2024年11月10日日曜日

メイド・イン・アルメニア:トルクメニスタンで運用される「K6-92」短機関銃


著:シュタイン・ミッツアーとヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo)

※  この翻訳元の記事は、2021年2月6日に「Oryx」本国版(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 アルメニア共和国は軍事産業では特に知られた存在ではなく、武器輸出はこれまで記録に残されてきませんでした。1990年代の大半を通じて有望な兵器の研究開発をしたにもかかわらず、資金不足と発注に至らなかったことで、開発は本格化する前に頓挫してしまったからです。

 少数生産された武器の派生型は後にチェチェンや独立国家共同体(CIS)全域の犯罪者の手に普及しましたが、アルメニアの小火器産業の功績はそこで潰えたと考えられていました。ただし、その考えはアルメニアが開発した短機関銃(SMG)がトルクメニスタンで突如として姿を現したことで一変したのです。

 この小火器は「K6-92(92は最初に製造された年:1992年を示す数字)」であり、当時迫っていたナゴルノ・カルバフをめぐるアゼルバイジャンとの全面戦争を想定し、安価で製造が容易な武器として1991年に開発されたシンプルなブローバック式のSMGです。「K6-92」の最も特筆すべき点は、その独特の粗末な仕上がりでしょう。ほとんどDIYで製造した銃器のような外観となっています。

 見た目はともかく、「K6-92」は非常に優れたSMGであり、その影響力によってアルメニアで最も成功した武器でもあります。実際、読者の中には、すでに「K6-92」とチェチェンの「ボルツ(狼)」SMGの類似性に気づいた人もいるかもしれません。 後者の名称は主にチェチェン由来の即製SMG全般に付与されたものです。当初は「K6-92」の設計に倣って作られたものでしたが、その後の改良で外見以外の共通点はほとんど見られなくなりました。


 1991年にアルメニアがソ連から独立すると、「AK(M)」及び「AK-74」アサルトライフル、「PK(M)」機関銃、そして「SVD」狙撃銃を補完するため、ほぼ即座に国産小火器産業の確立に着手しました。

 銃器製造における最初の試みの一つは、ヴァハン・S・ヴァハンによって行われた自身の名前が付けられたアサルトライフルの開発です。5.45x39mm口径の「ヴァハン」はアサルトライフルの設計としては時代遅れとはいえ興味深い試みだったものの、軍で(採用に向けた)本格的な検討がされることはありませんでした。

 「ヴァハン」は革新的な特徴に欠けていたかもしれませんが、アサルトライフル開発におけるアルメニアの次の取り組みは、それを補って余りあるものでした。5.45x39mm口径の「K3」ブルパップ式アサルトライフルは、アルメニアが生んだ小火器の中で最も先進的な設計な誇っています。それにもかかわらず、(おそらくは発注を得られなかったせいか)1996年の登場から程なくして生産が中止されたようです。

 時折、ごく少数が生産された「K-3」が選抜されたアルメニアの特殊部隊に配備されたのではないかと推測されていますが、こうした情報の全てが2006年のアルメニア独立記念日のパレードで、特殊部隊の一部が同ライフルを手にしている姿を目撃したことに起因しているようです。それ以降、「K3」は二度と(運用される)姿を見せることはありませんでした。パレードでの登場は一度限りの宣伝的効果を意図したものだったと思われます。

 同じ頃、アルメニアの武器メーカーであるガルニ-レール社「K11」として知られる一連の狙撃銃の設計に着手していました。見た目は猟銃や成功な玩具の銃に似ていますが、このプロジェクトは試作段階を脱していないようです。

 「K2」自動式拳銃や「V1」SMG、「K15」12.7mm対物ライフルを開発する試みも、全て同様の運命をたどったようです。外国製兵器の継続的な調達と(ごく最近に始まった)ロシアの「AK-103」アサルトライフルのライセンス生産によって、アルメニアで設計された武器が実用化される可能性に終止符が打たれたものと思われます。[1]

 もちろん、定評のある「AK-103」の生産は決して容易なことではありません。アルメニア(と国内の小火器メーカー)にとって、このライセンス生産がいかなる自国の設計品よりも恩恵をもたらすことは言うまでもないでしょう。

 こうして、アルメニア初にして(ほぼ)間違いなく最も野心的でなかった国産銃が最も成功した小火器にもなりました。

 「K6-92」SMGは、単発またはフルオート射撃が可能なシンプルな構造の銃器です。銃弾は9x18mm口径のマカロフ弾で、24連の着脱式の箱型弾倉を使用しますが、16連の弾倉も存在します。後者は持続的なフルオート射撃には全く不向きであるものの、コートの下やバッグの中にSMG全体を隠匿しやすくなる利点をもたらします。

 1990年代のある時点で「K6M」として知られるようになった改良版が登場しました。発射速度が向上したほか、セレクタースイッチの位置が変更され、SMGの全長が大幅に短縮された。

 「K6-92」は少数ながらもアルメニア陸軍や警察で採用された一方で、「K6M」や前述の「V-1」SMGは採用されなかったようです(ただし、少なくとも1丁の「K6M」はシリアに渡ったようですが)。

 それでも、「K6」シリーズにはいくつかの派生型が存在します。最も注目すべき点としては、一部の"K6M"とされるSMGは本物の「K6M」ではなく「K6-92」の短縮版であったり、ほかには折り畳み式ストックを備えたタイプもあることです。下の画像で「K6-92(上)」、「短縮版K6-92(中)」、「K6M(下)」を比較することができます。


 間違いなくシンプルな構造のおかげで、「K6-92」は紛争に苦しむチェチェンのガンスミスの間で人気の的となりました。

 チェチェンがどのようにして「K6-92」を入手したのかは依然として議論が続いています。首都グロズヌイに同SMGの生産ラインが設置されたという主張さえあるほどです。別に考えられるものとしては、1994年の第一次チェチェン紛争以前に、チェチェン・イチケリア共和国が少数の「K6-92」をアルメニアから直接輸入していた可能性が挙げられます。

 いずれにせよ、この「K6-92」のデザインが多数の即製SMGのモチーフになったことは言うまでもありません(下の画像のとおり)。ただ、戦争が進行して物資が不足するにつれて、オリジナルとの共通性は大幅に減少てしまいました。


 四面楚歌となった戦闘員たちにあらゆる種類のDIY小火器をもたらすべく、チェチェンのガンスミスたちが依然として残業に励むうちに、アルメニアはすでに「K6-92」の2度目の輸出契約を結んでいたようです。賢明な読者ならこの時点で察しがつくでしょうが、この契約はトルクメニスタンへの納入に関するものでした。

 トルクメニスタンがこのSMGを入手した正確な時期は不明ですが「K6M」ではなく「K6-92」が引き渡されたという事実は、1990年代初頭から半ばにかけて納入された可能性を示唆しています。それにもかかわらず、このSMGの存在が初めて確認されるまでにはトルクメニスタン国境警備庁と国内軍の演習で目撃された2019年までかかったのです。この演習では「ARX-160」や「TAR-21」アサルトライフル、「MP5」や「X95」SMGといった現代的な武器が山ほどある中で、「K6-92」明らかに異彩を放っていました。

 大規模な小火器の調達がなされているにもかかわらず、「K6-92」は明らかに退役していないどころか、保管状態にも入っていません。「K6-92」がこのような現代的なライバルの隣でいまだに使用されていることは、その設計の頑丈さを証明しています。


 そのレガシーは控えめなままですが、今や「K6-92」はアルメニアがまだ独自の小火器を開発していた時代の証しとして、また、最も無名の武器でさえ予測不可能な影響力を持つことを思い出させる存在として語り継がれるものとなっています。

 どんなに生産数が少なくても、武器は常に世界の思いがけない場所に出現するものであり、その過程で、これまで知られていなかった国際的な武器取引の興味深い一面が明らかになることも少なくありません。

 アナリストにとって、大局的な視野の中から小さなものを追求することほど魅力的なトピックはないでしょう。


[1] Armenian assault rifle factory begins production https://www.janes.com/defence-news/news-detail/armenian-assault-rifle-factory-begins-production


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