2021年3月30日火曜日

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編訳者:Tarao Goo

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2021年3月27日土曜日

戦いの余波: ナゴルノ・カラバフ戦争の教訓がバクーの通りを行進した

著:ステイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

「もしアゼルバイジャンが戦争を始めるのならば、アルメニアの戦車はバクーまで行くことになる(2020年9月、アルメニア国防省アルツルン・オワンニシャン報道官)」

 結果的に、アルメニア軍の装備は(国防省が想像していたものとは明らかに異なる方法で)2020年12月10日に実施されたアゼルバイジャンの戦勝パレードに登場しました。バクーの自由広場におけるこのパレードでは、44日間にわたるナゴルノ・カラバフ戦争にて両軍が使用した装備の一部を垣間見ることができました。

 何列にも並んだ車両に乗せられた(最終的にはドローン戦によって圧倒された)多種類の兵器システムが展示された戦利品の隊列は大規模なものでしたが、このパレードに登場したアルメニアの装備は、アゼルバイジャンが捕獲した武器と車両の総数の約10分の1にすぎません [1]。

  実際、現時点で確認されているアゼルバイジャンの損失数を 2 倍にしても、同軍は戦争で失った以上の装備を捕獲したことになります。

 一般的な考えとは逆に、アルメニア軍が被った装備の大規模な損失は実際には人が思っているほど重要ではありません。アルメニアは比較的人口の少ない経済的に苦しい国というよりも地域大国に相応しい装備の量を持ち、戦力の構成は常にナゴルノ・カラバフとその周辺の占領地域を防衛することに非常に力を注いでいました。

 しかし、敗北によってナゴルノ・カラバフとその周辺の領土の半分近くの支配権を喪失したため、大規模な常備軍の存在意義もそれに伴って失われてしまったのです。
 


 ボロボロになったアルメニアの旧ソ連製装備(の隊列)はその大部分が1970年代から1980年代のものであり、過去数年で急速に発展して今や大都市になったバクーの近代的な景観とは著しく対照的なものでした。

 また、アルメニアの装備はアゼルバイジャンがパレードで公開した自軍の大量の兵器システムとも対照的でした。アゼルバイジャン軍の装備の多くは最近入手したものであり、それぞれの分野で最も現代的なシステムに属するものだったからです。

 パレードの全体はここで視聴することができます(捕獲されたアルメニアの装備は1:02:40からです)。



 パレード会場に最初に入場してきたものは、両国にとって非常に象徴的なものでした。それは戦争中にアゼルバイジャンが捕獲したアルメニア軍のトラックとジープのナンバープレートからできたオブジェだったためです。これは、1990年代にアルメニアがナゴルノ・カラバフとその周辺の7地域から追い出したばかりのアゼルバイジャン系住民が所有していた車のナンバープレートで作った「ナンバープレートの壁」への明確な仕返しでした。アゼルバイジャンが作った壁には「Qarabağ Azerbaycandir(カラバフはアゼルバイジャンのもの)!」 の文字が大きく表示されています。


 パレードにて車両の部の先頭を飾ったのは、十字架が描かれた3台のカマズ・トラックでした(注:パレードの映像では十字架が確認できないので、下の画像は予行演習で撮影された可能性があります)。このパレードで見られた白い十字架は、(アルメニアの乗員が軍用車両に施したものもありますが)アゼルバイジャン側が捕獲されたアルメニアの装備と自軍の装備との違いを示すために施したものです。

 戦争中、アルメニアはイラン経由でロシアから数バッチのカマズ・トラックを受け取り続けました。[1]

 しかし、これらは戦時下におけるアルメニアの対アゼルバイジャン戦を支援するためのロシアからの軍事支援ではなく、戦争が勃発する以前に発注された大規模な武器取引の(納入の)一部に過ぎませんでした。どの国に対しても一般に課される武器禁輸措置に反して、ロシアは戦争中にもかかわらず契約上の義務を忠実に守りました。

 興味深いのは各車の荷台に載せられた多種類の迫撃砲です。左(後部)からM57 60mm、M69 82mm、M74 120mmと全てが旧ユーゴスラビア起源のものです。そして最も右側(車体側)にはヘル・キャノン(即席の簡易式迫撃砲)があることにも注目してください。
後者の存在はナゴルノ・カラバフの戦場での驚くべき発見でした。通常、ヘル・キャノンはより多くの通常兵器へのアクセスに欠けている反政府勢力などの武装組織と関連しているためです(注:今回はアルメニアという国家が運用していたため)。


 迫撃砲よりも遥かに広範囲に砲火を浴びせる能力があるのはアルメニアでも多く運用されている牽引式砲ですが、その中でもD-30 122mm榴弾砲(画像)が最も多く使用されています。より大きな砲としてはD-20 152mm榴弾砲や同口径の2A36ギアツィント-Bカノン砲などがあり、第二次世界大戦時の M-30 122mm榴弾砲や D-1 152mm榴弾砲、さらには野砲に転用した高射砲(KS-19)も2020年の時点でも前線で使用されていました。

 装軌式自走砲よりもかなり安価であるため、多くの国が牽引式砲の弱点である限られた機動性について、砲自体をトラックに搭載することで対処し始めていますが、驚くべきことに、この種の装備の開発はアルメニアで一度も実行されたことがありませんでした。ほとんど全ての牽制式砲は事前に構築された(砲撃に対するいくらかの防御力はある)陣地に配置されていたものの、頭上で滞空する無人機には完全に無防備なものだったのです。

 したがって、バイラクタルTB2無人機だけによって(アルメニアが合計で200門以上の牽引式砲を失ったことが確認されているうち)120門以上の牽引式砲が破壊されたことは驚くべきことではありません。[2]

 一門ずつ狙い撃ちされることもしばしばあったため、アルメニア軍砲兵の(短い平均余命をもたらす)戦時中の生活は本当に恐ろしい経験だったと想像することができます。
 

 さらにこの後には、えり抜きの対戦車ミサイル(ATGM)や無反動砲、重機関銃を荷台に積んだ3台のウラル-4320トラックがD-20 152mm榴弾砲を牽引しながら登場しました。
これらの中にはシリアの主な戦場で装甲戦闘車両や構造物、兵士の集団に大損害を与えた非常に恐ろしい9M133コルネット(6門)が含まれていました。

 ナゴルノ・カラバフ戦争ではATGMは小さな役割しか果たすことができませんでした。アルメニア軍のATGMチームは大抵は無力化されたり、撃破するはずの敵戦車が視界に入る前に無人機や砲撃、ミサイル攻撃によって退却を余儀なくされたりしたためです。

 それにもかかわらず、アルメニア国防省による士気向上のための意味合いが強い思われるものに9K115メチスATGMの訓練を受けている予備役の映像があり、それは国営テレビで定期的に放映されました。本来、メチスは9M113コンクールスに比べてより軽いATGMシステムを兵士に提供するためにソ連で設計されましたが、専用の9M131ミサイルの射程と貫徹力の不足はメチスが本来の想定よりも普及しなかったことを意味しています。

 もちろん、射程距離はたった 1km( 9M133は約5km )であるため、仮に大量の9K115が前線に配備されていたとしても、アルメニアがアゼルバイジャン軍の進撃を阻止することはできなかったでしょう。

 当然のことながら、この戦争で発射された(アルメニアの)ATGMの映像は存在しません。
 

 続いて、戦争に投入されたさまざまな種類の対空装備が紹介されました。まず、ZSU-23-4自走式高射機関砲(SPAAG)ですが、4門の23mm砲で合わせて毎分約4,000発の発射能力を持つ、低空飛行する航空機に依然として猛烈な一撃を与える可能性を秘めた実績のあるシステムです。

 もちろん、それは航空機がZSU-23-4の射程圏内に入ってくることが前提ですが、きちんとした空軍には多量のスタンド・オフ兵器が配備されているため、現代ではそのようなことはめったにありません。 これは無人機にも当てはまります。無人機はZSU-23-4のような防空システムを追跡して狙うことが可能であり、それらが逃れることができないほどの高度や遠距離を飛行するためです。

 ただし、ハロップのような徘徊兵器を狙える可能性は大幅に高くなります。標的に向かって突入する際に地表近くへ降下しなければならず、ZSU-23-4の射程距離に入るためです。

 いくつかの国では、より現代的なレーダーや電子光学照準装置、さらにはMANPADSを追加することで、このようなシステムを標的にするZSU-23-4の能力向上を手がけました。ただし、アルメニアではそのような改良が施されなかったため、現代戦におけるZSU-23-4の欠陥が再び驚くほど明らかになりました。

 パレードの訓練を容易にし、自由広部への損傷を与える可能性を避けるため、ZSU-23のよう装軌車両は自力で会場を走行するのではなく、トレーラーに載せてパレードに登場しました。


 9K33「オーサ(NATOコード:SA-8)」は、現在でもアルメニアの主要な地対空ミサイル(SAM)システムであり、同国は21世紀に適切なこのシステムを維持するために継続的な投資を行っています。

 最近の例としては、2020年1月にアルメニアはヨルダンから27億ドルで購入したばかりの35台の9K33「オーサ-AK」の一部を見せびらかしました。[3] [4]

 これらは同じくアルメニアで運用されている「オーサ-AKM」よりも古いバージョンですが(それ故に低性能でミサイルの有効射程がより制限されたものでしたが)、非常に安価に調達できたおかげで独自の改修が可能となっていました(注:コスト的に余裕があったということ)。

 9K33のような旧式のシステムへの依存と追加調達は戦時中も戦後も激しく批判されましたが、アゼルバイジャンとの衝突初期には徘徊兵器に対して使用され、一定の成果を収めました。

 アルメニアにとって不幸なことに、9K33に対して施した、または計画された(新型コンピュータと光学システムから構成された)改修は1つの大きな問題に対処することに失敗しました。バイラクタルTB2のようなUAVは、9K33の射程距離に入ることを必要とせずにそれらを攻撃目標にすることができたのです。

 他国では特にこの問題への対処に努め、結果として最も人気のある改修型は(アゼルバイジャンも調達した)ベラルーシの「オーサ-1T」が知られるようになりました。しかし、各ミサイルの近代化と改修はそのような能力向上策の中でも最も高価なものだったため、アルメニアは9K33の能力を高めるための別の方法を検討しました。

 とは言え、バイラクタルTB2は戦争中に複数の9K33の射程圏内で一度も標的にされることなく頻繁に運用されました。おそらくアルメニアははるかに多くの9K33を展開して各システムの交戦範囲が重なるようにすれば、その能力不足を少なくとも部分的には補えると想像していたのでしょう。つまり、仮にTB2が1基の9K33と交戦中であれば、それが自動的に近くにある別のシステムの交戦範囲内を飛んでいることを意味するわけです。

 しかし、これらのシステムはそのレーダーシステムが明らかに作動していても、上空を旋回しているバイラクタルTB2を全く識別できないことが判明しました。これはTB2自体が持つレーダーの被探知性が低く、それに加えてアゼルバイジャンが電子戦(EW)を展開した可能性があったためだと思われます。その結果として、14基の9K33の破壊と引き換えにTB2は1機も失われることはありませんでした。 [2]


 アルメニアで依然として現役にある2K11「クルーグ (SA-4)」と2K12「クーブ (SA-6)」のような、より長射程のSAMは9K33よりも健闘することはなく、戦争中には基本的に何も役割を果たしませんでした。アルメニアは少なくとも2つの老朽化したシステムを維持していましたが、衝突が勃発した時点で稼働状態にあったのはシュシャ近郊に配備された1基だけだったようです。

 興味深いことに、アルメニアは戦争中にもう1つの2K12のサイトを再稼働させようと試みませんでしたが、アゼルバイジャンは予防策として1S91レーダー(注:下の画像は別の個体)と空の発射機を攻撃することを止めることはありませんでした。


2K12を擁護するならば、その後継システムである9K37M1-2「ブク-M1・2」や9K332「トール-M2KM」、さらには自慢のS-300も、ナゴルノ・カラバフ上空で展開された航空作戦には何の影響も与えることはありませんでした。

 トール-M2KMについては、(拠点への到着後に)2発の徘徊兵器と1回のミサイル攻撃で破壊される前にバイラクタルTB2に追跡されたシステムが(確認された数は)たった1基だけということが、もしかすると唯一の出番だったのかもしれません。[5]

 トール-M2KMは(自立したシステムであるため)展開に大きなスペースをとらず、偽装の容易さと敵UAVの警戒網から逃れることが可能な機動性を用いて、ナゴルノ・カルバフでハンター・キラーシステムとしての運用ができると想定されていました。しかし、実際にはそれどころかトールと全ての他の防空システムは明らかに狩られる側となってしまいました。


 ロシアの一般的な反応は、SAMの運用者を非難したり、問題のシステムは決して最後の一撃を与えた爆弾類や無人機を標的にするようには作られていなかった(注:最初から無人機類を標的にする能力が備わっていなかった)という主張が大抵でしたが、いずれにせよアルメニアの「防空の傘」を構成する全ての層がピストンエンジンの無人機によって完全に打ち負かされてしまいました。

 これには、ソ連時代のSAMと(それを置き換えるために設計された)畏怖されているS-300などの現代的なロシア製SAMの両方が含まれていました。S-300ファミリーはそれだけで地域の戦略的航空軍事バランスを完全に乱すことが可能な驚異的な兵器として誇示されることが多いですが、実際にはそもそもS-300の能力については実現不可能なレベルまで誇張して伝えられてきたのです。

 戦争中、バイラクタルTB2は(攻撃成果の観測をして飛び去る前に)S-300に向けられた弾道ミサイルや徘徊兵器が着弾するのを待っている間に3つのS-300陣地の付近を文字どおりに旋回していましたが、衝撃的なことに、これらのSAM陣地の一部の発射機はあたかも戦争が始まっていないかのように展開モードにすらなっていませんでした。

 ただし、アルメニア近年における「ブク」や「トール」のような最新のSAMシステムを取得し、さまざまな供給源から入手した多数のロシア製電子戦システムや電子光学装備への長年にわたる投資によってナゴルノ・カラバフとその周辺地域を(北朝鮮を除いて)世界で最も高密度な防空エリアに変化させたため、同国が完全に戦いの準備を怠っていたわけではないことに注意する必要があります。

 一部のエリアでは依然として高度なSAMが不足していますが、そこでは最新のMANPADS(携帯式地対空ミサイルシステム)、自走対空砲と対空砲にバックアップされた、あらゆる射程距離のレベルで旧式と最新のシステムを大量に運用していました。結果として、その防空システム(ADS:Air Defence System)が、これに挑戦することを厭わない敵に対してちょっとした切り札となりました。

 しかし、この切り札が敵にほとんど損失を与えない一方で数日のうちに徹底的に打ち破られたという事実は、無人機や電子戦、スタンドオフ兵器などの新分野に対する現代の防空システムの有効性が多くの研究の主題になるだろうことを疑う余地はありません。

 アルメニアがロシアから引き渡されたEWシステムに特に大きな信頼を寄せていたことは、同国国防省の報道官であるアルツルン・オワンニシャン(そう、彼はこの記事の冒頭でも発言を引用した人物です)がアフトバザ-Mについて「アゼルバイジャン空軍の死」と熱心に言及していたことが証明しています。[6]

 何らかの方法でUAVの運用を妨害することを目的とした、ムルマンスクボリソグレブスク-2R-330Pレペレント-1といったシステムもSAMと同じようなものであり、これらがナゴルノ・カルバフ上空における敵UAVの運用を少しでも妨害できなかったことが証明されたと結論づけなければなりません。


 分類上、対空砲と装甲戦闘車両(AFV)の中間に位置するのが現地で火力支援車に改造された4台のMT-LB汎用軽装甲牽引車です。転用された大抵の車両は旧ユーゴスラビア製のM55 20mm三連装高射機関砲を装備していますが、まれにZU-23 23mm高射機関砲や(2枚目の画像で見られるような)AZP S-60 57mm高射機関砲を搭載しているものもあります。

 これらの対空砲は全てがヘリコプターや低空飛行中の航空機に対してある程度の効果を有していますが、電子光学照準機の追加なしでこれらが高速で飛行する航空機や徘徊兵器の脅威に対処するには完全に不十分な装備です。

 結局、運用数の多さと戦場での低い価値のために少なくとも36台の対空砲搭載型MT-LBが戦争で失われました。36台中、12台がバイラクタルTB2によって破壊され、別の2台がスパイク-ERによって破壊されました。そして、22台が捕獲されました。 [2]


 パレードのAFVの部では、73mm低圧砲を搭載したBMP-1と(歩兵に対する照準や敵陣の制圧に最適な30mm機関砲を搭載した)より新しいBMP-2の計6台が会場に登場しました。
おそらく両者の能力を結びつけようとしたのか、アルメニアはいくつかのBMP-1を改修し、ZU-23やZSU-23-4から取り外された連装の23mm機関砲を追加しました。しかし、2種類の砲を操作しなければならない砲手の作業負荷を大幅に増加させるものだったため、この改修はBMPの実際の能力を拡充させることに全く貢献しませんでした。

 いずれにせよ、このような改修は主にBMP-1の攻勢的(非防御的)な役割を中心に展開されたものでしたが、アルメニアは44日間の戦いのほぼ全体にわたって守勢にあり、ほとんどのBMPは決して来なかった反撃命令を見越して固定された陣地に残されていました。アルメニアが降伏する直前の11月10日には、BMP-2も投入された数少ない反撃の一つがシュシャの入り口付近にて発生しました。この反撃は霧が立ちこめた天候の中で実施されたため、アゼルバイジャンの無人機はこれらに対する攻撃に参加することを数日間続けて妨害されました。やっと空が晴れてきた際にこれらのBMP-2はすぐに徘徊兵器に襲われ、霧が立ちこめる中での反撃ですらも街の一部や近郊の森で防備していたアゼルバイジャンの特殊部隊によって失敗に終わってしまいました。

 アルメニアは最終的に戦争開始の時点よりも約75台少ないBMPと共に戦争を終えましたが、失われたBMPのほとんどがバイラクタルTB2の照準線に捉えられて最後を迎えました。


 T-72戦車もパレードの登場を期待されていた装備であり、計6台が観客の前を行進しました。これらにはアルメニアで運用されている中で最も一般的なT-72、T-72AVとT-72Bが含まれていました。これらの各タイプはどれもがあまりにも長く最前線に置かれ、決して射程に入ってこない敵を待つために頻繁に護岸へ配置されたようです。

 彼らが想定していた敵の代わりに襲来したのは、(目視で少なくとも105台のT-72戦車を破壊したことが確認されている)バイラクタルTB2、(最低でも11台の戦車を破壊した)徘徊兵器、少なくとも8台のT-72戦車を破壊した)スパイク-ER ATGMでした。[2]

 アルメニアがやっとAFVや大砲の一部を撤収させ始めたとき、それは空軍機の援護を受けずに行われました。つまり、バイラクタルTB2はたった1発のMAM-L爆弾で、撤収中の装備とそれを運んでいたトラックの両方を攻撃することができたことを意味しています。

 T-72A(V)とT-72Bに加えて、アルメニアはさらに2種類のT-72の派生型を運用しています:旧式のT-72「ウラル」とT-72B 1989年型は、T-72AVとT-72Bに装備されているコンタークト-1 ERA(爆発反応装甲)ではなく、T-90にも装備されているコンタークト-5 ERAを装備しています。戦争中に破壊されたことが確認されたT-72「ウラル」は2台のみであり、T-72B 1989年型は全く見られませんでした。

 アルメニアは2014年にロシアにて開催された戦車バイアスロンで獲得した1台のT-90Aも運用していますが、T-72 1989年型と同様に戦争中に投入されたとは思われていません。


 パレードに登場したT-72Bの1台には、砲塔にかなり興味深いもの:2つの国産の(IRダズラーとして知られる)電子光学妨害装置が追加されていました。IRダズラーは特に自車を狙うATGMのレーザー指示器を混乱させるように設計されており、装甲防護力の強化では達成できない方法で、ほぼ確実な破壊から戦車を救うことができます。

 アルメニアが戦争で喪失したことが確認されている約230台の戦車のうち、このT-72BはIRダズラーを装備した2台のうちの一つです。これは、この装置がまだ試作段階で現時点ではテスト中であったのか、あるいはコストが法外に高価で広範囲への導入が保証できないとみなされて普及しなかったことを示している可能性があります。


 次には、3台の2S1「グヴィズジーカ」122mm自走榴弾砲が登場しました。これらはアルメニアが戦闘で失ったことが確認されている20台のうちの3台です。これらの大部分は彼らを守るはずだった防空システムが除去された後にバイラクタルTB2によって破壊されましたが、いくつかは戦場に取り残された後にアゼルバイジャン軍に捕獲されました。

 もちろん、「防空の傘」がなくなってしまったので、一見して避けられない無人機の攻撃で敵弾が自車に命中することを待つよりも、乗員が自車を放棄しただろうことは十分に理解できます。


 ロシアの勢力圏の下にある大部分の軍隊や、単に先人(旧ソ連軍)の軍事装備を受け継いだ軍隊と同様に、アルメニアもありふれたBM-21 122mm多連装ロケット砲(MRL)を大量に運用しています。

 多くの場合、MRLは従来の大砲よりも長射程の標的に壊滅的な集中砲火を浴びせることができるため、アルメニアはこのようなシステムのストックを増やすために巨額の投資をしました。この対象にはBM-21だけでなく、1990年代に入手した中国のWM-80 273mm MRLや、最近取得したBM-30「スメルチ」300mm MRL、T-72の車体をベースにした(さらにはサーモバリック弾を発射する)TOS-1 220mm MRLも含まれていました。



 アルメニアはもっぱら遠方で集結している敵兵群や司令部を標的にするために長距離MRLを用いると予想されましたが、その代わりに「スメルチ」は10月末にアゼルバイジャンの都市バルダへの一連の攻撃で使用され、27人もの市民の死をもたらしました。

 アルメニアは既に10月初旬の時点でOTR-21「トーチカ」とスカッド-B弾道ミサイルをガンジャ市へ向けて発射、アパート全体が崩壊して26人の市民が死亡しているため、これらの攻撃は決して単発の出来事ではありませんでした(注:つまり市街地への攻撃は一回だけではなかったということ)。


 BM-30やいかなる弾道ミサイルも( ほぼ完全にアルメニア人によって配置され、アルメニア軍に内在した存在となっている)アルツァフ共和国軍ではなくアルメニア軍が運用していますが、アルメニアは「全くの嘘」として両攻撃の責任を否定しました。[7]

 その代わり、アルツァフ共和国は自国の軍隊がどちらのシステムも運用しておらず、スカッド-Bがアルメニアから発射されたという事実があるにもかかわらず、「軍事目標を狙った」と両攻撃の関与を主張しました。

 偶然にも、バイラクタルTB2はナゴルノ・カラバフの最前線から遠く離れた場所を監視しており、国境地域に展開したスカッドBを追跡していたのです(注:これによって攻撃の主体がアルメニアの弾道ミサイルであることが判明しました)。[8]

 これらの長距離砲兵システムが仮にバルダやガンジャの街中にある軍事目標を標的にしたものであったとしても、その使用する兵器の選択は本当に許しがたく、市民の命を完全に無視していることを示しています。

 問題のBM-30は命中率が不正確な9M55Kロケット弾に72個の(それぞれ96個の破片を含む)子爆弾を搭載したクラスター弾頭を使用しており、スカッド-B弾道ミサイルは平均誤差半径(CEP)が500メートルであるため、これらは大規模な軍事基地に対しての使用のみか領域拒否兵器としての使用が適しています。

 もし戦争中におけるアルメニア・アルツァフ側が市民の命を軽視していたことについてまだ疑問に思っているのであれば、その答えを自称アルツァフ共和国大統領アライク・ハルチュニャンの報道官による10月5日の発言が教えてくれます:「あと数日で考古学者でさえもガンジャの場所を見つけられなくなるだろうことを心配しています」。[9]

 人道に対する罪を構成することは別として、これらの攻撃はアルメニアで運用されている、遠方の目標を攻撃して壊滅的な効果を上げることができた数少ないシステムの完全な無駄遣いでした。

 無人機によって敗北に至った原因を分析することや、戦争に大敗していることを認めず、それを国民に伝えることを拒絶したことを別にしても、アルメニア軍の指導者層はMRLや弾道ミサイルなどの戦略資産を配備する意図と方法を再考することが賢明でしょう。


 もちろん、この章は「カラバフの征服者」たるバイラクタルTB2について再びはっきりと言及することなしには完結しません。この征服者はMAM-L誘導爆弾でBM-21を57台、WM-80を2台破壊したほか、バルダへの攻撃に関与したBM-30を発見し、追跡、破壊することもしました。[2]

 攻撃に関与した2台の「スメルチ」は、ナゴルノ・カルバフの奥深くに用意された陣地に静かに配置され、河川敷から外へ発進して、近くの野原まで走り、破壊的なロケット弾を放った後、再装填のために戻ってきました。[10]

 これらのBM-30の1台は、10月30日に命取りの一斉射撃を行った後に目撃されましたTB2はそこで攻撃せずにそのBM-30を追跡したところ、この車両は拠点に戻り、同機はそこで別のBM-30と再装填用の弾薬を発見しました。この後にこれらは攻撃を受けて2台の発射機は破壊された結果となったので、より多くのバルダ市民の命が救われた可能性があります。

 この戦争の過程で、 さらに2台のBM-30が破壊されました (別の1台はTB2、もう1台は徘徊兵器による)。[2]


 台無しとなったAFVや大砲の隊列の後ろから迫り来るのは、さらに多くのトラックやジープのみならず、戦争中にアルメニアが少なくとも5台は失った9P148「コンクールス」ATGM車も1台ありました。

 大部分の西側の軍隊では広範囲に配備するには用途が特化されすぎていると思われていますが、ポスト・ソビエトのいくつかの国ではこのようなATGMキャリアを相当数運用し続けています。9P148に加えて、アルメニアはMT-LBの車体をベースにしたより近代的な9P149「シュトゥルム-S」も運用している一方で、アゼルバイジャンはBMP-3をベースにした最先端の9P157-2「クリザンテマ-S」を採用しています。

 アルメニアが依然として9P148の能力を高く評価していることは、2018年に数台が受けた、昼夜兼用の照準能力を向上させるためにサーマルサイトの追加改修が証明しています。ちなみに、今回のパレードで展示されていたのも、この近代化改修されたバージョンです。

 アルメニアはナゴルノ・カラバフ戦争の結論を引き出した後もATGMキャリアが維持する価値のある資産と考えるかどうかは不明ですが、彼らはわずかなコストで(耐用年数が尽きるまで)それらを運用し続けることを簡単に選択するかもしれません。


 戦争が勃発したとき、アルメニア軍はまだソ連時代のトラックやジープをより近代的なものに交換することによって同軍の装備車両の近代化する過程の中にありました。

 この近代化の一環として、既にアルメニアのストックにある旧式のウラルやカマズ製トラック、UAZジープを代替するために同じブランドの新しい車両がロシアから大量に調達されました。この近代化の大部分はすでに実行されており、これはおそらくアルメニアが戦争で喪失した膨大な量の車両を補うために(ロシアに)再度の発注をしなければならないことを意味するでしょう(注:納入された新しい車両の大半を既に喪失したということ)。

 無人機が最前線のはるか後方で自由に闊歩していたため、物資や兵士を輸送するトラックはバイラクタルTB2や徘徊兵器の格好の餌食になってしまいました。

 結果としてアルメニアは大きな損失を被り、現時点で約600台のトラックとジープがアゼルバイジャンによって破壊や捕獲されたことが確認されています。[2]

 自分の持ち場と鎖でつながれたアルメニア兵の遺体が塹壕から出てきた映像のように、(兵士が無人機の攻撃を恐れて車両を放棄するのを防ぐために)一部の司令官が兵士をトラックのハンドルにつなぐことを決めた兆候もあります。[11]

 これらの出来事が事実か否かを検証することはできませんが、このような行為を裏付ける映像は驚くほど大量に存在します。


 この豊富な捕獲装備の一部がアゼルバイジャン軍に配備される可能性はありますが、大半は廃棄されるか(将来に建立されるかもしれない)モニュメントとして展示されるために保管されるかもしれません。実際、バクーの祖国戦争記念館と戦勝博物館の建設準備は2021年1月初旬の時点ですでに開始されています。これらの施設はパレード会場からたった数百メートル離れた場所にあり、展示品の中にはパレードに登場したものを含む多数のAFVやトラックがあります。

 そこでは、これらの装備はこの地域の歴史の中で最も驚異的な番狂わせの1つであるだけでなく、急速に近代化する敵に直面していた不十分な軍事計画がもたらした結果の証拠として残り続けるでしょう。

 捕獲された兵器が埃を被るにつれて、ほかの国々はここで何が起こったのか気づくはずです。そして、この短くも猛烈な紛争の結果は、彼らが学んだ教訓とそれを受けての変化の中で反響していくにちがいありません。


[1] Foreign Ministry Spokesman Denies Iran Is Transiting Russian Arms To Armenia https://iranintl.com/en/world/foreign-ministry-spokesman-denies-iran-transiting-russian-arms-armenia
[2] ナゴルノ・カラバフの戦い2020:アルメニアとアゼルバイジャンが喪失した装備(一覧) http://spioenkopjp.blogspot.com/2020/09/2020.html
[3] Jordan to sell Osa SAMs https://web.archive.org/web/20171104074342/http://www.janes.com/article/75246/jordan-to-sell-osa-sams
[4] Armenia Shows Off New Osa-AK Air Defense Missiles https://militaryleak.com/2020/01/06/armenia-shows-off-new-osa-ak-air-defense-missiles/
[5] The enemy's Tor-M2KM SAM was destroyed in the Khojavend direction of the front https://mod.gov.az/en/news/the-enemy-039-s-tor-m2km-sam-was-destroyed-in-the-khojavend-direction-of-the-front-video-33775.html
[6] Armenian new multifunctional UAVs being displayed at ArmHiTec 2018 Yerevan exhibition https://armenpress.am/eng/news/928038/armenian-new-multifunctional-uavs-being-displayed-at-armhitec-2018-yerevan-exhibition.html
[7] Azerbaijan and Armenia accuse each other of breaking ceasefire https://edition.cnn.com/2020/10/10/europe/azerbaijan-armenia-ceasefire-intl/index.html
[8] Məhv edilən düşmən ƏTRK-nin start mövqeyinə çıxarılmasının videogörüntüləri https://youtu.be/Fi8yGuzQors
[9] A few more days and even archaeologists will not be able to find the place of Ganja. Poghosyan https://www.1lurer.am/en/2020/10/05/A-few-more-days-and-even-archaeologists-will-not-be-able-to-find-the-place-of-Ganja-Poghosyan/328058
[10] Two more "Smerch" belonging to the enemy, which fired at the cities of Barda and Tartar, were destroyed today https://mod.gov.az/en/news/two-more-smerch-belonging-to-the-enemy-which-fired-at-the-cities-of-barda-and-tartar-were-destroyed-today-vide-33498.html
[11] https://twitter.com/canacun/status/1312365311803482112

※  この翻訳元の記事は、2021年1月2日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
 

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2021年3月15日月曜日

無人機とミサイルの脅威:イエメン・フーシ派が多数の兵器を公開した

著:ステイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

 国際的な参加国(サウジアラビアとUAE)が快適と考える範囲を超えて紛争が拡大する中、イエメンの反政府勢力であるフーシ派は、サウジアラビアが主導する多国籍軍に使用するための新型の無人機やミサイルを開発したと主張しています(注:これらの兵器は3月12日に軍事産業展示会で公開されました)。

 問題の新兵器の大多数は「メイド・イン・イラン」であり、これらは過去数ヶ月から数年の間に戦闘に投入されたことがあるようです。しかし、この展示会には今や使用されていないさまざまな兵器も(その事実を伏せてあたかも新兵器のように)公開するという明らかなプロパガンダの特徴がありました。

 それにもかかわらず、フーシ派が保有している弾道ミサイルや無人機が引き起こす脅威は明らかにエスカレートしており、まるで国際社会の介入が実質的に停止しているかのような状況に陥っています。


 新たに公開された「Wa'aed(おそらくワエド)」徘徊型自爆無人機はイラン型の徘徊兵器(注:フーシ派が保有する全ての自爆型無人機は技術的要因やその性格上、遠隔操作またはプログラム飛行型である可能性が極めて高いと考えられていますが、当記事では原文にしたがってそのまま「徘徊」という表現を用いています)であり、2019年のサウジアラビアにあるアブカイク・クレイズ油田への攻撃やそれ以降の(サウジへの)数回の攻撃で使用されたものと酷似しています。※2021年12月に公開されたイランの「シャヘド-136」が同型機と思われます。

 
 新たに公開された「サマド-4」無人戦闘機(UCAV)は翼の下に2発の無誘導爆弾を搭載しています。フーシ派は多くの徘徊兵器を運用していますが、この機は彼らが使用する初のUCAVです。この機が搭載している爆弾は無誘導ですが、それでも敵の基地や装備などの保管施設、集結している兵士たちを攻撃するのに適しています。


新たに公開された「ハティフ」徘徊型自爆無人機。
フーシ派がこれまでに発表した中で最も小型の徘徊兵器です。有効射程距離が短いため、攻撃対象はイエメン国内の標的に限定される可能性が高いと思われます。

 
新たに公開された「シハブ」徘徊型自爆無人機。この機に関しては、設計が明らかにサマド系UAVをベースにしていること以外の情報は知られていません。
 

「サマド-2」徘徊型自爆無人機は2019年に初めて公開され、それ以降は多くの攻撃に使用されています。


「サマド-3」徘徊型自爆無人機(手前)と「サマド-1」無人偵察機(奥)。
前述のサマドと同様に、これもイランによる設計です。


「カセフ-1」と「カセフ-2K」徘徊型自爆無人機はイランの「アバビル-2T」UAVをベースにしています。
カセフはかつてはフーシ派が使用していた主要な徘徊兵器でしたが、現在ではその大部分がより高性能なサマド・シリーズに取って代わられています。
 

新たに発表された「メルサド」無人偵察機は、全体のレイアウトが米国の「RQ-21ブラックジャック」小型戦術無人機と共通しています。


「ラーセド-1」無人偵察機。これまでにフーシ派が発表してきたほかの「国産無人機」と同様に、これも実際には市販で入手可能なモデルです(スカイウォーカー X8 )。
今回公開されたものが2017年2月に発表された「ラーセド」と内部的な差異があるかどうかは不明です。
 

新たに発表された「ルジュム」クアッドコプターは、最大6発の(小型の)迫撃砲弾を搭載可能なクアッドコプターです。言及しても誰も驚かないでしょうが、この「ルジュム」は輸入された民生用モデル(YD6-1000S)を軍事転用したものです。

 
新たに発表された「Nabaa(おそらくナバ)」監視用クアッドコプターも輸入された民生品と思われます。

 
また、フーシ派は「サイール」や「カシム」誘導ロケット弾、「カシム-2」弾道ミサイルや「クッズ-2」巡航ミサイルを含む多数の新型誘導ロケットやミサイルも発表しました。これらは、数年前に発表された「バドル-1」無誘導ロケット弾、「バドル-1P」誘導ロケット弾、「ゼルザル-3」戦術ロケット弾、「ブルカン-H2」、「ガーヘル-M2」弾道ミサイルなどの既に実績がある兵器と一緒に展示されました。


新たに公開された「サイール」と「カシム」誘導ロケット弾。
初期のバドル-1P(イランのファジル-5Bの派生型)と比較すると、これらの両ロケット弾はペイロードの違いや誘導システムの改良によって、より正確に目標に命中できるようになったと考えられます。
 

新たに公開された「Nakal」弾道弾は2019年4月に公開された「バドル-F」の改良型のようです。 近年にフーシ派が発表した他の多くの国産ミサイルとは異なり、これは既知のイラン製ミサイルとはまだ結びついたものがありません(注:既存のイラン製ミサイルに酷似したものがないということ)。
だからといってそのような関係が存在しないというわけではありません。フーシ派はさらに数種類のイラン製兵器を運用しているからです。それらは彼らのニーズを満たすために特別に設計され、一度もイランの軍隊で採用されることはなかったものと思われます。
 
 
新たに公開された「カシム-2」弾道弾。これについては詳細不明です。
 

「ゾルファガール」は「キアム」弾道弾をベースにしたもので、イランから供給された部品で構成されています。過去には、このミサイルはフーシ派によって「ブルカン-3」の名称を付与されていました。




「クッズ-2」巡航ミサイルはイランによって供給されたスーマール系巡航ミサイルの派生型です。
2019年4月にフーシ派が公開した「クッズ」巡航ミサイルに極めて似ていますが、新たな呼称を正当化するいくつかの内部改良が施されたかもしれません。
別に考えられるよりシンプルな説明としては、前述の「ゾルファガール」のように、フーシ派が単に名前を変更しただけという可能性があります。


「ブルカン-H2」は「キアム」弾道弾をベースとした、イランから供給された部品で構成されたもう一つのタイプの弾道ミサイルです。
「ブルカン-H2」の最初の発射が記録されたのは2017年7月ですが、その後は「(現在は『ゾルファガール』となった)ブルカン-3」に取って代わられています。


「ゼルザル3(内戦前のイエメン軍のストックから受け継いだ9K52ルナ-Mシステムの9M21ロケット弾をカニバリゼーションしたもの)」が各種無誘導ロケット弾と一緒に展示されています。
9K52 ルナ-Mシステムは、フーシ派がイエメンを占拠する以前にすでに軍からは退役していましたが、フーシ派はまだ廃棄されていない9M21ロケット弾の部品をできるだけ多くかき集めることを試み、それらを使って2種類の短距離戦術ロケット弾を製造しました。それが「ゼルザル-3」と「サムード」です。
フーシ派が使用できる9M21の部品数が限られていたため、ゼルザルは各タイプとも少数しか生産されず、完成したものもすぐに戦闘に投入されてしまいました。
したがって、ゼルザルが今回の展示会で公開されたことは、フーシ派が自身の保有するロケット弾のストックを実際よりも立派に見せようとする試みと言い表すことができます。

 
「ガーヘル-M2」弾道弾は、内戦前のイエメン軍が保有していたS-75 地対空ミサイルシステムのソ連製V-750ミサイルを改良したものにすぎません。
フーシ派がイエメンを占拠した後、大量に残っていたV-750ミサイルは「ガーヘル1」、「ガーヘル-M2」と呼ばれる地対地ミサイルとして再利用されました。
ほとんど全てのガーヘルがその後の戦闘で使用し尽くされてしまったため、この「ガーヘル-M2」の展示は純粋に現時点における(フーシ派の)戦力の誇示を試みたものではありません。

 
この展示会では、フーシ派は11個もの機雷も展示しました。
より詳しいフーシ派の機雷の使用状況などについては、HI Suttonのフーシ派の海上戦力に関する記事をご覧ください。
 

(左から)カラール-3, アシフ-4, 3, 2 , 1 Shawaz, サキブ

ウワイス

アル・ナジアト

ムジャヒド

カラール-1

カラール-2

カラール-3

(左から)「Shawaz 」と「サキブ」リムペットマイン


さまざまな種類の自家製狙撃銃と対物ライフル(AMR)も印象的です。
フーシ派は豊富な(DIY)対物ライフルの使用者であり、それらは大口径のおかげで、現在イエメンで敵対勢力で広く使用されている大多数の歩兵機動車(IMV)の装甲を貫通することが可能です。

 

(上から)銃剣が装着された2丁の「Saarem(おそらくサレム)」8mm狙撃銃 (ザスタバM48の改良型) , イランの「AM-50」12.7mm AMR と 「ファテフ」12.7mm AMR

別のモデルの12.7mm AMRも「ファテフ」の名称を付与されています

2丁の 「アシュタール」14.5mm AMR (左と中央) と 「ゾルファガール-1 」23mm  AMR(右)

後部から見た「アシュタール」AMR

別の方向から見た「ゾルファガール-1」 ( 背後に「Hasem(おそらくハーゼム)」20mm AMRが展示されています )

「ガセム」30mm AMR は間違いなくこの種の武器では最も強力かつ扱いにくい武器です



「国産」のRPGと、それから発射される数種類のロケット推進擲弾が展示されています。
この非常に恐ろしいRPG-29はロシア製のオリジナルというよりは、イラクやシリアでも発見されているイラン製の簡略化したコピー品のようです。 [1]同様に、展示されているRPG-7は以前にイランからイエメンに運ばれている途中で阻止されたいくつかのRPG-7に疑わしいほど似ているため、イエメンで製造されたというよりも公然と(イランから)供給を受けたものとみられます。

 

また、3つの「国産」迫撃砲も展示されました:口径60mmの「Rujoom(おそらくルジュム)-60」、82mmの「Rujoom-82」、「20mmの「Rujoom-120」です。
前述のRPG発射器と同様に、これらの迫撃砲もイランが設計したものか、イランから引き渡された外国製の砲と思われます。ただし、これらに使用される迫撃砲弾は国産かもしれません。
 
 
特別協力: Calibre Obscura.
 


※  この翻訳元の記事は、2021年3月12日に投稿されたものです。当記事は意訳など 
   により、本来のものと意味や言い回しが異なっている箇所があります。
   正確な表現などについては、元記事をご一読願います。
 
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オリックスのハンドブック:フーシ派のミサイルと無人機(一覧)
2015年以降にフーシ派に供給されたイラン製の武器・装備(一覧)※英語