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2022年12月23日金曜日

ロシアのアフリカ攻勢:ロシアがマリ空軍の増強を図る(一覧)


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 トゥアレグ紛争がイスラム過激派勢力の反乱を波及させ、遠くないうちに国土全体がアルカイダの支配下に置かれるという恐れが出てきた2012年以来、 マリはほぼ一貫して紛争状態に置かれています。

 2013年初頭には、首都バマコへ向かうイスラム過激派の進軍を阻止してマリ北部を政府の統治下に戻すためにフランス軍が介入し、マリ共和国軍の支援を得ながら敵の進出を迅速に覆してアルカイダ(後のイスラム国)が撤退したキダル地方を除く国土の大部分を奪回するという成功を収めました。

 近年のアルカイダやイスラム国はさらなる勢力圏の拡大を試みており、マリ軍や同国に展開したままの国連部隊への攻撃を数多く行っています。国連部隊の主な目的は、この地域における治安部隊が将来的にこれらの過激派組織という脅威と戦い、その供給路を遮断し、隠れ家の構築を防ぐといった対処を可能にするための訓練をすることにあります。 

 2012年にマリ北部で勃発した反乱に直面した際、マリ空軍(Armée De L'Air Du Mali)は敵の前進を阻むどころか友軍を支援することも完全に不可能であることが判明しました。

 明らかにマリに展開する外国軍部隊の影響を受け、その後のマリ空軍は自国の安全保障問題により現実的なアプローチをとることを始めました。「MiG-21」戦闘機や「S-125」地対空ミサイル(SAM)といった旧式の残存戦力の大半を迅速に退役させたのです。[1]

 それ以降のマリ空軍は2015年にブラジルから「A-29B "スーパーツカノ"」4機(2018年納入)、ロシアから「Mi-35M」攻撃ヘリ4機(2017年及び2021年納入)を導入するなどして、ゼロからの再建を進めています。

 2019年には、マリはEUから寄贈された情報収集・警戒監視・偵察(ISR)用に特化された「セスナ208」の引き渡しを受けました。前方監視型赤外線装置(FLIR)が装備されているこの飛行機は、3機の「Mi-24D」攻撃ヘリコプター、2機の「H215 " シュペルピューマ"」輸送ヘリコプター、1機の「C-295W」輸送機と共に、マリ空軍の中核を担う機体と言えるでしょう。[2] 

 このようにして、小さな戦力ではあるものの、結果的にこの地域で最も近代的で有能な空軍が誕生したのです。

 「A-29B」は幅広い種類の精密誘導兵器を搭載可能ですが、マリには導入されていません。その代わり、現存している3機はガンポッドや無誘導ロケット弾、そして無誘導爆弾で武装しています(注:「TZ-04C」は2020年に事故で失われました)。 [3] 

 この飛行機は胴体下部にFLIR装置を備え付けることも可能ですが、アメリカが供給に関する合意に消極的だったため、結果としてマリへ引き渡されることはなかったと思われます。[4]

 おそらくは「A29B "スーパーツカノ"」の有効性を高めるための手段が存在しないことに刺激を受けたせいか、マリはトルコや中国から精密誘導爆弾(PGM)を搭載できる無人戦闘航空機(UCAV)の導入を視野に入れているとみられます。

 2021年5月にアッシミ・ゴイタ大佐が10年ぶり3度目の軍事クーデターで政権を握った時点までこの交渉はまだ継続しているように見受けられましたが、彼の政権はロシアとの関係強化を選択して西側諸国との関係をさらに悪化させています。


マリ空軍が保有する「A-29B " スーパーツカノ"」のうちの1機

 アッシミ・ゴイタ大佐による権力奪取のほぼ直後に、マリはロシアから新たな兵器類を調達したり、寄贈を受けました。

 特にマリ空軍は両国の関係改善による恩恵を受けるに至りました。1年前の調印された契約に基づいて2021年12月に納入された4機の「Mi-171Sh」に加えて2機の「Mi-24P」攻撃ヘリコプターが引き渡されたのです。[5]

 2021年12月には、現地の治安部隊を訓練するためにロシアのPMC「ワグネル」も自身の「オルラン-10」無人偵察機と防空システムを伴ってマリに公式に展開しています。[6] 

 「ワグネル」は治安部隊の訓練のみならず、フランスを陥れるためにマリの旧フランス軍基地の近くに集団墓地を設けたことや、約300人のマリ市民が犠牲になった「ムラの大虐殺」に関与していたことが現在までに判明しています。[7] [8]

 2022年8月、マリ空軍はロシアから「Su-25」対地攻撃機1機、「L-39C」ジェット練習機・軽攻撃機6機、「Mi-24P」攻撃ヘリコプター2機、「Mi-8T」輸送ヘリコプター1機、そしてスペインから「C-295W」輸送機1機の引き渡しを受け、さらに強化されました(ただし、「Su-25」は10月4日に墜落事故で失われてしましました。代わりに納入された機体も2023年9月に撃墜され、保有機がゼロとなりました)。

 「Su-25」と「L-39」の引き渡しについては、マリの近隣諸国の大部分がトルコから「バイラクタルTB2」UCAVを導入、またはその予定であることが要因となった可能性があります。実際、ニジェール、ブルキナファソ、トーゴ、ナイジェリアがすでに同UCAVを運用中か発注していますし、結果としてマリには2022年12月に3機のTB2が納入されました。[9]

 自国の軍隊の需要を満たせるほどのUCAVを生産できないロシアは、マリ空軍にUCAVや関連技術を提供することができないというわけです。


 「Su-25」と「Mi-24P」は、マリ軍のパイロットが十分に熟練するまで「ワグネル」によって運用される可能性がないわけではありません。しかしながら、厳しいパイロットの訓練で「Su-25」や「L-39」が欠いている誘導兵器の運用能力や高度な照準システム、そして危険なサヘル地域で必要とされる生存能力をカバーすることは不可能と言わざるを得ません。

 政治的影響力を受けているかどうかは別として、減少しつつある軍備の蓄えを補う兵器類をロシアからまだ購入できるかもしれません。しかし、購入国はロシアの武器が21世紀の戦いに通用しないという現実に遅かれ早かれ直面することを余儀なくされるでしょう(2023ン年1月20日、マリ大統領府は新たに「Su-25」攻撃機1機、「L-39C」練習機5機、「Mi-8」汎用ヘリコプター2機が空軍に引き渡されたことを公表しました)[10]。

マリ空軍は合計4機の「Mi-35M」を2017年と2021年の引き渡しを受けました:これらはマリでFLIR装置が備え付けられた僅か2機種のうちの1つであり、誘導兵器(最大で8発の「9M120 "アタカ"」対戦車ミサイル)を運用可能な唯一の戦力です


  1. このリストは、マリ空軍で運用されている航空機の総合的なデータ化を目的としたものです。
  2. 現時点で運用されていない機体はこのリストには含まれていません。
  3. このリストは、新たな飛行機やヘリコプターの導入に関する発表や発覚に伴って随時更新されます。


マリ空軍の運用兵器一覧


無人戦闘航空機(9)


対地攻撃機及び練習機(18)


攻撃兼輸送ヘリコプター (16)


輸送兼汎用ヘリコプター (4)


練習兼汎用機 (8)


輸送兼汎用機 (6)


VIP専用機 (1)


無人偵察機 (少数)


レーダー(1)


[1] Goas In The Savanna: Mali’s S-125 SAM Systems https://www.oryxspioenkop.com/2022/02/goas-in-savanna-s-125-sam-systems-in.html
[2] New ISR Cessna 208 Caravan for Mali https://www.keymilitary.com/article/new-isr-cessna-208-caravan-mali
[3] Crash Mali Air Force Super Tucano https://www.facebook.com/Scramblemagazine/posts/3538112936215215
[4] Mali receives Super Tucanos https://www.defenceweb.co.za/aerospace/aerospace-aerospace/mali-receives-super-tucanos/
[5] Mali officially takes delivery of Mi-171 helicopters https://www.defenceweb.co.za/aerospace/aerospace-aerospace/mali-officially-takes-delivery-of-mi-171-helicopters/
[6] Townsend: Russia Added to Instability in Africa With New Air Defenses in Mali https://www.airforcemag.com/townsend-russia-added-to-instability-in-africa-with-new-air-defenses-in-mali/
[7] French accuse Russian mercenaries of staging burials in Mali https://apnews.com/article/russia-ukraine-ouagadougou-burkina-faso-europe-africa-af0965b3bd459f90c9cf930625aa4590
[8] ‘The Killings Didn’t Stop.’ In Mali, a Massacre With a Russian Footprint https://www.nytimes.com/2022/05/31/world/africa/mali-massacre-investigation.html
[10] https://twitter.com/PresidenceMali/status/1616111932238356482?s=20&t=49UjxsXzXv4qxLtGhv1AQA

※  当記事は、2022年8月16日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります。


おすすめの記事

2022年8月15日月曜日

壮大な運用史:アフガニスタンにおける「L-39C " アルバトロス" 」


著:ルーカス・ミュラー in collaboration with ステイン・ミッツアー(編訳:Tarao Goo

 当記事は、アジア・エアアームズ調査会ニュースレター2020年8月・9月号に掲載された記事を更新・増補したものです。また、著者の書籍「Wings over the Hindu Kush」に掲載されたアフガニスタンの「L-39」に関する情報もアップデートされています。 

 チェコスロバキア製のジェット練習機「L-39 "アルバトロス"」は広く輸出され、世界中の国々で長い間にわたって成功裏に活躍しています。 アフガニスタンは1977年に最初の「L-39」を受け取り、最後の2機は少なくとも30年間運用された後の2000年代後半か2010年代前半に退役しました。

 しかし、アフガニスタンの「L-39」の物語はまだ終わっていないかもしれません。2021年12月現在の時点で、タリバン政権の管轄下にあるカブール空港で整備員たちが長年にわたって放置されていたジェット機を稼働状態に戻すという明らかな野心を持って、残存する「L-39」のエンジンテストを開始したからです。[1]


運用初期

 1950年代後半まで、王立アフガニスタン空軍は主にイギリス起源の時代遅れと化したピストンエンジン機(注「ホーカー・ハインド」)に頼っていましたが、ザヒル・シャー国王がソ連に軍備を含む援助を要請した後にこの空軍は急速な近代化の時期を迎えました。

 アフガニスタンはソ連から「MiG-17」戦闘爆撃機のみならず、「Il-28」爆撃機やその他多くの比較的高度な航空機やヘリコプターの入手に成功し、訓練用として「Yak-11」や「Yak-18」初等練習機と「MiG-15UTI」ジェット練習機も採用されたのです。[2]

 しかし、1970年代半ばになるとアフガンに派遣されていたソ連軍の顧問がより高度な新型練習機の必要性を感じ、東欧諸国の標準的なジェット練習機となりつつあった「L-39 "アルバトロス"」の供与を本国に要請しました。
 
 1977年に第1陣の「L-39」12機がアフガニスタンに到着し、以後はマザリシャリフ郊外のデダディ空軍基地を拠点とするアフガン空軍第393訓練航空連隊で運用に就きました(注:1973年のクーデターによる王政廃止後に軍から「王立」の文字が削除されました)。[2] 

 第1陣として納入された機体には「001」から「0012」までの機体番号が割り振られ、塗装については上部が白で下部がライトグレーのツートンカラーで仕上げられており、緑と黒と赤の三角形で構成された国章が6箇所に施されました。

引き渡し前にチェコスロバキアを飛ぶアフガニスタンの「L-39」で、三角形のラウンデルが6カ所に施されている

1977年の納入直後にアフガニスタン北部を飛行する2機の「アルバトロス」

 それから僅か1年後の1978年4月に、アフガニスタン軍内部の共産主義者がクーデターに成功してアフガニスタン民主共和国(人民民主党政権)を樹立したものの、新政権樹立からほとんど間を置かずに、イスラム政党を筆頭とする反共産主義の暴動が全国各地で勃発しました。こうしてアフガニスタンの内戦が始まったわけですが、デダディ空軍基地にあるカデットでの訓練は深刻な影響を受けることはありませんでした。

 ソ連の教官に助けられながら、第393連隊は「L-39」だけでなく旧式の「MiG-15UTI」や「MiG-17」の運用も続けていました。

 政治・経済・社会生活における数えきれないほどの変化の中で、共産主義者によるクーデターは国章の変更も引き起こしました。伝統的なアフガンの三角形は、黄色のアフガンの紋章が入った赤いラウンデルに塗り替えられたのです。

並べられた「L-39」には、1978年のクーデター後に採用された赤いラウンデルが施されている


ソ連侵攻

 それから1年もせずに、共産主義体制が政権の維持に苦心していることが明らかとなりました。なぜならば、イスラムの戦闘員(ムジャヒディン)の影響力は絶大であり、政府軍は士気の低下と離反に悩まされていたからです。

 比較的友好的な現アフガニスタン政権の崩壊を危惧したモスクワの指導者たちは、紆余曲折を経てこの国への介入を決断しました。1979年末にソ連の特殊部隊がアフガニスタンのアミン大統領を殺害、ソ連軍が侵攻して、より穏健な共産主義派閥の長であるカルマル大統領を就任させて権力を掌握したのです。

 おそらく驚くようなことではないでしょうが、一連の政変に続いて「L-39」を含むアフガニスタン機は、赤い星が黒・赤・緑からなる円形の縁で囲まれた全く新しいデザインのラウンデルを施されました。 

 戦闘が激しく続くにつれ、ソ連から「MiG-21」や「Su-22」が大量に引き渡されてアフガニスタン空軍の戦力は増強された一方で、(当時の基準で)現代的なジェット戦闘機を取り扱うことが可能なさらなる飛行士の必要性がかつてないレベルにまで達しました。

 多くの意欲的なアフガニスタン軍飛行士はソ連の軍事アカデミーに留学しましたが、それ以外の者は国内で訓練を受け続けたようです。

 やがて、1977年に引き渡された12機の「L-39」では強化訓練プログラムの要件を満たすには数があまりにも少なすぎることが判明したため、1983年から翌1984年にかけて追加の「アルバトロス」がそれぞれ6機と8機の2回に分けてデダディ基地に到着しました。
 
 新たに引き渡された機体には、チェコスロバキアとソ連で運用されている「L-39」の大半と同様に、上部が明暗の緑褐色で下部がライトグレーで構成された標準塗装が施されていました。その後数年間で、(1977年の)第1陣からの全機が(おそらくチェコスロバキアと同様の標準塗装に)塗り直されました。

 第1陣の機体のうち、少なくとも1機は再塗装される前に使用不能な状態に陥ったか損傷したために、首都郊外にある巨大なスクラップヤードでその生涯を閉じました。

 第2陣、第3陣の機体番号は謎に包まれています。というのも、チェコのさまざまな資料では26機以上の「アルバトロス」が引き渡されたことはないと述べられているものの、写真で確認された中で最も数が大きな機体番号はアフガニスタンで運用された「L-39」の総数を踏まえるとより合理的である「0026」ではなく1つ多い「0027」だからです。

「L-39(機体番号0027)」

 さらに、2001年にマザリシャリフで撮影された遺棄された「L-39」の写真から、アフガニスタン空軍がソ連から中古の「L-39」をいくらか得た可能性を示しています。この機体は色あせた国章にソ連の赤い星が描かれているようですが、機体番号は「003x」で最後の桁が不鮮明で判読できませんでした。

 したがって、アフガニスタン空軍に運用されていた「L-39」の数が30機以上あったことはほぼ確実と断言できます。

 旧ソ連軍機は、1980年代にソ連の「L-39」が運用されていた(カブール北部に位置するソ連空軍の主要な拠点だった)バグラム空軍基地から、アフガニスタン空軍の第393訓練航空連隊に流れた可能性があります。このような機体は、1989年におけるソ連のアフガニスタン撤退後に国内に残置されたものと考えるのが妥当でしょう。

2001年のタリバン政権崩壊後に有志連合軍がマザリシャリフ空軍基地で発見した損傷の激しい「L-39」で、機体には「003x」の番号が記されている(最後の桁は「1」だった可能性がある)

バグラム空軍基地に配備されたソ連軍の「L-39C」(1986年)

 「L-39C」は2つのハードポイントに各種の軽量級の爆弾とロケット弾を搭載することができますが、この練習機が1980年代に戦闘に投入されたかどうかは現時点では不明です。

 ロケット弾や爆弾で武装したアフガニスタンの「L-39」が撮影された写真は非常に珍しく、この練習機が実戦に投入されたことを確実に否定できませんが、これらの武装はおそらく兵器訓練のために搭載されたものと考えられます。

 そのような結論に至った理由として、アフガニスタン空軍は数百機もの対地攻撃に適した戦闘機や攻撃ヘリコプターを保有していたため、「L-39」は高等練習機という本来の用途でしか用いられなかったと推測されるからです。

手前のアルバトロスには「UB-16-32」ロケット弾ポッドが、後ろの機体には「FAB-100」爆弾と思しきものが搭載されている(1980年代、デダディ空軍基地)


軍閥とタリバン

 ソ連とアメリカがアフガニスタンにおける全ての戦争当事者に対する軍事援助の停止に合意し、続く1991年末にソ連が崩壊した後にアフガニスタンの共産主義政権は崩壊し始め、1992年4月にはイスラム主義組織が首都で政権を掌握して「アフガニスタン・イスラム国」を発足させました。ただし、実際には国内はいくつかの主要な勢力と無数の現地司令官の間でバラバラになっており、国際的に承認された政府もカブールの一部といくつかの州を支配しているに過ぎない状態だったのは言うまでもないでしょう。

 内戦が続く中で、アフガニスタン空軍は今や自身が各軍閥の間で分断された状況に直面しました。
 
 マザリシャリフを含む北部地域と全ての飛行場はウズベクジン指導者アブドゥル=ラシード・ドスタム将軍の支配下に置かれ、彼の軍は第393訓練航空連隊の残存する全ての「L-39」の運用を継続しました。ドスタムの空軍は共産主義政権時代の赤い星のラウンデルを1978年以前に用いられた伝統的な三角形のものに変えたものの、機体番号や塗装はそのまま維持されました。

 彼の軍閥が飛行場を掌握した後も、デダディで新米パイロットの訓練が続けられた可能性はありますが、どの程度実施されたのかは分かっていません。
 
 アフガニスタン内戦における当事者の「私設」空軍はその全てがリソース不足に悩まされていました。しかし、 ドスタムの空軍は人員と装備が比較的充実していたため、新たなパイロットの訓練は優先されなかったかもしれません。とりわけ元共産体制下の空軍に仕えていた熟練パイロットが十分に活用できる場合は、なおさらそうだったでしょう。

 ドスタムがアフガニスタン北部を統治していた時代に撮影された画像は、彼の「L-39」はデダディだけでなく、主要なマザリシャリフ空港やシェベルガーン市郊外の小さな飛行場でも運用していたことを示唆しています。

北部のシェベルガーン飛行場で撮影されたドスタム将軍の「L-39C」の1機。機体番号の「005」は、1977年に納入された第1陣の機体であることを意味する

 アフガニスタンの情報筋によると、1990年代前半にドスタムはウズベキスタン共和国との間で数機の(彼の)「L-39」と少数の「Su-17」戦闘爆撃機と交換したとのことです。この取引について具体的なことは何も判明しておらず、それ自体が行われなかったという可能性すら考えられます。[3]
 
 ドスタムが統治する北部地方は比較的安定して平和でしたが、アフガニスタンのそれ以外の地方は激しい内戦に見舞われ続けていました。

 1994年秋、タリバンは南部の主要都市カンダハルを制圧し、続く1996年秋には国際的に承認された政府をカブールから追い出すに至りました。

 これらの出来事が発生した後、ドスタム将軍は打倒された政府と同盟を結んで反タリバン運動を開始し、これはドスタム軍の指揮官の一人であるアブドゥル・マリク・パフラワン大将がタリバンと協定を結び、ドスタムが国外脱出を余儀なくされた1997年5月まで続きました。 その結果として、基本的に空軍を含むドスタム軍全体がマリクの指揮下に入ることになったのです。

 混乱がシェベルガンの都市を包む中で、ドスタム軍のパイロットの一人であるユスフ・シャー将軍は「L-39」に乗ってカブールへ逃亡し、タリバンに参加するということがありました。
 
 ほどなくして、マリク将軍はタリバンに裏切られたと確信したようです。なぜならば、タリバンは彼に自身の政権内における高い地位に就かせることを約束したものの、結局それが実際に護られない言葉限りのものだったからです。

 ほんの数日のうちにマリクは束の間の盟友に反旗を翻し、アフガニスタン北部全域がイスラム原理主義勢力とマリク軍との幾重にも重なる戦闘に巻き込まれました。機体が鹵獲されることを避けるため、マリクは残存しているパイロットたちに飛行機を(国境を越えて)タジキスタンへ待避させるように命じました。

 入手できた報告によると、1998年夏にタリバンが北部地方を制圧した際に数機の「L-39」が実際にタジキスタンのクロブ基地に避難し、残存機はタリバンに鹵獲されてカンダハル郊外の主要な空軍基地に移送されたと伝えられています。
 
 おそらく2000年に密かに撮影された写真には、カンダハル空港のエプロンに駐機している4機の飛行可能な「L-39」が写っていました。これは、タリバンが新たなパイロットの訓練を再開したか、少なくとも、長い飛行中断を経てタリバンに合流した元共産体制空軍のパイロットの慣熟飛行に「L-39」を使ったかもしれないということを意味しています。

 タリバン軍の「L-39」もマザリシャリフやほかの前線に近い場所にある空港に配備されましたが、この点に関する詳細は情報は不明です。[3] 

 知られていることは、タリバンが自身による攻勢を何度も防いだ有名なアフマド・シャー・マスード将軍が率いる旧政府軍の残党がいるアフガニスタン北東部に「L-39」を投入したことだけです。

 タリバンが設立した「アフガニスタン・イスラム首長国空軍」が運用する「L-39」は「UB-16」ロケット弾ポッドや「FAB-100」無誘導爆弾を搭載し、練習機から攻撃機に一変した航空機に対処可能なジェット機を有していない敵の拠点を空爆していたものの、1999年にはタリバンが投入した「L-39」の1機が対空砲かMANPADSによって撃墜されました。搭乗していたパイロットの運命は今でも分かっていません。

1999年にクンドゥズ州イマームサヒブの町付近にて撃墜されたタリバン軍の「アルバトロス」(尾翼部分)

 タリバン運用されている間でも、「L-39」は前述の標準的な迷彩塗装を維持していましたた。いくつかの機体にはドスタム軍に所属していた時期に施された三角形の国章が残され続けた一方で、少なくとも1機はタリバンのラウンデルの未知の変種が垂直尾翼や(おそらく)主翼に明るい色で施されていたようです。

タリバンの国章の変種か、あるいは色褪せた三角形のラウンデルを垂直尾翼につけた「L-39」の不鮮明な写真のうちの1枚(2001年末、マザリシャリフ空港)

 ロシアの情報によると2000年8月にタリバンのパイロットが「L-39」と共にタジキスタンに亡命したとされていますが、この情報は未だに真偽が検証されていないままです。これに関する情報源の資料では亡命機の機体番号が「239」となっていますが、これは先に解説したアフガニスタンの「アルバトロス」に付与された番号と一致していません。[3]

 タリバン軍の「L-39」乗員の亡命については、2人のパイロットがウズベキスタンに逃亡したことが唯一確認されている事例です。おそらく、彼らは北部の基地から「L-39」で離陸して、国境を越えたところに位置するウズベキスタンのテルメズ空港に着陸したのでしょう。

 機体番号「0022」を施されていたこの「アルバトロス」は、その後ウズベキスタン空軍で使用されて2020年にはチェコの「アエロ」社の施設でオーバーホールを受けました。[3]



アフガニスタン国軍航空隊での「アルバトロス」


 2001年9月11日に発生したニューヨークとワシントンのでの同時多発テロ事件後、アメリカとイギリスはアフガニスタンに軍事介入(不朽の自由作戦)を実施し、たった数カ月で、(しかも現地の反タリバン勢力の部隊の多大な助けを得て)タリバン政権を崩壊させて国際的に承認された新政府を樹立させました。

2001年10月の「不朽の自由作戦」の初日にカンダハル空軍基地で空爆を受けて破壊されたタリバンの「L-39」

 米英軍の空爆によって、カンダハルや他の空軍基地に拠点を置く「L-39」を含めたアフガニスタン・イスラム首長国空軍のほぼ全機が破壊されました。

 しかし、アフガニスタンにおける「L-39」の物語はここで終わることはありませんでした:タリバン政権崩壊から数か月後、アフガニスタン北部のシェベルガーン基地で2機の「L-39(機体番号005と0021」が撮影されたのです。ただ、この2機がタリバンによって運用された機体で飛行場に駐機した状態で有志連合軍の攻撃から生き延びたものか、それともタリバンが北部地方を制圧する前にタジキスタンへ避難して2001年のタリバン政権崩壊後にパイロットと共に帰還した機体のうちの数機なのかは定かではありません。
 
 これまでの悲運を払いのけ、アフガニスタンのパイロットたちは後にこれらの2機をシェベルガーンからカブールに飛ばし、新設されたアフガニスタン国軍航空隊(ANAAC)の指揮下に入りました。

 タリバン政権崩壊後に復帰した3機目の「L-39(機体番号0023)」は、ある意味で謎に包まれています:この機体がカメラの前に登場したのは、カブールで行われたアフガニスタン国軍の大規模な軍事パレードで会場の上空を飛んだ2002年4月だけです。

 垂直尾翼には濃い緑色の模様があるため、同機は以前にタリバンで運用されていたことが推測されます(注:タリバン機のラウンデルは基本的に緑の円で構成されています)。後に登場した機体だけに見られた三角形のラウンデルに置き換える時間が足りなかったので、おそらくはアフガンの整備士が前所有者(タリバン)の「不適切」な国章を濃緑色で上塗りしたのでしょう。

2002年4月にカブール上空を飛行するL-39(機体番号0023)をキャッチした低画質の映像で、垂直尾翼には塗りつぶされたと思しきタリバンの国章が見える

 2000年代半ばには「0021」と「0023」がロシアでオーバーホールを受け、その一方で「005」は駐機状態という扱いとなってスペアパーツの供給源として用いられました。

 オーバーホールされた機体は、上部が緑色と茶色で下部がライトグレーというツートンカラーの新しい迷彩に塗装され、伝統的な三角形からなるラウンデルが6か所に施されました。

 様々な情報源によると、アフガニスタン最後の2機の「L-39」は1970年代と1980年代に訓練を受けたベテランパイロットによって操縦されたものの、2000年代後半から2010年代前半にかけて駐機状態に入ったとのことです。この主な原因については、パイロットたちが英語を話すことができず、カブールの外国人航空管制官と意思疎通できなかったことにあるようです。[3] 

 この「L-39」のペアは主に式典用として使用され、ときにはカブールでの軍事パレードに参加することもありました。これら最後の2機は戦闘に投入されることはありませんでした。すでにANAACはより実戦に適した戦闘用の航空戦力を保有していたからです。

カブール上空を飛ぶ、ロシアでオーバーホールと再塗装を施された2機の「L-39C」(2007年)

カブールの「イード・ガー」モスクの直上をフライパスするANAACの「L-39」


再びタリバンの手へ?

 アフガニスタン国空軍は新型ジェット機の導入にほとんど関心を持たなかったこともあり、最後の運用可能な2機の「L-39」はロシアでオーバーホールを受けてから僅か数年で地上に置かれてしまいました。その後、両機はスペアパーツ用として活用されていた「005」と共にカブール国際空港における軍用エリアでの(露天)保管庫にたどり着き、 2021年夏にタリバンが戦わずして首都に侵入して突如としてアフガニスタン共和国が滅亡するまで、射出座席が取り外された状態で放置され続けたのです。

  誰もが驚いたことに、同年12月にアルジャジーラの報道番組は、明らかに1980年代の共産主義政権下で訓練されたであろう老いた整備員たちが保管されていた「L-39」を整備している姿を映し出しました。

 もし、彼らがこの機体を稼働状態に戻すことに成功するならば、私たちは間違いなくこの歴史的なジェット機が再びアフガニスタンの空を飛ぶ姿を目にすることになるでしょう

射出座席が取り外されて野ざらしで放置された3機の「L-39」(2021年、カブール国際空港)

2021年12月、カブール国際空港でエンジンテストを実施中の「アフガニスタン・イスラム首長国」の「L-39C」

「L-39(0023)」の整備作業に従事する老整備員

 前述の3機の「L-39」に加えて、過去40年にわたってアフガニスタンを荒廃させた内戦の混乱から生き残った同国軍の「L-39」として最後まで把握されているのがカブールのオマル地雷博物館(注:地雷の展示がメインの博物館ですが、内戦で用いられた他の兵器も展示されているようです)に展示された「0017」番機であり、本稿の執筆時点でも依然として同所に存在しています。ただし、同機に関する個別的な来歴について著者は把握していません。

 アフガニスタンの「L-39」について、あなたはもっと詳細な情報をお持ちですか?カブールに行かれた方で、(おそらく)シェアしたい写真をお持ちの方はいらっしゃいますか?あるいは、「L-39」のアフガニスタンにおける活躍について、何か補足となる情報をお持ちでしょうか?
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[1] الحكومة الأفغانية المؤقتة تعلن إصلاحها أكثر من 40 طائرة حربية عطلها الجيش الأمريكي https://www.facebook.com/watch/?ref=saved&v=1061986771321991
[2] Wings of the Hindu Kush - Air Forces, Aircraft and Air Warfare of Afghanistan, 1989-2001 https://www.helion.co.uk/military-history-books/wings-over-the-hindu-kush-air-forces-aircraft-and-air-warfare-of-afghanistan-1989-2001.php
[3] 著者が独自に得た情報による

※  当記事は、2022年1月8日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したもの
 です。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ
 ります。




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2022年4月30日土曜日

ジェットの響きよもう一度:タリバン空軍がジェット機の再運用に向けて動き始めた(短編記事)



著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 カブール国際空港(IAP)からのアルジャジーラのリポート映像は、ここ最近の「新アフガニスタン空軍(タリバン空軍)」が高速ジェット機の導入に向けた作業に取り組んでいる様子を放送しました。[1]

 この映像には、2010年代初頭からカブールIAPで保管状態にあった「L-39」練習機がエンジンテストを受けている様子を映し出していました。[2]

 アメリカが旧アフガニスタン空軍による「Mi-24」攻撃ヘリコプターと「L-39C」練習機の運用については全く役に立たないとみなしていました。特に「L-39」は過去数年間で一度も飛行したとは考えられていなかったにもかかわらず、両機種の双方が運用可能な状態に維持されていました。

 アフガニスタンが合計で26機の「L-39C」をチェコスロバキアから入手したのは1970年代後半のことであり、これらはアフガニスタン北部にあるマザーリシャリーフ空軍基地の第393訓練飛行連隊で運用に就きましたが、後にたった3機の「L-39」が1990年代の内戦とアメリカによる侵攻から無傷で生き残ったと考えられています。 [3]

 ロシアでのオーバーホール後、「新生アフガニスタン空軍」はさらに数年間はこれらの機体を飛ばし続けました。しかし、L-39はジェット機のパイロットを訓練するために使用されるというよりも、閲兵式のような式典に参加するために飛ばされていたようです。

 「L-39C」は両主翼の下に1つずつハードポイントを装備しており、それらには「UB-16」57mmロケット弾ポッドか最大で250kgまでの無誘導爆弾を搭載することが可能です。

 「L-39」が今や「新アフガニスタン空軍」で運用されている他の大半の機体と同様に、旧「新生アフガニスタン空軍」の要員によって飛行と整備が行われている可能性が高いということは、極めて道理にかなったものと思われます(注:タリバン側にこれらの整備や飛行をできる人材が存在しないため)。

 興味深いことに、タリバンは旧空軍時代に施されたラウンデルをしばらくの間は使用し続けているようです(注:当然ながら、将来的に変更される可能性はあります)。




 タリバン空軍は、数機の「A-29B」も稼働状態への回復を試みる可能性があるでしょう。
 
 これらは「L-39」よりもはるかに優れた能力を空軍にもたらしますが、タリバンによる旧空軍機の今後の再使用を阻止するためにアメリカ軍によって講じられた無力化措置の結果として、ほとんどの機体はコックピットに大きな損傷が生じたものと考えられています。



 タリバン軍は、数機の「An-32」輸送機を稼働状態に戻すことにも試みてきました。これらの機体はアメリカが「新生アフガニスタン空軍」に「C-27」の運用へ移行させようと推し進めた結果として2011年6月に正式に退役しましたが、肝心の「C-27」は支援整備の不足がまともな運用を阻んだため、この機の運用については財政面や運用面での大失敗に終わってしまいました。

 「C-27」は最終的に廃棄された一方で、「An-32」の多くは半稼働状態で残されていました。アルジャジーラの映像では、少なくとも5機の「An-32」と「An-26」が作業を受けている様子が確認できます。

 今後は、これらの機体が「新アフガニスタン空軍」の中核を形成することになると思われます。





 今回の映像には、数機の「UH-60」ヘリコプターの飛行作戦が依然として続けらえていることに加えて、アメリカ軍による無力化措置によって修理待ちであったり修理不能なレベルの損傷を受けた18機の「UH-60」が並んでいる様子も映し出されていました。

 後者は、ほかの「UH-60」の稼働状態を維持するためのスペアパーツの供給源となる可能性が高く、今後何年にもわたってタリバン空軍に安定したスペアパーツを提供することになるでしょう。



[1] https://www.facebook.com/watch/?ref=saved&v=1061986771321991
[2] https://twitter.com/HeshmatAlavi/status/1432425159047225353
[3] Wings over the Hindu Kush Air Forces, Aircraft and Air Warfare of Afghanistan, 1989-2001 https://www.helion.co.uk/military-history-books/wings-over-the-hindu-kush-air-forces-aircraft-and-air-warfare-of-afghanistan-1989-2001.php

※  当記事は、2021年12月9日に本家Oryxブログ(英語版)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所 
 があります。




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