この記事は、2015年5月にOryxブログ本国版(英語)で投稿されたものを邦訳した記事です。
イラクのイスラム国(IS)との戦いでは、イラクを自己の支配下に置くために戦う多数の勢力によって使用される(世界中のあらゆる供給元から入手した)多くの重・小火器が見られました。イラクでの戦いでは、これまでにイラン製の多連装ロケット発射機から第二次大戦当時の大砲まで、それらの全てが投入されたのです。
戦いが2年目に突入する現在(注:本国版記事の執筆当時)ではより多くの武器を必要とするものの、その数が減少しつつあり、各勢力は戦いが今後数年間続くことに繋がるだろう武器の受領を地域的・国際的な支援者から試み続けています。そして、忘却の彼方に忘れ去られた武器が「再発見」されて使用されるに至っているケースもありました。
その武器の一つである73式軽機関銃(LMG)は、輸出するために生産されたとは考えられていなかった極めて稀な装備と言えます。
北朝鮮が設計・製造した兵器は過去と現在におけるイランの戦争に影響を与えたものの、このLMGは激動の80年代を生き延びたとは考えられていませんでした。しかし、それらが生き残った多くの実例として、今日では人民動員隊(PMU/PMF)という統括組織の下でシーア派民兵がそれらを運用する姿が目撃されています。これは非常に驚くべきこととしか言いようがありません。イラン軍の装備に対する北朝鮮の影響は過去に相当あったわけですが、 とりわけイラクの戦場に出回る大量の他国製装備と比較すると、21世紀のイラクではまだ重要な役割を果たしていなかったからです。
1980年代初頭、平壌とテヘランとの間で高いレベルの軍事協力がなされました。この間、北朝鮮は隣国イラクへ対抗するイランを援助するために幾らかの弾道ミサイルと大砲から小火器まで、それに飛行機さえも供給したことが知られています。後年の協力では主に北朝鮮が設計した多種類の弾道ミサイル、ミサイル艇、潜水艦をイランが生産できるように、北朝鮮からイランへの技術移転に焦点が当てられたようです。
しかしながら、多数の北朝鮮製「Bulsae-2(注:北朝鮮側の呼称「火の鳥-2」)」対戦車ミサイルが、最近になってハマスの軍事部門であるエゼディン・アル・カッサム旅団とハマスを離脱したアル・ナセルサラディーン旅団の手によって突然姿を現しました。同ミサイルは「9K111 "ファゴット"(西側呼称:AT-4)」の派生型であり、スーダンからガザ地区にわたる密輸業者の精巧なネットワークと秘密のチャンネルを通じてイランによってガザ地区へ供給されたと信じられています。
ハマスと北朝鮮の「火の鳥-2」対戦車ミサイルの詳細についてはこちらをご一読ください。
イラン・イラク戦争の写真では73式軽機関銃がイラン兵と共に写っているものが見られる |
73式LMGの大部分はソ連製「PK」機関銃をベースにしていますが、7.62x54R弾を装てんするための箱(注:ベルトリンク)と弾倉の双方を使用できる非常に特異な給弾機構を備えている点が世界的にも珍しい独特な特徴となっています。
朝鮮人民軍のために大量生産され、今日でも使用されているこの軽機関銃の唯一記録された輸出例はイランだけしかありません(注:2024年現在ではシリア、イエメン、ウガンダ、ロシアで目撃されているが、シリアとイエメンはイランから流出したものと考えられている)。
73式軽機関銃を持つ民兵(左端) |
北朝鮮が設計した兵器が世界中の様々な紛争に姿を見せ続けるということは、今日でも極めて孤立した国家である北朝鮮の能力が海外の紛争にかなりの影響を及ぼしていることが明白となった証しと言えるでしょう。