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2025年3月1日土曜日

アフリキヤ・ワン: 代金と所有権をめぐって苦しんだカダフィ専用機


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2023年9月6日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 私は国際的なリーダーであり、アラブの統治者たちの長であり、アフリカの諸王の王であり、ムスリムのイマームである:ムアンマル・カダフィ

 2011年にリビア革命が終結したことは、リビアの人々に、ムアンマル・カダフィが42年にわたる統治下で蓄えていた数十億ドルと、それによって彼が手に入れた贅沢なライフスタイルのレガシーを求めて熱狂させる事態に至らせました。というのも、リビアはアフリカで最も豊富な石油を埋蔵している国にもかかわらず、カダフィの統治下では、リビアの人口600万人のうち約40%が貧困ライン以下で生活しており、適切な医療を受ける機会すら全くなかったからです。[1]

 カダフィ一家が所有する宮殿の内部をリビア人がやっと垣間見ることができたとき、もっとも際立っていたのは、(おそらく大半の人が予想していたような)豪華さではなく、むしろそのお粗末な内装でした。サイフ・アル=イスラム・カダフィの邸宅で発見されたスーパーカーの壁画にしても、カダフィ一家の保養所の廊下の中央に置かれた巨大な石造りの噴水にしても、お金とセンスがイコールではないことは明らかです。彼の独特なインテリア・センスは、反政府軍がカダフィの1億2,000万ドル(約180億円) もしたVIP専用エアバス「A340 "アフリキヤ・ワン"」 の内部を初めて覗いたときに、さらに証明されました。[2]

 国連安全保障理事会がリビア上空に飛行禁止区域を設定した後にトリポリ国際空港(IAP)で立ち往生していた「A340」は、2011年8月に発生した空港をめぐる戦いでは、概ね被害を免れました。この後、反政府軍が首都トリポリを制圧したことは周知のとおりです。反政府軍がトリポリIAPで遭遇した飛行機は、(過去の当ブログで紹介した)リビアが2機保有する「An-124」貨物機のうちの1機だけでなく、カダフィの自家用ジェット機の大部分も含まれていました。[3]

 贅沢をしないふりをしていた割には、彼の専用機は「A340-213(5A-ONE)」1機、「A300-600(5A-IAY、空港の先頭で破壊された)」1機、ダッソー「ファルコン900EX(5A-DCN、近郊のミティガ空軍基地で発見された)」1機で構成されていました。ちなみに、トリポリで発見されたカダフィ専用の高速列車は、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相(当時)から贈られたものでした。これの詳細は過去に取り上げた記事をご一読ください。[4]

 明らかになったカダフィ専用「A340」の内部は、1990年代のリムジンと遜色ない銀灰色の内装でした。それでも、4発機の「A340」はスタイリッシュさに欠けていたものの、豪華さではそれを補って余りあるものがありました。というのも、カダフィとその側近たち、そして女性だけで構成された親衛隊 "アマゾニア"が利用できた、複数のバスルームと2個のシャワー、ジャグジー、革張りのソファと座席が設けられていたからです。

 このような豪勢なことを考えれば、カダフィ大佐、あるいは彼が好んで使った "大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の偉大なる9月1日革命の指導者" が、実際に「A300」を愛用した事実は驚くべきことかもしれません。このことは、彼がすでに「A340」の3人目のオーナーであり、自分でインテリアを決めていなかった事実と大いに関係がありそうです。「A300」も中古機でしたが、こちらは2003年にアブダビ・アミリ・フライト(現プレジデンシャル・フライト)から入手した後にカダフィの好みに合わせて改装されました。[5]

 「A340」がカダフィの手元に渡った経緯については、それ自体が興味をそそるストーリーです。まず、この機体は1996年8月にブルネイのジェフリ・ボルキア皇太子によって発注されたもので、2億5,000万ドル(約378億円)を費やして調達と内部の改装が行われました。[6]

 2億5,000万ドルという額の時点でもすでに巨額ですが、それが彼自身のお金でないことを考えれば余計にそう言えます。(お察しの通り)ジェフリ皇太子にはブルネイの国家予算を不正に流用する悪習があり、国庫から148億ドル(約2.2兆円)を不正に持ち出し、多くの宮殿やヨット、そしてこの「A340」を含む9機以上のプライベート機に費やしたとして非難されていたのです。[7]

 結果として、彼は弟の行動を少しも快く思わなかったブルネイのスルタン(兄のハサナル・ボルキア)によって解任され、全ての所有物を売り払われてしまいました。ジェフリ皇太子が "自分の"「A340」に2億5,000万ドルも費やした僅か3年後に、この飛行機はスルタンによって、世界で最も裕福な人物の一人であるサウジアラビアのアル=ワリード・ビン・タラール・アル・サウード王子にたった9,500万ドル(約140億円)で売却されたわけです。

 手っ取り早く金儲けをしようとした王子は、この飛行機をカダフィに売ろうと試みたものの、それがさらなるスキャンダルを招くことになりました。

ゾッとさせるような1990年代風の銀灰色の内装が施されたカダフィの「A340」

"アフリキヤ・ワン" に備えられたカダフィの(旧ジェフリ・ボルキアの)豪勢な玉座

 アル=ワリード王子が最初に直面した障害は、カダフィ大佐が2001年に初めて「A340」を売り込まれた際に少しも興味を示さなかったことでした。そもそもカダフィは飛行機を用いての移動に熱中していたわけではなかったし、リビアへの制裁と政治的な面での国際的孤立の拡大のため、過去10年以上は海外へ飛ぶことがなかったからです。1970年代と1980年代、まだ世界の多くで歓迎されていた頃の彼が単にリビア航空の「ボーイング707」を使用していたことを踏まえると、専用機には特に興味を示していなかったようです。

 アル=ワリードからすると、「A340」の購入に関心を示す相手がいなかったことが問題となったのは容易に想像できるでしょう。買い手からの関心が乏しかったのは、航空機の内装と外装がいずれも著しく魅力のないものだったことが影響しているかもしれません。ジェフリ皇太子は兄が所有する3機(!)の「A340」とほぼ同様の内装をチョイスしたものの、仕上げは兄が使用した金色ではなく、なぜか銀灰色のものだったことは上述のとおりです。彼はその出来栄えに満足したようで、「A340」の外装も同様に仕上げられました。

ブルネイのジェフリ・ボルキア皇太子が所有していた時代の「A340」:外装もパッとしない銀灰色に固執しているように見える (画像:Konstantin von Wedelstaedt)

 アル=ワリード王子は、カダフィが1億2,000万ドルの空飛ぶリムジンの購入に無関心であることに気後れせず、カダフィと人脈を持つヨルダンのフィクサー:ダード・シャラブに依頼し、カダフィにエアバスを購入するよう説得を試みました。それにもかかわらず、シャラブは彼との会談を実現させるのに1年半近くを要して、ようやく実現したのは2003年1月のことです。[6]

 この会談で、カダフィは最終的にエアバスに興味を示した一方、他にも提示された複数の航空機を検討していると述べました。この数日後、シャラブは王子に連絡を取り、カダフィに「A340」だけでなく、同じく売却しようとしていた「ボーイング767」もチェックしてもらうよう提案しました。こうして2003年4月に両機はリビアへ飛び、王子自身も「A340」に搭乗して売り込みにきたのです。

 結果として、カダフィはエアバスを気に入り、売却の手続きが完了するまで機体をトリポリに留め置くよう要請しました。これは、彼の知らないところで機体に手を加えるなどの行為を防止するための措置という意味合いがあります。

 結局、王子は「ボーイング767」でサウジアラビアに戻りました。この時の彼は、おそらく取引の成功の見込みに満足したことでしょう。

アル=ワリード王子は銀灰色の塗装が「A340」の販売に悪影響を及ぼすと判断し、より美しい "キングダム・グリーン" に変更した:カダフィが初めて目にした「A340」はこの塗装の機体だった

 「A340」の売却価格に関して、どうやら王子とシャラブの間には齟齬があったようです。シャラブは1億3,500万ドル(約200億円)と考えていたのに対し、王子は最高でも1億1,000万ドル(約165億円)と考えていました。[6]

 この価格でも、王子にとっては1,500万ドル(約22億円)の利益を手にすることができます。それにもかかわらず、彼はカダフィを騙して「A340」の価格が実際はもっと高価だと信じ込ませ、「1億3,500万ドルという価格は、私たちがこの機体に要した費用です。これには、購入後に機体に施された多種多様な追加の装備や改造が含まれています」とカダフィに伝え、儲けを増やそうとしたのでした。[6]

 後にこれらの改造について尋ねられた際、王子は実際には「A340」に何もしていないことを認めました。

 騙されていたのはカダフィ大佐だけがではありません:というのも、シャラブは「機体を1億1,000万ドルで売却できたならば、王子がそれ以上の金額を自身に支払うことに同意していた」と主張していたものの、後に王子はこの約束を否定したからです。最終的にシャラブは訴訟を起こし、勝訴しました。2013年にイギリスの裁判所は王子に対して彼女に1,000万ドル(約15億円)の(損害賠償を兼ねる)仲介手数料を支払うよう命じたのでした。[8]

 勝訴のちょうど10年前となる2003年6月、カダフィ大佐との交渉を成功させて1億2,000万ドルでエアバス「A340」を売却したのはシャラブでしたが、隣国エジプトにおける王子の農業プロジェクトに対するリビアからの2,000万ドル(約30億円)の投資を決定させたのも彼女でした。[6]

 機体の代金の支払いは2回に分割して行われ、最初の7,000万ドル(約105億円)は王子に直接支払われる予定になっていました。リビア農業投資公社が、第2回目の出資分として残りの7,000万ドルを拠出し、そのうち2,000万ドルは農業プロジェクトに、残りの5,000万ドルは航空機の代金に充てられる予定だったのです。王子は2003年8月に最初の7,000万ドルを受け取ったものの、航空機購入費用の5,000万ドルと農業プロジェクト用の2,000万ドルの入金は実現しませんでした。

 2004年2月、カダフィの代理として「A340」を運航する予定だったリビアのアフリキヤ航空の会長が、王子の代理と会談しました。この会議の途中で、会長はカダフィが7,000万ドルが適正な価格だと考えており、それ以上の金額を支払うつもりはないと述べています。最近調達した「A300」に加えて長距離用のVIP機を追加する必要性が全くないことを踏まえると、この時点でカダフィが後悔していた可能性があるのではないでしょうか。

 おそらく、彼が「A340」の購入を決断した主な理由は、そのサイズと4基のエンジンという点にあったと思われます。一般の読者からすると、4基のエンジンが持つ重要性をすぐに理解するのは難しいかもしれませんが、一般的に中東の指導者たちが4基のエンジンを搭載した「ボーイング747-400」か、より現代的で大型の「ボーイング747-8」を所有していることをイメージすれば分かるのではないでしょうか。というのも、大型機は、指導者とその国に高い威信を授けてくれるからです。

 かつて「A340」は一流の飛行機と見なされていましたが、トルコとエジプトの両政府は、(「A340」に加えて)より大型の「ボーイング747-8」も導入しています。

アラブ諸国の指導者たちの専用機と比較した際に明らかに見劣っていたため、双発機の「A300」はカダフィに劣等感を抱かせていたのかもしれません。カダフィに「A340」購入を動機づけた要因が、これであった可能性は決して低くはないでしょう。ただし、彼がこの購入で1億2,000万ドルもの大金を出すことについては、明らかに快く思っていませんでした。

「A340」を入手した後も、カダフィは海外へのフライトには双発機の「A300」を頻繁に利用した (画像:Dennis)

 別の億万長者が以前所有していた4発エンジンのプライベートジェット機の価格をめぐって2人の億万長者が口論しているという光景がそれほど面白くないと思っても、この事態はさらに滑稽な展開を繰り広げることになります。

 明らかにカダフィは依然として未払いの5,000万ドルをアル=ワリードに渡す意思はなかった一方で、王子の手には隠し玉がありました。

 「A340」は王子がトリポリを去った2003年4月以来、ずっと駐機されたままでした。しかし、機体をフライアブルな状態に維持するには(通常はヨーロッパで行われる)定期点検を受ける必要があったわけです。こうして2004年3月に、この機体がドイツで定期点検を受ける番となりました。

 リビアの当局者たちは「A340」のトリポリへの帰還を期待していたようですが、驚いたことに、その機体は戻ってくることはありませんでした。跡形もなく消えてしまったかのような状態となったわけです。

 以前、カダフィは王子が2,500万ドルの損失を受け入れて、「A340」の所有権を正式にリビアに移転することを予期していたようですが、今や大佐は「A340」とすでに支払った7,000万ドルを失うことになってしまったのでした。

 カダフィは、消えた飛行機を発見する任務に精鋭のエージェントを投入したに違いありません。なぜなら、未だに「A340」の正式な所有者であるアル=ワリード王子が、ドイツでの整備を完了した同機を彼に黙ってサウジアラビアに戻したことを、すぐに突き止めたことで、大佐が激怒したからです。[6]

 このエスカレートする争いの中に巻き込まれヨルダンの仲介人であるシャラブは、結果的に、飛行機の即時返還か7,000万ドルの払い戻しを求めるカダフィの要求を伝えることしかできませんでした。飛行機がサウジアラビアでの駐機中に不正に改造された可能性があることを察知したカダフィは、その後、取引の完全なキャンセルを決定しました。これに対して、(王子は)エアバスの取引はキャンセルするものの、補償金として7,000万ドルを支払う意向を表明しました。文字どおり、アル=ワリード王子は大佐よりも上手に立ち回ったわけです。[6]

 これまでのカダフィは、他国への徹底的な侵攻によって紛争を解決しようとしてきましたが、サウジアラビアとの国境を接していない上にリビア軍も機能していなかったため、この選択肢は実現不可能なものでした。つまり、王子が「A340」と7,000万ドルの両方を掌握した時点で、カダフィに残された手段はなくなってしまったのです。

 状況の行き詰まりから3か月後、シャラブはアル=ワリードとカダフィがトリポリでの直接会談を手配することで、事態の打開を計画しました。結局、彼女はこのプランを通じて少なくとも1,000万ドルの報酬を得ることになったわけですが、そう簡単にはいかなかったことを後で触れます。

 復讐のためにカダフィが王子の自家用機を押収するリスクを回避するため、王子はチャーター機でリビアに向かいました。その後、王子とカダフィの公開の会談が行われ、大佐は最終的に未払いの5,000万ドルを支払う意向を表明しました。[6]

 しかし、その翌日の会合で詳細を話し合った際、リビア側はまたしても決定を覆して再び7,000万ドルの返還を求める事態に展開したのです。カダフィとの非常に長期に渡る話し合いに耐え、この取引を解決するためにトリポリに赴いたアル=ワリード王子は、この突然の展開に不愉快だったに違いありません。しかし、結局はリビア側が譲歩して、飛行機の購入を進めることに同意しました。[6]

 王子の農業プロジェクトに対する2,000万ドルの投資はもはや議題から消えたものの、リビアは未払いの5,000万ドルを支払って遂に飛行機の所有権を得ることで決着がつきました。ただし、終わりにはまだ時間がかかります。この新たな契約は9月に王子によって署名されたものの、リビア側が署名をするのにそこから6か月、実際に王子に代金を支払うまでにさらに6か月を要したことも触れておかなければなりません。

 2006年9月、カダフィの手にようやく飛行機の所有権が渡り、3年半を費やした1億2,000万ドルの取引がやっと完了しました!

 王子はこの売却で2,500万ドルの利益を得ました。ただし、話はこれで終わりません。というのも、シャラブが1,000万ドルの仲介手数料を自分に支払うべきだと主張したからです。不思議なことに、今回その支払いを拒否したのは(カダフィの支払い拒否に苦しめられた)王子でした。[8]

新たなカラーリングを施された「A340 "5A-ONE"」 : ジェフリ皇太子が使用していた銀灰色よりも、この白と黒の配色の方がより視覚的に引き立つ

 しかし、この時期のシャラブにとって最大の心配事は、王子の不払い支払いではありませんでした。なぜなら、彼女は(ヨルダン国籍保有者にもかかわらず)どうやらカダフィの怒りを買ったらしく、そのためにトリポリで軟禁状態に置かれていたからです。[9]

 彼女が自宅軟禁に追いやられた理由は、カダフィの被害妄想でしかなかったようです。彼は、シャラブがヨルダンのアブドラ2世とエジプト大統領のホスニイ・ムバラクと共謀して自分を失脚させようと画策していると非難しました。彼の主張は次のとおりです:「私は、お前の王がエジプトの大統領と一緒になって、私に対して何を企てているかを知っているぞ」。[9]

 これらの疑惑に対する自己弁護の機会を認められなかった彼女は、2011年のリビア革命で反体制派に解放されるまで、トリポリで21か月間のも及ぶ軟禁に耐えなければならなかったのです。

 解放後、彼女はアル=ワリード王子に対する1,000万ドルの要求を続け、最終的に2013年7月にイギリスの裁判所で損害賠償(兼仲介手数料)の請求が認められました。[8]

2011年、反体制派の戦闘員が "アフリキヤ・ワン" の魅力的な内装について熟考している

 2006年にカダフィに売却された後、「A340」はドイツのルフトハンザ・テクニークで再塗装を施されました。以前にカダフィの「A300」で行われたのと同様に、彼が本当に民間の旅客機で移動しているかのような虚偽のイメージを与えるため、「A340」はアフリキヤ航空のカラーで飾られたのです。

 目立つように表示された9.9.99のロゴは、アフリカ連合の設立を呼びかけた1999年9月9日のシルテ宣言の署名日を記念したものです。この 「9.9.99」 という日付は、少なくとも2012年までは)アフリキヤ航空の機体カラーの大部分を占めており、カダフィのアフリカに対する新たに生じた親近感を象徴していました。

 1970年代に自分の指導の下でアラブ諸国を統一しようとして失敗した後、カダフィは1990年代後半から2000年代にかけて新たにアフリカへの取り組みを開始し、アフリカ連合を土台にして、自らを将来のアフリカ合衆国の指導者に位置づけようとしたわけです。

 ところが、アフリカのほぼ全ての指導者たちがカダフィの提案から静かに距離を置くようになり、アフリカ連合はカダフィの議長在任中、彼を事実上の孤立に追いやってしまいました。このため、カダフィはAUや別のアフリカの構想に資金を投入したことを後悔するようになります。「議長が持つ権力がこんなに小さいことを事前に知っていたら、私はこの仕事を拒否していただろう」と述べる有様でした。[10]

 アフリカをテーマにしたアフリキヤ航空のカラーリングの背後にあった意図は別として、「A340」の "9.9.99 " の塗装が極めて際立っていたことは否定できません。

2009年6月、イタリアへの公式訪問で "アフリキヤ・ワン" を降りた直後、軍服姿で演奏されるリビアの国歌に敬礼するカダフィ:シルテ宣言を記念した "リビア-アフリカ 9.9.99" のマーキングにも注目

 機体の外観には新たな塗装が施された一方で、カダフィは内装を一切変更しないことを選択しました。この決定については、彼がこの飛行機を入手するまでにすでに3年半もかかっており、これ以上就役を遅れさせたくなかったという事実が影響しているのでしょう。もしくは、カダフィの嗜好がジェフリ王子と一致したのかもしれません。

 いずれにせよ、外観は型破りだったものの、内装はカダフィ大佐が望むだけの豪華さを備えており、ジャグジーなどの設備や  "革命の尼僧" や "アマゾニアン・ガード" として知られる女性だけで構成された護衛部隊員用の座席も十分に完備されていました。

 この「A340」については、2006年から2011年にかけて何度もカダフィを乗せて海外と行き来したことが知られています。

 リビア革命で、カダフィがベネズエラやジンバブエに脱出するために「A340」を使用するという憶測が流れたにもかかわらず、国連が飛行禁止区域を設定するまで彼はリビアに留まり続けました。こうして、事実上最後の脱出ルートが絶たれてしまったのです。

 その後、カダフィは2011年10月に殺害されるという悲惨な運命を迎えました。

"アフリキヤ・ワン" のカダフィ専用ベッド

殺風景な座席:これらは大佐の女性ボディーガート部隊用だ

 同じ空港にあったカダフィの「A300」が完全に破壊されたのとは対照的に、幸いなことに「A340」はリビア革命からほぼ無傷で生き延びることができました。

フランスで修理を受けた後、新しい塗装を施されたこのエアバスは、リビア新政府のVIP機として一時的に使用された記録があります。ところが、リビアの治安情勢が悪化したため、「A340」は2014年にフランスに再び移送されてしまいました。その後、同機はさまざまな法的紛争に巻き込まれたため、2021年までフランスで駐機状態に置かれることになったのです。もちろん、駐機も無料ではなく、1日につき1,200ドル(約18万円)の費用がかかりました。[11]

 こうした法廷闘争については、カダフィの債務不履行を理由に同機を押収を図ろうとする多国籍企業の試みもあったようです。しかしながら、フランスの高等裁判所は、同機は主権免除を享受しており、差し押さえできないとの判決を下しました。[11]

 ただし、「A340」を押収しようとしたのは多国籍企業だけではありません。国内で分裂したトリポリ政府(暫定国民統一政府:GNU)とトブルク政府(GNS/LNA)も同機の所有権を主張していたからです。結局は、国際的に承認されたトリポリ政府が同機の所有権を確保することに成功し、2021年6月に同機を手に入れました。

新しいカラーリングの「A340」:この画像は2014年から2021年までフランスに駐機していた際に撮影された

 今回紹介した「A340」の歴史は、当初の目的から、その後のカダフィへの売却、そしてリビアでの就航に至るまで、スキャンダルに満ちています。ただし、長年にわたって変わらなかったものがあります:センスに欠けたインテリアです。この飛行機は駐機していた空港での戦闘に耐え、差し押さえを試みる企業・組織・個人による法的紛争に何度も直面したものの、最終的にはこれらの試練を乗り切ったのです。

 「A340」は27年の歴史の中で初めて、選挙で選ばれた政府首脳を乗せて飛行します。これは、億万長者や独裁者に仕えるという今までの役目から脱却するものと言えます。波乱に満ちた過去があったにせよ、「A340」がこれ以上の論争や衝突に出会うことなく、これからもずっと空を優雅に飛び続けてくれることを願うばかりです。

2021年6月、(1日に1,200ドルの駐機代を支払わなければならなかった)フランスから戻った「A340」の前でポーズをとるアブドゥル・ハミド・ムハンマド・ドベイバ暫定国民統一政府首相

[1] Poverty persists in Libya despite oil riches https://www.thenationalnews.com/world/africa/poverty-persists-in-libya-despite-oil-riches-1.384738
[2] Libya Conflict: Inside Colonel Gaddafi's Private Jet https://youtu.be/cysf9zT6Hso
[3] Giants Of The Skies - The An-124 In Libyan Service https://www.oryxspioenkop.com/2020/09/an-124-article.html
[4] This Was Gaddafi’s Personal Italian High-Speed Train https://www.oryxspioenkop.com/2021/02/this-was-gaddafis-personal-italian-high.html
[5] 5A-IAY Afriqiyah Airways Airbus A300-600 https://www.planespotters.net/airframe/airbus-a300-600-5a-iay-afriqiyah-airways/l3wn53
[6] Selling a VIP business jet to Colonel Gaddafi https://www.corporatejetinvestor.com/news/selling-a-vip-business-jet-to-muammar-gadafi/
[7] How The Playboy Prince Of Brunei Blew Through $14.8 Billion https://www.businessinsider.com/prince-jefri-brunei-spending-habits-2011-6
[8] Billionaire Saudi prince loses UK court battle over Gaddafi jet https://www.reuters.com/article/uk-britain-saudi-gaddafi-idUKBRE96U0G920130731
[9] Colonel Muammar Gaddafi memoir author: ‘Judge him for yourself’ https://www.thenational.scot/news/19652822.colonel-muammar-gaddafi-memoir-author-judge-yourself/
[10] Why Gaddafi Is Unhappy https://youtu.be/cjBGn8TVUT8?si=dzEoUiAUcQfF_Shb
[11] Qaddafi’s former Presidential plane returns to Libya – end of a saga https://libyaherald.com/2021/06/qaddafis-former-presidential-plane-returns-to-libya-end-of-a-saga/

ヘッダー画像: Joan Martorell

2025年に改訂・分冊版が発売予定です(英語版)

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2025年2月8日土曜日

贅沢への渇望:ヤヒヤ・ジャメのカー・コレクション(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 この記事は、2022年12月27日に本ブログのオリジナル(本国版)である「Oryx-Blog(英語)」で公開された記事を翻訳したものです(編訳者は一覧の精査には関与していません)。 意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。

 西洋医学では喘息を治療できないと言われていますが、私は5分で治療できるのです:ヤヒヤ・ジャメ

 国外に追放されたガンビアのヤヒヤ・ジャメ元大統領は、(在任中に)アフリカ大陸で最小の国の元首にしてアフリカ大陸最大のVIP専用機と高級車コレクションを所有するという好奇心をそそる名誉を誇っていました。彼がこういった偉業を成し遂げた時点で、自国は国民の半数が1日2ドル以下で生活しているという、世界で最も貧しい国の一つという有り様でした。[1]

 22年間という長期の在任期間中、ジャメは国営企業から数千万ドルを横領し、さらに国の年金基金で自家用ジェット機を購入したことが知られています。[2]

 1994年のクーデターによる政権奪取から2017年の失脚までの間、彼は不正に得た富の多くを高級車や自家用ジェット機、宮殿に費やしたのです。

 セネガルとの国境に近いカニライという僻地の村に生まれたジャメは、この村を自らの支配力とイメージの象徴とすべく、かつての故郷を自身の本拠地へと拡大する大規模なプロジェクトを実行に移しました。これには、大統領官邸、家族や熱烈な支持者のための住居、高級ホテル、モスク、私設動物園、そしてなぜかレスリング競技場の建設が含まれていました。[3]

 その広大な敷地は、「T-54」戦車や「BRDM-2」偵察車、「ZU-23」23mm対空機関砲で武装した軍によって厳重に警備されていました。この私兵は、彼が7台所有する「ハマーH2(SUT)」リムジンのうちの1台で国を駆け巡る、悪名高いドライブにも同行しています。

 ジャメは2017年の選挙で敗北後、潔く辞任するどころか、対立候補の勝利を認めない状態を可能な限り長引かせ、(成功裏に)国庫を空にし、赤道ギニアへの亡命前に一台でも多くの車を国外に空輸しようと試みました。実際、ジャメの国外退去を促す取引が成立したのは、アダマ・バロウ新大統領がジャメの愛車13台の所有とそれらを赤道ギニアにある亡命先の自宅まで持ち出すことを保証した後だったのです![4]

 ちなみに、ジャメの敗因は、自分が簡単に勝てると思い込んでいたため不正を働かなかったことにあります。

 赤道ギニアに旅立った後のジャンメがHIV/AIDSと喘息、そして不妊症の患者を治療する治療師としての活動を続けているかどうかは不明です。彼が残した数少ない永続的なレガシーと言えるのは、宮殿から宮殿への移動を容易にするためガンビア各地に建設した舗装道路かもしれません。

 2017年に当局が国内各地にあるジャメの資産を捜索したところ、プライベートでの使用や警備のために所有する100台以上の車両に遭遇しました。 [5]

 ちなみに、全ての車のシートには、「シャイフ・プロフェッサー・アルハジ・ドクター・ヤヒヤ・アブドゥル=アズィーズ・アワル・ジェムス・ジュンクング・ジャメ・ナーシル・ディーン・バビリ・マンサ閣下」と彼のネームが入っていました

ジャメの亡命後に、13台の彼の高級車たちが赤道ギニアへの空輸を待っている様子

 ジャメが所有した車の大部分は、アメリカ、ドイツ、イギリスから調達したものでした。

 彼はメルセデス・ベンツ「Sクラス」やロールス・ロイス「ファントム」に目がなかったようですが、ハマー「H2(SUT)」リムジンほどお気に入りの車種はなかったようと見受けられます。彼が数年にわたって合計で7台のハマー「H2」リムジンを購入したことからも、その度合いを察することができるのではないでしょうか。7台のうちの2台は、2008年にリビアのムアンマル・カダフィがガンビアを訪問した際に100台超の車列にいたことが記録されています。この時、皮肉にもカダフィはアメリカ主義の見本のような車の席に座ったのでした。[6]

 また、ジャメは国家承認を台湾から中国に切り替えた後、同国から贈呈された長城汽車「哈弗・派 (ホバー・ピ)」リムジンも2台所有していました。

 ところで、ジャメは本格的なスポーツカーを購入したことはありません。ガンビアの地では一般的にスポーツカーの使用には適していないからです。その穴を埋め合わせるためか、ジャメはジョージアから「Su-25」対地攻撃機を購入し、パレードで観衆を喜ばせるために使用しました(これは彼がパイロットを解雇するまでの話であり、その後に同攻撃機は放棄される運命を迎えました)。[7]

 ジャメは、常軌を逸した行動と意思決定でよく知られている人物です。選挙で敗北した後、彼は国営テレビの生中継で勝者のバロウに勝利を祝福する電話をかけ、バロウの当選は「アッラーのご意志」であると宣言しました。[8]

 ところが、その数日後に彼は再び国営テレビに出演し、今度は「選挙結果を全面的に認めません。したがって、この選挙は完全に無効となります。」という声明を発表したのです。[9]

 運命の巡り合わせか、ジャメは平和的な政権移譲に同意したものの、それは国庫を空にし、13台の車を引き続き所有できるという保証を得た後のことでした。これらが実際に空輸されたかどうかは未確認のままですが、チャド政府の「C-130H-30」が少なくとも3機を空輸したと考えられています。[10]

 ジャメが国外へ去った後、ガンビアの新政権は少なくとも1,000万ドル(約15億円)を回収するという期待を抱いて、彼の車30台と全航空機を売りに出しました。(2018年にパプアニューギニアが40台のマセラティを激安価格で売ろうとしたことが証明しているように)このような荒れ果てた場所から最新の車を販売することは困難を極めたようで、ジャムの車が実際に販売されたかどうかは分かっていません。[11]

 ヤヒヤ・ジャメ... かつて「10億年は国を統治できる」や「アッラーがそう仰らない限り」職を辞することはないと豪語した男は、結局、愛する高級車13台を引き続き所有できることと引き換えに、国外追放に応じました。[10] [11]

 前代未聞の不名誉としか言いようのない、これ以上の恥ずべき統治の終わり方は世界のどこにも存在しないでしょう。 唯一の救いは、ジャメの贅沢への渇望が、ガンビアの人々を血なまぐさい内戦の危機から免れさせることができた点でしょう。彼の統治を特徴づけていた狂気はさておき、人びとが支配者の行き過ぎた行為よりも国民の繁栄が評価される体制の構築に向かって前進していくことを心から願うばかりです。

  1. 下の一覧は、2017年の失脚時におけるヤヒヤ・ジャメの愛車などを調査することを目的に作成されたものです。
  2. この一覧には、ジャメ個人の車のみを掲載しています。彼の全行動(あるいはドライブ)を警護する大規模な警備部隊が使用する車は含まれていません。これらも含めると、彼とその側近たちが使用する高級車の数は150台を軽く超えるでしょう。
  3. 各車両等の名称に続く数字をクリックすると、当該車両類の画像を見ることができます。

自動車 (最低でも 44)
  • 5 ハマー H2 リムジン: (1) (2 と 3) (4 と 5)
  • 2 ハマー H2 SUT リムジン: (1) (2)
  • 2 ハマー H2 : (1) (2)
  • 1 キャデラック エスカレードESV リムジン: (1)
  • 2 キャデラック エスカレードESV: (1) (2)
  • 3 リンカーン タウンカー リムジン: (1 と 2) (3)
  • 2 長城汽車 哈弗・派 : (1) (2)
  • 1 インフィニティ QX56 : (1)
  • 1 レクサス LX 570: (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ Eクラス (W211): (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ Sクラス (W126): (1)
  • 1 メルセデス・ベンツ Sクラス (W220): (1)
  • 2 メルセデス・ベンツ Sクラス (W221): (1) (2)
  • 2 メルセデス・ベンツ Sクラス (W222): (1) (2)
  • 1 メルセデス・ベンツ Gクラス : (1)
  • 2 BMW 5シリーズ (E60): (1) (2)
  • 1 BMW 7シリーズ (G12): (1)
  • 1 BMW X6 (E71): (1)
  • 1 ミニ クーパーS・コンバーチブル(R57): (1)
  • 7 ロールス・ロイス ファントム VII: (1) (2, 3, 4 と 5) (6) (7)
  • 2 ベントレー ミュルザンヌ : (1) (2)
  • 1 ランドローバー レンジローバー (L322): (1)
  • 1 ランドローバー レンジローバー (L405): (1)
  • 1 ランドローバー レンジローバー・イヴォーク: (1)
  • ジャメ専用や彼の警備部隊用に数十台の トヨタ ランドクルーザー日産 パトロールキャデラック エスカレードESV の存在も確認されている

バイク (3)
  • 1 ハーレーダビッドソン MT500: (1)
  • 2 形式不明のバイク: (1と 2)

航空機 (8)

ガンビアから旅立つ際にロールス・ロイス「ファントムⅥ」から降車するガンビアからヤヒヤ・ジャメ:彼は今でも赤道ギニアで生活している

[1] COVID-19 Elevated Poverty in The Gambia https://www.worldbank.org/en/news/press-release/2022/11/09/covid-19-elevated-poverty-in-the-gambia
[2] New claims over scale of ex-Gambian leader's theft from state coffers https://www.theguardian.com/world/2017/feb/23/the-gambia-debt-theft-mismanagement-jammeh-allegations
[3] Gambia searches Jammeh's palaces for missing millions https://www.reuters.com/article/us-gambia-politics-assets-idUSKBN19Y274
[4] Gambia's Yahya Jammeh 'allowed to keep' luxury car collection https://www.hiiraan.com/news4/2017/Jan/140042/gambia_s_yahya_jammeh_allowed_to_keep_luxury_car_collection.aspx
[5] Janneh Commission members inspect Jammeh’s vehicles https://www.allgambianews.com/2017/10/27/janneh-commission-members-inspect-jammehs-vehicles/
[6] Gaddafi's Arrival in the Gambia https://youtu.be/fK52c4K-ekA?t=330
[7] African MiGs Volume 1: Angola to Ivory Coast https://www.harpia-publishing.com/galleries/AfrM1/index.html
[8]Yahya Jammeh rejects election outcome days after conceding to Adama Barrow https://youtu.be/EZXpiTGCw1M?t=43
[9] Yahya Jammeh rejects election outcome days after conceding to Adama Barrow https://youtu.be/EZXpiTGCw1M?t=17
[10] Gambia Got Robbed: Jammeh’s Cars Being Loaded Into An Awaiting Cargo Plane - Photos https://www.gistmania.com/talk/topic,323209.0.html
[11] PNG admits Maserati purchase was ‘terrible mistake’ as they go on sale at discounted price https://www.theguardian.com/world/2021/oct/01/png-admits-maserati-purchase-was-terrible-mistake-as-they-go-on-sale-at-discounted-price
[12] Gambia's Jammeh loses to Adama Barrow in shock election result https://www.bbc.com/news/world-africa-38183906
[13] Gambia's Yahya Jammeh won't step down https://youtu.be/oVt5HkNCal8

2025年前半に改訂・分冊版が発売予定です

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2022年2月11日金曜日

「大空の巨神」の復活なるか?:トルコが「An-225 "ムリヤ"」2番機の完成を提起した



著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 近年にウクライナとトルコの間で協議されている航空宇宙関連の協力の中でも間違いなく最も興味を引くものは、世界最大の貨物機「An-225 "ムリヤ"」の2番機を完成させる可能性が含まれていることでしょう。

 「An-225」に対するトルコの関心については、2020年10月にウクライナのゼレンスキー大統領がアンカラを訪問した際、エルドアン大統領が同機を完成させるというアイデアを提起したことで初めて報じられました。[1]

 それ以降にこのプランに関する続報を全く聞きませんが、トルコの関与が最終的に2機目の「An-225」を完成・就役させるための刺激と資金をもたらす突破口となることを意味する可能性があります。

 外国のパートナーの協力を得て2機目の「An-225」を 完成させるというアイデアが最初に持ち上がったのは、中国が同機を商業衛星を軌道に乗せるために用いるプラットフォーム用に開発することに関心を示した2011年のことでした。[2] [3]

 このプロジェクトの第1段階ではウクライナのキエフ郊外にある「アントノフ」社の施設に保管されている2機目の機体を完成させ、第2段階では中国で「An-225」の生産を再開させることになっていました。しかし、高額なコストがこの野心的なアイデアの運命を決定づけて、最終的には密かに放棄されたようです。[4] [5]

 2021年、「オボロンプロム(アントノフ社の親会社)」社が、2番機の製造プロジェクトの始動を手助けしてくれる外国人投資家を依然として探し求めていることが公表されました。その際に「ウクルオボロンプロム」社のユーリー・フシェウCEOは、「現時点におけるウクライナの航空機開発については、いくつかの国と活発な協議を行っているところです」と述べています。

 多数あるウクライナ機のさらなる開発に関心を持つ国の1つがトルコであることは周知の事実であり、同国はこれまでに2種類の「アントノフ」製航空機:「An-178」「An-188」軍用輸送機に公然と興味を示してきました。[6] [7]

 最初に生産された「An-225(UR-82060)」は、1988年12月に「ブラン」宇宙往還機用の超重量級輸送機として初飛行しました(この際には「ブラン」を背部に搭載して飛行に挑みました)。「An-225」は2機が発注されたものの、ソ連崩壊前に1機しか完成しませんでした。

 今日、「An-225」は250トン近い貨物を輸送することができる、世界で最重量かつ(幅以外では)最大の航空機の座にとどまっています。

 完成した唯一の「ムリヤ」は、「An-124」を含む大型貨物機を運航するアントノフ航空によって運航されています。

「ブラン」を背負い式で搭載した「An-225」

 唯一完成した「An-225」は1991年のソ連崩壊時にウクライナ・ソビエト社会主義共和国内にあったため、新たに共和国として独立したウクライナの管轄下に入りましたが、1993年に(現在のロシアによる)「ブラン計画」が中止されたため、同機が「ブラン」を搭載するいう本来の用途をすぐに失ってしまったことは周知のとおりです。

 1994年、「An-225」1番機はキエフの「アントノフ航空機工場」に長期保管という事実上の放置状態に置かれ、2番機も機体の70%が完成した後に製造作業が突如として中断されてしまいました。[8]

 1990年代後半になると、「An-225」のような大型貨物機の需要が再び生じたことから、保管機は2001年に現役復帰に返り咲きました(注:残念ながら、2022年2月にロシア軍の攻撃で破壊されてしまいました)。[8]

 同時期に2機目を完成させる計画が浮上し始めて2006年に製造の再開が決定されましたが、2009年末になっても機体の製造は依然として再開しておらず、計画は放棄されたように思われました。[9]

 しかし、その後の2011年5月、「アントノフ」社のCEOは、「利害関係者が少なくとも3億ドル(約345億円)を用意したならば、2機目の『An-225』を3年以内に完成させることができる」旨を述べ、構想がいまだに生きていることを示しました。[9]

 2016年の時点で、中国航空工業公司はこれらの費用を負担する用意があったと言われていますが、その後に関心を失ったようです。[5]

 中国は長い間にわたってウクライナの航空産業が生み出した成果を享受してきました。

 1990年代にウクライナは2機の「Su-33」と1機の「Su-25UTG」艦載機を中国に売却し、中国の前者に対する詳細に及ぶ研究は結果的に「J-15」艦載機の誕生に至らせたことはよく知られています。[10]

 より最近の事例ですと、中国が巧妙な手口で世界最大の航空機・ヘリコプター用エンジン製造企業である「モトールシーチ」社の企業支配権の獲得を試みましたが、この買収劇は最終的にアメリカによる圧力を受けたウクライナ政府によって阻止されたことがありました。[11]



 2機目の「An-225」が完成した場合、同機が大型貨物の国際輸送で利益をもたらすことは確実でしょうが、完成させるために要する3億ドルの費用は決して事業面で真の利益を出させないことを意味する可能性があります。

 このリスクはアントノフの現CEOであるオレクサンドル・ドネツ氏によって認められ、2019年に「これは非常に高価なプロジェクトです。設計やエンジニアリング作業、新しい資機材の調達、そして機体の認証にかかる費用は数百億ドルにのぼるでしょう。このようなプロジェクトは航空宇宙プログラムでは有効かもしれませんが、民間航空輸送は別です。
」と述べています。 [12]

 このことは、なぜトルコが2機目の「An-225」の完成に関心を示したのかという疑問をもたらします。

トルコは同機を単に相当な利益を上げることを目的とした商業資産として運用するのではなく、(おそらくアントノフとの共同事業によって)国内外にトルコの力と威信を示すことを意図したステータスのシンボルとしての役目を務めることもあり得まると思われます。

 トルコは国際政治においてますます重要な当事者として浮上しており、積極的な国際的役割の請負とそれに伴う政治的な影響力を強めています。「An-225」は特大型の積載物や人道支援物資などを地球上のどこにでも届けることができるため、将来的には新興する大国としてのトルコの地位を再確認させる飛行機になるかもしれません。




 「An-225」級の大型機に関連する高いコストのおかげで、ウクライナは2機目の「ムリヤ」を完成させることを断念していました。

 「モトールシーチ事件」後に中国からの資本投資がなされる可能性が起こりえないものとなったため、「アントノフ」社は2番機の「ムリヤ」を完成させるために別のパートナーを探す必要があるでしょう。

 ここでトルコが登場するかもしれません。トルコは国際政治における急成長している新興国であり、困難なプロジェクトを実現させた確かな実績があります。

 「An-225」を運用することのメリットが最終的に完成に要するコストを上回るかどうかは、トルコ政府の判断次第です。ひょっとすると、「An-225」がトルコの大統領専用機と同じカラーリングを施され、世界中の各地で権力と影響力を誇示する使節、ステータスシンボルとしてその役割を果たす日がやってくるかもしれません。



[1] Turkey interested in completing An-225 Mriya – Dpty PM https://en.interfax.com.ua/news/general/698799.html
[2] Antonov Sells Dormant An-225 Heavylifter Program to China https://www.ainonline.com/aviation-news/defense/2016-09-06/antonov-sells-dormant-225-heavylifter-program-china
[3] Chinese aero group eyes world’s largest plane https://asiatimes.com/2019/07/chinese-aero-group-eyes-worlds-largest-plane/
[4] Ukraine mulling to complete the second Antonov An-225 Mriya https://www.aerotime.aero/27146-second-an225-potential
[5] UkrOboronProm seeks investments to complete second Mriya aircraft https://www.kyivpost.com/ukraine-politics/ukroboronprom-seeks-investments-to-complete-second-mriya-aircraft.html
[6] Ukraine: Aviation firm Antonov aims to work with Turkey https://www.aa.com.tr/en/economy/ukraine-aviation-firm-antonov-aims-to-work-with-turkey/1965437
[7] ANTONOV Presents its Advanced Programs in Turkey https://www.defenceturkey.com/en/content/antonov-presents-its-advanced-programs-in-turkey-3002
[8] UR-82060 https://avia-dejavu.net/UR-82060.htm
[9] Why Wasn’t The Second Antonov An-225 Finished? https://simpleflying.com/second-antonov-an-225-finished/
[10] Black Sea Hunters: Bayraktar TB2s Join The Ukrainian Navy https://www.oryxspioenkop.com/2021/08/black-sea-hunters-bayraktar-tb2s-in.html
[11] Pandora Papers: How A U.S. Law Firm Attemped To Sell A Defence Giant To China https://www.oryxspioenkop.com/2021/11/pandora-papers-how-us-law-firm-attemped.html
[12] Президент ГП "Антонов" Александр Донец: Мы должны вернуться к тому, что умеем делать очень хорошо – к грузовым, военным самолетам. Это у нас всегда получалось https://www.unian.net/economics/transport/10531239-prezident-gp-antonov-aleksandr-donec-my-dolzhny-vernutsya-k-tomu-chto-umeem-delat-ochen-horosho-k-gruzovym-voennym-samoletam-eto-u-nas-vsegda-poluchalos.html

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。



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