2025年2月18日火曜日

時の試練に耐えて:ベトナムのアメリカ製艦艇


著:シュタイン・ミッツアー と ヨースト・オリーマンズ(編訳:Tarao Goo

 当記事は、2023年1月11日に本国版「Oryx」(英語)に投稿された記事を翻訳したものです。当記事は意訳などにより、僅かに本来のものと意味や言い回しを変更した箇所があります。

 共産主義国となったベトナムで運用されたアメリカ製装備の話題は、軍事愛好家やアナリストを魅了してきました。ただし、その魅力の割には、1975年の南ベトナム崩壊後の統一ベトナムで使用され続けた装備について書かれたものは意外とありません。まれにこの話題が取り上げられることがあるものの、そのほとんどは、「F-5E」や「C-130」、そして「UH-1」といった鹵獲機の運用についてのものです。北ベトナムは南ベトナム空軍から1,100機以上の飛行機とヘリコプターを鹵獲したと推定されています。同様に、相当数の装甲戦闘車両(AFV)が北ベトナムの手に渡り、その一部は今日でもベトナム人民軍の戦力をを支えているのです。

 これとは正反対に、勝者である北側に鹵獲された艦艇はごく少数でした。というのも、1975年4月30日に北ベトナム軍の戦車がサイゴンの大統領官邸の門を突き破る直前、ベトナム協和国海軍(RVNN)のほぼ全ての艦艇がフィリピンに向けて出航し、その大部分がフィリピン海軍に接収されてしまったからです。結果として、整備中の艦艇やフィリピンまでの航海に適していない小型艇だけが北ベトナムに鹵獲されました。彼らはそれまで海軍そのものを十分に組織できてていなかったため、これらの艦艇をベトナム人民海軍(VPN)に積極的に迎え入れたのでした。

 編入された艦艇には、河川哨戒艇(PBR)高速哨戒艇(PCF)突撃支援哨戒艇(ASPB)、そして河川機動母艦といった南ベトナムの河川機動部隊のほぼ全体が含まれていました(基本的に小型のために退避できなかったのです)。社会主義ベトナムはこれらの艦艇の一部をさらに数年間運用しましたが、最終的には大部分を廃棄処分としました。ただし、一部のPCFは今でもその姿を見ることができます。もちろん、メコンデルタでベトコンと戦うという本来の目的は、南ベトナムの敗北と共に失われています。北ベトナムは、南の海兵師団が保有していた「LVTP-5/LVTH-6」水陸両用装甲兵員輸送車も引継いだものの、これもすぐに廃棄処分となりました

 上述のとおりRVNNの主力艦艇は一部を除いてフィリピンに向けて脱出しましたが、それでも北ベトナムは南ベトナム最後の港を制圧した際に、「エドサル」級護衛駆逐艦「チャン・カイン・ズー(HQ-4)」、「バーネガット」級フリゲート「ファン・グー・ラオ(HQ-15)」、アドミラブル級掃海艇「キーホア(HQ-09)」と「ハホイ(HQ-13)」に出くわしました。さらに3隻の戦車揚陸艦(LST)、3隻の中型揚陸艦(LSM)、13隻の汎用揚陸艇(LCU)、そして最大で25隻の「ポイント」級カッターも発見され、後に北ベトナムによって使用されました。南ベトナム軍によって無力化された艦艇はごく僅かであり、鹵獲された艦艇の大半については特に修理を要せずに自軍に編入できたとのことです。

1978年、カンボジア侵攻で旧南ベトナム軍の中型揚陸艦(LSM)から上陸するベトナム軍の「BTR-50」APC:艦首の40mm連装機関砲に注目

 ベトナム海軍に編入された最大の艦艇は「エドサル」級護衛駆逐艦「チャン・カイン・ズー(HQ-4)」であり、サイゴンで整備中に鹵獲されたものです。 同艦は「T.03」という名で再就役し、後に「ダイ・キー (HQ-03)」に変更されました。[1] 

 もともと、この駆逐艦は「フォースター」として1944年にアメリカ海軍に就役し、第二次世界大戦中は大西洋と地中海で護衛任務に就いていた艦です。後にアメリカ沿岸警備隊に移管され、1960年代にベトナム海域に派遣されました。そして、1971年になって姉妹艦の「キャンプ(1975年にフィリピンに脱出)」と共に南ベトナムへ供与され、最終的に社会主義ベトナムの手に落ちたのでした。

 「ダイ・キー(HQ-03)」は1970年代(あるいは1960年代)の基準からすると決して近代的なものではなかったものの、それでも2011年まではベトナムが運用していた艦艇としては最大の艦でした。ベトナム展開時における武装は対潜護衛艦、後に沿岸警備艦としての任務に対応したものとなっており、レーダー誘導式の76mm単装砲2門(ヘッダー画像にあるのは艦首の1門)、エリコン製20mm対空機関砲(AA)が数門、そして533mm魚雷発射管で構成されていました。[1] 

 当初、VPNはこの武装の状態を維持していましたが、後日には主に (第二次世界大戦時には砲が備えられていた)空き砲座を活用して武装を強化していきました。この武装強化には前部の76mm砲の交換が含まれており、おそらくはソ連製と思しき大口径の対戦車砲または高射砲に換装されています。また、(大戦中に76mm砲、後にヘッジホッグ対潜迫撃砲が搭載された)第2砲座にも、前部と同じ単装砲が搭載されました。中央の533mm魚雷発射管は撤去されて「V-11」37mm連装対空機関砲が両舷側に各1門ずつ搭載されたほか、後部には(76mm砲が残されたものの)詳細不明の単装砲が追加されました。

 対空防御については、4門の「ZPU-4」14.5mm対空機関砲(両舷に2門ずつ)が追加されたことで一層強化されています。

 この武装が施された「ダイ・キー(HQ-03)」は、クメール・ルージュ海軍の妨害から(旧南ベトナム軍所属艦艇が主体の)上陸船団を保護するために1978年のカンボジア侵攻に投入されました。ちなみに、南ベトナムはすでに1974年の西沙諸島沖海戦で同艦を投入しましたが、中国が決定的な勝利を収めて終結しました。それ以来、彼らが同諸島を支配していることは既知のとおりです。スペアパーツの入手が不可能になったことから、1978年の戦争後に「ダイ・キー(HQ-03)」が出港したのは1982年の一度だけです。この艦は1990年代後半まで訓練用のハルク(船舶型訓練機材)として生き残りましたが、最終的に解体されて生涯を終えました。[2]



 「バーネガット」級フリゲート「ファン・グー・ラオ(HQ-15)」、「アドミラブル」級掃海艇「キーホア(HQ-09)」と「ハホイ(HQ-13)」は、艦番号をそれぞれ(HQ-01)、(HQ-05)、(HQ-07)に変更されてVPNに引継がれました。もともと、「バーネガット」級は第二次世界大戦中に水上機母艦として建造された後、フリゲートに分類され沿岸警備隊に移管された艦です。1971年と1972年に合計7隻が南ベトナム海軍に譲渡されました。正式な分類上はフリゲートですが、武装は前部に搭載された38口径5インチ砲(127mm両用砲)1門のみです。1974年の西沙諸島沖海戦における中国はこの弱点を巧みに利用し、標的とならないように常に2隻の「バーネガット」級の背後に回り込んだことが知られています。

 この戦いでの「バーネガット」の活躍に不安を感じたせいか、北ベトナムは編入後すぐに「2M3」25mm機関砲と「V-11」37mm機関砲を装備しました。「ファン・グー・ラオ(HQ-15)」は、後部甲板に「P-15 "テルミート"」対艦巡航ミサイル(AShM)用の発射機2基との「9K32 "ストレラ-2"」MANPADS用の四連装発射機2基を装備していたと伝えられることがありますが、これらの記述を裏付ける証拠画像は現時点でありません。[3] 

 この艦の経歴については、1990年代か2000年代初頭の時点で解体されたという以外は分かっていません。「アドミラブル」級の2隻も同様で、判明している情報からすると、1980年代か1990年代初頭まで哨戒艇として運用されていたようです。[4]

「バーネガット」級フリゲート「ファン・グー・ラオ」:統一ベトナム時代に撮影された数少ない写真の一枚だ

「アドミラブル」級掃海艇「ハホイ(HQ-07)」:艦橋前の「V-11」37mm砲と救命艇のすぐ後方にある2門のボフォース40mm機関砲に注目

 それまで大型の揚陸艦を保有していなかったVPNにとって、3隻の戦車揚陸艦(LST)と3隻の中型揚陸艦(LSM)、そして13隻の汎用揚陸艇(LCU)の鹵獲は、戦力を増強する上で最も重要なアセットとなったことは間違いないでしょう。LSTは「PT-76」水陸両用戦車や海軍歩兵が使用する「BTR-50」APCを最大20両搭載することを可能にしただけでなく、その大きさゆえに自身を沿岸哨戒艇や砲艦として活用させることすらできたからです。[5] [6] [7]

 これらのLSTは1978年のカンボジア侵攻で社会主義ベトナム時代のキャリアを平凡にスタートさせた後、2隻が1988年の中国とのスプラトリー諸島海戦に投入されました。1974年の西沙諸島沖海戦と同様に、この時の中国が勝利を収めて島の支配権を掌握したことは言うまでもありません。この戦いで、「HQ-505」は中国側の優勢な火力に対抗するべく果敢に立ち向かった後に激しい損傷を受け、ベトナムのカムランに曳航される途中で沈没しました。[8]

 生き残った2隻のLSTは1979年と1980年にソ連から導入した2隻のポーランド製「ポルノクニーB」級中型揚陸艦が就役したにもかかわらず運用が続けられ、現在でも1隻が現役です。 また、LSMとLCUは1980年代後半に退役して解体処分となりましたが、後者の1隻は今でも使用され続けています。

LST「ヴンタウ(HQ-503)」:この艦は2016年に72年の生涯を閉じた

ベトナム軍のLSTの甲板上に駐機している「Ka-25」対潜ヘリコプターと「ポルノクニーB」級中型揚陸艦(左奥):両艦はどちらも今日まで運用され続けている

 艦艇そのものだけでなく、それらに装備されていたアメリカ製の兵装も時代を乗り越えてきました。

 驚異的な耐久力があるにもかかわらず、1隻を除く全てのLSTと数隻のPCFが退役した後の現在でもアメリカ製兵装を装備している艦艇の数は確実に減少しつつあります。唯一生き残っているLSTには依然として2連装のボフォース40mm機関砲とエリコン20mm機関砲が装備されており、PCFには後部甲板に12.7mm重機関銃と81mm迫撃砲を備えた銃架が1門だけ装備されています。

「チェン・チン・ユー(HQ-501)」の艦首に装備されている40mm機関砲と20mm機関砲(各二連装):艦尾にも20mm機関砲が装備されている

PCFの後部甲板に搭載された81mm迫撃砲と12.7mm重機関銃(HMG)の火力プラットフォーム:この艦では「M2」50口径HMGが「NSV」に換装されているが、オリジナルのままの個体もある[9]

 アメリカ、南ベトナム、そして統一ベトナム海軍で80年もの長きにわたって使用され、ボロボロに錆びついたこれらの艦艇は、今日でもベトナム人民海軍で重要な役割を果たしていることは間違いないでしょう。今のところ、こうした懐かしさを感じさせる兵器は何とか持ちこたえていることを踏まえると、残存するアメリカ製の装備は今後数十年にわたってベトナム人の手で使用されるかもしれません(編訳者注:AFVや小火器の場合も同様と言える)。

 南ベトナムから鹵獲した最後の大型艦の生涯がまもなく終焉を迎えようとしていますが、 ベトナムにおけるアメリカ製艦艇の物語はそこで終わりません。というのも、この国は2017年と2021年に2隻の「ハミルトン」級カッターを導入したからです。予想以上に長い時の試練に耐える ことができたベトナムにおけるアメリカ製兵器は、両国間が敵対関係にあった日々より長く続いています。

VPNで現存する唯一の汎用揚陸艇(HQ-556)

ベトナムが保有する最後のアメリカ製LST「チェン・チン・ユー(HQ-501)」:甲板に「Mi-17」ヘリコプターが着陸しようとしている

[1] USS Forster (DE 334) http://www.navsource.org/archives/06/334.htm
[2] DAI KY Frigate (1944/1975) https://www.navypedia.org/ships/vietnam/vie_es_dai_ky.htm
[3] PHAM NGŨ LAÕ Frigate (1943/1975) https://www.navypedia.org/ships/vietnam/vie_es_pham_ngu_lao.htm
[4] KỲ HÒA patrol ships (1944/1975) https://www.navypedia.org/ships/vietnam/vie_es_ky_hoa.htm
[5] TRẦN KHÁNH DƯ tank landing ships (1944/1975) https://www.navypedia.org/ships/vietnam/vie_ls_tran_khanh_du.htm
[6] NINH GIANG medium landing ships (1944/1975) https://www.navypedia.org/ships/vietnam/vie_ls_ninh_giang.htm
[7] LCU1466 small landing ships (1953-1954/1975) https://www.navypedia.org/ships/vietnam/vie_ls_lcu1466.htm
[8] Vietnamese soldiers remember 1988 Spratlys battle against Chinese http://www.thanhniennews.com/politics/vietnamese-soldiers-remember-1988-spratlys-battle-against-chinese-60161.html

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