2017年8月25日金曜日

市街戦の死神:「UR-77」はシリアで侮れない戦力になるのか



著:ステイン・ミッツァー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 2014年10月初旬に共和国防衛隊がダマスカス州ジョバルの反政府勢力の拠点を一掃を試みた際、シリアでは運用されているとは考えられていなかった車両を使用した状況が初めて目撃されました。

 UR-77 「メテオライト」攻撃に移る歩兵やAFVに道を開けるために2本の地雷除去導爆索で地雷原を処理する目的で設計され、チェチェンで反政府軍が拠点としている疑いのある家屋やアパートを爆破するなどして多用されました。

 また、アンゴラでも入手できた少数のUR-77をUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)との戦いで使用される姿が見られました。

 この車両は基本的にソ連によって友好国に供与された装備には含まれていなかったので、アンゴラを除いてどんな国にも決して輸出されることがなかったと信じられていました。

 したがって、UR-77が今や3年半(注:2014年当時)にわたる長い内戦の中で目撃されたことがなかったことは確実です。

 シリアの共和国防衛隊は反政府軍を匿っていると思われる住宅を攻撃するための適した車両を是が非でも必要としていた間にT-72AV戦車と2S3自走榴弾砲を使用しなければならず、結果として貴重なT-72AVを莫大で無用な損失に至らせてしまいました。


 
 伝えられるところによれば、UR-77を搭載したIl-76メッゼまで飛行し、そこで同車が降ろされてジョバルの隣へ急行したという話があるが、既にシリアで運用状態にある同車と矛盾しています。

 2012年に遡ってみると、この時点で共和国防衛隊がダラヤで攻勢を開始しており、その経過で多くの戦車が失われたためにこの種の車両の必要性は既に2年前から明らかだったようです。
 
 親アサド勢力の戦術について多くのことが言えますが、シリアの一部からダマスカスにこの重要な車両を移送するために2年間待つことは筋が通っていません。

 最も可能性が高いのは、UR-77と弾薬がロシアか(おそらく)ベラルーシのどちらかによってシリアに売却され、その後にIl-76に積み込まれてメッゼに移送されたことでしょう。

 UR-77は今までシリアで運用されたことがない可能性が最も高いので、実際には外国人の要員が現在ジョバルで使用されているUR-77の運用に割り当てられている可能性が否定できません。

 「ワッシム・イッサ」が公開した動画では、UR-77の操作員の姿が不鮮明にされていますが、その一方で彼の周りにいる他の兵士のすべての顔は完全に見えたままです。あるショットでは遠くにある操作員の顔の一部を映しているものの、カメラがズームインするとすぐにぼかされてしまっています。

 動画の後半でぼやけていないカットと映像があり、そこでは操作員が白人であるを示していますが、操作員の出自について我々にあまり教えてはくれません。ただし、彼は後に共和国防衛隊の兵士と直接会話している状況が見られており、ハンドサインを多用しているにもかかわらず、兵士は彼のことを完全に理解しているようです。














 
 アサド政権は新たな装備の導入によって外貨を奪われるが、UR-77の能力はそのコストを上回っています。

 UR-77の地雷除去導爆索は、いくつかのタイプの(ボルケーノとして知られている)IRAM(急造ロケット推進弾・迫撃砲)と国防軍(NDF)やヒズボラなどの親アサド勢力で使用されているイラン製ファラク(Falagh)ロケットよりもはるかに進歩していることは一目瞭然です。

 UR-77は僅かな数しか入手されていないと思われますが、今後その活躍はダマスカス周辺の親アサド勢力の攻勢ではありふれた光景になるでしょう。

※ この記事は、2014年10月16日に本国版「Oryx」に投稿された記事を翻訳したもので
 す。当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
    

2017年8月22日火曜日

忘れられた軍隊:沿ドニエストルの「BTRG-127 "バンブルビー" 」装甲兵員輸送車


著 :ステイン・ミッツァーと ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれるトランスニストリアは、1990年に沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国として独立を主張し、続く1992にモルドバから離脱して以来、隠れた存在であり続けている東ヨーロッパの分離独立国家です。

 沿ドニエストルはウクライナとモルドバの間に位置しており、現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国、アルツァフ共和国からしか承認されていません。

 その立場が本当の国家なのかという論争の的になっているにもかかわらず、沿ドニエストルは自らの陸軍、航空兵力、そして軍需産業と一体になった事実上の国家として機能しています。
        
 沿ドニエストルの軍需産業は過去20年以上にわたって沿ドニエストル軍で就役した、数多くの非常に興味深い設計の装備を製造してきました。この軍需産業はトランスニストリア戦争の間に非常に活発的となり、モルドバ軍に対して使用するためのさまざまなDIY装甲戦闘車両(AFV)、多連装ロケット砲(MRLs)やその他の兵器を製造したのです。

 停戦後、同国の軍需産業は1991年に設立されて以来旧ソ連製兵器のストックを置き換えることができなかった沿ドニエストル軍の運用状態を支える上で重要な役割を果たしています。

 同国の軍需産業が製造した装備の1つが、ソ連製GMZ-3地雷敷設車をベースにした独特な装甲兵員輸送車(APC)であるБТРГ-127 'Шмель'(BTRG-127 バンブルビー)です。
 
 このAPCは、2015年にエフゲニー・シェフチュク前大統領とアレクサンドル・ルカネンコ国防大臣によって初めて発表され、これらの少なくとも8台は同年に沿ドニエストル軍に就役したと見られています。これらの車両のうち、少なくとも2台はその1か月後に演習に参加する状況が見られ、運用状態にあることが確認されています。


 沿ドニエストルは、地域内や海外への武器密売国として悪名が高いことで知られています。ソ連地上軍第14軍からの大量の武器と弾薬は沿ドニエストルの現地部隊によって引き継がれました。

 モルドバ政府によれば、同地域に忠実であった第14軍の兵士と外国の義勇兵が依然としてモルドバの領土と主張していた沿ドニエストルに入ったとき、1992年に両者の間で紛争が生じました(注:多くの第14軍の兵士や外国の義勇兵が沿ドニエストル軍に加わった)。

 紛失した大量の兵器や弾薬が確保された後、これらは新たに設立された沿ドニエストル共和国軍に引き継がれたか、在モルドバ共和国沿ドニエストル地域ロシア軍作戦集団の監督下でロシアに移送されて戻りました。しかし、限られた量の沿ドニエストル由来の武器が依然として海外へ密輸されています。

 1992年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの情勢は非常に複雑です。この離脱国家はロシア連邦への加入を希望している一方で、わずかな生産物の輸出をモルドバに大いに依存し続けており、それが同国の経済産出量となっています。

 外界への透明性を高めるための小さな一歩を踏み出しているにもかかわらず、沿ドニエストルはハンマーと鎌をその国旗の中で使用し続けるソビエト社会主義共和国のままであり、主要な治安機関としてKGBを維持し続けています。

 ロシアは依然として沿ドニエストルでわずかな影響力を維持しており、国内で公式に平和維持活動を行っています。

 ソ連が崩壊したとき、かつてソ連軍を構成していた人員や関連する兵器類の多くは、所在する地の新しく誕生した国に属することになりました。このプロセスは、旧ソ連の外に駐留していた多くの民族的ロシア人の離脱(注・分離独立や脱走)によってしばしば問題となりましたが、これはモルドバが遭った唯一の問題ではありませんでした。

 第14軍は実際にはウクライナ、モルドバ、そして分離独立国家であるトランスニストリア(沿ドニエストル)に属し、同軍の様々な部隊は、ウクライナ、モルドバ、ロシアのいずれかに属したり、新たに形成された沿ドニエストル共和国に合流しました。明らかに、これは非常に複雑で過敏なプロセスの下で行われたものです。



 沿ドニエストル側は支配した領域に存在する武器保管庫ほとんどを引き継いだときに大量の高度な特殊車両を受け継いだ一方で、IFVと自走砲はわずかな数しか保有し続けることができませんでした。

 実際、この地域に存在していたいくらかの2S1「グヴォズジーカ」122mm自走榴弾砲と2S3「アカーツィア」152mm自走榴弾砲(これらはロシアへ移送された可能性が極めて高い)のほか、沿ドニエストル軍の兵器保有リストに自走砲はありません。その代わり、間接射撃の火力支援には武器庫にある牽引式野砲と122mm多連装ロケット砲(Pribor-1および2)に依存しています。

 沿ドニエストルが引き継いだ特種車両には大量のGMZ-2とGMZ-3地雷敷設車が含まれていました。トランスニストリア戦争の間にこの車輌の本来の役割は不要となり、いくつかのGMZが急造のAPCとして沿ドニエストル側で使用され、少なくともその1台が後に戦闘で破壊されました

 沿ドニエストルは、内戦後でも本来の役割でいくつかのGMZを引き続き使用したと思われますが、そのような大規模な地雷敷設車群を必要とされず、ほとんどの車両は(少なくとも8台のGMZ-3をAPCに転用することが決定されるまでは)保管庫に放置されていました。
 
 この未承認国家が利用可能なGMZの量は不明のままですが、その数はさらに多くのGMZをAPCに転換するにはおそらく不十分だと思われます。


 GMZ-3はAPCという新しい役割に従って歩兵を輸送できる能力を得るために、搭載されていたすべての機雷敷設装置が撤去されました。地雷敷設用のアーム及びその操縦用の区画は後部ドアの位置を確保するために撤去され、兵員区画を設けるために地雷が格納されていた空間も取り除かれ、内部空間が拡張されました。変化の著しい改修を受けたGMZ-3の本来の形状はここで見ることができます。

 GMZ-3は運用者によって取り扱いが容易になるように広範囲にわたって改修され、新たに装備された単装のAfanasev A-12.7重機関銃とその機関銃手のために、操縦席と兵員区画の間に新たな空間が設けられました。

 BTRG-127では単装の銃機関銃に加えて、車両に設けられた5つの銃眼からライフルと軽機関銃を射撃することができます。この改修が本来小火器の銃弾や砲爆撃の破片から自身を防護していた、GMZ-3の装甲に悪影響を与えたかどうかは不明です。



 沿ドニエストルの規模・地位・経済にとって、新型のMRLを導入することは確かに見事な偉業であり、あらゆる手段を最大限に活用するという明確なケースの提示を意味しています。この件について、沿ドニエストルは独自の軍事産業の製品で、ごく僅かな観衆:外国人ウォッチャーを驚かせ続けるに違いありません。

 ものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所
 があります。


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2017年8月18日金曜日

ロシアより愛をこめて:シリアのVepr-12


























著:スタイン・ミツッアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 過去20年間に、シリアで民間人が所持する武器の完全な復活が見られました。
1982年のハマの虐殺後、銃の所持が蜂起に繋がる恐れが生じたために民間人が武器を所有し、取り扱う流れは急速に減退しました。失敗した蜂起の直後に施行された厳格な銃規制法は、武器の入手と所有をより困難なものにしたのです。蜂起への恐怖は80年代に徐々に消えていき、政権によって容認された散弾銃は90年代の農村地帯において狩猟道具として次第に人気が高まっていきました。その理由の大半は有利な価格(注:比較的安価)が関係していました。

 こうした事情にもかかわらず、アサルトライフルの所有は1982年の後には厳格に禁じられていました。政治的に信頼できる農家や牧羊者は1982年以前にアサルトライフルを所有することを許可された資格を得ることができたものの、この資格は一般の農家とってはあまりにも高価過ぎました。違法にアサルトライフルを所有した場合、一般に2〜6年の懲役と革命前の2000〜10.000USドルの間の単位で罰金が科せられました。しかし、これはピスタチオの木を襲った泥棒を撃退するためにAKMSを握ることを妨げるものでありませんでした(注:不法所持を根絶できなかったということ)。

 話題を散弾銃に戻すと、シリア陸軍(SyAA)国民防衛軍(NDF)内での使用は限られたたままです。シリアの軍事ドクトリンは今まで市街戦に焦点を当てていなかったため、そのような状況に対応する特殊な武器は少しも導入されていなかったためです。しかし、ここ数年の間にイタリアのスパス-15といった限られた数の軍用クラスの散弾銃がシリア沿岸の一般人のもとにたどり着きました。

 シリア内戦において比較的よく戦われる、広範囲に及ぶ市街戦は近接戦闘に最適な武器の必要性をもたらし、そのような武器を購入するためにシリア軍の代表団がロシアに送られました。
 ВПО-205-03は、AK-104とともに2012年のロシアの武器博覧会の際にシリア軍の代表団が視察した武器に含まれていた考えられ、これが限られた数量のVepr-12の軍用版であるВПО-205-03セミオートマチック式散弾銃の導入につながりました。




 Vepr-12シリーズの散弾銃はAK-74MAK-100シリーズに酷似しており、特に従来の弾倉を使用したアサルトライフルと間違える可能性があります。AKシリーズに見られる標準的なサイドマウントとは対照的に、装備されているピカティニーレールには、さまざまな種類の光学照準器、フォアグリップ、IRポインターやフラッシュライトの装着を可能にしています。

 すでにコンパクトなВПО-205-03は横折りたたみ式の銃床によってさらに短縮されることで、近接戦闘のための理想的な武器となります。この銃は世界中の散弾銃の大半のように、標準的な12ゲージの散弾を使用します。

 これらの散弾銃のどれもがシリアへ供与されたほかの高性能な武器でよく見られるような、戦場に行き着いた姿を見つけられることはありませんでした。その代わりとして、全てが直ちに沿岸地域の様々な重要人物やその関係者に支給されました。
 ВПО-205-03は、例えばデリゾールなどで戦闘する政府軍には天の賜物になるでしょうが、汚職は最も必要とされる場所でのそういった武器の使用を妨げているようです(注:軍隊ではなく有力者などに支給したこと)。
 もちろん、このケースは新型散弾銃の使用だけが関係しているます、このような政策(注:汚職のこと)は最終的に戦時体制の損失に終わる可能性があります(注:現体制を不安定にさせるということ)。

 ※ この翻訳元の記事は、2015年6月8日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所がありま  
  す。   
   正確な表現などについては、元記事(再アップ待ち)をご一読願います。  

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ロシアより愛をこめて:シリアのAK-74M

2017年8月11日金曜日

4年にわたる内戦の成果:第4機甲師団の装甲強化プロジェクト


著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ (編訳:Tarao goo)

 T-72AV及びBMP-2へのスラット・アーマーと空間装甲を用いた部分的な実験に続いて、第4機甲師団は2014年の夏に装甲強化に関する小規模な改修計画を開始しました。数両のT-72M1とブルドーザーを増加装甲で改修した後、現在(2015年時点)ではこの機甲師団は同じ方法で改修されたZSU-23-4「シルカ」自走式対空機関砲(SPAAG)も少なくとも1両を運用しています。

 この計画の目的は、金属製のチェーンでさらに強化されたスラット・アーマー及び空間装甲から成る増加装甲を追加することによってAFVの生存性の確率を向上させることにありました。全体的に見て、それは通常のRPG弾頭に対して360度にわたる範囲で優れた防御力を備えるものとなります。しかし、RPG-29M79オサや後の世代のRPG-7の弾頭(注:PG-7VRタンデム弾頭など)のような強化されたRPGは、そのような装甲を侵徹することについて何ら支障がありません。

       

 この計画の一環として改修された最初の車両は数量のT-72M1であり、後に新しい装甲パッケージの実際の戦闘力をテストするためにジョバルに配備されました。これらの最初の作戦では、改修されたT-72M1のうちの1両がスタックしてその後に乗員によって放棄され、さらに別の車両がジョバルに入った後に完全に破壊されたために、この試験を成功に終わらせることができませんでした:これが野心的な計画の悲劇的なスタートとなりました。[1] [2]

 しかし、この状況は第4機甲師団が改修計画を推し進めることを阻んでおらず、改修された数両のT-72M1はその後もジョバルや東ゴータ、さらにはアレッポの部隊に従事し続けました。この改修を担当する工場はダマスカス北部のアドラにあります。














   



 同工場で開発・製造された同様の装甲パッケージは、第4機甲師団で使用されるブルドーザーにも適用され、そのブルドーザーはダマスカスと東ゴータの近隣で行われている攻勢のほとんどで重要な地位を獲得しました。そこでは、それらの車両が兵士を最前線に輸送し、障害物を除去し、歩兵や戦車を防護するための砂の障壁を高め、地雷原と思しき地点をクリアにするために使用されています。彼らが装甲パッケージの無い状態でこれらを運用していたとき、局所的なDIY装甲を装備していたとしても、反政府軍の対戦車チームや対物ライフル、さらには機関銃の射撃の簡単な餌食となっていました。
 小さな工場の違いや軽微な戦場での改修以外にも、これらには2つのバリエーションが存在することが知られています。


 














 これらのバリエーションは、装甲パッケージの設計と製造がいかにして時間の経過とともに進歩してきたのかを明確に示しています。下の車両はジョバルで活動しており、そこでは主に兵士の輸送や地雷原の処理に使用されました。その車両は2014年12月の後半、おそらく地雷原を処理しようとしている際に「ラフマン軍団」としても知られているフェイラク・アル・ラフマンの戦闘員によって野外で捕獲された後に破壊されました。そのブルドーザーはRPG-7と対物ライフルによる複数の命中弾を受けた後にやっと停止したようです。
その後、ラフマン軍団の戦闘員は放棄されたブルドーザーへ至るトンネルを掘り、車両の回収を妨害するため、その下に梱包爆薬を置きました。その直後に起こった爆発は車体を破壊して炎上し、再使用を不可能にしました。


 
 




   

          

次に装甲の改修を受ける車両としてZSU-23-4が選ばれました。ダラヤで得られた戦歴では、ほとんどの場合においてT-72では狙うことができない、アパートや共同住宅といった高所に位置する反政府軍と交戦可能な車両が必要であることを示しました。

 過去における数ヶ国の先例に続いて、シリアは戦車や歩兵を支援するためにZSU-23-4の大部隊の投入を開始しました。この役割においてシルカの最大の弱点となるのは貧弱な装甲です。本来、シルカはヨーロッパ平野で戦車や歩兵戦闘車(IFV)の後方で航空機やヘリコプターと交戦するような運用を想定して設計されており、その装甲は敵の隠れ家に接近して交戦することに適しているとは程遠いのです。
 シェイフ・マスキン近郊における第82旅団に所属していた車両の最近の映像は、この事実を非情に思い出させるものとして役立ちます。[3]

 装甲パッケージの装着は小火器とRPGの射撃に対するシルカの脆弱性に大きく対処し、車両が以前よりも近接な戦闘での火力支援を可能にしました。非常に高い射撃速度で、大口径を有し、あらゆる潜在的な目標をカバーする仰角と射撃範囲で、それは完璧に理想的な都市制圧型支援車両:シリアの戦場で4年近くにわたって作り上げられた過酷な環境に完全に適応した戦闘マシーンと化しました。
























 T-72M1の正面にある金属製のチェーンがRPGの弾頭などを止めることが不可能と判明した後、改修されたT-72M1のほとんどはチェーンが増加式の空間装甲や単なる金属の断片に置き換えられました。これらの改修はT-72の運用地域で行われていますが、不思議なことに、装甲パッケージを担当する工場が正面に金属製のチェーンを付けたT-72用にチェーンを未だに製造しています。


 紛争が活発になって以来、様々な種類の装備の長所や弱点に関する無数の戦闘報告が提供されるため、改良された装甲に続く派生型がこれらの問題に対処し、ますます有効なものになる可能性が高いと思われます。





  ジョバルで改修されたT-72M1のうちの2両が破壊された後、装甲パッケージの戦闘力は最小限に抑えられたと考えられていました。しかし、これは決して新しい装甲の実際の戦闘能力を表すものではありません。新しい装甲パッケージが乗員に無敵の感覚を与えて乗員が通常より大きなリスクを負うことにつながり、そして車両が破壊される結果をもたらす可能性があるからです(注:「無敵」と思い込んだ乗員が大胆な行動をとりやすくなるために戦車が撃破される率が高まるということ)。

東ゴータからの1枚の画像は戦闘においてその有効性を確認できるものであり、改修されたT-72M1は何発かのRPGの命中を受けた後も無傷のままです。

 実際に何らかの対戦車兵器の命中弾を受けたこの車両からは装甲パッケージの良い面と不都合な面に関して全く論証できないことが明らかですが、第4機甲師団が重要な資源をそれに割り当てることをついて十分に有効性があると判断していることは明らかでしょう。

 これらの車両で行われた改修は、第4機甲師団がまだ息切れを起こしていないことを証明しています。
 ステレオ式測遠機があるおかげでT-72「ウラル」ではこの装甲パッケージの装着は不可能ですが、同じ方法でますます多くのAFVが改修されることが予想されます。

[1] https://youtu.be/gOee0Xrn5nU
[2] https://youtu.be/vAg0UaRqUZM


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 ※ この翻訳元の記事は、2015年1月30日に投稿されたものです。
   当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。  

2017年8月4日金曜日

DIYに走るシリア軍: S-60 AZP 57mm対空機関砲が2K12 SAM発射車両に搭載された
















著 Stijn Mitzer と Joost Oliemans (編訳:ぐう・たらお)

現在も進行しているシリアでの内戦は、関係する各勢力が自己の火力を高めるために多くのDIYプロジェクトに取り組むという結果をもたらしている。
悪名高い反政府軍のヘル・キャノン(Hell Cannon)や政府軍のIRAM(Improvised Rocket-Assisted Munition or Mortar:急造ロケット推進弾・迫撃砲、例としてボルケーノ・ロケット)と樽爆弾はそれらの完璧な例であり、かなりの数が生産されているほど十分に成功している。
後者の2つは共和国防衛隊の機甲部隊の一部に施された装甲の強化とともに実際には広く普及しているため、単なるDIYによる改造ではなく工業規格化された改修としてより適切に分類される可能性がある。

DIYプロジェクトは、利用可能な資源と各地の指揮官・兵士の独創性や意欲にたびたび左右される。
これらの条件はシリア各地で大きな差があって幾つかの勢力や地域には十分な武器や弾薬がある一方、他では敵から優位を得るか攻勢を阻むために使用できる十分な火力を確保するべくDIYを余儀なくされている。

S-60 AZP 57mm対空機関砲のトラックへの搭載はシリアで非常に普及しているDIY改造であり、長射程を有する速攻の火力支援を兵士に提供することが比較的容易なものだ。
この改造の唯一の欠点は、トラックのキャビンが障害となって正面がブロックされるために機関砲の射撃範囲が制限されることだ(注:正面に向けて射撃できない)。
こういった改造のためにベースとして選択されたトラックは、多くの場合はごみ収集車(注:文字どおり)であり、要員に小火器の射撃に対するある程度の防護を提供する。

同じ機関砲を2K12 クーブ移動式地対空ミサイルシステム(SAM)の車体であるGM-578(2P25)に取り付けることでこの問題が解決され、砲手が機関砲を完全に旋回させることを可能にした。
最近、限られた数のこのような改造がシリア・アラブ陸軍(SyAA)のために施されているので、近い将来により多くの車両が改造される可能性がある。

改造された2K12の少なくとも1台は現在(注:2015年当時)、ヒズボラとシリア政府軍によって共同で実施されている戦略的に位置づけられたカラマウン地区への攻勢に参加している。
SyAAと共和国防衛隊は、主にヒズボラの戦闘員で構成された歩兵部隊に火力支援の大部分を提供している。



シリア各地に散在する孤立したSAMサイトの脆弱性は、より安全でより強力な政府支配地域に最も脆弱な装備を移動させるという決定につながり、そこでほとんどのSAM中隊が復活させられたが、何らかの理由でその復活は短命に終わった。
スペアパーツの不足や要員を他の任務に配置する必要があるということは、SAM中隊は最小限の要員で運用されるか全部が放棄されたことを意味した。
いくつかの2K12中隊は下の画像のTELと同じ運命を迎えた。
この車両には「الجيش - ١٠٦٠٥٥٨ :陸軍-1060558」という文字が書かれている。
改造された2K12は放棄された車両の1つであり、これらに埃を被らせるのではなくて火力支援のプラットフォームに転換することは道理にかなっている。

この費用対効果の良い改造車両は機動性があり、それゆえに政権側の戦闘員と一緒に進むことができるが、小火器の射撃から乗員を防護する鉄鋼製の車体に搭載することができる弾薬の量が限られるため、火力支援プラットフォームとしての役割を限定する可能性がある。
しかし、リビア・ドーン(リビアの夜明け運動)によって開始された別のDIYプロジェクトでは、2K12を同じような他の用途(注:対地攻撃用)で使用できるように改修することが可能だということを示し
た。
比較的単純な改造をすれば、600kgの3M9ミサイルは非常に頼りにならない影響しか与えないにもかかわらず、地対地攻撃の用途に再利用することができる(注:対地ロケットとして開発されていない対空ミサイルでは、弾頭の種類や特性、それに弾道特性などから命中率も低いためにあまり戦果を期待できないということ)。
現時点では不明だが、まもなくシリアの戦場でもこのような改造車両が使用される姿を目にすることができるかもしれない。


 ※ この翻訳元の記事は、2015年7月11日に投稿されたものです。
    当記事は意訳などにより、本来のものと意味や言い回しが異なる箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。  

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