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2023年10月21日土曜日

カダフィ大佐の遺産:死後から1年も残存し続けた大規模な砲兵戦力


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 2011年末の第一次リビア内戦の終結以降、親カダフィ派組織的による組織的な反乱の噂が絶えません。しかし、2012年から2014年に発生した数々の攻撃や自動車爆弾によるテロを除くと、組織化された抵抗運動が実際に起きることはありませんでした。

 その代わり、カダフィ大佐の次男であるセイフ・アルイスラム・カダフィは政治的手段によって(かつて父親が手にしていた)権力を奪回することを目指しており、2021年11月に同年12月に実施されるリビア大統領選挙の候補者として届け出ようとしたものの、拒否されてしまいました。ところが、この決定は1か月足らずで覆され、彼は2023年のある時点で実施される予定の選挙で大統領候補として復活することになったのです。[1][2]

 2012年8月にトリポリで起きた一連の自動車爆弾によるテロ攻撃がなければ、この状況は変わっていたかもしれません。この爆弾テロに関する捜査によって、当局はトリポリ近郊のタルフーナにある軍備保管施設を掌握している民兵組織にたどり着きました。[3]

 2011年の革命以降に彼らがこの施設を管理していることは、政府の樹立と反政府武装勢力の武装解除に追われていた当局には気づかれていなかったようです。

 この「カティーバ・アル・アウフィヤ(信者旅団)」と呼ばれる民兵組織は、反カダフィ勢力を装いながらずっとカダフィ体制への復帰を画策することに成功していました。実際、この民兵組織は内部で「殉教者ムアンマル・カダフィ旅団」と呼ばれていたのです ![3]

 この旅団が管理していた軍備保管施設は単なる倉庫ではなく、数百もの野砲や自走砲(SPG)、多連装ロケット砲(MRL)、さらには「スカッド」弾道ミサイル発射機でさえも保管されているという、この種の施設としてはアフリカ最大級のものでした。  

 自動車爆弾テロや2012年6月に起きたトリポリ国際空港の一時的な占拠さえなければ、この施設における「ムアンマル・カダフィ殉教者旅団」の活動は、クーデターを引き起こすのに必要な戦力を構築するのに十分過ぎるほどの間にわたって気付かれなかった可能性があります。なぜならば、この施設にアルジェリア・エジプト・モロッコに次ぐアフリカで4番目に規模の大きな砲兵装備が保管されていたからです!

 同施設にあったロケット砲の多くは(1990年代に外国企業が退去した後の)少なくとも20年間はほとんど整備されずに保管されていたものの、保管庫と布製カバーがその大部分を良好な状態で維持することを可能にしたようです。2011年のNATOが主導するリビア介入時に有志連合軍の航空機が同施設に属する46の保管庫のうち40を攻撃し、保管されていた大砲の一部が損傷を受けました。

 それでも「殉教者ムアンマル・カダフィ旅団」は既に多くの火砲を使用可能な状態に修復したほか、共食い整備用として他のシステムから予備部品を調達し、さらに多くの火砲を修理している段階までいっていたようです。

複合施設で遭遇した「スカッド」ミサイル発射機の1つ。車体のエンブレムは「砲とミサイルに指示を」と書かれており、1999年の革命30周年記念閲兵式のために特別に施されたものである。

 「タルフーナ複合施設」は、もともと1970年代後半か1980年代前半に軍用装備の保管・修理・整備施設として建設されたものです。

 1970年代、カダフィ大佐はリビアを「イスラムの兵器庫」にするために大規模な兵器の買い占めに乗り出しました。この野心的な取り組みの一環として、彼は自国の軍隊が必要とする量をはるかに超える量の軍備を調達したわけです。

 入手した兵器システムの多くはリビアに到着後すぐに保管庫に入れられ、一部は後に中東・南米・アフリカの友好国(もちろん北朝鮮にも)に寄贈されましたが、残りは最初に到着した保管庫から外に出ることはありませんでした。実際、2011年に反政府軍がソクナの巨大な戦車保管施設を制圧した際、部隊に支給すらされていない無数の「T-55」戦車・「MTU-55」架橋戦車・「BMP-1」歩兵戦闘車(IFV)・「BTR-60PB」装甲兵員輸送車(APC)に遭遇しています

 こうした兵器は1970年代にアメリカやイスラエルとの世界的な戦争に参加するために購入されたものの、その来るべき出番がやってくることはありませんでした。その代わりとして、カダフィ大佐による42年にわたる統治を終わらせようとする反政府軍に動員されてしまったのです。

 この複合施設に保管されているSPGやMRLの多くが最後に運転されたのは、1999年にトリポリで行われた革命30周年記念の閲兵式に参加した時でした。「アフリカ合衆国」の発足を目指す取り組みを強化するため、カダフィ大佐はリビアが壊滅的な打撃がもたらされた10年にわたる制裁の後でも依然として侮れない国であることを世界に示すべく、リビア軍が導入したほぼ全種類の兵器を紹介する壮大な閲兵式を組織しました。[3]

 ただし、これらの大部分はこの時点でも長期保管の状態にあったことから、閲兵式のためにわざわざ再稼働させる必要があったことは言うまでもないでしょう。

 自身の民衆に感銘を与えようとするカダフィ大佐の試みは、リビア空軍に引退した「Tu-22」爆撃機を再稼働させて閲兵式の会場上空を飛行するよう命じるまでに至りました。10年以上も飛行していなかったこともあって飛行中の機体は激しく振動しましたが、その酷さはトリポリのミティガ空軍基地に着陸後のパイロットは地面にキスをして本拠地であるジュフラ基地への再飛行を拒否するほどだったようです。その後、この「Tu-22」はミティガに放棄されてしまいました。[5]

 閲兵式に参加した火砲やMRLはタルフーナへ送り返されて即座に再び保管状態に入り、リビアの軍隊を実際よりも強く見せるという役目を終えました。

2011年の有志連合軍によって破壊される前のタルフーナ軍備保管複合施設:この施設は2016年から2017年にかけて撤去された

 「ムアンマル・カダフィ殉教者旅団」は複合施設にある一部の火砲を複合施設への入り口をカバーする固定式バンカーに変えようと試みたにもかかわらず、彼らの守りは最終的に敗れ、その場にいた民兵の殺害や逮捕に至りました。[3]

 「タルフーナ複合施設」から強制的に退去させられた後の旅団は事実上消滅し、こうしてジャマーヒリーヤの時代に回帰するという彼らの夢に終止符が打たれたのです。

複合施設の正面入り口をガードしていた「2S1 "グヴォズジーカ"」122mm自走榴弾砲と「ZU-23」を搭載したトヨタ製テクニカル
複合施設を防備していた「殉教者ムアンマル・カダフィ旅団」に用いられていたテクニカルと北朝鮮の「BM-11」120mm MRL
46棟の保管庫のうちの1棟で見つかった「パルマリア」155mm自走榴弾砲:保管庫の屋根が有志連合軍の空爆で崩落している点に注意
すでに保管庫の外へ移動されていた十数台以上の「パルマリア」:リビアで最も新しい(装軌式)自走砲として、これらのほぼ全てが「リビアの夜明け(後のGNA)」によってリビア国民軍(LNA)やイスラム国の戦いで再び使用されることになる


「2S1 "グヴォズジーカ"」122mm自走榴弾砲」:「2S1」は「パルマリア」と共に2011年のカダフィ政権軍で広く使用されていた唯一の自走砲だった

放置された4台の「2S3 "アカーツィヤ "」152mm自走砲:1990年代に大部分が退役した「2S3」は現在のリビアでも稀な存在となっている

「2S1」及び「2S3」中隊で用いられる「MT-LBu」指揮車両


チェコスロバキアの「SpGH "ダナ"」152mm自走榴弾砲 :これらは全てが1990年代に退役していた。理由は不明だが、リビアで最も高性能な自走砲であるにもかかわらず、どの勢力もDANAを運用可能な状態に戻そうとはしていない



チェコスロバキア製「RM-70」MRL:「DANA」と同様に1990年までにはほぼ全てが退役していた

 現役へ復帰させる試みはなされていませんが、「RM-70」のうち少なくとも1台はタルフーナでAPCに改造され、もう1台は即席のSAM/ロケット砲として使用されました。

この「RM-70」のドアに施されたインシグニアには「勝利か死か」の文字が書かれている

「RM-70」は40発分の発射管を装備しており、さらに40発の122mmロケット弾を再装填用として搭載することができた。

北朝鮮の「BM-11」MRL:リビアの「BM-11」のほとんどはポリサリオ戦線やスーダンなどの他国軍へ寄贈されたものの、リビアでも数台が運用され続けている。

2台の「BM-11」の隣には中国製「63式」100mm MRL(ありふれた「63式」107mm MRLと混同しないように注意)が停まっている(画像の左):興味深いことに、中央の「BM-11」は給水車に改造されている

牽引される「M-46」野砲の背後には、中国製の「63式」130mm MRLが破壊された保管庫の外に投棄されている:「63式」はリビアで非常に不評であり、使用された機会は極めて限られたものだったが、「ムアンマル・カダフィ殉教者旅団」は、そのうちの数基を修復しようと試みた


見渡す限り「M-46」130mm野砲が並んでいる:この射程距離は「D-30」122mm榴弾砲より圧倒的に凌駕していたものの(27km対15km)、リビア軍は1990年代を通して「M-46」と北朝鮮の152mm野砲の両方を保管していた


数台の「スカッド」移動式発射機(ミサイルなし)もこの施設に存在していた

1969年のカダフィによるクーデター直前に、リビア軍は少数の「M109」155mm自走榴弾砲をアメリカから引き渡された:これらも46棟ある保管庫の1棟で遭遇した


リビア政府軍に持ち去られる戦利品たち:タルフーナ複合施設の発見と占領はカダフィ支持者が抱いたクーデターへの希望に終止符を打ったが、それは撮影された兵器たちの本格的な運用の始まりを告げたに過ぎなかった - 実際、その大半は今日まで使われ続けている。

[1] Libya election commission says Saif Gaddafi ineligible to run
[2] Libyan court reinstates Saif Gaddafi as presidential candidate https://www.aljazeera.com/news/2021/12/2/libya-court-reinstates-gaddafis-son-as-presidential-candidate
[3] Libya seizes tanks from pro-Gaddafi militia https://www.bbc.com/news/world-africa-19364536
[4] LIBYA. Military parade https://youtu.be/TIGehN-6JgU

※  当記事は、2023年1月3日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したもの
  です。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があ
  ります。



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2023年8月13日日曜日

空飛ぶ歴史:ジンバブエ空軍の誇り高き伝統


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 ジンバブエ空軍(AFZ)については、それぞれ1980年代と2000年代半ばに中国から調達した約9機の成都「F-7NII」及び「FT-7N」戦闘機と10機の洪州「K-8E」ジェット練習機から構成される質素な高速ジェット機部隊を運用していることが知られています。

 しかし、現役から退いたと長く思われていた旧式のジェット機も多くの人に知られることなく限定的に使用され続けています。こうした機体は稼働状態を維持しているだけにとどまらず、まさかの時のために備えて、耐空性を保障するために時折飛行すらしているのです。

 これらの旧式機群は「MiG-23UB」、BAe「ホーク  T.Mk 60」、そして生産から約60年経過した後でも運用され続けているホーカー「ハンター(FGA.Mk 9及びT.Mk 81)」で構成されています。

 これによって、AFZは「ハンター」を実戦配備している世界で最後の空軍という絶対的な名誉を得ることになったのです!(編訳者注:民間の「ATAC」社も運用していますが空軍組織ではないので除外されます)

 製造メーカーのサポートが終了した後もこれらの機体を長く維持できるのは、プロフェッショナリズムと困難な状況への適応力と打開力の面でサハラ以南のアフリカにおいて間違いなく最上位に入る運用体制のおかげと断言して差し支えないでしょう。

 2002年から始まった西側諸国による武器禁輸と永遠に続くと思われる経済的苦境に直面したAFZは、確かな守りを維持するため、既成概念にとらわれずに頭を使う以外のことを選択する余地がなかったのです。

 ジンバブエは、これまでに「SA316 "アルエットIII"」をロケット弾やガンポッドを搭載した攻撃型ヘリコプターに改造したり、 イランとの協力による6機の「AB.412」のオーバーホール、新たな種類の兵装の搭載を可能にした「F-7」の近代化改修をしたことがあります。

 2000年、ジンバブエが第二次コンゴ戦争へ参戦したことを理由にイギリスが武器禁輸措置を発動した後、AFZはBAe「ホーク T.Mk 60」高等ジェット練習機・軽戦闘爆撃機の飛行隊を維持するためのさらなる創意工夫が求められました。

 ここで最も興味深いのは、彼らが必要なスペアパーツをメーカーから直接調達するのではなく、同じように「ホーク」飛行隊を運用していたケニア空軍を通じてそれらを発注したことでしょう。[3] 

 この策略は長い年月にわたって実行することに成功し、驚いたことにケニアが「ホーク」を退役させた後も続けられたのです。しかしながら、この方法で入手可能なスペアパーツの量は結果的に同機の運用を継続するにはあまりにも少ないことが明らかとなったことから、残った7機の「ホーク」は正式に保管状態に移行し、新型の「K-8」に更新されることになりました。

重武装を搭載した「SF.260」とホーカー「ハンターT.Mk 60」の前に立つAZF第2飛行隊 "コブラ" と第6飛行隊 "タイガー"のパイロットたち

(上の画像の注釈:先頭のマイケル・エンスリン空軍大尉はAZFで「F-7」を操縦し、オーストラリア空軍とサウジアラビア空軍で「ホーク」、そしてバーレーン空軍でも「F-5」で任務に就いた経験を持っています。2014年には、第2次コンゴ戦争における功績で故ロバート・ムガベ大統領から勲章を授与されました。)

 とはいうものの、実際のところ、AFZは必要になった場合に備えて「ホーク」飛行隊の一部を稼働状態で維持する構想を持っています。なぜならば、残った7機のBAe「ホーク(601、604、605、606、610、611、612番機)」のうち(少なくとも)2機は引き続き運用されることになっており、耐空性を維持するために時折飛行させるだけのスペアパーツがまだ十分に存在していたからです。

 2021年9月に(AFZのジェット機の拠点である)グゥエル・ソーンヒル空軍基地といった場所における記念行事で、「ホーク」がフライパスに登場したことは特筆に値する出来事でした。[4]

 ジンバブエがこの機種にこだわる理由については、使い勝手の良さものみならず、4つのハードポイントに無誘導爆弾やロケット弾を大量に搭載可能であり、そのおかげで第二次コンゴ戦争で重要な役割を発揮できたからでしょう(注:「K-8E」のハードポイントは2つ)。

ホーカー「ハンターT.Mk.81」復座練習機(左) と「ホーク T.Mk.60」(右上)、「ハンターFGA.Mk. 9」単座攻撃機(右下):(2010年9月)



Mkhululi・デュベ飛行隊長 とAFZの「ハンターT.Mk.81」復座型練習機

(上の画像の注釈:ドゥベは2020年11月、「SF.260」で定期的な訓練飛行中に墜落して悲劇的な死を遂げました。)

 それに対して、2022年になってもAFZが1950年代のホーカー「ハンター("FGA.Mk9 "と "T.Mk81 "」にこだわる理由は、単に懐古趣味的なものなのかもしれません。

 1960年代初頭にローデシア空軍が12機を一括で調達し(さらに14機を1980年代にケニアとイギリスから追加導入)、1979年にローデシアが消滅した後も第1飛行隊 "パンツァー" だけは残って「ハンター」も任務を続けましたが、同隊は2002年1月に活動を停止しています。 [5]

 その頃までには、すでに「ハンター」は(「PL-5/PL-7」と「R-60」から構成される)空対空ミサイルを最大6発まで搭載可能な「F-7NII」に更新され、同機種が前線での任務に就いていました。

  ジンバブエの「ハンターFGA.Mk 9」は、アデン30mm機関砲4門に加えて、(国内で設計・製造された「アルファ」や「ゴルフ」を含む)さまざまな種類の無誘導爆弾やロケット弾ポッドを搭載可能な主力地上攻撃機ですが、1970年代に南アフリカで「AIM-9 "サイドワインダー"」AAMを搭載するために改修されたこともあります。

 ただし、AFZのストックに(ほとんど「ホーク」飛行隊だけに搭載されていた)使用可能な「AIM-9」が依然として残存しているかどうかは不明であり、近年に少なくとも2機の「ハンター」がオーバーホールされた目的がジンバブエ空軍機の空対空能力を強化することにあったとは思えません。

ジンバブエ空軍のホーカー「ハンターFGA.Mk 9」(1990年代後半)

グゥエル・ソーンヒル基地で駐機しているAFZ第1飛行隊 "パンツァー" のホーカー「ハンターT.Mk 81」復座練習機(1990年代後半)

 ジンバブエが「ホーク」や「ハンター」、そして「MiG-23UB」の投入を必要とする近隣諸国との紛争に関わるとは考えられませんが、こ上で紹介した作戦機の運用については、現存するAFZの豊かな歴史を語り継ぐためのメモリアルフライトを行うという副次的な(あるいは主な)役割を持っています。

 実際、1980年代前半に退役したデ・ハビランド「ヴァンパイア」戦闘爆撃機やEEC「キャンベラ」爆撃機といった機体でさえも、AFZ基地のゲートガードとして活躍し続けているのです。

 「ヴァンパイア」3機と「キャンベラ」1機がグゥエル航空博物館でホーカー「ハンター」やスーパーマリン「スピットファイアMk.22」と一緒に展示されているだけでなく、別の「キャンベラ」と「ハンター」がパーシヴァル「プロボスト」と共に各1機ずつが中国へ寄贈されて北京の中国航空博物館で余生を過ごしています。面白いことに、中国の「ハンター」にはジンバブエではなくイギリスのラウンデルが施されています
 
 1982年7月に南アフリカがグゥエル・ソーンヒル空軍基地を襲撃した際にちょうどそれらの無力化を試みていたことを考えると、今でもこれだけ多くの機体が無傷で生き残ったことは特筆すべき偉業と言えるでしょう。この襲撃作戦は「ハンターFGA.Mk.9」と12日前にイギリスから納入されたばかりのBAe「ホーク」の各4機に多人数の侵入者が爆弾を仕掛けたものであり、今でも謎に包まれたままとなっています。

 この事件では「ホーク」1機の全損と2機の大破(いずれも修理のためイギリスへ移送)、「ハンター」3機が完全に破壊され、発足してから日の浅いAFZに大きな打撃をもたらしました。

 悲惨な運命を迎えた「ホーク」の1機を襲った爆発はマーチンベーカー「Mk.10B」射出座席を作動させるのに十分な威力であり、結果的に同座席は格納庫の天井を突き破って少し離れた場所で発見されたのでした。

南アフリカの破壊工作によって破壊された新品のBAe「ホーク」の悲しき残骸(1982年):同機の搭載されている射出座席の1つが作動したことで格納庫の天井に生じた穴が見える

 AFZはこの出来事を辛抱強く乗り越え、その豊かな歴史の作り手を西側諸国製の機体だけで終わらせようとはしませんでした。

 ジンバブエが「MiG-23UB」を入手した方法については、2022年現在でも使用し続けていることと同様に関心を集めるものであることは間違いありません。

 このソ連製練習機を入手するに至った真相については、2つの説が存在しています。 一つ目は、これが1998年後半にムアンマル・カダフィ(リビア)からコンゴ民主共和国(DRコンゴ))に贈呈された最大で5機のうちの1機であり、ジンバブエ人がコンゴ人パイロットに作戦を指導しようという野心的ながらも無益な試みがなされた後にAFZへ引き取られたという説で、もう一つは、リビアから直に2機の「MiG-23」を得たという説です(このうち1機は引き渡し直後に着陸に失敗して事実上の全損となりました)。
 
 アフリカ連合(AU)の設立という自身の野望を実現させるべく、カダフィは多額の融資や防衛装備(つまり賄賂)を提供することで各国へAUへ加入を促そうと企てました。

 カダフィは対象とするアフリカ諸国に対し、彼らが実際に運用可能な装備を提供するどころか逆に戦闘機やヘリコプターなどのプレゼント攻撃を浴びせ、スーダン、ウガンダ、(厳密にはジンバブエを含む)DRコンゴの全てが「MiG-23MS」戦闘機を贈られたのです。

 皮肉なことに、機体と共に教官や訓練どころかスペアパーツすら提供されなかったため、ウガンダとDRコンゴは受け取った「MiG-23」を運用する姿を一度も見せずに保管状態に追いやってしまいました。

 これまでAFZのパイロットたちは「MiG-23」を操縦したことはなかったものの、彼らの秀でだ創意工夫はその複雑な特性をマスターするのに十分だったようです(注:「MiG-23MS」及び「MiG-23UB」は既存のAFZ機にはないデリケートな可変翼を備えていたため、彼らが事故を起こすリスクがありました)。

 驚くべきことに、AZFにある1機の「MiG-23UB」は1990年代後半から稼働状態にあることが知られています...つまり、ジンバブエでは約25年間も使用されているのです!

 スペアパーツ不足で近頃は滅多に飛ばなくなりましたが、この機体は今でも時折アフターバーナー全開で離陸滑走することがあり、その光景はまさに目を見張るものがあります。

 ちなみに、AFZの 「MiG-23UB」は「(O)FAB」無誘導爆弾や「UB-16/32」57mmロケット弾ポッドで武装されていました。

 同様に、2010年代中盤のスーダンも(エチオピアの「デジェン航空産業(DAVI/DAVEC)」の支援を得て)リビアから寄贈された「MiG-23MS」3機と「MiG-23UB」の1機のオーバーホールを試みました。

 スーダン空軍(SuAF)にとって不運だったのは、この4機中の1機が試験飛行直後にワディ・セイドナ基地の敷地に不時着してしまったことでしょう。この機体は炎上して後に基地の片隅に捨てられたことなどを踏まえると、どうやらこのプロジェクトは終焉を迎えたようです(編訳者注:残りの機体がSuAFで使用されている様子や衛星画像は確認されていません)。

 エチオピアとリビアだけが今でも多数の「MiG-23」を運用しているため、結果的にジンバブエはサハラ以南のアフリカで2番目、アフリカ大陸全体では3番目の「MiG-23」運用国となりました(注:アンゴラ空軍での運用も著名でしたが、近年に退役させてしまいました)。

(後にジョサイア・トゥンガミライに改名された)グゥエル・ソーンヒル空軍基地におけるジンバブエ唯一の「MiG-23UB」

 ジンバブエがホーカー「ハンター」とBAe「ホーク」、そして「MiG-23UB」を使用し続けていることは、軍事航空史の中で魅力的な出来事と言えましょう。

 彼らの全盛期はとっくに過ぎ去りましたが、ジンバブエの熟練した航空エンジニアたちのおかげで、AFZの輝かしい過去を物語る誇り高き存在として、この先の何年飛び続けることができるかは何とも言えません。

 ジンバブエは少なくともここ10年は「JF-17」の導入を視野に入れているほか、パキスタンや中国から無人戦闘航空機(UCAV)の調達も検討していると考えられています。これが順調に進んだ場合、 今回紹介した懐かしさに溢れる作戦機たちは、やがて一刻の猶予も与えられずにニューカマーに圧倒されて(この国で)時代遅れの存在となる可能性が考えられます。

 とはいえ、時代の試練に耐えてきた今を生きる伝統を存続させるべくAFZがメモリアルフライトに向けた旧式機の稼働状況を維持することに専念しているようなので、昨今の動向自体が彼らの終焉を左右するわけではないのかもしれません。 

AFZのホーカー「ハンター」、「ホーク」、「MiG-23UB」の姿については、グゥエル・ソーンヒル空軍基地を捉えた衛星画像で定期的に確認できる

[1] EU arms embargo on Zimbabwe https://www.sipri.org/databases/embargoes/eu_arms_embargoes/zimbabwe
[2] Zimbabwe: Kenya Helps Zimbabwe Bust UK Arms Embargo https://allafrica.com/stories/200003170213.html
[3] UK inquiry into jet parts for Mugabe https://www.theguardian.com/world/2002/nov/08/zimbabwe.armstrade
[4] Air Force of Zimbabwe. 2 Hunters & 1 Hawk. September 2021 https://youtu.be/epDM9tGO__Y
[5] Mig-23 Zimbabwe https://vimeo.com/352656725

[6] Mig-23 https://youtu.be/-byhxTNwrTA
[7] Back From The Dead: Sudan Overhauls MiG-23s https://www.oryxspioenkop.com/2016/09/back-from-retirement-sudans-mig-23s.html

※  当記事は、2022年12月2日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したも
  のです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所が
  あります



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2023年8月4日金曜日

エチオピアのイスラエル製小火器:「TAR-21 " タボール"」アサルトライフル


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

※  当記事は、2021年12月4日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意 
    訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 エチオピア国防軍(ENDF)は、ロシアやウクライナ、そして中国といった国々から調達した武器を主に運用しています。しかし、このエチオピアは時折、武器や装備の入手で他国に目を向けることがあります。これにはドイツ、UAE、イスラエルといった国々の武器メーカーも含まれており、その製品はENDFに広く導入されています。[2]
 
 そのような製品の1つが「IWI」製「TAR-21 "タボール" 」5.56mm口径ブルパップ式アサルトライフルであり、かなりの数が2000年代後半からエチオピアの治安組織の精鋭部隊で使用されています。

 イスラエルはアパルトヘイト体制下の南アフリカに核抑止力の確立すら援助するなど、終始にわたって強力な支援国でありましたが、同国はほかの多くのアフリカ諸国にとっても人気のある武器類の供給者であることが実証されています。

 エチオピアはハイレ・セラシエ1世が統治していた1950年代に初めてイスラエルとの軍事的な連携を構築し、1974年から1991年までエチオピアに存在した共産・社会主義政権下でもイスラエルとの軍事面での協力関係が続けられました。この時代、メンギスツ政権はアラブ諸国とイスラエルの双方と緊密な関係を保っていましたが、後者についてはほぼ秘匿されていました。

 エチオピアとイスラエルの協力な結びつきが軍備の引き渡しという形でも明らかとなったのは、つい最近になってからのことです。

 これには「エアロスター」「ワンダーB」無人航空機(UAV)が含まれており、どちらも今ではエチオピア北部で戦いを繰り広げているティグライの反乱軍に対してほぼ確実に実戦投入されています。[1]

 ENDFで運用されているもう1つのイスラエル製兵器は「サンダー」歩兵機動車(IMV)ですが、これまでのところティグレ戦争では公に目撃されたことはありません。

 エチオピア軍で運用されているイスラエル製の武器で最も知られているのが、「TAR-21」アサルトライフルであることに疑いの余地はありません。

 これは特に、共和国防衛隊の隊員が「TAR-21」を持ちながら自身の筋肉を誇示するポーズをとっている画像がソーシャルメディア上に多数存在していることから、同部隊で「TAR-21」とステロイドの両方が使用されていることが確認されたことによります(注:この文章には冗談も混じっていますが、実際に強烈な印象与えるためにイメージに残りやすい点も否定はできないでしょう)。

 同ライフルのそれほど仰々しくはない使い道として、エチオピア首相の身辺警護要員(PPD)による使用があります。

 エチオピアでは、共和国防衛隊とPPDの軍人が唯一の「TAR-21」ユーザーとなっています。
      

 「TAR-21」は、左右のどちらが利き腕の人でも操作しやすいように排莢口を左右に備えた現代的なアサルトライフルです。このライフルは市街地での運用を想定して設計されており、その要件が最終的にブルパップ式を採用することに至らせました。

 「TAR-21」は世界30カ国以上で使用されており、その確かな特性と高い品質が証明されています。

 より小さな派生型の「タボールX95」は、イスラエル国防軍(IDF)の新制式小銃として採用されています(最近、IDFが「タボール」を「M4」カービンに置き換えるという報道がありましたが、その話は否定されました)。

 エチオピアで使用されている「TAR-21」には2種類の照準器のどちらかが装備されているのが一般的ですが、極めてまれなケースとして40mm擲弾発射器を装備したものも確認されています。注意すべきことは、擲弾発射機は共和国防衛隊が使用する「TAR-21」の一部に装備されているだけで、PPDの軍人はこのような追加装備をほとんど必要としていないことでしょう(注:任務の特性上、擲弾発射機を装備するのは共和国防衛隊に限られるということ)。

 その代わり、アビー・アハメド首相のPPDによって装備されている「TAR-21」では、戦闘中により素早くリロードできるようにダクトテープで2つに連結された弾倉が装填されている場合が一般的なスタイルのようです(注:よく見るとダクトテープではなく、専用のクリップなどで連結されている可能性があります)。

メレス・ゼナウィ首相(当時)のPPDが「TAR-21」を装備している(2010年)

 共和国防衛隊やPPDに現代的な装備が支給されている間にも、エチオピア軍は1950年代製のライフルやヘルメットがまだ残っている可能性がある国中の武器庫を探し求めることを余儀なくされています。そのことを考慮すると、「TAR-21」のような新型の小火器が、まもなくエチオピアの紛争で疲弊した地域にもたどり着くことは考えられないことではないでしょう(注:ENDFが共和国防衛隊から「TAR-21」を譲渡されたり、新たに支給される可能性があるということ)。

 首都アディスアベバを防御する共和国防衛隊の部隊による使用が(ティグレ防衛軍の敗退で)回避されたため、もはやENDFはどんな装備も秘密にしたり、出し惜しみする余裕がなくなるかもしれません。このことは、近いうちに「TAR-21」がENDFの手によってティグレ防衛軍に対して使用される可能性があることを意味します。

 その戦場で「タボール」は、中国、UAE、イランから新たに引き渡されたされた兵器も含む、どんどん多様化するENDFの保有兵器群の仲間入りをすることになるでしょう。

 ※2021年11月に前線地域を視察したアビー・アハメド首相を護衛した共和国防衛隊の隊員が、「TAR-21」だけでなく「X95-SBR」を携行している姿が初めて確認されました。

[1] The Israel Connection - Ethiopia’s Other UAVs https://www.oryxspioenkop.com/2021/08/the-israel-connection-ethiopias-other.html
[2] Israeli Arms In Ethiopia: The Thunder IMV https://www.oryxspioenkop.com/2021/09/israeli-arms-in-ethiopia-thunder-imv.html


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2023年7月9日日曜日

フォトレポート:リビア国民軍・ハフタル将軍最後の閲兵式


著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事で紹介する画像は、2021年5月29日にベンガジのベニナ空軍基地で行われたリビア国民軍(LNA)の「尊厳作戦」開始7周年記念の閲兵式で撮影されたものです。

 ハリーファ・ハフタル将軍が率いる軍閥であるLNAは新たに樹立された国民統一政府(GNU)の一員として国民合意政府(GNA)の勢力と合流することになっていたにもかかわらず、トブルクに拠点を置く代表議会(HoR)は2021年9月に統一政府に対する不信任案を可決してしまいました。

 その後、ハフタル将軍は2021年12月のリビア大統領選挙への出馬を表明しましたが、情勢の悪化などで延期され2022年8月時点でも実施の見通しは立っていません

 昨年5月の閲兵式は、LNA(すなわちハフタル将軍)の強大さを国内外にアピールすることを目的に行われたものであることは言うまでもないでしょう。この閲兵式で、LNAはカダフィ時代のリビア軍から受け継いだり、革命後にロシア・UAE・ヨルダン・エジプトから供与された多種多様な装備を披露しました。[1]


パレード中の兵士や車両の画像はこちらで、パレード全体の映像はこちらで視聴可能です

9K31「ストレラ-1」 (NATOコード: SA-9「ガスキン」)地対空ミサイル(SAM)システム



1S91 "SURN" レーダーと2K12 "クーブ"  (NATOコード: SA-6 "ゲインフル") SAMシステム


ロシアから供与された「P-18 "スプーン・レストD」」レーダー。 同システムは当初アル・ジュフラ空軍基地に置かれてPMC「ワグネル」によって運用されていたものです。



「LRSVM "モラヴァ"」 多連装ロケット砲は 107mmと122mmのロケット弾ポッドを同時に装備可能なシステムです。 「モラヴァ」はUAEがセルビアから購入して、2020年にLNAに引き渡されました。


BM-21「グラード」122mm多連装砲はウラル-375D (旧型) と ウラル-4320 (新型) トラックに搭載された2種類が登場しました。


2S1「グヴォジカ」122mm自走榴弾砲


南アフリカ製「G5」榴弾砲は2020年にUAEがLNAに供与したものです。





1段目:「M-30」122mm榴弾砲 (2017年にロシアから引き渡し)。2段目:北朝鮮の122mm野砲。4段目: 「M-46」130mmカノン砲。これらはいずれもロシアから供与されたカマズ製「6x6」トラックに牽引されて登場しました。


「D-30」122mm榴弾砲


 2台のT-72M1戦車:前から2台目は2011年の革命前に「ゼネラルダイナミクスUK」社によって無線システムのアップグレードが図られた数少ないT-72のうちの1台です。


T-72 "ウラル"


ロシアから引き渡されたT-62MV: 少数のT-62MとT-62MVが2020年にLNAへ供与されました。


T-55A (前) とエジプトから供与されたT-55E (後ろ)


T-55A(左) とT-62 "1972年型" (右)


ZSU-23 "シルカ" 23mm自走対空砲


KMT-5M地雷原処理ローラー装備型のT-55とVT-55KS装甲回収車


MT-LBu汎用装軌装甲車(指揮通信車型)



ヨルダンから供与された「アル・マレード」装甲兵員輸送車と「アル・ワフェイシュ」歩兵機動車(IMV)


4台のGAZ「ティーグル-M」:PMC「ワグネル」が用いるためにリビアへ持ち込まれましたが、後にLNAに寄贈されました。 いずれもSGMB重機関銃で武装しています。


手前はUAEから供与されたMSPV「パンテーラT6」 IMV。その後に同国から得た数種類のIMVが続きました。UAEは2014年から2020年までの期間に少なくとも12種類のIMVをLNAに供与しています。


ジープ「ラングラー」 と形式不明のATV(全地形対応車)






 LNAのR-17「スカッドB」は支援車両と共に登場しましたが、メインステージの前でクレーン車が故障するという残念な事態が発生してしまいました。ちなみに、「スカッドB」は2022年3月の演習で実際に試射され、LNAの弾道ミサイル運用能力が誇示されました。


これらの複合艇 (RHIB) は2013年にフランスの軍用ボート企業「スィリンジャー」社へ発注したものです。


ミラージュF1AD戦闘爆撃機 (左)とミラージュF1ED戦闘機 (右):スペアパーツが欠乏しているため、これらのミラージュは軍事パレードなどの特別な日にしか飛ぶことができません。


墜落する直前に撮影されたMiG-21bis「698番機」:名パイロットであるジャマル・ビン・アメル准将はこの事故で殉職しました。



閲兵式で展示飛行中のAS332L「スーパープーマ」(上段):これらは後に軍用の迷彩塗装が施されました(下段)。このヘリコプターはいずれも南アフリカからPMC「ランカスター6」によって入手されたものです。



会場をフライパスする3機のSu-24M戦闘爆撃機:もともとリビアでPMC「ワグネル」が使用するため、2020年に数機のMiG-29戦闘機と共にロシアから供与されたものです。

[1] Tracking Arms Transfers By The UAE, Russia, Jordan And Egypt To The Libyan National Army Since 2014 https://www.oryxspioenkop.com/2020/06/types-of-arms-and-equipment-supplied-to.html

※  当記事は、2022年8月27日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳した
 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。