ナゴルノ・カラバフをめぐる未解決の紛争がここ最近に激化した中で、
「Su-30SM」は2020年の戦争における空中戦で注目すべき未登場の存在だったことは記憶に新しいと思います。
2019年にアルメニアのニコル・パシニャン首相によって「今年で最も重要な買い物」と歓迎されたことから、多くの人は「Su-30」が
「バイラクタルTB2」無人戦闘航空機に立ち向かったり、アゼルバイジャン機がアルメニア兵に死傷をもたらす兵装を放つことを抑止するために武力衝突に投入されるだろうと予想しました。[1]
しかし、数日・数週間と過ぎるにつれ、「Su-30」が意図的に戦闘に巻き込まれないようにされていることが次第に明らかになり、この新型機はいつしか 「白い象(無用の長物)」という不名誉な地位を得るまでになってしまいました。
当記事では、「Su-30」が戦争に投入されなかった理由の根拠を提示すると共に、同機を導入するというアルメニアの決定とその理由を考察します。
アルメニアの「Su-30」導入について詳しい説明をする前に、アルメニア空軍の歴史とその少ない航空戦力がどのようにして得られたのかを知っておくべきでしょう。
アゼルバイジャンと同様に、アルメニアは1991年のソ連が解体された際に航空機やヘリコプターを(ソ連軍から)ほとんど受け継ぎませんでした。しかし、アゼルバイジャンが石油とガス産業のおかげで強力な航空戦力を構築できた一方で、アルメニアはロシアの寛大さと海外から安価に戦闘機を入手できる稀な機会に大きく依存していました。これについては、1992年と1993年にロシアから8機の「Su-25」が、さらに2004年にはスロバキアから10機の「Su-25」が納入されたことで実証されています。
とはいえ、「Su-25」は効果的な対地攻撃機である一方で高速ジェット機の迎撃には全く役立ちません。そこで、アルメニアは高価な戦闘機自体を調達するという費用のかかるプロセスを踏むのではなく、その代わりとしてロシアに自国上空をカバーする迎撃戦力を提供するよう交渉を開始したのです。
1996年にロシアと締結された協定の結果としてアルメニアは自国の防空を実質的にロシアにアウトソーシングすることになり、ロシア軍はアルメニアの首都エレバン郊外に約20機の「MiG-29」戦闘機と「S-300V」地対空ミサイル(SAM)システムを配備することになりました。
双方の合意によってロシア軍のエアカバーの適用範囲からナゴルノ・カラバフ上空は除外されたものの、それはアゼルバイジャン領空の奥深くまでカバーするアルメニアの地対空ミサイル(SAM)基地の広大なネットワークによって埋め合わせることになりました。
ところが、2000年代後半から2010年代初頭にかけて両国の軍事力の差が急激に拡がり始めると、エレバンはアゼルバイジャンと対等に渡り合うための方法を模索し始めたのです。
この手法は、アルメニアが通常は極めて低価格で入手可能な中古兵器を購入するために他国(旧ソ連諸国)を探し回るという従来の軍備調達戦略とは若干異なるものでした。こうした買収劇の大半はアルメニア軍に斬新な戦力をもたらすことは少しもありませんでしたが、結果的に自国のGDPの範囲を大幅に超える常備軍を維持することを可能にしました。
ただし、アルメニアは(例えば長距離対戦車ミサイル(ATGM)、誘導式ロケット弾、偵察用UAV、徘徊兵器の導入を通じて)ナゴルノ・カラバフに構築された広大な塹壕網という安全が確保された場所の後方からアゼルバイジャンを凌駕する機会を見出すのではなく、ロシアから数十機もの「Su30」多用途戦闘機を調達してこの地域における軍事バランスの(少なくとも机上では)劇的な変化を追い求めたようです。
興味深いことに、アルメニア国防省からの財政支援が不足したことによってアルメニアの企業が数種類のUAVや徘徊兵器の開発を進めるのに苦労していた時期に、この高額な買収劇が展開されました。
隣のアゼルバイジャンは石油やガスの生産で得た利益を軍備の調達に活用することができることを考えると、アルメニアが主要な兵器システムを導入して軍事バランスを変えようとすることはそもそも実現不可能な夢物語だったと言えるのは誰の目から見ても明らかでしょう。
したがって、アルメニアは僅かな資金で戦争で全く期待に応えることがなかった戦力を導入しただけでなく、最初から負けることが決まっていたアゼルバイジャンとの軍拡競争に陥ることを辛うじて避けたということになります(注:アルメニアは「Su-30」を調達したおかげで別の兵器の調達がほとんどできなかったのです)。
実際、アゼルバイジャンはアルメニアのように「Su-30」などの最新の多用途戦闘機を導入するのではなく、トルコと共同で「Su-25」対地攻撃機の近代化を推し進めました。この近代化で最も特筆すべきものは、「Su-25」が
「HGK」 GPS誘導爆弾、
「QFAB-250」レーザー誘導爆弾、275km以上の射程距離を有する
「SOM」巡航ミサイルといったトルコやアゼルバイジャン製の誘導兵器を運用できるように改修されたことでしょう。
また、機体の生存率をベラルーシ製の
「タリスマン」ECMポッドを搭載可能とすることで向上させました。この「タリスマン」は、44日間にわたって繰り広げられたナゴルノ・カラバフ戦争でアルメニア軍のSAMによる被弾から数機の「Su-25」を救ったと考えられています。
導入検討時期などの注目点
アルメニアが「Su-30」に対する関心を抱いた時期については、伝えられるところによると2010年から2012年の間にさかのぼります。この時期に少なくとも12機の導入が計画されたものの、高価な戦闘機を購入する財政的な余裕がないために後に延期されたとのことです。[2] [3]
ただし、アルメニアの「Su-30」に対する関心が依然として強いものであったことは確かだったようで、ニコル・パシニャンが最初の4機の導入を最終決定できたのは2018年のアルメニア革命によってもたらされた政権交代の後のことでした。
その後の2019年12月27日になって、待望の「Su-30」1号機がようやくアルメニアに到着しました。[4]
他国がロシア製戦闘機に支払わなければならない価格と比較して、アルメニアが「Su-30SM」を大幅に安い価格で購入することを許可されたというのは本当である可能性が高いと思われます。おそらくはロシア空軍の調達価格に近い値段だったのでしょう。
また、「Su-30SM」は1991年の独立後にアルメニアが導入した最初の真新しい兵器システムの1つであるという注目すべき特徴も持っていました。この偉業はパシニャンにも高く評価され、「アルメニア政府は80年代の兵器(に依存している)という恥ずべき(歴史の)ページを閉じた」と主張するまでに至ったのです。[5]
同時期にこの国がヨルダンから1970年代の「9K33 "オーサ" 」短距離SAMシステム32台を購入した件については、話を進める便宜上忘れておくことにします。[6][7]
「Su-30SM」 - パシニャン肝いりのプロジェクト
パシニャン首相が「Su-30SM」の導入プロセスに密接に関わっていたことは確実であり、この新型機が自国に到着した後は導入した意義を説明することに多大な注意を払いました。
ニコル・パシニャンは2018年6月17日にロシア空軍の「Su-30」のコックピットに座っている自撮りの写真を投稿し、「Su-30SM」の導入に国家が関心を持っていることをアルメニアの当局者として最初に国民に知らせた人物でもあります。[8]
2019年12月に新型機が到着した後、彼は、「本日は最新式の『Su-30』多用途戦闘機がアルメニアに到着した非常に重要な日であり、これは今年における私たちの重要な功績です。つまり、(発注した)第1陣の機体が到着しつつあることであり、この成果はアルメニア共和国と国民の安全保障にとって極めて重要なものなのです。」と延べ、さらにこの新型機の導入を「アルメニアの安全保証にとっての転換点となる。」とまで言及しました。 [9] [10] [11]
同時に、アルメニアのダヴィト・トノヤン国防相もエレバンが今後数年間でさらに8機の「Su-30SM」を調達する計画を立てたことを認め、次回の納入予定時期を尋ねられた際に「近いうちに」と答えています。[4]
4機の「Su-30SM」がアルメニアに到着してからの数か月間、パシニャンは定期的に新型機の最新状況を伝えており、「Su-30」がアルメニアの安全保障にとっていかに重要なアセットであるか考えられていることを強く示しています。
おそらくさらに重要な点として、このメッセージはアルメニア国民に国境に対するいかなる脅威にも対抗する準備ができているということで安心させることに役立ち、同時にアゼルバイジャンに対する抑止力としても機能するものだったと考えられます。
「昨日、私たちの『Su-30SM』ジェット機は戦術ミサイルによる最初の訓練を実施して、攻勢任務用の空対地ミサイルをテストしました。全ての目標は高い精度で命中を受けました(2020年07月3日)」[12]。
「『Su-30』はRA(アルメニア共和国)の領空の不可侵性を確保するために戦闘任務に就きます。(2020年07月15日)」[13]。
もちろん、首相は数ヵ月後(アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフと周辺7地区の奪還を目指した
「アイアン・フィスト作戦」を発動したとき)にこの発言の真偽が試されることになるとは思ってもいなかったでしょう。
ミサイル・サーガ
のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
あります。
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