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2023年10月7日土曜日

アハトゥンク・パンツァー!:トルコで運用された「Ⅲ号戦車」と「Ⅳ号戦車」


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 トルコ陸軍による「レオパルト1A3」「レオパルト2A4」戦車の運用は非常によく知られており、後者は2016年末の「イスラム国」との戦闘に投入されたこともあります。

 しかし、トルコにおけるドイツ製戦車の歴史は1980年代から始まった最初の「レオパルド1」の受領から始まったわけではありません。実際には1943年にナチス・ドイツから「III号戦車M型」「IV号戦車G型」が引き渡された時点がその歴史の始まりなのです。これらの戦車は、すでにトルコ陸軍で運用中の戦車やその他の装甲戦闘車両の魅惑的なコレクションに加わりました。

 トルコは(ソ連・イギリス・ドイツ・アメリカ・フランスを含む)第二次世界大戦の主要国が開発したほぼ全ての戦車を運用した世界で唯一の国です。

 1932年、トルコはソ連から「T-26 "1931年型"(機関銃塔2基搭載型) 」軽戦車2台と「T-27」タンケッテ(豆戦車)4台の寄贈を受け、これらの戦車で得た有益な経験は、最終的にトルコが1934年にソ連から「T-26 "1933年型"Mod. (45mm砲搭載)」64台と「T-37A」水陸両用軽戦車1台、そして「BA-3」装甲車34台を発注することに至る結果をもたらしました。

 これらのソ連戦車が、トルコ軍で就役した初の本格的な戦車でした(ただし、歩兵を戦車に慣れさせる目的で1928年にフランスから「FT-17」が1台調達されています)。1940年には、イギリスから少なくとも12台のヴィッカース「Mk VI」軽戦車を導入したほか、フランスが侵攻される僅か数か月前に100台のルノー「R35」軽戦車もトルコに納入されました。

 残念なことに、1930年代から1940年代にかけて導入された戦車を撮影した画像はほとんど残っていません。確かに言えることは、第二次世界大戦中もトルコによる戦車獲得の勢いが衰えなかったということでしょう。

 この国は1945年2月にナチス・ドイツと日本に宣戦布告するまで中立を保っていたものの、トルコ陸軍は国境付近で激しく展開する戦争の中で戦力拡充を図ることを決定しました。

 枢軸国と連合国は互いに自陣営でのトルコの参戦(または忠誠)を望んでいたため、フランス・イギリス・アメリカ・ドイツはトルコ軍に膨大な数の兵器を供与しました。このような取り組みの結果、トルコはイギリスの「ハリケーン」や「スピットファイア」からフランスの「MS.406」、さらにはドイツの「Fw.190」に至るまでのあらゆる戦闘機を入手して運用するまでになったのです。

 また、イギリスは1941年から1944年にかけて「バレンタイン」戦車と「M3"スチュアート"」軽戦車を各200台程度を供給することによって、トルコの機甲戦力の大幅な増強しようと努めました。どちらも当時の時点で既に旧式化していましたが、それでも「R35」と「T-26」に比べて飛躍的な性能向上をもたらし、1943年に残存する「T-26」の退役を可能にさせました。

 トドイツもイギリスに負けじとばかりにトルコへ戦車の売り込みをかけた結果、(砲弾と予備部品と一緒に)1943年に「III号戦車」35台と「IV号戦車」35台を調達するに成功しました。[1]この数はイギリスが納入した500台近い戦車と比べると見劣りますが、もしかするとドイツ側の戦況が反映されているのかもしれません。

パレード中の(少なくとも7台の)「IV号戦車」:戦後に約30台の「M4A2 "シャーマン"」が納入されるまで、トルコ軍が保有する中で最も高性能な戦車であり続けた

 最終的にトルコが受領した戦車の総数については、いまだに謎のままとなっています。ニーダーザクセン・ハノーヴァー機械工場(MNH)が1943年1月から2月にかけて合計56台の「III号戦車」を組み立て、そのうち35台がトルコに引き渡される予定でしたが、56台のうちの相当数がドイツ国防軍に配備されてしまいました(第505重戦車大隊:Schwere Panzer-Abteilung 505にも割り当てられました)。[2]

 納入された「III号戦車」及び「IV号戦車」はトルコ軍ではそれぞれ「T-3」と「T-4」と呼称され、数年前に入手したドイツの「統制型乗用車(アインハイツ-PKW)」と一緒に運用されました。ただし、予備部品の不足と保有数の少なさが原因で、これらの戦車は1940年代末に退役したようです。

 ちなみにトルコだけがドイツの工業生産力に失望した国ではなったことを疑う余地はありません。というのも、一部の枢軸国でさえ長い間待たされた挙句、結局は発注した戦車が僅かしか納入されなかったからです。

 第一次世界大戦や第二次世界大戦の勃発でイギリスやドイツから何度も徴発されたことがあったため、トルコ軍からすれば発注した兵器が接収されることは全く目新しいことではありません。実際、イギリス政府が国内で建造中の「ドレッドノート」級戦艦2隻を接収したことでオスマン帝国に多大な反感を与え、同帝国政府が中央同盟に加わる決定を下す一因となった過去がありました。

 隣国のブルガリアが(訓練用の3台は納入されなかったものの)91台の「IV号戦車」を完全に受け取ることに成功したのは、同国が枢軸国側として積極的に戦争に関与してきたことが関係していることは明らかでしょう。ブルガリア陸軍は1943年に合計で88台の「IV号戦車のH型とG型を受領しましたが、1944年に43台が、もう11台も1945年に失われました。 [2][3]

 ブルガリアが連合国側に寝返った後の1945年3月以降、ソ連から合計で51台の「IV号戦車」が供与されました。[4]

 これらの戦車は1958年まで現役であり、それ以後はNATO加盟国であるトルコとの国境沿いに固定式のトーチカとして車体が埋められましたが、これらが掘り起こされたのは2010年代に入ってからのことだったのです! [5]

「IV号戦車」の前でポーズをとる兵役中の俳優ケマル・スナル(1944-2000)(アンカラのエティメスグットにて)

 主都アンカラ近郊のエティメスグット戦車博物館には、トルコ軍の「III号戦車M型」と「IV号戦車G型」が各1台ずつ展示されています(ただし、博物館は軍事基地の敷地内にあるため、一般人は立ち入り禁止です)。

 都市開発事業の余波や、国家情報機構(Millî İstihbarat Teşkilatı)の新本部庁舎と建設中のトルコ版ペンタゴンが演習場のスペースの大半を占めることになるため、基地と博物館の移転が予定されています。

 こうした現代の気晴らし的な事業が、 展示されている装甲戦闘車両の整備に少しも労力が費やされていないという残念な結果を招いているのかもしれません。この一例としては、(奇妙なことに)砲身が小さすぎると判断された戦車に偽の砲身が搭載されたということが挙げられます。幸いにも、「T-3」と「T-4」はすでに十分に大きな砲身を最初から装備していたことから、このような骨抜きにされる運命から免れることができました。


アンカラのエティメスグット戦車博物館における「III号戦車M型」と「IV号戦車G型」:前者はシュルツェンが外された状態で展示されているが、トルコに納入されたものには最初から装備されていなかったものと思われる

 ドイツ製戦車の納入数が少なかったことは、その長年にわたる運用が決してトルコ軍の運用に本当の影響を与えることがなかったことを意味しました。

 他国から何百台もの戦車やAFVを受領したこともあり、ドイツによる戦車の供給は同国が戦争に負けていることに加えて、自身が同盟国や潜在的な同盟国をしっかりと自国の味方にさせ続けるための十分な兵器を供給できなかったことを示すのに役立った程度でしかなかったことは間違いないありません。

 とはいえ、第二次世界大戦中に急速に変化した戦車の設計思想を十分に観察する機会を得たというだけの理由で、トルコは手に入れられるものなら何でも喜んで受け入れたと思われます。

 皮肉なことに、トルコ軍は1990年代初頭までブルガリア軍の埋められた「パンツァー」に直面していた事実は注目に値します。つまり、第二次大戦時代のドイツ戦車は戦力としてよりも、脅威としてはるかに長く生き残ったのです。

しかし、今やその両方の役割を明確に放棄した旧式のドイツ製戦車は、興味をかき立てる物語を今日のトルコ(と関心を持つ当ブログの読者に)に思い起こさせてくれる存在であり続けるに違いありません。


[1] Unearthing WWII aircraft buried in Kayseri https://www.dailysabah.com/op-ed/2019/03/06/unearthing-wwii-aircraft-buried-in-kayseri
[2] Surviving Panzer III Tanks http://the.shadock.free.fr/Surviving_Panzer_III.pdf
[3] Matev, Kaloyan, The Armoured Forces of the Bulgarian Army 1936-45, Helion, 2015, pp. 120-122
[4] The Krali Marko Line https://wwiiafterwwii.wordpress.com/2021/12/25/the-krali-marko-line/

特別協力: Mark Bevis(敬称略)

※  この翻訳元の記事は、2022年12月23日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事   
  を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇    
  所があります。



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2023年2月17日金曜日

ベラルーシの野獣:「ボラット-V2」歩兵戦闘車


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 1992年の創設当初から一貫して、ベラルーシ陸軍は装備の新規調達を欠く状態を過ごしてきました。僅かしか使えない予算の大部分は戦闘機や防空システムの調達に充てられており、その大部分もロシアから友好価格で導入されています。

 陸軍はロシアから25台の「T-72B3 "2016年型"」戦車と約65台の「BTR-82A(M)」歩兵戦闘車(IFV)を受領したほか、2012年以降に中国から22台の「EQ2058」と数量不明の「CS/VN3」歩兵機動車(IMV)の寄贈を受けました。また、中国は2015年にベラルーシ陸軍で運用を開始した「ポロネズ」誘導式多連装ロケット砲/短距離弾道ミサイルシステムの技術をもたらした出所でもあります。

 定評あるベラルーシの防衛産業の製品についても、限られた数だけが陸軍の配備まで行き着くことができました。「ボラット-1」IMVと(現代版「BRDM-2」とも称される)「ケイマン」偵察車は共に軍への就役が認められ、ロシアの「ティーグル-M」IMVは「Lis-PM」としてベラルーシで生産が始められて少数が軍での運用に入りました。

 「BTR-70」装甲兵員輸送車(APC)の多くも新しいエンジンと「BTR-80」式の折りたたみ式側面ハッチが備わった「BTR-70MB1」規格にアップグレードされています。

 ただし、こうした新規装備の導入は、ベラルーシが保有する装甲戦闘車両(AFV)のストックが直面する全体的な陳腐化にほとんど対処することができません。なぜならば、陸軍の主要装備である戦車とIFVは未だに「T-72B」と「BMP-2」が占めていますが、これらは一度もアップグレードされていないからです。

 最近にポーランドが「K2PL」戦車1000台と「M1A2」戦車366台を購入したことを考慮すると、ベラルーシは近いうちに量だけでなく質でも著しく不利な立場に追い込まれることになることは避けられないでしょう。

 ベラルーシ陸軍が保有する兵器にまん延している陳腐化に対処するため、同国の防衛企業はいくつかの近代化プログラムを提案しています。これらのうち、「T-72BM2」戦車、「ウラガン-M」多連装ロケット砲(MRL)、「9A33-2B "オーサ"」 地対空ミサイルシステムが、軍に採用される可能性が最も高い改修プログラムとなっています。

 将来的にベラルーシ陸軍の近代化に貢献する可能性がある開発プロジェクトに「MZKT-690003 "ボラット-V2"」装輪式IFVがあります。これは「ミンスク・ホイール・トラクター・工場(MZKT)」傘下のブランドである「ボラット」で設計され、2021年の「ミンスク武器・軍用機器展示会(MILEX)」で初公開された「ボラット-V2」は、ベラルーシの「BTR-70/80」APCや「BMP-2」IFVさえも補完・置換する存在として位置づけられたIFVです。

 (大規模な導入に成功するために)「ボラット-V2」は2021年にすでに65台が導入された「BTR-82」と競わなければなりませんが、ロシアのAFV産業が今やウクライナで既に300台以上の「BTR-82A」を喪失したロシア軍のニーズを満たすことで多忙を極め続けている事実は、「ボラット-V2」が成功する見込みを大幅に高めるかもしれません。[1]

改修型「BMP-2」用砲塔を搭載した「ボラット-V2」

 「BTR-70」や「BTR-80」と比べて「ボラット-V2」の最も特筆すべき改良点は、その火力にあります。「ボラット-V2」は多岐にわたる種類の砲塔を搭載することが可能であり、BTRの「KPV」14.5mm重機関銃とは異なって、搭載可能な砲塔は「2A42」30mm機関砲を備えているのです。

 「ボラット-V2」の試作型が最初に公開された際には、新型の砲手用サイトとレーザー測距計、新型のパノラマサイトがインテグレートされた改修型「BMP-2」の砲塔が搭載されていました。この砲塔も「9M113 "コンクールス"」対戦車ミサイル(ATGM)の発射能力を維持していますが、「RK-2S(タンデム-HEAT弾)」と「RK-2OS(HE-FRAG弾)」ATGMを発射可能なベラルーシの「シェルシェン-Q」システムにアップグレードするオプションもあります。


 このIFVは、ベラルーシ国産の「BM-30 "エイドゥノック"」 無人砲塔も搭載可能です。この無人砲塔は、改修型「BMP-2」砲塔と同じ2A42」 30mm機関砲と「PKT」7.62mm軽機関銃、そしてパノラマサイトを備えているものの、ATGM発射機はありません。

「BMP-2」用砲塔搭載型、リトアニアの「スパイク」ATGM搭載型「ボクサー」及びポーランドの「ロソマク」などの装輪式IFVと比較するとATGM発射機能の未実装は大きな弱点ですが、それでも「BTR-70/80」よりは大幅に火力の向上がみられます。
 
 

ベラルーシ陸軍の「BTR-82A」(上)と「BM-30」無人砲塔を搭載した「ボラット-V2」(下):両者は過去数十年にわたる装輪式IFVの進歩をはっきりと示している

 22トンの重量を誇る「ボラット-V2」は、2人または3人の乗員に加え、最大8人の兵士を搭乗させることが可能です(選択した砲塔によって人数に変化が生じます)。兵士たちは(ガンポートが装備された)後部ドアから内部に乗り込みますが、これは「BTR-70」や「BTR-80」の小さな側面ドアと比べると非常に大きな改良点と言えるでしょう。

 ベラルーシの「MAZ-潍柴」工場で組み立てられた中国の「潍柴」製「WP13.550」ディーゼルエンジン(550馬力)は「ボラット-2」に舗装路での110km/hもの最高速度をもたらしており、2つのウォータージェット推進機によって時速10km/hで水上の障害物を乗り越えることも可能となっています。

 「ボラット-V2」の装甲は全周囲が7.62mm徹甲弾と砲弾の破片に対する防御能力を持つほか、車体前面は12.7mm弾に耐える能力を備えています。特にリトアニアの「ボクサー」IFVが全周囲で14.5mm 徹甲弾に対する防護能力があることに比べれば、「ボラット-V2」は現代の基準からすると多少見劣りするものの、すでにベラルーシの「BTR-70MB1」の一部に装備されているスラットアーマーを装着することで、さらに防護力を強化することが可能です。
 

「ボラット-V2」は最大8人の兵員を輸送可能:「BMP-2」用砲塔をルーフマウント式の「BM-30」無人砲塔と交換することで、内部空間をさらに拡張することができる

 ベラルーシ国産の装輪式IFVを開発する計画は、決して斬新なものではありません。

 2008年、「MZKT」は「MZKT-590100 “ウムカ”」と名付けた装輪式IFVの開発計画を立ち上げました。(「BMP-2」の砲塔がこのIFVに不向きだったほかに)当時のベラルーシには砲塔を製造する防衛企業が存在しなかったため、「MZKT」はベース車両のみの開発に専念し、砲塔は海外から調達することにしました。

 満足な投資がなされた結果として、国内外の顧客向けに数百台もの「BTR-3」及び「BTR-4」装輪式IFVを生産したウクライナとは正反対に、「MZKT」は国防省や国家軍需産業委員会から「ウムカ」のための資金を確保することができなかったため、試作車両を製作する前の2010年代初頭にこのプロジェクトはひっそりと放棄されてしまいました。[2]

 結局、ベラルーシ陸軍は2021年にロシアから65台の「BTR-82A」を導入するに至っています。 [3]

不運な結末を迎えた「MZKT-590100 "ウムカ"」

 装軌式IFVの置き換えや一緒に運用するという装輪式IFVの概念が世界中の軍隊でますます普及している流れの中で、「ボラット-V2」は増え続ける装輪式IFVの仲間入りをしました。

 隣国のウクライナにとって、 装輪式IFVの開発と生産は2022年に勃発した戦争で最大限に活用されるという有益なアセットのみならず、輸出面での大成功をもたらしてくれました。ベラルーシが同様の成功を再現できるかどうかはまだわかりませんが、「ボラット-2V」がこの国に導入されるならば、その後の輸出市場における成功の可能性は大きく広がるでしょう。

 ATGMを「BM-30」型砲塔へ装備することは「ボラット-V2」がベラルーシ陸軍にとってさらに魅力的な選択肢になることに貢献するほか、近隣諸国が急速に戦力を拡大しつつある中、これまで「BTR-70/80」を運用していた部隊の火力を大幅に向上させることが可能となるかもしれません。


ヘッダーおよび一番下の画像の撮影者:Lex Kitaev(敬称略)

[1] Attack On Europe: Documenting Ukrainian Equipment Losses During The 2022 Russian Invasion Of Ukraine https://www.oryxspioenkop.com/2022/02/attack-on-europe-documenting-ukrainian.html
[2] The development of Umka MZKT-590100 armored personnel carrier will be launched in Belarus https://en.topwar.ru/38059-v-belorussii-vvedetsya-razrabotka-bronetransportera-umka-mzkt-590100.html
[3] Belarusian military received a batch of Russian armored personnel carriers BTR-82A https://en.topwar.ru/187656-belorusskie-voennye-poluchili-partiju-rossijskih-bronetransporterov-btr-82a.html

※  当記事は、2022年11月1日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。
   当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があ
  ります。



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2023年1月6日金曜日

内なる軍隊:チェチェンの治安部隊と軍用車両(一覧)


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 チェチェンの軍隊はロシア軍にとって不可欠な存在です。この組織は2022年のロシア・ウクライナ戦争で一般的に「前線の火消し部隊(Fuerwehr Der Front)」と称されて攻撃を主導し、ロシアの防衛線の穴を塞ぐ役割を果たしています。しかし、戦闘での手柄を撮影してTikTokにアップロードするという一部のチェチェン兵の傾向は、この軍隊に「TikTok旅団」というあまり好ましくない称号をもたらしてしまいました。

 実際のところ、チェチェンの部隊はロシア軍が持つ似たような部隊の大部分よりもうまくやっているように見えます。

 チェチェン共和国が保有する部隊は(ロシア)国家親衛軍の一部です。つまり、同部隊は国内の脅威と戦うための装備をして訓練されていますが、その大半はウクライナでの従来型の戦争を行うために投入されています。

  今日のチェチェン治安部隊(CSF)は、親ロシア派の分離主義指導者で後に大統領となったアフマド・カディロフに忠実な民兵組織を継承したものですが、彼は2004年に暗殺されたため、息子のラムザン・カディロフがその後を継ぎました。ちなみに、CSFはカディロフの権力闘争で殺害されたヤマダエフ兄弟が率いた(現在は解散した)「ヴォストーク大隊」「ザーパド大隊」とは何の関係もありません。

 2006年、カディロフに忠実なチェチェン民兵のほとんどが第141特殊自動車化連隊として内務省に編入され、後にロシア国家親衛軍に移管されました。

 俗に言う「カディロフツィ」は、ラムザン・カディロフ首長率いるチェチェン人部隊を指す言葉です – 名目上はロシア国家親衛軍の指揮下にありますが。

 チェチェン共和国はラムザン・カディロフによって統治されています。彼は頻繁に軍備の視察や写真撮影を行っており、グロズヌイにおける戦勝記念閲兵式でその様子を携帯電話で撮影している姿も見られました。[1]

 ロシアにある別の共和国と比較すると、カディロフの支配下にあるチェチェンは高度な自治権を確立しており、事実上の独自の軍隊を持つ唯一の共和国となっています。

 ロシア国内の敵と戦うという本来の目的に従って、CSFは戦車・大砲・防空システム・航空戦力などの重装備を運用していません(ただし、少なくとも3機のオートジャイロが使用されています)。
 
 CSFは2016年12月以降にシリア各地へ投入されているほか、大規模な集会やグロズヌイでの戦勝記念閲兵式で頻繁に自らの装備を披露しています。[2] [3] [4]

 現在のチェチェンの治安部隊は、アフマド・ハジ・カディロフ名称第141特殊自動車化連隊「北(セーヴェル)」、第249独立特殊自動車化大隊「南(ユーク)」、「アフマト」緊急対応特殊課(SOBR)、「アフマト・グロズヌイ」特別任務機動隊(OMON)、アフマト・アブドゥルハミドヴィッチ・カディロフ名称特別任務民警連隊(PPSN)、制服警官隊で構成されています。

 ウクライナにおけるロシアの戦いを支えるため、2022年6月にはラムザン・カディロフによって「セーヴェル・アフマト(北)」、「ユーグ・アフマト(南)」、「ザーパド・アフマト(西)」、「ヴォストーク・アフマト(東)」の4大隊を追加編成することが発表されました 。[5]

 チェチェン共和国における大部分の部隊の名前の由来となっているカディロフ前大統領は、「アフマト・シラ(意味:アフマトの力)」という鬨の声でもその名を覚えられています。

チェチェン共和国で開発・製造された「チャボルツ-M6」軽攻撃車両(LSV)

 CSFは一般的に国家親衛軍が利用できる最新の装備を運用しており、これには大量のMRAPや歩兵機動車(IMV)、装甲兵員輸送車(APC)だけではなく、歩兵戦闘車も含まれています。

 また、彼らはロシアの他の部隊では運用されていない幅広い種類の車両も入手しています。それらには、少数のカザフスタン製「アルラン」 MRAP(注:南アフリカで設計された「マローダー」の現地生産型)、ヨルダンの「スタリオン II」IMV、イスラエルの「ジバール Mk.2」軽攻撃車両(LSV)などが該当します。

 さらに、CSFはウクライナで鹵獲したいくつかの装甲戦闘車両(AFV)さえも運用しています。これらには、少なくとも3台の「BTR-3」IFV、数台の「ヴァルタ」MRAP、そして数十台の KrAZ「コブラ」や「ノヴァター」、「M1151 “ハンヴィー”」が含まれています。
 
 また、チェチェンの自動車メーカーである「チェチェンアフト」は、CSF向けに「チャボルツ-M3」及び「チャボルツ-M6」LSVを製造しています。このLSVは主にチェチェンの部隊に配備されていますが、一部は別の国家親衛軍部隊にも配備されているようです。[6]

 また、カディロフはCSFがチェチェンで「ブラート"6x6"」 APCを組み立てることに関心を寄せていると公表したものの、ロシア製の試作型がチェチェン側の要求に沿うように多少変更された程度であり、実際の組み立てや 生産は開始されなかったと考えられています。[7]

 CSFは、ボンネットの先端に狼の頭の装飾を付けた「ボルツ」と呼ばれる特別仕様のイヴェコ「LMV」 をいくらか受領しています。

 2022年7月、チェチェンはロシアのレムディーゼル「Z-STS 6x6」APC初の運用者となり、アフマト・カディロフに敬意を表したメーカーによって「アフマト」と命名されました。この月に「アフマト」の第一陣である20台がチェチェンに供給された後にウクライナに送られ、そこでチェチェン部隊で活躍している「アルラン」や「タイフーン」、「パトロール」MRAPの仲間に加わりました。[8]

 「Z-STS "アフマト"」はウクライナでの運用を念頭に置いて特別に開発されたAPCであり、「カマズ-5350 6x6」トラックの車体をベースにしたものです。最初の開発構想からCSFへの最初の納入まで僅か4か月という「アフマト」の開発速度には目を見張るものがあります。[9]

 これらのAPCは、ほかの最新型の(ロシア製)AFVと一緒に、当面の間はチェチェン治安部隊のAFV部隊の主力として活躍し続けることになるでしょう。

チェチェンSOBRで使用されている「BMP-1P」はCSFで運用されている唯一の装軌車両である:「アフマト・カディロフ」の肖像付きの旗に注目

  1. この一覧は現在のチェチェン治安部隊で運用されている全AFVを網羅することを試みたものです。
  2. この一覧は利用できる画像などの視覚的証拠に基づいて確認された車両だけを掲載しています。
  3. AFVの運用者が判明している場合は、名称の後に括弧書きで表示しています(СОБР = SOBR, ОМОН = OMON, ППСН = PPSN, ЮГ =「北」連隊, СЕВЕР =「南」大隊)。
  4. 車両の名前をクリックすると、チェチェンで運用されている当該車両の画像を見ることができます。

歩兵戦闘車 (IFV)
  • BMP-1P [СОБР]
  • BTR-82A [СОБР]
  • BTR-3 [СОБР] (ウクライナで鹵獲され、チェチェンに持ち帰られる)

装甲戦闘車両(AFV)

装甲兵員輸送車 (APC)

MRAP:耐地雷・伏撃防護車両

歩兵機動車 (IMV)

軽攻撃車両 (LSV)

装甲強化型車両

(武装) ピックアップ・トラック

トラック


[1] Grozny Chechnya Victory Day Parade 2017 https://youtu.be/rSk2otJK1Z8?t=1827
[2] A War Within a War: Chechnya’s Expanding Role in Syria https://deeply.thenewhumanitarian.org/syria/articles/2017/11/30/a-war-within-a-war-chechnyas-expanding-role-in-syria
[3] Grozny Chechnya Victory Day Parade 2017 https://youtu.be/rSk2otJK1Z8
[4] В Грозном состоялся грандиозный военный парад, посвященный 77-й годовщине Победы в Великой https://youtu.be/g6Gn3L_vU04
[5] https://t.me/RKadyrov_95/2438
[6] Кадыров испытал чеченский броневик "Болат" https://quto.ru/journal/autorambler/kadyrov-ispytal-chechenskiy-bronevik-bolat-06-11-2019.htm
[7] https://twitter.com/RALee85/status/1108154327074590720
[8] Armoured vehicles captured from the Ukrainian army by Chechen fighters. https://youtu.be/ivkJ7wfWcqY
[9] Russia has developed an armored car "Akhmat" inspired by the special operation https://vpk.name/en/613450_russia-has-developed-an-armored-car-akhmat-inspired-by-the-special-operation.html



※  当記事は、2022年11月23日に本国版「Oryx」ブログ(英語)に投稿された記事を翻訳
  したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した
  箇所があります。