「RBU-2500」対潜ロケット砲と533mm五連装魚雷発射管、そして艦首に配置された二連装の「SM-2-1」130mm両用砲と(艦橋前の)「SM-20-ZiF」四連装45mm対空機関砲から構成される防御兵装一式を装備していた一方で、ソ連の姉妹艦にはあった「AK-230」30mm対空機関砲は装備されていませんでした。

 16 年という長い就役期間(1970 年~1986 年)中に「ORP ワルシャワI」 は合計で(ポーランド海軍が購入したミサイルの半分以上である)28 発の「V-601」 SAMを発射したほか、ソ連やフィンランド、スウェーデン、デンマーク、イギリス、そしてフランスに寄港する活躍を見せました。[1]

「ORP ワルシャワⅡ」から発射された直後の「V-601M」SAM

 「ORP ワルシャワⅡ」 は、2基目の「M-1 "ヴォルナ"」SAM発射機、4基の「P-15」AShM発射機、近接防御兵装(CIWS)、威力が向上した対潜装備、ヘリコプター搭載能力を導入することで、先代が持っていた1950年代当時の性能が大幅に拡充されました。

 リースが終了した後の「ワルシャワII」はソ連時代に生じたロシアの負債を清算する名目で1993年にポーランドに永久譲渡され、同年から2年にわたるオーバーホールを受けて、ソ連の航海レーダーをポーランド製に交換するなどの改良も行われています。旧式化した兵装システムの換装や(ヘリ甲板に露天で駐機されていた)「W-3」ヘリコプター用の格納庫の新設が検討されましたが、慢性的な資金不足のために大規模な近代化が実施されることはありませんでした。

敵機やAShMがミサイル防衛の外壁を突破する(可能性が高い)場合、両舷に2基ずつ装備された「AK-630」CIWSと2門の「AK-276」76mm砲で近接防御が実施されることになる

 財源不足のために、冷戦終結以降の「ORP ワルシャワII」は散発的にしか海に出ませんでした。かつて同艦を導入した理由であった兵器システム自体が、今では維持するのが困難でコストを要するものとなっていたのです。1990年代から2000年代初頭にかけてバルト海で実施された全ての主要な国際演習の中で、同艦が参加したのは1999年の1回だけでした。

 この駆逐艦については、海外への売却を保留したまま2003年12月1日に正式に退役となったわけですが、どこの国も購入の関心を示さなかったことから、予備役として保管された後にスクラップとして売却されて2005年にグダニスク造船所で解体されてしまいました。

  ちなみに。ポーランド海軍時代の「ORP ワルシャワⅡ」は48発の「V-601」SAMと8発の「P-15」AShMの発射を記録しました。[1]

解体中の「ORP ワルシャワⅡ」

 1950年代後半に設計された艦にもかかわらず、「ORP ワルシャワⅡ」の姉妹艦たちは今でも現役で運用されています。1980年代前半から後半にかけて5隻の「改カシン」級を引き渡されたインド海軍では、生き残った3隻が大幅に改修を施されて今日でも任務を続けているのです。

 インドでは「ラージプート級」と呼称される「改カシン級」については、先述のとおり、残りの3隻を21世紀の戦争に適応させるために多大なリソースを投入しています。このうちの2隻は、8発の「ブラモス」AShMを装備するためにアップグレードされました。これは従来から搭載されていた4基の「P-15 "スティックス"」用の発射機を置き換えるものです。艦尾の「M-1 "ヴォルナ"」SAM発射機は、2隻ではイスラエルの「バラク1」SAM用VLS(8セル)2基、もう1隻では国産の 「VL-SRSAM」用VLS(16セル)に換装されました。そのうちの1隻(「INSラナ」)は、「ダヌシュ」艦上発射型短距離弾道ミサイルの試験艦としても使用されたことが知られています。 

 「ラージプート級」の推進機を国産のガスタービンエンジンに換装する計画を踏まえると、これらの艦は今後何年にもわたって運用され続けることになるでしょう。

「ORP ワルシャワII」:ソ連が設計した艦艇はスッキリとしたラインで特に有名というわけではない

 「ORP ワルシャワⅠ」も「ORP ワルシャワⅡ」もポーランド海軍に就役した時点では特に現代的な艦艇ではなかったものの、それでも1970年から2003年までバルト海の海洋権益を護り続けた、ポーランド海軍の歴史における興味深く重要な一章を象徴していると言えます。

 ソ連以外のワルシャワ条約加盟国が運用したどの艦艇よりも大型で高性能な「ワルシャワ」は、駆逐艦クラスの艦艇を運用したいというポーランドの願望を体現した艦であり、1930年代に確立された伝統を引き継ぐ存在でした。


 最終的に、「ORP ワルシャワⅡ」はアメリカ海軍から中古で入手した2隻の「オリバー・ハザード・ペリー級」フリゲートに更新されました。これらのフリゲートは小型であったにもかかわらず、ポーランド海軍は(外見上の迫力は劣るも)より高性能なプラットフォームを手に入れたと言って差し支えないでしょう。

  「オリバー・ハザード・ペリー級」は、ポーランド海軍がこれまで運用してきた中で最も高性能な艦艇になるであろう国産の「ミェチニク級」フリゲート3隻に更新される予定です。 彼女たちはもはや真の駆逐艦と呼べる存在ではなくなっているものの、この野心的な後継者たちは、誇り高き伝統の旗手として誰もが認める存在となるでしょう。

近い将来に姿を現す「ミェチニク級」フリゲート

画像の出典: Stowarzyszenie Entuzjastów ORP Ślązak i Sympatyków Marynarki Wojennej.
[1] Robert Rochowicz. Dzieje niszczyciela ORP Warszawa. ''Morze, Statki i Okręty''. Nr specjalny 1/2015, 2015. Warszawa.

2022年7月17日日曜日

東側の怪鳥:ブルガリアの「MiG-25 "フォックスバット"」

 

著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 ブルガリアが過去の一時期に「MiG-25RBT "フォックスバット"」さえも装備していた相当な規模の偵察飛行隊を運用したことは全く知られていません。

 ブルガリアは強力なフォックスバットを運用していたワルシャワ条約機構唯一の加盟国でした。その高度に専門化された特性と法外な運用コストは、ほかの全加盟国にこの機体の導入を思いとどまらせるには十分だったと思われます。ブルガリア自体は4機の「MiG-25」を調達しただけですが、運用中における1機あたりの運用・保守コストは少しも改善されなかったようです。

 おそらくはこの理由のみならず冷戦後の安全保障環境が激変したこともあり、残った「MiG-25」は就役から10年以内に退役し、1991年にはロシアとの間で5機の「MiG-23MLD」と交換されてしまいました。

 これでブルガリアにおける「フォックスバット」の運用が終了したわけですが、ウクライナは1996年まで「MiG-25PD(S)」迎撃機と「MiG-25RBT」を運用し続け、ロシアは就役から約50年後の2013年11月に最後の「MiG-25RB(T)」を退役させました。

         

 約30年前の1982年11月、「MiG-25RBT(シリアルナンバー:「731、「736」、「754」)」3機と複座練習機型である「MiG-25RU」(シリアルナンバー:「51」)1機がブルガリア北東部にあるドブリッチ空軍基地に到着し、後にこれらの機は写真偵察と電子情報収集(ELINT)任務を遂行するため第26偵察航空連隊に就役しました。

 1984年4月12日、1機の「MiG-25RBT」が悪天候の中で燃料切れを起こしてパイロットが脱出を余儀なくされた結果として機体が失われるという悲劇が発生しましたが、幸運なことにパイロットは無傷であり、これがブルガリアにおける「MiG-25」唯一の損失となりました。

 1991年5月、残った3機は崩壊しつつあるソ連での不確かな未来へと旅立ったため、これがブルガリア領空における最後の飛行となりました。ソ連崩壊後、これらの機体はロシア空軍に引き継がれ、リペツク基地や後にシャタロヴォ基地から飛ばされ、さらにその後にはチェチェン紛争にも投入されたとのことです。[1]



 1950年代、創設されたばかりの第26偵察航空連隊は偵察用途に全く適していない機体の寄せ集めを装備しており、そのほとんどはオリジナルの状態の(未改修の)爆撃機で構成されていました。しかし、その後の数十年間で、この飛行隊は最終的にワルシャワ条約機構加盟国の中でも最も装備が整えられた航空偵察部隊へと成長していきました。

 1950年代の間に、この飛行隊に14機の「IL-28R」(及び1機の「IL-28U」練習機)が導入され、1960年代の初頭には約12機の「MiG-15bisR」が追加されました。ブルガリアでの運用は特に長続きしませんでしたが、このような航空機がほかの場所で時代を乗り越えて現在でも使用されている様子が見られることは特筆に値します。なぜならば、北朝鮮は未だにこれらの機体を稼働状態で維持しているからです。[2]

 「IL-28R」と「MiG-15bisR」は、後に「MiG-21R」戦術偵察機と偵察任務用に改修された「MiG-21MF」によって補完・更新されました。

 1980年代には「MiG-25RBT」だけでなく「Su-22M-4」も配備されたことで、この飛行隊の10年に及ぶ黄金期が到来しました。[3] [4]

 最後に残った「MiG-21R」と「MiG-21MF-R」が運用から退いたためにドブリッチ空軍基地は2002年に閉鎖され、その2年後には「Su-22M-4」も退役してしまいました。それ以来、ブルガリア空軍によって運用される偵察専用機はありません。

2機の「MiG-21」に挟まれて飛行するブルガリアの「MiG-25」の姿は、その巨大なサイズをはっきりと示しています。

 マルチプル・エジェクター・ラック(MER)を装備した場合、偵察用に開発された「MiG-25RBT」を最大で8発の「FAB-500T」500kg爆弾を搭載した高速爆撃機に変えることが可能です。しかし、ブルガリアが「MiG-25」用のMERを入手したことや、そもそも爆撃機としてこの機体を配備することに関心を持っていたことを示唆する証拠もありません。[5]

 これは、「MiG-25」を爆撃機として使用することに関連する酷い命中精度のためだったと思われます。本来は核爆弾を投下することのみを目的としていたため、その精度はあまり重要ではなかったのです。



 ブルガリアが偵察専用機を運用していた時代はとうの昔に過ぎ去り、空軍は「MiG-29」や「Su-25」といった別のソ連時代の機体を維持し、今や現代的な西側製の機体に完全に置き換えようと奮闘しています。


[1] МиГ-25 в България https://www.pan.bg/view_article-30-8605-MiG-25-v-Bylgariq.html
[2] North Korea's Armed Forces: On the Path of Songun https://www.helion.co.uk/military-history-books/the-armed-forces-of-north-korea-on-the-path-of-songun.php
[3] Bulgarian Air Defence and Air Force’s Tactical Air Units in January 1, 1983 http://www.easternorbat.com/html/bulgarian_tactical_air_force_8.html
[4] Bulgarian Air Defence and Air Force’s Tactical Air Units in January 1, 1988 http://www.easternorbat.com/html/bulgarian_tactical_air_force_81.html
[5] http://airgroup2000.com/forum/viewtopic.php?t=4985
 です。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ
 ります。

2021年10月16日土曜日

ブルガリアの空に注目: 「MiG-25」から「バイラクタルTB2」まで



著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 最近、軍事アナリストの間では、ブルガリアがトルコから少なくとも6機の「バイラクタルTB2」無人戦闘航空機(UCAV)の導入を視野に入れているとの推測で沸き上がっています。

 この調達が成立すれば、ブルガリアで長い間失われていた戦力が復活すると同時に、同国は急速に増加しつつあるTB2の導入に関心を持つ国々や現在導入の途上にある国のリストに追加されることになります。しかし、ブルガリアは2020年にTB2を購入する試みを開始したものの、COVID-19のパンデミックで決定を延期したと言われています。[1]

 TB2が結果的にブルガリアに納入されれば、同国は2021年5月にポーランドが24機のTB2を導入したのに続いてEU諸国で2番目(ラトビアが導入した場合は3番目)のTB2調達国となるでしょう。

 中・東欧諸国がTB2に関心を寄せているという事実は、リビアやシリア、そして最近ではナゴルノ・カラバフでの度重なる成功の結果であることは間違いありません。もう一つの明らかな要因はシステムの初期費用と運用コストが低いことであり、これはMQ-9Bのような同種のシステムが単に高価すぎるブルガリアのような国では、最新のU(C)AVを運用することの費用対効果の分析が実際に有利に働いたようです。
 
 また、仲間のNATO加盟国からTB2を購入できるという点も間違いなく評価されることでしょう(さらなるセキュリティ面だけでなく、ほかのサプライヤーには欠けている品質の保障も提供します)。

 ブルガリアが過去に一時期はMiG-25RBT「フォックスバット」でさえも装備していた相当規模の偵察飛行隊を運用したことは全く知られていません。

 ブルガリアは強力なフォックスバットを運用していたワルシャワ条約機構唯一の加盟国でした。その高度に専門化された特性と法外な運用コストは、ほかの全加盟国にこの機体の導入を思いとどまらせるには十分だったと思われます。ブルガリア自体は4機のMiG-25を調達しただけですが、運用中における1機あたりの運用・保守コストは少しも改善されなかったようです。

 おそらくはこの理由のみならず冷戦後の安全保障環境が激変したこともあり、残ったMiG-25は就役から10年以内に退役し、1991年にはロシアとの間で5機のMiG-23MLDと交換されてしまいました。

 これでブルガリアにおける「フォックスバット」の運用が終了したわけですが、ウクライナは1996年までMiG-25PD(S)迎撃機とMiG-25RBTを運用し続け、ロシアは就役から約50年後の2013年11月に最後のMiG-25RB(T)を退役させました。

         

 約30年前である1982年11月、3機のMiG-25RBT(シリアルナンバー:「731、「736」、「754」)と1機のMiG-25RU複座練習機型(シリアルナンバー:「51」)がブルガリア北東部にあるドブリッチ空軍基地に到着しました。

 その後、これらの機は写真偵察と電子情報収集(ELINT)任務のため、第26偵察航空連隊に就役しました。

 1984年4月12日、1機のMiG-25RBTが悪天候の中で燃料切れを起こし、パイロットが脱出を余儀なくされた結果として機体が失われるという悲劇が発生しましたが、幸運なことにパイロットは無傷であり、これがブルガリアにおけるMiG-25唯一の損失となりました。

 1991年5月、残った3機は崩壊しつつあるソ連での不確かな未来へと旅立ったため、これがブルガリア領空における最後の飛行となりました。

 ソ連崩壊後、これらの機体はロシア空軍に引き継がれ、リペツク基地や後にシャタロヴォ基地から飛ばされ、さらにその後にはチェチェン紛争にも投入されました。[2]



 1950年代、第26偵察航空連隊は当初、偵察用途に全く適していない機体の寄せ集めを装備しており、そのほとんどはオリジナルの状態の(未改修の)爆撃機で構成されていました。しかし、その後の数十年間で、この飛行隊は最終的にワルシャワ条約機構加盟国の中でも最も装備が整えられた航空偵察部隊へと成長していきました。

 1950年代の間に、この飛行隊に14機のIL-28R(及び1機のIL-28U練習機)が導入され、1960年代の初頭には約12機のMiG-15bisRが追加されました。ブルガリアでの運用は特に長続きしませんでしたが、このような航空機がほかの場所で時代を乗り越えて現在でも使用されている様子が見られることは特筆に値します。なぜならば、北朝鮮は未だにこれらの機体を稼働状態で維持しているからです。[3]

 IL-28RとMiG-15bisRは、後にMiG-21R戦術偵察機と偵察任務用に改修されたMiG-21MFによって補完・更新されました。

 1980年代にはMiG-25RBTだけでなくSu-22M-4も配備されたことで、この飛行隊の10年に及ぶ黄金期が到来しました。[4] [5]

 最後に残ったMiG-21RとMiG-21MF-Rが運用から退いたためにドブリッチ空軍基地は2002年に閉鎖され、その2年後にはSu-22M-4も退役してしまいました。それ以来、ブルガリア空軍によって運用される偵察専用機はありません。

2機のMiG-21に挟まれて飛行するブルガリアのMiG-25の姿は、その巨大なサイズをはっきりと示しています。

 マルチプル・エジェクター・ラック(MER)を装備した場合、偵察用に開発されたMiG-25RBTは、最大で8発の「FAB-500T」500kg爆弾を搭載した高速爆撃機に変えることが可能です。しかし、ブルガリアがMiG-25用のMERを入手したことや、そもそも爆撃機としてこの機体を配備することに関心を持っていたことを示唆する証拠もありません。[6]

 これは、MiG-25を爆撃機として使用することに関連する酷い命中精度のためだったと思われます。本来は核爆弾を投下することのみを目的としていたため、その精度はあまり重要ではなかったのです。



 ブルガリアが偵察専用機を運用していた時代はとうの昔に過ぎ去り、空軍はMiG-29やSu-25といった別のソ連時代の機体を維持し、最終的にはより現代的な西側の機体に完全に置き換えようと奮闘しています。この点で、TB2のようなUCAVは貴重な偵察アセットをもたらすだけではなく、現在でも運用されているSu-25やMi-24の役割の少なくとも一部を引き継ぐ費用対効果の高いオプション(対地攻撃能力)も構成しているため、より現在の財政支出と両立し得る価格でブルガリアを無人機主導の戦争の時代に推し進めることが可能です。

 この購入が最終的に実現するか否かであろうと、バイカル社のTB2がEU諸国を相手にした最後の販売を終える可能性は極めて低いでしょう。実際、最近のこのタイプの無人機に関心が寄せられている現象は、ヨーロッパ亜大陸だけにとどまらない実質的な輸出の波が手元にあることを示しているようです。

 現在、ブルガリアはこの波に乗る最初のEU加盟国の1つであり、(TB2の導入は)偵察機を運用してきた豊かな歴史の存続を確かなものとするでしょう(注:2021年10月現在でポーランドやアルバニアがTB2の購入を表明しています)。



[1] Avrupa sıraya girdi! Yunanistan'dan Türkiye itirafı https://ekonomi.haber7.com/ekonomi/haber/3057811-avrupa-siraya-girdi-yunanistandan-turkiye-itirafi
[2] МиГ-25 в България https://www.pan.bg/view_article-30-8605-MiG-25-v-Bylgariq.html
[3] North Korea's Armed Forces: On the Path of Songun https://www.helion.co.uk/military-history-books/the-armed-forces-of-north-korea-on-the-path-of-songun.php
[4] Bulgarian Air Defence and Air Force’s Tactical Air Units in January 1, 1983 http://www.easternorbat.com/html/bulgarian_tactical_air_force_8.html
[5] Bulgarian Air Defence and Air Force’s Tactical Air Units in January 1, 1988 http://www.easternorbat.com/html/bulgarian_tactical_air_force_81.html
[6] http://airgroup2000.com/forum/viewtopic.php?t=4985

※  当記事は、2021年8月16日にOryx本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所