2017年10月17日火曜日

イスラミック・ステートの機甲戦力:『工廠』の話


著:シュタイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 「今まで存在した中で最も洗練されたテロ指定組織」というイスラミック・ステート(IS)の地位の上昇は、シリア・イラクや海外の各地で関与している戦場での前例のないレベルの想像力と適応力、そして残忍性が伴っています。

 彼らは2011年にイラクから米軍が撤退した後の治安の欠如を活用した上、シリアにおける権力の空白状態を賢く利用して革命の本来の目的を効果的に乗っ取ることに成功したのです。ISはシリアやイラクだけでなく、世界全体にも脅威として急速に現れる能力を持っていました。

 突然、ISは単なるイラクの過激派グループからイラク、シリアと世界中に広大な領域を支配していると自称するカリフ制国家へ変化しました。その原因は、ISの戦場(主に最前線)で直面した様々な状況に対して迅速に適応できる能力と、適切に適応する独創的なアイデアとそのための熱心な実行力があったことが挙げられます。

 ISの勢力拡大によってシリアとイラクにもたらされた戦闘範囲の急激な変化は、それに巻き込まれた人々にとってショックを与えました。彼らの勢力拡大は多くの人員と武器、そして何よりも空軍力の大規模な投入によってのみ阻止することができました。

 ISの壊滅を目的としているこの強大な力(注:ISと対抗する全ての国)は2001年のアフガニスタンのタリバーン政権崩壊以来、初めて出現した同様に強力な自称カリフ制国家と戦わなければならないでしょう。彼らはISをゲリラ戦と従来戦の両面で敵と戦うことができる力を備えていると位置づけています。

 ISによって捕獲された膨大な量の兵器は、シリアとイラクでの作戦中に展開した大量の重火器を含めた装備に対する正確な(誘導兵器による)攻撃の絶えず続く脅威があるにもかかわらず、彼らが地上でより強い敵に直接挑むことを可能にしました。

 これらの作戦でAFV(装甲戦闘車両)を使用することも例外ではなく、ISはシリアだけでも200台以上の戦車と約70台のBMPを捕獲して運用しているため、シリア軍に続く第2のAFV運用者になっています。

 シリアを支配するべく戦う多くの反政府勢力のほとんどがある時点でAFVを運用していましたが、ISだけが強大かつ組織化された規模で機甲戦力を展開し、その装備の量と質はもちろん使用される戦術によって多くの国の軍隊を凌駕しています。

 このAFV群に対する技術的支援を提供するための努力の一環として、IS支配地全域のいくつかのウィラヤット(州)は、戦場において将来使用する目的で車両を修理や改修をするためのAFV用工場を設立しました。

 ISが支配している全ての行政区域には装甲を強化した車両運搬式即席爆発装置(VBIED)の製造の任に当たる工場がありますが、わずか一握りの州だけがAFVの修理や改修をすることができる重要な工業力を有しています。シリアでは2つの主要な工場:ラッカ州(ラッカ)にある工廠とハイル州(デリゾール)の別工廠が設立されたようです。

 この記事では、「工廠」としてよく知られているラッカ州の「追跡調査された工場」の事業を取り上げます。


 ISはシリアとイラクの戦場で使用するために、VBIEDへ改修したブルドーザーから一見して粗雑でシンプルな装甲強化型の民生車両に至るまでのあらゆる種類の兵器を運用することでよく知られています。これらの醜悪な新兵器への関心は、ISに対してもっぱらそのような車両だけを運用してばかりで従来の兵器を使用することができないという評判を与えています。

 このステレオタイプな見方が間違っているだけでなく、よく聞かれる精密誘導兵器による空爆に直面したISの機甲戦力の有効性を疑問視する主張も大いに誇張されています。

 シリアとイラクの各地でISの重火器のレベルを低下させようという有志連合による集中的な試みとロシア空軍のある程度の努力があったにもかかわらず、ISは2014年9月下旬に有志連合による空爆が開始されて以来、戦闘を行ってきたシリアのほとんどの前線でAFVを制限を受けずに運用することができました。実際のところ、これらAFVの大多数は「工廠」の産物だったのです。

 
「工廠」は、シリアに存在する2番目に大きい武器修理施設でしたが、活動に関してはこの国で唯一最大の活発的な施設だった可能性が非常に高いと思われます。この施設は2014年の夏に始動して以来、3年後の2017年6月に終焉を迎えるまでに150台以上のAFVのオーバーホールと改修をしたと考えられています。ISが将来に再使用するためのAFVのオーバーホールとその改修を目的として取り組んだ事業に関する証言によって、この数字の半分以上をISが2014年から運用した戦車とBMPのストックが占めていることが判明しました。

 この施設は戦車にマルチスペクトル迷彩を施すことからAFVの装甲強化、さらにトヨタ・ランドクルーザーのような4WD車にモジュラー式砲塔を搭載することの全てに至るまで、ISで使用されるほぼ全ての種類のAFVのオーバーホールや改修を幅広く実施しました。

 「工廠」はラッカ州に位置していたものの、その製造車両はイラク内の州を含めたIS全土の各地で姿を見せました。実際、「工廠」でオーバーホールされた数台のかつてシリア軍に属していたT-55はISがモスルを防衛する作戦中に目撃され、その後イラク軍によって捕獲されました。

  
 この記事は「工廠」が2014年の設立から実施したプロジェクトの概要を提供することに加えて、シリア各地の戦闘でAFVを運用した数人のIS戦闘員の生涯も辿っていきます。

 シリアでのIS戦闘員の日常生活を撮影した写真は、友人や家族と一緒に過ごす時間から大量の処刑と斬首後の遺体の詳細な写真を撮るまでのすべてを含んだ戦闘員の非現実的な生活の調査に関心を与えるでしょう。

 「工廠」の位置についてオープンソース・インテリジェンス(OSINT)とオペレーション・セキュリティ(OPSEC)での証言はあるものの、後者では「工場」で働くIS戦闘員によって明確に黙過されていました。しかし、これらのIS戦闘員によって撮影された豊富な個人所蔵の画像は著者に「工廠」の正確な位置を示すことを可能にしたのです。これは戦争中におけるOPSEC(例:画像をアップロードすることで自分の位置を敵に明らかにすることができる)の重要性を明白に証明しています。

 なぜなら、1つの画像は敵対勢力に対して自身の位置を暴露することにつながり、1つの画像をアップロードすることで標的にされたり(自分の位置を明らかにする画像をアップロードしないことで)、逆に発見から逃れることができるからです。


 「工廠」の位置は、AFV修理施設内部で撮影された画像に写り込んだ建造物をジオロケート(位置特定)に利用することができた後の2016年6月に初めて明らかになり、最終的にタブカ飛行場の南西14キロに位置する施設、タウラ工業施設とその勤労者住宅と合致しました。

 この施設はもともと、この地域にある多くの油田の住宅団地と支援施設として建設されたものでしたが、結果としてISにAFV修理工場の設立に最適な場所をもたらしました。

 「工廠」の場所自体は既に発見されていましたが、追加情報と画像の絶え間ない流れは施設に関する記事をこれまで以上の総合的なものにすることを可能にさせたものの、残念なことに完成まで1年以上の遅れをもたらしました。

 興味深いことに、「工廠」の場所は1年以上も前にそれ相応の注目を集めていたにもかかわらず、今まで殆どのアナリストの目から逃れていたようです。2016年6月2日、シリア軍はラッカ県に足がかりを築くという目的で破滅的な「ラッカへの攻勢」を発動しました。狭く伸びた道に沿って進むと、シリア軍は北に向かう前にすぐにサフィーヤの交差点に到達し、やがて既に占領される前にISによって放棄されたとみられる「工廠」に到着しました。

 シリア軍が何の大きな妨害も無くその地点に到着したにもかかわらず、ISは奇襲的な反撃ですぐに「工廠」を奪回し、その前日に敵によってもたらされた全ての戦果を逆転させ、最終的に同じ場所での通常の作業に戻ることを可能にしました。

 著者が大いに驚いたことに、「工廠」自体にスペアパーツ用としてカニバライズ(部品取り)されたいくつかの戦車の残骸が明らかに存在しているにもかかわらず、シリア軍でさえも捕獲したばかりのこの施設の性質を完全に気づいていないようにみえました。さらに追い打ちをかけるように、アマーク通信社(IS系通信社)はISが施設をシリア軍から奪回した後に、「工廠」にあるスペアパーツ用としてカニバライズされた2台のT-72M1の部分的な残骸を含めた映像を公開しました。


 誰も「工廠」の正確な所在地を知っていないように見えましたが、有志連合が2016年8月30日にこの施設の最大の建造物でVBIEDに改修作業にあったBMP-1を標的に空爆した時点でこの施設を認識していたことは確実と思われます。この空爆の結果、BMP-1のみならず建物全体も破壊されました。
テラサーバーから入手した衛星画像によって2016年8月24日の時点で既に他の2つの建物が深刻な損傷を受けていることが明らかになりましたが、6月のISとシリア軍の戦闘の結果によるものなのか、有志連合による別の空爆によるものかどうかは不明のままです。

2016年8月30日に有志連合が「工廠」を空爆したにもかかわらず、施設の正確な性質を完全に認識しているかどうかも不明のままですが、おそらく偶然にBMPを発見したことからそれだけを狙って攻撃した可能性があります。有志連合のインテリジェンスは所有する豊富な情報資源によってすぐにこの施設を特定できたはずだと主張することはできますが、ここで150以上のAFVのオーバホールと改修したという事実はこの可能性とあからさまに矛盾するようです(注:特定できていればすぐに破壊されたはずということ)。
シリア軍は施設を捕獲しただけでなく、(IS戦闘員の携帯電話から得た)「工廠」の中で撮影された大量の写真を所有していましたが、シリア軍組織の非効率性がそれに対する空爆などの対応を妨げました。

しかしながら、「工廠」は2年以上も空爆に妨げられずに業務を遂行できたことは確実です。実際、シリア軍によって捕獲された上にわずか数ヶ月の期間に有志連合の攻撃を受けたにもかかわらず、作業は以前よりもさらに速いペースで継続していると考えられています。
いくつかの設計を簡素化した結果として、「工廠」に過去数年の間で2014年の設立以来最も多くの戦車にオーバーホールと改修をすることを可能にしたのです。ラッカ州の新しく設立された「工廠」への作業の少なくとも一部が他に委任された可能性も排除することができません。



 「工廠」の位置は無作為に選ばれたように見えるかもしれませんが、タウラ工業施設と勤労者住宅が占有する地点が要衝として選ばれた可能性が高いと思われます。ラッカのちょうど南西に位置した上に一見して砂漠の中にある放棄された拠点だったため、有志連合の空中偵察から大きな注目を浴びることありませんでした。
シリア中心部に位置した上にラッカに近接していたことは、ラッカを通り抜けることによって敵に察知されるリスクを冒すことなくISが戦っている各戦線にAFVを送り込む点からも理想的でした。

「工廠」に対する空襲がなかったため、ISは大量のAFVを前線で使用し続けることができたものの、空爆は短期間で確実に「工廠」を無能力化しました。しかし、その後すぐに簡単に他の場所へ移動した可能性があることに注意しなくてはなりません。とは言え、タブカ周辺への集中した航空偵察は「工廠」がオーバーホールされた車両を運用側に引き渡すことだけでなく、まずオーバーホールと改修するためにAFVを受領すること自体を妨害しました。

当初、シリア民主軍(SDF)がタブカ周辺に急速に前進したことから、彼らが最終的に「工廠」を獲得するものと考えられていました。しかし、驚いたことにSDFは「工廠」からわずか数Km離れた地点で前進を停止してしまいた。結果として、「工廠」は静かになり、作戦期間中は占領されずに残されたままでした。
現時点(注:2017年10月現在)で放棄された施設は、最終的に始動開始からわずか3年後の2017年6月初旬にシリア軍によって取り戻されました。
3年間の稼動の間にほとんど報告されなかった「工廠」の存在はシリア内戦の過程で重要な影響を与えたにもかかわらず、メディアで全く報じられないままでした。


 「工廠」によってオーバーホールと改修を受けた実際の戦車に関する話は、まだイラクとシャームのイスミック・ステート(ISIS)と呼ばれていた時のISに所属していた戦車が北アレッポを突き進む車両の護衛をしていた2014年1月26日から始まります。
戦車の装甲に関してはほとんど特徴がありませんが、車列を率いたT-72AVは後にISが戦車や他のAFVの改修の実行を開始したという最初のヒントを与えてくれました。

もっと興味深いことに、それは2014年中にあったほぼ全てのISの主要な攻勢に参加したであろう部隊の姿を初めて我々に見せました。このとある部隊で得られた経験は、後にこの記事で「سرية المهام الخاصة :特別任務小隊」と言及する、このような他の部隊の設立に繋がったと考えられています。時には(間違って)جيش الخلافة:ジャイシュ・アル・ハリーファ(カリフ制軍)として言及されていましたが、特別任務小隊は2014年以来シリアで発動したほぼ全ての主要な攻勢の責任を負っていました。


 話題をT-72AVに戻すと、この車両は約7カ月後、正確には2014年7月9日に再び出現しました。この時点で、同車はこの地域からの後方支援を得ることを目的とした、ISと部族長との会合を警備していました。この力を誇示したショーでは、T-72AVの車体からゆるやかにぶら下がっている爆発反応装甲(ERA)の酷い状態が更に強調されていました。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ハラブ州(アレッポ県):部族会議を警備するために展開した重装備と軍用車」。


 このT-72AVが「工廠」によって近代化された後に再び撮影されるまで、僅か数週間しかかかりませんでした。この車両が、この施設でERAの完全な再配置と新塗装を含む大幅な改修を受けた最初の戦車の1つだったと考えられています。
これらの写真はまた、我々にISの機甲部隊に配属されたいくつかの人員を最初の姿を見せてくれました:アブ・ハムザ・アル・ハリーディーとアブ・オマル・アル・マンスーリ(注:どちらもこの記事のために付与した仮名)で、双方とも「كتيبةالدبابات:戦車大隊」に所属していました。



 この車両はたった僅かな時間の後、都市の北部に位置するラッカの穀物サイロに再び姿を見せました。この施設は以前は「戦車大隊」と「特殊任務小隊」の拠点になっていましたが、都市にあるISの砦を発見して破壊しようという広範囲にわたる有志連合の試みによって穀物サイロの近くにAFVを存在させることができなくなりました。最終的には有志連合による空爆で近隣にある倉庫が標的にされて破壊されました。
この施設はISのAFVへのオーバーホールと改修に何の役割も果たしていないにもかかわらず、数度の機会にわたって「工廠」と誤認されました。

また、この穀物サイロは、ISが2014年8月上旬に第93旅団基地を占領する目的でアイン・イッサを攻略するためのT-72AVを含めた部隊の主要な集結地として役立てられました。この攻勢は、最終的に8月7日に同基地を占領する結果をもたらしました。注目したいのは、戦車を「工廠」から穀物サイロへ移送したときに発生したはずの車体下部の装甲に装備されたERAの列に生じた損傷(欠落)です。


 今ではT-72がトレーラーに載せられるのは見慣れた光景です。興味深いことにこのT-72AVのサイドスカート上に装着されたコンタークト-1ERAは、通常の密集した配置からより均等に分散した配置に切り替えられています。また、後部の泥除けにコンタークト-1を配置したことは注目に値します。なぜなら、防護強化の点では全く役に立たず、代わりにあまりに多く知られているT-72の本当の弱点の箇所が曝け出された可能性があるからです。


 ISが孤立した第93旅団基地を占領した後に公開された画像は、「戦車大隊」の他のいくつかの戦車と共に攻撃に参加したこのT-72AVを再び映し出しました。
新しい状態のT-72AVが初めて公に公開されたにもかかわらず、同車のさらなる画像や映像は、攻撃後の数ヶ月でISのメディアによってシェアをされることはありませんでした。
しかし、この理由はすぐに明らかになりました。


 このT-72AVの悲惨な残骸はおそらく2発の弾が命中後、火災が発生して決定的に破壊されたものとみられます。

 皮肉なことに、戦車に発射された弾の1発が新しいサイドスカートに取り付けるためにERAを取り除かれた状態のままだった砲塔前部に命中したように見えます。この画像は「戦車大隊」のメンバーの一人が撮影したもので、この乗員全員が戦車の破壊から生き残ったと思われます。


 前述のT-72AVの追跡は何千両ものAFVの関与と破壊があった内戦の稀なケースであり、アブ・ハムザ・アル・ハリーディーが撮影した写真なしにこの程度まで追跡することは不可能でした。

 この「戦車大隊」メンバーのデジタルフットプリント(インターネットを使用しているときに残す全ての痕跡)は、著者が「工廠」の場所を特定するのを助けるだけでなく、「戦車大隊」の他のメンバーやシリア各地で実施される作戦で使用されるAFVの特定にも極めて重要だと証明しました。

 アブ・ハムザ・アル・ハリーディーに加えて、「戦車大隊」の他のメンバーや「工廠」の技術者もソーシャルメディア上での存在のために特定することができました。
Twitterは2014年の時点で既にテロ指定組織との戦争を宣言してIS戦闘員と支援者のアカウントを停止していますが、多数のIS戦闘員は様々なソーシャルメディアのアカウントを維持し続けています。

 IS戦闘員が使用したSNSの中でも特に注目すべきはFacebookです。シリアでの作戦及び日常生活の情報と写真の収集のため、著者は「戦車大隊」とは別の部隊のメンバーを装って所属戦闘員との接触をいくらか試みましたが、Facebookによって数回にわたってアカウントが削除されました。

 皮肉なことに、当のIS戦闘員のアカウントの多くは今日に至るまでFacebook上に残っています。外国人戦闘員が「工廠」を運営する上で極めて重要な役割を果たしている可能性が非常に高いですが、その存在をそこで立証することはできませんでした。

 (Facebook上で活動している)ISの戦車乗員の多くは他の乗員だけでなく、シリアを支配するべく戦っている別の様々な勢力の戦闘員も「友達」にしています。実際、そのほとんどがAFVに対する共通した情熱によって、互いを分断しているだろう宗教的信条や他の違いを無視することを選んで結び付いているように見えます。これについては戦場で互いを殺し合う関係なので極めて異例なことですが、それでもFacebookでは「友達」でした。

 彼らの戦車でポーズを取ってあらゆる角度から写真を撮ったり、Facebook上の戦車愛好家グループのメンバーになっていても、ソーシャルメディア上の彼らの存在は我々に対してほとんど目にする機会が無いIS戦闘員の生活への興味深い見識を確実にもたらしてくれます。


 話題をアブ・ハムザ・アル・ハリーディー(以下、アブ・ハムザ:上の写真左側の人物)に戻すと、彼のデジタル上の足跡は「工廠」を研究する上で非常に重要になっています。彼の人生の状況の幾つかは不明のままですが、彼は自らが所属していた反政府派ダウード旅団が2014年7月8日にIS側に逃亡した際にアブ・オマルと共にISに加わったと思われています。この逃亡が多数の運用可能なAFVを乗員と共にISへもたらし、そのほとんどがこの地域の他のすべての反政府勢力を根絶やしにするべく北アレッポへ迅速に配備されました。

 ISの頻繁なメディアリリースは、ISがシリア北部の反政府勢力やシリア軍からより多くの領土を得るにつれて、これらのAFVのいくつかの追跡を可能にしました。一例としては、クワイリス空軍基地を守備しているシリア軍を追い出すために同所へ展開した「戦車大隊」のT-72「ウラル」(写真)があります。

 さらに興味深いことに、アブ・ハムザは2014年8月14日にISに占領されたアクタリンの町で彼のT-72「ウラル」と一緒に写真レポートに写っていました。


 彼はアクタリンで撮影される前に第93旅団への攻撃に参加したことが知られており、後にそこで虐殺され、切断された守備兵の写真を撮影しました。彼の写真に写された遺体は第93旅団制圧後にリリースされたIS公式画像で見られるものと比較することが可能で、それはすぐに一致しました。
 
 続く数ヶ月間の戦場における彼の行動は不明のままであり、それから再び姿を現したのはタドムル(パルミラ)を占領した後の2015年5月、都市の北側に位置する大規模な弾薬庫を点検しているときでした。

 多くの写真が軍事への彼の関心に捧げられていたが、他の画像は彼の3人の子供、家族、友人、そして他のIS戦闘員と過ごした個人的な生活風景を写していました。これらの戦闘員の大部分は「戦車大隊」のメンバーであったと思われます。

 アブ・ハムザはまだ若い年齢であったものの、既に3人の子供の父親でした。前線や「工廠」にいない時、彼はラッカ市で大半の時間を過ごし、しばしば「戦車大隊」の他のメンバーとくつろいでいました。この友人のグループはラッカ滞在中に定期的に撮影されており、ユーフラテス川のそばで楽しく時間を過ごしたり、前線から離れた間の時間に食事を楽しんだりしていたようです。下の画像は破壊された「新ラッカ橋」の近くで撮影されたものであり、VICE Newsがほぼ同時期に制作したISに関するドキュメンタリー番組の一部を撮影した場所とまったく同じ所でうす。現在進行中の調査を危うくしないために、写真ではとある3人の顔を加工してぼかしています。

 AFVや斬首された人間の遺体、彼の新生児と一緒に過ごした貴重な瞬間を写した写真の
あからさまに奇妙で対照的なブレンドは、2015年8月10日のアブ・ハムザの死まで続きました。この日、彼はクワイリス空軍基地への攻撃に失敗して彼のT-72 「ウラル」から逃げ出した後に、アブ・オマルと共に殺害されたと考えられています。


 残念ながら、この記事の調査によれば「工廠」に関係があるほとんどの人がこの数年の間に戦闘で殺害されました。

 「工廠」が実施に実施した改修について詳しく説明する前に、シリア各地でAFVを使用したIS部隊の体制について現時点で何が知られているのかを理解することは賢明なことです。
前述のとおり、ISの戦車の多くは「戦車大隊」に組み込まれており、さらにそれぞれが異なる拠点を有する幾つかの部隊に分けられていました。それは理論的には独立した部隊でしたが、「戦車大隊」は決してそれ単体で出撃することはなく、そのかわりにAFVはシリア各地への攻勢の間にいわゆる「特別任務小隊」に所属させられました。

 アナリストがシリアとイラクにおけるISの運用体制を解明することについてはまだ道のりは遠いものの、現在では、シリア全域で攻勢を開始する任務を負う特別な種類の部隊があることは一般的に受け入れられています。

 時には(おそらく誤りかもしれないが)「カリフ制軍:ジャイシュ・アル・ハリーファ」
として知られているこれらの部隊(この記事で「特別任務小隊」と呼ばれるもの)は2014年以降のISによる主要な攻勢の任に当たる部隊であり、その作戦中にAFVを大量に使用することになりました。

 「特別任務小隊」のための土台は、シリアでのISの存在が増大する中の2014年初頭の時点で既に築かれていたと考えられていますが、2014年と2015年の外国人戦闘員の大規模な流入は、ISが現在の境界を越えて「カリフ制」を拡大するためにより専門的な部隊を立ち上げることを可能にしました。

 新兵を最前線に直接配置する代わりに、多くの戦闘員は「特別任務小隊」への編入のためにラッカに引き止められました。これらの小隊は通常のIS部隊よりも意欲が高く、よく訓練されていると考えられており、おそらく戦闘員のかなりの部分がISに加わるためにシリアに渡った外国人であるという事実によるものです。


 通常の構成では、「特別任務小隊」は、ラッカを拠点とした戦闘員と支援車両である数台のテクニカルから構成されており、「戦車大隊」と砲兵部隊は作戦に応じて配属されます。その目的を果たした後、これらの部隊は次の任務を待つ個々の拠点に戻ります。これはどの部隊も同じだというわけではなく、各作戦の間にいくつかの個々の組み合わせで構成することができました。

 これらの部隊の拠点は、ラッカに拠点を置く戦闘員が目的地に向かう前に車両を終結させるタブカ周辺の地域に位置すると考えられていました。この方法は重装備をラッカを通行して輸送する必要がないので、有志連合による発見のリスクを最小限に抑えることができました。

 「特別任務小隊」の典型的な編成は下の画像で見ることができます。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ムジャーヒディーンがダル・アル・ファテフ(デアー・ハファイアのIS名)の町の東にあるヌサイリー(アラウィー派の蔑称)軍の拠点への襲撃を準備している」。

 「戦車大隊」に加えて、فرقة عثمان بن عفان:ウスマーン・イブン・アッファーン師団、فرقة أبي عبيدة بن الجراح:アブー・ウバイダ・ブン・アル=ジャッラーフ師団、فرقة الزبير بن العوام:ズバイル・イブン・アウワーム師団から成る、少なくとも3つの他の部隊がシリアでAFVを運用していることが知られています。3つの全ての師団は、正統カリフ時代に重要な役割を果たした預言者ムハンマドの教友にちなんで名付けられました。


 当初、アブ・ハムザの部隊は「工廠」に駐屯しており、戦車を付近の果樹園に隠していました。結果として、有志連合がシリアとイラク上空で航空作戦を開始したために戦車を外に出す時間を大幅に減少させたので、航空偵察による発見の機会を最小限に抑えることができました。この施設にある多くの建物が戦車に十分なシェルターとして割り当てられたため、航空偵察が航空偵察が大きな問題をもたらしたとは考えられていません。

 (下の画像で見られる)果樹園に「隠された」T-72AVはリワ・ダウード旅団の戦闘員と共に到着した戦車の一つであり、以前に彼らの映像に登場したものと考えられています。


 興味深いことに、アブ・ハムザの部隊に属するT-72「ウラル」の1台は東ゴータの大部分を支配していることで最もよく知られ、以前はシリア北部でも強力な存在だったイスラーム軍)のマークを付けています。

 したがって、この例はISがイスラーム軍の支配地を引き継いだ際に捕獲したものか、あるいはダウード旅団から来た車両で、わざわざマークを取り除くことをしなかったものと思われます。



 下の画像では、5台の戦車が「工廠」によってオーバーホール・改修されるための順番を待っている様子が分かります。施設の駐車スペースは車両に航空偵察から逃れるための多少は安全な隠れ場所を提供し、結果として長年にわたって有志連合による空爆を受けることがありませんでした。

 しかし、たった1回の空爆で複数のAFVの破壊を回避する可能性があるために、有志連合による空爆が開始された後に施設にある戦車の位置をより均等に広げさせられたようです。写真の後部に写っているT-72は深刻な戦闘損傷を受けているように見えるため、スペアパーツの供給源として使用されるものと思われます。


 「工廠」にある最大の建物には複数のAFVが同時に収容されていましたが、他の小さな建物も作業場や保管庫として使用されていました。その最大の建物の2016年8月30日時点における状態を考慮すると、通常は一度に1台の戦車しか収容されていない小さな建物に生産ライン全体を移動させる必要がありました(注:空爆で打撃を受けたため)。

 いくつかの建物は実際にはとても小さかったので、戦車を屋内に入れるために入り口をカットして大きくしなければなかったのです(注:そのままの入り口のサイズだと戦車を入れることが不可能だったため)。



 「工廠」と「戦車大隊」の施設に加えて、タウラ工業施設と勤労者住宅は「戦車大隊」だ
けでなく、ここで整備や改修を受けたAFV用の弾薬庫としても使用されました。

 作業の完了後、これらのAFVは新しい運用者に引き渡される前に適切な弾薬を積み込まれました。AFVの運用要員について、そのうちのいくつかは「工廠」で訓練を受けたものと考えられています。これらの画像は「工廠」の作業規模が実際どれだけ大きかったかを強調しています。


 タウラにストックされていた戦車砲弾の一部に目を向けてみましょう。ここにはシリアに存在するほぼ全てのタイプの砲弾が含まれています。この中で興味深いのは、T-55AM(V)に搭載された誘導装置と共に9K116-1 システム「バスチオン」として知られている9M117M対戦車誘導弾を弾頭に備えた3UBK10M-1砲弾の存在です。シリア内戦中に極めて稀にしか使用されていなかったこの砲弾は、ISによって照明弾と誤認されていました。


 戦闘で損傷を受けたT-72AVの残骸が「工廠」に持ち込まれ、その後スペアパーツ用として完全に破棄されました(注:下の画像)。これらのAFVの多くは、光学装置や戦車砲といった他の戦車に搭載できるさまざまなスペアパーツ用の部品取り用の母体として活用が可能だったため、損傷を受けたたり、時には破壊された戦車を輸送することが「工廠」の一般的な業務となりました。
 これはまた、ISが2016年6月に施設を奪回した際に撮影した、前述した2つのT-72の砲塔の存在の理由にもなります。

 
 AFVの内部部品をリサイクルすることに加えて、T-72AVやT-55(A)MVといった戦車にはERAが標準装備されているため、無傷のものを他の戦車に装備させることができました。

 その一例は下のシリア軍が運用していたT-55(A)MVで、 元々は2016年6月の「ラッカへ」の攻撃の間に破壊されたものであり、その後に「工廠」 に移送されて2017年6月にシリア軍が施設を奪回した後に再び姿を現しました。この戦車はERAを完全に取り外されていますが、それ以外はそのまま残されています。

 リサイクルのもう一つの例は、2013年にFSAによってタウラ工業施設の近くで破壊されたこのT-62(1972年型)です。この戦車は2016年6月のシリア軍による施設の最初の奪回の間に再び目撃され、「工廠」の2回目の奪回の際にまた遭遇しました。どちらの目撃例も前照灯、赤外線捜索灯やTSh-2B-41照準装置がないことを明らかにしました(この戦車を撮影した映像がYoutubeにアップロードされていましたが、現時点ではアカウントが凍結されているために視聴することができません)。



 シリアとイラク各地におけるISの戦車の輸送は常に大型トラックを用いて行われ、そのうちの1台[603]は、下の画像のとおりハマ州で成功した襲撃の後で捕獲されたT-72「ウラル」を輸送しています。

 シリア軍は車両や時には弾薬で満杯の倉庫を含めた装備を残して撤退することで悪名高いので、ISは鹵獲したガニーマ(戦利品)をその牙城へ運ぶために大型輸送車両を頻繁に利用しました。これらのトラックは、戦車の搭載によって生じる致命的な負荷を除いて民間トラックとほとんど区別がつかないことから殆ど標的とされていませんでしたが、T-62を搭載した以下の車両は例外です。

 民間車両と区別がつかない輸送車両を多用している理由としては、アメリカ空軍が「ガニーマ」をタドムル(ここでは7台の戦車を含む兵器がISに鹵獲され、空軍基地の強化シェルターに保管されていました。)などの前線から移動させる機会を妨害するため、捕獲された武器自体を頻繁に標的にしていることもあります。

 シリア空軍とロシア空軍による怠慢はISに大型トラックでAFVの迅速な回収をもたらしました。これはシリア内戦でこれらの空軍を悩ますいくつかの明らかな弱点をさらけ出した、極めて重大な間違いでした。 最終的に、彼らは「ガニーマ」をオーバーホールや改修、更にはシリアの他の場所へ配置させるために「工廠」へ向かったことでしょう。






 「工廠」によってオーバーホール及び/又は改修されたAFVは、運用側に引き渡される前にこの施設によって車両が整備されたことを示すマークが付けられました。このマークは下の画像で見ることができます。

 これらのマークは、通常、黒い四角の上とそれに記載された以下の3つの文字で構成されています:「الدولةالإسلامية - 'イスラミック・ステート'、جيشالخلافة - 'カリフ制軍'(ジャイシュ・アル・ファリーファ)、固有のシリアル番号」

 ISがかつて一時的に使用していた9xx番号付与システムの代わりに、これらのマークのいくつかのバリエーションが過去数年の間に知られています。ウスマーン・イブン・アッファーン師団とアブー・ウバイダ・ブン・アル=ジャッラーフ師団は、これまでに注目されていた[101]、[701]及び[506]といった独自の番号付与システムを使用したことが知られています。

 これらの印は当初、一部の人々にこの「ブラック・スクエア」が(この記事で「特別任務小隊」として知られている)主に戦闘で鍛えられた外国人戦闘員で構成された、いわゆるISのエリート部隊である「カリフ制軍」専用のものだと断定させました。

 ISは主にイラクだけでなくシリアでも車両の一部に部隊マークを施していますが、「ブラック・スクエア」は「工廠」によってこの戦車がオーバーホールされたことを示す標識に過ぎない可能性が非常に高いと思われます。同様に、「カリフ制軍」は特定の部隊ではなくISの軍隊全体を指していると思われます(注:つまりIS軍そのものということ)。

 さらに興味深いことに、このマークは「工廠」によって改修されたAFVのカウントと追跡調査を可能にしました。
 以下は、様々な種類のAFVに適用された、既に判明しているシリアルのリストです。
特筆すべきはこのリストにはT-72が3台しか存在しないことであり、理由は未だに不明のままですが、ほとんどは「ブラック・スクエア」を付与されていません。

BRDM-2: 100,106

BMP-1: 202, 206, 208, 211, 212, 213, 215, 218, 219, 222, 225, 227, 229, 230, 231, 232, 233, 234, 235, 248, 252, 253, 255, 258, 259, 261, 266, 267

T-55: 301, 302, 307, 309, 310, 314, 319, 324, 325, 331, 334, 337, 352, 370, 363, 365,366, 370, 372, 412

T-62: 333, 335, 336, 34?, 3?2, 344, 347, 348, 352, 353

T-72: 311, 329, 334

ZSU-23-4: 400

BTR-50: 601


 これらのナンバリングシステムは各車種ごとに付与された独自の最初の桁数(例:BMP=2 [00]、T-55=3[00]など)によってかなりシンプルに見えますが、その適用はいくつかの要因によって複雑になりました。

 最も重要なのは、AFVとVBIEDとの間の区別はなかったことです(例:207は通常のBMPかVBIED型のBMPのいずれかということ)。

 当初、車両のシリアル番号はAFVの専用であることを意味していましたが、後にISはBMPの車体が無いにもかかわらず2xxシリアルを付与されたBMP-1の砲塔を搭載したトヨタ・ランドクルーザーを運用しました(車体部にもシリアルが付与されました)。また、「ブラック・スクエア」の無いAFVをオーバーホールや改修した場合に、独自のシリアル番号が与えられていたのか、それとも番号付与システムには含まれていなかったかどうかは不明のままです。


 このシステムは当初「工廠」 でオーバーホールされたほとんどの車両に適用されていましたが、これらのマークは増加装甲を取り付けた後は見えなくなってしまうことがあり、その後のMBTの改修を繰り返すうちに完全に放棄されたようです。

 他の車両はシリアでの戦歴を積む間ずっと「ブラック・スクエア」を付け続けましたが、時には擦り切れて下の画像のZSU-23-4のようにかろうじて見える程度までになったものもありました。


 「工廠」によって行われた装甲の改修を解明するために、この記事では主な改修プログラムと共に、AFVの非常に長いリストを作成させたこれらの興味深いバリエーションについて解説します。

 この記事で取り上げた車両に加えて、過去数年の間で各改修プログラムに関して更に多くのバリエーションが存在していました。実際、改修プログラムのいくつかは規格化されていたようですが、「工廠」によって改修される車両はまったく同じということではありませんでした。

 これの完璧な例はT-72「ウラル」の[311]で、同車はその生涯を通して「工廠」で3回以上オーバーホールや改修を受けました。この戦車はアブ・ハムザの戦車で、「工廠」と戦場の両方で定期的に撮影されていました。 下の画像は2回目のオーバーホール中の戦車を写しているものであり、増加装甲とマルチスペクトル迷彩カバーの支持部は既に取り付けられていることが分かります。









次に、2回目の改修の最終段階における[311]を見てみましょう(注:下の画像)。 
戦車は再塗装され、戦車の前部と後部に迷彩カバーを追加するための裏打ちとスラット・アーマーが追加されています。「ブラック・スクエア」は最初の画像ではまだ存在していませんが、2番目と3番目の画像の時点で既に施されています。
T-55AとT-72AVも「工廠」の最も大きい施設で改修作業を受けていることが分かります。
右のチェコスロヴァキア製プラガV3Sは、工具用の作業場として機能したと考えられています。

この戦車の装甲配置は車体両側と砲塔の周囲にスラット・アーマーが特徴で、「工廠」による初期の改修プログラムの特色を示しています。前者は装甲版の上にわずかな間隔をあけた状態で直接取り付けられています。このスラット・アーマーは戦闘で損傷を受けた後に容易に交換することが可能であり、改修された戦車のいくつかの特徴の一つです。
追加された特徴には、戦車のサイドスカートのすぐ上にゴム板が装備された点と、主砲の防楯部を保護するためにT-72AVから回収された3個のコンタークト1 ERAブロックが装備された点が含まれています。
また、興味深いのは履帯後部の上にスラット・アーマーを配置したことです。これは戦車を防御する目的としては全く役立ちませんが、それでもなお素晴らしいタッチと言えます。

防御力の増強を受けているにもかかわらず、この戦車の装甲配置は決して理想的ではない上に、独自の部品で構成されているためにその製造と装着が困難です。当然ながら、この装甲配置は後に従来のレイアウトに置き換えられました。しかし、T-72[311]は細部への過剰とも言える程に注意を払って入念に改修された「工廠」の職人技の証と言うことができます。













下はマルチスペクトル迷彩カバーを砲塔に追加した後の同車ですが、車体前面と側面にはカバーがまだ装備されていません。
砲塔の周りに(迷彩カバーの)太いコードがあると、戦車の光学機器の使用が酷く困難になって視界が大幅に低下するリスクがあります。これがこのT-72 「ウラル」の酷い照準精度を更に低下させていますが、既に光学機器の一部を増加装甲によってブロックされた装甲強化型T-72 「ウラル」を多く運用していたISにとって、これが大きな問題になった可能性は低いと思われます。

[311]は2回目のオーバーホール後に戦闘に参加した可能性が高いですが、2014年後半から2015年初頭の間にかけての運用状態についてはほとんど知られていません。
マルチスペクトル迷彩の導入は、この戦車が有志連合軍機が活発的に飛行している地域へ展開した可能性を示唆しています。しかし、IS部隊の攻勢を描写しているプロパガンダ・ビデオが頻繁に投稿されていたにもかかわらず、同車はそれらに一度も登場しませんでした。

















ISのメディアリリースでは明らかに欠場していたのにもかかわらず、T-72 [311]は2015年中頃の時点で「工廠」によって3回目の改修を受けました。
この改修にはいくつかの装甲配置の変更が含まれています。最も注目すべき点としては、車体両側面にあった装甲パネルをスラット・アーマーとゴムと推定される板で構成された2枚の大きなパネルに交換した点と、砲塔周囲に装備されたスラット・アーマーの上下の幅が拡大された点が挙げられます。

[311]が「工廠」を最後に訪れたことが判明した直後、同車は(2012年12月に包囲されて以降の空軍基地に対して発動する最大の攻勢の準備のため)2015年8月初旬にクワイリスへ展開しました。
「戦車大隊」は既にいくつかの機会に2012年以降、様々な反政府勢力とISによって開始された数度にわたる攻撃を成功裏に撃退したクワイリスの守備隊と交戦していました。
続く戦闘によって反政府勢力は空軍基地守備隊とまともに戦うことができないと証明されましたが、ISによる一新した取り組みはクワイリスの回復力をきっぱりと終わらせることを意味しました。

クワイリスを占領するための待望の攻勢は最終的に2015年8月9日に行われました。
ほとんど完全に報じられていませんが、これは2014年8月24日のタブカ空軍基地の陥落以来に行われたISによる最大の攻勢の1つとなったはずです。
この攻勢では、いくつかの「特別任務小隊」とアブ・ハムザのT-72[311]を含む装甲支援車両が攻勢に参加しました。   
下の画像では、8月9日の攻勢で自爆攻撃をする戦闘員の1人の背後に[311]が見えます。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「イスティシュハディ(殉教攻撃)をする兄弟、アブ・アブドゥラ・アル・シャミ」。












クワイリスの守備隊は、当時の時点で3年弱の包囲下で数度にわたる大規模な攻撃の撃退に成功していたため、戦闘せずに死守を諦めることはありませんでした。
AFVや砲兵支援が完全に不足している上にISによる激しい砲撃下にあったにもかかわらず、空軍基地の防衛はISの領域とクワイリス基地を隔てる広大な土地の幅を恐れずに横切る侵入者に対して最適なものになっていました(注:防衛に適した、隅々まで見渡せる地形だったということ)。

クワイリスの防御陣地について詳細に述べることはこの記事の範囲を超えていますが、守備隊の強さは主に空軍基地のHAS(強化シェルター:対爆格納庫)の上手い活用まで及びました。
HASの多くは、必然的に真の要塞へと変化させられました。(その占領を試みることは非常に困難な任務であることが判明して)ISがHASを超えて前進することは決してなかったという事実は要塞化したHASの強さを証明していると言えます。

不幸なことに、ISは空軍基地を占領するためにこれらのHASを征服しなければなりませんでいした。
空軍基地を囲む平坦な地形が(他の部隊に)IS戦闘員の波が守備隊によって殺りくされていく光景をすぐに見させたことから、「特殊任務小隊」はHASの襲撃中に歩兵を安全に輸送するためにAFVを大量に使用しました。
2015年8月の攻勢の間に2回の機械化部隊による襲撃が行われ、それぞれの実行と成果は非常に似たものになりました。

最初の襲撃は2015年8月10日に実施され、その参加車両にアブ・ハムザのT-72 [311]とBMP-1 [208]が含まれていました。
彼らの目的はクワイリス基地東部のHASまで前進して、強固に要塞化された陣地を襲撃する戦闘員を降車配置させることでした。
この襲撃が成功する可能性があったならば、HASにより接近することが可能な場所でIS戦闘員をBMP-1から降車させて安全に到達できるようにするために、塹壕に隠れているHASの守備兵を制圧する必要がありました。

まさにその時に、このような環境下で作戦中の乗員の未熟さが露見し、攻撃側に悲惨な結果をもたらしました。
アブ・ハムザのT-72は幅広い視野とHASの守備兵を制圧するのに必要な、主砲の仰俯角がとれるBMP-1の背後に位置する代わりに、BMP-1を追い抜いて自らをHASの守備兵を狙うための(砲の仰俯角がとれない)盛り土の背後に配置しました。
そのおかげで、他の地点を射撃するための視野も盛り土によって阻まれていました。

















アブ・ハムザのT-72からの援護射撃を一切受けずにBMP-1から降車したIS戦闘員は、盛り土に向かって走った際に素早く殺りくされてしまいました。その後、戦闘員を乗車させていたBMP-1も敵弾が右側面のスラット・アーマーに1発が命中しました(そのおかげで車体の装甲が貫通されていない可能性がありました)。
BMPの乗員の運命はHASを襲撃した戦闘員と同じ可能性が高いはずです...車両から脱出した後に射撃を受けたことでしょう。

アブ・ハムザのT-72も敵弾に命中したかどうかは分からないままですが、彼と彼の乗員は彼らの周りに広がっている大虐殺から脱出を試みようと戦車を放棄したようです。安全に走ることができる場所がないので、最終的にアブ・ハムザは簡単な標的となってそこで殺害されました。
クワイリス基地の最も東にあるHASを占領するという彼の目的は失敗しましたが、シリア軍兵士が彼の携帯電話に何とかアクセスして多くの画像をジャーナリスト達とシェアした後に、彼の死はインターネット上での彼らの存在の発覚に通じる大量の画像と知識をもたらしました。

下の画像は、いくつかの遺体が放棄されたBMP-1の周りに散乱している状況を写しており、攻撃中にここで行われた虐殺をはっきりと明らかにしています。
BMP-1には、同車を無力化したか乗員に脱出やパニックを引き起こしたに違いない、砲弾が貫通した穴がはっきりと見えます。
さらに興味深いのは、BMP-1の燃料タンクとしても機能する後部ドアの外側に追加された装甲板の存在です。




















T-72 [311]が無傷で鹵獲されたにもかかわらず、後に撮影された写真では同車が完全に焼け焦げており、いくつかの遺体もその場から移動させられています。これについては、攻撃の直後に撮影された上記の画像と比較することができます。
この理由は不明のままですが、続く数ヶ月の間にいくらかのジャーナリストが同基地を訪れたという事実とは何らかの関係していて、この後始末された光景はより劇的なカットのために作られた可能性がある。
あるいは、その場所は射撃演習で使用された可能性があるので、それがT-72の状態を物語っているのかもしれません(注:射撃演習の的になった可能性があるということ)。
BMP-1は後にその場から撤去されたが、T-72は今日までここに残り続けています










この大失敗は、一見してISに機械化部隊による2回目の攻撃を実行することを思いとどまらせなかったようです。その2回目の攻撃にはT-55 [319]及びBMP-1 [206]を含む車両が参加しました。
T-55 [319]はおそらく、ISに仕えた戦車の中で最も象徴的な車両の1つです。この車両には他のT-55と識別できるような特別な外観的特徴はありませんが、2014年6月30日にラッカでカリフ制の布告を祝賀するパレードに参加したため、ISを扱う記事で(時折いまだに)注目される車両です。

このひどく損傷を受けたT-55Aは、1970年代後半から80年代初めの間に北朝鮮のレーザー測距儀(LRF)と風圧センサーでアップグレードされた、シリアに多く存在するT-55の一つです。
この大規模な改修プログラムでは、数百台のT-55Aに北朝鮮が設計したLRFと風圧センサー、それにKPV 14.5mm重機関銃が搭載されました。
しかし、システムを使用するためには過去の使用経験や訓練を必要としたため、シリア内戦で北朝鮮が改修した車両を運用している多くの勢力がこれらのレーザー測距儀を使用することはなかったようです。










クワイリス空軍基地に展開する前に、この戦車は戦場に復帰することを見込んで「工廠」で大規模な改修を受けました。
最も顕著なのは、戦車の(砲塔を囲むかなりの空間領域と車体側面を含む)ほとんどの部分を覆う非常に素晴らしいスラット・アーマーの装備です。戦車の機動性を確保するために、車体側面のスラット・アーマーはその内側にあるゴム板と非常に近接して装備されているため、その有効性が部分的に無力化されています(注:空間装甲の意味がなされていないということ)。

さらに、「工廠」によって同様に改修された多くの戦車のように、スラット・アーマーは光学機器の視界を妨げることによって戦車の状況認識力を著しく妨げるおそれがありましたが
、ISはこの「犠牲」を喜んで作っているように見えます。
スラット・アーマーの設置で唯一妥協した点は、同軸のPKT 7.62mm機関銃の使用を可能にするために(射線の干渉部分を)カットしたことでした。
また、T-55の脆弱な後部を考慮すると役立っただろう、装備の保管やDIY装甲の保持のために使用されると思われる、車体後部に装備された大きなコンテナも興味深いものがあります。

アブ・ハムザのT-72が参加した攻撃の失敗から得た教訓は一見して無いようで、このT-55は第1次攻勢とほぼ同じように展開する第2次攻勢に参加しました。
T-55は降車した戦闘員の支援ができるBMP-1の背後に配置する代わりに、文字どおり自らを(明らかに敵の車両がこの盛り土を通過することを妨害する役割を果たすために設けられた)盛り土の中へ突進させました。
(自らの動かすことのできるスペースを殆ど失ってしまったという)この致命的なミスの後にT-55は被弾したようですが、貫通はしていませんでした。
T-55が被弾した直後に、BMP-1の乗員はまだ使える自車を放棄したと思われます(注:捕獲されたため)。







また、このT-55のD-10T 100mm戦車砲RPGと思われる弾に貫通されています。この攻撃はT-55の作戦能力の喪失をもたらしており、その後に同車が放棄されたようです。
戦車が他の点ではまだ運用可能の状態にあったという事実は、(車両自体を戦闘から離脱させることを招いた主砲の損傷を受けた後に)場所を移動させたり、砲塔を何度も旋回させたように見えるという点によって証明されます。


















T-55AとBMP-1の両方は後で空軍基地の防御線内部に移動させられ、より詳細に調査することを可能にしました。
T-55の砲塔に装備されているスラット・アーマーは、既にこの時点で部分的に外れています(これはおそらくシリア軍によるものでしょう)。
BMP-1 [206]には車体の後部ドアに追加装甲用の取り付け部が装備されていますが、この攻撃時に追加装甲は存在していませんでした。
クワイリス基地を占領することを目指した攻勢はさらに数日間続きましたが、8月末を通して徐々に規模が縮小していきました。
縮小によって基地を占領するというISの目的は当分の間断念されなければならず、それは最終的にシリア軍が基地の包囲を解除する目的で反撃を開始した後、完全に放棄されました。
突然、ISは基地を占領する代わりに自身を防御する必要が生じたため、これらの交戦ではより多くの改修されたISの戦車の姿が見られました。











クワイリス基地の防衛線の外周における激戦で数台の改修型BMP-1が失われ、そのうち2台([206]と[208])が後にシリア軍によって運用されました。
皮肉なことに、空軍基地の守備隊はこれまでにいかなる種類のAFVも不足していたので、守備隊の目の前に放棄されたBMP-1は彼らの追加装備として確実に歓迎されたことでしょう。
スラット・アーマーを装備したT-55は一見して無傷の状態で捕獲されたましが、主砲の損傷はシリア軍による再使用を妨げました。

※ここでT-55[319]号車の戦歴について簡単に説明します。
ISはクワイリス基地の占領を考えており、短期間に数回の攻撃を試みました。
この攻撃の中の一つに[319]号車が参加しましたが、スタックして基地守備隊に回収されました。この車両は砲身に被弾しましが、それ以外は無傷だったのです。
しかし、砲身の損傷が守備隊による再使用を妨げ、最終的にクワイリス基地の防衛線内部に放棄されました。


















クワイリス基地を占領するという悲惨な試みによって、ISはいくらかの改修されたAFVを喪失しましたが、最終的には何の利益も得ることはありませんでした(それどころか不利になりました)。
しかし、「工廠」はクワイリスで失われた車両と同じように、いくつかのAFVを引き続き改修していきました。間違いなく最も印象的だったのは、既に砲塔と車体の前部にあるERAに加えてスラット・アーマーを装備したT-72AV [334]でしょう。

ERAの存在が「工廠」の印(ブラック・スクエア)を描く場所を残していないので、鋼板が車体の正面に取り付けられ、そこに「カリフ制軍」の文字とシリアル番号が表記されました。しかし、(おそらく時間の無駄だと思われたために)この慣習は後に全て放棄されました。
ちなみに、この[334]はアブ・ハムザのT-72 [311]の防楯に見られた、明らかに戦闘で彼を救わなかったERAを本来装備していた車両です。
この戦車の作戦地域と最終的な運命は不明のままです。

















同様に改修された2台のT-72は、後にホムス州、ハマ州、ハラブ州で2015年を通して運用されている姿が見られ、このうちの1台はハマ州での攻勢に参加した後に基地へ戻るために輸送されている間にも見られました。
両方とも上で見られるT-72AVではなくT-72M1の派生型ですが、シリア内戦であまり見ることがないこれらの戦車の印象的なスラット・アーマーの配置はほぼ同じです。
下の画像の文字は次のとおり: 「ドゥア地区でヌサイリー軍の拠点を戦車砲で攻撃している」。





結局はかなりの数のAFVがこの種のスラット・アーマーを装備することになり、その製造プロセスはいくつか異なるものの、明確に規格化されました。
この装甲の配置の有効性は不明のままでしょうが、RPGやおそらくATGM(対戦車ミサイル)といったタイプの投射物に対して効果があることを証明している可能性があります。
残念なことに、有志連合による空爆の開始後にはISにとってこれらは彼らの中の問題では最も小さなものになったでしょう(注:空爆対策の方が重要であるため)。
下のハラブ州での作戦の画像では、このスラット・アーマーで改修されたT-62(1967年型)とT-55Aを1台ずつ見ることができます。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「PKK背教者集団の集会を戦車砲弾で攻撃している」と「カナサー北部のラスム・アルナフル村のヌサイリー軍と民兵の集まりを戦車弾で攻撃している」。








この改修プログラムの亜種(下の画像)には、異なるタイプのスラットアーマーの配置がなされています。これはアブ・ハムザのT-72 「ウラル」で見られた装甲の配置に似ています。
この戦車は砲塔の周囲にマルチスペクトル迷彩のカバーを装備する予定であり、そのための支持部はこの改修段階の時点で既に存在しています。
確かに素晴らしく見えますが、スラット・アーマーは「金属製マットレス」の上に全く間隔を設けないで装備されています。同様に、無限軌道の前部にある金属製のフェンダーが投射物に対して本当に効果的なのかどうかは疑わしいものがあります。







「工廠」でオーバーホールと改修、それに再塗装が完了した後のBMP-1[213]に注目してみましょう。
この画像は、車体側面にある追加装甲パネルの取り付け部を見せてくれます。
この車両が戦闘で見られる以前は、他の改修車両の場合では被弾後に追加装甲パネルが外れたように見えたことがありましたが、[213]の場合は敵弾が命中した後でさえいくつかの装甲パネルが取り付けられたままであったため、車両の間で装備方法が大きく異なる可能性があります。








これと完全に同じ車両はデリゾールで見ることができました
同車は都市へ接近するための前進を試みている際にシリア軍によって撃破されました(下の画像)。
(よく見ると)砲塔が車体から外れているので、車内にある弾薬が誘爆した可能性が高いと思われます。車体側面と砲塔へのスラット・アーマーの装備はこの車両が破壊されることを防ぐには明らかに不十分でしたが、同じ配置のスラット・アーマーがいくつかの機会に発射されたRPG弾頭を止めたことが知られています。

BMP-1の車体にERAを装備することが車両の防護力を増強するより簡単な方法と思われていますが、コンタークト-1 ERAに敵弾が当たった際にはそれ自体が爆発で砕け散って車体の装甲に対する爆発の破片を更に強化することになるため、BMPの紙のように薄い装甲はこの方法を実際には逆効果なものにしてしまうでしょうう。
この効果にもかかわらず、いくつかの勢力は車体にERAを取り付けてBMP-1の装甲を増強しようとしたので、時には悲惨な結果を招くこともありました。








「工廠」は数種類にわたるAFVの装甲防御力を強化させることに加えて、有志連合が2014年9月にシリア上空での空中作戦を始動して以来、同軍機によるIS車両の標的化に対する解決策を出すことも試みました。
有志連合の航空戦力が都市の防衛に決定的な役割を果たしたコバニの戦いは、IS軍に精密誘導兵器で武装した航空機への脆弱性を驚くほど明らかにさせました。

頭上を旋回する高速ジェット機や無人航空機(UAV)に対して無防備なままだったISの唯一の実行可能な選択肢は、敵に発見される機会を減少させることであり、それが戦場におけるISの興味深い適応に至りました。
その一例は、兵士の熱源を拾う赤外線(FLIRターゲティング・ポッドでの捜索を妨害するために、裏地にアルミを備えた数種類の迷彩服の製造です。
これらの方法は比較的難しいものではなく実装も容易ですが、戦車と同じ大きさの物体をカモフラージュするにはこの記事の前半と下の画像で明らかにされているように完全に異なる方法が必要とされました。
このカモフラージュを構成する、吊り下げられたロープ状のものは革の帯だと考えられており、上記の迷彩服と同様の働きをします。













当然のことながら、マルチスペクトル迷彩で改修された戦車のほぼ全てが、ISがシリア軍だけでなくYPGに対しても攻勢を仕掛けていたバラク州(ハサカ県)に配備されました。
YPGはこの地域におけるISの進撃を阻止する上で重要な役割を果たす、有志連合の大規模な航空支援を当てにすることができました。
カモフラージュ・ネットがまだトラベリング・ポジションで固定された状態にある下のT-55は、後に「戦場の獅子2」に見られるハサカ県に配備された車両の1つです。
この車両のマーキングは不作法に施されています:「カリフ制軍 『334』」。







他のISのAFVの改修と同様に、有志連合の航空戦力を欺くというマルチスペクトル迷彩の有効性はほとんど知られていないままです。
しかし、この種のカモフラージュを装備した戦車が今までに有志連合による空爆の映像で目標として取り上げられたことが無く、シリアの地上において空爆と推定される攻撃で破壊された姿も見られないので、有志連合軍機を欺いて発見を回避することに効果があった可能性があります。

偽装された戦車が映った数少ない映像は、下のT-62ではっきりと証明されたとおり支持部及び吊革自体が傷みを非常に受けやすいことを明らかにしました。
このとあるT-62(下の画像)は、ISがハサカの市街地への侵入と占領を試みた戦いを題材にした宣伝映像「ジハードの栄光」に出てきたものです。2つ目の画像にあるとおり、ぼろぼろになった迷彩カバーが有志連合の航空戦力を欺くことに寄与することはほとんどないでしょう。














このT-62は、2015年7月にハサカ県でYPGによって捕獲されました。
最終的に2015年8月1日にハサカの解放に至るYPGとシリア軍が残存しているIS軍の包囲後、このT-62 [335]は市街地の中で捕らわれの身となったのです。
T-62[335]の残骸は広範囲にわたって記録されており、かつてカモフラージュ・ネットを保持していた構造をより細かく見ることを可能にしています。
戦車自体は既にこの時点で無力化されており、エンジンと砲塔の後部に大きな損傷がはっきりと映し出されています。
















アブ・ハムザは「工廠」でマルチスペクトル迷彩カバーの取り付けを施工中の数台のT-62も撮影しました。
真下にあるT-62は、(ハサカ県で被弾して放棄される以前に)後に[335]となりました。
「工廠」によって施されたマークはシリア各地に移動したISのAFVの追跡調査を容易にしましたが、いくつかの戦車に依然として残っていた元のシリア軍のマークも、時には戦車の出処に関して貴重な手がかりを与えてくれることもありました。

このマークを手がかりにした追跡調査は、特に(シリア内戦で最大の重装備の鹵獲数である)少なくとも30台のT-55と十数門以上の野砲をISに与えた、2014年8月7日に第93旅団基地を奪取した後に必要不可欠となりました(注:AFVの数が増えたため)。
これと(ISにさらに多数のT-62とT-55をもたらした)2015年8月のカルヤタイン占領といった他の場所で鹵獲した兵器の数は、「工廠」に一見して無限の量のAFVを絶えずオーバーホールと改修させることを可能にしました。

























装甲防御力の増強によるAFVの改修は比較的速いペースで継続し、その間にAFVの大多数が幅広い種類の装甲の改修を受けました。
これらの改修のほとんどの質は、先に見た「工廠」の初期の仕事ぶりとは対照的にこの時期に急に低下しました。
下のT-72はその完璧な例で、これまで見られた広範囲に及ぶスラット・アーマーは、現在では砲塔の周りの土嚢と車体側面への粗悪な見た目のもので置き換えられています。

このT-72は、2015年11月に包囲が解除された後、IS戦闘員が周囲を維持するために戦闘していたクワイリス空軍基地を囲む地域に配備されました。
最初のテキスト・バーの内容は次のとおり:「クワイリス空軍基地の西側にてヌサイリー軍の集まりを戦車砲弾で照準を定めている」。
2番目のテキスト・バーの内容は次のとおり:「クワイリス空軍基地の西側にて機関銃で
ロシアの飛行機(による攻撃)を防いでいる」。



























初期の改修プログラムに沿って改修されたいくつかの戦車には、砲塔と車体側面に同様のスラット・アーマーが装着されました。
砲塔周囲の大がかりなスラット・アーマーの配置は同時期に放棄され、砲塔の防御力をさらに強化するために土嚢や様々な他の物を固定することができる金属バーの単純な設置に置き換えられました。

この戦車のサイドスカートは著しく粗悪な品質ですが、先に紹介した、大幅に改修を受けたAFVの一部に見られるものと同じデザインです。
(サイドスカートの)横のバーはフレームに不均一に溶接されており、DIY仕上げの外観をさらに強調しています。
砲塔と車体側面のスラット・アーマーとの間に装備された薄いスラット・アーマーの細長いプレートは特に脆く、明らかにきっちりと組み立てられていないように見えます。







更に質が低下した例としては、主に砲塔の追加装甲のレイアウトがほぼ全ての戦車で異なっていたことが挙げられます。
通常の配置は、前述の土嚢または様々な物を搭載するための金属バーの装備から構成されていました。
これは下に写っている3台の戦車からも明らかで、各車両は先に見たような大規模なスラット・アーマー装備計画の指針に沿った改修の名残があります。
北朝鮮のLRFを装備したT-55にまだ残っている一枚の装甲パネルについては、特にスラット・アーマーを使用している点が注目されます。その理由としては別の装甲板の上に更に直接施されており、成形炸薬弾頭が命中した場合、貫徹力を実際に止める可能性を少なくしているからです(注:空間装甲の意味を相殺しているため)。



















2015年に「工廠」によって改修された戦車の多くは、下の画像のハラブ州で運用されているT-55のように2017年まで十分に生き残ったものと思われます。
この戦車に装備されていた追加装甲のほとんどが外れ落ちたと思われ、同車が「工廠」によって再びオーバーホールを受けずに何ヶ月か何年もの間戦ったという当然の結果を示しています。
実際、以前には戦車が何度も「工廠」に戻った姿が見られましたが、ISの戦車保管場所やストックが徐々に減少していったことは内戦後半の「工廠」での再改修を妨げました。








「工廠」は様々な種類のAFVを戦場において再び使用するためにオーバーホールや改修することだけではなく、多数のAFVを車両運搬式即席爆発装置(VBIED)へと改修し始めました。
ISのやり方では、攻勢の多くはVBIEDの使用(恐ろしい空爆に相当するISの攻撃と考えることができる)から開始されます。通常、これはトラックや装甲を強化した4x4車両であり、これらの自爆車両は自身の破壊力だけでなく心理的な武器としても効果があります。

VBIEDを生産するISの取り組みの対象は決して民間車両に限られたままではありませんでしたが、2015年以降、VBIEDに改修されるAFVの数が増加しています。
「工廠」は、おそらくデリゾールにおけるのIS軍の例に倣ったと思われます。
デリゾールでは、戦車やブルドーザーが早くも2014年にVBIEDのプラットフォームとして使用され、強固に防備された都市中心部から残存しているシリア軍を追い出そうと努力しました。
BMP-1と2S1をベースにした2台のVBIEDも2013年のミナクの戦闘で投入されました。
そこでは、ISのVBIEDの使用がヘリポートの占領に決定的に役立ちました。

「工廠」で製造されたVBIEDの多くは、従来の車両と比較すると防護力と機動性をが向上したBMP-1をベースとしています。
貴重なBMP-1をVBIEDとして使用することは戦力の無駄使いになると主張することが可能ですが、BMP-1の紙のように薄い装甲と見栄えのしない武装は今日の紛争ではあまり役に立たちません。
いくつかの未改修のBMP-1はハラブ州(アレッポ)とハイル州(デリゾール)で活動は見られましたが、それらが他の戦線の殆どで見られなかったことが既に指摘されていました。

手元に十分な数があれば、多くのBMP-1はVBIED化の犠牲になり、この改修はすぐに規格化されました。この改修では砲塔と後部ドアの1つが取り外され、その後に溶接されて閉じられました。この後部ドアの撤去の背後にある正確な理由は、現在のところ不明のままです。
いくつかの車両はゴム製のサイドスカートやスラット・アーマーから成る追加装甲を装備されていますが、その差はおそらく利用可能な資源と時間次第でしょう。
典型的なBMP-1のVBIEDは下の画像のとおりです。
下の車両はISのプロパガンダ・ビデオ「二つの国の間で:苦難と報い」で取り上げられており(19:47)、最終的に目標に達する前に激しい射撃を受けまし(注:ビデオ・タイトルの「国」は、ムハンマドが最初に建国したイスラームの国とISが建国した国を意味すると思われるとのこと)。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「イスティシュハディ(殉教攻撃)をする兄弟、アブ・ダウド・アル・チュニジ。アッラーはアウラン村にある背教者サゥワット(ISと戦っているスンニ派)の拠点へ突撃する彼を受け入れるだろう」。














おそらく、使用されたこれらのBMP-1 VBIEDの中で最も恐ろしい実例は、ダマスカスとタドムルの間に位置するカルヤタインの近くで起こりました。
この町では、シリア軍と2015年8月5日に町を支配したISの間で大きく争われていました。2016年3月に開始された政府側の攻勢ではカルヤタインの支配権を取り戻そうと試みましたが、(いくつかのVBIEDを展開していた)町を防衛しているIS軍とすぐに衝突しました。

町でのシリア軍の攻勢を混乱させる試みで、カルヤタインに駐留していたIS軍は実際にBMP-1のVBIEDを使用して、広大な砂漠にてシリア軍を正面から攻撃しました。
少なくとも2つの車両がこのやり方でうまく使用され、猛射撃の中での前進は攻撃者の逃亡を引き起こしました。
どちらもISのプロパガンダ・ビデオ「もし彼らがあなたと戦うなら、彼らはあなたに背中を見せるだろう」で取り上げられ(10:12)、このタイトルは結果的に映像で示されたシーンを描写したものと判明しました。

ISの最善の努力にもかかわらず、カルヤタインは最終的に2016年4月に奪回されました。
爆発物を積載したBMP-1を映す下の画像のテキスト・バーの内容は次のとおり:「カルヤタインの町の郊外でヌサイリー集団を襲撃したイスティシュハディ(殉教攻撃者)、アブ・ジャラ・ラヒビ」と「「カルヤタインの町の郊外でヌサイリーの隊列を襲撃したイスティシュハディ、アブ・ジャアファル・アル・ジャウラーニーの乗り物」。















カルヤタイン周辺での猛烈な混乱を引き起こした手柄は別として、ISはバーブを前進するFSAとトルコ軍の拠点に対するVBIEDの理想的な使用を見出しました。
FSAによる遅い進撃はトルコ軍がISのATGMとVBIEDによる攻撃に脆弱な拠点に陣取ることを余儀なくさせましたが、この点についてISの戦闘員はすべてをよく知っていたということが事実です。

下の装甲強化型BMP-1 VBIED [225]はバーブ近くの自由シリア軍とトルコ軍の連合部隊に対して使用され、それは敵の車両がそうすることを防ぐために的確に立てられた砂の障壁の存在にもかかわらずなんとか進入することができました。その後、このVBIEDはトルコ陸軍の車両によってブロックされた後に爆薬を起爆させたので、[225]がより大きなダメージを与えることは失敗に終わりました。
このVBIED攻撃の映像は、ISのプロパガンダ・ビデオ「十字架の盾」で観ることができます(8:45)。
以下のテキスト・バーの内容は次のとおり:「兄弟アブ・オマル・アル・ハーシミ。アッラーはアル・バーブの町の西側でサゥワット (自由シリア軍)集団とトルコ軍の背教者達に対するイスティシュハディ作戦を実行した彼を受け入れるだろう」。

















シリア各地で「工廠」のマークを付けた戦車ベースのVBIEDもいくつかは使用されていましたが、これらのVBIEDのほとんどは、実際には「工廠」ではなく現場でVBIEDに改修されたと考えられています。
その一例は下の画像のハイル州(デリゾール)で運用されているT-55[363]であり、残った空のスペースに大容量の爆発物を搭載できるように砲塔が撤去されました。
その結果として戦車にもたらされた低車高は飛来してくるRPGを回避し、VBIEDが目標を達成する確率を向上させることにも好都合です。
この車両の爆発はここで観ることができます(3:26)。

















VBIEDに改修された別の戦車にはT-62 [347]があり、同車は以前にこの記事の前半で説明した大掛かりなスラット・アーマーが装着されていました。この戦車はある時点で運用者がVBIEDとして使用することにしたようで、その後に砲塔が撤去されました。
その後、この戦車はマンビジの近郊に配備されました。
これは、下のISがリリースした画像で見ることができます。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「マンビジの町の南にある背教者クルド人の拠点に向かって進んでいるインギマージ小隊」(注:インギマージとは、準自爆戦闘ともいえる戦術で、通常は自爆ベルトと小火器を携行し通常の戦闘に従事するが、弾薬切れや負傷、敵に包囲されどうにもならなくなった際に自爆する最期の手段。自爆が前提ではないことが特徴)。

臨機目標を待っている状態と思われますが、このT-62 [347]は空爆で木っ端みじんに破壊される直前の姿を、有志連合軍機のターゲッティング・ポッドを介して見ることができます。
この空爆がもたらした爆発は非常に強力で、戦車を完全に破壊するだけでなく、戦車自体がそこにあったという証拠すら消し去ったのです。
ちなみに、[347]の砲塔は後で同じくVBIEDに改修されたと思われるT-55 [324]の砲塔と
アブー・ウバイダ・ブン・アル=ジャッラーフ師団に所属する捕獲されたM1114とともに、北アレッポのIS野戦工廠で発見されました。











一方で、サイカル空軍基地を包囲しているIS戦闘員は世界初のT-72ベースのVBIEDを使用しようと試みましたが、その搭載爆薬を起爆させることに失敗し、空軍基地周辺の地域を守備するシリア軍によって捕獲されました。
航空機が離陸する姿を見ることができるほど、戦闘員は空軍基地の滑走路に近い位置に陣取っていたにもかかわらず、ISはこの空軍基地への本格的な攻撃を開始するのに十分な勢いを得ることができなかったようです。
この-72にはサイドスカートが装着されていましたが、これは後に「工廠」によって改修されたほぼすべてのT-72でスタンダードな装備となりました。






興味深いことに、デリゾールでBTR-50が1台だけVBIEDとして使用されたことがあります。かつての大規模なBTR-50部隊の一部は今日まで未だに保管されて生き残っているかもしれませんが、 この車両の存在はシリア内戦においてはほぼ完全に欠けたままです。
2014年にISによって占領された多くのシリア軍基地のうちの1つで発見された可能性が高く、その後にオーバーホールとVBIEDへの改修のために「工廠」へ送られました。


















BMP-1のVBIEDへの改修は、改修される際に車両から撤去された砲塔の安定した供給をもたらしました。
これらの砲塔は以前の改修では共食い整備に使用されているようにみえましたが、その後にいくつかは有名なトヨタ・ランドクルーザーのような特定の種類の民間車両に砲座として採用されました。
砲塔と乗員区画はモジュール式で、異なるタイプの車両に取り付けることができます。

その結果、シリア内戦からより巧みなデザインが出てきていることは間違いないなく、リビア内戦で運用されていた同様の車両とは際立って対照的なものになっています。
その1台は下で見ることができます。
テキスト・バーの内容な次のとおり: 「ハイル市中央でヌサイリー軍の拠点を砲撃している」と「ハイル市郊外でヌサイリー軍のメンバーを重火器で攻撃している」。












こういった武装テクニカルは「工廠」によって製造されていることが知られており、少なくとも3台は主にデリゾール周辺での使用が目撃されました。
しかし、1台はハラブ州のトルコ軍に対する作戦で目撃されており、奇妙なことに車両の2A28 73mm砲が砲兵の用途で(注:間接射撃の砲として)使用されました(20:59)。
これらの車両はその大きさのためにかなりの量の弾薬を搭載することが可能で、更にマリュートカ対戦車ミサイル(9M14)で武装することさえできました。

デリゾール郊外のアイヤッシュ兵器庫を捕獲した後、98発以上の同ミサイルがIS軍に捕獲されており、そこではシリア内戦で最大量の武器をISに提供しました。
テキスト・バーの内容な次のとおり: 「Haramishの丘の頂上にあるヌサイリー軍の兵舎にマリュートカ・ミサイルを発射している」と「ハイル市の西側にあるヌサイリー軍の拠点を重火器で攻撃している」。









これらの車両をシリアに配備することに加えて、これらのモジュラー式砲塔の少なくとも1つ[231]はイラクのISに行き着き、その後ニーナワー州でフォードF-350に搭載されましました。
同車は後でこのまし州でイラクのISによる戦車の稀な使用も見られたいくつかの攻撃に参加したことが目撃された。これには、シリア側から供給された北朝鮮LRFを装備した装甲強化型T-55の使用も含まれていました。
これらの車両がイラクで運用できたという事実は、ISは何とかして領土内でほぼ無制限の自由な移動をすることができたということであり、空軍がそれを的確に妨害することを目指していたにもかかわらず自由な移動を維持できたことを証明しています。












「工廠」の影響力はイラクにまで達しましたが、 この施設は2016年6月に初めて直接の脅威にさらされることになりました。
それはまだ「発見」されていなかった施設の最初の深刻な敗北でした。
ラッカとタブカのIS中心部の西側面(にいる部隊)は「工廠」の防衛も担当していましたが、同所はその地域の平坦な地形のために簡単に防御されていただけで、その拠点は空爆と地上攻撃の両方に脆弱な状態でした。

シリア軍はタブカに近い砂漠の道に沿って成功裏に前進して最終的には「工廠」の占領に至りましが、ISは少なくとも前進をいくらか止めて逆転できるかもしれない援軍の到着を可能にするために、その進撃を遅らせるべくいくつかの試みを実行しました。
3台のBMP-1 VBIED[202]、[212]及び[222]もこれらの試みの1つに参加する運命にありました。























3台全てが政府軍の前進を一時的に遅らせることに成功したのでしょうが、これは単に最初にVBIEDの脅威を無力化せざるを得なかったという事実によるものです。
平坦な地形な上、(シリア軍による)多数の戦車と正面攻撃を用いた戦術は、ISに敵の近くでVBIEDを起爆させる任務をほぼ不可能にさせ、3台全てが無傷で捕獲されました。
BMP-1 [202]は上の画像に写っている金属製の装甲板で証明されているように、深刻な打撃を受けたようです。












続くISの反撃は1年以上もシリア軍のこの地域で前進するためのさらなる取り組みを断念させましたが、その一方でISはクワイリス空軍基地の周辺を前進するシリア軍と激戦を繰り広げました。徐々にアレッポ市周辺の領域を失い、クワイリスを占領する主導権を失ったISはすぐにハラブ州各地を防衛する必要性に気付きました。














同地域でのトルコが支援しているFSAとSDFの大規模な進撃は、ISのAFVの定期的な出現をもたらしました。
AFVやATGMに関してはほとんど運用されておらず、SDFは主にIS車両の破壊と拠点防衛のために短射程の対戦車兵器と有志連合の空軍力に依存していたのです。

バーブに進行しているFSAは空軍に加えてトルコのレオパルト2M60Tサブラを当てにすることができましたが、そのいくつかはISによって捕獲されたり、破壊されました。
その代わりに、トルコ陸軍の戦車がバーブ周辺で少なくとも2台のISの戦車を破壊した要因だと考えられています。
異なる勢力によって何千もの戦車が配備されたにもかかわらず、シリア内戦での戦車戦は極めて稀にしか発生しませんでした。




















ISのプロパガンダ・ビデオ「戦場の獅子4」で見られるように、ISのAFVに対する全く異なる種類の改修が2016年後半にバラカ州(ハサカ)で運用されているT-55に行われました。
この改修では、車体側面と砲塔の追加装甲板を使用してスラット・アーマーのように命中弾を阻止する可能性を向上させているます
砲塔の場合、装甲板は広範囲に間隔を空けられ、そこへ更なる防御のために砂利や砂の土嚢が詰められています。この改修はスラット・アーマーの装着よりもわずかに勝る防御力を付与しますが、欠点は重量を増加させて機動性の多少の低下をもたらす点です。
このT-55に関しては本来はサイドスカートが無いため、この改修にはその欠点を非常にうまく設計されたやり方で対処したという付加価値がありました。従って、その改修の専門性は単なるDIYを遥かに超えているようです。












これと全く同じ戦車は後でハイル州で運用されている姿が見られたが、現在はデリゾールの地形とうまく溶け込むように迷彩塗装が施されました。
この戦車の正面にある四角のマークに書かれた文字は次のとおり:ズバイル・イブン・アウワーム師団 - 工廠の装軌式(車両)。
この戦車はそこに残存しているYPGとシリア軍を排除するというISの希望が終わった一連の敗北の後で、ハサカ県からデリゾールに配置転換された可能性があります。














この新しい改修プログラムの最初の製品は、シリア軍の進撃を食い止め、あるいは押し戻すために送り出された「特別任務小隊」の一部として、2016年6月21日にタブカ近くでの反撃に参加したことが既に目撃されました。
この巧妙デザインは、その砲塔の周りに砂利や砂の土嚢で満杯にした装甲板のベルトと、既に存在しているサイドスカートの上にボルト止めされた装甲板のセットを組み込んだものです。この戦車の乗員は装甲防御力を少し向上させることを望み、後で砲塔と車体正面上部に土嚢を追加しました。

ほとんどのISの戦車はシリアのIS領内の各地へ配備されて終わったようですが、この戦車は砂丘に調和した塗装を施され、もっぱらシリアの砂漠地帯におけるシリア軍に対して使用されている姿を見ることができました。
タブカに配備された後、全く同じ戦車が後にホムス州に現れ、ISのプロパガンダ・ビデオ「完全なる勝利」で運用されている姿を見ることができました。
下に表示された戦車の僅かに異なる派生型は後にダマスカス州で見られ、改修が複数の戦車に施されたことを示しています。







この戦車は2016年10月にデリゾールのすぐ手前で最後に目撃されており、「神からの支援と差し迫った勝利(5)」で装甲が強化された他の2台のT-72と共に取り上げられました。
この映像には、この戦車が大型トラックによって(前線に)到着したシーンが含まれており、戦車がハイル州に攻勢に参加するために展開したことが確認されました。
その後、これらの戦車は別の戦域に再配備された可能性が高いと思われます。
それ以来、この戦車は目撃されていないので、有志連合軍やロシア空軍の犠牲になったと思われます。










この装甲の配置は滑らかな外観と遥かに慎重に熟慮されたレイアウトであり、大いに細心の注意を払って改修された戦車の基本的なテンプレートとして役立ちます。
最も改修された戦車はT-72ですが、この種の改修はそれぞれ異なっている上に一度だけしか施されていないため、それぞれのデザインが特有のものになっています。
それぞれのバージョンでは以前のものより独自の改良が加えられていますが、それは今までに例のない時間とリソースを個々の車両に費やしてているだけでなく、ISの残存している戦車戦力の向上を目的としてますます洗練された方法も示唆しています。








最も重要な例は綺麗に改修されたT-72AVであり、改修された戦車の最初のものは精巧な迷彩パターンを施され、全体として改修に費やされた配慮をはっきりと反映しています(牽引フックの逆配置はミスだろうが、作者は喜んで許したい)。
これは工具箱に開けられた(装甲強化のために追加の資材で充填することを可能にする)穴や細部に沿って慎重に修理されたフェンダーの泥除けによって断言することができ、プロジェクトに従事しているISのエンジニアによって実行された正確なアプローチを立証しています。これは改修の主な特徴:砲塔に密着してベルト状に配置された、砂利や砂で満たされた追加装甲でも明らかです 。

新たに追加装甲上に装備されたERAの角度と車体ではなく砲塔上部にERAが存在することは奇妙に見えるかもしれませんが、空に向かってERAを追加することで乗員が無効化することを望んでいた有志連合軍機の脅威の増加と関係している可能性があります。
プロ級の仕上がりのため、この戦車は旧ソ連諸国によってアップグレードされたように見えるにもかかわらず、よく見ると機能の一部が失われていることがわかります。
塞がれた光学機器及び欠けているIRサーチライトは別として、これの顕著な例は発煙弾発射機です。新しく装備されたベルト状装甲の位置のために、発射時に発煙弾が戦車自体に衝突してしまうのです。
それでもISの戦闘員がこのような機能を頻繁に使用する可能性は低いので、このリスクの解決を諦める決定は賢明でしょう。





この同じ戦車は、実際にはたった一度だけ作戦中に目撃されました。
同車はウンム・アル・カラの町の近くでのISの攻勢の間に、別の改修されたT-72と一緒に町への攻撃に参加しました。
ちなみに、この戦車は攻勢の間にISと防衛しているSDFの両側から撮影されました。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ウンム・アル・カラの村でPKK背教者集団の拠点に向かって進むカリフ兵の戦車」。











ベルト状追加装甲に完全にデザインを改めて配置されたコンタークト1ERAブロックを特徴とするこのT-72AV改修型は、2016年12月にタドムル近郊で作戦に従事する姿が見られました。
適切に採用された戦車の迷彩パターン、ERAブロックの珍しい配列と上手く設計されたサイドスカートは、決して5年近くも内戦に巻き込まれたテロ集団の創作物ではなく、より現代的なT-72やT-90の派生型に関係するものだと人に信じさせてしまうおそれがあります。
先のT-72改修型にはこの改修型のように正面装甲板上にERAが無いが、これは改修時に利用可能なERAの量と直接的に関連している可能性が高いと言えます。













間違いなくISから出た中で最も素晴らしい外見の「製品」は、宣伝資料で頻繁に目撃されていました。皮肉なことに、それにもかかわらず、主にこれまでに見せられてきた低すぎる映像の質のために誰からも「発見」されていなかったのです。
しかし、その問題は下の素晴らしく鮮明な画像によって完全に解決されました。
この戦車は、これまでのところ、他の1台の戦車でしか目撃されていない魅力的な「スプリンター迷彩」(この戦車での有効性は疑わしいですが)のために際立っており、同様に追加装甲とERAブロックの構成が極めて上手く調整されています。

明らかに高いレベルの細部にわたる注意は、光学装置用に作られた切り欠き部と2基の発煙弾発射機を維持して主砲ダストカバーの隣に移し、前述の理由で履帯上にある工具箱に開けられた穴に表れています。
また、改修された他の戦車のように、補強されたサイドスカートと砲塔の周囲に砂利で満たされたベルト状の追加装甲を装備しています
前の2つの改修型に装備されたERAの豊富な列とは対照的に、この戦車のERAの配置はそれらとは異なっており、正面装甲板、砲塔の天井部とベルト状追加装甲の上部のみに特別の注意を払われています。
今まで遭遇してきたDIY車両のほとんどがぼろぼろで醜かったため、手が込んだ迷彩、詳細に及ぶ改修と素晴らしい装甲の改良を施されたこの戦車の存在は本当に予期しないものでした。










この戦車はウンム・アル・カラ近郊でで既に先に紹介したT-72改修型の1つと同じ一団の中で見られており、これは作戦で戦車が3回目撃されたうちの最初のものでした。
同車はタドムルへの攻勢の間にISの車両の一団を率いた姿が再び見られており、攻勢に参加した「特別任務小隊」の1つに属していると思われます。
この近頃では珍しいシリアでのISの力の誇示は、やがて2016年12月11日に都市の占領をもたらしました。
しかし、T4空軍基地への更なる前進に失敗しただけでなく、同地域を守備する兵員の不足したためにシリア軍が2017年3月2日にこの地域を奪回しました。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ジャズル地区にあるヌサイリー軍のチェックポイントへ攻撃に向かう途中のカリフ兵達」。
この戦車が最後に目撃された機会はハマ県のサラミーヤ近郊でのことであり、同車は塗装が剥げ落ちたりサイドスカートの一部が外れるなど頻繁な戦闘で酷使された状態でした。














これらの素晴らしいデザインの姿に加えて「工廠」ではいくつかの追加の亜種を製造したており、それぞれが砲塔周囲でのERAのレイアウトが異なっています。
おそらく防御力に関してはほぼ同じだろうがこれらの戦車はあまり素晴らしい見た目ではなく、上で紹介した滑らかなデザインの車両と(装甲配置について)同じ配慮を受けているようには見えません。
興味深いことに、下の車両には車体正面の下部に追加装甲が付与されているため、そこに被弾した際の生存率がわずかに向上しています。













同様に改修された2台の戦車は、後日、ホムス県のアラック近郊でロシア空軍によって破壊された後に姿を見せました。
シリア各地に残存する領土を急速に失ったISは、包囲されたデリゾール市へ進撃する政府軍勢力を阻止しようとする絶望的な試みで大量の兵士とAFVを投入しました。
適当な対空装備は全く無かったので、後に多くの戦車がその地域で作戦中のロシアの攻撃ヘリコプターの犠牲になりますた。

両方のT-72は共に悲惨な残骸になったにもかかわらず、砲塔の周囲に包まれたベルト状装甲の中身について興味深い姿を見せてくれました。  
これは、装甲間の充填財として砂利や砂が使用されたという最初の推測を証明しました。
最初のT-72を破壊した被弾は、ERAが豊富なベルト状装甲を砲塔から少し剥ぎ取ったように見えるので、装甲の砲塔への結合力が不十分であることを示しました。










「工廠」が機能している限り、主にT-55やT-62といった戦車の改修はあまり高度ではない装甲パッケージの装着という形で継続されました。
興味深いことに、ERAは前述のT-72への装備に専ら使用されたように思われ、これらの戦車のどれもがERAを装備されていませんでした。
これらの改修の質は車両が「工廠」での滞在中にたまたま空いていた時間と資源の量に応じている可能性があるので、車両ごとに異なっています。








これらの戦車の1台は、シリアの砂漠にて主砲の壊滅的な損傷を受けて砲身の大部分が引き裂かれており、将来に再使用をしようにも全く使い物にならなくなりました。
当然ながら、この戦車はその後に放棄されました。
この損傷の原因は不明ですが、シリア内戦で未だに運用されている多くの戦車はかなり酷使されているので砲身を交換する必要があることは間違いなく、その状態が新しい砲身の装備が必須となる前に、限られた数だけ発射するようにしているようです(注:少ない砲身寿命を更に引き伸ばすため、発射回数を制限している)。















サイドスカートの珍しいレイアウトがされている別の派生型もあり、それは車体側面にボルト止めされた個々の装甲パネルから構成されているように見えます。
これらの装甲パネルは被弾後に外して交換することが容易にできるが、何よりもこの構造は、以前に見られた他のサイドスカートの派生型よりも頑丈に見えます。
この戦車の砲塔の追加装甲はそれほど革新的ではありません。
これは単に金属製のスラット・アーマーのフレームと防護力の僅かな改善のために入れられた土嚢で構成されています。














残念なことに、これらの改修された戦車群の最終的な運命は殆どが不明のままですが、そのうちの1台の永眠の地は明確に見ることができました。
この車両は当初、クワイリス空軍基地周辺の政府軍の進撃を阻止しようとしてハラブ州に配備された後、下の画像で見られるように損傷を受けました。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「アカーリブ・アル・サフィとマフカルのの村の間にあるヌサイリー軍の拠点への攻撃シーン...T-55戦車を捕獲した」(注:T-55は戦果の話なので、画像のT-72を意味しているのではない)。
そのT-55は明らかに後でバーブへ再配備され、同所の周辺にいるトルコ軍によって破壊されたのでしょう。















意味のある数の中で製造された最後から2番目の改修は、砲塔の周囲に巻かれたベルト状装甲の初期段階のコンセプトで継続されましたが、今回はやや嵩張っており、いくらか頑丈な外観のように見えます(注:意味のある数...戦闘に影響を及ぼす数のこと。例えば1台の戦車は内戦に影響を与える可能性が低いが10台だと可能性が増大する)。
このタイプの改修は2017年に開始されました。しかし、この改修型は「工廠」がシリア軍によって蹂躙される前に3台の戦車でしか見られなかったので、戦場の周りを動き回るより多くの改修車両を目にする見込みは無くなりました。

T-62MやT-55AMのようないくつかの種類の改修されたソ連戦車の砲塔前面にあるBDD「ブローヴィ」増加装甲との重要な類似点がありますが、これは実際にはBDDのように砲塔と増加装甲との間に空間が設けられていない(中空ではない)頑丈な構造になっています。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「シャリーファの村にいるヌサイリー軍とその同盟者ラフィーダ(シーア派の蔑称)の民兵を戦車砲で攻撃している」。










この改修された車両は限られていたにもかかわらず、2台のT-72「ウラル」ですぐに見ることができます。以前の改修のように、これらの戦車は増加装甲によって光学機器が遮られたため、状況認識の低下に悩まされたようです。
ベルト状装甲にERAが存在することは、既に戦車の中で最も防護された部分に装備されているという意味で注目に値します。この戦車にはサイドスカートが無いので、最初にこの問題に対処した方がおそらく理にかなっていたのでしょう。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ムジャーヒディーンの戦車は、ヌサイリー軍とその同盟者ラフィーダ民兵の拠点を砲撃するために移動している」。














別のT-72「ウラル」には、ERAがより従来型の配列で装着されました(注:先の車両はERAが欠落したり整然とした配置ではなかったため)。
また、この戦車は車体正面の装甲上部に土嚢を保持する金属製のフレームもはっきりと見せています。
この方法は、車体正面の装甲を補強する(ごく僅かだが)簡単な解決方法です。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「戦車がマスラマの村の東にあるジュワイム交差点にあるヌサイリー軍の拠点を砲撃するために移動している」と表示されています。


















「工廠」によって改修された最後の戦車は、一般的なレイアウトで以前の装甲の改修を反映した設計の寄せ集めを象徴しており、質と有効性はおそらく低いと思われます。
下の例では、砲塔周囲の装甲は単純な溶接された金属板で構成されているように見えるが、また砂やコンクリートで充填されています。
ERAは、利用可能な場合は常に砲塔上部と車体正面装甲の上部に追加されたが、度々省略されることもありました。その上、サイドスカートが以前に改修された戦車に見られたものと同じ補強方法であることが明白です。
下の2枚目の画像の場合は、側面への被弾でエンジンが破壊された後にシリア軍によって捕獲されたので、(サイドスカートが)明らかに戦車を防護しなかったことがわかります。
下のT-72では、砲塔に表示されているマークに「ウスマーン・イブン・アッファーン師団-兵員局-バラカ州」と表記されています。
「工廠」が最後にデザインした車両が出現する前に、この手法で3台か4台の戦車が改造されて登場したと考えられています。









別の車両は、「工廠」によって施された初期の改修で以前に見られた車体側面を防御するスラット・アーマーに加えて、砲塔には先と似た追加装甲が装着されました。
テキスト・バーの内容は次のとおり:「ホムスの東地方にあるヌサイリー軍の拠点を戦車砲で攻撃している」。
後にこの戦車は東ハマでシリア軍によって撃破され、見慣れたスラット・アーマーの配置をもっとよく見ることを可能にしました。












これらの最後に改修された戦車は前述した装甲の改修の概略を保持していましたが、仕上がりは遥かに不完全であり、砲塔の周囲に施された雑な形状の装甲板と強化されたサイドスカートがしばしば完全に省略されることが多いのが特徴です。
砲塔の追加装甲が今では上が完全に開いたので、その中身と厚さを容易に認識できます:
下の画像の、北朝鮮のLRFで改修されたT-55が証明しているように、砂や砂利だ(DShKの弾薬が適度に使用されずに弾薬箱に投げ出されていることにも注目)。














「工廠」によって行われたこれらの最終的な改修は、さまざまな種類のものが約6台の戦車に行われたことが見られており、そのうちのいくつかは(ISが可能な限り紛争を長引かせるための戦略的拠点として占領することをまだ望んでいる市街地がある)ハイル州に配備されました。
今ではその一流の改修工場が奪われてしまったので、ISがシリアで敗北する前に我々がさらなるデザインの進化を見ることはないでしょう。
























現行ではISの終焉が急速に迫ってきているため、かつての素晴らしい改修車両の残骸は戦場のガラクタとしてどんどん増えています。
一例として、SDFはタブカ近郊で既に有志連合軍機の攻撃を受けていた、ISの武器で溢れた倉庫に遭遇しました。
そこは「特別任務小隊」の基地として使用された可能性があり、武器には3台のT-62、2台のT-55及び1台のタレットが撤去されたBMPが含まれていました。その一部は「工廠」でオーバーホールを受けたサインを示しています。

更なる敵による攻略には2017年9月にUqayribat近くでISのAFVで満杯になった別の倉庫が含まれており、修理やVBIEDへの変換を待っている、修理かVBIED化を待つひどく損傷したいくつかの戦車とデリゾールのアイヤッシュにあった建造物に類似したものが明らかにさらました。
興味深いことに、後者には「工廠」によってオーバーホールされた9P122自走ATGMが含まれており、BRDM-2に属すると知られている唯一のシリアル「100」を付与されていました。





















「工廠」の映像自体はかつて大規模な操業をしていた面影を映し出しています。
それも今や無数の爆破された残骸と来ることのなかった修理を無駄に待ち続けていた車両の部品達によって証明されるだけとなっています。
それにもかかわらず、「工廠」の素晴らしい規模は否定できません。
単なるDIYをはるかに超えており、専門的な組織化と管理された改修プログラムを上手く試みており、シリア内戦で他のほとんどの反政府勢力ができるものよりもはるかに進んでいました。



































戦車自体は、(改修された)AFVが実際に効果的に使用できるような場所ではほとんど使用されず、敵の航空兵力によって消された多くの非常に手の込んだ車両もありましたが、「工廠」の内戦への影響を過小評価することはできません。
ISのために働くエンジニアの独創性と知略を実証した沢山の装甲強化型戦車を別として、
同じく彼らが製造を担当したVBIEDの大群は、戦闘が永遠に行われる方法を変えたかもしれません。

5年間近く続く消耗戦と絶え間ない空爆は最終的にこの脅威を制圧する方法でしたが、ISをもう一度「オープンな従来型の戦闘を遂行できる脅威の状態から隠れたテロリスト・グループ」に変えました。
ISが引き起こした破壊と災難を別とすれば、しばらくの間は破壊された戦車のみがISが存在していたことを思い起こさせるでしょう。
また、戦車の残骸はISが(非人道的な犯罪行為のために)地域の人口にダメージを与えたように、中東の景観に損害をもたらし続けるでしょう(残骸が景観を損ねるということ)。













特別協力: Abu Nuggie, Within SyriaMorant Mathieu.

 ※  当記事は2017年8月31日に本家Oryxブログ(英語版)投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま  
  す。    



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イスラミック・ステートの機甲戦力:ハイル州(デリゾール)におけるDIY改修車両

2017年10月6日金曜日

秘密裏の飛行:シリアにおける「特殊用途」のMi-17


著 スタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao Goo)

シリア・アラブ空軍(SyAAF)Mi-8/17「ヒップ」飛行隊は、シリア内戦における空中戦力の活用を明らかにした、一般的に樽爆弾と呼ばれる爆弾の投下によるシリア各地の民間人居住地区に対する無差別爆撃の主役として、(おそらく)最もよく知られている。
これまでのところ、即席の簡易爆撃機という役割はシリアのMi-8/17の主要な任務の1つのままであるが、過去6年にわたる過酷な戦いの間にMi-8/17飛行隊が遂行したその他の任務はひどく過小報告されている。

おそらく、ヒップ飛行隊の最も重要な役割は、時には数年に及んで完全に陸路が遮断されたシリア政府の支配地域とシリア各地の包囲されたシリア軍守備隊との間を繋ぐライフラインを象徴したことだろう。
Mi-8/17は輸送機とは対照的に、地上に増援を直接送り込んだり、負傷者を病院に運ぶことができた。
実際、デリゾール空港が戦場には近すぎるとして、増援部隊の輸送や民間人や怪我人を避難させるために、デリゾールの都市は今やシリア軍のMi-8/17飛行隊に完全に依存している。

輸送ヘリコプターや即席の爆撃機としての役割に加えて、シリアのMi-8/17の数機が、依然としてほとんど知られていない任務のためにアップグレードされていた。
これらのヘリコプターのいくつかが新しい形態で運用を続けるのかは不明瞭であり、これらが興味を惹く事柄を象徴すると同時にSyAAFでほとんど語られることのないものだが、この記事の対象となるだろうことは間違いない。

シリアのアップグレードされたMi-17について詳しく説明する前に、1982年にレバノン内戦の主要な時期が終了した直後、1980年代初頭の時点で最初の「特殊用途」のヒップがすでにシリアに到着していたことに言及することには興味深いものがある。
イスラエルが電子戦での優位性を十分に活用していたレバノン上空の空中戦で、SyAAFとシリア・アラブ防空軍(SyAADF)はイスラエル空軍に深刻な損失を被った。
シリアがその時点で運用していた装備では同様の方法(電子戦)で対応できないため、ハーフィズ・アル=アサド大統領はソ連に援助を要求した。

Mi-8電子戦型の試験投入を切望していたソ連は、その後、最大で8機のMi-8PPA、Mi-8MTP / U、Mi-8SMVをシリアに配備し、T4空軍基地を拠点を置いてイスラエルが占領していたゴラン高原の近くに位置するメッゼ空軍基地へ定期的に派遣した。
これらのヘリコプターには、敵の地対空ミサイルシステム(SAM)の誘導レーダーを妨害する任務が与えられており、80年代終わりにソ連へ撤収する前の平時にイスラエル軍のMIM-23「ホーク」のSAMサイトに対抗したかもしれない。
これらはソ連へ戻った後、最終的にヘリコプターのスクラップ置き場に行き着いた




話題を、SyAAFのMi-8とMi-17の大部分がオリジナルの形態で運用され続けているシリアに戻してみると、これらは後部ドアを取り外して、いわゆる樽爆弾(現在の基準では、実際には樽とはほとんど関係の無いより洗練されたデザインである)を簡単に搭載したり投下することができるようになっている。
SyAAFのMi-8/17のいくつかが改修されたという事実は、十数機のMi-8/17とMi-25が失われるという結果をもたらした、2013年1月11日のタフタナズ空軍基地の陥落直後に初めて示唆された。  

タフタナズ基地は、2012年11月25日にマルジュ・スルタンヘリポートの陥落に続いて反政府軍によって制圧された2番目のヘリポートだった。
ここにあるヘリコプターのいくつかを瀬戸際で退避させるための必死の努力をしたにもかかわらず、タフタナズの喪失はSyAAFへの最初の大きな打撃を意味した。
結果として現在運用状態にある機体とほぼ同じくらいの数の多くのMi-8/17を失ったのだ。

ここで鹵獲された機体を注意深く調査すると、Mi-17の胴体の下にEOシステムが追加されたことが判明した。
後のタフタナズからの映像には、取り外された電気光学(EO)システムと関連するコントロールパネルも映されている。
メッゼ空軍基地で2013年に撮影された別の画像は、コックピットの各側面を防護する装甲板について、よく見える最初の姿を私たちにもたらした。
興味深いことに、この乗組員の生存率を増加させることを目的とした比較的簡単な改修は、少数のヘリコプターにしか施されてされていなかった。

これらのアップグレードされたヘリコプターは、6年以上に及ぶ内戦中に散発的にしか目撃されなかったため、おそらく少数のMi-17が内戦の勃発前にこの新しい規格へ改修されたものと考えられる。
この改修型のMi-17と他の非改修型機を識別することは、この例で目撃されたように依然として困難であり続けている。
このMi-17をSyAAFのヘリコプター部隊で使用されている通常型のMi-17の1機と見間違えやすいかもしれないが、見づらい操縦席の装甲板とEOタレットの存在は、それを改修型の例の1つとして識別することに役に立つ。

すでにシリアのMi-17には、胴体の両側にロケット弾ポッド、爆弾、または上の画像のケースと同様に23mm機関砲のUPK-23ガンポッドの搭載を可能にする各3つのハードポイントが標準装備されているが、EOシステムの追加は目標の捕捉および脅威の識別において、このヘリコプターの能力を大幅に高めるだろう。
同様に、操縦席の周辺に増設された装甲板はヘリコプターの乗員の生存率を高めることから、シリアにおける対空兵器の恵まれた環境ではありがたい追加である。

これらの改修は、SyAAFのMi-8/17のほぼすべてに搭載されている固有装備のチャフ/フレア発射機の設計と製造を担当している、ナイラブ空軍基地 / アレッポ国際空港に所在するSyAAFの修理および整備施設である「工廠」によって実施された可能性が高い。
装甲板と下の画像で詳細に見られるEOシステムは、ヘリコプターで同様の改修をしたイランから入手されたものとみられている(注:イランはベル214AやAH-1J「トゥーファンⅡ」にEO/IRセンサーのタレットを搭載した改修をしているので、これはそれを指しているかもしれない)。



他の特殊なMi-17が、戦争で荒廃した国のいたる所へ非常に重要な人物(VIP)を輸送するといった、命取りにはならない比較的安全な任務のために使用されている。
道路を使用してシリアの端から他への移動がその間に不可能になったり(注:戦況などによる遮断)、全国への急速な展開を可能にするには時間がかかりすぎているとして、「虎」ことスハイル・アル・ハッサン少将は、今日では、彼が長距離を迅速に通過できるようにVIP輸送機として配置されたMi-17を利用している。

SyAAFはすでに、VIP輸送のために数機のMi-8P(通常のMi-8/17にみられる円形の窓の代わりに長方形または正方形の窓があるため識別が可能)を運用していたが、シリア内戦の勃発以前に既にこれらを退役させてしまった。
バッシャール・アル=アサド大統領は、彼自身が所有する2機のVIP用ヘリコプターを利用している。
このヘリコプターについては、後日に彼専用の他の輸送機と一緒に別の記事で扱う予定です。









前記のヘリコプターの任務は比較的単純なもの(注:VIP輸送)である点に対して、SyAAFは敵の防空レーダーを妨害するために少なくとも2機の空中電子妨害プラットホーム仕様のMi-17も運用している。それが最初に目撃されたのは2012年7月に実施されたSyAAFの大規模な演習であり、同機には胴体の両側に2基の奇妙な形状のコンテナが装備されていた。

これらのコンテナの正確な用途は不明だったが、現在では(少なくとも1機のSyAAFのMi-17に搭載された)北朝鮮の「TACAN」電子妨害システムの一部であると考えられている(注:いわゆる戦術航法装置ではない)。
伝えられるところによれば、2012年の初頭に実施された一連のテストで「TACAN」電子妨害システムはロシア人が乗り込んだSyAADF(シリア防空軍)のパーンツィリ-S1自走対空システムに対して使用された。
このテストはイスラエル空軍がシリアの軍事施設への襲撃の際に多く使用されている、電子妨害に対処するパーンツィリ-S1の能力に対するシリア側の告発の後に行われた(注:電子妨害に全く対処できていないということ)。
ソ連及びロシア製の軍事用資機材に対する批判への一般的な対応は(不調の原因が)資機材自体の品質ではなく運用者のせいにすることだったが、2012年のテストで「TACAN」電子妨害システムがパーンツィリ-S1へのジャミングをなんとかして成功させた時点でロシア側は深刻な打撃を受けた。
パーンツィリ-S1が猛烈な電子妨害に対応できると考えられていたにもかかわらず、ロシア人乗員の妨害を回避するべく費やした努力は無駄に終わった。



シリアで運用されているヘリコプターの中でおそらく最も興味深い機体は最も謎めいている:たった1機だけがSyAAFに就役したと考えられている。
このMi-8MT(注:ロシアではMi-17と識別される)「2981番機」はたったの一度しか目撃されていない。
それは、シリア軍の参謀総長アリー・アブドゥッラー・アイユーブ大将が、2015年7月にブレイ空軍基地を視察した際のことだ。
このヘリコプターはシリアで運用されている他のMi-8/17では見られていない、新たに施された迷彩パターンのおかげで目立っていた。
胴体の右側にある緑色の四角形は、このヘリコプターの素性とミッション・プロファイルについて最初の大きなヒントを私たちに提供してくれた。



Mi-17「2981番機」について、本当のところはSyAAFの唯一のMi-8MTPR1空中電子妨害プラットフォームを構成する機体であり、2013年に「Mi-8MTとL187AE」としてシリアに引き渡されたものだ。
Mi-8MTPR1には防空レーダー妨害用のL187A Rychag-AV妨害装置が装備されており、販売市場で最も先進的なロシア製の空中電子妨害プラットフォームの1つだ。
しかし、イスラエルに対する将来の空中戦がますます発生しそうになく、敵の防空システムから妨害される可能性という面において現実の脅威が見られなかったシリア内戦では(電子戦システムが)殆ど役に立たなかったため、Mi-8MTPR1はSyAAF飛行隊では無用の産物という立場に事実上格下げされた。 





























シリア内戦が7年目に入った現在、SyAAFのMi-8/17ヒップ飛行隊は反抗勢力に対する空爆作戦の最前線に残っている。
これらのヘリコプターが即席の簡易爆撃機としての有効性が問われる可能性があるが、ヒップはよく知られているとおり信頼できる馬車馬だということを再度証明した。 
運用可能な機体の数は減少し続けているが、Mi-8/17の融通性と多機能性は、これらが最後の最後まで使用され続けて、間違いなくこの内戦よりも長持ちするだろうことを保証する。

※ この翻訳元の記事は、2017年6月8日に投稿されたものですが、詳細不明な部分が解明されたため、2018年10月6日に大幅に加筆訂正されました。
当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。   
正確な表現などについては、元記事をご一読願います。  

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プローブアンドドローグ:リビアの不運な空中給油機導入計画の話




読者の皆様へ

この1年間にブログ(オリジナル/英語版)の新しい記事が無いことに気付いたと思います。
何故かと言うと私たちが北朝鮮軍に関する本「The Armed Forces of North Korea, on the path of Songun」を完成させることに全力を尽くし、それがOryx Blogの記事を書くために通常費やされるべき時間の大部分を奪ったからです。
今月から定期的な投稿が再会される見込みです。
私たちは皆さんの辛抱強さに感謝すると共に、何年にもわたった北朝鮮とその軍隊に関する広範な研究の集大成を遂に発表することを楽しみにしています。
                                
                            スタイン・ミッツァー、ヨースト・オリーマンズ

「『North Korea’s Armed Forces: On the path of Songun』は、北朝鮮ウォッチャーのインテリジェンス・コミュニティにおける混沌とした状況に秩序と一貫性をもたらすことを試みるだけではなく、今までに語られることが無かった兵器システムや近代化プログラムについての情報を大量に提供することによって、北朝鮮の脅威がほとんどないという大いに同調された人々の姿勢が誤りであることを証明するものです。

北朝鮮の軍隊は朝鮮戦争における決定的では無い停戦から冷戦を通じて現代に至るまでの最も重要な出来事をマッピングしてきました。そして、(私たちは)大量の独自設計の兵器を調査することによって、朝鮮人民軍各軍の現状について特に重点を置きました。
この本の過程では朝鮮人民軍の多くのプロジェクトや戦術が明らかにされるだけでなく、
南北間の命懸けの突発的な紛争と2010年の天安艦沈没や延坪島砲撃などの大惨事に関する今までに無い証拠に新たな光を投げ掛けるでしょう。
さらに、朝鮮人民軍各軍の保有装備について最新かつ包括的なリストが含まれており、海軍および航空戦力の数的評価を提供します。
最近導入されたステルス・ミサイル艇、弾道ミサイル潜水艦や主力戦車の系譜から、ほとんど無視されてきた独自の航空機産業まで、事実上すべての独自の兵器システムが広範にわたって議論されています。

この独占的な本は、70以上の詳細な色つきのアートワークと徹底的な研究と分析を経て作られたさまざまな地図と同様に約170のユニークな画像付きで、その多くは今まで一般の人々には全く見ることがなかったものです。
衛星映像の精査、北朝鮮の宣伝放送の観察とアメリカ国防総省からの情報を慎重に調査することを通じて、朝鮮人民軍各軍の進歩を明らかにしました。
この本にはほぼ全ての「隠者王国(注:17~19世紀の朝鮮に付けられた名前と閉鎖的な北朝鮮を掛け合わせている)」に関する軍事的功績が含まれており、通常戦と非対称戦の両方における北朝鮮の能力の正確なイメージを提供します。
この本は特に北朝鮮の軍事力に関心を持っている人や、矛盾した主張とこの閉鎖的な国家についての現在のインテリジェンスを構成する誤った情報の「地雷原」によって提起された多くの疑問に対する答えを探す人のために書かれたものです。」

※:この本については編訳者も助言やアートワークのチェックなどで製作に一部関与しています。アートワークの担当者は以下のとおりです。ご期待ください(名前をクリックすると代表的な作品を見ることができます)。
  1. 朝鮮人民軍兵士:Adam Hook
  2. 車両及び陸上装備:David Bocquelet氏 
  3. 航空機:Tom Cooper氏(著作の一部は日本でも話題になりました) 
  4. 艦船:Anderson Subtil
本の作業はアートワークの完成をもって終了し、最終チェックを経た後に出版となります。具体的な時期は未定ですが、判明次第いち早くお知らせします。また、この本については著者の意向により、日本語版が計画されています。乞うご期待下さい。

2017年9月22日金曜日

DIYに走るリビア・ドーン: 地対地ロケットとして使用されるS-125地対空ミサイルがT-62戦車に搭載された


著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

これまでにリビアの戦場における過酷な戦闘環境は、各勢力の部隊に対して以前に放棄された装備の新しい利用方法を見つけるため、各々の創造性を活用して策を講じることを強いており、既にそのようにして、リビア軍(LNA)とリビア・ドーン(注:「リビアの夜明け」)がAK-230エリコン GDF艦載機関砲をトラックに搭載するといった興味深い多くの工夫を生み出している。

内戦が依然として終結に至るまでには遠いようだが、そのようなDIYはリビア・ドーンによる別の急造の移動式地対地ミサイルシステムの誕生が目撃されているように、未だに日の目を見続けている。
今年4月(注:2015年)に、S-125 SAMを地対地ミサイルとして牽引式発射機から発射するべく改修に取り組んだリビア・ドーンは、これらのシステムの能力で良好な結果をほとんど得られなかったにもかかわらず、これらを発展させる方針を続けてきたようだ。
新しい移動式発射システムはT-62(1972年型)を移動式発射台(TEL)のベースとして使用し、単発の改良型S-125を主要な兵装として砲塔の上に搭載した。  

リビアの首都であるトリポリと同様にミスラタを支配するリビア・ドーンは、リビアにおけるT-62の最大の運用者であり、トリポリ近郊を含む様々な場所での戦闘で同車を使用していた。
リビアのT-62部隊の主力は革命前にミスラタのハムザ大隊によって運用されていたが、革命の間に運用拠点がNATO主導の連合軍に攻撃された。
現在、リビア・ドーンには数十台のT-62が稼働状態にあるが、他の多くは様々な要因で使用不可の状態にあり、スペアパーツのために共食い整備の対象にされる可能性がある。

リビア・ドーンのS-125を地対地用途に改修するという以前のプロジェクトの画像から観察できるように、無誘導で飛行中の安定性を向上を試みるためにミサイル前部のフィンが取り外された。
同様にノーズコーンは延長され、ペイロード(本来はわずか60kg)を増やしたか、航空機を破壊するために設計された本来の爆発性破片弾頭を、従来型の高性能爆薬を載せた弾頭(注:砲弾や地対地ロケット用)に交換した。
新しい画像では簡単に識別できないが、標準の近接信管は、地対地用途のために設計されたものに置き換えられている可能性がある。

他の用途のために地対空ミサイルを改修することに携わったのは、リビア・ドーンが最初ではない。
バーシスト・イラクもイラン・イラク戦争の終盤近くに同じコンセプトで実験を行ったが、満足のいく結果を得ることができなかった。
このプロジェクトの詳細はこちらで読むことができる。

S-125を対地用途に改修することは、移動式発射台に搭載されているにもかかわらず僅かな価値のままである。
むしろ戦術的な目的よりも心理的な目的で役目を果たすだろう。

 ※ この翻訳元の記事は、2015年7月13日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。   

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2017年9月1日金曜日

DIYに走る「リビアの夜明け」:「2K12」地対空ミサイルがイタリアの「プーマ 6x6」 APCに搭載された

著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 「リビアの夜明け」(注:国民救済政府。後に国民統一政府:GNAに政権を移譲)によって、いくつかの「S-125」地対空ミサイル(SAM)が地対地ミサイルへ改造されるという驚くべき動きがありましたが、これがリビアにおける独自改造の全てでというわけではありません。   

 実際、「リビアの夜明け」はほぼ同じ時期に2K12(SA-6)SAMをより機動的なランチャーへ搭載するために改造する作業にも取り組み始めていました。

 最初に登場したものは、上に見られるようにイタリア製の「プーマ 6x6」 装甲兵員輸送車(APC)とソ連が設計した「2K12」SAMシステムの発射機構を組み合わせたものです。

 これに用いられたプーマは、2013年にイタリアによって新生から間もないリビア軍に寄贈された20台の一部だったものの、現在では新しい所有者によって完全に違う役割へと改修されてしまいました。   

 自走発射機のベース車両をオリジナルの「2P25」から「プーマ 6x6」に変更するため、同APCを新しい役割に適応させるには多くの変更が必要となったことは言うまでもないでしょう。

 これらの「2K12」用「9M39」ミサイルが本来の役割として残されているのか、地対地ミサイルとして改造されたのかは不明のままですが、いずれの場合でもこのシステムがリビアの戦場に少しでも影響を与える見込みはないでしょう。
 
「リビアの夜明け "空軍"」の主要な拠点であるミスラタ空軍基地を防衛することを目的としたこの「2K12」SAMの改修型は、間違いなく予想されうる侵入機を追い払うかもしれませんが、本当に攻撃してくる敵機に直面した際にその機が撃墜されることはほとんど起こりえないでしょう(注:本当に対空用途で使える見込みが皆無ということ)。 

 しかし、彼らはリビアでのDIYプロジェクトを増やしていることを示唆しているため、著者はこれが最後の独自兵器ではないと確信しています。


※  この記事は2015年にOryx本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が存在する場合があります(注:オリジナルの英文記事は情報が古くなったため、削除されました)。  

 

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2017年8月25日金曜日

市街戦の死神:「UR-77」はシリアで侮れない戦力になるのか



著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 2014年10月初旬に共和国防衛隊がダマスカス州ジョバルの反政府勢力の拠点を一掃を試みた際、シリアでは運用されているとは考えられていなかった車両を使用した状況が初めて目撃されました。

 UR-77 「メテオライト」攻撃に移る歩兵やAFVに道を開けるために2本の地雷除去導爆索で地雷原を処理する目的で設計され、チェチェンで反政府軍が拠点としている疑いのある家屋やアパートを爆破するなどして多用されました。

 また、アンゴラでも入手できた少数のUR-77をUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)との戦いで使用される姿が見られました。

 この車両は基本的にソ連によって友好国に供与された装備には含まれていなかったので、アンゴラを除いてどんな国にも決して輸出されることがなかったと信じられていました。

 したがって、UR-77が今や3年半(注:2014年当時)にわたる長い内戦の中で目撃されたことがなかったことは確実です。

 シリアの共和国防衛隊は反政府軍を匿っていると思われる住宅を攻撃するための適した車両を是が非でも必要としていた間にT-72AV戦車と2S3自走榴弾砲を使用しなければならず、結果として貴重なT-72AVを莫大で無用な損失に至らせてしまいました。


 
 伝えられるところによれば、UR-77を搭載したIl-76メッゼまで飛行し、そこで同車が降ろされてジョバルの隣へ急行したという話があるが、既にシリアで運用状態にある同車と矛盾しています。

 2012年に遡ってみると、この時点で共和国防衛隊がダラヤで攻勢を開始しており、その経過で多くの戦車が失われたためにこの種の車両の必要性は既に2年前から明らかだったようです。
 
 親アサド勢力の戦術について多くのことが言えますが、シリアの一部からダマスカスにこの重要な車両を移送するために2年間待つことは筋が通っていません。

 最も可能性が高いのは、UR-77と弾薬がロシアか(おそらく)ベラルーシのどちらかによってシリアに売却され、その後にIl-76に積み込まれてメッゼに移送されたことでしょう。

 UR-77は今までシリアで運用されたことがない可能性が最も高いので、実際には外国人の要員が現在ジョバルで使用されているUR-77の運用に割り当てられている可能性が否定できません。

 「ワッシム・イッサ」が公開した動画では、UR-77の操作員の姿が不鮮明にされていますが、その一方で彼の周りにいる他の兵士のすべての顔は完全に見えたままです。あるショットでは遠くにある操作員の顔の一部を映しているものの、カメラがズームインするとすぐにぼかされてしまっています。

 動画の後半でぼやけていないカットと映像があり、そこでは操作員が白人であるを示していますが、操作員の出自について我々にあまり教えてはくれません。ただし、彼は後に共和国防衛隊の兵士と直接会話している状況が見られており、ハンドサインを多用しているにもかかわらず、兵士は彼のことを完全に理解しているようです。














 
 アサド政権は新たな装備の導入によって外貨を奪われるが、UR-77の能力はそのコストを上回っています。

 UR-77の地雷除去導爆索は、いくつかのタイプの(ボルケーノとして知られている)IRAM(急造ロケット推進弾・迫撃砲)と国防軍(NDF)やヒズボラなどの親アサド勢力で使用されているイラン製ファラク(Falagh)ロケットよりもはるかに進歩していることは一目瞭然です。

 UR-77は僅かな数しか入手されていないと思われますが、今後その活躍はダマスカス周辺の親アサド勢力の攻勢ではありふれた光景になるでしょう。

※ この記事は、2014年10月16日に本国版「Oryx」に投稿された記事を翻訳したもので
 す。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
    

2017年8月22日火曜日

忘れられた軍隊:沿ドニエストルの「BTRG-127 "バンブルビー" 」装甲兵員輸送車


著 :ステイン・ミッツァーと ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれるトランスニストリアは、1990年に沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国として独立を主張し、続く1992にモルドバから離脱して以来、隠れた存在であり続けている東ヨーロッパの分離独立国家です。

 沿ドニエストルはウクライナとモルドバの間に位置しており、現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国、アルツァフ共和国からしか承認されていません。

 その立場が本当の国家なのかという論争の的になっているにもかかわらず、沿ドニエストルは自らの陸軍、航空兵力、そして軍需産業と一体になった事実上の国家として機能しています。
        
 沿ドニエストルの軍需産業は過去20年以上にわたって沿ドニエストル軍で就役した、数多くの非常に興味深い設計の装備を製造してきました。この軍需産業はトランスニストリア戦争の間に非常に活発的となり、モルドバ軍に対して使用するためのさまざまなDIY装甲戦闘車両(AFV)、多連装ロケット砲(MRLs)やその他の兵器を製造したのです。

 停戦後、同国の軍需産業は1991年に設立されて以来旧ソ連製兵器のストックを置き換えることができなかった沿ドニエストル軍の運用状態を支える上で重要な役割を果たしています。

 同国の軍需産業が製造した装備の1つが、ソ連製GMZ-3地雷敷設車をベースにした独特な装甲兵員輸送車(APC)であるБТРГ-127 'Шмель'(BTRG-127 バンブルビー)です。
 
 このAPCは、2015年にエフゲニー・シェフチュク前大統領とアレクサンドル・ルカネンコ国防大臣によって初めて発表され、これらの少なくとも8台は同年に沿ドニエストル軍に就役したと見られています。これらの車両のうち、少なくとも2台はその1か月後に演習に参加する状況が見られ、運用状態にあることが確認されています。


 沿ドニエストルは、地域内や海外への武器密売国として悪名が高いことで知られています。ソ連地上軍第14軍からの大量の武器と弾薬は沿ドニエストルの現地部隊によって引き継がれました。

 モルドバ政府によれば、同地域に忠実であった第14軍の兵士と外国の義勇兵が依然としてモルドバの領土と主張していた沿ドニエストルに入ったとき、1992年に両者の間で紛争が生じました(注:多くの第14軍の兵士や外国の義勇兵が沿ドニエストル軍に加わった)。

 紛失した大量の兵器や弾薬が確保された後、これらは新たに設立された沿ドニエストル共和国軍に引き継がれたか、在モルドバ共和国沿ドニエストル地域ロシア軍作戦集団の監督下でロシアに移送されて戻りました。しかし、限られた量の沿ドニエストル由来の武器が依然として海外へ密輸されています。

 1992年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの情勢は非常に複雑です。この離脱国家はロシア連邦への加入を希望している一方で、わずかな生産物の輸出をモルドバに大いに依存し続けており、それが同国の経済産出量となっています。

 外界への透明性を高めるための小さな一歩を踏み出しているにもかかわらず、沿ドニエストルはハンマーと鎌をその国旗の中で使用し続けるソビエト社会主義共和国のままであり、主要な治安機関としてKGBを維持し続けています。

 ロシアは依然として沿ドニエストルでわずかな影響力を維持しており、国内で公式に平和維持活動を行っています。

 ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していた人員や関連する兵器類の多くは、所在する地の新しく誕生した国に属することになりました。このプロセスは、旧ソ連の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、これはモルドバが遭った唯一の問題ではありませんでした。

 第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家であるトランスニストリア(沿ドニエストル)に属し、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアのいずれかに属したり、新たに形成された沿ドニエストル共和国に合流しました。明らかに、これは非常に複雑で過敏なプロセスの下で行われたものです。



 沿ドニエストル側は支配した領域に存在する武器保管庫ほとんどを引き継いだときに大量の高度な特殊車両を受け継いだ一方で、IFVと自走砲はわずかな数しか保有し続けることができませんでした。

 実際、この地域に存在していたいくらかの2S1「グヴォズジーカ」122mm自走榴弾砲と2S3「アカーツィア」152mm自走榴弾砲(これらはロシアへ移送された可能性が極めて高い)のほか、沿ドニエストル軍の兵器保有リストに自走砲はありません。その代わり、間接射撃の火力支援には武器庫にある牽引式野砲と122mm多連装ロケット砲(Pribor-1および2)に依存しています。

 沿ドニエストルが引き継いだ特種車両には大量のGMZ-2とGMZ-3地雷敷設車が含まれていました。トランスニストリア戦争の間にこの車輌の本来の役割は不要となり、いくつかのGMZが急造のAPCとして沿ドニエストル側で使用され、少なくともその1台が後に戦闘で破壊されました

 沿ドニエストルは、内戦後でも本来の役割でいくつかのGMZを引き続き使用したと思われますが、そのような大規模な地雷敷設車群を必要とされず、ほとんどの車両は(少なくとも8台のGMZ-3をAPCに転用することが決定されるまでは)保管庫に放置されていました。
 
 この未承認国家が利用可能なGMZの量は不明のままですが、その数はさらに多くのGMZをAPCに転換するにはおそらく不十分だと思われます。


 GMZ-3はAPCという新しい役割に従って歩兵を輸送できる能力を得るために、搭載されていたすべての機雷敷設装置が撤去されました。地雷敷設用のアーム及びその操縦用の区画は後部ドアの位置を確保するために撤去され、兵員区画を設けるために地雷が格納されていた空間も取り除かれ、内部空間が拡張されました。変化の著しい改修を受けたGMZ-3の本来の形状はここで見ることができます。

 GMZ-3は運用者によって取り扱いが容易になるように広範囲にわたって改修され、新たに装備された単装のAfanasev A-12.7重機関銃とその機関銃手のために、操縦席と兵員区画の間に新たな空間が設けられました。

 BTRG-127では単装の銃機関銃に加えて、車両に設けられた5つの銃眼からライフルと軽機関銃を射撃することができます。この改修が本来小火器の銃弾や砲爆撃の破片から自身を防護していた、GMZ-3の装甲に悪影響を与えたかどうかは不明です。



 沿ドニエストルの規模・地位・経済にとって、新型のMRLを導入することは確かに見事な偉業であり、あらゆる手段を最大限に活用するという明確なケースの提示を意味しています。この件について、沿ドニエストルは独自の軍事産業の製品で、ごく僅かな観衆:外国人ウォッチャーを驚かせ続けるに違いありません。

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。


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2017年8月18日金曜日

ロシアより愛をこめて:シリアのVepr-12


























著:スタイン・ミツッアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 過去20年間に、シリアで民間人が所持する武器の完全な復活が見られました。
1982年のハマの虐殺後、銃の所持が蜂起に繋がる恐れが生じたために民間人が武器を所有し、取り扱う流れは急速に減退しました。失敗した蜂起の直後に施行された厳格な銃規制法は、武器の入手と所有をより困難なものにしたのです。蜂起への恐怖は80年代に徐々に消えていき、政権によって容認された散弾銃は90年代の農村地帯において狩猟道具として次第に人気が高まっていきました。その理由の大半は有利な価格(注:比較的安価)が関係していました。

 こうした事情にもかかわらず、アサルトライフルの所有は1982年の後には厳格に禁じられていました。政治的に信頼できる農家や牧羊者は1982年以前にアサルトライフルを所有することを許可された資格を得ることができたものの、この資格は一般の農家とってはあまりにも高価過ぎました。違法にアサルトライフルを所有した場合、一般に2〜6年の懲役と革命前の2000〜10.000USドルの間の単位で罰金が科せられました。しかし、これはピスタチオの木を襲った泥棒を撃退するためにAKMSを握ることを妨げるものでありませんでした(注:不法所持を根絶できなかったということ)。

 話題を散弾銃に戻すと、シリア陸軍(SyAA)国民防衛軍(NDF)内での使用は限られたたままです。シリアの軍事ドクトリンは今まで市街戦に焦点を当てていなかったため、そのような状況に対応する特殊な武器は少しも導入されていなかったためです。しかし、ここ数年の間にイタリアのスパス-15といった限られた数の軍用クラスの散弾銃がシリア沿岸の一般人のもとにたどり着きました。

 シリア内戦において比較的よく戦われる、広範囲に及ぶ市街戦は近接戦闘に最適な武器の必要性をもたらし、そのような武器を購入するためにシリア軍の代表団がロシアに送られました。
 ВПО-205-03は、AK-104とともに2012年のロシアの武器博覧会の際にシリア軍の代表団が視察した武器に含まれていた考えられ、これが限られた数量のVepr-12の軍用版であるВПО-205-03セミオートマチック式散弾銃の導入につながりました。




 Vepr-12シリーズの散弾銃はAK-74MAK-100シリーズに酷似しており、特に従来の弾倉を使用したアサルトライフルと間違える可能性があります。AKシリーズに見られる標準的なサイドマウントとは対照的に、装備されているピカティニーレールには、さまざまな種類の光学照準器、フォアグリップ、IRポインターやフラッシュライトの装着を可能にしています。

 すでにコンパクトなВПО-205-03は横折りたたみ式の銃床によってさらに短縮されることで、近接戦闘のための理想的な武器となります。この銃は世界中の散弾銃の大半のように、標準的な12ゲージの散弾を使用します。

 これらの散弾銃のどれもがシリアへ供与されたほかの高性能な武器でよく見られるような、戦場に行き着いた姿を見つけられることはありませんでした。その代わりとして、全てが直ちに沿岸地域の様々な重要人物やその関係者に支給されました。
 ВПО-205-03は、例えばデリゾールなどで戦闘する政府軍には天の賜物になるでしょうが、汚職は最も必要とされる場所でのそういった武器の使用を妨げているようです(注:軍隊ではなく有力者などに支給したこと)。
 もちろん、このケースは新型散弾銃の使用だけが関係しているます、このような政策(注:汚職のこと)は最終的に戦時体制の損失に終わる可能性があります(注:現体制を不安定にさせるということ)。

 ※ この翻訳元の記事は、2015年6月8日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま  
  す。   
   正確な表現などについては、元記事(再アップ待ち)をご一読願います。  

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