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2022年5月15日日曜日

塹壕戦の再考:アルメニアの国産リモート・ウェポン・システム



著:スタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ

 少ない人口と限られた経済力は、アルメニアが軍事装備の陳腐化に対処し、全く新しい能力を自国の軍隊に導入するための創造的な解決策を考え出す必要に迫られていることを意味しています。

 この状況は長年を通じて非常に活発な研究開発プロジェクトの立ち上げに至りましたが、アルメニアの外ではメディアの注目をほとんど集めていません。

 資金不足のため、そのプロジェクトのほとんどが試作品の域を超えて進行することはありませんでしたが、範囲を限定した(つまり、必要とする財政的な関与が少ない)ものに関しては、通常はより多くの成功を収めました。

 これらの成功したプロジェクトの一つが、照準用スクリーンに接続されたサーマルサイトを用いて隠れながら射撃できるように改修された「PKT」機関銃です。この非常に興味深い装置は、2020年のナゴルノ・カラバフ戦争でアルメニア軍で使用されたことが初めて目撃され、同軍の陣地を制圧したアゼルバイジャン軍に鹵獲され、詳しく調査されました。[1] [2]

 見た目は粗雑ながらも、意図された役割において有用であるこのシステムは、アルメニアの軍事産業を象徴する適応性を示した明確な一例となっています。

         

 もちろん、第一次世界大戦時のソンムやヴェルダンの塹壕から出てきたものをそのまま現代に適応させたような装置だと言われても、私たちはそれを全く非難することはできません。

 1994年の停戦合意以来、厳しい膠着状態のさなかにあった境界線沿いのアルメニア軍の塹壕は、実際に第一次世界大戦の塹壕を連想させるものでした。アルメニアとアゼルバイジャンの両側が地雷や障害物が散らばった無人地帯の細いラインで隔てられていたのです。

 防御的な砦のネットワークは過去数十年間にわたって全く変化しておらず、大抵の場合、それらは現代的な防御施設というよりは一時的な戦闘用の陣地に似たようなものでした。

 これらの塹壕はあらゆる地上部隊が接近して最終的に制圧する際に立ちはだかる悪夢となる可能性がありますが、上空を旋回しながら自己が搭載する「MAM-L」誘導爆弾や地上の多連装ロケット砲による誘導ロケット弾の標的にする価値がある陣地を慎重に選択することができるアゼルバイジャンの「バイラクタルTB2」ドローンに直面した結果、防衛上の価値が全く無いことが判明しました。

 結果として、大部分の塹壕線や陣地は今まで近くに寄せ付けないはずだった敵が視界に入るずっと前に、この見えない相手に無力化されてしまったのです。

 それでも、小規模な無人戦闘航空機(UCAV)の飛行隊では限られた範囲しかカバーできなかったため、その代わりにいくつかの防衛ラインでは陣地が繰り返しアゼルバイジャン軍の集中砲撃を受け、続いて機械化部隊や歩兵の攻撃に直面しました。

 これらの攻撃は最終的にアルメニア兵を陣地から追い出すことに成功しましたが、ほかの陣地では数日または数週間にわたってアゼルバイジャン軍を抑えることに成功しました。ナゴルノ・カラバフの北部では特にそうであり、山岳地とアルメニア軍の激しい抵抗が、44日間戦争の全期間にわたってアゼルバイジャン軍の前進を阻んだのです。




 このシステムで使用されているのはPKT機関銃であり、これはソ連の戦車やAFVの同軸機銃として搭載するために特別に設計されたPK汎用機関銃の派生型です(そのため、PK-Tankという名前になっています)。

 (電磁式トリガーを用いることによって)最初から遠隔操作で発射できるように設計されていたことから、PKTをリモート・ウェポン・システムという新しい役割のために改造する必要はほとんどありませんでした。

 PKTが持つもう一つの利点は、250発という素晴らしい量の7.62×54mmR弾を収納できる弾倉(弾薬箱)のサイズにあります。追加の弾倉を陣地に持ち込む必要が生じる以前に長時間の連続射撃を可能にするため、予備の弾倉を入れる専用のラックが金属製銃架の右側に溶接されています。

 ちなみに、アルメニアはすでに大量のPKT機関銃を保有していたものの、どうやらすでに使用されていなかったようです。これらのPKTはかつて「BRDM-2」偵察車や「BTR-60」装甲兵員輸送車(APC)に搭載されていたものですが、これらのAFVの大部分が予備役に追いやられて最終的にはアルメニア軍によって退役させらたため、搭載されていた武器は保管状態に置かれました。

 ただし、アルメニア軍はこの潜在的に有用な武器を放置して朽ち果てさせるのではなく、相当な数のPKTをリモート・ウエポン・システム用の銃として採用しました。


 PKTはポールの上に設置された粗末な金属製の構造物に取り付けられており、使用時には機銃を塹壕のすぐ上まで持ち上げ、使用しないときや再装填する必要がある場合には塹壕内に降ろすことができます。

 機関銃手は、システムの左側に備えられたロシアの「インフラテック」社製「IT-615」サーマルサイトとリンクした目の前のモニターを通して狙いを定めます。そして、誰かが照準線上に入ると、機関銃手は武器システムの照準にも使用できる、2本あるハンドルのうち1本のトリガーを押してPKTを射撃します。[3] [4]

 サーマルサイト用のバッテリーと思しき物体が金属製銃架の左側に雑に取り付けられていますが、これは全てのシステムに備えられているわけではないようです。




 アルメニアによって開発された自動式の銃架は、PKT用のシステムだけではありません。 別のプロジェクトでは対地攻撃に転用した高射機関砲の自動化が提唱され、 実際に「ZPU-2」14.5mm高射機関砲をベースにした試作モデルが作られました(PKT機関銃と同様に、ZPU-2もアルメニアでは現役を退いていました)。

 装甲化された目標に対するシステムの攻撃力を高めるために、1門の「SPG-9」73mm 無反動砲(RCL)が副装備として追加されました。この組み合わせは戦車に至るまでのあらゆるAFVに対して致命的な打撃を与える可能性があり、歩兵を乗せたBMP歩兵戦闘車(IFV)がその最適な目標となると思われます。

 完全に遠隔操作され、サーマルサイトで照準を合わせるこのシステムで人の手を必要とするのは、SPG-9を撃つたびに砲弾を装填することと、ZPU-2が2つの大きな弾倉に収納された2400発の機関砲弾を撃ち尽くした後に弾薬を装填することだけでした。

 しかし、この一見して使えそうなシステムもほかの多くのアルメニア独自の軍事プロジェクトと同様に、予算不足がそれ以上の開発と最終的な軍隊への導入を妨げたようです。




 一方、PKT用システムのコンセプトをより発展させたものも開発されており、エレバンで開催された武器展示会「ArmHiTec 2018」で初めて公開されました。[5]

 この箱型システムの機銃手は地下のバンカーの安全な環境の中で座りながら射撃できるため、このタイプのPKTはようやく真の遠隔操作式機関銃と呼べるものとなりました。当然ながら、この時点でも予算不足がこの有望な兵器システムの導入を不可能にしたようです。

 このシステム唯一の真の欠点は、比較的小さな弾倉が空になった後に毎回手動で再装填する必要があることです。箱型システムの場所によっては、その行為が危険な試みになる可能性があります。継続しての使用でシステムへ装填するために、アルメニア兵が必然的に敵の視界に入る高い位置へ上る必要があるからです。

 使用されている弾倉には最大で150発の7.62mm弾が装弾されている可能性が高いですが、毎分750発という発射速度を考慮すると、怒りに任せて射撃するとすぐに弾切れになってしまうおそれがあります。



 アルメニアのPKTシステムは、最終的には(塹壕ではなく)空で決した戦争の流れを変えることはできませんでしたが、限られた手段に直面した中で費用対効果の高い創意工夫を具現化した一流の手本であり続けています。

 壊滅的な敗北後に自軍がボロボロになっているため、この国は2020年のナゴルノ・カラバフ戦争で目の当たりにした新しいタイプの戦争と軍事バランスに適した武器を軍に提供するため、このような創意工夫に優れた装備を求める可能性があります。

 十分な資金が供給された場合、アルメニア独自の軍事産業は敵味方問わずに大きな驚きを与え、自国と軍隊を現在直面している不利な状況からゆっくりと回復し始めることができるでしょう。

[1] https://twitter.com/TvIctimai/status/1312037877174480897
[2] https://i.postimg.cc/VNmjFRSH/6jf.png
[3] https://twitter.com/Mukhtarr_MD/status/1357673286704988167
[4] https://twitter.com/neccamc1/status/1362011034891005953
[5] https://twitter.com/Mukhtarr_MD/status/1360539364506402816

※  当記事は、2021年3月2日に本国版「Oryx」に投稿されたものを翻訳した記事です。意
  訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所が存在する可能性
    があります。



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2021年7月9日金曜日

死に物狂いの怪物:YPGのシュトルム・パンツァー


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 おおよそ1918年頃から世界の大部分で歴史の片隅に追いやられていますが、YPGはいわゆる「シュトルム・パンツァー(突撃戦車)」:第二次世界大戦に登場した同名の戦車(注:ドイツ軍の「ブルムベア」)を思い起こさせる装甲強化型歩兵支援プラットフォームの積極的な運用者であり続けています。巨大で奇怪な見た目をしたこれらの車両は、シリア北部にあるYPGの支配地域から彼らを何度も追い払おうとしたイスラム国や自由シリア軍に対するYPGの抵抗を象徴し始めています。

 YPGの隊列にこのようなDIYの怪物たちが存在していることはよく知られていますが、運用されているシュトルム・パンツァーの種類を要約する試みはほとんど行われていません(結果として、この記事の完成が大幅に遅れてしまいました)。

 シリア内戦に関与した他の主要と比較すると、シリア民主軍(SDF)を構成する主要な勢力であるYPG(Yekîneyên Parastina Gel: 人民防衛隊)は装甲戦闘車両(AFV)をほとんど運用していません。結果として生じた戦力のギャップを補うために、YPGは(通常はクローラーローダー、ブルドーザーや大型トラックなどをベースにした)DIY装甲車の生産を積極的に始めました。

 最初のDIY装甲車は無限軌道の車体に箱状の構造物を搭載したもの –ほぼ移動式のトーチカのようなもの– で構成されていましたが、そのうちYPGはその設計にいくつかの進歩的な要素を取り入れていきました。最終的に完成した車両は数え切れないほど多くの点でその有効性が制限されていますが、実際には一定の状況で役立つことがあります。

 YPGの機甲戦に関する情報が明らかに著しく不足している結果として、シュトルム・パンツァーの戦闘効率についてはほとんど知られていません。前線から離れた位置にあるYPGの拠点で撮影されたプロパガンダ映像や写真には頻繁に登場しますが、作戦下でシュトルム・パンツァーが動いている映像はほとんど存在しないようです。2013年から2017年にかけてSDFに戦争をしかけたイスラム国(IS)でさえ、2015年にハサカ県でYPGの部隊が敗走した際に、損傷を受けて放棄された1台しか捕獲できなかったのです。


控えめな始まり

 初期のシュトルム・パンツァーは装輪式の車体をベースにしていることが多く、ダンプトラックがその理想的なベースであることが証明されています。
装輪式の車体は装軌式のものと比較すると未舗装地での機動性が低下することに関係があるかもしれませんが、装軌式ローダーは決してスピードを考慮して設計されていません。新たに追加された装甲版と相まった結果、装軌式大型モデルのいくつかは固い地表での走行のみに限定されているのが妥当なものと思われます。この状態は彼らの運用能力を深刻な制約にかけているため、オフロード性能の維持という面では装輪式のプラットフォームに優位性を与えています。

 下の画像は典型的に改造されたダンプトラックです。この車両には(敵の心に恐怖を植え付けるということを主張したい場合を別として)迷彩効果が皆無に近い、周りから目立つ豪華な塗装が施されています。無蓋式荷台には砂や建設廃材の代わりに、歩兵のシェルターとなり、両側に各3つある銃眼から彼らの小火器を射撃することができる装甲構造物が設置されています。また、荷台と同様に完全に金属板で覆われているキャビンの上部には、「DShK」12.7mm重機関銃(HMG)付きの装甲キューポラが設置されています。


 機動式バンカーのコンセプトは最初の装軌式シュトルム・パンツァーでも引き継がれました。明らかに第一次世界大戦のフランス戦線に展開したドイツの「A7V」重戦車を意図せずにオマージュしたこの車両は、前方に射撃可能な「KPV」14.5mm重機関銃に加えて、乗員が持つ小火器を外部に射撃できるようにした10個(!)もの銃眼を装備していました(下の画像)。

 これらの装備は車両にほぼ全方位射撃を可能にさせていますが、ここから射撃される小火器は、すでにシュトルム・パンツァーへのRPGの有効射撃圏内まで挑んできた敵に対してのみ有効です。軽装甲では小火器からの射撃や砲弾の破片しか防げないことから、RPGが命中した場合はほぼ確実に内部に壊滅的な損傷をもたらして乗員を殺傷してしまうため、結果としてシュトルム・パンツァーが沈黙してしまうことは避けられないでしょう。


 おそらくはまさにこの理由で、後に登場したシュトルムパンツァーはほとんどの場合はその前部に2基の砲塔を装備しており、より広い射撃範囲を実現させています。

 下の画像の車両はそのような設計思想をうまく実例で示しており、向かって左側の砲塔には「KPV」14.5mm重機関銃、その反対側の砲塔には12.7mm重機関銃を装備しているように見えます。さらに、(向かって左側の)砲塔の上部には、乗員が身を隠したまま別の武器を射撃できるようにするための防楯が装備されています。


 まるで過ぎ去った時代のような戦闘に入ると、3台のシュトルム・パンツァーが敵に接近するために前方へ「突撃」します(下の画像)。カメラに最も近い車両は上の画像と同じ個体のようであり、これはこれらの車両がプロパガンダ映像に頻繁に登場するにもかかわらず、こういった「モンスター」の生産は実際には極めて限られていたことを暗示しています。


 YPGの装甲車列は、後方に駐車している大型のシュトルム・パンツァーの尋常でない巨大さをはっきりと目立たせています(下の画像)。
隣に駐車されている汎用装甲車「MT-LB」のほぼ2倍の高さもあるシュトルム・パンツァーは、「MT-LB」や他の種類のAFVの能力を広げることはほとんどありません(注:シュトルム・パンツァーの存在がほかのAFVの助けになるようなことが無いということ)。

 必要に迫られて誕生したとはいえ、ほとんどのシュトルム・パンツァーの運用歴は驚くほど長く、YPG/SDFが耐地雷・伏撃防護車両(MRAP)といったより適切な代替装備を容易に入手できるようになった後も長く運用され続けています。


 2015年にテル・タミル近郊でISに捕獲されたシュトルム・パンツァー(下の画像)。驚くべきことに、これがこの種の車両の唯一の損失記録です。そうはいっても、シュトルム・パンツァーの低損失率はそれらが少数しか生産されていないことと、主に十分な歩兵からの支援を受けることができる掃討作戦で活用するという控え目な展開にとどめられていたことからも説明することができます。
 
 世間一般に信じられていることとは逆に、シュトルム・パンツァーはISやFSAとの激しい戦闘で重装甲の突破車両として使用されたことは一度もありませんでした。


 上の捕獲された車両は、その設計の固有の弱点:機動性の低さも目立たせています。
おそらく速度は10km/hをはるかに下回り、ほとんどが舗装された道路での移動に限られるため、敵の集中砲火を受けているシュトルム・パンツァーが(とりわけ危険な場所から抜け出して後方へ横切る必要がある場合は)成功裏に退却するのは困難を極めます。このような状況下では車両を完全に放棄することが最良の選択肢となる可能性があり、大きな後部ドアと側面の脱出用ハッチがそのための十分な機会をもたらします。


 一部のシュトルム・パンツァーは重装甲工兵車(AEV)として使用するために排土板を維持し続けており、瓦礫やその他の障害物を取り除いて友軍部隊が前進を続けられるようにしました。ちなみに、排土板は敵と正面で対峙した際の追加装甲としても機能します。

 下の車両は非武装でしたが(ただし、両側面に2つの銃眼を装備しています)、別の車両では発生し得る敵敗残兵から攻撃を払いのけるために機銃を装備した砲塔が搭載されていました。


 これらのAEV型シュトルム・パンツァーの1台は、2017年8月にラッカでISのクアッドコプター・ドローンから投下された簡易爆弾の直撃によって、装甲化された上部構造に詳細不明の損傷を受けました。面白いことに、この映像をリリースしたISのメディア部門はこの車両をBMP(歩兵戦闘車)と誤認しています(注:下の画像の字幕に注目してください)。


 大型の設計に加えてYPGはいくつかの小型モデルを組み立て、いくつかの設計を経た後で、最終的には最も高性能なシュトルム・パンツァーが作り上げられました(下の画像)。

 この高性能型はシリーズの最初の型とはほとんど関連性がなく、状況把握能力を向上させるためのカメラ・システムを搭載していますが、双連の機銃が正面に固定して装備されています。これは、標的に照準を合わせるために自らの車体そのものを動かさなければならないことを意味しており、結果的におそらくは命中精度がひどく不正確で扱いにくいものになっていると思われます(注:スウェーデンのStrv.103「Sタンク」と似たようなものと考えると理解しやすいかもしれません)。

 この車両に関するもう一つの興味深い特徴は、車体の左側に4発の無誘導ロケット弾発射管を備えた固定式発射機が取り付けられていることです。



 YPGのために、このコンセプトは短時間でより有用なデザインへと進化しました。このモデルは砲塔に「54式」12.7mmHMG(どこにでもあるソ連製「DShK」の中国版)を搭載し、合計で7つの銃眼を装備しています。弱点としては、車両のサイズが小さく、乗員がエンジンに近いところに配置されることから、シリアの高温で乾燥しがちな気候での運用は悪夢のような状態となる可能性があります。
 また、車体の右後方にある小さなドアにも注意してください。このドアは乗員が車内に出入りするための2つの出入り口のうちの1つです。



 (Soendilと名付けられた)この第2バージョンは明らかに上の車両と同じデザインを軸に組み立てられていますが、(機関銃手の防御力が低下する一方で状況認識能力が大きく向上する)オープントップ式の砲塔やその他の僅かな違いがあります(下の画像)。

 この車両は2016年にSDFがシリア北部をイスラム国の影響下から解放し始めた際に市街戦で監視任務と制圧射撃を実施した、戦闘中に目撃された数少ないシュトルム・パンツァーの1台でもあります。



 さらに同じデザインの別バージョンでは、北朝鮮の「323」APCを連装させる大型の砲塔を特徴としています(下の画像)。YPGによって製造された初期のDIY AFVでも見た目が同じような砲塔がすでに見られていたため、これに関する実際の原点は風変わりなものではありません。

 この新たな砲塔では搭載武装が1丁の機関銃ではなく2丁に増強されており、運用上の要件や持ち合わせの武器に応じて武装を入れ替えることができます。(下の)2枚目の画像では砲塔の武装が「KPV」14.5mmHMGと「PK」7.62mm汎用機関銃で構成されていますが、3枚目の画像の車両には2門のKPVが搭載されています。




 究極のシュトルム・パンツァーのデザインは、最も本格的なAFVに近いものになっています。「BMP-1」の砲塔と車体前面のボールマウント式銃架に「W85」12.7mmHMGを装備しており、ある程度の状況認識能力を維持しつつ十分な装甲と重武装の両方を備えています。

 また、車体全周には成形炸薬弾頭が直撃した際の効果を低減させるためにスラット・アーマーが追加されており、小火器や砲弾の破片以上のものからの防御を試みています。しかし、この追加装甲と車体との間隔の狭さは実際にその効果が発揮される可能性が低いことを示しています(注:スラット・アーマーが車体とほぼ密着しているため、成形炸薬弾頭の威力の低減に全く意味をなさないということです)。

 以前のモデルを上回る優れた火力と機動性は、このシュトルム・パンツァーが実際に火力支援車両としての価値がある可能性を意味しており、長年にわたる段階的な設計改善の恩恵がはっきりと示されています。

 アメリカから供与されたMRAPというより優れた代替手段がすぐに利用できるようになっても、完全に死に物狂いの中で生み出されたYPGのシュトルム・パンツァーは、終わりなきシリア内戦の信じられないほど過酷な状況で当初考えられたよりもはるかに長く運用されています。

 MRAPを使えるもかかわらずシュトルム・パンツァーを運用し続ける頑固さの理由は彼らのプロパガンダ的価値やYPGの技術陣の作業を維持しておく必要があるということにすぎませんが、信頼できるデータが無いため、私(著者)はYPGのシュトルム・パンツァーを健在させ続けているのは、彼らの純粋な反発の精神にあると信じることにします。

 ※  この記事は、2021年6月7日に本国版「Oryx」に投稿された記事を翻訳したもので
   す。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があり
   ます。         


2020年12月15日火曜日

忘れられた軍隊:誰もが忘れた沿ドニエストルの戦勝記念パレード

著:ステイン・ミッツアー(編訳:Tarao Goo

 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれる沿ドニエストル(トランスニストリア)はモルドバとウクライナの間に位置する分断国家であり、1990年にソビエト社会主義共和国として独立を宣言した後の1992年にモルドバから流血を伴った離脱をして以来、世界からの注目を避け続けています。

 1992 年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの状況は 1990年代と同様に複雑なままです。同国はロシア連邦への加盟を希望する儚い国でありながら、経済産出量としてモルドバへのわずかな農産物の輸出に大きく依存し続けているのです。

 現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国と(何とか残った)アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)のみから承認されていますが、沿ドニエストルは自らの陸軍と航空兵力、そして独自の軍需産業を持つ事実上の国家として機能しています。

 沿ドニエストルは本質的には依然としてハンマーと鎌をその国旗の中で使用している – KGBでさえも主要な治安機関として保持し続けているソビエト社会主義共和国です。

 ロシアは現在でも沿ドニエストルに限られた軍事的プレゼンスを維持しており、ロシア兵は公式に国内で平和維持活動を行っています。

 2020年にはCOVID-19の世界的大流行により、第二次世界大戦終結75周年の戦勝記念日に関する行事が延期され、4月21日にはクラスノセリスキー大統領が戦勝記念日パレードの中止を正式に発表しました。

 しかし、その後の6月24日にパレードをモスクワでの戦勝記念日パレードの当日にして、この未承認国家「独立」30周年の日でもある9月2日の共和国記念日に開催することが発表されたのでした。


 どのような装備が紹介されるかという点において、沿ドニエストルの軍事パレードはそのほとんどが過去の繰り返し(注:参加する装備に変化が見られないということ)ですが、まさにそれがパレードを面白いものにしています。

 世界で開催されている殆どの軍事パレードは、通例ならばその国が開発・入手した最新型の兵器が含まれる壮大なショーですが、沿ドニエストルの場合は従来の方法では旧式装備を更新することができないため、その代わりとして、様々なDIY装備とソ連製の覚えにくいAFVを混ぜ合わせた独特のブレンド品を紹介しています。

 沿ドニエストルのエキゾチックな装備と車両の構成がなされるようになったのは長く複雑なプロセスを経た結果であり、それはソ連崩壊の直後まで遡ります。

 ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していた人員や関連する兵器類の多くは、それらが所在する地で新しく誕生した国に所属することになりました。このプロセスは旧ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、沿ドニエストルに駐留していたソ連地上軍第14軍が遭遇した問題はこれだけではありませんでした。

 第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家である沿ドニエストル(トランスニストリア)に配置されており、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアや新たに形成された沿ドニエストル共和国に所属しました。

 モルドバ政府よれば依然として同国領土だった地域への1992年の侵攻(トランスニストリア戦争)の間、 第 14 軍の大量の武器と弾薬は(沿ドニエストルを自らの支配下に戻そうとするモルドバの試みを撃退するために)沿ドニエストルの現地住民(部隊)に引き継がれ、結果として4 ヶ月後に停戦が宣言されるまで短期間ながらも激しい紛争に至りました。

 沿ドニエストルが領土内の武器保管庫の大部分を掌握した際には大量の高度な特殊車両を受け継ぎましたが、(自走)砲や歩兵戦闘車両(IFV)は僅かな数しか残されていませんでした。 

 沿ドニエストルに存在していた限られた量のIFVなどは戦争終結後にロシアに返還されたため、PMRには世界の数カ国でしか使用されていない工兵車両の豊富なストックが残され、その一方で大砲やIFVのような装備はほとんど完全に取り上げられてしまいました。

 東ヨーロッパの未承認国家、希少な工兵車両、様々なDIY装備...非常に興味深い軍事パレードには必要とされるすべてのネタがあります!



 2020年のパレードは、(1945年5月2日のベルリン攻防戦でソ連の赤旗を帝国議会議事堂の上に掲げた兵士が所属していた)クトゥーゾフ勲章2級授与第150親衛狙撃兵師団(名誉称号「イドリツァ」・「ベルリン」)の旗のコピーを掲げた儀仗兵の入場から始まりました。

 (未だにロシアとの統一を望んでいる)沿ドニエストルとロシアの国旗も掲げられていたことがこの「国」の微妙な立場を暗示しています。



 パレードに参加した1200人以上の軍部隊と法執行部隊を観閲したのは、ワジム・クラスノセルスキー大統領、オレグ・オブルチコフ国防相とイーゴリ・スミルノフ初代大統領(1991年~2011年)を含むPMRの指導者たちでした。

 下の写真からPMRがソビエトに起源があることを特定するのにロケット科学者は必要ありません(注:国章で一目瞭然ということ)。それ故にクラスノセルスキー大統領の個人的な見解には驚くべきものがあります。大統領は「古き良き時代のソ連」に憧れる人々とは全く対照的であり、10月革命を「大惨事」と呼び、ボリシェビキを「裏切り者」と言及し、ソ連の指導者よりもロシア帝国の指導者を称えることを提案しているからです。

 また、彼は君主制主義者としての姿も現しており、ソ連時代のシンボルはこの国と無関係であるとし、トランスニストリアをソ連の断片と見なすべきではないと主張しました。この時点でご想像いただけるかと思いますが、この「国」は分析してみると非常に面白いものがあります。


左: オレグ・オブルチコフ国防相(少将)、中央:ワジム・クラスノセルスキー大統領、右:イーゴリ・スミルノフ初代大統領

 パレードの参加者や観衆に向けて演説したクラスノセルスキー大統領は次のように述べました。

 「それ(COVID-19)が我が国の発展を遅らせたものの、ストップさせることはなかったと強調したいと思います。私たちは社会インフラの構築と近代化、投資家の誘致、そして私たちのトランスニストリアの近代化を続けています。時間はいかなる困難も一緒にならば乗り越えられることを示しています。
 軍司令官は、この国の人々の「団結・連帯・勇気」が、大祖国戦争での抵抗と勝利と1990年代初頭のトランスニストリアの建国と防衛に寄与したと語りました。
 私たち沿ドニエストル人は、大切な記憶がいかに重要であるか、世代の継続性を知っている賢明な人々です。過去を記憶し、現在を創造し、私たちは、私たちの大地で、私たちの法律に従って、未来を共に構築していきます。今までそうであったように、これからも同様にです。
 この日、私はロシア連邦に最も温かい感謝の言葉を表明します。友愛的関係と支援と平和に感謝します。」

 第二次世界大戦と1992年のトランスニストリア戦争の犠牲者に敬意を表して、パレードの出席者は1分間の黙祷を捧げました。



 今年の8月初頭には、沿ドニエストルの小規模な陸軍航空隊の本拠地でもあるティラスポリ空軍基地の誘導路でパレードの練習が行われ始めました(航空隊については今後の記事で紹介する予定です)。 パレードの訓練をしている兵士や車両の映像はで視聴することができます。パレード本番の模様はで視聴することができます。




 UAZ-469の上から閲兵部隊に敬礼するオレグ・オブリュチコフ国防相(下の画像)。
 このオフロード車は新しいホイールで「アップグレード」されていますが、UAZ-469のノスタルジックな外観と完全にマッチしていません。



 多くのソ連後継国家で軍事行進の標準となっているように、歩兵分野では2つの女性部隊も行進に参加しました(下の画像)。





 ソ連のSKSカービンとAK-74を手にした儀仗隊の兵士たちがスヴォロフ広場を行進する部隊に注目の姿勢をとっています(下の画像)。
 
 沿ドニエストルの軍隊はAK-74(74Mを含む)とAKS-74をほぼ全般的に装備しており、SKSは主に式典における儀仗兵によって使用されています。





 下の画像はパレードに参加する部隊の概要を示しています。閲兵部隊には、機械化歩兵、空挺部隊(VDV)の降下兵、特殊部隊、ドニエストル即応部隊、国境警備隊と内務省の部隊が含まれています。


 すでに気づいているかもしれませんが、沿ドニエストル軍の制服はロシア軍のものと区別がつきません。同軍では、デジタルフローラ迷彩とゴルカ(防寒服)の制服はどちらも現用です。下の画像では、小さな沿ドニエストル国旗のベルクロ式パッチにも注意する必要があります。




 他の多くのソ連後継諸国と同様に、沿ドニエストルにも依然として(一般的にVDVとして知られている)空挺部隊が編成されており、下の画像ではAKS-74を携行しています。

 VDVは航空隊の An-2やMi-8を用いた訓練を受けていますが、モルドバとの間で紛争が発生した場合はその大半が地上部隊として活用されることでしょう。



 緊急対応特殊部隊(SOBR)に所属する兵士たち(下の画像)。SOBRは非常時には通常の警察で使用可能な即応部隊として機能します。 これもソ連時代の遺産です。



 十分に装備が行き渡った平和維持部隊(MC=миротворческих сил )がAK-74Mを手にしながら行進しています(下の画像)。

 沿ドニエストルは未承認国家のままなので、 この部隊をどこに展開させるのかという疑問が(おそらく)解消されることはないでしょう。



 下の画像では、国防省の将校やティラスポリ司法学院(注:内務省が管轄する教育機関)の士官候補生たちが派手な制服と典型的なソ連式の制帽を披露しています。




 ケバブ店を背景に、パレードの車両部門を先導する式典用のT-34/85戦車がガタゴトと音を立てて通り過ぎます(下の画像)。

 これらの戦車をパレードで展示する目的は単に第二次世界大戦の従軍兵士たちに敬意を表することだけにありますが、T-34/85がイエメンや北朝鮮などの国では現役であることに言及しなければなりません。北朝鮮におけるT-34の運用と施された改修に関する詳細は、私たちの本で読むことができます



 T-34/85の乗員が第79親衛狙撃師団の旗を掲げています(下の画像)。この師団は1943年に沿ドニエストルでのドニエプル川の戦いに参加して戦後もドイツ駐留ソ連軍部隊の一員として活躍し、1992年にウズベキスタンのサマルカンドで解隊されました。

 戦車の砲身に描かれた5つのキルマークにも注目です。



 T-34/85に続いて、132mmロケット弾を搭載したBM-13「カチューシャ」多連装ロケット砲、ZIS-3 76mm野砲を牽引するYaG-6トラックやGAZ-67オフロード車といった、より式典用らしい記念車両が登場しました(下の画像)。 

 第二次世界大戦当時からのものということになっている多くの旧ソ連時代の車両がそうであるように、実際にはこれらが当時の車両に似せて改造されたより近代的なトラックであることに注意してください。BM-13の場合は戦後製のZIL-157トラックをベースにしたレプリカです。





 トラックに乗車している第二次世界大戦時の制服を着用した部隊がPPSh-41を手にしていますが、下の画像からは一丁だけPPD-34/38短機関銃と思しき銃も見えます。よく見ると実際にはこれらが偽物であることがわかりますが、そのようなことを一体誰が気にするでしょうか?



 また、このパレードにはアメリカ「陸軍」のウィリスMB「ジープ」と第二次世界大戦中のナチスドイツで使用されたものに似た、模造品のMG42機関銃を装備したサイドカーも登場しました(下の画像)。




 サイドカーは世界の多くの軍隊からその存在を史料からも追いやられていますが、沿ドニエストル軍では現在でも活躍しており、たまに演習にも登場しているため、その運用状況を確認することができます。サイドカーの機関銃手はRPK-74M 5.45mm 軽機関銃を構えています(下の画像)。



 次にパレードに登場したのは、装甲車から転用した1丁のPKT 7.62mm軽機関銃で武装した数台の独自型バギーでした(下の画像)。

 これらの非装甲バギーは被弾を避けるためにその小さなシルエットとスピードを頼りにしています。パレードでは沿ドニエストルの特殊部隊と一緒に登場しました。



 このバギーには派生型があり、そのほとんどが軽機関銃(通常は7.62 PK/PKM、下の車両の場合はRPK-74 5.45mm)を1丁装備しています。派生型には水陸両用型も存在します!



 軽偵察車のための独自の解決策を考え出すという、より深刻な試みはラーダ・ニーヴァ4x4で見られました。同車はランドローバー・ディフェンダーに類似した軽偵察車として容易に改造することができ、市場で容易に入手可能な民生車です。



 話題をパレードに戻します。バギーの後には2種類のBTRがパレード会場に入ってきました。
 
 まずは、BTR-60の車体をベースにした指揮車両であるR-145BMです。同車は1基の折りたたみ式フレームアンテナ、1基の高伸縮式マスト、5台の無線機などの特殊装備を搭載しています(下の画像)。



 続いて、沿ドニエストル軍の主力APCであるBTR-70が登場しました(下の画像)。ただし、より旧式のBTR-60も現役で運用され続けています。




 このパレードに目を光らせている人は、(縦二列で行進している)BTRの列の片方には6台、もう一列の列には5台しかいないことに気づいたかもしれません。 映像をよく観察してみると、1台のBTR-70がメイン会場に到着する直前に煙を上げて隊列から離れていく様子が分かりますが、幸いにもほとんどの観衆の視界には入っていませんでした。



 堂々とした姿のT-64BVは沿ドニエストル軍で唯一使用されている戦車です(下の画像)。
 
 T-64は1992 年のトランスニストリア戦争に投入され、数台がモルドバ軍によって破壊されました。現在のモルドバは戦車を運用していないため、今後の紛争で戦車戦が発生することは基本的にありません。




 これらの後にはパレードの中で最も興味深い部分であるIRM、UR-77、BMP-2、9P148 「コンクールス」の列が続きます(下の画像)。



 少数しか生産されなかったIRM「ジューク」は、ソ連軍で使用されたAFVの中で最も見つけにくい車両の1つです(下の画像)。

 地上と河川偵察用の戦闘工兵車両として設計されたIRMは、ソナー送受信器付き音響測深機、地雷探知機と専用の2本のアーム、アイスドリル、水中で航行・方向転換するための2つの格納式プロペラ、泥から脱出するための16基の9M39ロケットエンジンを搭載した2つのケースなどの多数の専用装置を装備しています。武装は近距離での自衛用として、IRMは小型砲塔にPKT 7.62mm機関銃を装備しています。
 
 IRMと沿ドニエストルの関係で面白いところは、同国はほとんどの国が持つ一般的な装備が不足しているにもかかわらず、渡河用の特殊車両をヨーロッパで最も多く保有していることです。




 IRMの直後には UR-77地雷原処理車が続いています(下の画像)。

 この車両は味方の部隊が前進するための安全な通路を開くために地雷除去用導爆索を使用しますが、おそらく最もよく知られているのはシリア内戦における破壊的な用途でしょう。シリアでは建物に陣取る敵を追い出すために、対象とする建物自体が存在する区画全体の一掃に使用されました(注:2022年現在はロシア軍がウクライナの市街地に向けて使用しています)。

 沿ドニエストルでは、UR-77の現代的な使用法を見つけることは想像以上に難しいでしょう。 




 UR-77 の後ろから9P148「コンクールス」対戦車ミサイル(ATGM)搭載車が迫ってきています(下の画像)。

 同車は(搭載されているのが見える)旧式の 9M111と、より高性能な 9M113の両方を使用することが可能です。9P148は最近では2020年のナゴルノ・カラバフ戦争においてアルメニア側で使用されており、適切な状況下で使用されるのであれば強力な兵器システムであり続けるでしょう。



 次の装備は沿ドニエストルのパレードでは初登場でしたが、全く予想外というわけではありませんでした。ごく僅かな数のBMP-2歩兵戦闘車(IFV)が沿ドニエストル軍で運用されていると考えられています。興味深いことに、BMP-2はパレードの訓練に登場しませんでした。実際のパレードに土壇場で追加されたものと思われます(下の画像)。




 今年の軍事パレードではBTRG-127「バンブルビー」の未登場が注目に値します(下の画像)。

 2016年に初めて就役した、このユニークな装甲兵員輸送車(APC)はソ連製のGMZ-3地雷敷設車をベースにしており、現地で改造されて地雷敷設装置の代わりに大型の兵員区画が設けられました。また、 Afanasev A-12.7機関銃が1門装備され、その機関銃手用のスペースも設けられました。

 BTRG-127「バンブルビー」についての記事はこちらで読むことができます



 BTRG-127とは対照的に、過去のパレードには登場していたにもかかわらず今回は未登場だったもう一つの注目すべき装備はBMP-1の派生型であるBMP-1KSh指揮通信車です(下の画像)。

 2A28「グロム」73mm低圧砲は、10mの長さの伸縮式マストとTNA-3ジャイロ式航法装置、追加の無線機のみならず電信や電話装置、発電機やアンテナに置き換えられました。

 これらを装備した結果として、砲塔は定位置に固定されています。



 沿ドニエストルが保有している別の珍しいタイプの車両には、GT-MU多目的装甲車が含まれています。(下の画像)。

 現代の世界ではGT-MUが登場する機会が皆無に近いことから、その存在を知っている人はごく僅かしかいません。それでもなお、GT-MUはSPR-1移動式電波妨害システムを含むいくつかの高度に特化された派生型のベース車両として活用されました。

 当初から多目的プラットフォームとして設計されていたため、沿ドニエストルは必要以上に保有しているGT-MUのいくつかを指揮観測車や即席の対戦車車両に改造しました。その詳細はこちらで読むことができます


 

 GAZ-66トラックとUAZ-452 オフロード・バンが120-PM-38/43 120mm迫撃砲を牽引しています(下の画像)。



 下の画像のZiL-131トラックに牽引されたZU-23 23mm対空機関砲(下の画像)のように、さまざまな種類の牽引式の対空砲や対戦車砲がパレードの最後尾を形成していました。 




 沿ドニエストルは、ヨーロッパで最後のZPU-4 14.5mm対空機関砲の運用国になる可能性が大いにあります(下の画像)。




 D-44 85mm野砲をUral-375Dトラックが牽引しています(下の画像)。
 
 この砲のパッとしない装甲貫徹能力は、モルドバがそもそも機甲戦力を全く運用していないことで緩和されています。



 MT-LB装甲牽引車は、上記のD-44に比べて確実に能力が向上しているMT-12「ラピーラ」100mm対戦車砲を牽引しています(下の画像)。

 この砲から発射されるHEAT弾は厚さ400mmの装甲を貫通することが可能です。それと比べてみると、モルドバが運用しているBMD-1は車体の大部分が厚さ15mm以下の装甲板で覆われており、最厚部でも33mmしかありません。





 沿ドニエストルとモルドバの両軍で運用されているAZP S-60 57mm対空機関砲も登場しました(下の画像)。

 対地攻撃用途における機関砲の機動性を向上させるために、後者はかつてBM-27 220mm多連装ロケット砲システム(MRL)を構成していた(今ではロケット砲が撤去された)ZiL-135トラックにまで搭載しています




 KS-19 100mm高射砲は沿ドニエストル軍が保有するもので最も強力な対空砲ですが、同軍の保有リストには牽引砲と自走砲の両方が欠けていることから、1992年の戦争以降はそのほとんどが普通の砲兵戦力として用いられています(下の画像)。

 対地攻撃のためにこの旧式砲を再利用している国は沿ドニエストルだけが唯一ではないことは確実であり、シリアとアルメニアもそれを踏襲しています。興味深いことに、イランは別目的に転用せずにレーダーや電子光学装置と組み合わせたり、自動装填装置を装着することで、本来の用途での有効性を向上させることに力を入れています。




 今年のパレードの車両部門を締めくくったのは「プリボール-1」MRLでした(下の画像)。

 このMRL(生産工場では「プリボール」と呼ばれていますが、正式には「S1T」や「1ST」として知られています)は、ZiL-131トラックと、(BM-21と同様の働きをする)独自の起立式122mmロケット弾発射システムを組み合わせたものです。
 
 しかし、BM-21との最大の違いは1回の斉射で発射できるロケット弾の総数にあります。なぜならば、BM-21では40発であるのに対してプリボール-1では僅か20発と50%も低下したからです。





 現在では、プリボール-1はより優れている(正式には「S2T」や「2ST」として知られている)プリボール-2に取って代わられています(下の画像)。この新MRLは今回のパレードに未登場だった注目すべき装備の一つです。

 プリボール-1の20本のロケット弾発射器チューブとは対照的に、プリボール-2は1回の斉射で48発という目を見張るような数の122mmロケット弾を発射することができます。民生用のカマズ-4310トラックをベースにしたプリボール-2は、(ほかのMRLのデザインと比較すると)12連装の122mmロケット弾発射器チューブの束を4基という面白い配列と、発射器を後ろ向きに搭載している点で際立っています。

 プリボール-2に関する私たちの記事はこちらで読むことができます



 記念式典は、ティラスポリの上空に大きな音を響かせながら火花を散らす8門のD-44 85mm 対戦車砲による祝砲で締めくくられました





 沿ドニエストルにおける戦勝記念日のパレードは、ほかの場所で行われている現代的なパレードよりも確かに華やかさが少なめですが、その不足分のすべてがパレードに登場する軍用装備の多彩な構成で補われています。

 モルドバと沿ドニエストルが現状(分断状態)を打開できるかどうかは不明ですが、筆者の見解では、この見応えのある伝統(パレード)は今後も確実に生き残るはずです。



[1] В столице состоялся парад в честь 30-летия республики и 75-летия Победы gov-pmr.org/item/18429

 ※  この記事は、2020年11月30日に本国版「Oryx」に投稿された記事を翻訳したもので
   す。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があり 
       ます。  


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