著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)
スーダン空軍(SuAF)は1956年に創設されて以来、複数の供給国から入手したいくつかの種類の軍用機を運用してきました。「MiG-29SEh」、「Su-25」、「Su-24」といった現代的な機種は、スーダン内戦とディサイシブ・ストーム作戦に参加したことでよく知られていがますが、「F-5E」や「MiG-23MS」といったより旧式のものは1980年代の導入以来、SuAFの間では十分に記録化されていません。
SuAFにとってソ連製の戦闘機は見知らぬ存在ではないものの、実際にはスーダンが「MiG-23」をソ連から発注した事実はありません。実際のところ、SuAFは80年代後半にリビア空軍(LAAF)がスーダンに配備した最大12機の「MiG-23」をリビアから譲り受けたのです。この国への配備には、機体の運用を担当する多数のリビア人パイロットと技術者を伴いました。
リビアの分遣隊が配備から約2年後にスーダンから撤収したとき、SuAFには本当に飛行も維持もできない航空機が残されていました。
結果として、残存した機体は数年にわたって運用された後にスーダン最大の航空基地であるワディ・セイドナの保管庫に収容され、ここで「MiG-23」はスペアパーツの不足のために保管庫に入れられた大量の「MiG-21M」、「J-6」と「F-5E」の仲間入りを果たすという運命を迎えました。
ところが、それから20年後になって「MiG-23」が再び姿を現したのです。
着手するプロジェクトの数が増加したおかげでサファットはやがてスペースが不足する事態に直面し、 「MiG-23」を収容するハンガーで他の航空機を点検や修理をしなければならなくなったときに、技術者は同機を外に移動させることを強いられたというわけです。
こうした状況が、ワディ・セイドナにおいてSuAFで運用している「MiG-29」、「Su-25」、「Su-24」の飛行隊を支援する多くのベラルーシ人やロシア人パイロットや技術者のうちの1人に、残存している3機の「MiG-23MS」のうちの1機の前でポーズを取ることを許しました(注:下の画像)。
こうした状況が、ワディ・セイドナにおいてSuAFで運用している「MiG-29」、「Su-25」、「Su-24」の飛行隊を支援する多くのベラルーシ人やロシア人パイロットや技術者のうちの1人に、残存している3機の「MiG-23MS」のうちの1機の前でポーズを取ることを許しました(注:下の画像)。
この機体は長期間にわたって保管された鮮明な痕跡を残しており、同機にマーキングされたラウンデル(国章)と国旗が徐々に薄まったせいか本来あったリビアのマークをはっきりと見せています。シリアルナンバー 「09055」はもともとリビア空軍によってこの機に割り当てられたものであり、単にスーダンでもそのままに残されたのでしょう。
スーダン最大の都市であるオムドゥルマンを「Tu-22」で爆撃し、同国北部と南部でスーダン軍と戦っている反乱軍に財政的・物的支援を行い、「両国」間の併合の可能性について話し合ったことがありました(注:これはチャド・リビア紛争での話)。この併合は決して実現することはなかったものの、スーダンとリビアの新たな築いた関係はスーダン、とりわけSuAFにとって非常に有益な流れとなったようです。
1987年から、リビアはスーダンに大量の軍用装備の供与を開始しました。これには主に、その時点までに作戦能力の激減の結果として最期を迎えつつあったSuAFに是が非でも必要とされた増援が含まれていたのです。
1987年から、リビアはスーダンに大量の軍用装備の供与を開始しました。これには主に、その時点までに作戦能力の激減の結果として最期を迎えつつあったSuAFに是が非でも必要とされた増援が含まれていたのです。
SuAFは1年以内に、最大12機の「MiG-23MS」と少なくとも1機の「MiG-23UB」、数機の「Mi-25」攻撃ヘリコプターおよび2機の「MiG-25R(B)」の追加によって増強されました。先述のとおり、これらの機体はリビア人パイロットによって飛ばされ、同様にリビア人技術者から整備を受けていました。
この分遣隊はSuAFの中核を組織し、1987年と1988年にスーダン人民解放軍(SPLA)が一連の攻勢を開始した際に早急にその真価が問われました。この攻勢に対応して、SuAFはスーダン南部への偵察任務に投入した「MiG-25R(B)」によって集められた情報に基づいて空爆で報復したのです。これらのソーティに続き、「MiG-23MS」と「Mi-25」によるSPLAが支配する村やキャンプへの空爆が続いた。
スーダン南部の上空は「MiG-23MS」にとって特に危険ということが判明し、運用から1年後にはたった6機だけが稼働状態にあったと今でも考えられています。
1989年か1990年にリビアの分遣隊が引き揚げた後、残存する4機の「MiG-23MS」はまもなく保管されて決して再び飛行することはありませんでした。
2機の「MiG-25R(B)」はスーダンに駐留中は所属がリビア軍機のままで、結局スーダンに供与されることなく母国へ帰還してしまいました。
ただし、残存した「Mi-25」は1990年代後半と2000年代初めに東ヨーロッパから供給されたより新しい「Mi-24」と「Mi-35」に置き換えられるまで運用が続けられ、ハルツーム国際空港(IAP)の軍用スペース(注:軍民共用空港)でそのキャリアを終えたようです。
リビアの分遣隊は、長期的にはSuAFの作戦能力を向上させるのに特に成功したとは証明しなかったものの、それはリビアがアフリカ各地のいくつかの空軍に行ったさらなる支援の前例を示したと言えるでしょう。
下の画像は、現在は南スーダンとして知られているジョングレイ州に墜落した元リビアの「MiG-23MS(06918番機)」の残骸です。みすぼらしいスーダンの国章はスーダンの太陽の下ですぐに色褪せ、その結果として本来のリビアの国章を浮かび上がらせています。
「MiG-23MS」は、ソ連が中東およびアフリカの友好国にダウングレードした兵器を売却した、いわゆる「モンキーモデル」の典型的なものです。これらの「モンキーモデル」には戦車から海軍艦艇や航空機に至るまでの何もかもが含まれており、ソ連の同等品と比較すると、機密となっている装備が取り除かれていたり、近代的な装備を欠いていたり、装甲が劣っていました。
下の画像は、現在は南スーダンとして知られているジョングレイ州に墜落した元リビアの「MiG-23MS(06918番機)」の残骸です。みすぼらしいスーダンの国章はスーダンの太陽の下ですぐに色褪せ、その結果として本来のリビアの国章を浮かび上がらせています。
「MiG-23MS」は、ソ連が中東およびアフリカの友好国にダウングレードした兵器を売却した、いわゆる「モンキーモデル」の典型的なものです。これらの「モンキーモデル」には戦車から海軍艦艇や航空機に至るまでの何もかもが含まれており、ソ連の同等品と比較すると、機密となっている装備が取り除かれていたり、近代的な装備を欠いていたり、装甲が劣っていました。
ソ連は性能をダウングレードした輸出型を多く開発しましたが、「MiG-23M」の輸出型を開発する目的のため、同様の方法によって今までに生み出された中でも最悪と思われる戦闘機(「MiG-23MS」)を多く作り出してしまいました。基本的には強力なエンジンを備えているものの(注:それでも最新型ではない)を、レーダーなどの電子装備はダウングレードしたもの(旧式)を搭載したわけです。
何年にもわたる中東における紛争の後に既に役に立たないと考えられていた電子装備を搭載し、無能で悪名高い「R-3S」空対空ミサイルで武装したこの飛行機は、飛行と維持の両面で悪夢のような能力を証明しました。
エジプト、イラク、シリアの空軍はイスラエルの「F-4E "ファントムII" 」への対応ができない状態であり、F-4Eの性能に対抗できる新しい戦闘機を入手しようと熱望していたが、彼らはその新しい機体(「MiG-23MS」)に決して感銘を受けることは無かったようです。
1970年代にリビアが大量の兵器を探し求めたとき、ソ連はすぐにリビアへ「MiG-23MS」を提供した。しかし、ソ連が「MiG-23MS」の引渡しとイラク人パイロットへ訓練したときとは逆に、リビアでは同型機を極度に飛行させる代わりに大部分の時間を地上で過ごすことになり、結果的にソ連は「F-4 "ファントム"」だけではなく「F-14 "トムキャット"」の的として同機を販売したことになった(注:MiG-23MSが単なる良い的となったということ)。
LAAF(リビア空軍)は約束された能力と現実との間のギャップに怒り、「MiG-23MS」を運用している飛行隊の戦闘能力を向上させるためにかなりの時間と資源を投入しました。
「MiG-23MS」の供与はリビアがソ連との関係を断った理由の1つでした。それほどの酷い記録があるにもかかわらず、同型機をスーダン空軍に再導入するための論争が依然として続いています。
スーダンは南部に存在する大規模な石油備蓄の産物を享受していたために、2011年に南スーダンの分離独立後に主要な収入手段を失った。これは、スーダンが軍隊に資金を費やすことがより少なくなったことを意味するだけではなく、スーダンが現時点で石油と引き換えに武器を購入することができないことも意味しています。
目に見える財政面での大幅な増加はありませんが、SuAFは近い将来に今より現代的な戦闘機を入手するための十分な資金を蓄えることはできないだろうことから、既に入手したもので頑張り続けなければなりません。
こうした状況もあって、スーダンは(より一般的には「サファット・アヴィエーション グループ」の一部である「サファット・アヴィエーション・コンプレックス」と呼ばれる)「サファット・メンテナンスセンター」の設立によって、航空機やヘリコプターの整備を現地で行うことができるようになりました。
こうした状況もあって、スーダンは(より一般的には「サファット・アヴィエーション グループ」の一部である「サファット・アヴィエーション・コンプレックス」と呼ばれる)「サファット・メンテナンスセンター」の設立によって、航空機やヘリコプターの整備を現地で行うことができるようになりました。
これらのプロジェクトのほとんどが外国人技術者と支援を受けて行われており、オーバーホールのためにこれらの航空機をウクライナやベラルーシまたはロシアに移送するよりもかなり安価に済むメリットがあります。
このことは、スーダンが国外のメンテナンスセンターと往復させるための輸送にかかる費用のために苦労する価値が無いと思われる航空機を自身でオーバーホールすることができることを意味しているとも言えるかもしれません。
この点を考慮に入れ、SuAFは以前に保管状態にあった数種類の航空機のオーバーホールを検討し始めました。
かつて残りの生涯を地上で過ごすものと思われていた「MiG-23」は、何十年もの保管状態にあった後に広範囲に及ぶ大規模整備を受けました。
(先述のとおりリビアが運用を担当していたおかげで)スーダンが真に「MiG-23MS」を運用・維持したことが皆無であったことから、サファットは同型機を自身でオーバーホールする技術的専門知識が不足していたため、海外からの支援を探すことを余儀なくされました。
幸いなことに、そのパートナーは隣接するエチオピアで見つかった。同国の「デジェン航空産業」は必要なメンテナンスを実行できることが実証されていたからです。
(以前はDAVEC、デジェン・アヴィエーション・エンジニアリング・コンプレックスとして知られていた)デジェンは、エチオピア空軍で運用されている幅広い種類の航空機のオーバーホールを担当しており、「Su-27」をオーバーホールする十分な能力がある数少ないメンテナンスセンターの1つとして知られています。
(以前はDAVEC、デジェン・アヴィエーション・エンジニアリング・コンプレックスとして知られていた)デジェンは、エチオピア空軍で運用されている幅広い種類の航空機のオーバーホールを担当しており、「Su-27」をオーバーホールする十分な能力がある数少ないメンテナンスセンターの1つとして知られています。
いまだにDAVECとも呼ばれるデジェンは、もともとエチオピアがソ連製航空機(主に「MiG-23BN」/ML/UB)を現地で維持することを目的に設立されたため、この種の航空機のオーバーホールに関して豊富な経験を持っています。
4機の「MiG-23」のうちの1機のツマンスキー 「R-29」エンジンがサファットで整備されており、これは下の画像で見ることができます。
航空機のオーバーホールを目的としてデジェンから少なくとも10人のエチオピア人がサファットに派遣され、エチオピアは新しく再生された機体の飛行試験のためにパイロットも提供したようです。
エチオピアの存在は「MiG-23MS」を稼動状態に戻す際に大きな役割を果たしたことを強調しました。さらに、現時点においてスーダンは「MiG-23」の飛行訓練をしていないと考えられていることから、エチオピアは予備部品(既に搭載されている新しい操縦席のキャノピーなど)の提供のみならず訓練も支援する可能性が高いと思われます。
スーダンにおける「MiG-23MS」の兵装は、数種類の無誘導爆弾と57mmロケット弾用の「UB-16」および「UB-32」ロケット弾ポッドに限られています。
かつてのSuAFは「MiG-21M」用の「R-3S」空対空ミサイルを保有していましたが、これらのミサイルがまだ残存している可能性は低いでしょう。理論的に考えるならば、リビアがスーダンへ航空機を供与した際にリビアのストックから「R-3S」空対空ミサイルも引き渡されたかもしれませんが、同ミサイルの保存期限は既に数十年前に切れているのです。
したがって、スーダンの「MiG-23MS」の役割は戦闘爆撃機(注:事実上の攻撃機)に限られています。同型機による爆弾やロケット弾の投射については、(無誘導のために)遠方の標的に対しては命中精度が無限りなく低いものの、数十年にわたる紛争の間に精度の欠如がSuAFに問題を問題を引き起こしたことはありませんでした。
不幸なことに、SuAFのためにオーバーホールされた「MiG-23」の4機のうちの1機が試験飛行の直後、ワディ・セイドナに不時着したことが確認されました。この機体は炎上し、後に基地の隅に放棄されたことが衛星画像でもはっきりと視認できます。つまり、再就役に入る以前にSuAFは既に「MiG-23」を1機失っていたわけです
不幸なことに、SuAFのためにオーバーホールされた「MiG-23」の4機のうちの1機が試験飛行の直後、ワディ・セイドナに不時着したことが確認されました。この機体は炎上し、後に基地の隅に放棄されたことが衛星画像でもはっきりと視認できます。つまり、再就役に入る以前にSuAFは既に「MiG-23」を1機失っていたわけです
この損失機がUBかMSかどうかは不明のままですが、唯一の「MiG-23UB」を失ったとなると、SuAFは海外から別の機体を購入することを余儀なくされ、このプロジェクトは大幅に高額なものになってしまうでしょう(注:訓練機を失ったため)。
すでに事故で1機が失われており、この非常に面倒な航空機を飛行する際により多くの機体が失われる可能性が高いため、「MiG-23MS」のスーダンにおける2回目の生涯は短期間で終わるかもしれません。
編訳者追記:この後、(後で緊張は緩和したとはいえ)スーダンとエチオピア間の関係悪化に伴いオーバーホールの結果については2023年2月28日時点でも判明していません。衛星画像や各種オープンソースをチェックしても「MiG-23MS」がワディ・セイドナを含むスーダン空軍の基地に登場した様子ま全く確認されていないため、このオーバーホール自体が失敗に終わったか、成功しても軍で運用する方針になかったか変更された可能性が示唆されています(実際、「MiG-23MS」のオーバーホールより相当前に中国から「K-8」訓練機を導入しただけでなく、この記事が執筆された2016年11月には「FTC-2000S」も発注・納入済みであるため)。
※ この翻訳元の記事は、2016年9月26日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事
を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる
箇所があります。