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2023年10月24日火曜日

極彩色の鉄騎兵:トルクメニスタンのオトカ「ウラル」と「コブラ」歩兵機動車



著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 「オトカ」社製「コブラ」は、世界で最も成功した歩兵機動車(IMV)の1つであり、1997年に誕生して以来、約20カ国以上に輸出されています。

 さらにオリジナルの車体のフォローアップを図った改良型の「コブラII」も開発され、4カ国で採用されました。

 また、「オトカ」社はさまざまな大型AFVも設計しており、その中でも「アルマ」装甲兵員輸送車(APC)と「タルパー」歩兵戦闘車(IFV)は間違いなく最も知られた存在となっています。

 2010年代半ばのどこかの時点で、「コブラ」が同じく「オトカ製」の「ウラル」と一緒にトルクメニスタンへ輸出されたことは全く知られていません。どちらもトルクメニスタン軍で運用に入ることはなく、「ウラル」は内務省に引き渡され、国境警備隊は「コブラⅠ」の全部ではないにしてもその大部分を配備することに至りました。

 「ウラル」IMVの奇抜な迷彩パターンは明らかにどんな地形においても自身の被発見率の低下に少しも寄与しませんが、この国の治安部隊の車両として運用されていることを考慮すると、この塗装は実際に意図して施されたものと言えるでしょう。それでもなお、キューポラに搭載された「NSV」12.7mm重機関銃(HMG)は、内務省が予備的な戦闘任務も負っていることを明確に示しています。

 トルクメニスタンに納入された100台以上の「コブラ」は、その運用キャリアを通して(頻繁に変更されることで知られている)数種類の迷彩パターンが目撃されています。[1]

 最も新しい迷彩パターンは、2021年9月に実施された独立30周年記念の軍事パレードで見られたものです。はるかに大きなピクセルやドットが用いられていますが、トルクメニスタン陸軍の兵士が着用する迷彩服のパターンとほぼ同じものとなっています。

 確かに「ウラル」に施されたものよりは華々しくはありませんが、実用的な迷彩パターンとしてはより効果的であることは間違いありません。

国境警備隊の「コブラⅠ」IMV(2021年9月にアシガバートで実施された軍事パレードにて)

 トルクメニスタンのIMVの大部分は遠隔操作式銃架(RWS)を装備しており、「コブラⅠ」も同様に装備されています。

 実際、通常の重機関銃付きキューポラを装備した「コブラⅠ」はトルクメニスタンでたった一度しか目撃されていません。このキューポラは防楯が追加された「M2」12.7mm HMGもので構成されていましたが、一見すると前方からの銃撃に対する防御力は僅かしかなかったようです(注:防楯が薄すぎて装甲としての機能を期待できない)。


 トルクメニスタンが保有する「コブラ」のほとんどは「NSV」12.7mm HMGを装着したイスラエルのIMI製「ウェーブ300」RWSで武装されていますが、前述の貧弱なキューポラの存在を踏まえると、これらが国内で改修されたと考えるのが理にかなっているように思われます。

「ウェーブ300」RWSを装備した「コブラⅠ」

 「オトカ」製「ウラル」が内務省で運用される上での最も妥当な用途は群衆整理ですが、最大7人の治安部隊員の高速移動手段としても機能します。

 「コブラ」も同様に、運転手と指揮官に加えて最大で7人の国境警備員を乗車させることが可能です。

 どちちらのIMVにも、必要な時に素早く乗降できるようにするための後部ドアが設けられています。さらに、「コブラ」には兵員用の側面ドアと天井ハッチも備えられているため、被弾時や炎上時に脱出する機会を大幅に向上させています。

 トルクメニスタンで運用されている大部分のIMVとは異なり、「ウラル」と「コブラ」の双方には、フロントガラスを破損させて運転手の視界を悪化させる可能性のある投石やその他の破片から窓ガラスを保護する金網を備えています。

 通常兵器で武装した敵に対処する場合における両車の装甲防御力については、小火器と砲弾の破片から乗員を防護するには十分であり、限定的ながらも対人・対戦車地雷やIEDから保護する能力も備わっています。[2] [3]



 「オトカ」社は、トルクメニスタンを含む世界各国でIMVの著しい商業的な成功を収めています。

 最近のトルクメニスタンは新しい武器や装備の導入によって軍の能力をさらに向上させる用意が整っているようですので、もしかすると、将来的にさらに多くの「オトカ」製品が導入される状況を目にする日が訪れるかもしれません。

 現在のトルクメニスタンはソ連から引き継いだ大量の「BTR-80」APCと「BMP-2」IFVを運用していますが、それらの後継として、「オトカ」社が将来的に自社製の「アルマ」や「タルパー」をこの国に売り込むことは間違いないでしょう(注:2023年10月にエストニア防衛投資センターが「オトカ(6x6型)」とヌロル社製「NMS」を発注したことを明らかにしました)。

「コブラⅡ」IMV(左)と「アルマ 8x8」IFV(右)

[1] SIPRI Trade Registers https://armstrade.sipri.org/armstrade/page/trade_register.php
[2] Cobra 4x4 Armored https://defense.otokar.com.tr/wheeled-armored/4x4-armored/cobra-4x4-armored
[3] Ural 4x4 Armored https://defense.otokar.com.tr/wheeled-armored/4x4-armored/ural-4x4-armored

この記事の作成にあたり、Sonny Butterworth氏に感謝を申し上げます。

※  この記事は、2022年1月15日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した  
  ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇
  所があります。 



2023年8月8日火曜日

ロシアの戦争:2008年南オセチア戦争でジョージアとロシアが損失した兵器類(一覧)


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 2008年8月、(ジョージア領内における分離独立地域の南オセチアとアブハジアの軍隊を含む)ロシア軍とジョージアとの間で5日間という短さの戦争がありました。

 1992年の停戦合意があるにもかかわらず、8月1日に南オセチア軍がジョージアへの砲撃を開始したことを受けたジョージアが8月7日に軍を南オセチアの支配領域に投入し、その州都であるツヒンヴァリ市の大部分を制圧したのです(注:8月7日の戦争勃発の契機となったのは南オセチアによる砲撃とされているが、ロシア軍の侵攻を引き起こしたのはジョージア軍の攻撃によるもの)。

 この制圧を受け、ロシアは南オセチアに代わって参戦する口実としてジョージアによる「ジェノサイド」を非難し、8月8日にジョージアへの陸・空・海の全面的な侵攻を開始しました。

 ロシアの侵攻は混沌としていたものの、何とかしてジョージア軍を完全に圧倒することに成功しました。なぜならば、大部分のジョージア軍部隊は2022年に侵攻を受けた際のウクライナ軍の戦いぶりとは大きく異なり、数多くの車両や兵器を無傷のまま放置してロシアの進撃より先に逃走してしまったからです。

 この軍事的な敗北は、自国領内の分離独立地域をめぐるロシアとの紛争を見越したミヘイル・サーカシビリ大統領が、2004年から大金を投じてジョージア軍に近代的な装備を導入した後のことだったことは注目に値するべきものと言えるでしょう。近代化に伴って導入した装備には、イスラエルの「スパイダー」地対空ミサイルシステムや「LAR-160」多連装ロケット砲、「ヘルメス450」UAVが含まれていました。

 (今では悪名高い重巡洋艦「モスクワ」も投入された)ロシア海軍によるジョージアに面する黒海沿岸の封鎖と港湾都市であるポチの占領が、ロシア軍部隊がジョージア海軍の艦艇を港で沈められて海軍自体の壊滅に至らせることに成功したことはよく知られています。
 
 ジョージアの空軍基地が爆撃されながらも同軍の「Su-25」と「Mi-24」は、温存する目的で隠匿される前に何度かの出撃に成功しましたが、「Mi-24」2機と「Mi-14」1機がロシア軍に鹵獲・無力化されたことに加え、ジョージアは戦争に至るまでの数か月間で「An-2」3機と「ヘルメス450」UAV3機も喪失しています。

 8月12日の停戦合意に至るまでの間に、ロシア軍とアブハジア軍はコドリ峡谷に攻撃を仕掛けて第二戦線を展開し、支配地域を拡大したことも忘れてはいけません。ちなみに、南オセチア人が占領地でジョージア人の民族浄化を始めたため、ロシア軍は一時的にジョージアの数都市を占領したことも見過ごされがちです。

 最終的にロシアはアブハジアと南オセチアの独立を承認し、10月8日にジョージアにおける係争地域からの軍の撤退を完了させました。

 戦闘停止後、鹵獲した兵器の大半は南オセチアとアブハジアの軍隊に引き渡されました。ただし、ゴリ市近郊のジョージア軍守備隊から「T-72B」 戦車15台と「BMP-2」歩兵戦闘車2台は、ジョージアに返還されるのではなく、ロシア軍によって爆破されてしまいました。

 多大な物的損害を被ったものの、ジョージア軍は「LAR-160」MRLや「スパイダー」SAMシステムといった最新システムを温存することには成功しました。とはいえ、ジョージアは残置された4基の「ブーク」SAMシステムと5台の「2S7 "ピオン"」 203mm自走榴弾砲の回収について、断念を余儀なくされるという手痛い損失を被ったのです。

 ジョージアの「スパイダー」と「ブーク-M1」SAMシステムは「Tu-22M3」戦略爆撃機1機を含む3機の撃墜に寄与しましたが、それ以外について、ロシアはこの戦争での損失は比較的軽微な損失にとどまりました。

  1. 以下に列挙した一覧では、損失が確認されたロシアとジョージアの兵器を掲載しています。
  2. この一覧では、利用できる画像や映像などの視覚的証拠に基づいて損失が確認された兵器類のみを掲載しています。したがって、実際の損失はここに記録されたものより多いと思われます。
  3. 対戦車ミサイル、携帯式地対空ミサイルシステム、ピックアップトラックはこの一覧に含まれていません。
  4. 1991年以前に製造されたタイプの兵器については、名称の前のソ連国旗を表示しています。
  5. 各兵器の名称に続く数字をクリックすると、損失した当該兵器の画像が表示されます。
  6. 画像に記された日付については必ずしも損失した正確な日付を示すものではありません。あくまでその目安となる時期を示すものとご理解ください。

ロシア (93, このうち撃破: 86, 損傷: 4, 鹵獲: 3)

戦車 (4, このうち撃破: 4)

装甲戦闘車両(4, このうち撃破: 3, 鹵獲: 1)

歩兵戦闘車 (20, このうち撃破: 19, 損傷: 2)

砲兵支援車両または装備類(1, このうち撃破: 1)

自走砲 (1, このうち撃破: 1)

航空機 (8, このうち撃墜破: 8)

ヘリコプター(2, このうち墜落: 2)

トラック・ジープ・各種車両 (46, このうち撃破: 44, 損傷: 1, 鹵獲: 1)


ジョージア (194, このうち撃破: 90, 損傷: 3, 鹵獲: 101)

戦車(44, このうち撃破: 27, 損傷: 1, 鹵獲: 17)

装甲戦闘車両 (2, このうち撃破: 1, 鹵獲: 1)

歩兵戦闘車(25, このうち撃破: 19, 鹵獲: 6)

歩兵機動車 (3, このうち鹵獲: 3)

指揮通信車両 (1, このうち鹵獲: 1)
  • 1 9S470M 指揮車両(「ブーク-M1」用): (1, 鹵獲)

工兵車両及び装備類 (6, kのうち撃破: 1, 鹵獲: 5)

牽引砲 (25, このうち撃破: 1, 鹵獲: 24)

自走砲 (9, このうち撃破: 6, 鹵獲: 3)

対空砲 (2, このうち鹵獲: 2)

地対空ミサイルシステム (6, このうち鹵獲: 6)

レーダー (2, このうち撃破: 2)
  • 1 P-18「スプーン・レストD」VHF二次元対空捜索レーダー: (1, 撃破)
  • 1 ST86U/36D6-M「ティン・シールド」対空レーダー: (1, 撃破)

航空機 (3, このうち地上撃破: 3)

ヘリコプター (4, 地上撃破: 3, 損傷: 1)

艦艇 (9, of which destroyed: 7, captured: 2)

トラック・ジープ・各種車両 (49, このうち撃破: 18, 損傷: 1, 鹵獲: 30)

特別協力:Lost Armour(敬称略)
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が